忍野村

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忍野村(おしのむら)は、山梨県南都留郡富士山御坂山地に囲まれた海抜936mの盆地を中心に村域が広がり、東部の内野地区と西部の忍草地区の2つの集落から成る[1]

地理・歴史

忍野村は山梨県南東部および南都留郡北部の富士山麓に位置し、名水として知られる忍野八海湧水天然記念物名水百選)を有する。忍野村から見る富士山は「忍野富士」[2]と呼ばれる。

忍草の忍草浅間神社の本殿は村の重要文化財に指定されている[3]。また、同社に伝来する木造浅間神・随身像は鎌倉時代の正和4年(1315年)に丹波国の仏師・岩見坊静存が制作し、別当の東園寺が勧請したもので、富士信仰に関する像として知られる。『甲斐国志』によれば、江戸時代に同像は木花咲耶姫・鷹飼・犬飼像と伝えられたという。

高冷地であることから古くから農業だけでは自給が難しい地域であったため、木挽きや木かやとりといった山仕事の副業が営まれていた。副業は、江戸時代末期から1897年明治30年)には「駄賃つけ」と呼ばれる馬による荷物運送業に移行し、その後は養蚕が発達した[1]

戦後、淡水魚養殖観光業が発展し、忍野八海や二十曲峠に示される豊かな自然資源を活かすことによって多くの観光客が来訪している。工作機械用NC装置や産業用ロボットの世界的なメーカーとして知られるファナック1972年(昭和47年)に誘致され、本社および主力工場群が所在し、それらの外壁は黄色に塗装されている。富士山の裾野に広がる原野である梨ヶ原は戦後に米軍管理となった。これは1959年(昭和34年)以降、自衛隊北富士演習場として利用されており、入会権をめぐる問題がある(北富士演習場問題)。

隣接する山中湖村域にある「山中のハリモミ純林」は国の天然記念物に指定されている。

沿革

  • 1875年(明治8年)2月15日 - 近世以来の草村・内村が合併して忍野村となる。当初の村名案は「豊葦村」であったが、合成地名に変更された。
  • 1889年(明治22年)7月1日 - 町村制の施行により、忍野村が単独で自治体を形成。

人口

忍野村(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

行政

  • 村長:天野多喜雄(2015年8月29日就任 1期目)
  • 村議会:議員定数14人

交通

鉄道

村内に鉄道がなく、最寄り駅は富士急行線富士山駅

一般路線バス

高速バス

バスタ新宿新宿駅南口)に発着する中央高速バス富士五湖線(富士急山梨バス・フジエクスプレス京王バス東が運行)のうち、一部の便が忍野村役場前などを経由する。また、東京駅に発着する東京 - 河口湖線(富士急山梨バス・富士急行観光が運行)のうち、山中湖まで運行する便がファナック前などを経由する。

このほか、前述の富士五湖線で村内を経由しない便は、山中湖村内にある忍野入口バス停に停車する。

道路

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

出身有名人

本社を置く企業

  • ファナック
    • 現時点ではこちらでかなりの税収が得られているために合併が避けられていると言える。所在地は忍野村であるが敷地は山中湖村域に跨る。

脚注

参考文献

外部リンク