指名打者

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ファイル:Hanshin Koshien Stadium7.jpg
DH制なし(写真上)とDH制あり(写真下)のスコアボード。
指名打者はDHと表示されている。
(阪神甲子園球場)

指名打者(しめいだしゃ)とは、公認野球規則5.11にもとづき、野球の試合において攻撃時に投手に代わって打席に立つ、攻撃専門の選手のことをいう。DHdesignated hitter の略)や指名代打(しめいだいだ)ともいう。

ソフトボールの試合においては、任意の野手に代わって打席に立つ打撃専門の選手として指名選手DP; designated playerの略)が認められており、指名選手はどの守備位置の選手にも適用可能[注 1]である。対して、DHは投手以外の野手に代わることは認められない。

概要

指名打者(以下DHと表記)は一切守備に就かず、本来投手が担うべき打撃を代行する事で、投手と攻守を分担する。試合開始前にメンバーを発表する際には、投手以外の野手とともに打順が定められる。先発出場したDHは、相手チームの先発投手に対して、少なくとも一度、打席を完了(安打または四死球失策等により走者となる、またはアウトになる)しなければならない。ただし、DHの打順が来る前に相手チームの先発投手が交代した場合はこの義務はなくなる。

なお、チームは必ずしもDHを起用しなくても良いが、起用しなかった場合には、その試合途中からDHを起用することはできない。逆に、DHを試合中に解除して守備の9人のみにするというメンバー変更は可能である。このときも再度DHを起用することはできない。

日本プロ野球(以下、NPB)・メジャーリーグベースボール(以下、MLB)の一部、韓国の韓国野球委員会、台湾の中華職業棒球大聯盟、キューバのセリエ・ナシオナル・デ・ベイスボルなどのプロ野球リーグ、四国アイランドリーグplusベースボール・チャレンジ・リーグなどの独立リーグや社会人野球、日本の大学野球リーグ(一部の連盟を除く - 後述)、および日本中学硬式の「フレッシュリーグ」等で採用されており、国際試合においても採用されることが多くなっているが、それ以外の少年野球高校野球においては採用されていない。

DHには守備力は全く不要であり、打撃技術は秀逸だが守備能力に難のある選手や、長打力から専ら打撃を期待される外国人選手などの打撃専業化を目的として起用されることが多い。そのためコンタクト、パワー、選球眼を含めたトータル・パッケージを求められるが、中でも打線の中軸を担えるだけの破壊力が必需である。具体例としては、MLBにおいては1シーズン30本塁打OPS.900の両方をコンスタントにクリア出来れば一流と目される[1]。また、負傷により守備力が落ちている選手、あるいは足腰に不安があるベテラン選手等の守備配置による体力消耗軽減を目的として起用されることも多い。特にMLBにおいては、レギュラー選手の疲労回避手段や軽負傷選手の負担軽減を目的として、普段は守備についている選手をDHとして起用する例がしばしば見られる。ただ、守備をこなしてから打席に入ることで打撃のリズムを作るのを良しとする選手は、DHとしての起用を嫌う場合がある。DH専門の選手は選手寿命が短くなるという説[2]もある。

これらのことから、NPBにおいて、現役生活で長年にわたり指名打者で起用され続けた日本人選手は、門田博光山崎武司石嶺和彦などわずかな例しか存在していない[注 2]

DH制を採用している団体に所属しているチームとそうでない団体に所属しているチームが試合をする際は、前者の主催試合のみDH制を採用することが多かったが、主催に関係なくDH制を採用するケースも増えている。

歴史

MLB

1972年、過度な投高打低状態にあったアメリカンリーグ(ア・リーグ)では12球団のうち9球団が年間観客動員数が100万人を割る状態であった[3]。これを解消するためオークランド・アスレチックスのオーナーだったチャーリー・O・フィンリーらのアイディアによって、翌1973年よりア・リーグで初めてDH制が採用された[3]。DHとして最初に打席に立ったのはニューヨーク・ヤンキースロン・ブルームバーグであった[3]

DH制制定以降のMLBではポール・モリターエドガー・マルティネスデビッド・オルティーズなどDHのスター選手も現れた[3]。2004年、長年DHとして活躍したマルティネスの引退の際にア・リーグはこれを称え、年間最優秀指名打者賞をエドガー・マルティネス賞と改名する事を決定した[3](しかし2010年、マルティネスがアメリカ野球殿堂入りの対象者となった際には、野球記者の投票は36.2%しか集まらなかった[3])。同年1月に招集されたMLB特別委員会で、以後のMLBオールスターゲームではア・リーグ、ナショナルリーグ(ナ・リーグ)のどちらの本拠地での開催であってもDH制を採用することが決定した[3]

NPB

当初、阪急ブレーブス高井保弘が代打で多くの本塁打をマークし、1974年毎日新聞にアメリカの記者の「あれだけの選手というのはもったいない、日本もアメリカに倣い指名打者制度を導入すべき」という趣旨のコラムが掲載されたことがきっかけで議論され、人気低迷にあえいでいたパシフィック・リーグがア・リーグの成功を参考に1975年から採用した[4]。日本で最初にDHとして打席に立ったのは日本ハムファイターズ阪本敏三であった[4]。採用初年度はリーグの平均打率(.247→.254)と投手の完投数(197→302)がそれぞれ向上し[4]、平均試合時間の5分短縮にも成功したが[4]、肝心の人気向上には繋がらなかった[4]

日本選手権シリーズでは1985年に初めて採用され[4]阪神タイガース弘田澄男が初めてDHとして打席に立ったセ・リーグ選手となった[4]。このときは、隔年で全試合採用の年と全試合不採用の年とに分けるという方式がとられ、そのルールに従い、翌1986年は採用せずに実施された[4]。その後、パ・リーグ本拠地球場での採用を毎年続けることに規定が改められ、1987年よりパ・リーグ代表チームの本拠地の試合で採用されている[4]

オールスターゲームでは1983年に初採用されたが、セントラル・リーグが投手を打席に立たせて最後まで抗議の意思を示したため1年で中断[4]。その後セ・リーグが態度を軟化させて1990年からパ・リーグ所属チームの本拠地球場でのみ両リーグが採用するようになり、1993年から全試合に採用されている[4]

2005年に始まったセ・パ交流戦では日本シリーズの例に倣い、当初からパ・リーグ所属チームの主催試合でのみこの制度が採用されている。なお2014年についてはセ・リーグ球団が主催する試合では指名打者を使い、パ・リーグ球団の主催では指名打者を適用しない9人制と通常とは異なる方式を採用して行われた(詳細後述)。

オープン戦は導入初年度の1975年は、パ・リーグ所属チーム同士の対戦でしか指名打者制は使えなかった(パ・リーグ所属チームの主催試合でも相手がセ・リーグ所属チームの時は使えなかった)が、2年目の1976年からは、パ・リーグ所属チームの主催試合であれば相手に関係なく使えるようになり、さらに1979年からはセ・リーグ所属チームの主催試合でも試合前に両監督の合意があれば、相手に関係なく(セ・リーグ所属チーム同士の対戦であっても)指名打者制が使えるようになった。

ファーム(二軍)の公式戦では、イースタン・リーグでは2008年までは一軍がパ・リーグに所属するチームのホームゲームのみで採用されていたが、2009年からは全チーム全試合で採用されるようになった。また、ウエスタン・リーグでも2013年より一軍がパ・リーグに所属するチームのホームゲームに加えて、阪神タイガースのホームゲームでも採用されるようになった。この結果、2013年以降は中日ドラゴンズ広島東洋カープのホームゲームを除いては全試合で指名打者制が採用されている。

二軍の教育リーグではオープン戦と同様にセ・リーグ同士のチームが対戦する場合も含めて採用されている。

日本の野球では、スコアボードに出場選手を表示する際、それぞれの選手に守備番号が付されるが、指名打者を起用する試合においては、投手は本来の「1」ではなく「P」と表示されることがある。また特にパネル式のスコアボードを採用している球場(2004年以前の宮城球場他)では、選手メンバー表の人数が9人しか掲示できないため、攻撃の時はその指名打者の選手、守備の時はその箇所に投手の氏名と表示を入れ替える場合がある他、過去の後楽園球場平和台野球場のように、チーム名を表示する箇所に投手名を掲示するパターンもあった。

金田正一はDH制が採用された1975年にロッテオリオンズの監督を務めていたが「1975年にDH制が採用された時は嫌だったな。投手交代こそ采配の妙味だ。投手に打順が回った時の代打の使い方もな。自分はそれがうまかったんだが、DH制度では持ち味が消されてしまうんだ」と述べている[5]

日本のアマチュア野球

日本の学生野球では、全日本大学野球選手権大会が1992年からDH制を採用した[4]。これを受け、1994年秋から東都大学野球連盟が採用した[4]。以後大半の連盟がこれを採用するに至ったが、東京六大学野球連盟関西学生野球連盟では採用されていない[4]。また明治神宮野球大会では採用されていない。

日本の高校野球では、選抜高等学校野球大会全国高等学校野球選手権大会およびその予選のすべてにおいて採用されていない。

国際大会

1984年のロサンゼルスオリンピック公開競技として野球が採用されて以来、2008年の北京オリンピックで野球競技が廃止されるまでDH制が採用された[4]アジアシリーズワールド・ベースボール・クラシック(WBC)など、野球の国際大会では数多く採用されている。

DH制の評価

プロで採用される投手は、高校時代には打撃でも中核を担った経歴を持つ者も少なくないが、プロ入り後は投手に専念することがほとんどである。投球に必要な体力を温存するために、打席ではバットを振らないよう投手コーチから指示を受けることもある[6]

DH制度が導入されると、打力が期待できない投手を打順に組み入れる必要がなくなったため、切れ目のない攻撃的な打順を組むことができるようになった。

同時に、打力は高いが守備に難のある野手を1人、DHとして先発出場メンバーに追加できるようになった。この結果、投手が打席に立たない分、野手全体の打撃成績を伸ばすことが可能になった。

また投手にとっても、好投を続けている時に、やむを得ず試合展開により代打を送られてしまい交代させられるというケースが無くなった。また、投手が打席の準備および立つ必要がなくなったため、味方の攻撃中に休ませることも可能になった。更には、自打球死球、走塁時の肩の冷え・スライディング・ベース角による捻挫など、打者や走者の役割から生じうる故障および体力の消耗などを未然に防止できる効果もあり、投手にとっても好ましい制度である。

この制度に対する批判として最も大きな論は、それが「打って・守って・走って」という野球本来の姿をゆがめているというものである[3]

日本ではパ・リーグが導入を決定した際、セ・リーグは指名打者を採用しない理由を9ヶ条にまとめて発表した(上に挙げた理由も含まれる)。それは今でもセ・リーグの公式見解であり、公式サイトにも掲載されている[7]。なお、2014年のセ・パ交流戦のみ特例としてセ・リーグ主催の公式戦で初となる指名打者制が採用されている(逆にパ・リーグ主催ゲームは従来のセ・リーグで行われている9人制を適用)。

DH制はあくまでも有利選択のオプション(DHを使用せず投手を打席に立たせることも可能)であり、ルール上は強制でなく使用は任意である。しかし相手チームがDH制を採用しても自チームで採用しないという選択は、自チームの一方的不利は免れないのでオープン戦を除けば通常ない(セ・リーグのチームは公式戦に備えてスケジュール終盤ではDHを使わないことが多い)。

近年のNPBでは、「特定の外国人選手1人に固定して起用する」あるいは「複数の選手を指名打者として併用で起用する」(いわゆる「DHローテーション」)のいずれかが基本的な起用法になっており、「特定の日本人選手1人に固定して起用する」ことはほとんどない[注 3]。NPBにおける「DH固定起用制」の減少の理由の一つとして、故障を抱えているが打撃面だけでならば貢献できる選手をどうしても起用したいときの手段としてDH起用を用いることが挙げられる[8]。また、2014年には、「Number Web」において、「セ・リーグでもDH制を導入した方がいい?」というテーマで議論の場が設けられる機会があった[9]

「DHローテーション」は、MLBでは過密日程対策としてレギュラー選手でも先発出場から時折外すという目的での使用が以前から行われてきたが、近年では特定の選手を指名打者に固定せず休ませる目的で何名かのレギュラー選手で指名打者を回す目的として浸透している[10]ニューヨーク・ヤンキースで監督を務めたジョー・ジラルディは、「その日の選手の状態を見て、誰をDHにするか感覚で決めている。常にフレッシュな状態で出場させるのも、私の大事な仕事」と言っているように、先発ローテーションとは異なり順番が厳密に指定されているわけではない。DHローテーション制のメリットとしてコストパフォーマンスに優れるという指摘があり、MLBでは中心となりつつある[11]。それに伴い打撃専門の打者を採用するチームが少なくなり、打撃には優れるが守備に問題のある選手の評価が急落する傾向が強くなり、一例として2017年には、前年の本塁打王であるクリス・カーターがFAになった際は、契約交渉が長期化した末、1年350万ドルという安価での契約を余儀なくされた[12]

指名打者の起用・交代について

DHは打順表の中でその位置が固定されており、選手交代があってもその位置を変更することはできない。試合当初から使わないことも、途中で代わりに投手を打順に組み込んで使用を放棄することもできるが、途中からの使用・再使用は認められない。試合途中からDHになれるのは、代打または代走としてDHと交代した選手のみである。

なお、ルール上の投手と選手登録における投手とは関係がない。野手登録の選手が投手を務めることと同様に、投手登録の選手が野手やDHを務めることは可能である。

試合開始時から指名打者を使用せず投手が打席に立つ

この場合は試合終了まで指名打者を使用することはできないが、前述でも記載があるように、DH制のある試合でDHを最初から使用しないことは一方的不利を免れないので、オープン戦以外では特殊な事情がない限りは起こりえない。公式戦で試合開始時からDHを使用しなかったのは、日本シリーズ対策として投手に打席を経験させるために消化試合でDHを使わなかった西武ライオンズの例、投手登録だが野手を兼任する大谷翔平が先発投手の試合でDHを使わなかった北海道日本ハムファイターズの例がある。

西武ライオンズ
1987年、1990年、1992年、1998年に、リーグ優勝決定後に各年1試合ずつ、計4試合で9番に先発投手を起用した。打席に立った投手は1987年が渡辺久信[注 4]、1990年が工藤公康渡辺智男、1992年が渡辺久信・潮崎哲也石井丈裕、1998年が西口文也の延べ計7人。1992年10月10日の試合では渡辺久が左前安打を打っている。
大谷翔平
大谷は日本ハムに入団した2013年以降、投手として先発する試合以外で、野手として先発出場した経験は多かったが、2015年までは投手として打席に立ったのはセ・パ交流戦でDH制のない試合に限られていた。しかし2016年5月29日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦で6番・投手として先発し、DH制のある試合では初めて登板中に打席に立った。その後、この年の公式戦では大谷が先発投手の試合でDHを使用しなかったケースが計7試合あった。この場合は西武のケースと異なり、大谷自身の打力に期待してDHを使用しないため打順は試合によってまちまちで、2016年7月3日の対福岡ソフトバンクホークス戦では1番・投手で先発し、1回表に投手登録の選手としてはプロ野球史上初の初回初球先頭打者本塁打を打っている。2017年は10月4日のオリックス・バファローズ戦の1試合のみで、パ・リーグでは指名打者制導入後初、2リーグ制後では1951年10月7日の藤村富美男以来の4番・投手で先発した。

指名打者への代打・代走

前述のとおり、先発出場したDHは少なくとも一度、打席を完了しなければならない。打席を完了した後か、相手チームの先発投手が降板した後は、DHに対して代打や代走を起用することもできる。代打者または代走者は、それ以降のDHとして、退いた打者の打順を引き継がなければならない(このルールは1982年から適用)。他の選手への代打・代走はその攻撃中代打・代走として扱われるが、DHと交代した場合は即DHとして扱われ攻守交代時にポジションを申告する必要が無い(守備位置のある選手に代打・代走を出した場合はそのまま守備位置を引き継ぐ場合でも申告する必要がある)。

1982年8月12日、近鉄バファローズ阪急ブレーブス
阪急監督の上田利治はこの試合の近鉄の先発投手を読み切れず(実際には左腕投手の鈴木啓示が先発した)、指名打者に投手の山沖之彦偵察要員として起用し、1回に山沖に打順が回ると右打者の河村健一郎を代打に送ろうとした。だが上記ルールによって打者交代が認められず、山沖がそのまま打席に立つ羽目になった(山沖は三振)。
1998年5月15日、オリックス・ブルーウェーブ福岡ダイエーホークス
オリックスの指名打者として先発発表されていたトロイ・ニールが開始直前になって腹痛を訴えた。しかしメンバー発表後であったため上記ルールにより交代は認められず、ニールは打席に立たなければならなかった。ニールは第一打席で本塁打を打つと全速力でホームまで走り、ハイタッチもする間もなく、そのままトイレへ直行した。
2011年5月20日、オリックス・バファローズ広島東洋カープ
広島の野村謙二郎監督は先発の指名打者に投手の今村猛を偵察要員として起用してしまい、メンバー表交換の際にオリックスの岡田彰布監督に指摘されて初めて気付いた。上記ルールにより代打は認められないため、今村は2回表の第一打席に立ち、犠牲バントを成功させた。次の打席では石井琢朗が代打に出された[15]

ただし、DHとして起用された選手が怪我などによって退場する場合にのみ特例として代打が認められる。

2010年4月9日、千葉ロッテマリーンズ埼玉西武ライオンズ
ロッテの指名打者として福浦和也が第一打席に入ったが、自打球で負傷退場。神戸拓光が代打に起用され、本塁打を打った。

指名打者に代わって登板中の投手が打つ

DHの選手に替わり、登板中の投手が打席に立っても構わない。その時点でDHは消滅する。

指名打者に代わって登板中の投手が走る

DHの選手が出塁しているとき、その選手に替わって登板中の投手が走者を務めても構わない。その時点でDHは消滅する。

指名打者が投手になる

DHの選手が投手として救援登板することもできる。その時点でDHは消滅する。

1995年5月9日、西武ライオンズ対オリックス・ブルーウェーブ戦
8回裏2死の時点で0-9の大量リードをされていた西武が、ファンサービスの一環として5番・DHで入っていたオレステス・デストラーデを投手として救援登板させた。デストラーデは1被安打2四球を許し1死も取れずに降板した。
2016年10月16日、北海道日本ハムファイターズ対福岡ソフトバンクホークス戦(クライマックスシリーズ ファイナルステージ第5戦)
日本ハムの大谷翔平はこの試合に3番・DHとして先発出場していたが、7-4と3点リードで迎えた9回表にDHを解除し、5番手投手としてマウンドに上がった。大谷は自己の日本記録(164/km/h)をさらに更新する165km/hの球速を3度記録するなど、この回を三者凡退に抑えてチームは勝利し、1勝のアドバンテージを含む対戦成績を4勝2敗として日本シリーズ進出を決めた。大谷はポストシーズンも含めて自身初のセーブを挙げたが、野手として先発出場した選手がセーブを挙げるのもポストシーズンまで含めてプロ野球史上初のケースであった。

DHが消滅し投手が打順表に入る場合、原則として投手の打順は打順表の空いたところを引き継ぐこととなるが、投手に関係する守備位置交代を含めて同時に2人以上の選手の交代を行った場合、新たに打順表に入る選手の打順は、投手の打順も含めて監督が指定する。これは本項以下の3項目でも同様である。なお、その後の選手交代で投手の打順が変更されるのは構わない。

指名打者が野手になる

DHの選手を守備に就かせることもできるが、その時点でDHは消滅する。代わりに退いた選手の打順は、投手が引き継がなければならない。DHだった選手の打順は変わらない。

1991年5月29日、近鉄バファローズ対オリックス・ブルーウェーブ戦
オリックスのDHで起用された石嶺和彦が9回表に代走の飯塚富司が出て退き、飯塚が守備に就いたため、その裏から登板したドン・シュルジーが6番の打順に入った。延長戦突入後の11回に打席に入ったシュルジーは決勝本塁打を放った。指名打者制の導入後、パ・リーグの投手が打った初めての本塁打であった。
2014年8月16日、埼玉西武ライオンズ北海道日本ハムファイターズ
10回表の攻撃において4番・レフトで出場していた日本ハムの中田翔が走塁中に左足首を負傷し、選手交代の必要が発生したが、その時点で日本ハムは控え野手を使い切っていたため、栗山英樹監督はDHの杉谷拳士を中田に代わってレフトの守備に就かせ、中田の打順である4番に投手の増井浩俊を入れた。なお、増井は延長11回表の二死満塁で打席に立ち、凡退している[16]

投手が守備位置を変更し、投手でなくなる

投手が投手以外の守備位置へ移った場合、その時点でDHは消滅する。投手だった選手はDHの打順に入り、DHは退いた形となる。新たに登板した投手に対してはDHを使用することができない。

2013年7月19日、オールスターゲーム第1戦
パ・リーグの3番手投手として登板した大谷翔平は5回に投手として1イニングを投げた後、6回から守備位置を左翼手に変更したため、大谷に代わり登板した菊池雄星がDHで出場していたアンドリュー・ジョーンズに代わって五番の打順に入った。

野手が守備位置を変更し、投手になる

野手が投手へ守備位置を移った場合、その時点でDHは消滅する。新たに登板した投手に対してはDHを使用することができない。

2013年8月18日、北海道日本ハムファイターズ対福岡ソフトバンクホークス戦
5番・右翼手で先発出場した日本ハムの大谷翔平は8回表に守備位置を投手へ変更したため、大谷に代わって右翼手に入った赤田将吾はDHで出場していたミチェル・アブレイユに代わり、3番の打順に入った。なお、8回裏は大谷には打順が回らず、9回表は谷元圭介が登板、5番には飯山裕志が入り大谷は退いたため、大谷がこの試合で投手として打席に立つことはなかった。

連続フルイニング出場記録の扱い

NPBでは、指名打者のみの出場であっても連続フルイニング出場記録は継続の扱いとなるが、MLBにおいては、指名打者では連続フルイニング出場を認めないという見解が出されている。

阪神タイガース金本知憲2006年4月にカル・リプケンが持つ903試合連続フルイニング出場の世界記録(MLB記録)を上回り、その後も記録を更新していたが、故障を抱えていたため、セ・パ交流戦のパ・リーグ主催試合で金本を通常の左翼手ではなく、指名打者で起用することが検討された(2005年の交流戦では指名打者での起用はない)。当時MLBは指名打者を含む連続フルイニング出場について公式な見解を出していなかったため、阪神球団がMLBに問い合わせ、上記の見解が出された。

実際には、金本は2009年までの交流戦では指名打者で起用されることがなく、2010年4月18日の横浜ベイスターズ戦でスタメンから外れたことで連続フルイニング出場が途切れたため、NPBとMLBの見解の違いは特に問題にならず、同年には金本の1492試合連続フルイニング出場がギネス世界記録に認定された。なお記録が途切れてから引退までは、交流戦のパ・リーグ主催試合の大半で金本は指名打者として出場した。

日本選手権シリーズ

1985年より隔年採用、1987年よりパ・リーグ主催試合でのDH制採用となった日本選手権シリーズでは、セ・リーグ所属チームの主催試合ではDH制が採用されていないため、パ・リーグの投手が打席に立たなければならない上、DH起用が前提となっているタイプの選手をどのように活用するか(代打専門とするか、慣れない守備に付かせるか)という点で、パ・リーグ側のチームには一層の事前準備が求められる。

セ・パ交流戦

2005年から始まったセ・パ交流戦ではパシフィックリーグの本拠地での試合に限りDH制が採用されている。セントラルリーグの本拠地ではDH制が採用されていないため、パ・リーグの投手も打席に立つ義務がある。また、普段はDHとして起用されている選手をどう守備に組み込むか、またほとんど打席に入ることがない投手をどう扱うか、一方のセ・リーグのチームは誰を指名打者として起用するかが戦術の大きな要素となる。

2014年にはセ・パ両リーグは交流戦の10周年記念として、この年の交流戦のセ・リーグ主催試合で指名打者制を採用し、パ・リーグ主催試合では指名打者制を使わない9人制の適用と、これまでと逆の方式で行った[17]

DH制導入後、DH制度規定試合での投手専任の選手の打撃

大谷翔平(日本ハム)は野手兼任であるため、ここでは扱わない。

試合中のDH解除により打席に入った投手
日付 選手 所属 相手 結果
1975年6月3日 太田幸司 近鉄 日本ハム 右飛
1975年8月10日 佐々木宏一郎 南海 太平洋クラブ 三ゴロ野選(打点1)
1976年6月27日 大石弥太郎 阪急 太平洋クラブ 遊飛
1978年4月8日 山田久志 阪急 日本ハム 三振
1978年8月23日 倉持明 クラウンライター 日本ハム 四球
1981年8月10日 山田久志 阪急 日本ハム 遊ゴロ
1982年8月12日 宮本四郎 阪急 近鉄 左飛
1982年9月27日 稲葉光雄 阪急 南海 二ゴロ
1982年10月7日 山田久志 阪急 南海 二ゴロ
1983年6月7日 木下智彦 阪急 日本ハム 二飛
1986年4月10日 佐藤義則 阪急 南海 二ゴロ
1989年6月15日 酒井勉 オリックス 西武 三振
1990年9月12日 山沖之彦 オリックス 日本ハム 四球
1991年5月29日 ドン・シュルジー オリックス 近鉄 左本塁打(打点1)
1992年5月19日 清川栄治 近鉄 福岡ダイエー 三振
1998年9月8日 橋本武広 西武 オリックス 三振
2000年8月28日 大塚晶文 大阪近鉄 千葉ロッテ 一ライナー
2001年9月29日 ジェレミー・パウエル 大阪近鉄 千葉ロッテ 三安
2004年6月19日 豊田清 西武 日本ハム 三振
2014年8月16日 増井浩俊 北海道日本ハム 埼玉西武 二ゴロ
試合でDHを使用せずに打席に立った投手
日付 選手 所属 相手 結果
1987年10月20日 渡辺久信 西武 ロッテ 一ゴロ
1990年10月11日 工藤公康 西武 近鉄 四球
渡辺智男 三ゴロ
1992年10月10日 渡辺久信 西武 日本ハム 左安
潮崎哲也 三振
石井丈裕 三振
1998年10月10日 西口文也(2打席) 西武 千葉ロッテ 三振(2打席とも)
代打として出場した投手
日付 選手 所属 相手 結果
1975年9月2日 山田久志 阪急 日本ハム 投安
1976年7月6日 村上雅則 日本ハム 南海 三振
1976年7月10日 村上雅則 日本ハム ロッテ 一ライナー
2000年8月7日 松坂大輔 西武 オリックス 中安(打点2)
DHとして出場した投手
日付 選手 所属 相手 結果
1982年8月12日 山沖之彦 阪急 近鉄 三振
2011年5月20日 今村猛 広島東洋 オリックス 犠打

関連項目

脚注

注釈

  1. 指名選手の替わりに守備を行う選手をフレックスプレイヤー(FP; Flex Playerの略)という。FPはどこの守備位置の選手でもよい。
  2. 2014年シーズン終了時点で、指名打者としての先発出場が通算で800試合以上であった日本人選手は、門田(1326試合)、山崎(864試合)、石嶺(801試合)の3人しか存在していない。
  3. 一例として、NPBにおける2013年~2017年の5シーズンにおいて、日本人選手が指名打者として100試合以上に先発出場したのは、森友哉(埼玉西武ライオンズ、2015年。108試合で指名打者で先発出場)ただ1人のみであった。また、外国人選手が指名打者として100試合以上に先発出場した場合をも含めても、4シーズンで7例しかなかった(アンドリュー・ジョーンズ[2013年・楽天、2014年・楽天]〉、ミチェル・アブレイユ[2013年・日本ハム]、ウィリー・モー・ペーニャ[2014年・オリックス、2015年・東北楽天]、アルフレド・デスパイネ[2016年・ロッテ、2017年・ソフトバンク])。
  4. この日の先発投手は松沼博久であったが、松沼は打席に立つ前に降板し、リリーフの渡辺久が1打席に立った。結果は一ゴロ。

出典

  1. 出野哲也「2008一塁手&DHランキング ― とにかく打てないと話にならない」、『月刊スラッガー』No.122, 2008年6月号、日本スポーツ企画出版社、 17-19頁。
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  17. 今季交流戦はセ、パでDH制逆転 10年目の特別企画スポーツニッポン2014年4月18日配信

参考文献

  • ジョージ・F・ウィル『野球術』
  • クレイグ・R・ライト、トム・ハウス『ベースボール革命』
  • {{safesubst:#invoke:Anchor|main}}奥田秀樹 他「特集 打撃に生きる男たち 指名打者の"誇り"」、『週刊ベースボール』第22号、ベースボールマガジン社、2010年5月。