日本共産党

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政党 日本の旗 日本
日本共産党
Japanese Communist Party
成立年月日 1922年7月15日
1945年10月10日合法化)
本部所在地
〒151-8586
東京都渋谷区千駄ヶ谷4-26-7
東経139度42分14.6秒北緯35.681333度 東経139.704056度35.681333; 139.704056
衆議院議席数
12 / 465   (3%)
(2017年10月23日現在)
参議院議席数
14 / 242   (6%)
(2016年7月26日現在)
都道府県議数
152 / 2,657   (6%)
(2016年12月31日現在[1]
党員・党友数
約305,000人
(2014年1月1日現在[2]
政治的思想・立場 左派[3]
共産主義[4]
科学的社会主義[5]
ユーロコミュニズム[6]
左翼ナショナリズム[7]
機関紙 しんぶん赤旗
政党交付金
0 円
(国政では政党交付金制度に反対かつ廃止を主張し受給拒否[8]
公式サイト 日本共産党中央委員会
国際組織 共産党・労働者党国際会議
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日本共産党(にほんきょうさんとう、英語: Japanese Communist Party)は、日本の政党。英文略称はJCP


1922年山川均堺利彦らによって創立され,同年コミンテルン第4回大会でコミンテルン日本支部として承認された。第2次世界大戦前は非合法状態にあったが,戦後に合法的政党となる。1923年6月,第1次共産党検挙で幹部の多数を奪われ,翌 1924年に解党を決議したがコミンテルンに反対され,1926年に渡辺政之輔らを中心に再建にとりかかった(二十七年テーゼ)。しかし 1928年の三・一五事件,1929年の四・一六事件による大検挙と相次ぐ弾圧により党中央は壊滅的打撃を受け,1945年の第2次世界大戦終結まで地下に潜行した。1945年10月に徳田球一志賀義雄らの幹部が出獄し,同年 12月に初めて合法政党となった。1946年には野坂参三が中国から帰国し,同 1946年の戦後初の衆議院議員総選挙で 5人,1949年の総選挙で 35人が議席を獲得した。

しかし,1950年にコミンフォルムによって平和革命論の幻想を批判され,党内は分裂。一方,冷戦により連合国総司令部 GHQは日本共産党中央委員の追放など弾圧を強め,党は半非合法状態になった。1951~52年に徳田派が極左冒険主義戦術を実施して党員の激減と大衆の支持を失う結果を招き,1955年第6回全国協議会(六全協)で武装闘争を放棄,党の統一を回復した。1961年に構造改革派が大量に離脱,1964年には親ソビエト連邦派,1967年には親中国派が除名されるなど,大規模な組織変動を経て宮本顕治書記長による長期体制のもとで自主独立路線が確立された。1972年総選挙で 38議席を獲得して野党第二党に躍進したが,その後党勢は停滞した。1994年に衆議院の選挙制度が小選挙区比例代表並立制(比例代表制)に変更されると,共産党は全選挙区で候補者を擁立しても当選が難しくなり,比例代表選挙だけでほとんどの議席を獲得する小政党となった。1990年代後半には,将来は社会主義勢力だけでなく保守も連立の対象となり得るとする柔軟・現実路線に転換。2000年には「共産主義」ということばを削除するなどの党規約改定案と,自衛隊の存在と活用を一部容認した決議案を採択した。2004年には天皇制と自衛隊の存在を事実上容認する新綱領を採択した。2010年,これまで敵視していたアメリカ合衆国との関係について柔軟路線を打ち出した。


脚注

外部リンク