暗黒時代

提供: miniwiki
移動先:案内検索


暗黒時代(あんこくじだい、英語: Dark Ages)とは、歴史上のある一定期間、戦乱、疫病、政情不安定などの原因により、社会が乱れ文化の発展が著しく停滞したような時代を指す。

概要

具体的には、古代ギリシア文明または中世ヨーロッパでのある時代を指して呼ぶことが多い。また、文明全体に及ぶ大きな事象でなくても、特定の芸術・技術・文化などが為政者や宗教組織から弾圧を受け衰退したり、革新者の不在などの理由で停滞した時期を指して、暗黒時代と呼ぶこともある。

日本においては、社会以外にも企業・団体・集団・著名人の業績・状態・売上実績などが極端に落ち込んだ時期や、スポーツチームの成績が長期にわたって低迷した時期を指して使われる[1]ことも多い。その他、地方政治などの場では、議会で知事などの首長を野党側政治家が批判する際や、独善的・独裁的な手法で地域に大混乱や亀裂を引き起こしたり、あるいは自身の集票基盤である勢力に振り回されて自治体運営やその規律・財政を荒廃させた首長の在任中を回顧する際などに、「暗黒時代」という表現が用いられることが少なからず見られる。すなわち、理想よりも悪い状態がある程度の長期間にわたって続いたとき、「暗黒時代」と比喩されるのである。

古代ギリシア

古代ギリシアの暗黒時代は紀元前1200年ごろのトロイア戦争終結から数世紀間の、古代ギリシア文化の停滞期をいう。

伝承によれば、トロイア戦争時に王侯らがみな出征したまま10年間帰らなかったため、国土は荒廃し、弱小な権力者が林立する事態となって、戦争勝利後も王侯らの暗殺などが相次ぎ、当時の文明そのものが崩壊したという。

歴史的には、口承によるギリシア神話の時代が終わり、文字による歴史の記述(ミュトスからロゴスへ)が始まる直前の時代であり、ミュケナイ文明の崩壊期にあたる。

中世ヨーロッパ

ヨーロッパにおいては、西ローマ帝国滅亡後、ルネサンスの前までの中世を指して暗黒時代とも言われる。ルネサンス初期の人文主義者ペトラルカ古典古代の失われた時代を "tenebrae"(ラテン語)と呼んだのが「暗黒時代」観の始まりとされ、ルネサンス期の見方では、古代ギリシア・古代ローマの偉大な文化が衰退し、蛮族(主にゲルマン人)の支配する停滞した時代とされていた。また、啓蒙主義の進歩史観のもとでも中世は人文科学芸術政治においてキリスト教カトリック的世界観の支配により停滞した時代と考えられてきた。「中世=暗黒時代」という概念は、プロテスタントの歴史家クリストフ・ケラリウスによって提唱された中世という時代区分に端を発し、イギリスの文学者カー(William Paton Ker)が1904年に著した『The Dark Ages』によって一般に広められたものである。

だが、イタリア・ルネサンス以前の時代にも古代文化の復興運動(フランク王国9世紀の「カロリング朝ルネサンス」、東ローマ帝国10世紀の「マケドニア朝ルネサンス」、同帝国末期の「パレオロゴス朝ルネサンス」、西ヨーロッパの「12世紀ルネサンス」などが挙げられる)が存在しており、今は「中世ヨーロッパ=暗黒時代(文化的に停滞した時代)」という見方は否定されている。

現在では、1000年頃までの中世初期を暗黒時代と呼ぶことが多いが、それもまた一面的であるとの批判もある。

関連項目

外部リンク

小野晶『世界史教科書にみる中世とルネサンスの記述について-暗黒時代とルネサンスの春と』[1]

脚注

  1. 日本では21度目零敗、暗黒時代以来の借金20…阪神 (スポーツ報知、2012年9月22日配信)の様に、長期低迷期を指す時に使われる事がある。