本山哲
テンプレート:Infobox racing driver 本山 哲(もとやま さとし、1971年3月4日 – )は、東京都出身のレーシングドライバー。
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プロフィール
- 身長 : 171cm
- 体重 : 62kg
- 血液型 : RH+O型
- 愛車 : 日産・GT-R/日産・シーマ/日産・フェアレディZ ロードスター/メルセデス・ベンツ/ポルシェ・911ターボ(加藤大治郎が生前に所有していた車)/フーガ(Y50/Y51)
経歴
両親がレーシングカートのサーキット場、サーキット秋ヶ瀬(埼玉県さいたま市桜区)を経営していたことから、幼少時よりポケバイやレーシングカートに乗っており、少年時代にはポケバイの全国大会やレーシングカートのSL全国大会でも優勝を果たしている。 1986年には全日本カート選手権にエントリーし、同年にA1クラス、1987年、89年にA2クラスのシリーズチャンピオンを果たし、 翌年の1990年には全日本F3選手権にて四輪デビューを果たす。
1998年、2001年、2003年、2005年のフォーミュラ・ニッポンおよび、2003年、2004年、2008年の全日本GT選手権(現SUPER GT)・GT500クラスのチャンピオンである。ここ一番の爆発力と安定した堅実な走法を兼ね備え、精神的な逞しさもある日本を代表するトップドライバーの一人。夫人は元レースクイーンの小寺雅子。
フォーミュラー・ニッポンでの年間チャンピオン獲得後も海外進出には消極的だったが、2003年に幼馴染でもある親友・加藤大治郎(MotoGPライダー)の事故死を機に積極的な海外進出を試みる姿勢に転換。同年中にワールドシリーズ・バイ・ニッサンのテストに参加したほか、10月のF1日本GPでは、ジョーダン・フォードから金曜日のテスト走行に出走するなど、機会があれば海外のレースに参戦したいとの姿勢を見せるようになった。なお、加藤の事故死以降、搭乗するレーシングカーにはMotoGPにおける永久欠番となった加藤のゼッケン「74」が記されたステッカーを貼付している。
実際2003年末から2004年初頭にかけて、ジョーダン等のF1プライベートチームと交渉を持つも契約締結には至らなかった。日本人ドライバーがF1に進出するためには、
が必要とされており、海外実績が非常に乏しく、日産自動車の開発ドライバーを務めていた本山は、トヨタやホンダとの有力なコネを持っておらず、F1でのシート獲得は非常に厳しいものであった。さらに日産とルノーの資本提携関係を基にルノーF1のシートを目指し、スペインのヘレスサーキットで、ルノーのセレクションを受けているが、当時既に30代に突入していた本山の年齢なども含めて、ルノー側のニーズに合わず交渉は不調に終わっている。また、思うように持参金が集まらない現実もあり、断念せざるを得なかった。
現在は年齢的な問題もあって、国内レースに専念する方向に方針を切り替えており、前述のように2005年のフォーミュラ・ニッポンと2008年のSUPER GTでチャンピオンを獲得した。また、この年の開幕戦において、ブノワ・トレルイエとのコンビでサーキットへとカムバックした日産・GT-Rのデビューウィンを果たし、その後シーズン3勝を挙げている。
2009年には、フォーミュラ・ニッポンにエントリーしないこと(引退ではない)を自身のホームページなどで発表し、SUPER GTに集中することとなった。開幕戦ではGT参戦通算100戦目を迎え、またシーズン2勝を挙げ、最終戦までチャンピオン争いをしたものの、最終戦のもてぎでのレースで、トレルイエのドライブ中にタイヤバーストに見舞われてマシンが損傷。シリーズ連覇を果たせなかった。
2010年は、この年に装着していたミシュランタイヤとのマッチングに苦しみ不調に陥った。さらに、チーム側が巻き返しを狙っていた第7戦(富士)では、直前に上陸した台風により富士スピードウェイ周辺の道路が被害を受け中止となったこともあり、未勝利に終わった。
2011年は、再び装着タイヤをブリヂストンに戻し、第2戦(富士)で勝利を挙げるが、それ以降2戦連続ノーポイントに終わり、同じGT-Rを駆るMOLAの柳田真孝とロニー・クインタレッリに先行を許す形になった。しかし、第7戦(オートポリス)では、12番手スタートから怒濤の追い上げを見せて優勝した。最終戦では、ポールポジションからスタートしたMOLAを5番手から追い、終盤に本山が柳田をかわし、トップに立ち、そのまま逃げ切って優勝し2連勝をあげ、本山自身は3年ぶりとなるシーズン3勝を記録したたものの、チャンピオンは2位に入ったMOLAのコンビが手にした。
2012年は、世界耐久選手権(WEC)参戦のために離脱したトレルイエに代わって、ミハエル・クルムと8年ぶりにパートナーを組んだが、2年ぶりの未勝利に終わった。一方、ニッサンのデルタウイングを駆って久々にル・マンに参戦したが、自身のドライブ中に中嶋一貴に接触され、リタイアしている。
2013年は、柳田真孝とロニー・クインタレッリに譲るかたちで長年在籍したNISMOを離れ、関口雄飛を育成するかたちでMOLAへ移籍してコンビを組む。
2014年は、WedsSports BANDOHに移籍した関口雄飛に変わり柳田真孝とコンビを組む。本年は、予選、決勝ともに速さは見せつけるもののレース中に車体が炎上しリタイアするなど、GT-R勢の中でも特に不運なトラブルが続き、結局、未勝利に終わった。
2015年も、前年と同じ柳田真孝とコンビを組み参戦。予選でポールポジションを獲得、第3戦では2011年以来の優勝を果たすなど活躍をする。最終戦では惜しくもリタイヤをし結局、シーズン6位という結果に終わった。
2016年、2017年はブランパン耐久シリーズ覇者の千代勝正がGT500にステップアップしコンビを組む。2016年第5戦の鈴鹿サーキットにおいては千代勝正が第4戦でクラッシュしたことにより高星明誠とコンビを組み3位表彰台を獲得する。 2017年の第4戦のSUGOでは、DENSO SARD LC500の平手晃平と最終ラップまで激闘を繰り広げ、雨が降ってきたことによってコースアウトしハーフスピン状態になった平手を、同じくコースアウトをしてコースに戻ってきた際に接触、結果として平手を助ける格好になり2位となったものの、レース後はツイッター等でスポーツマンシップを称賛された。ただし、レース自体は満足のいくものだったものの、レース終了直後の周回中はやはり悔しかったと話していた。本年は、この2位が最高成績であり、シーズン12位という成績に終わる。
1997年JTCC最終戦
1997年、本山はJTCCで中子修、黒澤琢弥とチャンピオン争いを繰り広げていた。中子がポイントリーダーで迎えた最終戦のインターTEC(富士)第2レースで、16周目のヘアピン進入時に本山のインを突いた中子がタイヤをロックさせ本山に接触、本山のマシンは損傷・スピンして順位を落とした。この接触でタイトルの望みが消えた本山は、中子に報復するため、1周のスロー走行の後、18周目の100Rでアウトから来た中子に接触し、中子はコースアウト・クラッシュした。その後、本山はピットに戻りレースを終えた。
この件で中子に罰金5万円、本山に罰金50万円のペナルティが科せられ、本山は後に行われたフォーミュラニッポン最終戦とGTオールスター戦への出場を停止された。この際競技ライセンスの剥奪も検討されたが、その才能を惜しんだニスモやチーム・ルマンの尽力により、何とか免れることとなった。モータージャーナリストの林溪清は著書「F1の秘密」内でこの事件について触れ、名指しはしなかったものの「このようなドライバーにはF1に乗る資格はない」と評している。
レース戦績
- 1984年
- SLカート全国大会・Aクラス優勝
- 地方選手権・NA2クラス(シリーズ6位)
- 1985年 - 地方選手権・NA2クラス(シリーズ3位)
- 1986年 - 全日本カート競技選手権・A1クラス(シリーズチャンピオン)
- 1987年 - 全日本カート競技選手権・A2クラス(シリーズチャンピオン)
- 1988年
- 全日本カート競技選手権・FKクラス(シリーズ6位)
- JAPAN KART GP(決勝2位)
- カート世界選手権・スーパー100クラス(決勝2位)
- 1989年 - 全日本カート競技選手権 A2クラス(シリーズチャンピオン)
- 1990年
- 全日本F3選手権(#98 浅田飴パッションRT33無限/ラルトRT33 MF204)
- 日本グランプリ記念レース Panasonic F3 スーパーカップレース(#98 浅田飴パッションRT33無限/ラルトRT33 MF204)(決勝19位)
- インターナショナルF3リーグ(#98 浅田飴パッションRT33無限/ラルトRT33 MF204)(決勝19位)
- 1991年
- 全日本F3選手権(TEAM TAKEONE #5 /ラルトRT35 MF204)(シリーズ6位)
- インターナショナルF3リーグ(TEAM TAKEONE #99 /ラルトRT35 MF204)(決勝21位)
- SUGO INTER FORMULA・VW GOLFレース(#98 浅田飴パッションGOLF)(決勝7位)
- 91'レース・ド・ニッポン・VW GOLFレース(#98 浅田飴パッションGOLF)(決勝6位)
- SUGO INTER 500km・VW GOLFレース(#98 浅田飴パッションGOLF)(決勝DNF)
- 1992年
- 全日本F3選手権(#11 J-TRIAL ラルト 無限/ラルトRT35 MF204)(シリーズ8位)
- フジテレビジョン日本グランプリレース記念 F3 スーパーカップレース(#11 BESTEX ラルト 無限/ラルトRT35 MF204)(決勝6位)
- 1993年
- 全日本F3選手権<Rd.5-7>(#12 DALLARA 無限/ダラーラF393 MF204)<Rd.8-10>(#12 DALLARA FIAT/ダラーラF393 FIAT)
- SUGO耐久500kmレース(#33 BLITZ SUPRA/スープラ JZA80)(総合32位)
- 1994年
- 全日本F3選手権<Rd.1,7-10>(TEAM 5ZIGEN #50/ダラーラF393 3S-G)(シリーズ7位)
- N1耐久シリーズ<Rd.1 スポット参戦>(#33 BLITZ SUPRA/スープラ JZA80)(決勝26位)
- 第11回SUGO 300km耐久レース(#11 レッツオ・BP・トランピオ・GTR/スカイラインGT-R)
- 1995年
- 全日本F3選手権(DOME RACING #6 ANABUKI・童夢・無限/ダラーラF395 MF204)(シリーズ2位・1勝)
- 全日本ツーリングカー選手権(#51 BPオイル・トランピオエクシヴ/コロナ エクシヴ ST202)
- NICOS CUP 十勝24時間レース(#11 RAZO TRAMPIO GT/スカイラインGT-R BCNR33)(総合7位)
- 1996年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(FUNAI SUPER AGURI #56/レイナード95D MF308)(シリーズ10位)
- 全日本GT選手権・GT300クラス<Rd.3-6>(HOSINO RACING #12 パーソンズシルビア/シルビア S14 SR20DET)(シリーズ29位)
- 全日本ツーリングカー選手権<Rd.1-8>(NISMO #32 ザナヴィ・サニー)<Rd.9-14>(NISMO #32 ザナヴィ・カミノ/プリメーラ カミノ HP11)
- 1997年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン<Rd.1-9>(FUNAI SUPER AGURI #56/レイナード97D MF308)(シリーズ11位)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(HOSINO RACING #12 カルソニックスカイライン/スカイラインGT-R BCNR33 RB26DETT)(シリーズ11位)
- 全日本ツーリングカー選手権(NISMO #23 ザナヴィカミノ/プリメーラ カミノ HP11)(2勝)
- 1998年
- 全日本選手権フォーミュラニッポン(LEMONed Le Mans #8/レイナード99L MF308)(シリーズチャンピオン・3勝)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(オートバックスレーシングチームアグリ #50 ARTAスカイライン/スカイラインGTR BCNR33 RB26DETT)(シリーズ12位)
- ル・マン24時間レース(NISMO # JOMO日産R390GT1)(総合10位)
- 1999年
- 全日本選手権フォーミュラニッポン(UNLIMITED Le Mans #1/レイナード99L MF308)(シリーズ2位・3勝)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #1 ペンズオイル ニスモ GTR/スカイラインGT-R BNR34 RB26DETT)(シリーズ3位・1勝)
- ル・マン24時間レース(NISMO # 日産R391)
- ル・マン富士1,000km・LMPクラス(NISMO #23 NISSAN R391)(優勝)
- Pokka1000km(#23 ロックタイトニスモ GT-R/スカイラインGT-R)(決勝DNF)
- 2000年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(TEAM IMPUL #19/レイナード99L MF308)(シリーズ3位・1勝)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(TEAM IMPUL #12 カルソニックスカイライン/スカイラインGT-R BNR34 RB26DETT)(シリーズ3位・1勝)
- 2001年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(excite TEAM IMPAL #1/レイナード99L MF308)(シリーズチャンピオン・4勝)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(TEAM IMPUL #12 カルソニックスカイライン/スカイラインGTR BNR34 RB26DETT)(シリーズ11位)
- 2002年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(XBOX TEAM IMPAL #1/レイナード01L MF308)(シリーズ2位・5勝)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #22 XANAVI NISMO GT-R/スカイラインGT-R BNR34 RB26DETT→VQ30DETT)(シリーズ8位)
- 2003年
- 2004年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(ADiRECT TEAM 5ZIGEN #1/ローラB351 MF308)(シリーズ6位・1勝)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #1 XANAVI NISMO Z/フェアレディZ Z33 VQ30DETT)(シリーズチャンピオン・2勝)
- 第11回十勝24時間レース(#245 モバイルキャスト アドバン Z/フェアレディZ Z33)(総合3位)
- 2005年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(arting RACING TEAM with IMPUL #23/ローラB351 MF308) (シリーズチャンピオン・3勝)
- SUPER GT・GT500クラス(NISMO #1 XANAVI NISMO Z/フェアレディZ Z33 VQ30DETT)(シリーズ3位・1勝)
- 2006年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(arting RACING TEAM with IMPUL #1/ローラB06/51 RV8J)(シリーズ5位)
- SUPER GT・GT500クラス(NISMO #23 XANAVI NISMO Z/フェアレディZ Z33 VQ30DETT)(シリーズ6位・1勝)
- 第13回十勝24時間レース・GTクラス(#74 アラビアンオアシスZ/フェアレディZ Z33)(総合7位・クラス優勝)
- 2007年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(Arabian Oasis TEAM IMPUL #19/ローラB06/51 RV8J)(シリーズ4位・3勝)
- SUPER GT・GT500クラス(NISMO #23 XANAVI NISMO Z/フェアレディZ Z33 VK45DE)(シリーズ8位・1勝)
- 2008年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(Team Le Mans/ローラB06/51 RV8J)(シリーズ11位)
- SUPER GT・GT500クラス(NISMO #23 XANAVI NISMO GT-R/GT-R R35 VK45DE)(シリーズチャンピオン・3勝)
- 2009年 - SUPER GT・GT500クラス(NISMO #1 MOTUL AUTECH GT-R/GT-R R35 VK45DE)(シリーズ3位・2勝)
- 2010年 - SUPER GT・GT500クラス(NISMO #23 MOTUL AUTECH GT-R/GT-R R35 VRH34A)(シリーズ7位)
- 2011年 - SUPER GT・GT500クラス(NISMO #23 MOTUL AUTECH GT-R/GT-R R35 VRH34A→VRH34B)(シリーズ2位・3勝)
- 2012年 - SUPER GT・GT500クラス(NISMO #23 MOTUL AUTECH GT-R/GT-R R35 VRH34B)(シリーズ8位)
- 2013年 - SUPER GT・GT500クラス(MOLA #1 REITO MOLA GT-R/GT-R R35 VRH34B)(シリーズ12位)
- 2014年 - SUPER GT・GT500クラス(MOLA #46 S Road MOLA GT-R/GT-R R35 NR20A)(シリーズ11位)
- 2015年 - SUPER GT・GT500クラス(MOLA #46 S Road MOLA GT-R/GT-R R35 NR20A)(シリーズ6位)
- 2016年 - SUPER GT・GT500クラス(MOLA #46 S Road CRAFTSPORTS GT-R/GT-R R35 NR20A)(シーズン10位)
- 2017年 - SUPER GT・GT500クラス(MOLA #46 S Road CRAFTSPORTS GT-R/GT-R R35 NR20A)(シーズン12位)
- 2018年 - SUPER GT・GT500クラス(NDDP Racing with B-MAX #3 CRAFTSPORTS MOTUL GT-R/GT-R R35 NR20A)
主なシリーズタイトル
- 全日本カート選手権・A1クラス
- シリーズチャンピオン・1回(1986年)
- 全日本カート選手権・A2クラス
- シリーズチャンピオン・2回(1987年,1989年)
- フォーミュラ ニッポン
- シリーズチャンピオン・4回(1998年,2001年,2003年,2005年)
- 通算勝利数・27勝…歴代1位
- 通算PP獲得数・21回…歴代1位
- JGTC&SUPER GT・GT500クラス
- ドライバーズチャンピオン・3回(2003年,2004年,2008年)…歴代1位タイ
- 通算勝利数・16勝…歴代1位タイ
全日本ツーリングカー選手権
色の意味はこちらを参照→key
年 | チーム | 使用車両 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1995年 | Object T | トヨタ・コロナ | FSW1 Ret |
FSW2 Ret |
19位 | 9 | ||||||||||||||
トヨタ・コロナEXiV | SUG1 8 |
SUG2 5 |
TOK1 22 |
TOK2 17 |
SUZ1 19 |
SUZ2 16 |
MIN1 22 |
MIN2 Ret |
TAI1 Ret |
TAI2 11 |
SEN1 Ret |
SEN2 12 |
FSW1 Ret |
FSW2 17 | ||||||
1996年 | NISMO | 日産・サニー | FSW1 Ret |
FSW2 8 |
SUG1 Ret |
SUG2 DNS |
SUZ1 8 |
SUZ2 7 |
MIN1 8 |
MIN2 9 |
9位 | 46 | ||||||||
日産・カミノ | SEN1 5 |
SEN2 Ret |
TOK1 6 |
TOK2 5 |
FSW1 4 |
FSW2 4 |
||||||||||||||
1997年 | 日産・プリメーラ | FSW1 C |
FSW2 C |
TAI1 4 |
TAI2 2 |
SUG1 3 |
SUG2 3 |
SUZ1 Ret |
SUZ2 1 |
MIN1 DSQ |
MIN2 3 |
SEN1 1 |
SEN2 Ret |
TOK1 2 |
TOK2 4 |
FSW1 6 |
FSW2 DSQ |
3位 | 100 |
全日本GT選手権/SUPER GT
年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1996年 | HOSHINO RACING | 日産・シルビア | GT300 | SUZ | FSW | SEN Ret |
FSW Ret |
SUG 12 |
MIN 7 |
29位 | 4 | |||
1997年 | TEAM IMPUL | 日産・スカイラインGT-R | GT500 | SUZ Ret |
FSW 5 |
SEN 15 |
FSW 4 |
MIN 6 |
SUG 14 |
11位 | 24 | |||
1998年 | Autobacs Racing Team Aguri | GT500 | SUZ 13 |
FSW C |
SEN 11 |
FSW 6 |
TRM 6 |
MIN 9 |
SUG 8 |
12位 | 17 | |||
1999年 | NISMO | GT500 | SUZ 2 |
FSW | SUG 6 |
MIN 1 |
FSW 3 |
TAI 7 |
TRM 3 |
3位 | 69 | |||
2000年 | TEAM IMPUL | GT500 | TRM 17 |
FSW 5 |
SUG 5 |
FSW 3 |
TAI 6 |
MIN 1 |
SUZ 3 |
3位 | 66 | |||
2001年 | GT500 | TAI 15 |
FSW Ret |
SUG 7 |
FSW 7 |
TRM 3 |
SUZ 11 |
MIN 5 |
11位 | 28 | ||||
2002年 | NISMO | GT500 | TAI 11 |
FSW 7 |
SUG 7 |
SEP 4 |
FSW 2 |
TRM 10 |
MIN 2 |
SUZ Ret |
8位 | 51 | ||
2003年 | GT500 | TAI 2 |
FSW 4 |
SUG 3 |
FSW 5 |
FSW 2 |
TRM 11 |
AUT 5 |
SUZ 3 |
1位 | 86 | |||
2004年 | 日産・フェアレディZ | GT500 | TAI 1 |
SUG Ret |
SEP 3 |
TOK Ret |
TRM 3 |
AUT 1 |
SUZ 7 |
1位 | 73 | |||
2005年 | GT500 | OKA Ret |
FSW 4 |
SEP 1 |
SUG 8 |
TRM 6 |
FSW 10 |
AUT 6 |
SUZ 2 |
3位 | 60 | |||
2006年 | GT500 | SUZ 2 |
OKA Ret |
FSW 4 |
SEP 5 |
SUG 2 |
SUZ DSQ |
TRM 14 |
AUT 1 |
FSW 11 |
6位 | 69 | ||
2007年 | GT500 | SUZ 2 |
OKA Ret |
FSW 1 |
SEP 14 |
SUG Ret |
SUZ 3 |
TRM 13 |
AUT 12 |
FSW 14 |
8位 | 48 | ||
2008年 | 日産・GT-R | GT500 | SUZ 1 |
OKA 1 |
FSW 14 |
SEP 13 |
SUG 14 |
SUZ 8 |
TRM 12 |
AUT 1 |
FSW 9 |
1位 | 76 | |
2009年 | GT500 | OKA 13 |
SUZ 11 |
FSW 1 |
SEP 8 |
SUG 1 |
SUZ 6 |
FSW 2 |
AUT 2 |
TRM 14 |
3位 | 78 | ||
2010年 | GT500 | SUZ 8 |
OKA Ret |
FSW Ret |
SEP 2 |
SUG 6 |
SUZ 2 |
FSW C |
TRM 8 |
7位 | 48 | |||
2011年 | GT500 | OKA 5 |
FSW 1 |
SEP 14 |
SUG 12 |
SUZ 4 |
FSW 6 |
AUT 1 |
TRM 1 |
2位 | 79 | |||
2012年 | GT500 | OKA 4 |
FSW 3 |
SEP 7 |
SUG Ret |
SUZ 5 |
FSW 11 |
AUT 6 |
TRM 6 |
8位 | 40 | |||
2013年 | MOLA | GT500 | OKA 10 |
FSW 9 |
SEP 6 |
SUG 7 |
SUZ 8 |
FSW 7 |
AUT 4 |
TRM 14 |
12位 | 28 | ||
2014年 | GT500 | OKA 10 |
FSW Ret |
AUT 2 |
SUG 7 |
FSW 6 |
SUZ Ret |
CHA 13 |
TRM 5 |
11位 | 31 | |||
2015年 | GT500 | OKA 8 |
FSW 10 |
CHA 1 |
FSW 14 |
SUZ 6 |
SUG 2 |
AUT 6 |
TRM Ret |
6位 | 50 | |||
2016年 | GT500 | OKA 3 |
FSW 7 |
SUG 13 |
FSW Ret |
SUZ 3 |
CHA 12 |
TRM 8 |
TRM 6 |
10位 | 36 | |||
2017年 | GT500 | OKA Ret |
FSW 11 |
AUT 4 |
SUG 2 |
FSW 11 |
SUZ 14 |
CHA 10 |
TRM 6 |
12位 | 29 | |||
2018年 | NDDP RACING with B-MAX | GT500 | OKA 7 |
FSW 10 |
SUZ 7 |
CHA 13 |
FSW |
SUG |
AUT |
TRM |
14位 | 9 |
フォーミュラ・ニッポン
世界耐久選手権
年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2014年 | NISMO | 日産・ZEOD RC | Garage 56 | SIL |
SPA |
LMN Ret |
COA |
FSW |
SHA |
BHR |
SÃO |
NC | 0 |
ル・マン24時間レース
年 | チーム | コ・ドライバー | 車 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1998年 | NISMO TWR |
黒澤琢弥 影山正美 |
日産・R390 GT1 | GT1 | 319 | 10位 | 9位 |
1999年 | NISMO | ミハエル・クルム エリック・コマス |
日産・R391 | LMP | 110 | DNF | DNF |
2012年 | ハイクロフト・レーシング | マリーノ・フランキッティ ミハエル・クルム |
デルタウイング-日産 | UNC | 75 | DNF | DNF |
2014年 | NISMO | ルーカス・オルドネス ヴォルフガング・ライプ |
日産・ZEOD RC | UNC | 5 | DNF | DNF |
エピソード
- 上述した中子との接触事故や、1995年のJTCC第5戦十勝では影山正美とレース中の接触を巡って口論になるなど若いときは血気盛んで近寄りがたい雰囲気を醸し出していたと言われる。しかし、最近ではニコニコ動画「脇阪寿一の言いたい放題」にて柳田真孝から「マイルドになった」と言われたり、同番組で脇阪寿一から「レース開催期間で笑顔を見せる」と言われ、当時の雰囲気とは異なった面をみせている。
- グランツーリスモを相当やりこんでいるようで、ニコニコ生放送に出演していたGT6のBMW Z4 CHALLENGEの覇者であるYAM氏のことも知っていたようである。
- フォーミュラ・ニッポン時代はあまりにぶっちぎるとTVに映らなくなると考えており、首位に立つとタイヤを労りつつ後続との距離を保っていた。
- 1998年のフォーミュラ・ニッポンツインリンクもてぎ戦で、決勝の前日脇阪寿一と朝まで遊んでいたため、朝のウォームアップ走行に寝坊した。それに気づいた脇阪は自チームのチームルマンに無線で「携帯で本山を起こしてくれ」と伝えたため、本山はウォームアップを5分だけ走れた。決勝では脇阪・本山が1-2を決めた。
関連項目
- NISMO
- 星野一義
- 鈴木亜久里
- 加藤大治郎
- 日本人ドライバー一覧
- 炎神戦隊ゴーオンジャー(第2話で本人役で出演)
外部リンク
- motoyama.net (公式サイト)
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