東京モノレール羽田空港線

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東京モノレール羽田空港線(とうきょうモノレールはねだくうこうせん)[1][2]は、東京都港区モノレール浜松町駅から大田区羽田空港第2ビル駅までを結ぶ東京モノレールモノレール路線である。路線名には社名を冠す[1]駅ナンバリングで使われる路線記号はMO。旧称・東京モノレール羽田線[1]。単に「東京モノレール」、「東京モノレール線」と呼ばれることが多い。

歴史

運営会社の東京モノレールは1959年に大和観光株式会社[3]として設立された。当初は新橋駅を起点として計画されており、大和観光から改称した日本高架電鉄は1961年12月26日に羽田 - 新橋間の免許を取得しているが、用地確保の目処が立たず、やむなく浜松町駅をターミナルとしている[4]。建設区間の短縮に伴い、浜松町 - 新橋間の免許を1966年1月31日に失効させている[5]

また、1964年の東京オリンピックに間に合わせるため、用地買収が不要な京浜運河の上に多くの区間が建設されるが、終夜の突貫工事が行われたため多大な工費がかかり、その後の経営の足かせとなった。

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京浜運河上に建設された東京モノレール羽田空港線と首都高速1号羽田線(2010年4月3日)

1964年の開業当初は途中駅が全くなかったため、空港利用客以外の乗客がいなかった。また、国電の初乗りが20円、タクシーの初乗りが100円、週刊誌が50円だった当時にあって、運賃は片道250円・往復450円と高額だった。まだ旅客機利用や海外旅行が一般的でなかったこともあり、乗車率は20%台にとどまった。一時は利用者が1日当たり2,000人程度しかおらず、夜には一部区間で車内を消灯して夜景を楽しんでもらえるよう、デートコースとしていたこともあったという[6]

そこで、1966年には40%という思い切った運賃の引き下げを行ったほか、乗客誘致策として空港見学客のための特別割引券を発行した。また、大井競馬場や当時存在していた大井オートレース場へのアクセスのための「大井競馬場前駅」、空港関係者のために「羽田整備場駅」と新駅を次々と設けたが、乗客は充分には増えず、経営に参画していた名古屋鉄道は早々に資本を引き上げて撤退、日立製作所は車両製造費などを回収できず、会社倒産の危機にさらされたこともあった。

抜本的な支援策として日立グループが新たに出資、1967年に東京モノレールに日立運輸と西部日立運輸の2社が合併して「日立運輸東京モノレール株式会社」と社名を改め、会社再建にあたった。

その後、国際・国内空路の拡大と共に空港利用客は増加、首都高速道路の渋滞で路線バスやタクシーよりも速いとのイメージの定着から乗客は徐々に伸びていき、1970年代中頃には羽田空港へのアクセス路線として定着していった。経営も持ち直してきたこともあり、1981年には日立運輸100%出資で社名を「東京モノレール株式会社」とし、後にグループ内の日立物流へと経営が受け継がれた。

東京国際空港が沖合へ展開していく事業が開始されると新ターミナルの建設も開始され、その際に東京モノレールは新ターミナルへのルートを考案した。旧羽田駅から直進するルートや昭和島駅付近から短絡ルートを敷設する案も検討されていたが、結局、空港敷地の南側を経由するルートに決定した。

1998年、それまで空港の外れの位置までで直接空港内には乗り入れておらず、アクセス路線としてはほとんど機能していなかった京浜急行電鉄空港線が空港内に乗り入れてきた。さらに、京成電鉄東京都交通局など5社局(当時)が相互乗り入れすることによって羽田空港と千葉県方面を結び、羽田 - 成田間の直通連絡特急(エアポート快特)の運転も開始した。そのため、浜松町でJR線と接続しているとはいえ広域で見た場合のネットワークにやや劣ることもあり、開通以降長らく続いてきた「羽田空港への唯一の軌道系公共交通機関」から一転、激しい競争にさらされた。1997年に最高の6,500万人を達成した輸送人員が、京急乗り入れ後3割減少した。

羽田発着の航空機の増加への対応や、京浜急行電鉄などとの競争のためには増発が必要になったが、ネックになったのは単線ホームの浜松町駅で、改築が急務となった。東京モノレールや親会社の日立グループは大規模な投資が必要なため躊躇していたが、かねてから羽田空港アクセスに参入する意向を持っていた東日本旅客鉄道(JR東日本)と思惑が一致し、運営会社の日立物流は2001年に株式の70%を譲渡し、東京モノレールの経営権をJR東日本に移譲した。また、日立製作所はモノレールの生産・販売・サービスなどの旅客事業を発展させるため、株式の30%を取得している。

2002年に東京モノレールを子会社にしたJR東日本では次々と改善策を行った。まず、浜松町駅のJRコンコースから直接乗り換えができる(逆は不可)新改札口「モノレール口」を設置し、京浜東北線の快速を浜松町駅に停車するようにした。また、Suicaを導入し、東京モノレールは「モノレールSuica」を発行・運用開始し、すべての駅でSuicaを使用可能にした。さらに「特別企画乗車券で羽田空港駅から東京山手線内各駅への格安乗車券を発売(モノレール&山手線内割引きっぷ)」「ホリデー・パス(現:休日おでかけパス)を260円値上げし、東京臨海高速鉄道りんかい線と共に乗車できるよう変更」などの策を行った。

同年には2003年度から予定していたワンマン運転を前倒しで開始し、2004年8月8日からは終日にわたって快速運転を開始した[7]。同年12月1日には東京国際空港(羽田空港)第2旅客ターミナルの供用開始に伴い、羽田空港駅 - 羽田空港第2ビル駅が延伸開業し、同時に羽田空港駅が羽田空港第1ビル駅に改称された。

2007年3月18日には昭和島駅の待避線が完成して追い越し運転が可能となり、さらに空港アクセスの競争力強化が図られた。このダイヤ改正では「快速」を廃止して新たに「空港快速」と「区間快速」を運転開始し、速達性でも京急に対抗している。新しくできた2つの快速の英語表記は日本語表記の直訳ではなく、「空港快速」をHANEDA EXPRESS、「区間快速」をRAPIDとしている。

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羽田空港国際線ビル駅の工事現場

東京国際空港は、2010年10月31日に国際線の定期乗り入れを再開した。これに合わせて空港南側の環状八号線沿いに建設される新国際線ターミナルビルに「羽田空港国際線ビル駅」が設置されることになり、同年4月11日より天空橋 - 新整備場間の軌道の一部が新ターミナル敷地内へ移設され、10月21日に駅が開業した。なお、同地には京急空港線にも新駅「羽田空港国際線ターミナル駅」が同日に設置された。

2014年9月には開業50周年を迎え、累計輸送人員は18億人に達した[8]

年表

  • 1964年昭和39年)9月17日 - モノレール浜松町駅 - (旧)羽田駅間開業。開業当時は途中駅なし[9]
  • 1965年(昭和40年)5月27日 - 大井競馬場前駅開業(当時は開催日の昼間時のみ営業の臨時駅)。
  • 1966年(昭和41年)11月 - 国鉄浜松町駅とモノレール浜松町駅間の連絡跨線橋完成(南口へ設置)。
  • 1967年(昭和42年)
    • 3月20日 - 羽田整備場駅(現・整備場駅)開業。
    • 6月1日 - 大井競馬場前駅を通年営業の常設駅とする。
  • 1969年(昭和44年)
  • 1972年(昭和47年)1月 - 新平和島駅を流通センター駅に改称。
  • 1977年(昭和52年)7月 - 600形導入[10]
  • 1985年(昭和60年)2月7日 - 昭和島駅開業。
  • 1989年平成元年)7月 - 1000形導入[10]
  • 1992年(平成4年)6月19日 - 天王洲アイル駅開業。信号保安システムをATSからATCへ変更。
  • 1993年(平成5年)9月27日 - 羽田空港旅客ターミナル移転に伴い羽田駅を移設、同時に羽田空港駅まで延伸開業。羽田駅で京急空港線と連絡開始。羽田整備場駅を整備場駅に改称。
  • 1997年(平成9年)8月 - 2000形導入[10]。この年に最高輸送人員6,500万人を達成。
  • 1998年(平成10年)11月18日 - 京急空港線の羽田空港駅延伸開業に伴い、羽田駅を天空橋駅に改称。
  • 2002年(平成14年)
  • 2003年(平成15年)7月19日 - JR浜松町駅構内とモノレール中央口改札口を結ぶ連絡跨線橋(モノレール口改札)完成。土曜・休日に「快速」を運行開始。
  • 2004年(平成16年)
    • 4月1日 - 「快速」を平日夜にも運行開始。
    • 8月8日 - 「快速」が終日運行となる[7]
    • 12月1日 - 羽田空港第2ターミナルビルの供用開始に伴い、羽田空港駅 - 羽田空港第2ビル駅間が延伸開通。同時に羽田空港駅を羽田空港第1ビル駅に改称。
  • 2007年(平成19年)
    • 3月18日 - 昭和島駅待避線使用開始。「快速」を廃止し、「空港快速」と「区間快速」を運行開始。
    • 3月25日 - 浜松町駅 - 天王洲アイル駅間で高架下で作業中のクレーン車のアームが車両に接触。2時間にわたり事故にあった車両の乗客が閉じ込められた。
  • 2010年(平成22年)
    • 4月11日 - 新駅建設工事に伴い、天空橋駅 - 新整備場駅間の経路を一部変更[12]
    • 10月21日 - 羽田空港国際線ビル駅が開業[13]。当初は2009年12月の予定だったが、ターミナル着工が延期された。同時に路線名を東京モノレール羽田空港線に改称。国際線ビル開業に合わせ、同日よりジャパンレールパスでの乗車が可能となる[14]
  • 2011年(平成23年)2月4日 - 8時50分ごろ、品川変電所で火災が発生し、回路がショートする。この影響で東京モノレールは約2時間にわたって運休となり、ダイヤの混乱は終日続いた。国土交通省関東運輸局は同日、東京モノレールに対して原因究明と再発防止を求める警告文書を発出する。
  • 2014年(平成26年)7月18日 - 2000形以来17年ぶりとなる新型車両10000形の営業運転開始[15]

今後の予定

浜松町駅拡張

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中央の空き地が新駅建設計画もあった旧東海道貨物線線路跡

都心のターミナルである浜松町駅の整備計画が2009年6月に東京モノレールから国土交通省に報告された。開業から45年間そのままだった軌道1本(単線)構造の現在の駅施設をホーム2面・軌道2本(複線)に改良するというものである。概算事業費は約260億円で、地元協議から設計を経て工事が終了するまで約6年半と見込んでいる。これにより1時間当たりの最大運転本数を現在の18本から24本に増やす計画である。同時に後述の新橋延長に対応した構造となる。当初はJR線路の東側に移転することも検討されたが、コスト面などの理由で現在の場所にある駅の拡張にとどまった。なお、当初の移転先にはJR東日本の北口新駅舎が建設される計画がある。

そして、2012年10月、株式会社世界貿易センタービルディング、東京モノレール、JR東日本の3社は東京都に対して「浜松町二丁目4地区」の都市計画の提案を行ったことを発表した[16]。これによると、交通結節機能の強化としてJR・モノレール駅改良、JR・モノレールと地下鉄をつなぐ縦動線(ステーションコア)の整備、バスターミナル、タクシープール、都市計画駐車場と荷捌き・自動二輪駐車場の整備などが計画されているが、モノレール軌道の複線化については具体的な記述はない。2013年2月6日建設通信新聞によれば、JR東日本の2月社長定例会見で、世界貿易センターの建て替えを含む浜松町駅西口周辺開発に合わせて、JRとモノレールを対象とする駅全体の改築を計画していることを明らかにした。「周辺の臨海部の開発によって駅利用者が増え、やや手狭になっている。利便性向上や駅の価値を高めるためにも、ぜひこの機会に両駅を新しいものに造り変えたい」と意欲を示した。同年4月の時点でボーリング調査が始まっている。2009年のモノレール駅拡張計画は世界貿易センターが存続していることが前提だったが、ビル本体が建て替えになったため、計画変更も余儀なくされている。

新橋・東京延伸計画

2002年1月、親会社のJR東日本が長期計画として東京モノレールを浜松町(新駅)より新橋に延長する計画を発表、日本経済新聞に掲載された。路線の用地取得問題に関してはJR線上空を使用することで目処がついている。ただし、新橋駅の設置場所や、途中駅を設けるかについては明らかにされていない。駅用地はゆりかもめ新橋駅付近などが候補に挙がっている。また、新橋への延伸工事の着工は羽田空港国際線ビル駅の建設と浜松町駅の拡張工事が完了してからになる予定である[17]

2010年9月には、新橋駅もしくは東京駅に延伸するため本格的な検討に入ったと、東京新聞が報じている。延伸が検討された理由は、浜松町駅に乗り入れている路線が限られており、JRと東京モノレールを利用して成田空港から羽田空港に移動すると乗り換えが2回必要であるため、競合する他の交通機関に劣ることである。東京駅に延伸した場合、成田エクスプレスと直接乗り換えが可能となり、新橋駅延伸でも同駅を成田エクスプレス停車駅に変更することで、いずれの場合も乗り換えが1回で済み、移動時間が短縮される。東京駅に延伸した場合、試算では1,000億円超かかり、新橋駅の場合では駅建設を除く費用は1/3に、工期も早ければ数年程度で完成できるとしている[18][19]

2013年2月のJR東日本の社長定例会見で、浜松町駅西口周辺開発に合わせて、JRとモノレールを対象とする駅全体の改築を計画していることを明らかにしたが、モノレールの東京駅への延伸構想については、工期やコストなどの観点から、現時点での事業化は難しいとの考えを示した。しかし、引き続き検討を進めていきたいとしている。

一方で、2013年11月には、JR東日本が田町駅から休止中の東海道貨物線を活用して羽田空港へ向かう鉄道路線(羽田空港アクセス線)について整備の検討に入ったと報じられた[20]。2014年8月、JR東日本が国土交通省交通政策審議会の東京圏における今後の都市鉄道のあり方に関する小委員会で明らかにした計画では、田町駅付近で東海道本線上野東京ラインに乗り入れる「東山手ルート」、大井町駅付近でりんかい線・埼京線に乗り入れる「西山手ルート」、東京テレポート駅でりんかい線に乗り入れる「臨海部ルート」の3ルートを建設するとしている[21]

2014年1月の産経新聞インタビューによれば、JR東日本社長の冨田哲郎は「日本経済、東京という都市にとって、重要なルートになる」と述べている[22]。また、冨田は競合することになる東京モノレールを新路線開業後も存続させる考えを示している[22]

これに対し東京モノレールは、進行する浜松町駅周辺の再開発に合わせてJR山手線や地下鉄大江戸線などとの乗り換えをよりスムーズにする他、2014年1月の毎日新聞インタビューで東京モノレール社長の中村弘之は、「将来的にはモノレールを東京駅まで延伸する夢」があり「24時間運行の可能性も見えてくる」と生き残りに向けた課題を述べている[23][24]

東京都心 - 羽田空港間の鉄道は1998年に京急が本格参入し、1日平均乗降客数はモノレールが約6万5,000人、京急が約8万2,000人と、京急が優勢となっている[23]。ここにJR新線が実現すると三つ巴の激しい争奪戦が展開されることになる[23]

2015年3月14日の上野東京ライン開通では、宇都宮線高崎線常磐線が東京モノレールの連絡駅である浜松町駅を通過して京急の連絡駅である品川駅に乗り入れることから、羽田空港への鉄道アクセスについて、さらに京急が優位に立つことが見込まれている[25]

その他

  • 港区の出した「田町駅東口北地区街づくりビジョン」に対し、一部の住民から山手線田町駅から徒歩10分ほど、ゆりかもめ芝浦ふ頭駅からも徒歩10分強の埋め立て地への新駅設置の要望が出ている。同地域には芝浦アイランドなどの埋め立て地に建てられた高層アパートなどがあり、その近くに新駅を設置するという要望であるが、JR東日本はこれについて積極的な回答をしていない。

駅一覧

  • 全駅東京都に所在。
  • ●:停車、※:一部の臨時列車が停車、|:通過。普通列車は省略(各駅に停車)。
  • 駅番号は2016年10月より導入。
駅番号 駅名 駅間営業キロ 通算営業キロ 区間快速 空港快速 接続路線・備考 所在地
MO 01 モノレール浜松町駅 - 0.0 東日本旅客鉄道JY 山手線JK 京浜東北線浜松町駅:JY 28・JK 23)
都営地下鉄A 浅草線E 大江戸線大門駅:A-09・E-20)
港区
MO 02 天王洲アイル駅 4.0 4.0 東京臨海高速鉄道R りんかい線 (R 05) 品川区
MO 03 大井競馬場前駅 3.1 7.1  
MO 04 流通センター駅 1.6 8.7   大田区
MO 05 昭和島駅 1.2 9.9  
MO 06 整備場駅 1.9 11.8  
MO 07 天空橋駅 0.8 12.6 京浜急行電鉄KK 空港線 (KK15)
MO 08 羽田空港国際線ビル駅 1.4 14.0 京浜急行電鉄:KK 空港線(羽田空港国際線ターミナル駅:KK16)
MO 09 新整備場駅 2.1 16.1  
MO 10 羽田空港第1ビル駅 0.8 16.9 京浜急行電鉄:KK 空港線(羽田空港国内線ターミナル駅:KK17)
MO 11 羽田空港第2ビル駅 0.9 17.8
  • 当路線の駅のホームにはプラットホーム番号が振られておらず、乗り場案内も「羽田空港方面」「浜松町方面」としか書かれていない。例外として次の3駅は異なった表記である。
    • 昭和島駅はホーム番号が振られており、1・2番線が羽田空港方面、3・4番線が浜松町方面となっている。
    • 羽田空港国際線ビル駅は、記事「羽田空港国際線ビル駅#のりば」を参照のこと。
    • 羽田空港第1ビル駅は、1番線が羽田空港国際線ビル・モノレール浜松町方面、2番線が羽田空港第2ビル行である。

その他

  • 羽田空港の国際線・国内線カウンターでは、国際線と国内線の乗り継ぎ客を対象に乗継乗車票を配布している。これを利用すると羽田空港国際線ビル - 羽田空港第1ビル・羽田空港第2ビル間を無料で利用できる。

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 モノレール検定
  2. 親会社ののりかえ案内
  3. その後の日立グループの再編によって、大和観光の法人格は日立物流が継承したため、現在の東京モノレール社は法人格としては2代目となる。
  4. 参議院会議録情報 第041回国会 オリンピック東京大会準備促進特別委員会 第5号 1962年8月31日
  5. 森口誠之『鉄道廃線跡を歩く 私鉄編』JTB、2001年 p.186)
  6. 2014年9月11日の東京新聞
  7. 7.0 7.1 「鉄道記録帳」、『RAIL FAN』第51巻第11号、鉄道友の会、2004年11月号、 26頁。
  8. 「モノレール50歳 羽田の足に試練」日本経済新聞2014年9月18日13面
  9. 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「asahi-np-2015-2-14」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  10. 10.0 10.1 10.2 10.3 モノレールFUN モノレールヒストリー - 東京モノレール
  11. 「鉄道記録帳2002年8月」、『RAIL FAN』第49巻第11号、鉄道友の会、2002年11月号、 24頁。
  12. 東京モノレール新駅の駅名決定及び新駅開業に伴う線路切替について (PDF) - 東京モノレール、2010年2月10日。
  13. 「羽田空港国際線ビル駅」開業日の決定について (PDF) - 東京モノレール、2010年5月14日。
  14. Japan Rail Pass”. JRグループ6社. . 2015閲覧.
  15. “東京モノレールに新型車両 17年ぶり、羽田で出発式”. 47NEWS (共同通信社). (2014年7月18日). http://www.47news.jp/CN/201407/CN2014071801001463.html . 2015閲覧. 
  16. 「浜松町二丁目4地区」都市計画提案の提出について (PDF) - 東日本旅客鉄道、2012年10月18日。
  17. 出典:日本経済新聞 2002年1月18日
  18. “東京モノレール 延伸計画 東京か 新橋か”. 東京新聞朝刊第一面. (2010年9月17日). オリジナル2010年9月19日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100919040730/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2010091702000049.html . 2013閲覧. 
  19. “羽田‐成田間をもっと便利に モノレール延伸、新橋か東京か”. J-CAST. (2010年11月6日). http://www.j-cast.com/2010/11/06079905.html?p=all . 2013閲覧. 
  20. JR 都心と羽田結ぶ新路線整備検討”. NHKニュース (2013年11月9日). 2013年11月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。
  21. 大野雅人 (2014年8月20日). “羽田アクセス総取りか、JR新線3ルートの全貌(1/3)”. 日経コンストラクション. 日経BP. . 2016閲覧.
  22. 22.0 22.1 JR東が北関東と羽田空港を直結 冨田社長、新線乗り入れ構想表明 - 産経新聞、2014年1月10日
  23. 23.0 23.1 23.2 “東京五輪で都心の鉄道新線計画が再始動 羽田アクセス改善、国、都、JR、私鉄が複数案 : J-CASTニュース”. J-CAST. (2014年2月2日). http://www.j-cast.com/2014/02/02195123.html?p=all . 2014-5-9閲覧. 
  24. インタビュー・最前線:東京モノレール・中村弘之社長 - 毎日新聞、2014年1月20日
  25. “上野東京ライン、「漁夫の利」を得るのは? 3月14日開業!北関東と羽田が近くなる”. 東洋経済オンライン. (2015年3月7日). http://toyokeizai.net/articles/-/62566?page=2 . 2015-5-6閲覧. 

関連項目

外部リンク