東京教育大学

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テンプレート:大学 (廃止) 1978年に閉学し、現在の筑波大学茨城県つくば市に所在)の母体となった。同窓会茗渓会である。

その名称から教員養成を目的にした大学と誤解されやすいが、文学部理学部教育学部体育学部農学部からなる総合大学であった。元は、中等学校の教員を養成する高等師範学校であったことに由来する。大学になってからもその学部構成から多くの中学校・高等学校を中心とした各教科の教員を輩出してきた。一方で、研究者や民間企業・公務員など進路は多様化した。

沿革

前身

東京高等師範学校・東京文理科大学

新制大学

校章

東京教育大学の校章は「五三の桐葉型」である。この桐章は東京高等師範学校の附属小中学校(現・筑波大附属小同附属中・高)で1888年11月に校章として制定されたことに起源を持つ。これは明治天皇の行幸の際、皇室の御紋章である五七の桐章を校章に用いるようご沙汰を頂いたことによる。しかし五七の桐では不敬にわたることがあってはとの理由で五三の桐となった[2]

その後、母体である東京高師においても1903年に改定された「東京高等師範学校生徒徽章」で制定され、1949年製作の東京教育大学学生バッジや、筑波大学のシンボルマークに受け継がれて現在に至る。「桐紋」と呼ばれる図形は、菊花紋章と並んで日本国の伝統的な紋章および国章として用いられているが、同学の校章は花の部分のみ「蔭」で表現される独特なものである。

歴代学長

1949年5月31日 - 7月8日:柴沼直が学長事務取扱。
  • 柴沼直(1949年7月9日 - 1956年6月25日)
    1956年6月26日 - 7月17日:三輪知雄が学長事務取扱。
  • 朝永振一郎(1956年7月18日 - 1962年7月17日)
  • 三輪知雄1962年7月18日 - 1968年7月17日)
  • 三輪光雄(1968年7月18日 - 1969年1月16日)
    1969年1月17日 - 1970年3月2日:宮島龍興が学長事務取扱。
  • 宮島龍興(1970年3月3日 - 1974年3月2日)
  • 大山信郎(1974年3月3日 - 1978年3月)

キャンパス

東京教育大学には、次の3つの主要キャンパスがあった。

  • 大塚キャンパス
    文学部・理学部・教育学部
  • 駒場キャンパス
    農学部
  • 幡ヶ谷キャンパス
    体育学部

教育研究組織

学部

一般教養の課程はなく、学生は入学の時点で、各学科または専攻に所属していた[3]

  • 文学部
    • 哲学科
      • 哲学専攻
      • 倫理学専攻
    • 史学科
      • 史学方法論専攻
      • 日本史学専攻
      • 東洋史学専攻
      • 西洋史学専攻
    • 文学科
      • 国語国文学専攻
      • 漢文学専攻
      • 英語英文学専攻
      • アメリカ文学専攻(1965年創設)
      • ドイツ語ドイツ文学専攻
      • フランス語フランス文学専攻
      • 言語学専攻
    • 社会科学科
      • 社会学専攻
      • 法律政治学専攻
      • 経済学専攻
  • 理学部
  • 教育学部
    • 教育学科
    • 心理学科
    • 特殊教育学科
    • 芸術学科
      • 芸術学専攻
      • 絵画専攻(1957年までは絵画学専攻であった)
      • 彫塑専攻(1957年までは彫塑学専攻であった)
      • 書専攻(1957年創設、1957年までは書学専攻であった))
      • 構成専攻(1957年までは構成学専攻であった)
      • 工芸・工業デザイン専攻(1957年までは工芸建築学専攻であった)
  • 農学部
    • 農学科
    • 農芸化学科
    • 農業工学科
      • 農業土木専攻
      • 農業機械学専攻
    • 林学科
      • 林学専攻
      • 木材工学専攻
    • 農村経済学科
    • 生物化学工学科
  • 体育学部

大学院

研究所

附属学校

東京教育大学の附属学校は、師範学校(創設時には東京師範学校ではなく師範学校と呼称された)と同時に創設された附属小、東京高等師範学校時代に創設された附属中・高と、それら以外の戦後に設立・編入された各学校に分けられる。いずれも東京教育大学の閉学に伴い、筑波大学に移管された。

校地の変遷と継承

旧制以前のことは、ここでは省略する。旧制諸学校を参照されたい。

東京教育大学の母体となった東京高等師範学校と東京文理科大学は文京区大塚に、東京農業教育専門学校は目黒区駒場に、東京体育専門学校は渋谷区幡ヶ谷にあった。そこで、そのままに引き継ぐ形で、上記「キャンパス」に見られるように、3キャンパスにそれぞれの5学部が成立した。なお、教養部制をとらず、1年生でも専門課程を履修でき、4年生でも教養課程を履修できた。

筑波大学発足後は、東京教育大学が管理していた校地[4]は、次のように変化している

関係者

参照: 東京教育大学の人物一覧

脚注

  1. 鈴木博雄 『東京教育大学百年史』 日本図書文化協会、1978年、pp. 21ff。
  2. 『創立百年史-筑波大学附属中学校・高等学校』より
  3. 『文理科大学新聞・教育大学新聞 縮刷版 1946-1973』1978年3月、1033ページ
  4. 『文理科大学新聞・教育大学新聞 縮刷版 1946-1973』1971年2月10日受験生特集号ほか毎年の受験生特集号の記事による
  5. 学生部学生生活課学生支援チーム (2013年4月15日). “石打研修所廃止のお知らせ”. 筑波大学. 2015年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2015閲覧.

参考文献

  • 『東京教育大学 文学部記念誌』 東京教育大学文学部、1977年3月
  • 『文理科大学新聞 教育大学新聞 縮刷版 1946-1973』 東京教育大学新聞縮刷版刊行会、1978年3月
  • 鈴木博雄著 『東京教育大学百年史』 日本図書文化協会、1978年7月

関連文献

  • 家永三郎著 『東京教育大学文学部 : 栄光と受難の三十年』 現代史出版会、1978年2月
    • 家永三郎著 『家永三郎集 第10巻 学問の自由 大学自治論』 岩波書店、1998年10月、ISBN 4000921304
  • 『駒場八十年の歩み』 農学部閉学行事協賛会、1978年2月
  • 『東京教育大学閉学記念誌 教育学部』 東京教育大学教育学部、1978年3月
  • 茗溪会百年史編集委員会編 『茗溪会百年史』 茗溪会、1982年2月
  • 茗体会百周年記念誌編集委員会編 『東京教育大学体育学部の歩み : 戦後体育の模索と探求』 茗体会、2015年11月

関連項目

外部リンク