松竹

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松竹株式会社(しょうちく)は、日本映画演劇の制作、興行、配給を手掛ける会社。歌舞伎の興行については現在ほぼ独占的に手がけている。創業は1895年で設立は1920年11月8日(帝国活動写真株式会社の設立日)である。

概要

元来は演劇興行。現在は歌舞伎を主に新派、松竹新喜劇も手掛ける。かつては、文楽(人形浄瑠璃)や歌劇(SKD - 松竹歌劇団、OSK - 大阪松竹歌劇団)、演芸浅草松竹演芸場道頓堀角座神戸松竹座等)から相撲興行やプロ野球セ・リーグ加盟の松竹ロビンス)、ボウリングアイススケートリンクの運営等幅広い活動を行い、一時は明治期からのお雇い外国人アウグスト・ユンケルを指揮者として松竹交響楽団なる本格的なオーケストラまで所有していた(戦時中は「大東亜交響楽団」と改称したが戦後に自然消滅)。

1995年には創立100年事業の一環として松竹大船撮影所の敷地内に「鎌倉シネマワールド」なるテーマパークを開業させたが、不入りでわずか3年で閉鎖に至った。

メディア対策として、東宝大映(現:角川書店)等と共にフジテレビジョン(フジテレビ)の会社設立に参加(1959年開局)。なお、現在はフジテレビ旧会社法人の後身に当たるフジ・メディア・ホールディングス株式の殆どを放出している反面、松竹大株主の10位以内に東京放送ホールディングス(TBSHD)の名が連なるなど放送局との関係に変化が見られる(両者とも認定放送持株会社である)。

一方では通信衛星を利用した自社製作の番組(映画、テレビドラマ、劇場中継等)を中心に流す「衛星劇場」「ホームドラマチャンネル」等を立ち上げ、現在に至る。

2005年、創業110年を記念した女優発掘オーディション松竹STAR GATE歌舞伎座で開催。

歴史

主要映画

参照: [[松竹の映画作品の一覧]]

主要監督

主要脚本家

主要俳優

男優

女優

この元専属の男女優達の中で『小津映画最後のヒロイン→映画「極道の妻たちシリーズ」へ』の岩下志麻を象徴として、松竹退社後や1970年代初めの日本映画界の斜陽化以降、映画・テレビドラマでの役柄や世間のイメージが松竹時代から激変してしまったスターが多い。

しかし、今ではDVD化・ビデオ化の充実やテレビ放映(上記の衛星劇場など様々なチャンネル)で、誰もが彼らの変わる前の松竹時代の作品に気軽に接することが出来る。

オープニングロゴ

1936年に撮影所を蒲田から大船に移した時期に富士山の背景による松竹タイトルが初登場した。横書きで「松竹映画」の文字が出てくるのは戦中で、戦後は様々なバリエーションの松竹タイトルが作られるも結局は富士山背景のバージョンに落ち着いた。 1980年代序盤に夜明けのアニメーションが追加され、1993年には富士山をイメージしたCGを背景に「松竹映画」に加えローマ字で「Shochiku」と表記するようになったが、2000年「ダンサー・イン・ザ・ダーク」の配給に際して、既存のロゴが似合わないという声があり、2003年に既存のオープニングを基に図案化したCGによる富士山の下にローマ字で「SHOCHIKU」と表記するオープニングが新たに製作され、それ以降に製作されたほとんどの映画がそのロゴを使用するようになったが、前述した一世代前のロゴは主に時代劇や山田洋次監督作品で引き続き使用されていた。

2015年の創業120年を機に、チームラボ製作の「継承」と「発展」を表現したもの[2]と、IMAGICAウェスト製作の本物の富士山の映像をバックに「松竹」の文字とロゴを映し出したもの[3]の2種類にリニューアルされたが、IMAGICAウェスト製作のロゴのみが使用された。

ちなみに1930年代前期から戦中にかけてエンドタイトルの後に松竹マークが数秒間映し出される作品共通の演出が用いられていた。この演出は戦中から終戦期の作品では松竹マークを背景に「終」の文字が映し出されるものに変わり、戦後は用いられなくなった。

撮影所

2011年現在、京都撮影所のみ現存している。

松竹洋画

洋画買付

1920年(大正9年)11月1日、松竹キネマ合名社創業と同時に、東京歌舞伎座にて自社作品との併映の形で洋画の興行を開始したのを嚆矢とする。松竹キネマ合名社内には外国部が設置され、洋画の買い付けにあたった。同年12月31日、銀座金春館を洋画専門劇場として開場。生駒雷遊徳川夢声といった一流活弁士を出演させた。翌1921年(大正10年)からは浅草の帝国館を松竹洋画の拠点と定めたが、大作の一部は歌舞伎座や明治座でも興行を行った。

一方、関西松竹合名社の手により、1923年(大正12年)5月17日には道頓堀大阪松竹座が完成。洋画興行と松竹楽劇部(のちのOSK日本歌劇団)による音楽舞踊のアトラクションを採り入れ話題となった。同年9月1日の関東大震災により、松竹キネマ合名社の外国部は大阪に移転。浅草帝国館は復興し、引き続き松竹洋画の本拠としたが、外国映画社の日本支店の多くは京阪神地区に移転していたため、事実上大阪松竹座が基幹劇場となっていた。

1924年(大正13年)、関西松竹合名社は国産映画の量産に力を入れることになり、洋画の輸入買付を手控える。以降同社は外国映画社から提供を受けた作品を配給する事に専念した(フリー・ブッキング制)。

松竹座チェーン

1924年(大正13年)6月、松竹キネマ合名社は新宿武蔵野館と提携。1926年(大正15年)には新宿武蔵野館に代わり目黒キネマが封切館に加わったが、やがて自社作品の拡充のため外国部を廃止して洋画興行および配給から撤退した。

一方、関西松竹合名社は大阪松竹座の成功に伴い、1924年12月31日に新京極の明治座を「京都松竹座」に改称して洋画興行を開始、翌1927年(昭和2年)には新開地の「神戸松竹劇場」を「神戸松竹座」に改称し、また「名古屋末広座」を買収して「名古屋松竹座」とするなどにより、松竹座チェーンが形成された。

1928年(昭和3年)8月、浅草松竹座が開業し、翌1929年(昭和4年)9月には四谷大木戸の「山手劇場」を「新宿松竹座」と改称。松竹座チェーンは東京に進出。また大阪松竹座・浅草松竹座にそれぞれ輸入部を設け、洋画の購入を再開した。

SPチェーン

1931年(昭和6年)5月、松竹座チェーンのライバルであったパラマウント映画チェーンと合併することとなり、松竹パ社興行社を設立。浅草大勝館新宿松竹座有楽町邦楽座・新宿武蔵野館・浅草電氣館・大阪松竹座・京都松竹座・神戸松竹座・大阪公楽座を直営劇場として洋画興行を行なったが、これに11月から日比谷帝国劇場が加わった。

トーキーと字幕の発達により、活動弁士の解雇が相次いだ。

SYチェーン

1933年(昭和8年)5月、パラマウント側が本来の映画配給に専念すべく、興行も含めた松竹パ社興行社から撤退。同年6月からSYコンパニー(松竹洋画興行部)が発足した。浅草常盤座新宿昭和館が新たに加わり、都内の配給網は2系統になった。この後も契約館を増やし、運営母体も1936年(昭和11年)4月には松竹興行から独立して松竹洋画興行社となった。

1937年(昭和12年)4月、松竹キネマが松竹興行を合併し、現在の「松竹株式会社」となったため、松竹洋画興行社も合併に参加して、松竹株式会社の洋画部になった。さらに翌1938年(昭和13年)洋画の新規輸入が許可制になったため、輸入件数が減少し、洋画部は映画部洋画課に、翌1939年(昭和14年)には映画部洋画興行係に機構が縮小されていった。

1940年(昭和15年)、帝国劇場を失い、洋画購入件数も減少するが、却って希少価値を生んだため興行成績は良好であった。しかし1942年(昭和17年)4月に戦時統制に伴う「社団法人映画配給社」が設立され、松竹の洋画興行はここで一旦終止符が打たれた。

1946年(昭和21年)、占領軍により設置された「セントラル映画社」から、東宝と共に洋画興行を引き受けて復活。セントラル映画社との交渉がこじれ一旦打ち切られるが、翌1947年(昭和22年)、松竹保善社の名で再契約し、「浅草ロキシー映画劇場」(旧金龍館)で洋画興行を行い、同館内に「ロキシー興行社」を設置して洋画興行を復活させた。1949年(昭和24年)3月、接収されていた「有楽町邦楽座」が「ピカデリー劇場」として返還されたのを機に、ロキシー興行社を解消して松竹本社内に洋画係を復活。1950年(昭和25年)に洋画配給課が設置され、1927年(昭和2年)以来(※)の洋画配給を復活させた(※松竹キネマ時代から数える)。

1951年(昭和26年)11月、ユナイテッド・アーティスツ社(ユナイト映画)と提携。興行・配給成績共に洋画界の覇権を握る。配給部門は1955年(昭和30年)に外画部、1958年(昭和33年)に外国部に改められると共に業容を拡大した。

1959年(昭和34年)ユナイト社との提携を解消。別途セレクト・インターナショナル映画社と合弁で「松竹セレクト国際映画」を設立して、洋画配給部門を独立させた。しかし、翌1960年(昭和35年)には基幹劇場の築地・松竹セントラル劇場等数館が日本映画の上映館に転換。「SYチェーン」は事実上崩壊し、全国をカバーする洋画興行はすべて東宝が握る事になった。

STチェーン

1962年(昭和37年)、松竹セレクト国際映画はセレクト側が撤退したため、松竹国際映画に改称。しかしながら依然として洋画配給としては弱体であったため、映配株式会社と合併することとなり、同年10月、松竹映配が発足。一方の興行チェーンも東急レクリエーションと提携することで独自の興行チェーンを復活。同年9月に「松竹・東急チェーン」(STチェーン)が発足した。なお、東急との関係で東映洋画系もこれに含まれることがある。

一方、買付映画の不振により松竹映配の業績は悪化。1973年(昭和48年)8月に解散することとなり、受け皿会社として同年9月に富士映画を発足。1983年(昭和58年)、松竹富士に改称したが、これも1999年(平成11年)に合理化のため解散、配給部門としては長期低迷が続いている。現在、松竹の洋画配給は本社映像本部が行っている。

映画館

2011年3月までの直営映画館

(以下の映画館、シネコンはいずれも2011年3月から松竹マルチプレックスシアターズが運営。)

子会社経営

共同経営

2011年3月1日に松竹本社が映画興行部門を松竹マルチプレックスシアターズに譲渡したため、松竹本社の直営映画館やシネコンは現在存在しない。
早稲田松竹を経営している松竹映画劇場株式会社は松竹グループに属していない別会社である。同社の実態は不動産賃貸業で、シブヤ西武(旧渋谷松竹映画劇場跡)が主な物件である。ただし、現松竹社長の迫本淳一が大学卒業後の一時期所属していたことがある。

興行成績

1999年以前

ファイル:Distributors income in Japan.png
配給会社別年間配給収入

1999年までは、映画の興行成績は配給収入で発表されていた。

松竹年間配給収入
年度 年間配給収入 前年対比 配給収入トップ番組 出典
映画タイトル 配給収入
1975 45億4390万円 091.2% 男はつらいよ 寅次郎子守唄 11.0億円 [4][5]
1976 49億5057万円 109.0% 男はつらいよ 葛飾立志篇 11.9億円 [6][7]
1977 60億3909万円 122.0% 八つ墓村 19.9億円 [8][9]
1978 57億5038万円 095.2% 男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく 12.3億円 [10][11]
1979 64億3166万円 111.8% 男はつらいよ 噂の寅次郎 11.6億円 [12][13]
1980 55億4768万円 086.3% 男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 12.5億円 [14]
1981 61億4245万円 110.7% 男はつらいよ 寅次郎かもめ歌 13.8億円 [15][16]
1982 70億5399万円 114.8% 機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編 12.9億円 [17][18]
1983 62億0613万円 088.0% 男はつらいよ 花も嵐も寅次郎 15.5億円 [19][20]
1984 60億1324万円 096.9% 男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎 12.5億円 [21][22]
1985 53億0293万円 088.2% 男はつらいよ 寅次郎真実一路 12.7億円 [23][24]
1986 46億6877万円 088.0% キネマの天地 13.0億円 [25][26]
1987 52億6187万円 112.7% 男はつらいよ 知床慕情 12.4億円 [27][28]
1988 38億5300万円 073.2% 男はつらいよ 寅次郎物語 10.5億円 [29][30]
1989 64億7658万円 168.2% 利休 12.7億円 [31][32]
1990 50億6847万円 078.3% 男はつらいよ ぼくの伯父さん 14.1億円 [33][34]
1991 64億8291万円 127.9% 男はつらいよ 寅次郎の休日 14.1億円 [35][36]
1992 70億6501万円 109.0% 遠き落日 15.0億円 [37][38]
1993 66億5802万円 094.2% REX 恐竜物語 22.0億円 [39][40]
1994 51億5159万円 077.4% 男はつらいよ 寅次郎の縁談 15.7億円 [41][42]
1995 41億1322万円 079.8% 男はつらいよ 拝啓車寅次郎様 15.5億円 [43][44]
1996 48億2910万円 117.4% 男はつらいよ 寅次郎紅の花 11.6億円 [45][46]
1997 34億0579万円 070.6% 虹をつかむ男 05.8億円 [47]
1998 31億1258万円 091.4% 釣りバカ日誌10 05.1億円 [48]
1999 37億8610万円 121.6% ノッティングヒルの恋人 10.5億円 [49][50]

2000年以降

2000年からは、映画の興行成績は興行収入で発表されている。

松竹年間興行収入
年度 年間興行収入 前年対比 興行収入トップ番組 出典
映画タイトル 興行収入
2000 077億0104万円 テンプレート:NA 十五才 学校IV 010.5億円 [51][52]
2001 092億6635万円 120.3% ダンサー・イン・ザ・ダーク 024.2億円 [53][54]
2002 178億1261万円 192.2% ロード・オブ・ザ・リング 090.7億円 [55][56]
2003 092億5479万円 052.0% ギャング・オブ・ニューヨーク 030.0億円 [57][58][† 2]
2004 205億0406万円 221.6% ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還 103.2億円 [59][60]
2005 136億8058万円 066.7% 亡国のイージス 020.6億円 [61][62]
2006 140億5882万円 102.8% 子ぎつねヘレン 017.8億円 [63][64]
2007 156億7092万円 115.5% 武士の一分 041.1億円 [65][66]
2008 160億1518万円 102.2% おくりびと 064.8億円 [67][68]
2009 157億3149万円 098.2% ヤッターマン 031.4億円 [69][70]
2010 136億3414万円 086.7% 大奥 023.2億円 [71][72]
2011 097億5018万円 071.5% 武士の家計簿 015.0億円 [73][74]
2012 074億2297万円 076.1% 映画 けいおん! 019.0億円 [75][76]
2013 098億0301万円 132.1% 東京家族 018.2億円 [77][78]
2014 138億7640万円 141.6% ホットロード 025.2億円 [79][80]
2015 115億7850万円 083.4% ラブライブ!The School Idol Movie 028.6億円 [81][82][† 3]
2016 187億3987万円 161.9% 映画 聲の形 023.0億円 [84][85]
2017 156億5003万円 083.5% HiGH&LOW THE MOVIE 2 / END OF SKY 013.4億円 [86][87]

テレビ作品

松竹は経営参加を行ったフジテレビジョンを通じてテレビ進出を図るが、テレビ番組はそれよりも前に手掛けていた。初期はテレビ映画がメインであったが、大阪・毎日放送(MBS)とスタジオドラマを共同製作していた例もある。なお、大阪地区では他に朝日放送(ABC)と組んだ「道頓堀アワー」(角座から演芸中継)や読売テレビと組んだ「親バカ子バカ」等一連の寛美物のテレビドラマがあった。2000年代以後は単発の2時間ドラマ制作を僅かに見かける程度に縮小している。

ドラマ

時代劇

現代劇

アニメ・特撮

以下の作品は代表的なものをピックアップしたものである。ほとんどは単独製作ではなく松竹映像商品部が製作委員会に加入する形式で製作されている。

アニメ

2008年にはOVA作品『絶対衝激 〜PLATONIC HEART〜』のDVD発売元となっている。

特撮

松竹がこの分野に本格的に参入したのは上掲の通り、つい近年のことである。しかしながら、1960年代に黒い編笠などのヒーローものに連なる30分ドラマを制作し、その中で散発的に特撮を使った作品を製作しており、また劇場用映画として1967年宇宙大怪獣ギララ1968年吸血鬼ゴケミドロ吸血髑髏船昆虫大戦争を僅か4本ながら製作している(この「ギララ」は「男はつらいよ 寅次郎真実一路」にも冒頭の寅次郎の夢シーンで登場する)。尚、ゴケミドロの企画及び特撮にピープロダクションが参加しているが、同社は同時期の神州天馬侠とでも特撮を担当している。

アニメーションへの参入は更に古く、1933年に「力と女の世の中」を松竹蒲田撮影所が製作するが経済的事情により、わずか3作品で終わる(いずれも現存せず)。1941年には、当時の漫画映画ブームに着目して松竹動画研究所を設立、「フクちゃんの奇襲」(原作・横山隆一)など戦時下にも拘わらず終戦までに6作品を製作発表している。この松竹動画研究所は日本アニメーション界の草分け的存在であり、日本のアニメーション史に名を残す傑作『くもとちゅうりっぷ』や『桃太郎 海の神兵』など、叙情的なアニメ作品を戦時中に世に送り出したことで知られる。セル画の全編使用などアニメーションの製作技法を確立し、クオリティの高さに手塚治虫が感涙した逸話もある。これらの経緯から日本のアニメーションに、直接的にも間接的にも多大な影響を与えている。

演劇・諸芸

ファイル:Minamiza Kyoto.JPG
南座(京都四条川端南東角)
ファイル:大阪松竹座.jpg
大阪松竹座(大阪道頓堀)

歌舞伎

多くの歌舞伎俳優と専属契約を結んでおり、歌舞伎の制作ならびに興行をほぼ独占している。昭和以降、歌舞伎俳優の集約が進み歌舞伎興行を事実上、独占することとなった。国立劇場での歌舞伎公演も、松竹の協力なしには成り立たない。歌舞伎座南座大阪松竹座など傘下の劇場で定期公演を行うほか、『松竹大歌舞伎』として全国巡業を実施し、国立劇場公演にも協力している。

新派

松竹新喜劇

歌劇

1922年(大正11年)、大阪松竹座開場にあたり松竹楽劇部(後、大阪松竹歌劇団)を創設。1928年(昭和3年)に東京松竹楽劇部(後、松竹歌劇団)が創設された。東西それぞれでレビューを上演し、少女歌劇文化の隆盛に貢献した。1957年(昭和32年)に大阪松竹歌劇団が松竹から独立し、OSK日本歌劇団と改称して今日に至る。松竹歌劇団は東京を中心に活動を続けたが衰退し、1990年にレビューを終了し1996年に解散した。2004年以降、OSKが松竹傘下の劇場で定期公演を行うようになったが、いまも直接の関係はない。

  • 東京の国際劇場を拠点に興行されていたレビューについては松竹歌劇団の項を参照のこと。
  • 大阪の大阪松竹座大阪劇場(大劇)・松映(戦前のみ)を拠点としていたレビューについては、OSK日本歌劇団の項を参照のこと。

人形浄瑠璃

  • 1909年(明治42年)から1963年(昭和38年)まで、人形浄瑠璃(文楽)の制作ならびに興行を独占していた。文楽の項を参照のこと。

演芸

劇場

下記劇場は年数回松竹の興行が行われる。

※劇場ではないが、徳島県鳴門市の大塚国際美術館システィーナ礼拝堂において、2009年から年1回歌舞伎の興行が行われている。『和と洋のコラボ』がメインテーマで、毎年新作が製作されている。

付帯事業

賃貸不動産

映画・演劇と並ぶ基幹事業となっている。

ファイル:ASATSU-DK INC. (headquarters).jpg
旧本社跡地にSPCを通じて建築された築地松竹ビル(銀座松竹スクエア)
ファイル:グルメシティ京極店.JPG
グルメシティ京極店が入居する京都松竹第二ビル

プロ野球

松竹ロビンスの項を参照。なお、松竹は役員派遣以外は本格的に球団経営には携わらず、あくまでもスポンサーの立場で終始していた。

アイススケートリンク

ボウリング場

現在は全て撤退している。

  • 東京築地
  • 東京新宿
  • 東京浅草
  • 京都太秦
  • 神戸新開地

ほか

タクシー事業

かつては松竹事業のタクシー部門が存在し、中央無線(現・大和自動車交通グループ)に加盟していたが、1999年に京王交通(現・飛鳥交通東京無線加盟)に事業が譲渡されている。

連結子会社

ほか

かつて存在した施設

かつて存在した劇場

  • 帝国劇場東宝経営で存続)
  • 新富座江戸三座のひとつ森田座の後身。現・京橋税務署ならびに東京都中央都税事務所の改築工事中)
  • 市村座(江戸三座のひとつ。末期の下谷二長町時代に経営。現・凸版印刷本社)
  • 明治座(松竹の手を離れて存続)
  • 国際劇場(現・浅草ビューホテル)
  • 浅草松竹座(現・浅草ROX
  • 浅草松竹演芸場(現・浅草ROX)
  • 浅草松竹新劇場(傍系会社・中映に移管後、「浅草新劇場」に改称。2012年閉鎖。)
  • 浅草常盤座(現・浅草ROX3)
  • 新宿第一劇場(新歌舞伎座・新宿松竹座。現・IDC大塚家具新宿ショールーム)
  • 新宿松竹座(大国座・新宿歌舞伎座・新宿大劇場。現・IDCフロンティア本社)
  • ムーランルージュ新宿座(作文館。松竹の経営は戦時中の一時期のみ。現・ドン・キホーテ新宿東南口店)
  • 東京劇場(松竹マルチプレックスシアターズ経営の映画館として現存)
  • 東横劇場(東横ホール。東急百貨店所有。現・東急百貨店東横店「東急レストラン街」)
  • 青山劇場こどもの城内。財団法人児童育成協会運営。2018年現在東京都所有の未利用地)
  • 名古屋松竹座(矢場町所在。現・マンション)
  • 中京劇場
  • 京都明治座(のちの京都松竹座、2001年11月閉鎖)
    • 2001年12月に近接部にMOVIX京都South(本館)が竣工。
  • 京都座(のちの京都ロキシー、1999年閉鎖)
    • 2005年に京都明治座跡地を跨いで京都松竹座ビルとして建て替え竣工し、低層部にGAMEPANIC 京都、上層部にMOVIX京都North(新館)で構成される
  • 夷谷座(のち京都松竹劇場を経て京都ピカデリー。現・ホテルグレイスリー京都三条 南館
  • 京都歌舞伎座(のちのSY松竹京映(京極映画劇場)。現・「京都松竹阪井座ビル」建設現場)
  • 文楽座(四つ橋・佐野屋橋南詰。現・大丸心斎橋店の提携駐車場ビル)
  • 道頓堀浪花座(道頓堀五座の一つ。現・商業施設「道頓堀ゼロゲート」)
  • 道頓堀中座(道頓堀五座の一つ。現・商業施設「中座ビル」)
    • 現在の「中座ビル」は松竹とは無関係
  • 道頓堀角座(道頓堀五座の一つ。)
    • 最終的に映画館ビルとなっていたが、廃座の上、2008年土地建物を第三者に売却。2013年7月28日より松竹芸能が所有者より賃借する形で演芸場「松竹芸能 道頓堀角座」を開場。
  • 道頓堀朝日座(道頓堀五座の一つ。東映に売却)
    • 大阪東映劇場から道頓堀東映となっていたが、2007年4月閉館。東映の手も離れ、現在は商業ビル「道頓堀ベニスビル1」が立地。
  • 道頓堀弁天座(道頓堀五座の一つ。文楽座・道頓堀朝日座。現・商業施設「DOBOXビル」)
  • 大阪歌舞伎座(現・ビックカメラなんば店)
  • 大阪劇場(現・なんばオリエンタルホテル)
  • アシベ劇場(現・アムザ1000)
  • 松映(新世界。旧・大阪国技館。現・駐車場)
  • 神戸松竹劇場(現・パチンコ店)
  • 神戸松竹座(現・パチンコ店)
  • 神戸八千代劇場

かつて存在した主な映画館

脚注

注釈

  1. 阿川弘之犬と麻ちゃん」では娘が松竹を「マツタケ」と読むのを見て父親の主人公が渋い顔をするシーンがあるが、この読みも強ち間違いではない事が分かる。
  2. 共同配給の『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』は日本ヘラルドに計上されている。
  3. キネマ旬報と日本映画製作者連盟の資料では28.4億円となっている[83]

出典

  1. 松竹120年の歴史を彩る映画音楽集発売、坂本龍一が手がけた「母と暮せば」など”. 映画ナタリー (2016年1月7日). . 2016閲覧.
  2. 松竹オープニングロゴと松竹創業120周年のロゴを、チームラボが制作”. News Detail. チームラボ (2014年12月17日). . 2015閲覧.
  3. 松竹オープニングロゴを制作 (PDF)”. IMAGICAウェスト (2014年12月25日). . 2015閲覧.
  4. 「1975年度日本映画/外国映画業界総決算」、『キネマ旬報1976年昭和51年)2月下旬号、キネマ旬報社1976年、 111 - 118頁。
  5. 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』 キネマ旬報社〈キネマ旬報ムック〉、2012-05。ISBN 978-4873767550。
  6. 「1976年度日本映画/外国映画業界総決算」、『キネマ旬報1977年昭和52年)2月下旬号、キネマ旬報社1977年、 109 - 123頁。
  7. 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』 キネマ旬報社〈キネマ旬報ムック〉、2012-05。ISBN 978-4873767550。
  8. 「1977年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」、『キネマ旬報1978年昭和53年)2月下旬号、キネマ旬報社1978年、 118 - 125頁。
  9. 『キネマ旬報ベスト・テン全史: 1946-2002』 キネマ旬報社、2003年。ISBN 4-87376-595-1。
  10. 「1978年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」、『キネマ旬報1979年昭和54年)2月下旬号、キネマ旬報社1979年、 118 - 125頁。
  11. 『キネマ旬報ベスト・テン全史: 1946-2002』 キネマ旬報社、2003年。ISBN 4-87376-595-1。
  12. 「1979年度日本映画・外国映画業界総決算」、『キネマ旬報1980年昭和55年)2月下旬号、キネマ旬報社1980年、 122 - 124頁。
  13. 『キネマ旬報ベスト・テン全史: 1946-2002』 キネマ旬報社、2003年。ISBN 4-87376-595-1。
  14. 「1980年度日本映画・外国映画業界総決算」、『キネマ旬報1981年昭和56年)2月下旬号、キネマ旬報社1981年、 116 - 119頁。
  15. 「1981年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」、『キネマ旬報1982年昭和57年)2月下旬号、キネマ旬報社1982年、 118 - 125頁。
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  17. 「1982年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」、『キネマ旬報1983年昭和58年)2月下旬号、キネマ旬報社1983年、 112 - 118頁。
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  19. 「1983年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」、『キネマ旬報1984年昭和59年)2月下旬号、キネマ旬報社1984年、 110 - 116頁。
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  21. 「1984年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」、『キネマ旬報1985年昭和60年)2月下旬号、キネマ旬報社1985年、 114 - 120頁。
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  23. 「1985年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」、『キネマ旬報1986年昭和61年)2月下旬号、キネマ旬報社1986年、 122 - 128頁。
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  25. 「1986年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」、『キネマ旬報1987年昭和62年)2月下旬号、キネマ旬報社1987年、 124 - 131頁。
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  27. 「1987年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」、『キネマ旬報1988年昭和63年)2月下旬号、キネマ旬報社1988年、 191 - 192頁。
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  29. 「1988年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」、『キネマ旬報1989年平成元年)2月下旬号、キネマ旬報社1989年、 167 - 172頁。
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  31. 「1989年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」、『キネマ旬報1990年平成2年)2月下旬号、キネマ旬報社1990年、 174 - 176頁。
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  33. 「1990年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」、『キネマ旬報1991年平成3年)2月下旬号、キネマ旬報社1991年、 142 - 144頁。
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  35. 「1991年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」、『キネマ旬報1992年平成4年)2月下旬号、キネマ旬報社1992年、 142 - 143頁。
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  37. 「1992年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」、『キネマ旬報1993年平成5年)2月下旬号、キネマ旬報社1993年、 147頁。
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  39. 「1993年度日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」、『キネマ旬報1994年平成6年)2月下旬号、キネマ旬報社1994年、 155頁。
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  41. 「1994年度日本映画・外国映画業界総決算--経営/製作/配給/興行のすべて」、『キネマ旬報1995年平成7年)2月下旬号、キネマ旬報社1995年、 154 - 155頁。
  42. 構文エラー: 認識できない区切り文字「[」です。
  43. 「1995年日本映画・外国映画業界総決算」、『キネマ旬報1996年平成8年)2月下旬号、キネマ旬報社1996年、 160頁。
  44. 構文エラー: 認識できない区切り文字「[」です。
  45. 「1996年日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」、『キネマ旬報1997年平成9年)2月下旬号、キネマ旬報社1997年、 156頁。
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  47. 「1997年日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」、『キネマ旬報1998年平成10年)2月下旬号、キネマ旬報社1998年、 168頁。
  48. 「1998年日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」、『キネマ旬報1999年平成11年)2月下旬号、キネマ旬報社1999年、 175頁。
  49. 「1999年日本映画・外国映画業界総決算 日本映画」、『キネマ旬報2000年平成12年)2月下旬号、キネマ旬報社2000年、 153 - 154頁。
  50. 構文エラー: 認識できない区切り文字「[」です。
  51. 「2000年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」、『キネマ旬報2001年平成13年)2月下旬号、キネマ旬報社2001年、 149頁。
  52. テンプレート:映連興行収入
  53. 「2001年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」、『キネマ旬報2002年平成14年)2月下旬号、キネマ旬報社2002年、 137 - 138頁。
  54. テンプレート:映連興行収入
  55. 「2002年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」、『キネマ旬報2003年平成15年)2月下旬号、キネマ旬報社2003年、 139頁。
  56. テンプレート:映連興行収入
  57. 「2003年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」、『キネマ旬報2004年平成16年)2月下旬号、キネマ旬報社2004年、 161頁。
  58. テンプレート:映連興行収入
  59. 「2004年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」、『キネマ旬報2005年平成17年)2月下旬号、キネマ旬報社2005年、 152 - 153頁。
  60. テンプレート:映連興行収入
  61. 「2005年度 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」、『キネマ旬報2006年平成18年)2月下旬号、キネマ旬報社2006年、 177頁。
  62. テンプレート:映連興行収入
  63. 「2006年 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」、『キネマ旬報2007年平成19年)2月下旬号、キネマ旬報社2007年、 185頁。
  64. テンプレート:映連興行収入
  65. 「2007年 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」、『キネマ旬報2008年平成20年)2月下旬号、キネマ旬報社2008年、 165頁。
  66. テンプレート:映連興行収入
  67. 「2008年 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」、『キネマ旬報2009年平成21年)2月下旬号、キネマ旬報社2009年、 173頁。
  68. テンプレート:映連興行収入
  69. 「2009年 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」、『キネマ旬報2010年平成22年)2月下旬号、キネマ旬報社2010年、 172頁。
  70. テンプレート:映連興行収入
  71. 「2010年 日本映画・外国映画 業界総決算 経営/製作/配給/興行のすべて」、『キネマ旬報2011年平成23年)2月下旬号、キネマ旬報社2011年、 188頁。
  72. テンプレート:映連興行収入
  73. 「2011年 日本映画・外国映画 業界総決算」、『キネマ旬報2012年平成24年)2月下旬号、キネマ旬報社2012年、 201頁。
  74. テンプレート:映連興行収入
  75. 「2012年 日本映画・外国映画 業界総決算」、『キネマ旬報2013年平成25年)2月下旬号、キネマ旬報社2013年、 204 - 205頁。
  76. テンプレート:映連興行収入
  77. 「2013年 日本映画・外国映画 業界総決算」、『キネマ旬報2014年平成26年)2月下旬号、キネマ旬報社2014年、 197 - 198頁。
  78. テンプレート:映連興行収入
  79. 「各社2014年の動向を見る」、『キネマ旬報2015年平成27年)3月下旬号、キネマ旬報社2015年、 88 - 92頁。
  80. テンプレート:映連興行収入
  81. 「各社2015年の動向を見る」、『キネマ旬報2016年平成28年)3月下旬号、キネマ旬報社2016年、 70 - 71頁。
  82. 「劇場版ラブライブ!」最終興収28.6億円で確定”. ORICON NEWS (2016年3月14日). . 2017閲覧.
  83. テンプレート:映連興行収入
  84. 「各社2016年の動向を見る」、『キネマ旬報2017年平成29年)3月下旬号、キネマ旬報社2017年、 66 - 67頁。
  85. テンプレート:映連興行収入
  86. 「各社2017年の動向を見る」、『キネマ旬報2018年平成30年)3月下旬号、キネマ旬報社2018年、 46 - 47頁。
  87. テンプレート:映連興行収入
  88. (第50話までの製作を担当していた)東伸テレビ映画が倒産したことに伴う措置
  89. 89.0 89.1 89.2 京都市学区大観(京都市学区調査会、1937年8月1日発行) p.550

関連項目

外部リンク

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