柴田郡

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ファイル:Miyagi Shibata-gun.png
宮城県柴田郡の範囲(1.大河原町 2.村田町 3.柴田町 4.川崎町)

柴田郡(しばたぐん)は、宮城県陸奥国陸前国)の

人口82,622人、面積428.17km²、人口密度193人/km²。(2018年6月1日、推計人口

以下の4町を含む。

郡域

1878年明治11年)に行政区画として発足して以来、郡域は上記4町のまま変更されていない。

人口

現市町村界での国勢調査人口の推移(単位:人)を以下に示す[1][2]

                     柴田郡                      25px 柴田町                      25px 大河原町                      25px 村田町                      25px 川崎町


歴史

文献上における初見は、養老5年(721年)10月で、柴田郡から苅田郡を分割した旨の記事であり、それ以前の柴田郡は、現在の柴田・刈田両郡を合わせた範囲を指していたことになる。

近世以降の沿革

船岡村、上名生村、中名生村、下名生村、大谷村、船迫村、入間野村、四日市場村、上川名村、海老穴村、小成田村、成田村、大河原村、平村、堤村、新寺村、小山田村、福田村、沼辺村、薄木村、関場村、小泉村、村田郷、足立村、小野村、本砂金村、今宿村、川内村、支倉村、入間田村、菅生村、富沢村、葉坂村、沼田村、前川村
  • 明治7年(1874年)4月 - 区の再編により、刈田郡と共に宮城県第9大区となる。
  • 明治9年(1876年)11月 - 区の再編により、刈田郡・伊具郡亘理郡と共に宮城県第1大区となる。
  • 明治11年(1878年)10月21日 - 郡区町村編制法の宮城県での施行により、行政区画としての柴田郡が発足。「柴田刈田郡役所」が大河原村に設置され、刈田郡とともに管轄。同日大区小区制廃止。

町村制以降の沿革

ファイル:Miyagi Shibata-gun 1889.png
1.大河原町 2.金ヶ瀬村 3.船岡村 4.槻木村 5.沼辺村 6.村田村 7.富岡村 8.川崎村(赤:大河原町 紫:柴田町 桃:村田町 橙:川崎町)
  • 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足[3]。(1町7村)
    • 大河原町 ← 大河原村、大谷村、小山田村、福田村(現存
    • 金ヶ瀬村 ← 平村、堤村、新寺村(現・大河原町)
    • 船岡村 ← 船岡村、上名生村、中名生村、下名生村(現・柴田町)
    • 槻木村 ← 入間野村、入間田村、海老穴村、上川名村、富沢村、成田村、小成田村、葉坂村、四日市場村、船迫村(現・柴田町)
    • 沼辺村 ← 沼辺村、関場村、沼田村(現・村田町)
    • 村田村 ← 村田本郷、足立村、薄木村、小泉村(現・村田町)
    • 富岡村 ← 菅生村(現・村田町)、支倉村(現・川崎町)
    • 川崎村 ← 前川村、本砂金村、今宿村、小野村、川内村(現・川崎町)
  • 明治27年(1894年)4月1日 - 郡制を施行。郡役所が大河原町に設置。
  • 明治28年(1895年)10月31日 - 村田村が町制施行して村田町となる。(2町6村)
  • 明治37年(1904年)4月1日 - 槻木村が町制施行して槻木町となる。(3町5村)
  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和16年(1941年)11月3日 - 船岡村が町制施行して船岡町となる。(4町4村)
  • 昭和23年(1948年)5月3日 - 川崎村が町制施行して川崎町となる。(5町3村)
  • 昭和30年(1955年)4月20日(5町1村)
    • 村田町・沼辺村と富岡村の一部(菅生)が合併し、改めて村田町が発足。
    • 川崎町と富岡村の一部(支倉)が合併し、改めて川崎町が発足。
  • 昭和31年(1956年
    • 4月1日 - 船岡町・槻木町が合併して柴田町が発足。(4町1村)
    • 9月30日 - 大河原町・金ヶ瀬村が合併し、改めて大河原町が発足。(4町)
  • 昭和35年(1960年)3月14日 - 川崎町の一部(表支倉地区[4]、0.54平方km、133人)が村田町に編入。

変遷表

行政

  • 柴田・刈田郡長
氏名 就任年月日 退任年月日 備考
1 富田広信 明治12年(1879年)2月13日 明治27年(1894年)3月31日
  • 柴田郡長
氏名 就任 退任 備考
1 富田広信 明治27年(1894年)4月1日 明治33年(1900年)12月27日 柴田・刈田郡長より転任
2 片野続 明治33年(1900年)12月27日 明治34年(1901年)4月4日[5]
3 白極誠一 明治34年(1901年)4月20日[6] 明治35年(1902年)9月2日
4 伊藤近春 明治35年(1902年)9月2日 明治41年(1908年)7月29日
5 坂元蔵之允 明治41年(1908年)7月29日 明治43年(1910年)8月29日
6 仙石卯策 明治43年(1910年)8月29日 大正2年(1913年)6月30日
7 兼子悌次 大正2年(1913年)7月31日 大正3年(1914年)12月28日
8 土居通次 大正3年(1914年)12月28日 大正6年(1917年)3月12日
9 中井正猪 大正6年(1917年)3月12日 大正7年(1918年)5月10日
10 渡邊寿 大正7年(1918年)5月10日 大正9年(1920年)4月19日
11 卯埜正路 大正9年(1920年)4月19日 大正9年(1920年)12月28日
12 森田専七郎 大正9年(1920年)12月28日 大正11年(1922年)4月12日
13 古川為二 大正11年(1922年)4月12日 大正13年(1924年)1月25日 任期途中、郡会廃止
14 本田鶴吉 大正13年(1924年)1月25日 大正13年(1924年)12月10日
15 手島伝 大正13年(1924年)12月10日

脚注

  1. 平成17年国勢調査1次結果(宮城県)
  2. 平成27年国勢調査人口等基本集計結果(確定値)(宮城県)
  3. 町村の統合自体は前日の3月31日付で実施されている。(明治22年(1889年)2月9日付、宮城県令第8号)
  4. 大字支倉のうち、字櫛挽・字道海・字道海前山および字東湯沢の一部
  5. 『官報』第5326号、明治34年4月9日。
  6. 『官報』第5337号、明治34年4月22日。

参考文献