正田建次郎

提供: miniwiki
移動先:案内検索


正田 建次郎(しょうだ けんじろう、1902年明治35年)2月25日 - 1977年(昭和52年)3月20日)は、日本数学者。専門は代数学。第6代大阪大学総長、初代大阪大学基礎工学部長。群馬県邑楽郡館林町(現・群馬県館林市)出身。勲一等瑞宝章文化勲章

年譜

業績

1920年代以降におこった現代数学を日本にもたらした。また戦後の日本数学界の再建に尽力した。

家族関係

ファイル:Syouda Family.jpg
正田貞一郎家
前列右から貞一郎、二女・勅子、母・幸、三女・祐子、五男・篤五郎、妻・きぬ、四男・順四郎、後列右から三男・英三郎、長男・明一郎、義弟・卓治、二男・建次郎

正田建次郎は日清製粉グループ本社の創業者・正田貞一郎の次男として生まれた。建次郎は天文学者平山信の次女・多美と結婚し、長男・法学者慶應義塾大学名誉教授)、長女・絢子、次女・さだ子の1男2女をもうけた[1]。多美の死後、建次郎は元九州大学教授・伊藤栄三郎の娘・禎子と結婚し次男・紘(元ソニーチャイナ(中国)董事長(会長))をもうけた。

なお、建次郎の義父・平山信には他に3人の娘がおり、長女・百合は地質学者鉱物学者で元東京大学教授の坪井誠太郎に、三女・厚は元東洋製作所社長の佐竹義利に、四女・千枝は日本国有鉄道常務理事・日本電設工業社長・東京電気保全社長等を歴任した川上寿一にそれぞれ嫁いだ[2]。従って坪井は建次郎の義兄であり、佐竹と川上は建次郎の義弟にあたる。また平山信の次男で建築家平山嵩も建次郎の義兄である(嵩は多美の次兄である)[2]

また建次郎の弟・英三郎には2男2女がいるが、英三郎の長女・美智子が当時皇太子だった明仁親王(1989年即位し天皇となる)と結婚し皇室と姻戚関係をもったため他の英三郎の子女も良家の子女と結婚することとなった。英三郎の長男・巌(元日本銀行監事)は元内閣総理大臣濱口雄幸の孫娘・淑と、次女・恵美子は元昭和電工社長・安西正夫の長男で日本体育協会の会長を務めた安西孝之と、次男・(日清製粉グループ本社会長)は元クラレ社長・大原総一郎の次女・泰子と結婚した。

甥の脇村春夫日本高等学校野球連盟会長在任中に大阪大学で博士号を取得した。

皇后美智子は建次郎の姪にあたる。

主な著書

  • 『抽象代数学』(1932年)
  • 『代数学提要』(1944年)
  • 『数学へのみち』(1962年)
  • 『多元数論入門』(1968年)

参考文献

脚注

  1. 『昭和人名辞典 第1巻 東京編』 504頁
  2. 2.0 2.1 『昭和人名辞典 第1巻 東京編』 831頁 - 832頁

外部リンク

テンプレート:大阪大学総長