池内淳子

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池内 淳子(いけうち じゅんこ、1933年昭和8年)11月4日 - 2010年平成22年)9月26日)は、日本女優[1]

来歴

東京市本所区東両国(現:墨田区両国)の塩物問屋の長女として生まれる。幼稚園はトモエ学園に通う。

1952年(昭和27年)、十文字高等学校卒業卒業後、日本橋三越への入社試験に受かるも親の反対に遭う。しかし祖父の許しを得て無事に入社[1][2](配属された呉服売り場に後の女優・前田通子もいた)することができた。そこで2人の美貌が評判となる。1年余り勤めたのちに退社し、花嫁修業のため和裁と料理の学校(日本女子割烹専修学校(現:池袋調理師専門学校))へ通うさなか、「サンケイグラフ」のカバーガールに応募して合格。関係者の目に留まりスカウトされ、新東宝へ入社。偶然にも前田と再会した。

映画界へ

1955年(昭和30年)、『皇太子の花嫁』で映画デビュー。続く清水宏監督の『次郎物語』で姉役を演じ注目される。以来池部良宇津井健の相手役として多くの作品に出演する。

1956年(昭和31年)、『新妻鏡』で初主演。久保菜穂子三ツ矢歌子と共に「新東宝現代劇の女優三羽烏」として脚光を浴びる。その間、俳優柳沢真一と結婚[1]

1957年(昭和32年)、映画界を引退、翌年に離婚[1]

1960年(昭和35年)、『花嫁吸血魔』(並木鏡太郎監督)で映画界復帰[1]

映画出演と平行してTVドラマ『今日を生きる』、『日日の背信』(丹羽文雄原作、共演:原保美)などに主演(後者は昼ドラマにもかかわらず驚異的な高視聴率を記録、人気女優として名を轟かす)。

1961年(昭和36年)8月末日、新東宝は負債総額7億8千万円(当時)を抱えて倒産。東京映画へ移籍。『社長シリーズ』、『駅前』シリーズ、『花影』、『けものみち』などに出演。

テレビ界へ

1962年(昭和37年)、「よろめきドラマ」(現在の不倫ドラマ)には欠かせない存在として人気を集め、「日本放送作家協会女性演技者賞」を受賞。お嫁さんにしたい女優でも上位にランクインし、人気・演技力ともテレビ女優ナンバー1の地位を確立した。中でも『女と味噌汁』シリーズは毎回高視聴率を誇り、代表作となった[1]

1966年(昭和41年)3月、「第8回マルデルプラタ映画祭」出席のため、南米アルゼンチンを訪問。

1974年(昭和49年)、日本テレビとテレビドラマ出演のための専属契約(特例条件としてTBS東芝日曜劇場』と映画の出演は可)。昭和55年(1980年)までこの契約は続行。

2002年(平成14年)、紫綬褒章を受章。

2007年(平成19年)4月、舞台『三婆(さんばば)』の地方公演中に胸の違和感を訴えて検査入院した処、間質性肺炎胸水貯留、肺腫瘍の診断が下され、約3か月の安静加療が必要となった。そのため、同年5月25日から予定されていた『怪談牡丹燈籠』の全国公演の降板を発表(代役は水谷八重子)。

6月に一旦退院、8月中旬からは民放の単発ドラマで仕事復帰していた[3]

2008年(平成20年)4月、春の叙勲での旭日小綬章授与が日本政府より伝達された[4]2009年11月、天皇陛下御在位二十年記念式典に出席した。同式典において、今上天皇皇后が関心を持つ分野の代表者の一人として、池内が紹介された[5]

2010年(平成22年)5月16日まで、名古屋の中日劇場で舞台『三婆』に出演していた[4]が、その後再入院。約4ヶ月後の同年9月26日午後4時21分、肺腺癌のため東京都内の病院で死去。76歳だった。テレビドラマの遺作は2010年1月11日TBSテレビ放送の『Wの悲劇』。同年5月、入院前に出演した舞台『三婆』が池内にとって生涯最後の出演作となった。

人物・エピソード

和服の似合う上品な美貌の持ち主として、1960年代から1980年代まで、テレビドラマの女王として君臨した[1]血液型O型日本舞踊水木流家元栗島すみ子の弟子であり、名取「水木紅澄」でもある。

テレビドラマでは毎作20%以上の視聴率を獲るため「20%女優」とも言われ、花柳界を生きる芸者、愛人、妾、未亡人、痴呆女性などアンニュイな役から、白割烹着が似合う健気で爽やかなお母さん役まで自在に演じた。

2010年の池内の逝去時には、その報を受け、大空眞弓は「お別れが早すぎます」と哀悼の辞を述べ[6]、黒柳徹子は「山岡久乃さん(1999年死去)と3人で一緒に老人ホームに入ろうね、って約束してたのに」とコメント[7]。池内の誕生日でもあった同年11月4日、芸能界仲間が多数参列の「お別れの会」が行われ、プライベートでも『お姉ちゃん』と呼び慕い、実の姉妹の様に仲が良く池内の親族と共に臨終も看取った長山藍子が世話人を務めたほか、友人代表として挨拶も行っている。「お別れの会」には佐久間良子八千草薫三田佳子司葉子淡島千景水谷八重子坂口良子賀来千香子石田ひかり菅野美穂宇津井健中田喜子野村真美藤田朋子小林綾子沢田雅美赤木春恵前田吟井上順田中健水野哲森宮隆徳重聡松村雄基石倉三郎江原真二郎中原ひとみ朝丘雪路三浦友和高橋英樹石井君子清水曙美鴨下信一石井ふく子らが参列した。

プロ野球東京讀賣巨人軍のファンであることでも知られ、『ミスター・ジャイアンツ 勝利の旗』(東宝映画)では川上哲治長嶋茂雄王貞治ら当時の巨人軍のスター選手と共演したこともある[8]。旧後楽園球場東京ドームの年間ボックスシートを購入していたほどのファンだった[9]。生前は大の愛煙家でもあった。

昭和35年の女優復帰作『花嫁吸血魔』で、毛むくじゃらの怪物に変身する悲劇の美女を変身後の姿まで演じた。この作品は、1980年代に名画座で度々上映され、ファンの間では、「結婚に反対した新東宝社長の大蔵貢から冷遇され、復帰後は不本意な役も泣く泣く引き受けなければならなかった」などとまことしやかな噂が立ったが、小林悟監督によるとこのような役回りは当時の新東宝の「エログロ路線」的には特別なことではなく、池内に限ったことではなかった。石川義寛監督は、「本当に嫌がらせをするなら映画に出さない」としてこの噂を否定している。同じ新東宝の俳優だった高橋勝二によると、当時池内はあまり目立った娘ではなく、高橋はそのような嫌がらせはなかったと証言している。池内の新東宝復帰は近江俊郎の口添えを基に大蔵社長の許可を得て成ったものであり、池内は昭和53年の大蔵社長死去時には葬儀に参列している[10]

出演

映画

テレビドラマ

※著作者表記別

NHK

日本テレビ系列

読売テレビ

テレビ朝日系列

朝日放送

TBS系列

テレビ東京系列

フジテレビ系列

WOWOW

舞台

  • お嫁に行きたい!!
  • 空のかあさま
  • 女と味噌汁
  • 女たちの忠臣蔵
  • 月の光(1999年7月、芸術座
  • 夜の鶴
  • 放浪記(2005年) - 日夏京子 役
  • 三平物語(2009年3月、明治座
  • 母の贈物(2009年10月、三越劇場
  • 三婆 (2010年5月7日-16日、中日劇場) ※生涯最後の出演作

アニメ

ラジオ

追悼放送

受賞歴

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「prf」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  2. 『女優が語る私の人生』(月刊ラジオ深夜便編集部、NHKサービスセンター、2012年)
  3. 池内淳子が民放ドラマで仕事復帰 日刊スポーツ 2007年8月5日
  4. 4.0 4.1 “池内淳子さん逝く…5月まで舞台出演もがん再発”. スポニチ Sponichi Annex. (2010年10月1日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2010/10/01/kiji/K20101001Z00001670.html . 2017閲覧. 
  5. 「天皇陛下御在位20年記念式典」『天皇陛下御在位20年慶祝行事等-詳細内閣官房内閣広報室
  6. 「お別れが、早すぎます」 女優の大空真弓さん 産経新聞 2010年9月30日閲覧
  7. 幼なじみ池内淳子さん急死に涙…黒柳徹子、果たせなかった約束”. ZAKZAK (2010年10月1日). . 2017閲覧.
  8. 今ではありえない? 映画「ミスター・ジャイアンツ 勝利の旗」 スポーツニッポン 2009年2月11日閲覧。
  9. 大のG党だった池内淳子さん 夕刊フジ 2010年9月30日閲覧
  10. 『幻の怪談映画を追って』(山田誠二、洋泉社、1997年)

外部リンク


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