活水中学校・高等学校

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活水中学校・高等学校
過去の名称 活水女学校初等部
活水女学校高等女学部
活水高等女学校
活水高等女学校および
活水中学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人活水学院
理念 隣人を思いやる愛を持った女性
個性豊かな女性
品位と知性あふれる女性
設立年月日 1879年(明治12年)12月1日
創立者 エリザベス・ラッセル
共学・別学 男女別学(女子校)
中高一貫教育 併設型
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
英語科
学科内専門コース 特別進学コース(普通科)
普通コース(普通科)
音楽コース(普通科)
学期 3学期制
高校コード 42503G
所在地 852-8566
長崎県長崎市宝栄町15-11
外部リンク 活水中学校・高等学校公式サイト
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活水中学校・高等学校(かっすい ちゅうがっこう・こうとうがっこう, Kwassui Junior High School and Kwassui High School)は、長崎県長崎市宝栄町に所在し、中高一貫教育を提供する私立女子中学校高等学校(併設型中高一貫校)。

概要

歴史
1879年(明治22年)にアメリカ人宣教師エリザベス・ラッセルによって創立された女学校を前身とする。初等部・高等女学部・高等女学校を経て、1947年(昭和22年)に活水中学校が、翌1948年(昭和23年)に活水高等学校が発足した。なお活水女子大学は系列校である。教育理念・方針にはキリスト教プロテスタントの精神が反映されている。2009年平成21年)に創立130周年を迎えた。
設置形態
活水中学校
活水高等学校 - 全日制課程 2学科
  • 英語科
  • 普通科 3コース - 国公立進学コース・普通コース・音楽コース
モットー
「知恵と生命いのちとの泉 - 主イエス・キリスト - に掬べよ[1]
理念
「隣人を思いやる愛を持った女性・個性豊かな女性・品位と知性あふれる女性」
校章
キリスト教十字架の中央に、校名である「活」の文字を置いている。
校歌
作詞は相沢照子、作曲はオリーブ・カリーによる。歌詞は4番まである。

沿革

女学校・高等女学校時代
  • 1879年明治12年)
  • 1880年(明治13年)
    • 4月 - 南山手のリンガー館(現在 グラバー園の旧オルト住宅)に移転。
    • 7月 - 生徒数が9名となる。
  • 1881年(明治14年)8月 - ヨハネによる福音書第4章14節[2]にちなみ、校名を「活水女学校」と定める。
  • 1882年(明治15年)10月 - 東山手13番地に新校舎「ラッセル館」が完成し、移転。生徒数が43名になる。
  • 1887年(明治20年)4月 - 初等科・中等科・高等科・撰修科・神学科・音楽科・技芸部を設置。
  • 1911年(明治44年)
    • 4月1日
  • 1918年(大正7年)7月 - 校章を制定。
  • 1919年(大正8年)3月 - 活水女学財団法人の設立が認可される。大学部を専門学校令により活水女子専門学校に改組。
  • 1923年(大正12年)12月 - 初代校歌を制定。
  • 1926年(大正15年)10月 - 鉄筋コンクリート造4階建ての新校舎が完成。
  • 1942年昭和17年)4月 - 二代目校歌を制定。初代校歌は創立記念日の歌とする。
  • 1944年(昭和19年)2月 - 女学校高等女学部を「活水高等女学校」に改組。
新制中学校・高等学校
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、新制中学校を併設し、「活水中学校」と命名。
  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、高等女学校を廃止し、新制高等学校「活水高等学校」が発足。
  • 1950年(昭和25年)4月1日 - 学制改革により、活水女子専門学校が活水女子短期大学となる。
  • 1951年(昭和26年)
    • 4月1日 - 私立学校法の施行により、活水女学財団法人が学校法人活水学院(現法人名)となる。
    • 9月 - 竹の久保町(現・宝栄町)の旧鎮西学院校舎を改修し、使用を開始。短期大学との併設を解消。
  • 1979年(昭和54年)
    • 4月1日 - 高等学校に「普通科音楽コース」を設置。
    • 12月 - 長崎市民会館において活水学院創立100周年記念式典を挙行。
  • 1981年(昭和56年)5月15日 - 新校舎(4号館)が完成(この年四年制大学活水女子大学が開学)。
  • 1984年(昭和59年)
    • 4月5日 - 寄宿舎が完成。
    • 7月 - 第1回中学サマーキャンプを実施。
  • 1987年(昭和62年)4月 - LL教室を一新。
  • 1991年(平成3年)9月 - 4号館を増築。
  • 2003年平成15年)4月1日 - 高等学校に「英語科」と「普通科国公立進学コース」を新設。

著名な出身者

五十音順

被爆校舎

ファイル:AtomicEffects-p29a.jpg
原爆で損壊した鎮西学院校舎。戦後、同学院より譲り受け大規模な修繕を行ったうえで、活水学院中学・高校1号館となった。

現在の校地には太平洋戦争中までは鎮西学院が所在していた。2011年まで使用された本校1号館は、当時原爆投下の被害を受けた後に修復されたものである。同館は1998年に長崎市からBランクの「被爆建造物」に指定されたが、学校側は老朽化と耐震性などを理由として早ければ2011年に取り壊す予定であることが2009年7月に報じられた[3]

保存を求める声もあがっていたが、長崎市の田上市長は「学校は『できるだけ痕跡が残るような形を検討する』と前向きに考えてくれている」と取り壊しを容認する見解を示した[4]

上記報道通り2011年に取り壊されることとなり、同年2月に当校舎での最後の卒業式が行われ[5]、7月より取り壊しが開始された[6]。解体工事中の同年9月、敷地内の地下から戦争中の防空壕の遺構が発見された[7][8]。校舎解体後、跡地はオブジェを配した芝生の広場となり、校舎の外壁の一部が保存されている[9]。解体中に発見された防空壕跡は、安全と費用の両面からの判断で埋め戻されたが、今後その存在を示す予定としている[9]

交通アクセス

脚注及び参照

  1. 読みは「むすべよ」。
  2. 「しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」
  3. 毎日新聞長崎版2009年7月18日
  4. 毎日新聞長崎版2009年8月7日
  5. 被爆校舎で活水高が最後の卒業式 老朽化、取り壊しへ長崎新聞2011年2月18日
  6. 一号館解体工事の安全祈念式行われる活水中学校・高等学校ウェブサイト(2011年7月14日)
  7. 旧鎮西学院 被爆校舎下に防空壕西日本新聞2011年9月25日
  8. 活水中・高:被爆校舎跡から地下壕 一部を遺構保存検討--現地説明会毎日新聞長崎版2011年9月25日
  9. 9.0 9.1 被爆校舎跡を芝生広場に再生 活水中・高 長崎新聞2012年3月28日

参考資料

  • 「活水学院創立125周年記念写真集 1879−2004 Kwassui Gakuin 125th Anniversary」(2005年(平成17年)5月、活水学院)   

関連項目

外部リンク