海部郡 (愛知県)

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ファイル:Aichi Ama-gun.png
愛知県海部郡の位置(1.大治町 2.蟹江町 3.飛島村)

海部郡(あまぐん)は愛知県尾張国)の

人口73,486人、面積40.1km²、人口密度1,833人/km²。(2018年4月1日、推計人口

以下の2町1村を含む。

郡域

1913年大正2年)に行政区画として発足した当時の郡域は、2町1村のほか、下記の区域にあたる[1]

歴史

平安時代後期、おそらく11世紀中頃までに、東西に分割され海東郡海西郡になった。[3]

1913年(大正2年)7月1日海東郡海西郡合併して海部郡となった。海東郡役所の置かれた津島町は両郡における生活の中心地であり、海西郡の住民にとっても海西郡役所のおかれた弥富町より便が良かったため、郡制施行以来長年の懸案だった。もっとも1921年(大正10年)には郡制そのものが廃止され、郡役所も1926年(大正15年)に廃された。

2005年3月時点では全国で一番人口の多い郡だったが、愛西市の誕生により福岡県糟屋郡に次いで2位に、弥富市の誕生で愛知県知多郡に次いで3位となった。現在はあま市の誕生で23位。

沿革

  • 大正2年(1913年7月1日 - 海東郡海西郡の区域をもって発足。以下の町村が所属。(3町16村)
  • 大正7年(1918年) - 現在人口126,284名、マラリア患者数2,352名[4]
  • 大正12年(1923年4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
  • 大正14年(1925年)4月1日 - 佐織村の一部(古川)が津島町に編入。
  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
  • 昭和7年(1932年8月1日 - 甚目寺村が町制施行して甚目寺町となる。(4町15村)
  • 昭和14年(1939年11月3日 - 佐織村が町制施行して佐織町となる。(5町14村)
  • 昭和18年(1943年1月1日 - 甚目寺町の一部(土田・上条)が西春日井郡清洲町に編入。
  • 昭和19年(1944年2月11日 - 富田村が町制施行して富田町となる。(6町13村)
  • 昭和22年(1947年3月1日 - 津島町が市制施行して津島市となり、郡より離脱。(5町13村)
  • 昭和24年(1949年6月1日 - 南陽村が町制施行して南陽町となる。(6町12村)
  • 昭和30年(1955年
    • 1月1日 - 神守村が津島市に編入。(6町11村)
    • 4月1日(7町8村)
      • 佐屋村および市江村の一部(西保・東保・西条・東条・本部田)が合併して佐屋町が発足。
      • 弥富町・鍋田村・市江村の残部(楽平・佐古木新田・又八新田)が合併し、改めて弥富町が発足。
    • 10月1日 - 南陽町・富田町が名古屋市に編入。(5町8村)
  • 昭和31年(1956年)4月1日 - 永和村が分割し、一部(善太新田の一部)が蟹江町、一部(善太新田の一部)が十四山村、一部(大井・鰯江新田・大野新田)が佐屋町、残部(半右衛門新田・頭長・唐臼・鹿伏兎・中一色)が津島市にそれぞれ編入。(5町7村)
  • 昭和33年(1958年)1月1日 - 美和村が町制施行して美和町となる。(6町6村)
  • 昭和41年(1966年)4月1日 - 七宝村が町制施行して七宝町となる。(7町5村)
  • 昭和50年(1975年)4月1日 - 大治村が町制施行して大治町となる。(8町4村)
  • 平成17年(2005年)4月1日 - 佐屋町・立田村・八開村・佐織町が合併して愛西市が発足し、郡より離脱。(6町2村)
  • 平成18年(2006年)4月1日 - 弥富町が十四山村を編入のうえ市制施行して弥富市となり、郡より離脱。(5町1村)
  • 平成22年(2010年3月22日 - 七宝町・美和町・甚目寺町が合併してあま市が発足し、郡より離脱。(2町1村)

変遷表

備考

  • 海部地域盛り上げ隊(AMT)- 愛知県海部地域4市2町1村のアイドルグループ、メンバーは愛知県のアイドルユニットP-LOCOから選抜。

脚注

  1. 町名変更区域の境界は不詳。
  2. それぞれ残部は愛知郡
  3. 弥富市歴史民俗資料館にて公表。
  4. 『各地方ニ於ケル「マラリア」ニ関スル概況』(内務省衛生局。大正8年)(国立国会図書館のホームページ『近代デジタルライブラリー』で閲覧可能)

参考文献

関連項目

先代:
海東郡海西郡
行政区の変遷
1913年 -
次代:
(現存)