深川区

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深川区(ふかがわく)

現江東区の北西部を占め、明治一一年(一八七八)の深川区成立時には北は本所区、西は隅田川を隔てて日本橋区と京橋区、南は海、東は南葛飾郡であった。区域の町屋は安永三年小間附町鑑では一七番組に属し、「御府内備考」によると一二四町。田園簿によると二村、天保郷帳では三町・八村が区域に成立した。慶応四年(一八六八)東京府が置かれた際、のちの深川区域のうち朱引内の地域もそれ以外の代官支配地もおおむね東京府に編入され、明治二年の五〇区(番組)制により深川区域は四六―四九番組および地方五番組の一部となった。同四年四月に一部朱引の変更や区画の改正が行われ、同年一一月武家地・町地の区別が廃止されて旧武家地にもすべて町名が付けられた。またこれに合せて、大区・小区制を導入し、幾度かの修正を経て同七年深川区域は第六大区一―五小区(横川以西の地域)および第一一大区三小区の一部(横川以東および南部地域)に編成された。同一一年郡区町村編制法により大区・小区制が廃止され、新たに一五区六郡が置かれ深川区が誕生した。九八町、一万五千二〇戸・五万三五人、区役所は深川伊勢崎ふかがわいせざき町に置かれた(地方沿革略譜)海辺うみべ新田・千田せんだ新田・石小田いしこだ新田・毛利もうり新田・永代えいたい新田・平井ひらい新田・猿江さるえ村など東部の地域は南葛飾郡に編入され、同二二年の市町村制による東京市成立時に深川区に移管された(ただし猿江村・永代新田・平井新田は一部)。また八右衛門はちえもん新田の十間じつけん(現横十間川)以西を編入。なお同一三年深川北松代ふかがわきたまつしろ町四丁目が本所松代町四丁目と改称して本所区に編入された。明治維新後深川の町名にはすべて「深川」を冠したが、明治四四年町名改正により「深川」を省くこととした。また明治中期以降の東京港築港計画や関東大震災後の同港修築計画により深川南部の埋立が進み、木場きば一丁目・越中島えつちゆうじま三丁目・東陽とうよう一丁目や塩崎しおざき(現塩浜二丁目)浜園はまぞの(現塩浜一丁目)豊洲とよす(現在は一―六丁目)東雲しののめ(現在は一―二丁目)枝川えだがわ(現在は一―三丁目)などの町が新設・編入された。昭和二二年(一九四七)東部に隣接する城東区と合併して現在の江東区となった。



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