渡辺文雄 (俳優)

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渡辺 文雄(わたなべ ふみお、1929年10月31日 - 2004年8月4日)は、日本俳優タレントエッセイスト東京市神田区東松下町(現・東京都千代田区神田東松下町)生まれ。

来歴・人物

旧制第二東京市立中学校(東京都立上野高等学校の前身)から旧制静岡高校静岡大学の前身)を経て[1]1954年東京大学経済学部を卒業し、電通に入社。翌年に電通から松竹に出向。1956年、出向先の松竹で小林正樹監督の映画『泉』に出演したことがきっかけで役者デビュー[2]。その後電通を退社して松竹の専属俳優となる。この頃は、端正な顔立ちを生かしたヒロインの相手役が多かったが、本人はそれが嫌だったという。1961年大島渚小山明子らと共に松竹を退社し、創造社の結成に参加。以後、大島作品の常連俳優となる。1960年代後半から1970年代前半にかけては膨大な量の東映ヤクザ映画にて悪役として出演。仁義知らずの現代インテリヤクザの役が多かった。

くいしん坊!万才』の初代リポーターとしても知られ、お茶の間にも広く顔が知れ渡るようになる。当初、「男が食い物の事でグダグダ言うんじゃない!」という意見も少なからずあり、渡辺は「じゃあ、グダグダ言ってやる!」という気持ちを持ちつつ、持ち前の知性を生かしながら料理の旨さを伝わるようにし、長寿番組の礎を築き上げたという。読売テレビの『遠くへ行きたい』のリポーターとしても知られ、2013年現在も同番組最多出演者[3]の座にある。これらの番組出演の経験を踏まえたエッセイも執筆しており、多くの著書がある。文才を認められ、日本エッセイストクラブへも入会している。

2001年7月に飛騨・世界生活文化センター岐阜県)の館長に就任。最晩年まで『遠くへ行きたい』や日本テレビの『おもいッきりテレビ』のゲストコメンテーター等、その知性を生かして多方面で活躍していたが、亡くなる約2か月前に体調不良を訴え入院。その際に肝臓癌であることが分かったが、入院から2週間後には意識混濁を起こすなど既に病状は末期症状を起こしており手の施しようが無かった。2004年8月4日急性呼吸不全のため東京都内の病院で死去。74歳没。

妻は東京・赤坂の料亭『口悦』の女将[4]渡辺純子。渡辺の死後も経営を続け、赤坂に残る数少ない昔ながらの料亭の一つとして親しまれたが、デジタルガレージの関連不動産会社ケィ・ジー3(代表・林郁)に売却し、2017年3月に閉店した[4]

出演作品

映画

テレビドラマ

吹き替え

バラエティ

CM

著書

脚注

  1. 1989/06/17, 日経産業新聞
  2. 渡辺文雄さん74歳、天に旅立つ - nikkansports.com 2012年4月9日閲覧。
  3. http://www.to-ku.com/data/data.htm
  4. 4.0 4.1 常連みのもんたも「非常に残念」カカクコム会長が買収で閉店の赤坂料亭 - デイリー新潮ONLINE・2016年11月24日

関連項目

外部リンク

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