真珠湾攻撃

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真珠湾攻撃
戦争: 太平洋戦争
年月日: 日本時間1941年(昭和16年)12月8日未明, ハワイ時間12月7日
場所: アメリカ合衆国ハワイ州(当時はアメリカ合衆国の準州)オアフ島真珠湾
結果: 日本の勝利と太平洋戦争突入
交戦勢力
大日本帝国の旗 大日本帝国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
戦力
航空母艦6隻
戦艦2隻
重巡洋艦2隻
軽巡洋艦1隻
駆逐艦9隻
特殊潜航艇5隻
艦上航空機350機他
戦艦8隻
重巡2隻
軽巡6隻
駆逐艦30隻
その他48隻
カタリナ哨戒機14機
基地航空機399機
損害
未帰還機29機
損傷74機
戦死55
特別攻撃隊:未帰還5隻
戦死9
捕虜1
戦艦4隻沈没
戦艦1隻大破
戦艦1隻中破
戦艦2隻小破
軽巡洋艦2隻大破
軽巡洋艦1隻小破
駆逐艦3隻大破
標的艦1隻沈没
その他1隻沈没
その他1隻大破
その他1隻中破
その他1隻小破
航空機188破壊
航空機155損傷
戦死2,345
民間人死亡68

真珠湾攻撃(しんじゅわんこうげき、: Attack on Pearl Harbor日本時間1941年(昭和16年)12月8日未明、ハワイ時間12月7日

1941年12月8日未明(アメリカ合衆国時間 7日),日本海軍が行なったアメリカ合衆国ハワイ州の真珠湾軍港(パールハーバー)への奇襲攻撃。これによって太平洋戦争が始まった。

1941年11月26日千島列島の単冠湾(ひとかっぷわん)から出撃した『赤城』『加賀』『飛竜』『蒼竜』『翔鶴』『瑞鶴』(翔鶴型航空母艦)の 6隻の航空母艦を中心とする戦艦 2隻,重巡洋艦 2隻,軽巡洋艦 1隻,駆逐艦 9隻,補給艦からなる機動部隊がハワイ近くまで進出。現地時間 12月7日日曜日午前7時55分から 2回にわたって 360機の雷撃機,水平爆撃機,戦闘機をもって真珠湾在泊中のアメリカ太平洋艦隊艦艇,飛行場などを奇襲した。

軍港に在泊していた戦艦 8隻のうち 3隻が沈み,1隻が横転,残りは大破したほか,軽巡洋艦 3隻,駆逐艦 3隻,その他の艦艇が沈没あるいは大破した。航空機約 180機も炎上し,2300人以上のアメリカ将兵が戦死した。日本側の損害は,航空機 29機と特殊潜航艇 5隻であった。日本機動部隊の指揮官は南雲忠一中将。日本のアメリカに対する最後通牒は,攻撃が終わったのちにワシントンD.C.で野村吉三郎駐アメリカ大使によってコーデル・ハル国務長官に手交された。12月9日(アメリカ時間 8日),フランクリン・D.ルーズベルト大統領は議会で「汚辱の日として忘れられることがない 12月7日」と宣戦演説を行なった。真珠湾攻撃は,今日でもアメリカの国防戦略にきわめて大きな影響を与えている。1991年12月7日,真珠湾攻撃 50周年式典がハワイで行なわれ,ジョージ・H.W.ブッシュ大統領は日米の恒久的和解を呼びかける演説を行なった。

2016年12月には安倍晋三内閣総理大臣がアメリカのバラク・オバマ大統領とともに真珠湾の追悼施設を訪れ,慰霊した。

関連項目

脚注

座標: 西経157度57分北緯21.367度 西経157.95度21.367; -157.95