立川バス

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立川バスの一般路線仕様

立川バス株式会社(たちかわバス)は、本社を東京都立川市高松町2丁目27番27号[1]に置くバス会社である。小田急グループに属し、小田急電鉄連結子会社である。

2000年から2018年まで、一部路線が分離子会社のシティバス立川へ移管されていたが、再統合により全路線が立川バスの運行となっている。

概要

主に路線バス東京都立川市昭島市小平市国分寺市国立市武蔵村山市瑞穂町を中心に運行しており、立川駅国立駅玉川上水駅箱根ケ崎駅拝島駅などが運行拠点である。

また高速バス(2018年6月まで子会社のシティバス立川が担当)および観光バスの運行、特定輸送も行なっている。

バス以外での業種は、TBKビルでの不動産業旅行業、清掃請負業などがある。

沿革

立川バスは1929年に前身である立川自動車運輸として創立され、翌1930年には路線の運行を開始した。当時の運行区間は、立川(立川駅北口) - 宮沢 - 拝島(現・拝島大師付近)と立川 - 村山 - 箱根ケ崎である。本社は立川町字吾妻町(現・立川市曙町二丁目)におかれた。拝島線は現在とほぼ同じ経路であるが、村山線の方は当時の道路状況から、現在の高松町三丁目経由ではなく、今の高松町一丁目(停留所で言うと多摩都職員会館)から砂川四番に至っていた。現在このオリジナルの経路は道路自体なくなっている。

立川自動車運輸は1937年に五日市鉄道の傘下に入ることになる。なおこの「五日市鉄道」とは、現在のJR五日市線拝島駅 - 武蔵五日市駅[注釈 1]を経営していた会社であるが、1930年 - 1944年は立川 - 拝島間に青梅電気鉄道(現:JR青梅線)と別の線を持っていた。この路線と立川自動車運輸の拝島線がほぼ並行していたことが買収を行った理由である。

五日市鉄道傘下となった後、立川自動車運輸は五日市鉄道沿線とさらに奥へ、拝島 - 牛浜 - 平井 - 五日市、五日市 - 檜原本宿、五日市 - 養沢について免許申請を行っている。しかし、この区間は五王自動車(現・西東京バスの五日市エリア付近)の既存区間であり、戦時中で不要不急という判断から、却下された。

1940年、南武鉄道(現在のJR南武線)が五日市鉄道を合併し、それと同時に立川自動車運輸も南武鉄道の傘下となった。その際南武鉄道も川崎市溝口にバス路線を有していたため、同社の路線は立川自動車運輸に引き継がれた(溝口営業所)が、まもなく軍需輸送上の国策によって南武鉄道と青梅電気鉄道は国有化の矢面に立たされ、結局、1944年4月に両社は国に買収され、南武線、青梅線となる。なお、被買収企業はしばらく会社の解散をせず、南武鉄道も立川自動車運輸など子会社の管理と関連事業を経営するために存続した(現在の太平洋不動産)。

1947年に立川自動車運輸は現在の立川バスに社名を変更し、再スタートをきった。開業以降、ほとんど路線の新設・改変もなかった立川自動車運輸だったが、この年に奥多摩振興(現在の西東京バス青梅営業所が相当)より路線を買収することで、路線の拡充が始まることとなる。そのときの区間は、国分寺 - 拝島、拝島 - 小荷田等の4区間であり、これにより砂川や国分寺なども営業エリアとすることとなった。

1951年には川崎市より川崎市北部地区の路線を整備するため、溝口営業所の路線を買収したいとの要請があった。この交渉がまとまり、同営業所は川崎市交通部(当時。現:川崎市交通局)に譲渡された。引き継がれた路線は以下の4線である。

1954年に小田急電鉄の傘下となり、小田急グループの1社になったことを機に、立川バスはその営業域の拡充をさらに押し進めることとなった。しかし、昭和30年代には多摩地域でのエリア分けが一段落しつつあったので、新規開業路線は他社との相互乗り入れという形で進められた。その例として、五王自動車(現・西東京バス)との相互乗り入れによる立川駅北口 - 福生 - 五日市線等が挙げられる。一時期は埼玉県所沢市北野地区へも路線を延ばしていた。

昭和40年代から50年代にかけては路線の整理が行われるようになる。立川バスに限らず都内のバス路線は、それまでエリア拡大のために他事業者との相互乗り入れ路線を多数持っていたが、交通渋滞やそれに伴う乗客の減少などによりメリットよりデメリットが多くなってきた。このことから、各事業者とも長距離路線を短縮し、自社のエリア内のみを走る路線にまとめていくようになった。これと同時に、鉄道の速度が上がっていったこともあり、鉄道と完全に並行する路線は分割され、隣接する駅の間を補完する性格の路線に転化させるか、廃止させる方向に向かっていった。それと同時に多摩の各市には大規模な団地造成が行われ、立川バスも他社と同じく団地輸送路線を次々と新設した。

営業域の拡充と整理の傍らで、1951年から立川バスが所有する観光バスの車体に「サザエさん」の登場人物を描き「サザエさん観光」として運行していたが、許可を得ていなかったとして1970年に作者の長谷川町子から使用差し止め要求があり、裁判の結果、立川バスは長谷川へ損害賠償金を払う結果となった(サザエさんバス事件)。

1976年に立川基地が返還され、立川駅北西部の跡地を新たに使用することができるようになった。そこで、この跡地に道路および施設が整備された。まず、高松町一丁目から基地跡沿いに北に進む道路(南北)が整備された。その後、曙町一丁目から泉町まで滑走路を転用した道路が新造され、その道路沿いに防災センターが新設された。これに伴い、立川バスも箱根ヶ崎線の一部が新道経由となり、砂川循環線(現在は廃止)・防災循環線などが新設された。その後立川消防署・立川警察署国立病院機構の移転に伴い、立川消防署循環線なども新設され、さらにルートの一部も変更されている。

1993年には「TAMAらいふ21」のイベントが長期間にわたって開催され、立川基地跡の北西部(窪方停留所付近)に簡単な遊園地が作られたり、昭和記念公園でもステージが行われたりした。立川バスも期間中に立川駅北口 - TAMAらいふ会場間に臨時バスを運行した。

また1991年より、空港連絡バス・夜行高速バス(神戸線シャルム号)の運行が開始された。1990年 - 1998年には深夜急行バス運行の実績がある。

1998年11月27日には多摩都市モノレール立川北 - 上北台間に営業を開始した。これにより村山団地線・芋窪線・芝中団地線・南街線などが多摩都市モノレール線と競合することになり、上水営業所担当路線を中心に大幅な路線改変が行われた。さらに、2000年1月10日のモノレール延伸開業に合わせる形で全営業所の路線改変(一部路線は1999年11月に先行実施)が行われた。

立川駅 - 玉川上水駅間は主力路線の村山団地線と並行しており、通勤通学客の多くがモノレールに移行した影響は大きかった。少子高齢化などによる他地域の不採算路線をカバーしていた主力路線が大幅減収となったため、同社は企業再生の対象となり自主再建の道を選択した[2]

企業再建策として、2000年4月1日には分社化と不採算路線の管理受委託制度を開始し、子会社としてシティバス立川を設立。拝島営業所内にシティバス立川拝島営業所を置き、同年10月1日より福生団地線を移管、4路線の運行を委託した。また9月30日をもって国立営業所を閉鎖し3営業所体制とするなど、再建に向けてさまざまな経営合理化が行われた。さらに2008年11月には、高速バス路線と田中町団地線もシティバス立川に移管した[2]

その後2000年代に入り、立川駅周辺の再開発による発展、日産自動車村山工場跡地のダイヤモンドシティ・ミュー(現:イオンモールむさし村山)開業、宗教施設「真如苑応現院」の進出などが後押しし、企業再建は着実に進んだ。2006年には応現院シャトルバス輸送のため、曙営業所が新設されている[2]

2018年7月1日、福生営業所を開設し、拝島営業所および瑞穂営業所を閉鎖。両営業所の機能は福生営業所に統合され、担当路線は移管された。同時にシティバス立川を吸収合併し、同社担当路線はすべて立川バスが運行することとなった。

営業所

現行営業所

各営業所の担当路線の詳細は、営業所の記事を参照のこと。 立川バスでは、一般乗合路線を上水、福生、曙の3つの営業所により運行している。 以下に、各営業所の路線名を示す。(注:路線名は立川バスホームページによる。)

  • 上水営業所(記号:J
    • 東京都立川市幸町5丁目87番2号[1]
    • 1966年開設[3]
    • 担当路線:村山団地線、玉川上水駅南口線、高松バイパス出入庫線、立川消防署出入庫線、立飛線、芋窪線、北町線、立川・けやき台団地線、国立・けやき台団地線、裁判所線、柏町青柳循環線、青柳新道上水線、戸倉循環線、戸倉出入庫線、恋ヶ窪出入庫線、北町公園線、弁天通り折返し線、昭和病院線、回田循環線、国立・立川線、国立操車場線・矢川線、谷保線、国立泉団地線、国立循環線、国立東循環線、国立西循環線、五商線、音高線・郵政循環、若葉町団地・武蔵野美術大学線、玉川上水イオン線、競輪場(競輪開催日運行・無料送迎)、くるりんバス(立川市コミュニティバス)、くにっこ(国立市コミュニティバス)、ぶんバス(国分寺市コミュニティバス・西町ルート)
  • 福生営業所 (記号 : F)
    • 東京都福生市志茂151[1]
    • 2018年7月1日開設
    • 拝島営業所と瑞穂営業所の統合により開設。
    • 担当路線 : すずかけ循環線、拝島本線、昭島線、立川・東中神線、大山団地線、東中神北循環、松中線、砂拝線、堀向線、拝島循環、堀向線、昭島・福生団地線、富士見町団地線、立川南口線、箱根本線、市民会館線、岩蔵街道入口線、三ツ藤線、立川イオン線、立川消防署線、昭島・箱根ヶ崎線、昭島・IHI線、瑞穂線、団地東線、長岡線、長岡循環線、羽村高校線、武蔵村山市内循環(MMシャトル)Aバス(昭島市コミュニティバス)

廃止営業所

  • 高松町営業所
    • 東京都立川市高松町に所在
    • 1950年開設[3]
    • 立川バス最初の営業所。1950年に本社を高松町へ移転し、同時に本社併設の営業所として開設。
  • 溝口営業所
    • 川崎市高津区に所在
    • 1950年開設[3]
    • 1952年、川崎市交通局に譲渡されて廃止[3]
    • 詳細は「川崎市交通局#廃止された営業所」を参照
    • 立川自動車運輸が五日市鉄道に買収され、さらに五日市鉄道が南武鉄道に買収される。戦時統合により鉄道路線が国有化され、南武鉄道のバス溝口営業所が立川自動車運輸に引き継がれた。
    • 戦後の1950年に立川バスに譲渡され、1952年に川崎市交通部(現:川崎市交通局)が買収し、川崎市バス溝口営業所とした。
    • 所在地は武蔵溝ノ口駅溝の口駅の駅前だったが、川崎市バス溝口営業所となってから、駅前の敷地が手狭なため移転している(その後廃止)。
  • 砂川営業所
    • 東京都立川市に所在
    • 1954年開設[3]
    • 戦後の路線・車両の増加にともない、本社併設の高松町営業所が手狭になったため開設された。1990年代まで営業を続け、末期は高速バス・貸切バスの営業所となっていた。なお立川バスは1991年2月に空港連絡バス、同年4月に夜行高速バス立川 - 神戸線「シャルム号」に参入している。その後、拝島営業所に統合されて廃止された。
  • 国立営業所(記号:K
    • 東京都国立市谷保に所在
    • 1966年、国立操車場として開設[3]
    • 1970年、国立営業所に昇格[3]
    • 2000年9月30日をもって廃止、上水営業所国立操車場となる
    • 国立地区の路線拡充にともない、操車場として暫定開設後、営業所に昇格した。多摩都市モノレール開業の影響による経営合理化と路線再編により廃止。管轄路線は上水営業所と拝島営業所に移管された。
    • 営業所廃止後も国立操車場として使用され、「国立操車場」バス停留所も現存する。
  • 横田営業所
    • 東京都福生市米軍横田基地内に所在[4]
    • 2000年代に開設[4]
    • 米軍基地内における特定輸送専用の営業所[4]
    • 在日米軍の基地内特定輸送という性格上、運行内容は非公開であった。スクールバスなども運行していた。
    • かつては自社発注の経年車や、小田急バスからの移籍車を転用して運行していたが、のちに横田基地が自前で用意した車両の運行を受託する形態に改められた。
    • その後、横田基地との契約が競争入札制に切り替えられ、他社が落札したため撤退している[4]。2015年頃に撤退。
    • 立川バス公式サイト「会社概要」営業所一覧に記載なし[1][5]
  • 拝島営業所(記号:H
    • 東京都昭島市拝島町3丁目15番4号[5]
    • 1963年開設[3]
    • 閉鎖時の担当路線:すずかけ循環線、拝島本線、昭島線、立川・東中神線、大山団地線、東中神北循環、松中線、砂拝線、堀向線、拝島循環、堀向線、昭島・福生団地線、音高線・郵政循環、富士見町団地線、立川南口線、Aバス(昭島市コミュニティバス)
    • シティバス立川拝島営業所が敷地内に併設されていた[5]
    • 瑞穂営業所と統合し、福生営業所へ移行したことにより閉鎖。
    • 営業所廃止後も拝島操車場として使用され、「拝島操車場」バス停留所も現存する。
  • 瑞穂営業所(記号:M
    • 東京都西多摩郡瑞穂町箱根ケ崎字池廻り640-1[5]
    • 1989年開設(当初は拝島営業所瑞穂支所)[6]
    • 閉鎖時の担当路線:箱根本線、市民会館線、瑞穂営業所線、三ツ藤線、立川イオン線、立川消防署線、昭島・箱根ヶ崎線、昭島・IHI線、瑞穂線、団地東線、長岡線、長岡循環線、羽村高校線、武蔵村山市内循環(MMシャトル)
    • 拝島営業所と統合し、福生営業所へ移行したことにより閉鎖。
    • 閉鎖後に「瑞穂営業所」バス停留所は「岩藏街道入口」に改称された。

高速バス路線

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空港連絡バス(羽田線)

立川バスは1991年2月に立川 - 成田空港線の開業を皮切りに高速バス路線に参入、同年4月に玉川上水・立川 - 神戸線「シャルム号」、2000年7月に拝島営業所・立川 - 羽田空港線を運行開始した。

2008年11月16日発をもって、高速バスの運行は子会社のシティバス立川へ移管されたが、 2018年7月1日発からはシティバス立川の消滅に伴い再び立川バスに移管された。


予約と運行支援

1991年4月から2009年5月まで、シャルム号として玉川上水・立川 - 神戸三宮・垂水・舞子を結ぶ立川 - 神戸線を、山陽電鉄バスとの共同運行を行ってきたが廃止。

南海バスが運行し、立川バスが運行支援をしてきた立川 - 京都・大阪線(立川バス拝島営業所、玉川上水駅南口、パレスホテル立川、立川駅北口-京都駅八条口、南海なんば高速バスターミナル、湊町バスターミナル、JR堺市駅前、南海堺東駅前、南海堺駅前)と、両路線を合わせた立川 - 京都・大阪 - 神戸線へと移行し、南海バスと山陽電鉄バス(2011年3月1日以降は山陽バス)による運行となった。

なお現在、立川バスでは同路線の予約・乗車券発券業務は行っていない。

車両

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いすゞ・LV 富士重工7Eボディ架装車
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初期のノンステップ車
三菱ふそう・エアロスター
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貸切・高速路線車(旧塗色)
三菱ふそう・エアロバスクイーンバージョン

概説

現在の車両

大・中型路線車はいすゞ三菱、小型路線車・高速・観光車は三菱・日野を使用し、特定輸送用にトヨタのマイクロバスが導入されている。過去には1960年代には日野、2000年代前半までは日産ディーゼルの車両も一部使用されたほか、日デや三菱、いすゞでは関東地区において少数派であった前後引戸の扉配置を採用していた。

いすゞ大型路線車は過去には富士重工の車体を架装していたが[注釈 2]エルガにモデルチェンジされてからは全て純正車体(ジェイ・バス製)で導入されている。中型路線車も同様に車体メーカーがIKコーチ製と富士重工業製のものが混在していたが、エルガミオの導入以降は大型車同様に純正車体での導入となっている。

三菱の大型路線車は三菱ふそう・エアロスターに統一されているが、ホイールベースの長さ・サッシの色等、年式によって細部の仕様が異なる車両が在籍している。以前は呉羽車体製の車体を採用し、近年でも日産ディーゼル・スペースランナーRAのOEM供給車・エアロスター-Sを導入するなど、小田急バスとは異なる独自仕様の車両を導入していた。

三菱の中型路線車・中型長尺車は、三菱ふそう・エアロミディを導入しているが、こちらも大型路線車同様に年式によって細部の仕様が異なっている。高速・観光車は現在、エアロクイーン・エアロエースが在籍している。

日野の大型路線車は以前在籍していたが小田急バスと違い現在は大型路線車を導入していない。中型車両は前述のエルガJとしていすゞブランドでの車両以外導入されていない。小型車両はコミュニティバス用として広く導入している。リエッセはリフト車・非リフト車、ポンチョは全長と扉数および燃料仕様の違いがある。大型高速観光用としてはセレガが、中型観光用としてはメルファを導入している。

トヨタ自動車はコースターやハイエースが特定用や観光用に導入されている。

小田急電鉄の傘下入り以降、初期のノンステップバスなどを除き、小田急バスとほぼ同一のカラーになっている。高速バスにはリラックマ仕様や復刻塗装を除き小田急カラーが用いられる。なお、小田急グループであることから車両は小田急グループマテリアルズを介して購入され、小田急グループ各社で仕様の統一を図ることによるコスト削減を図っている。

過去の車両

いすゞの中型長尺車の中には日野・レインボーのOEM供給車・いすゞ・エルガJが8台在籍していたが、2015年3月までに全車が引退した[注釈 3]

観光車は過去には川重車体架装の大型車が導入されていたほか、近年まで7m車のガーラを所有していた。

社番

一般路線車の社番は、営業所記号(アルファベット1〜2文字)と、1〜3桁の固有番号で表記される[7]

J 780
営業所 固有番号
  • 営業所
  • 固有番号(百の位)
    • なし:小型車(メーカー不問、1〜2桁)
    • 1:日野中型・大型(在籍なし)
    • 2:三菱ふそう中型・中型長尺(固有番号251〜)
    • 3:いすゞ中型
    • 4:いすゞ中型長尺(2015年3月に全廃)
    • 5:日産ディーゼル大型(2004年に全廃)
    • 6・7:いすゞ大型
    • 8・9:三菱ふそう大型(日産ディーゼルからのOEMを含む)

上記の付番法則により、J780は上水営業所所属のいすゞ大型車ということになる。

なお、600・800番は欠番となる。このため、M999の次はM801となり、M800は存在しない。

コミュニティバス用などの小型路線車は、メーカーにかかわらず1〜2桁の固有番号となる。

貸切車・高速路線車・特定輸送車は、営業所記号は付与されず、4桁の固有番号のみとなる。(1000・1200番台:特定輸送車、1100番台:貸切車、2000番台:高速路線車)

廃車車両の譲渡

立川バスで役目を終えた車両は海外や全国の地方事業者に譲渡されている。2000年代に入り首都圏が排出ガス規制強化地域に指定され、車両の使用可能期間が短くなったことなどから、近年では国内地方の事業者に退役車両を多数供給するようになった。

主な譲渡先は、くしろバス北海道中央バス岩手県交通宮城交通茨城交通関東自動車北鉄奥能登バス広島バス佐世保市交通局いわさきグループなどである。

エルガJについては熊本電気鉄道熊本都市バス道南バスに譲渡された。

リラックマとのタイアップ

2007年8月から拝島営業所の大山団地線においてサンエックスのキャラクター、リラックマをあしらったラッピングバス「リラックマバス(1号車)」が運行された。外装のみならず、乗客用シートにもリラックマが描かれ、前面の行先表示にもリラックマやキイロイトリが表示されるようになっている[8]。なお、この「リラックマバス(1号車)」は同年11月から上水営業所に移籍し、現在は国立地区(上水営業所所轄)においての運行となっている[8]

また、2009年11月より水色の「リラックマバス2号車」がデビューし、若葉町団地線(同じく上水営業所所轄)にて運行を開始した[9]

現在、この「リラックマバス」は5台存在し、ボディカラーは1号車がイエロー(拝島営業所所属のいすゞ・エルガ)、2号車がスカイブルー(上水営業所所属のいすゞ・エルガ)、3号車がピンク(瑞穂営業所所属の三菱ふそう・エアロスター)、4号車がグリーン(上水営業所所属のいすゞ・エルガミオ)、5号車が水色(立川地区~羽田空港間のリムジンバス)となっており、立川バスの運行エリア全域で運行している[10]

なお1号車は2013年3月で代替わりとなり、新旧の1号車同士が2013年3月9日開催の「立川バスファン感謝祭」で並んだ。また3号車は上水営業所から瑞穂営業所への転属により、リラックマにちなみナンバープレートが「5656(ゴロゴロ)」となっている。[注釈 4]5号車も同じく、ナンバープレートが「5656(ゴロゴロ)」となっている[注釈 5]

また、2015年3月から同じサンエックスのキャラクターすみっコぐらしをあしらったすみっコぐらしバスを登場させた。2016年4月に瑞穂営業所のM810が新3号車として、青を基調としたスペーシーなデザインとカラーで登場し運行されている。

注釈

  1. 当時は武蔵五日市駅 - 武蔵岩井駅もあった。
  2. ただし、国立営業所所属車は純正車体のIKコーチを架装していた。
  3. 首都圏では、このほか京成バス市川営業所にも在籍している。
  4. 所属変更の際にナンバープレート管轄エリアが多摩から八王子に変更されたことによるもの。
  5. 5号車は2016年に用途変更で立川飯田線の高速バスに転用されて貸切車の復刻塗装に変更されたため、リラックマバスではなくなっている。

出典

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 会社情報 立川バス公式サイト
  2. 2.0 2.1 2.2 バスラマ・インターナショナル 125 バス事業者訪問 No.145 立川バス』 ぽると出版、1982年。ISBN 978-4-89980-125-2。
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 3.7 3.8 (現存する最古の営業所)バスジャパンハンドブックシリーズ R65 小田急バス 立川バス』 BJエディターズ、1998年。ISBN 978-4-434-11565-3。
  4. 4.0 4.1 4.2 4.3 バスジャパンニューハンドブックシリーズ S98 小田急バス 立川バス』 BJエディターズ、2012年。ISBN 978-4-434-24614-2。
  5. 5.0 5.1 5.2 5.3 立川バス 会社情報 2018年7月1日以前の営業所一覧・関連会社。2018年6月20日閲覧。archive.isウェブアーカイブ
  6. バスジャパンニューハンドブックシリーズ 31 小田急バス 立川バス』 BJエディターズ、1991年。ISBN 4-7952-7796-6。
  7. 『BJハンドブックシリーズ R65 小田急バス・立川バス』 BJエディターズ/星雲社、2008年、p.33。ISBN 978-4-434-11565-3。
  8. 8.0 8.1 立川バス株式会社 (2008年11月16日). “リラックマバスNEWS”. . 2009閲覧.
  9. 立川バス株式会社 (2009年11月18日). “リラックマバスNEWS”. . 2009閲覧.
  10. 「立川バス、リラックマバスを4台に増車。路線全域で運行へ」、『バスラマ・インターナショナル』第133号、ぽると出版、2012年9月、 p.9。

参考文献

  • バスジャパンニューハンドブックシリーズ 31 小田急バス 立川バス』 BJエディターズ/星雲社、1991年。ISBN 4-7952-7796-6。
  • 『バスジャパンハンドブックシリーズ R65 小田急バス 立川バス』 BJエディターズ/星雲社、1998年。ISBN 978-4-434-11565-3。
  • バスラマ・インターナショナル 125 バス事業者訪問 No.145 立川バス』 ぽると出版、1982年。ISBN 978-4-89980-125-2。
  • 『バスジャパンニューハンドブックシリーズ S98 小田急バス 立川バス』 BJエディターズ/星雲社、2012年。ISBN 978-4-434-24614-2。

関連項目

外部リンク

テンプレート:バス共通カード

テンプレート:小田急グループ