筑前国

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筑前国(ちくぜんのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。

沿革

筑紫つくしのくに)の分割によって、筑後国とともに7世紀末までに成立した。7世紀後半のものと見られる太宰府市で出土した最古の「戸籍」木簡に「竺志前國」とある。

近世以降の沿革

国内の施設

筑前国内に設けられた天皇の宮は次の通り。

大宰府

筑前国には大宰府が置かれ、西海道諸国の統括と対外交渉が行われた。政庁跡は太宰府市に所在(国の特別史跡、位置)。発掘調査により、7世紀後半から11世紀後半にわたる遺構が検出されている。

国府

国府御笠郡にあった。現在の太宰府市、大宰府に近い所に置かれたと推定されるが、遺構は見つかっていない。

易林本の『節用集』には、「上座郡に国府並びに大宰」と記載されている。

国分寺・国分尼寺

  • 筑前国分寺跡 (太宰府市国分、位置
    国の史跡。推定寺域は寺域は約192メートル四方。中門・金堂・講堂を配し、中門から出て金堂に取り付く回廊の内部に七重塔を配する伽藍配置。跡地上の龍頭光山国分寺が法燈を伝承する。
  • 筑前国分尼寺跡 (太宰府市国分、位置
    史跡指定なし。僧寺の西方約100メートルに所在。発掘調査で掘立柱建物・東外郭線が認められたほか、礎石数個が残る。

国分寺・国分尼寺の周辺では、瓦窯の遺構も見つかっている(国分瓦窯跡、国の史跡)。

神社

延喜式内社

延喜式神名帳』には、大社16座8社・小社3座3社の計19座10社が記載されている(「筑前国の式内社一覧」参照)。大社8社は以下に示すもので、全て名神大社である。

総社一宮

『中世諸国一宮制の基礎的研究』に基づく一宮以下の一覧[1]

中世末期以降は筥崎宮(福岡市東区箱崎)を一宮とする史料も見られ、現在は筥崎宮も全国一の宮会に加盟する。二宮以下は不詳。

安国寺利生塔

  • 景福安国寺 - 福岡県嘉麻市下山田。

地域

15郡

江戸時代の藩

人物

国司

筑前守

守護

鎌倉幕府

室町幕府

戦国時代

戦国大名

  • 少弐氏:平安以来の名門だが、戦国時代には周防の大内氏の侵攻を受け、肥前に後退する。1559年、家臣であった龍造寺氏に攻められ滅亡。
  • 大内氏:周防を本拠とし、豊前も領国としていたが、応仁の乱後に筑前にも進出、豊後の大友氏と戦いを繰り広げた。
  • 大友氏:豊後を本拠とするが、大内氏滅亡後、筑前国内の大内領を自領に組み入れ、1559年には筑前守護となった。龍造寺、島津に敗北後、衰退に向かい筑前への影響力も失った。
  • 秋月氏:少弐氏、大内氏、大友氏と主家を変えたが、戦国末期には島津氏と結んで大友氏に対抗し、筑前・筑後・豊前に推定36万石の所領を得た。豊臣秀吉の九州征伐に敗北、日向国高鍋に移封された。
  • 宗像氏:宗像大社大宮司。有力な水軍を有していた。秀吉の九州征伐直前に滅亡。

豊臣政権の大名

武家官位としての筑前守

江戸時代以前

江戸時代

筑前国の合戦

脚注

  1. 『中世諸国一宮制の基礎的研究』 中世諸国一宮制研究会編、岩田書院、2000年、pp. 576-578。

参考文献

外部リンク

関連項目