糸満市

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糸満市(いとまんし、沖縄方言:イチュマン[1])は、沖縄本島の最南端に位置するである。

概要

沿岸部の糸満地区住民は、「サバニ」と呼ばれるくり舟に乗り南洋各地へ出漁した糸満漁民で知られ、は追込漁、は漁行商に従事していた。漁業以外にも、内陸部では畑作を中心とした農業畜産も盛んである。また那覇市に近く、近年は人口が増加し、都市化が著しい。戦後出漁海域が沖縄周辺に限られたが、1982年には大型船用の糸満漁港が完成、水産加工工場を立地するなど工業の一中心として発達している。

伝統工芸に、琉球ガラス村に代表されるガラス工芸琉球ガラス)や漆器がある。旧暦5月4日糸満ハーレー(市内では糸満の他に喜屋武、名城地区でも行われる。他市町村はハーリーという)船競漕の海神祭、旧暦8月15日の大綱引きは五穀豊穣・無病息災を願う行事である。

市の南部の旧三和村一帯は沖縄戦最大の激戦地で、ひめゆりの塔健児の塔などが建立し、その周辺は沖縄戦跡国定公園に指定されている。

「糸満」の地名の由来について人類学者の金関丈夫フィリピンからインドネシアにかけて見られる地名の命名規則(接頭語に「イ」「ディ」あるいは「ヅィ」をつけ語尾に「アン」をつける)からオーストロネシア語族の言語に由来するのではないかという説を唱えている[2]。また、琉球王国時代に8人のイギリス人が漂着したことから英語の「eight man(エイトマン)」がなまったものだとする説が、もしくはエジプト遠征中のナポレオン・ボナパルトが糸満漁師を発見して、彼らを「East Man」と呼んだことから、それがなまって糸満へと変わったという説もあるが[3]、事実かどうかは不明である。

地理

島尻層群を基盤岩とし、その上を琉球石灰岩が覆うという地形構造になっており、この島尻層群と琉球石灰岩からなる地域には、断層が縦横に走り、地集の境界あるいは急崖を形成する要因となっている。また、北西部の沿岸域の中心市街地と埋立地一帯は細かい粘土などの沖積層からなっている。

土壌は地質構造の影響を受けており、島尻層群からなる地域には保水性のある肥よくな灰色のジャーガルが分布し、琉球石灰岩からなる地域には保水性に乏しい赤色の島尻マージが分布している。

島尻層群がみられる北部は、緩斜面と急斜面が織り成す比較的変化のある丘陵地形となっており、東部には標高168mの与座岳がある。それに対し、琉球石灰岩で覆われている中央部から南部は、石灰岩台地の平坦面が断層によって切断された傾動地塊となっており、瓦屋根を重ねたような南に緩やかな斜面、北に断層崖を持つ台地群からなる地形。そして、摩文仁の丘からは崖下にサンゴ礁が広がり、すばらしい眺めを堪能することができる。また、北西部の沖積層からなる埋立地と市街地は、平坦な低地を形成している。

から西へ全長約10キロメートルの報得川が市を横切って流れている。

また、市の東シナ海と面する地域付近には、西崎運動公園がある。

地域

もともと13による合併で現在の市域となったため、4つの地域(糸満・兼城・高嶺・三和)に分かれるが、市制施行後の埋め立てで西崎や潮崎の新たな地域が誕生したため、これら埋立地域を糸満地域に入れる場合もある。また合併前の旧糸満町(糸満地域)がもともと兼城村から分離したため、地理的に近い西崎も加え兼城と糸満を1つの地域にすることもある。さらに、三和地域は戦後に真壁・摩文仁・喜屋武の3村の合併にできたため、場合によっては戦前の旧村単位に分けることもある。

住居表示2000年以前に市制施行した沖縄本島内の市ではうるま市の旧具志川市同様(旧石川市では半分近く実施されている。なお2000年以降に市制施行した豊見城市南城市ではすべて未実施)あまり行われていない(実施されているのは西崎の一部と西川町のみで1994年の1回のみ)。特に糸満地域は字糸満の番地が2400番台まであり、市街地であるため番地が1つ違うだけで場所が違うところもあるため、合併前の旧糸満町時代から8つの区(南・前端・新川・新島・新屋敷・上之平・西・町端)に分かれて地域活動しているものの、沖縄本島で同じ市街地形成で実施に積極的だった名護市字名護・宮里地域とは違い、全く未実施である(土地区画整理が今でも行われているため、実施する状況には至っていない)。

原則的に小・中学校の校区は市街地である糸満・西崎・潮崎地区を除き、旧村単位の地域ごとに分かれているが市街地に近い照屋や真栄里、一部の集落では地理的関係から番地によって近い学校に通学させるところもある。

糸満・西崎・潮崎地域

糸満地域

糸満(いとまん) 便宜上地域名に加えて1-8区と数字で呼ぶこともある。

  • (みなみ)区(1区)
  • 前端(まえばた)区(2区)
  • 新川(あらかわ)区(3区)
  • 新島(にいじま)区(4区)
  • 新屋敷(しんやしき)区(5区)
  • 上之平(うえのひら)区(6区)
  • 西(にし)区(7区)
  • 町端(まちばた)区(8区)
  • 西川町(にしかわちょう) 住居表示実施地区(1994年実施、実施前は糸満の西川区で合併後の埋め立てで誕生した)

西崎地域

西崎と西崎町に分かれているが、住居表示実施で「町」が取れているだけで基本的に同一地域であり、郵便番号も西崎の「901-0305」と書けば西崎町でも届く。

  • 西崎(にしざき)1丁目・2丁目・6丁目(住居表示実施地区・1994年実施)
  • 西崎町(にしざきちょう)1-5丁目(住居表示未実施。なお1丁目は糸満漁港北地区のみ、2丁目はごく一部分のみ)

潮崎地域

  • 潮崎町(しおざきちょう)1-4丁目(住居表示未実施)

兼城地域

  • 阿波根(あはごん)
  • 賀数(かかず)
  • 兼城(かねぐすく)
  • 北波平(きたなみひら) - もともとは波平だったが米須地域の波平(現・南波平)と区別するため北波平となった。
  • 座波(ざは)
  • 潮平(しおひら) - 今帰仁按司の子孫が製塩を営んでいたことに由来するといわれている
  • 武富(たけとみ)
  • 照屋(てるや) - 合併後は字糸満に隣接するため糸満地域に組み込まれることが多い(学校の通学区は大半が糸満地域内、残りは高嶺地域内)

高嶺地域

  • 大里(おおざと)
  • 国吉(くによし)
  • 豊原(とよはら)
  • 真栄里(まえざと) - かつて兼城間切に属している時もあった。現在は北側部分が実質糸満地域に組み込まれている(学校の通学区が糸満地域であるため)。
  • 与座(よざ)

三和地域

真壁地域

  • 新垣(あらかき)
  • 伊敷(いしき)
  • 糸洲(いとす)
  • 宇江城(うえぐすく)
  • 小波蔵(こはぐら)
  • 名城(なしろ)
  • 真栄平(まえひら)
  • 真壁(まかべ)

喜屋武地域

  • 喜屋武(きゃん)
  • 束里(つかざと) - もともと束辺名と上里が合併してできた集落であるため、場合によっては2つに分けることもある。
    • 束辺名(つかへな)区
    • 上里(うえざと)区
  • 福地(ふくぢ)
  • 山城(やまぐすく)

米須(旧摩文仁村)地域

  • 伊原(いはら)
  • 大度(おおど)
  • 米須(こめす)
  • 摩文仁(まぶに)
  • 南波平(みなみなみひら) - もともとは波平だったが兼城地域の波平(現・北波平)と区別するため南波平となった。

人口

糸満市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

歴史

行政

糸満市議会

(平成28年7月6日現在)

  • 議員定数:21
  • 任期:平成25年12月3日~平成29年12月2日
  • 議長:徳元敏之(無所属・市民クラブ)
  • 副議長:太田守(無所属・結びの会)
  • 会派別構成
    • トムヌイ:2人
    • 糸翔クラブ:3人
    • 新政クラブ:2人
    • 市民クラブ:2人
    • 日本共産党:2人
    • 結びの会:2人
    • 南風の会:2人
    • 公明党:2人
    • 未来会:3人
    • なし :1人

参照:議員名簿一覧 糸満市”. 糸満市. . 2016閲覧.

警察

産業

農業

  • 県農業研究センター(2006年4月に那覇市首里崎山町にあった県農業試験場が移転し名称変更)
  • うちなーファーム(旧糸満観光農園)

水産業

  • 糸満漁港
  • おさかなセンター
  • 県水産海洋技術センター

郵便

  • 潮平郵便局
  • 糸満西崎郵便局
  • 兼城郵便局
  • 高嶺郵便局
  • 三和郵便局
  • 喜屋武郵便局
  • 糸満新島郵便局
  • 米須簡易郵便局


交通

路線バス

琉球バス交通沖縄バス那覇バスが運行している。

  • 琉球バス交通 - 糸満バスターミナルを中心にした路線網を持つ。主に国道331号を通り豊見城市を経由して那覇市中心部の那覇バスターミナルと糸満市を結ぶ路線(89番・糸満(高良)線)を沖縄バスと共同運行するほか、糸満市南部の地域と市中心部を結ぶ南部支線を運行する。
  • 沖縄バス - 糸満バスターミナルを中心にした路線網を持つ。那覇市と糸満市を結ぶ複数の系統の路線を運行しており、琉球バス交通と共同運行の89番・糸満(高良)線と、自社単独運行の八重瀬町経由の路線がある。那覇新都心発着の路線や、浦添市国立劇場おきなわ発着の路線もある。また、糸満市と与那原町南城市を結ぶ路線(36番・糸満新里線)もある。
  • 那覇バス - 糸満バスターミナルとは別の場所にある自社の糸満営業所西原町を結ぶ2路線を運行する。いずれも豊見城市・那覇市中心部・那覇市首里を経由する。

上記3社の一般路線全路線が市中心部の糸満ロータリーバス停を経由する。

那覇市と糸満市を結ぶ路線(琉球バス交通・沖縄バスの終点は糸満バスターミナル、那覇バスの終点は糸満営業所)
番号 路線名 運行会社 起点 市町村 糸満市内の主な経由地
33 糸満西原(末吉)線 那覇バス 西原営業所 西原町 - 浦添市 - 那覇市 - 豊見城市 - 糸満市 賀数、照屋、糸満ロータリー
34 東風平線 沖縄バス 那覇バスターミナル 那覇市 - 南風原町 - 八重瀬町 - 糸満市 与座、照屋、糸満ロータリー
35 志多伯線 賀数、照屋、糸満ロータリー
46 糸満西原(鳥堀)線 那覇バス 西原営業所 西原町 - 那覇市 - 豊見城市 - 糸満市 小城、賀数、照屋、糸満ロータリー
89 糸満(高良)線 琉球バス交通
沖縄バス
那覇バスターミナル 那覇市 - 豊見城市 - 糸満市 阿波根、西崎(一部)、糸満ロータリー
200 糸満おもろまち線 沖縄バス おもろまち駅前広場 那覇市 - 南風原町 - 八重瀬町 - 糸満市 賀数、照屋、糸満ロータリー
235 志多伯おもろまち線 おもろまち駅前広場
334 国立劇場おきなわ線 国立劇場おきなわ 浦添市 - 那覇市 - 南風原町 - 八重瀬町 - 糸満市 与座、照屋、糸満ロータリー
南城市と糸満市を結ぶ路線(起点は糸満バスターミナル)
番号 路線名 運行会社 終点 市町村 糸満市内の主な経由地
36 糸満 - 新里線 沖縄バス 親慶原出張所 糸満市 - 八重瀬町 - 南城市 - 与那原町 - 南城市 糸満ロータリー、照屋、与座
南部支線(起点は糸満バスターミナル)
番号 路線名 運行会社 終点 市町村 糸満市内の主な経由地
81 西崎・向陽高校線 琉球バス交通 玉泉洞 糸満市 - 八重瀬町 - 南城市 糸満ロータリー、照屋、真栄平
82 玉泉洞糸満線 玉泉洞前 糸満市 - 八重瀬町 - 南城市 糸満ロータリー、ひめゆりの塔、平和祈念堂入口
85 国吉(大里)線 糸満バスターミナル 糸満市 糸満ロータリー、照屋、大里、国吉
86 国吉(真栄里)線 糸満ロータリー、国吉、大里、照屋
107 南部循環(真壁)線 糸満ロータリー、真壁、ひめゆりの塔、喜屋武
108 南部循環(喜屋武)線 糸満ロータリー、喜屋武、ひめゆりの塔、真壁

道路

ファイル:Itoman Rotary.jpg
糸満ロータリー

一般国道

主要地方道

一般県道

道の駅

インフラの整備

上水道

那覇市などの他の自治体と同じく、1987年以降、水道水は全て沖縄県企業局からの受水で賄われており、配水管以外で糸満市固有の施設としては各所に配水池(タンク)とポンプ場を持つのみである。また、市内全域への完全給水が成されたのは2008年12月となっている。

かつては水源や上水道も市内で賄っていたが、市政に移行後しばらくの間は既存の井戸や湧水、雨水もしくは簡易水道などによる供給が続いていた[5]。1967年にようやく本格的な事業化に着手、1970年より給水が開始された。集団赤痢や度重なる断水に苦労しながらも[6]、徐々に水利は充実し、2009年現在、1999年の台風による停電による障害以降、水道部の年表においては特筆すべき障害は見られない。

管轄は糸満市水道部。基本料金は家庭用としては8m3まで1,131円、それ以降は20m3までは1m3あたり226円(2009年現在)。イメージキャラクターは「メーターくん」である[7]

隣接している自治体

学校

高等学校

中学校

小学校

その他

健康

医療

沖縄県立南部病院は財政難や沖縄県立南部医療センター・こども医療センターの新設に伴い、民間に経営を移譲した。

  • 医療法人友愛会 南部病院(字真栄里870)
  • 医療法人陽和会 南山病院(字賀数406-1)
  • 医療法人以和貴会 西崎病院(字座波371-1)
  • 医療法人福和会 白銀病院(字糸満204-1-5)

福祉

名所・旧跡・観光スポット

沖縄戦関連

三山時代関連

その他

姉妹都市・友好都市

姉妹都市

友好都市

日本国外

出身有名人

脚注

  1. 語彙詳細 -- 首里・那覇方言、琉球語音声データベース、琉球大学沖縄言語研究センター、2018年2月4日閲覧。
  2. 『旅の民俗学』宮本常一著、P.82
  3. 沖縄の民話
  4. 糸満観光農園解散へ 民間運営で調整(琉球新報 2014年6月12日 [1]
  5. 湧水の参考リンク(糸満市水道部webページ)[2]、2010年9月閲覧。
  6. 1978年には実に326日間にも及ぶ制限給水があった。
  7. 『通水40周年記念誌 糸満市水道事業』2009年2月、糸満市水道部[3]、沖縄県企業局[4]

外部リンク