紡績

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ラマッラーの羊毛を紡ぐ男。1919年の写真を着色したもの
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梳毛、紡ぎ、編み物をしている動画(Roscheider Hof, Open Air Museum
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糸車を使った手作業による製糸作業
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ジェニー式紡績機

紡績(ぼうせき)は、繊維・織物産業において、原料の繊維から糸の状態にするまでの工程をいう。「紡」(紡ぐ/つむ・ぐ)は寄り合わせることを意味し、「績」(績む/う・む)は引き伸ばすことを意味する漢字で[1][2][3]、主に綿羊毛などの短繊維(最長1.5m程度のもの)の繊維を非常に長い糸にする工程をいう。紡績によって作られた綿糸などが紡績糸(スパンヤーン、ステープルヤーン)と呼ばれる。綿とポリエステルのように、複数の種類の短繊維を混ぜ合わせて紡績することを混紡という[4]

これに対し、長繊維のから繰り出し、ばらばらにならないよう数本まとめて撚る工程は製糸と呼ばれる。同様の長繊維でもナイロンなど合成繊維から糸をつくることは紡糸という。こうしてできた糸はフィラメントヤーンと呼ばれる。

スパンヤーンとフィラメントヤーンのどちらが織物に向いているかは、見た目と肌触りによる。肌触りでは、紡績で作ったスパンヤーンは短繊維を撚り合わせているので繊維の端(毛羽)があちこちにあるため、肌への接触部分は点状になりやわらかい。一方、絹糸など繊維側面全体が肌に当たるフィラメントヤーンは、見た目はよいが肌触りは冷たくて硬いことになる。ただし撚りが多いスパンヤーンは、硬くなり光沢もなくなっているため、手触りも痛く見た目も劣ることになる。これらをどう織るかで、さらに見た目や肌触りは変化する。

歴史

手紡ぎ

紡績の起源は不明だが、考古学によれば約2万年前の旧石器時代のものとされる糸の切れ端と思われるものが見つかっている[5]。紡績の最も原始的な形態は、動物の毛のふさや植物の繊維を手で自分の体に巻きつけ、紡績糸が十分な長さになるまで原料を追加していくというものだった。その後、石に糸を先を結んでそれを振り回して十分よりをかけ、それからその石に縒糸を巻きつけるという作業を繰り返すようになった。

次に登場した手法は紡錘(つむ)と呼ばれる8インチから12インチの真っ直ぐな棒を使うもので、縒った糸を巻き取るのに使われた。当初、棒の先に割れ目があって、そこに糸の先端を固定していた。その後、骨製のフックが紡錘の先端に追加されるようになった。羊毛や植物の繊維の束を左手に持って右手で繊維を引き出し、その先端を紡錘の先端に固定する。腿の上や身体のどこかを使って紡錘に回転運動を与える。そして紡錘を落とすと、糸が縒られ、それを紡錘上部に巻きつけていく。このような作業を繰り返して糸を紡いでいく[6]

羊毛やアマなどの繊維を巻きつけておく糸巻き棒 (distaff) が使われるようになった。これは原料となる繊維の束を巻きつけておく棒である。その一端を腕に挟んだり、ベルトに挟むなどして、片手を自由にして繊維を引き出せるようにした[6]

糸を多く巻きつけた紡錘ほど回転が安定して持続する。そこで紡錘の下端に重りを付けるという改良がなされた(「紡錘」の「錘」は重りである)。重りには木材岩石粘土金属などを円盤状にしたものが使われ、その中心の穴に紡錘の棒を差し込んで使った。これによって紡錘の回転が安定して持続するようになった。重り付きの紡錘は新石器時代に登場した[6][7]

糸車

10世紀ごろまでに糸車が考案され、12世紀にはヨーロッパ、中東、インド、中国で使われていた。糸車によって紡績の手間が軽減され、さらに紡績機の発明へと繋がっていった。

紡績機

イギリスにおける綿織物の人気と自動織機の発達は綿糸の需要を大きくし、綿糸の生産性をあげる発明が相次いだ。紡績はイギリスの産業革命を飛躍させた重要な分野であった。紡績機は当初水力蒸気機関を動力源としていたが、現在では電気を使っている。紡績機の登場によって糸の生産量は格段に増加した。

1764年ごろ、ジェームズ・ハーグリーブスが複数の糸を紡ぐジェニー紡績機を発明し、1人の工員が多数の糸車を一度に操作できるようになり、紡績の生産性は劇的に向上した。そして1769年、リチャード・アークライトらがジェニー紡績機よりも強い糸を作れる精紡機を開発した。この機械は手で駆動するには大きすぎたため、水車を動力源としたことから水紡機English版(水力紡績機)と呼ばれた。

1779年、サミュエル・クロンプトンは、ジェニー紡績機と水力紡績機を組合せ、ミュール精紡機を開発した。この機械は強い糸が作れ、しかも大量生産に向いていた。1828年(または1829年)にはリング精紡機English版が登場している。

1867年(慶応3年)5月に薩摩藩によって日本初の紡績工場として鹿児島紡績所が設立された。

1872年(明治5年)11月4日、日本で初の官営模範工場として富岡製糸場が設立された。

20世紀に入ると、ローター紡績またはオープンエンド紡績English版Courtaulds1967年)と呼ばれる新たな技法などが生まれ、1秒間に40メートル以上の糸が生産できるようになった。

脚注・出典

  1. う・む【▽績む】
  2. 績む、ってなあに?
  3. 引く・繰る・紡ぐ・績む
  4. 化学繊維の用語集 | よくわかる化学せんい | 日本化学繊維協会(化繊協会)”. 日本化学繊維協会(化繊協会)/Japan Chemical Fibers Association(JCFA). . 2017閲覧.
  5. Barber, Women's Work, 42-45.
  6. 6.0 6.1 6.2 Watson, Textiles and Clothing, p. 3-14
  7. Barber, Women's Work, 37.

参考文献

  • 藤井守一 『染織の文化史』 (第4版) 理工学社1990年ISBN 4-8445-6302-5 
  • Barber, Elizabeth Wayland (1995). Women's Work: The First 20,000 Years: Women, Cloth, and Society in Early Times, W. W. Norton & Company, new edition, 1995.
  • Watson, Kate Heinz (1907). Textiles and Clothing, Chicago: American School of Home Economics (online at Textiles and Clothing by Kate Heintz Watson).

関連項目