若森県

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若森県(わかもりけん)は、1869年明治2年)に常陸国下総国内の幕府領旗本領を管轄するために明治政府によって設置された。管轄地域は現在の茨城県に広く分布している。本項では前身の常陸知県事(ひたちちけんじ)についても記す。

概要

現茨城県域には水戸藩を筆頭に14藩と県域外諸大名飛地、幕府領・旗本領などが錯綜していた。1868年慶応4年)、幕府の解体により幕府領・旗本領は新政府の直轄地とされ、粥川満明(三上藩士)が常陸県知事に、佐々府貞之丞(熊本藩士)が下総知県事に任命され、常総の民政を担当した。翌1869年(明治2年)に常陸知県事の管轄地が若森県、下総知県事の管轄地が葛飾県になった。

1871年(明治4年)、廃藩置県後の第1次府県統合に伴い常陸国、下総国内の11県が新治県に統合されたことにより廃止された。なお、若森県権知事であった池田種徳は新治県権令を引き続き務めている。

沿革

管轄地域

なお相給が存在するため、村数の合計は一致しない。常陸国新治郡・筑波郡・鹿島郡は新治県、常陸国真壁郡・茨城郡・多賀郡は茨城県、下総国は印旛県に編入された。

歴代知事

常陸知県事

  • 1868年(慶応4年)6月27日 - 1868年(明治元年)12月14日 : 知県事・粥川光明(元三上藩士)
  • 1868年(明治元年)12月14日 - 1869年(明治2年)2月9日 : 知県事・池田種徳(前権弁事、元広島藩士)

若森県

  • 1869年(明治2年)2月9日 - 1871年(明治4年)11月12日 : 権知事・池田種徳(前常陸知県事)

関連項目

先代:
常陸国下総国内の幕府領旗本領
行政区の変遷
1869年 - 1871年
次代:
新治県(新治・筑波・鹿島郡)
茨城県(真壁・茨城・多賀郡)
印旛県(豊田・岡田・結城郡)