蘂取村

提供: miniwiki
移動先:案内検索
しべとろむら
蘂取村
領土問題あり
ロシアの旗 ロシア 領有権主張、実効支配
日本の旗 日本 領有権主張
地方 北海道地方
都道府県 北海道 根室振興局
蘂取郡
団体コード 01700-1
面積 760.50km2[1]
(境界未定部分あり)
総人口 881[2]
(昭和15年国勢調査)
人口密度 1.2人/km2
隣接自治体 紗那村
蘂取村役場
所在地 北海道蘂取郡蘂取村大字蘂取村字蘂取21
300px
地図中の 11 が蘂取村
特記事項 ロシア連邦が占領・実効支配中
 表示ノート[ 編集][ 履歴] ウィキプロジェクト

蘂取村(しべとろむら)は、北海道根室振興局蘂取郡に属する。同じく北方領土に存在する留別村、紗那村、留夜別村に次いで日本で4番目に大きな面積を持つ村であり、日本最北端の村でもある。ただし、2017年現在蘂取村を含む北方領土に日本の施政権は及んでおらず、法律上のみ存在する村となっている。

村名の由来は、アイヌ語のシ・ペッ・オロ(大きい川のところ)から。

当該地域の領有権に関する詳細は千島列島及び北方領土問題の項目を、現状に関しては現在の択捉島の項目を参照のこと。

地理

択捉島東部にあり、択捉海峡に面している。 地勢は留茶留原野(地峡)以東の高地(島に4ヶ所ある高地の東端)にあたり、地形は概ね険阻で活火山である茂世路岳および神威岳、ラッキベツ岳などが幾重にも連なり[3]、標高は1200m程度だが、広い山麓にカモイワッカ岬(日本最北端)、ラッキベツ岬(島の東端)、さらに日本最大(最高落差140m以上)のラッキベツの滝を擁している[4]

中心集落の蘂取は、郡内最大の蘂取川河口に位置し、島内第3の集落として賑わいを見せ[5]、その他の集落も北西岸のオホーツク海側に集中していた。

  • 山:神威嶽(1,322m)、ラッキベツ岳(1,206m)、茂世路岳(1,124m、活火山)、乙今牛山(769.6m)、蘂取岳(852.8m)、硫黄嶽、ポロス山
  • 河川:蘂取川(5km)
  • 湖沼:蘂取沼(2.71km²)、トウロ沼

村内の地名

大字 蘂取村
  • 蘂取
  • ニケウル
  • ドロメナ
  • マクヨマイ
  • カモイワッカ岬
  • 茂世路
  • シャルシャム
  • ビライト
  • ビンネベツ
  • シレト
大字 乙今牛村
  • ポロス(幌須)
  • トウロ
  • 乙今牛
  • 曽木谷(ショッチキヤ)
  • 茂世路
  • トシルリ(年瑠璃)

隣接している自治体

歴史

蘂取郡成立以前の歴史については、択捉島の歴史を参照

沿革

  • 1869年明治2年)8月15日 北海道11国が置かれ、千島国蘂取郡蘂取村が成立
  • 1883年(明治16年) 茂世路岳が噴火[6]
  • 1884年(明治17年) 蘂取村外一村戸長役場を蘂取村に設置
  • 1886年(明治19年) 紗那警察署蘂取分署設置
  • 1892年(明治25年) 硫黄岳で硫黄の採掘を開始
  • 1920年大正9年) 4月1日 根室蘂取線の建設が認定され、幹線道路の整備がはじまる
  • 1923年(大正12年) 4月1日 郡内の乙今牛村と合併、二級町村制施行
  • 1945年昭和20年) 9月下旬 蘂取村にソ連軍侵攻
  • 1946年(昭和21年) 2月1日 ソビエト連邦政府が領有を宣言
  • 1948年(昭和23年) 10月 住民が樺太へ強制送還される[7]
  • 1990年(平成2年)8月29日~9月2日 元居住者が、蘂取共同墓地に墓参[8]
  • 2016年(平成28年) 8月7日 元居住者らが墓参。蘂取とシヤスリ両共同墓地への立ち入りが断られたため、蘂取に上陸後、海岸にて両共同墓地の合同慰霊式が行われた[9]

行政

  • 村長:岩田末吉(xxxxから終戦時)
  • 現在、蘂取村に関する戸籍事務は根室市役所が代行している。なお、戦前の戸籍簿・除籍簿の一部は釧路地方法務局根室支局に保管され、根室支局が証明書の請求窓口となっている。

経済

産業

公共機関

  • 紗那警察署蘂取巡査部長派出所
  • 蘂取登記所
    • 現在休止中。業務は、釧路地方法務局根室支局にて暫定取扱。[10]
  • 紗那営林区署蘂取駐在所
  • 蘂取郵便局(三等)
  • 蘂取公会堂
  • 北海道鮭鱒孵化場蘂取支場
  • トウロ孵化場

地域

人口

  • 総人口:349人
    • 男性: ---人
    • 女性: ---人
  • 世帯数:89世帯

1945年(昭和20年)8月15日現在)[11]

1920年(大正9年) 885人 男747人、女138人 世帯数85
1925年(大正14年) 1,231人
1930年(昭和5年) 1,513人
1935年(昭和10年) 1,482人 男1,272人、女210人 定住人口354人
1940年(昭和15年) 881人 男662人、女219人 世帯数120

総務省統計局 / 国勢調査

健康

  • 蘂取病院

教育

  • 蘂取国民学校(1896年蘂取村立蘂取尋常小学校として開校)

交通

道路

準地方費道
準地方費道85号線根室蘂取線(北海道の地方費道一覧)
  • 蘂取-茂世路線
官設駅逓
蘂取駅
幌須(ポロス)駅
曽木谷(ソキヤ)駅
茂世路(モヨロ)駅
年瑠璃(トシルリ)駅

船舶

  • 蘂取港
  • 茂世路港

その他

墓地

  • 蘂取共同墓地
  • トルシリ墓地

寺社

  • 蘂取神社
  • 可水山瑞泉寺

ロシア人の村

ソ連占領後の蘂取は、ロシア名スラヴノエ(Славное)集落となった。 のち、島内の大部分が自然保護区に指定され、蘂取村も地元のロシア人さえも立ち入りを制限された地域となった。 紗那村からの道路も廃道状態で、ヘリコプター以外で行く事は困難な、寂しい廃村となっている。 2003年にはサケマス孵化場の事務所建家が残っていた[12]が、その後倒壊または取り壊された。

脚注

  1. 平成21年面積 全国都道府県市区町村別面積調 国土地理院
  2. 世帯および男女別人口(全人口)-全国,道府県,郡,市区町村 昭和15年国勢調査 政府統計の総合窓口
  3. 千島列島 擇捉島(1)外邦図デジタルアーカイブ 東北大学付属図書館
  4. 大泰司紀之, 本間浩昭 『知床・北方四島 カラー版 流氷が育む自然遺産』 岩波書店、2008年。ISBN 978-4-00-431135-5。
  5. 蘂取(しべとろ)・ニケウル・ドロメナ 北方四島居住地図 千島歯舞諸島居住者連盟
  6. 茂世路岳北方領土の活火山 気象庁
  7. ソ連軍の侵入(鈴木 咲子)元島民が語る「北方領土」 北方領土問題対策協会
  8. 北方四島への墓参 北方領土問題対策協会
  9. 産経新聞 (2008年8月9日). “北方領土・択捉島墓参 故郷への思い 今も深く”. サンケイニュース. . 2016閲覧.
  10. 北方領土関係の事務について 釧路地方法務局
  11. 北方領土の人口 独立行政法人北方領土問題対策協会
  12. 北方領土の日本家屋北方領土返還要求運動神奈川県民会議

参考資料

外部リンク

テンプレート:根室支庁の自治体 テンプレート:北方領土における日本側の行政区分