西郷札 (松本清張)

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西郷札』(さいごうさつ)は、松本清張短編小説1951年3月『週刊朝日別冊・春季増刊号』に掲載され(掲載時の挿絵は岩田専太郎)、1955年11月に短編集『西郷札』の表題作として、東京高山書院から刊行された。

本作品は『週刊朝日』「百万人の小説」に入選し、第25回直木賞候補作となった。松本清張の処女作と位置づけられている。

佐藤慶による朗読CDが、2003年新潮社より発売された。

あらすじ

わたしの勤める新聞社が企画した展覧会への出品資料として、宮崎支局から西郷札とその「覚書」が送られてきた。興味を抱いたわたしは覚書を筆写した。内容は以下のように始まる。

日向国佐土原生まれの士族・樋村雄吾の家は、明治廃藩置県を受けて世禄を失った。父は後妻とその連れ子・季乃を迎える。季乃は雄吾を兄さまと言って慕ったが、雄吾は素直に感情を出せず、何となく拗ねた態度に出ていた。雄吾は西南戦争に参加したが、その間に父は死去、家は戦火で焼かれ、継母と季乃は行方知れずとなっていた。雄吾は悄然と故郷を去り、東京へ向かう。無為のうちに過ごす雄吾だったが、やがて俥(くるま)を曳く車夫として収入を得るようになる。ある夜、エリート官吏・塚村圭太郎を深川清住まで送った雄吾は、屋敷の近くで季乃の顔を発見し、動揺する…。

エピソード

  • 『週刊朝日』が「百万人の小説」募集を発表した際、著者は応募する気持ちはなかったと述べている。しかし、冨山房の百科事典を広げた時、「さいごうさつ」の項目の解説が目に入り、それがヒントになって原稿を書いてみる気持ちになった、という。それからは(当時勤務していた朝日新聞西部本社の)仕事の合間に資料室に行き、『明治編年史』などを立ち読みしていた。当時著者は、住居から新聞社まで田川線(現:平成筑豊鉄道田川線)の鉄道線路上を歩いて通っていたが、行きも帰りも筋立ての思案に耽り、背後から来る汽車の汽笛も耳に入らなかったと回想している[1]
  • 原稿の清書は締切日に間に合わなかった。この時著者は、原稿を入れた風呂敷包みが盗まれたということにして、詫び状を『週刊朝日』に送っている。これに対して、「とんだ災難でお気の毒でした」「なるべく早くお送り下さい」と書かれた、『週刊朝日』側の返信が残されている[2]
  • 本作が直木賞候補作となったのを受け、著者は尊敬する推理作家・木々高太郎など3人に掲載誌を送ったが、このうち木々からは「大そう立派なものです。本格もの矢つぎ早に書くことをおすすめいたします」との激励を受け、著者はまず、木々の編集していた雑誌『三田文学』に、短編小説(「或る「小倉日記」伝」を含む)を投稿することとなった[3]

テレビドラマ

1964年版

1964年8月27日NHKのオムニバス歴史ドラマ「風雪」(21:40-22:30)の第21話として放映。

キャスト
スタッフ

1991年版

松本清張作家活動40周年記念ドラマスペシャル・西郷札」。1991年4月8日TBS系列の「月曜ドラマスペシャル」枠(21:00-23:24)にて放映。視聴率18.2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。主演の緒形と仙道は、本ドラマでの共演を契機として結婚に至った。

キャスト
スタッフ
TBS系列 月曜ドラマスペシャル
前番組 番組名 次番組
山岳救助犬ララ2
(1991.4.1)
松本清張作家活動40周年記念
西郷札
(1991.4.8)
イラク人質の妻たち
(脚本:重森孝子
(1991.4.15)


脚注・出典

  1. 著者によるエッセイ「『西郷札』のころ」(『週刊朝日』1971年4月5日増刊号掲載)参照。
  2. 「新潮日本文学アルバム 松本清張」(1994年、新潮社)21頁参照。
  3. 「『西郷札』のころ」参照。

外部リンク