誕生日

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誕生日(たんじょうび)

 誕生を記念する日。日本では古くは、毎年の誕生日を祝う風はなく、明治以後徐々に行われるようになった。古来日本では、年齢を数え年で数え、1年の初めに全家族が年重ねの祝いをするため、各個人の誕生日を祝う慣習は生じなかった。しかし子供の初誕生日を祝うことは昔から全国に広く行われていた。近世におけるその例を、屋代弘賢(やしろひろかた)や石原正明(まさあき)の計画した『諸国風俗問状答(といじょうこたえ)』にみられるものを記すと次のごとくである。越後(えちご)国長岡領(新潟県)では年々の誕生祝いはせず、数え年2歳の初誕生日に親戚(しんせき)、医師、取上げ婆(ばば)などを招き、餅(もち)を搗(つ)き強飯(こわめし)などをつくる。田舎(いなか)では小児の手を引いて歩ませ、後ろから箕(み)であおぎ鏡餅で腰のあたりを打つまねをする。これを力餅といって、こうすると子供がじょうぶに育つという。丹後(たんご)国峰山領(京都府)でも年々の誕生祝いはしない。数え年2歳の初誕生日には在方(ざいかた)では心祝いとして赤飯をつくり親戚などへ配るとある。備後(びんご)国浦崎村(広島県)では初誕生日には男児には餅を搗き、女児なら赤飯をつくり神々に供え、医師、出産の手伝いをした姥(うば)や親戚に贈った。淡路国(兵庫県)では場所によって初誕生日に座敷の床(ゆか)に箕か盆を置き鏡餅をのせ、その上を小児にまたがせる風がある。年々の誕生日を祝うことはあまりない。備後国今津村(広島県)では初誕生日の祝いには医師、取上げ婆、親類を招き、赤飯、餅をつくり関係筋へ贈った。その後は心祝い程度にし、氏神に参ったりした。

 現代の誕生日の習俗は以上ととくに変わったこともないが、ただ毎年家々で祝いをし、ごく親しい親子兄弟、友人を招いたり贈り物をしたりしている。ただ生児の初誕生日にはやはり特殊な風習がある。初誕生日をムカイドキ、ムカワリと称する土地がある。この時期は子供が歩き始めるときなので、全国を通じて餅踏みなどという行事が行われている。九州では鹿児島県をはじめ各地で大きな鏡餅をつくり、その上に立たせる。信州(長野県)の各郡では餅を搗き子供に背負わせて箕の中に立たせる。そして「しいな(粃)が舞って実(み)が残れ」と唱える。また一升餅を子供に背負わせて歩かせ、それにブッタオシ餅と称して子供にぶっつけて転ばす例が関東各県にある。誕生日前に歩きだす子は親を見捨てるなどといって、早く歩きだすのを嫌う風があったためである。誕生餅は産見舞いをもらった家に配った。そのお返しには履き物や豆類を贈った。まめに歩けるようにとの意味であった。初誕生日の祝いで全国に広く行われている習俗に「エラビドリ」がある。子供の前に筆、物差し、そろばんなどを置いてそれを子供にとらせる。その最初に手をつけたもの、たとえば筆をとれば将来字が上手になる、物差しをとれば裁縫がうまくなるなど、子供の将来を占う風習である。

脚注



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