越生町

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越生町(おごせまち)は、埼玉県のほぼ中央にある人口約1万1千人の。関東三大梅林の1つである越生梅林を有する。

地理

歴史

  • 1889年4月1日 - 入間郡越生、上野、如意、黒岩、西和田、大谷、鹿下、成瀬村、比企郡古池村の9か村が合併、入間郡越生町が成立。
  • 1955年2月11日 - 梅園村を編入。

町名の由来

「越生」を「おごせ」と読む難読地名であるが、その由来は諸説あるものの、この地が関東平野の西端で秩父山地に接しているために秩父地方との往来は尾根を越していかねばならず、その「尾根越し(おねごし)」が「尾越し(おごし)」となり、それがやがて「おごせ」と変化したと言われている[1]。また、柳田國男も次のように述べている。

埼玉縣入間郡越生(オゴセ)町、群馬縣利根郡赤城根村生越(オゴセ)などの例は、寧ろ峯越ヲゴシの意味ではあるまいか。(中略)地勢も峰越の方がふさはしいやうに思はれる。 — 柳田國男、『山の神とヲコゼ』寧楽書院、1936、pp.102-103.

人口

越生町(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

行政

町長

  • 新井雄啓(2013年2月25日 - )

歴代町長

広域行政

一部事務組合
協議会

経済

産業

農業

江戸時代から越生梅林に表されるように、果樹生産・加工業が盛んである[2]

  • - 栽培面積40ヘクタール、年間収穫量約225トンで、県内随一の産地となっている。
  • ゆず - 栽培面積25ヘクタール、年間生産量約100トンで、収穫量、出荷量はともに関東一の産地となっている。
工業
  • 越生うちわ(伝統工芸) - 明治時代末には240万本の製造数があった大産業であったが、現在は1件を残すのみとなっている。一般的な丸い団扇ではなく、四角い形をしており頑丈であるため、強い風が起こせるという特徴がある。
  • 建具 - 周辺地域と同じく、かつては建具産業が盛んだった。
その他

八高線の西側は外秩父山地、東側はなだらかな比企南丘陵で立地を利用した霊園が開発されている。


金融機関

地域

教育

小学校
中学校
高等学校
専修学校

町の施設

  • やまぶき公民館
  • ゆうがく館
  • 中央公民館
  • 山吹保育園
  • 梅園保育園
  • 地域交流センター
  • 武道館
  • 町立図書館

一部事務組合の施設

警察

西入間警察署(坂戸市)管轄

  • 越生交番
  • 梅園駐在所

消防

電話番号

市外局番は町内全域が「049」。市内局番が「2XX」の地域との通話は市内通話料金で利用可能(川越MA)。収容局は越生局のみ。

郵政

郵便番号は町内全域が「350-04xx」である。

交通

鉄道路線

中心となる駅:越生駅

  • 町への主要アクセスは東武越生線であり、越生線は坂戸駅において東武東上本線と接続しており、池袋駅までは約1時間程度である。
  • 町の中心駅は前述のとおり越生駅だが、越生駅はJR東日本の管轄の為、自動改札機が導入されているのは東武越生線の武州唐沢駅のみである(ICカード専用簡易改札機を除く)。

バス路線

タクシー

タクシーの営業区域は県南西部交通圏。

道路

県道
高速道路でのアクセス

高速道路は町内を通っていないが、鶴ヶ島市にある圏央道圏央鶴ヶ島ICの出口標識が「鶴ヶ島 越生」となっている。

  • 首都圏中央連絡自動車道・圏央鶴ヶ島ICから、国道407号・埼玉県道114号川越越生線を利用して約13km
  • 関越自動車道・東松山ICから、国道254号・埼玉県道41号東松山越生線を利用して約13km

観光ほか

名所

越生梅林周辺
  • 越生梅林 - 関東三梅林、付近は江戸時代からの行楽地として知られる。を栽培している農家が多い。
  • 梅園神社 - 元は小杉天神社
  • 慈雲閣
  • 佐藤酒造
  • 健康寺 - 太田道灌の父、太田道真の隠居地
黒山周辺
  • 黒山三滝 - 室町時代に山岳宗教修験道の拠点として開かれ、江戸時代に人気の行楽地となった。
  • 四寸道 - 下戸橋から高山不動(常楽寺)や子の権現を結ぶ尾根筋の旧道である[3]
  • 黒山鉱泉
  • 龍穏寺 - 太田道真、道灌親子に縁のある寺。江戸時代には関三刹として明治維新までの間絶大な権力を持っていた。
  • 戸神の代官屋敷
越生駅周辺
その他

祭事

出身有名人

事件・事故

1996年に町民の7割にあたる8800名の集団感染事件が発生した。これは町営水道の消毒が不完全であったためクリプトスポリジウム原虫が水道水に混入したためである。なお、この原虫は越辺川上流においてヒト由来により混入したことが示唆されているものの、[4]具体的な混入地点が特定されたという情報は確認されていない。

脚注

  1. 越生町ホームページ「越生町の概要 町の紹介」
  2. 新編武蔵国風土記稿の津久根村の項に「土地梅に宜しく梅の樹多く植ゆ、実を取って梅干として江戸に送る。比辺皆同じけれど殊に当村に多しといふ」と記されている。
  3. 新井良輔「四寸道随想」『奥武蔵』第176号、奥武蔵研究会、1977年、pp.4-5. 藤本一美「読図山行 「四寸道」とは? 高山街道(往還)探索行」『奥武蔵』第221号、奥武蔵研究会、1985年、pp.5-7.
  4. http://www.saitama-med.ac.jp/jsms/vol28/03/t77_84.pdf 7ページ 2013年7月7日閲覧

外部リンク