通過儀礼

提供: miniwiki
移動先:案内検索

通過儀礼(つうかぎれい、rite of passage)とは、出生成人結婚などの人間成長していく過程で、次なる段階の期間に新しい意味を付与する儀礼人生儀礼(じんせいぎれい)ともいう。イニシエーションの訳語としてあてられることが多い。通過儀礼を広義に取り、人生儀礼を下位概念とする分け方もある。

イニシエーションとして古くから行われているものとしては割礼抜歯刺青など身体的苦痛を伴うものであることが多い。こうした事例は文化人類学の研究対象となっている。

社会心理学では、負担の大きな加入儀礼は、当人が認知的不協和を解消しようとする結果、組織への主観的評価を高めると考えられている[1]

日本における通過儀礼

日本中世近世における武家階級では元服というものがあり、服装髪型名前を変える、男子は腹掛けに代えてふんどしを締める(褌祝)、女子は成人仕様の着物を着て厚化粧する、といったしきたりもあった。地域社会によっては男子の場合、米俵1(60キログラムから80キログラム)を持ち上げることができたら一人前とか、地域の祭礼で行われる力試しや度胸試しを克服して一人前、1日1反の田植えができたら一人前などという、年齢とは別の成人として認められる基準が存在した例もある。女子の場合には子供、さらに言うならばの跡継ぎとなる男子を出産して、ようやく初めて一人前の女性として周囲に認めてもらえる場合もあった。

男子の場合、明治徴兵令施行から太平洋戦争が終結した1945年までは、「国民皆兵」の体制が取られ、徴兵検査がその通過儀礼となった。徴兵検査で一級である甲種合格となることは「一人前の男」の公な証左であり憧れの対象でもあった[2]。徴兵検査により健康状態や徴兵上の立場が明らかにされることは、当事者の社会的・精神的立場にも影響を与えた。現役兵役に適さないとされる丙種合格であった山田風太郎は、自らを「列外の者」と生涯意識する要因になったと述べている[3]1938年には結核による丙種合格判定も要因の1つとなって日本犯罪史に残る大量殺人事件・津山事件が起きている。しかしながら、身内レベルでは、入営を免れる丙種合格を望む風潮もあり、また「甲種合格と認められつつ籤逃れ(入営抽選漏れ)がよい」と望む考えも暗にあった[4]昭和時代での甲種合格率は3分の1前後、甲・乙に満たない丙種以下の割合は、時期により変動するが、15 - 40%程度であった[5][6]。入営後は新兵教育という名目のいじめやしごきという形で通過儀礼がおこなわれた(詳細は兵 (日本軍)を参照)。

現代の日本においては、幼少時の七五三や、老年期の還暦喜寿の祝いなど、一定の年齢に到達することで行われる通過儀礼は残っているものの、「その人物を地域社会が一個の成人として認める通過儀礼」が過去ほど明確には意識されてはいない。18歳で普通自動車運転免許証の取得が可能になる、20歳で選挙権(2016年以降は18歳)、25歳で被選挙権の行使が可能になるなど、法律により一定年齢に達することで自動的に権利が与えられるものはあるが、儀式としては成人式以外に通過儀礼と呼べるものはない。

キリスト教社会における通過儀礼

カトリック教会における秘跡は、通過儀礼としての性質を併せ持っているものが多い。洗礼(幼児洗礼)や初聖体堅信などは典型的な例である。プロテスタント教会における幼児洗礼や信仰告白、正教会における聖洗も同様である。

なお、プロテスタント教会であっても幼児洗礼を行わないバプテスト派の洗礼(浸礼という)は、通過儀礼というよりは入会儀式の性格が強い。

通過儀礼の観光化

通過儀礼を観光化・娯楽化したものとしては、バヌアツ共和国バンジージャンプなどが有名である。

関連文献

フランスのファン・ヘネップによる研究(『通過儀礼』1909年)が有名である。

脚注

  1. Aronson, E., & Mills, J. (1959) The effect of severity of initiation on liking for a group. Journal of Abnormal and Social Psychology, 59, 177-181.
  2. 田村譲 '日本の徴兵制' 松山大学法学部ウェブ(インターネットアーカイブ
  3. 'NHKアーカイブス あの人に会いたい No.146 山田風太郎' 日本放送協会, 2007年8月5日
  4. 大久保孝治 '社会学研究9「社会構造とライフコース」講義記録(9)' 早稲田大学文学学術院ウェブ
  5. 副田義也 '戦後日本における社会保障制度の研究 厚生省史の研究' 筑波大学社会科学系, 1993年
  6. 中野育男 '労働安全衛生と福祉国家' 大原社会問題研究所雑誌 481号, 法政大学大原社会問題研究所, 1998年12月

関連項目