錦木徹也

提供: miniwiki
移動先:案内検索


錦木 徹也(にしきぎ てつや、1990年8月25日 - )は、岩手県盛岡市出身で、伊勢ノ海部屋所属の現役大相撲力士。本名は熊谷 徹也(くまがい てつや)。身長185cm、体重170kg、血液型A型。最高位は東前頭6枚目(2016年11月場所)。好きな酒は芋焼酎[1]

来歴

父は国体相撲に3回出場した実績のあるアマチュア相撲選手であった[2]。中学時代は地元盛岡の盛岡市立米内中学校[3]の卓球部でエースを務めていた。この頃からトレードマークの眼鏡をかけていた[1]。卓球の他に野球の経験もあり、小学2年生の頃から中学時代まで草野球を行っていた。野球ではポジションはキャッチャーで打順は4番であったといい、本人いわく「肩は良かったんですよ。コントロールは悪かったですけどね(笑)」。中学には野球部がなかったため自分が発起人になって創部しようとしたが、サッカー部が強いのでグラウンドが取られてしまって断念した[2]。中学を卒業して伊勢ノ海部屋に入門し、2006年3月場所で初土俵を踏んだ。同じ岩手県出身で地元の盛岡市に隣接する花巻市出身の四ツ車の話を先代伊勢ノ海から聞かされて自分も関取になろうと思い立ったという。同期生には栃ノ心松鳳山境澤竜電政風らがいる。前相撲は3番出世。

2008年7月場所で三段目2010年1月場所で幕下と、順調に出世をしているが、幕下2場所目の同年3月場所は1勝6敗の大敗を喫している。三段目に下がっていた同年7月場所は6番相撲で貴斗志に敗れて6勝1敗となったが、翌9月場所で幕下に復帰すると、以降は幕下に定着。幕下復帰2場所目の同年11月場所は4番相撲で千代の国に敗れたが、6勝1敗の好成績で幕下の優勝決定戦に出場。6人で行われた優勝決定戦では、1回戦で直江に敗れて幕下優勝を逃した。翌2011年1月場所では関取昇進の可能性があるといわれる、幕下15枚目以内の番付に初めて上がることになったが、3勝4敗と負け越した。

2012年7月場所から、それまで本名のままとなっていた四股名を「錦木」と改めた。「錦木」は一見すると普通の苗字のような感じがあるため、彼が本名力士であると誤解する者も多いが、この「錦木」というのは文化年間に伊勢ノ海部屋に所属していた大関力士の名前で、のちの初代二所ノ関となった、錦木塚右エ門(現在の岩手県北上市出身)に肖った由緒ある四股名である[4]。改名した場所で6勝1敗の好成績をあげ、翌場所は1勝6敗となるも、次の11月場所では、土付かずの7連勝とし、幕下優勝を決めた[5]

2014年9月場所は場所前に左足首痛でほとんど稽古ができなかったものの、出足が好調で5勝2敗の勝ち越し[6]。この場所から5勝2敗の成績が続き、2015年3月場所は西幕下2枚目まで番付を上げ、7日目を終えて2敗を喫したが11日目に勝ち越しを決め、14日目は西十両14枚目の希善龍と対戦し、吊り出しで破り(敗れた希善龍は負け越した)5勝目を挙げた。これにより場所後の番付編成会議にて、同年5月場所での十両昇進が決定した[7]

「錦木」の四股名での関取は、1874年3月まで錦木繁之介を名乗った大淀谷五郎以来、141年ぶりのことである[8]。岩手県出身としては四ツ車以来およそ6年ぶり、盛岡市出身としては実に63年ぶりの関取誕生であった[9]

新十両昇進会見では「確定と言われていたけど、本当に上がるか分からなかった。ドキドキしてました。今日、みんなから教えてもらって、やっぱりうれしかった」と笑みをこぼし「実家はあまり被害はなかったんですけど、沿岸部は大変だと思っていたので、被災地復興のためにも元気が出るような相撲を取っていきたい」と東日本大震災の被災者への思いも語った。[10]

新十両の場所は西十両13枚目で9勝6敗と勝ち越した。7月場所は5勝10敗と負け越し、9月場所は東十両14枚目まで下がるが、ここから勝ち越しが続き、2016年3月場所は西十両2枚目まで番付を上げた。この場所は10勝5敗の成績で続く5月場所で新入幕となった。新入幕となった7月場所は開幕から3連勝したものの星を伸ばせず13日目で負け越しが確定。その後は勝って7勝8敗として十両落ちは免れた。西前頭14枚目に一つ番付を落として臨んだ7月場所は開幕3連敗したもののそこから星を伸ばして最終的に9勝6敗として初の幕内勝ち越しとなった。東前頭9枚目まで自己最高位を更新した9月場所は8勝7敗の勝ち越し。千秋楽に敗れて9勝目を逃したが、本人は「自己最高位で勝ち越せたんで、よくやったと思う」と満足していた様子であった。[11]

2016年11月場所は4勝11敗に終わった。2017年1月場所は3日目から4連敗を喫し、9日目からは5連敗。足が止まる場面が多かった。それでも、7日目の魁聖戦のように、巨漢に組み止められても休まずに攻め続けてつかんだ白星もあった。最終的には5勝10敗と2場所連続での2ケタ黒星。続く3月場所に向けては「またやり直し。一つでも二つでも勝てるように頑張りたい」と巻き返しを誓った[12]

2017年春巡業では幕内でただ1人全19ヶ所の場所で土俵に上がるなど稽古熱心さを示した[13]。続く5月場所は、3月場所の負け越しにより十両での相撲となったが、14日目を終えて9勝5敗と優勝争いの先頭に立っており、同じく5敗で並んでいた安美錦と千秋楽に勝てば十両優勝という一番が組まれた。取組の結果、軍配は安美錦へと上がったが物言いがついた結果同体と判断されて取り直しとなり、2回目の取組は完勝で初めての十両優勝を果たした。なお、この千秋楽の白星は、通算300勝という節目の白星でもあった。優勝を受けて「緊張してドキドキした。1場所でも早く幕内に戻りたいと思い、必死に無心で相撲を取っていた。来場所からも勝ち越しを目指し、稽古をするしかない」とコメント[14]

7月場所は再入幕を果たし、7月場所番付発表の際には「実際に上がれるかは発表まで分からなかった。1場所で戻れて良かった」と笑顔を見せた。十両優勝を果たした先場所の千秋楽の熱戦を「だいぶ緊張したが、自信になった」と振り返る。それでも「勝てたのはたまたま。混戦だったので、飛び抜けた力があるわけではない」と浮つくことなく、真価が問われる幕内の戦いに気を引き締めた[15]

7月場所は初日から4連勝と好調の出だしで、中盤に躓いたが千秋楽に勝って5場所ぶりの幕内での勝ち越しを決めた。8月2日の夏巡業富山場所では、この巡業の御当地力士である朝乃山に胸を出してもらった[16]。19日の札幌場所では高安とは初めてとなる三番稽古を行い、計16番取った[17]

9月場所は東の13枚目で迎えたが、序盤から黒星が先行して6勝9敗と負け越し。苦戦を強いられたこの場所は「最初は悪くなかったが、だんだん思った相撲が取れなくなった」と元気がなかった[18]。同年10月5日に行われた秋巡業八千代場所では申し合いを11番行い、4勝7敗であった[19]

11月場所は13日目に負け越しが決まったが、そこから連勝して7敗8敗に留め、幕内に踏みとどまった。

2018年1月場所は中日まで3勝5敗と黒星が先行していたが、千秋楽に勝ち越しを決めて8勝7敗と十両陥落を回避した。翌3月場所は西の14枚目の地位で5勝10敗と二桁の負け越しを喫した。本来であれば十両陥落が確定的な成績であったが、番付の兼ね合いで5月場所は幕尻である東の17枚目に踏みとどまった。この場所は積極的に攻める相撲が功を奏し、10勝5敗の成績で自身初めての幕内での二桁勝利を挙げた。

取り口

得意手は押し、左四つ、寄り。力強さが持ち味だがスピードは低い。立合いの遅さについては2017年3月場所前の座談会で甲山(元幕内・大碇)が「皆さんもご存じのとおり立ち合いが遅い。とにかく後手に回るでしょ。それをクリアできれば、上でもそこそこ勝てるんでしょうけど。本人も意識しているんだけど、なかなかできてこない」と注文を付けられている。とはいえその力強さは並のものではなく、雷(元小結・垣添)は「立ち合い負けしても勝つんですから、ある意味、すごい」と絶賛している[20]。2016年11月場所前の時点では座談会で鳴戸(元大関・琴欧洲)が「ごつい体つきで突き押しタイプはやりづらいでしょうね」「(2016年の)春場所のとき、うちの部屋に出稽古に来て胸を出したけど、押す力はある。でも、四つ相撲は全然だめだった。かいなの返し方とかまわしの切り方とか、その辺はまだまだという感じだった」と感想を述べている[21]。押し相撲相手には押し相撲で応戦するというより右を引っ張り込み左を差して対抗し、それを嫌われれば右のど輪を放つ。脇が甘く、簡単にもろ差しを許す一面もあるが、腰の強さでそれをカバーし、そのまま抱え込んで対処する。怪我の少ない力士であり、2017年11月場所4日目に通算600戦連続出場を記録。これには巡業中でもバス移動の疲労を押して朝稽古の土俵に立つ熱心さや場所中でも毎日晩酌を欠かさずに行って体と心にゆとりを持つことが関係している[22]

エピソード

  • 2016年8月14日の夏巡業盛岡場所ではご当地力士として人気を集め、会場の入り口に売店を出していた相撲漫画家の琴剣も「錦木グッズは"瞬殺"で完売しました。もっと多めに持ってくればよかった。正直、ここまで人気があるとは思っていませんでした」とコメントするほどであった。この日錦木は土俵入りで生後2ヶ月(当時)の兄の次女を抱っこし、大きな拍手を浴びた。[23]
  • 視力は0.1を切り、メガネがトレードマークである[1]。2016年5月場所初日の青狼戦での勝利でインタビュールームに呼ばれた時も「眼鏡を取ると見えないので(観客の多さにも)全然緊張しなかった」と笑った。インタビュールームに呼ばれたその際には眼鏡をつけるか取るか、悩んだという。「まわしを着けているので眼鏡はダメかなと思って外しましたが、VTRがまったく見えないんです。眼鏡問題ですね」と、新入幕らしからぬところで頭を悩ませていた[24]
    • コンタクトは目に物を入れることが怖いので絶対に使用しない。まだ若い衆のとき、名古屋場所後に愛知県内の海水浴場で遊びに行き、誤って転んで眼鏡が流されていったそうであるが、それでも「帰りに、部屋近くの眼鏡屋で新しくつくりました」という[25]
  • 恩人は父、野球部の監督、先代伊勢ノ海。父と先代伊勢ノ海には相撲の基礎を教わったことから恩義を感じている[2]
  • 相撲界に入って嬉しかったことは、十両に上がった時に先代伊勢ノ海から「おめでとう」と言われたこと。先代伊勢ノ海はあまり力士をほめることがなかったという[2]
  • 相撲界に入って辛かったことは股割。2017年3月場所後の雑誌の記事では「今でもちゃんとできないんですよ。足は開くんですけど、胸が前にペタッとつかないんです」と本人が語っている[2]
  • 同期の松鳳山は相撲教習所時代の錦木について「すぐやめそうな感じ」と話していた。しかしその後、互いに力をつけ、2015年の9月場所に十両で対戦。小手投げで勝った松鳳山が優勝を決めた。幕内での対戦は初めてだったが「同期との戦いは気合が入った」と振り返った[26]
  • 懸賞金を取りっ逸れたことがある。2017年9月場所二日目の取組(:対千代丸戦)で、3本の懸賞が懸っているはずだったが、相撲協会が手違いでこの一番に懸賞をつけおとし(懸賞をつけるのを忘れる)していたため。幕内取組前に、この1番(他2番)の懸賞提供者から相撲協会に、取組表に懸賞が懸けられていない旨の問い合わせがあり、懸賞のつけおとしが発覚。他の2番には(取組表に記載がないまま)懸賞が懸ったが、この1番は懸けられないまま取組が終了してしまった。
  • 2017年8月14日、岩手県釜石市で行われた復興横綱土俵入りで、錦木は稀勢の里の露払いを務めた。露払いを務めた錦木は「こうした被災地での土俵入りで露払いを務められて光栄だと思っています。幕内力士として地元に戻ってくることができてうれしいです」と話していた[27]
  • 2018年2月10日の第51回NHK福祉大相撲では、羽山みずきと『うれしい!たのしい!大好き!』を歌った。ソロでは『春よ、来い』を歌った[28]
  • 2018年7月場所には水色の地にヒマワリの描かれた浴衣で場所入りした[29]

主な成績

2018年9月場所終了現在

  • 通算成績:360勝326敗(75場所)
  • 幕内成績:98勝112敗(14場所)
  • 各段優勝:十両優勝1回(2017年5月場所)、幕下優勝1回(2012年11月場所)
錦木 徹也
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
2006年
(平成18年)
x (前相撲) 西序ノ口35枚目
4–3 
東序二段125枚目
4–3 
東序二段95枚目
3–4 
西序二段111枚目
4–3 
2007年
(平成19年)
西序二段81枚目
4–3 
西序二段56枚目
3–4 
西序二段73枚目
4–3 
東序二段47枚目
3–4 
東序二段67枚目
5–2 
東序二段29枚目
4–3 
2008年
(平成20年)
西序二段5枚目
3–4 
東序二段22枚目
2–5 
西序二段52枚目
6–1 
西三段目85枚目
5–2 
東三段目52枚目
3–4 
西三段目63枚目
4–3 
2009年
(平成21年)
西三段目45枚目
3–4 
西三段目56枚目
6–1 
東三段目4枚目
3–4 
西三段目16枚目
3–4 
東三段目34枚目
4–3 
東三段目19枚目
5–2 
2010年
(平成22年)
東幕下58枚目
4–3 
東幕下50枚目
1–6 
東三段目21枚目
4–3 
西三段目7枚目
6–1 
西幕下31枚目
3–4 
東幕下37枚目
6–1 
2011年
(平成23年)
西幕下14枚目
3–4 
八百長問題
により中止
西幕下22枚目
3–4 
西幕下22枚目
2–5 
西幕下35枚目
4–3 
東幕下31枚目
3–4 
2012年
(平成24年)
西幕下39枚目
5–2 
東幕下23枚目
4–3 
西幕下20枚目
2–5 
西幕下33枚目
6–1 
西幕下13枚目
1–6 
東幕下35枚目
優勝
7–0
2013年
(平成25年)
東幕下3枚目
3–4 
東幕下6枚目
2–5 
東幕下14枚目
5–2 
西幕下8枚目
3–4 
東幕下15枚目
4–3 
東幕下10枚目
3–4 
2014年
(平成26年)
東幕下16枚目
4–3 
西幕下10枚目
2–5 
西幕下22枚目
4–3 
西幕下18枚目
3–4 
西幕下24枚目
5–2 
西幕下15枚目
5–2 
2015年
(平成27年)
西幕下7枚目
5–2 
西幕下2枚目
5–2 
西十両13枚目
9–6 
西十両9枚目
5–10 
東十両14枚目
8–7 
東十両11枚目
10–5 
2016年
(平成28年)
東十両6枚目
8–7 
西十両2枚目
10–5 
東前頭14枚目
7–8 
西前頭14枚目
9–6 
東前頭9枚目
8–7 
東前頭6枚目
4–11 
2017年
(平成29年)
西前頭11枚目
5–10 
東前頭16枚目
5–10 
東十両4枚目
優勝
10–5
東前頭15枚目
8–7 
東前頭13枚目
6–9 
東前頭15枚目
7–8 
2018年
(平成30年)
西前頭15枚目
8–7 
西前頭14枚目
5–10 
東前頭17枚目
10–5 
西前頭10枚目
6–9 
西前頭12枚目
10–5 
x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 休場 十両 幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

改名歴

  • 熊谷 徹也(くまがい てつや):2006年3月場所 - 2012年5月場所
  • 錦木 徹也(にしきぎ てつや):2012年7月場所 -

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 『相撲』2016年11月号92ページ
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 『大相撲ジャーナル』2017年5月号104ページ
  3. NHK盛岡放送局制作「おばんですいわて」2015年3月25日放送分より。
  4. 由緒あるしこ名が復活 盛岡出身の錦木ら精進誓う 岩手日報 2012年7月22日
  5. 【速報】錦木が幕下優勝 大相撲九州場所 岩手日報 2012年11月23日
  6. 錦木と琴力泉は勝ち越し 大相撲秋場所千秋楽 岩手日報 2014年9月29日
  7. 大翔丸と錦木、新十両に昇進 大相撲夏場所番付会議 日本経済新聞 2015年3月25日(2015年3月25日閲覧)
  8. 相撲2015年5月号53P、ベースボール・マガジン社
  9. NHK大相撲中継 2015年5月12日放送分「新十両インタビュー」にて紹介
  10. 錦木ドキドキ新十両昇進「上がるか分からなかった」 日刊スポーツ 2015年3月25日19時24分
  11. 『大相撲ジャーナル』2016年11月号7ページから
  12. 錦木、巻き返し誓う 大相撲初場所・県勢総評 岩手日報 2017/01/23
  13. 錦木が皆勤賞の祝いに感謝?白鵬のぶつかり稽古締め 日刊スポーツ 2017年4月24日21時2分
  14. 十両優勝は錦木「必死に無心で相撲を取っていた」 Sponichi Annex 2017年5月29日 05:30
  15. 錦木、幕内返り咲き 大相撲名古屋場所新番付 岩手日報 2017/06/27
  16. 『大相撲中継』2017年9月16日号 p10
  17. 錦木、高安に指名され三番稽古「すてきなごほうび」 日刊スポーツ(日刊スポーツ新聞社)2017年8月19日18時28分(2017年8月24日)
  18. 錦木負け越し、元気なく 大相撲秋場所・県勢総評 岩手日報 (2017/09/25)
  19. 『大相撲ジャーナル』2017年12月号p4
  20. 『大相撲ジャーナル』2017年4月号74ページ
  21. 『大相撲ジャーナル』2016年12月号67ページ
  22. 日刊スポーツ 2017年11月17日
  23. 『相撲』2016年9月号33ページ
  24. 錦木が初白星「眼鏡を取ると見えないので」緊張せず 日刊スポーツ 2016年5月8日20時53分
  25. 8月14日 錦木「コンタクト怖い」 日刊スポーツ(2017年10月2日閲覧)
  26. 松鳳山「気合が入った」錦木との同期対決を制す 日刊スポーツ 2016年5月13日23時1分
  27. 『大相撲中継』2017年9月16日号 p118-119
  28. 『相撲』2018年3月号 p.12-13
  29. 『大相撲ジャーナル』2018年9月号 p.84

関連項目

外部リンク

テンプレート:伊勢ノ海部屋

テンプレート:Sumo-stub