陸上交通事業調整法

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陸上交通事業調整法
日本の法令
通称・略称 なし
法令番号 昭和13年法律第71号
効力 現行法
種類 交通法
主な内容 鉄道・バス事業者の整理統合促進について
関連法令 地方鉄道法
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陸上交通事業調整法(りくじょうこうつうじぎょうちょうせいほう、昭和13年法律第71号)は、日中戦争が拡大し戦時体制が色濃くなった1938年昭和13年)8月に施行された、鉄道バス会社の整理統合の政策的促進を図るための法律である。最終改正は、平成18年6月7日法律第53号。

成立の背景

当時乱立気味であった日本の交通機関は、他社との競合や昭和恐慌による経営悪化を招き、また、それによる利便性の低下による弊害が発生しつつあった。都市圏の交通機関は大手私鉄による吸収合併が進んでいたが、利益優先のあまり疑獄事件にも発展するなど、種々の問題をはらんでいた。そのため苦心する交通事業者は、政府に交通統合を正当化する法律の立法を求め、要請を受けた政府は同法を制定した。当時日本は日中戦争に突入し、戦時体制へ傾斜しつつあったため、同法は国家総動員法による国家統制と見られがちだが、それとは趣旨の異なるものであった。

太平洋戦争敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) による財閥解体等の下で、旧事業体への再編機運が高まる中、再び分離し、現在の大手私鉄の基盤が成立することになる。なお、この法律自体は現存している。

同法の指定を受けた地域

同法の制定後「交通事業調整委員会」が設置され、審議の結果、同法を適用する地域として、東京市及びその周辺、大阪市及びその周辺、富山県香川県福岡県の5地域が指定された。

東京市及びその周辺

当初案では以下の2つの案だった。

  • 区域内の交通機関を現物出資のうえ統合し、「帝都交通」を創設
  • 東京市が区域内の交通機関を買収し、鉄道省と共同経営する

その後の審議を経て、以下にまとめられた。

これに基づいて、まず地下鉄(東京地下鉄道東京高速鉄道、京浜地下鉄道(未成))は、1941年(昭和16年)に帝都高速度交通営団(営団地下鉄、現東京地下鉄)に統合。東京市内(上記定義に基づく地域)の路面電車やバス事業は、1942年(昭和17年)に東京市に一元化(1943年〈昭和18年〉に東京都制施行により東京府と統合し東京都成立)。そして、民営の郊外電車・バスは東京横浜電鉄(現東京急行電鉄)・武蔵野鉄道東武鉄道京成電気軌道の4グループへの整理統合が進められた。

このうち1942年(昭和17年)5月に東京横浜電鉄は同じ五島慶太が経営していた京浜電気鉄道小田急電鉄を合併して東京急行電鉄が誕生。同時に品川区内を運行していた城南乗合自動車を、また同年12月には大田区の梅森蒲田自動車を統合。さらに1944年(昭和19年)5月には京王電気軌道を合併し、いわゆる大東急が成立する。同年8月には府中乗合自動車商会をも統合し、1945年(昭和20年)には傍系会社である相模鉄道の運営を受託している。一方、南武鉄道鶴見臨港鉄道などの浅野財閥系各社は東急に統合されず、別途国有化され、西武多摩川線川崎鶴見臨港バス武蔵野乗合自動車は統合対象から外された。終戦後、大東急は1947年(昭和22年)に相鉄の委託解消に次ぎ、1948年(昭和23年)6月には京浜急行電鉄・小田急電鉄・京王帝都電鉄(現在の京王電鉄)が分離。この時、旧小田急系の帝都線(現在の井の頭線)が京王の所属となった。

武蔵野鉄道関係は、並行する西武鉄道(旧社。現在の西武新宿線などを運行していた別会社)を手中に収めており、また青梅秩父地区の乗合自動車事業も掌握していたが、同じ堤康次郎の系列企業であった「食糧増産」に対する審査に手間取って統合が遅れ、戦前は1940年(昭和15年)に多摩湖鉄道(現在の西武多摩湖線)が合併されただけで、終戦直後の1945年(昭和20年)9月にようやく西武鉄道と食糧増産を合併し、「西武農業鉄道」となった。1946年(昭和21年)6月、西武農業鉄道のバス部門は子会社の武蔵野自動車(現在の西武バス)に譲渡された。なお、東武東上線は統合対象外とされ、東急系の東都乗合自動車関東乗合自動車もそのまま存置された。

東武鉄道については、1943年(昭和18年)5月に下野電気鉄道(現在の東武鬼怒川線)、同年7月に越生鉄道(現在の東武越生線)、1944年(昭和19年)3月に総武鉄道(現在の東武野田線および東武バスイースト。ただし、京成ブロックにかかる - 船橋間は分断せず)を合併している。バスに関しては、子会社の東武自動車が東武本線と東武東上線沿線の群小会社を整理統合し、また同社は陸運統制令に基づき調整地区外の埼玉県(秩父地区を除く)、群馬県東毛北毛地区)、栃木県両毛地区)の統合主体となっていたが、上記の総武鉄道合併に伴い、直営と東武自動車の二本立てとなっていた。1947年(昭和22年)6月、東武鉄道は東武自動車を合併して直営とした。

京成関連では、同法施行までに該当地区(東京城東・千葉東葛)の事業者の殆どは京成系列に入っていた。従って、1942年(昭和17年)に東京地下鉄道系列の葛飾乗合自動車の路線の一部を京成電気軌道が買収した程度の調整しか行われなかった。なお、設立時に京成が大きく関わっていた総武鉄道は柏以南も分断されず全路線が東武鉄道に合併され、そのまま東武野田線となった。また、千葉県の調整地区外では別途陸運統制令に基づき、千葉地区の乗合自動車会社のほとんどを合併。下総地区も京成傘下の成田鉄道(現・千葉交通)が地区内の乗合自動車会社を統合し、上総地区では、京成が安田財閥系の小湊鐵道およびその子会社の袖ヶ浦自動車(同地区内における乗合自動車会社の統合主体。1947年(昭和22年)7月小湊鐵道に合併)を買収して系列におさめた。

大阪市及びその周辺

1940年(昭和15年)に南海鉄道が阪和電気鉄道を合併。1941年(昭和16年)に大阪電気軌道が子会社の参宮急行電鉄を合併して関西急行鉄道が誕生し、1943年(昭和18年)に関西急行鉄道が大阪鉄道(現在の近鉄南大阪線)を合併。1944年(昭和19年)5月に南海山手線(旧阪和電気鉄道)が国有化され(JR西日本阪和線)、1944年(昭和19年)6月に南海鉄道と関西急行鉄道が合併して近畿日本鉄道(近鉄)が誕生する一方で、1943年(昭和18年)10月に阪神急行電鉄京阪電気鉄道が合併して京阪神急行電鉄が誕生している(京阪神急行電鉄は1973年(昭和48年)に阪急電鉄に改称)。

終戦後、近鉄は1948年(昭和23年)6月に旧南海鉄道を分離(高野山電気鉄道が譲り受け南海電気鉄道が誕生)、京阪神急行は1949年(昭和24年)12月に京阪電気鉄道が分離した(うち淀川右岸はそのまま残り、この時点で新京阪線は阪急京都本線に改称)。

大阪市内は大阪市が1940年(昭和15年)6月1日大阪市電と競合する大阪乗合自動車(通称・青バス、大阪バス)を買収。次いで1944年(昭和19年)3月27日に大阪市電と接続していた阪堺電鉄(通称・新阪堺)を買収して、末端区間を廃止の上大阪市電阪堺線とした。

調整地区内でも、水間鉄道金剛自動車、宇治田原自動車(のちの京阪宇治交通を経て現在の京都京阪バス)、茨木バス(現在の近鉄バス)、日の出バス(現在の高槻市交通部)、西谷自動車(現在の阪急田園バス)など中小会社は統合されることなくそのまま存続した。また、大手であっても阪神電気鉄道のように全く独立を守った会社も存在した。ただし、阪神と京阪神急行の合弁企業であった阪神国道自動車(阪国バス)は1945年(昭和20年)阪神の完全子会社になった。

富山県

富山県では1943年(昭和18年)に富山電気鉄道を母体とした富山地方鉄道が成立した。統合には富山県や富山市も参加し、県営鉄道や市営路面電車の経営を移管させている。公営鉄軌道の民間への譲渡は当時では異例であった。また、官営バス笹津線も廃止されて富山電気鉄道バスが後を継いで統合に及んでいる。富山電気鉄道は以前から「富山県の一市街地化」と称して県内の交通一元化を目標に経営権掌握を進めていたが、これに法的な裏付けを与えた形になった。

香川県

多くの名勝地を擁する香川県を訪れる観光客へのサービスが損なわれているとして、1943年(昭和18年)11月に讃岐電鉄(交通事業調整委員会の審議時点では四国水力電気)・琴平電気鉄道・高松電気軌道が合併し高松琴平電気鉄道が成立、12月にはバス16社と八栗登山鉄道(戦後、新会社の八栗ケーブルとして復活)のバス部門を合併した。交通事業調整委員会では他にも琴平参宮電鉄琴平急行電鉄も挙げられたがそれらの統合は行われず1944年に琴平急行電鉄が休止されたのにとどまり、戦後の1948年に琴平参宮電鉄が琴平急行電鉄を統合したものの旧琴急線の復活はならず、琴参線自体が1963年(昭和38年)までに全廃となっている。

福岡県

1942年(昭和17年)9月に九州電気軌道を母体として福博電車九州鉄道博多湾鉄道汽船筑前参宮鉄道を統合した西日本鉄道が誕生した。これ以前に福岡県南部の中小私鉄は九州鉄道に吸収合併されており、筑豊を除く県内全地域の鉄道・バス事業者がほぼ統合された。一方、石炭石灰石などの資源産出地である筑豊に路線を持っていた小倉鉄道(現在の日田彦山線の一部)、産業セメント鉄道(現在の後藤寺線糸田線)、鞍手合同自動車(現在のJR九州バス直方線)は統合対象から外れ、1943年(昭和18年)に国有化された。なお、筑後堀川自動車は統合に参加せずにそのまま残り、糸島地区は陸運統制令に基づき、隣接する佐賀県昭和自動車が統合主体になった。

その他

陸上交通事業調整法に基づく地域は以上の5地区とされており、それ以外の地区は統合を強制されることはなかったが、経営悪化は指定5地域以外でも発生しており、同法成立前から自主的に統合を進め、成立後から終戦にかけては同法を背景に統合を推進した地区も多かった。最終的に終戦直前の1945年(昭和20年)になって統合された事業者もある。

中京圏

中京圏では、法制定に3年先立つ1935年(昭和10年)に名岐鉄道と愛知電気鉄道が合併し名古屋鉄道が誕生した。既に名岐鉄道は美濃電気軌道各務原鉄道などの合併によって愛知県尾張北部から岐阜県中濃地方にかけての鉄道網をほぼ独占しており、私鉄統合の基盤は確立していた。法制定後、名鉄は瀬戸電気鉄道(1939年)、渥美電鉄(1940年)、三河鉄道(1941年)、知多鉄道(1943年)、東美鉄道(1943年)、竹鼻鉄道(1943年)などを合併。1944年(昭和19年)3月1日の碧海電気鉄道谷汲鉄道の合併によって、現在に至る路線網が出来上がった(なおこの時、路線を国家買収され飯田線の一部となった豊川鉄道鳳来寺鉄道も合併している)。終戦後、名鉄は大東急や近鉄、京阪神急行のように分割されることもなく、旧渥美電鉄線を傍系の豊橋鉄道に譲渡(1954年)したに留まり、中部唯一の大手私鉄の地位を築いていくことになる。

陸運統制令による統合

このほか、多くの地域では同法を背景としながら、陸運統制令に基づきガソリン消費規制などに関連して乱立気味であった事業者の統合が進められることになった。
1942年8月、鉄道省監督局長の佐藤栄作が各地方長官宛に出した通牒により、各府県の地区ごとに統合が推し進められた。


北海道

北海道では、1942年に「北海道における旅客自動車運輸事業統合要綱」を発表し、道内を7地区に分け1943年 - 1944年にかけて統合が実施された。休止事業者や函館市交通局など一部は対象外となっている[1]

青森県

6地区に分けられ統合が実施された。鉄道事業者も統合に参加している。

秋田県

4地区に分けられ統合が実施された。鉄道事業者も統合に参加している。

岩手県

4地区に分けられ統合が実施された。この時点では鉄道事業者が統合に参加していない。このうち岩手県北自動車を除く三社の後継会社と鉄道事業者であった花巻電鉄は、岩手県交通に集結している。

  • 沿岸北部 - 岩手県北自動車
  • 沿岸南部 - 岩手東部乗合自動車(1966年岩手県南自動車に合併)
  • 中央部 - 岩手中央自動車(1948年、岩手中央バスと花巻バスに分割。1971年、岩手中央バスが花巻電鉄を吸収合併。1976年6月1日、岩手中央バスと花巻バスは岩手県交通に事業譲渡)
  • 県南部 - 岩手県南自動車(1976年6月1日、岩手県交通に事業譲渡)

山形県

2地区に分けられ統合が実施された。鉄道事業者も統合に参加している。

宮城県

概ね4地区に分けられ統合された。このうち仙台市交通局を除く三社の後継会社は、1970年に合併し宮城交通となっている。

福島県

4地区に分けられ統合された。福島電気鉄道以外の鉄道事業者はバス事業だけ統合に参加している。

茨城県

当初3地区に分けて統合する予定が、日立製作所の意向を受けて4地区に変更して統合された。鉄道事業者も統合に参加している。このうち南部2社は1965年に合併して関東鉄道が成立している。

栃木県

3地区に分けられ統合された。鉄道事業者も統合に参加している。なお、この3社のエリア以外は東武自動車が統合主体になった。東武自動車と日光軌道は1947年親会社の東武鉄道に合併されている。

群馬県

3地区に分けられ統合された。鉄道事業者も統合に参加しているが、上毛電気鉄道は統合に加わっていない。

千葉県

陸上交通事業調整法による調整地域(東葛地域)外では、バス事業者は以下の4社に集約された。鉄道事業者は成田鉄道を除きいずれも統合には加わらなかった。

埼玉県

陸上交通事業調整法による調整地域(吾野-高麗川-川越-大宮-岩槻-春日部以南)外では、東武自動車が統合主体となったが、秩父地区だけは秩父自動車が1941年に武蔵野鉄道(現在の西武鉄道)の傘下に入ったため統合対象から外れた。
なお、秩父セメント(現在の太平洋セメント)傘下の秩父鉄道も統合対象外であった。

東京都

陸上交通事業調整法による調整地域外として多摩立川市以遠)と島嶼があるが、特に統合指定はなく従来の事業者(立川自動車運輸(現在の立川バス)、奥多摩振興、五王自動車、高尾自動車、大島開発(東海汽船を経て現在は大島バス)の5社)がそのまま存置された。このうち奥多摩振興が1963年10月1日に五王自動車と高尾自動車を合併して西東京バスが成立している。
なお、現在の町田市域は地理的関係から神奈川県の相模ブロックに編入され、神奈川中央乗合自動車の手により統合されている。

神奈川県

神奈川県下では、横浜市相模・地区外という3ブロックに分けられることとなった。なお、川崎市三浦半島は陸上交通事業調整法に基づき東京急行電鉄が統合。また、川崎鶴見臨港バス(鶴見臨港鉄道系)と南武鉄道(立川自動車運輸・立川バスを経て1951年川崎市が買収)は統合対象外となった。

山梨県

2地区に分けられ統合された。鉄道事業者も統合に参加している。

長野県

6地区に分けられ統合された。北信・中信地方は鉄道事業者も統合に参加しているが、東信地方の鉄道事業者は別途上田丸子電鉄(現在の上田電鉄)に集約された。なお、国土計画興業系の軽井沢高原バスは統合に参加していない。

新潟県

3地区に分けられ統合が実施された。中越地方を除き、鉄道事業者も統合に参加している。中越地方は戦後、中越自動車と長岡鉄道栃尾電鉄の三社が競合していたが、長岡鉄道の田中角栄が東京急行電鉄の力を借りる形により、1960年に三社合併が実現して越後交通が成立している。

富山県

鉄道会社ならびに鉄道会社が経営していた自動車会社は、上述の通り陸上交通事業調整法に基づき1943年に富山地方鉄道に一元化された。自動車専業は以下の4地区に分けられ統合されたが、結局この4社も1944年に富山地方鉄道に統合されている。

  • 呉東(富山地区) - 富山合同乗合
  • 呉東(新川地区) - 下新川乗合自動車
  • 呉西(高岡地区) - 高岡合同自動車
  • 呉西(砺波地区) - 全礪乗合自動車

石川県

全県下の鉄道・バス事業者が北陸鉄道に統合されたが、日本鉱業(現在のJX日鉱日石金属)傘下の尾小屋鉄道(現在の小松バス)だけは統合に参加しなかった。

福井県

3地区に分けられ統合された。鉄道事業者は別途福井・坂井・奥越地区では京福電気鉄道三国芦原電気鉄道永平寺鉄道丸岡鉄道を合併し(現在のえちぜん鉄道)、丹南地区では福武電気鉄道鯖浦電気鉄道を合併して福井鉄道が成立している。

  • 嶺北(福井・坂井・奥越地区) - 福井県乗合自動車(現在の京福バス
  • 嶺北(丹南地区) - 福井県中部乗合自動車(1948年福井鉄道に合併)
  • 嶺南 - 敦賀乗合自動車(1953年福井鉄道に合併)

静岡県

概ね4地区に分けられるが、統合指令が出されたのは中部と西部の二地区。一部の自主統合に止まり、他県のような積極的な統合は見られなかった。

愛知県

既に鉄道事業は名古屋鉄道がほぼ統合していた。バス事業も名鉄の系列会社による統合となった。なお、関西急行鉄道のバス路線は三重県ブロックに編入され、三重交通の路線となった。

岐阜県

概ね4つの地区で統合が行われた。東濃地域だけは鉄道事業者も含まれた。

三重県

三重県下は1944年に神都交通を母体とした三重交通が全県下の鉄道・バス事業者を統合したが、その親会社である近畿日本鉄道の路線は対象外となった。逆に、三重交通が1964年鉄道事業を三重電気鉄道に分社化し、翌1965年同社が近鉄に合併されている。
ただし、小野田セメント(現在の太平洋セメント)傘下の三岐鉄道については、親会社の反対により統合対象から外れている。

和歌山県

5地区に分かれるものの、西牟婁郡は結局2社に分かれたままであった。

奈良県

当初2地区(北和西和中和関急大阪線以北…奈良自動車、中和の関急大阪線以南・南和吉野宇陀…吉野宇陀交通)に分ける予定で、北部は奈良自動車が統合し、南部も吉野宇陀交通が経営統合を果たしたが、いずれも関西急行鉄道の傘下にあったため一元化することになり、奈良自動車が吉野宇陀交通ほか3社を合併して奈良交通が成立した。

滋賀県

3地区に分かれたが、別途京阪自動車(調整対象外とされた)が存在した。

京都府

陸上交通事業調整法における調整地域とそれ以外の地域があり、調整地域内においても京阪自動車と宇治田原自動車(現在の京都京阪バス)、奈良電気鉄道、嵐山バス(現在の京都バス)、鞍馬自動車(現在の京都バス)は調整対象から外されている。
それ以外の地域は4地区に分けられるが、うち3地区の事業者が1967年に一旦京都交通に統合されるも、2004年に同社が倒産したため、翌2005年に京都交通(新社)(本社舞鶴市日本交通グループ)と京阪京都交通(本社亀岡市京阪バスグループ)に二分された。

  • 南丹地域 - 丹波交通(のちの京都交通。現在の京阪京都交通)
  • 中丹地域(福知山・綾部) - 中丹自動車(のちの中丹交通。現在の京都交通。ただし綾部市部はあやべ市民バス
  • 中丹地域(舞鶴) - 三舞鶴交通(のちの舞鶴交通。現在の京都交通)
  • 丹後地域 - 丹後海陸交通

大阪府

大阪府下は陸上交通事業調整法の調整地域となった。ただし、上述の通り茨木バス(現在の近鉄バス)、日ノ出バス(現在の高槻市交通部)、金剛自動車など中小バス会社は統合されずにそのまま残った。
なお、自主的な統合として阪急沿線は阪神合同バス(現在の阪急バス)が、京阪沿線(現在の阪急京都線沿線含む)は概ね京阪自動車(現在の京阪バス)が統合した。

兵庫県

陸上交通事業調整法における調整地域とそれ以外の地域があり、調整地域内においても阪神電鉄グループは独立を守っていた(同法の趣旨の一つであった阪神と阪急の経営統合は2006年に実現)。神戸市神戸市電と競合していた神明自動車(通称・神戸バス)を1943年2月16日に譲受(須磨一の谷を境に以東は神戸市交通局が、以西は山陽電気鉄道(現在の山陽バス)がそれぞれ譲受)して市街地の交通を一元化した。

  • 北摂 - 神戸有馬電気鉄道(未統合に終わる。神戸有馬電気鉄道のバス部門自体が休止中であり、更に1943年8月31日に営業権を神姫合同自動車に譲渡した。同社と関係の深い播丹自動車も神姫合同自動車に譲渡。西谷自動車は北摂乗合自動車(1946年10月24日に阪急バスに合併)と関係が深ったが1944年に大阪公益社に譲渡され、1946年8月に地元資本が買い戻すが1960年11月29日に、阪急バスの傘下に入り、1997年4月1日阪急田園バスに改称した。)
  • 播磨丹波 - 神姫合同自動車(現在の神姫バス。ただし、現在の神戸市垂水区には同系の山陽電気鉄道〈現在の山陽バス〉が別途存在していたほか、赤穂地区では赤穂鉄道の鉄道・バスもそのまま存置されていた。また、上郡以西は日ノ丸自動車播美支社が運行していた。戦後の1949年に日ノ丸自動車から播美支社路線を、1952年に赤穂鉄道の後身赤穂交通をそれぞれ神姫合同自動車が買収して漸くこの地域の一元化が成った。)
  • 但馬 - 全但交通(現在の全但バス
  • 淡路 - 淡路鉄道(現在の淡路交通

鳥取県

鳥取県は全県日ノ丸自動車が統合した。ただし伯陽電鉄は島根県安来地区に編入され山陰中央鉄道となるが、1948年4月1日島根県側と再分離した末、1953年9月15日、日ノ丸自動車に吸収合併された。

島根県

岡山県

6社に統合された。この他東備地区に片上鉄道が、岡山地域には西大寺鉄道岡山電気軌道、倉敷地域に下津井電鉄があったが、統合には参加しなかった。ただし、岡山バスは西大寺鉄道と岡山電気軌道の、両備バスは西大寺鉄道と下津井電鉄のそれぞれ共同経営であった。
なお、戦後西大寺鉄道が両備バスを合併して逆に両備バスと改称。その前後には岡山バスが両備バスに合併し、岡山電気軌道が両備バスの傘下に入る事でグループ化が進み、2013年1月には井笠バスカンパニーを設立して井笠鉄道の路線を承継している。

広島県

山口県

3社2市に統合されたが、宇部鉄道小野田鉄道は別途国有化され、宇部鉄道のバス部門は統合に参加せず1945年宇部市に買収された(現在の宇部市交通局)。このほか船木鉄道が統合に加わらなかったが、同社はのちにサンデン交通の関係会社となる。

徳島県

東西2社と徳島市に統合された。

香川県

香川県は陸上交通事業調整法に従って電鉄3社が統合したが、既述の通り琴電と琴参の統合はならなかった。結局県下は琴電と琴参をそれぞれ軸として以下3地区に分かれて統合された。

愛媛県

3社に分かれて統合された。

高知県

地域による区分はせず、全県下が土佐交通(1948年土佐電気鉄道(旧・南海鍛圧機)に合併)と高知県交通の2社に分かれて統合された。この2社はその後も長らく併存していたが、2014年10月1日にとさでん交通に統合された。

福岡県

陸上交通事業調整法に基づき、九州電気軌道が鉄道各社を合併して西日本鉄道となったが、バス部門も統合を行った。この西鉄による統合とは別に、若松市(現・北九州市)は別途若松市交通局の手により統合され、筑後地方八女地域でも別途堀川自動車(現在の堀川バス)が統合主体となって統合した。また、福岡地方糸島地域は佐賀県の昭和自動車が統合主体となり、逆に西鉄路線の一部が統合された。

佐賀県

長崎県

熊本県

熊本県はバスのほかトラック業者も含めて九州産業交通に一元化する方針であったが、熊本市交通局(バス事業は2015年3月31日廃止)は公営のため、菊池電気軌道(現在の熊本電気鉄道)は統合を察知しバス事業を全面休止したため、熊延鉄道(現在の熊本バス)は鉄道事業の培養線を理由に断固拒絶し続けて断念させている。なお鹿本鉄道(のちの山鹿温泉鉄道)はバス路線だけ九州産業交通に吸収された。

大分県

3社に統合される予定であったが、亀の井バスの大分交通への合併手続きが遅延し、結局そのまま存置された。

宮崎県

宮崎県は当初南部・北部の2地区にて統合される予定であったが、結局いずれの地区も統合主体は宮崎交通となり、一元化が行われた。

鹿児島県

島部を含め8地区で統合が行われたが、その後岩崎産業の手によるグループ化が進み、南国交通以外はほぼいわさきグループとなった。

施行後

この法に基づく統合によって生まれた事業者の路線であっても、その後の戦局の悪化の影響を受け、戦争完遂のために特に重要と見なされ国有化された路線がある。これについては戦時買収私鉄の記事を参照されたい。

脚注

  1. 北海道のバス事業の歴史 - 第4章 歴史的な大統合”. 北海道バス協会. . 2018閲覧.

外部リンク