震度7

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震度7(しんど7)とは、地震による揺れの強さを表す指標の一つであり、日本において気象庁が定める気象庁震度階級(10段階)のうち、最も階級の高いものである。1949年の導入時は激震(げきしん)の呼称が与えられていたが、1996年の震度階級改正以降、激震の呼称は廃止された[1]

概要

気象庁は、震度7について、「立っていることができず、はわないと動くことができない。揺れにほんろうされ、動くこともできず、飛ばされることもある。」と説明している[2]

一般に震度7の領域は、地下に断層が通っている場合、平野部や盆地に分布しやすく山地では広がりは小さい。しかし震源断層の深さが20km以深になると平野部でも震度7の揺れにはなりにくくなる傾向にある。震源近傍での振動の卓越方向は断層走行と直行する方向に成る場合が多い[3]。また、地震動の上下動加速度が重力加速度を越えたと見られる現象はM7前後の地震の限られた部分で見られることがある[4]

震度7(激震)の導入

震度7は、1949年の1月の「気象庁震度階」改訂により新たに設けられた階級である。これは、1948年福井地震を受けて、地震による被害を震度6(当時)では適切に表現できないのではないか、という意見が出た為である。震度7は以下のように定義された。

激震. 家屋の倒壊が30%以上に及び, 山くずれ, 地割れ, 断層などを生じる.

しかし、ここで「倒壊」と「全壊」を同義語として用いる場合、「全壊」とはどういう状態か明確にする必要がある。また木造家屋の耐震性は時代と共に変化しているという可能性を検討する必要があるという問題がある[3]

1995年兵庫県南部地震阪神・淡路大震災)で震度7が初めて適用された。気象庁の「地震情報」の段階では震度6だったが[注 1]、当時の規定に基づき現地調査で判定が行われ、淡路島北部から阪神間の一部地域で「家屋の倒壊が30%以上に及ぶ」ことを基準とする震度7が適用されることとなった(厳密には「観測」ではなく「適用」と呼んだ)[5]。震度7が初めて適用されたのは地震3日後の1月20日であり[6]、さらに詳細な現地調査による震度7の分布の認定は翌月(調査は2月6日、発表は2月7日)までかかった[7]。当時はたとえ震度7を震度計で計測しても気象庁の係員が周辺の被害状況を調べたうえで本当に震度7であったか確認するまでは発表しない仕組みであった[8][9]

計測震度7の導入

震度と計測震度の関係表[10]
震度 計測震度
  0
0.5未満のすべて
  1
0.5以上 1.5未満
  2
1.5以上 2.5未満
  3
2.5以上 3.5未満
  4
3.5以上 4.5未満
  5弱
4.5以上 5.0未満
  5強
5.0以上 5.5未満
  6弱
5.5以上 6.0未満
  6強
6.0以上 6.5未満
  7
6.5以上のすべて

兵庫県南部地震の時、現地調査を行ってから震度7を適用したのでは災害対応が遅れるとの批判が強かったため[5]、その後、1996年以降はすべての震度が計測震度による判定に改められた。兵庫県南部地震後の現地調査による震度7の範囲で観測された強震加速度波形から計測震度を算出すると6.5前後となり、計測震度6.5以上を新たに震度7と定義すれば、計測震度を四捨五入した値が震度であるという関係を保つことが出来るとされた[8]

さらに、被害の甚大な芦屋市西宮市伊丹市宝塚市などの阪神間の都市には計測震度計が設置されておらず震度が判らなかったという問題もあったため[11]、従来気象官署、津波地震早期検知網の観測点などに限られていた震度観測点を、気象庁約600ヶ所、防災科学技術研究所約800ヶ所、地方公共団体約2800ヶ所、計約4200ヶ所と大幅に増強し震度観測点のデータを気象庁の情報発表に活用することとなった[8]

2004年新潟県中越地震で後日回収された地震計[注 2]によって初めて震度7が観測され、2011年東北地方太平洋沖地震東日本大震災)や2016年熊本地震[注 3]では震度速報の時点で震度7が観測された。2018年現在、計測の最大は熊本地震の本震4月16日発生)の際に熊本県益城町で観測された計測震度6.7 (6.78) の震度7である[12][13]

震度7の下限に相当する計測震度6.5の条件として、仮に同じ周期の揺れが数秒間継続した場合、周期1秒の場合は約600gal以上、周期0.1秒の場合は約2700gal以上の加速度が必要とされる[14]

なお、どれだけ揺れが激しいとしても、計測震度が6.5以上ならば震度7とされる。1996年の改定前の検討委員会では、計測震度7.0での分割や計測震度7.5以上を震度8とすることも検討に上がったが、震度7では最大級の防災対応が取られるため防災上は分割の意味がないこと、計測震度7.0以上を観測した例がないためどのような被害が発生するか不明瞭である点から、導入は見送られた[8]

家屋倒壊率と震度

1923年関東地震、1948年福井地震、1952年十勝沖地震では、墓石の転倒と木造建築の被害率を検討した結果、これら3つの地震は平均的に見れば同一震度で木造建物はかなり近い全壊率を生じたことが判明している[15]。さらに、家屋全壊率と死者数との関係は、1891年濃尾地震と1948年福井地震では大きく変わっておらず、少なくとも濃尾地震から福井地震に至る同一震度における家屋の全壊率は大きくは変わっていないとする研究がある[3][15]

1894年庄内地震の被害住宅の復興家屋構造の指針として、1914年に震災予防調査会が「木造耐震家屋構造要領」を出したが適用範囲は6大都市に限られていた。さらに第2次世界大戦激化に伴い1943年から1947年までこの規定の適用は中止された[3]。事実上1950年に制定された建築基準法施行令[16]まで、ほとんどの木造家屋は耐震構造規定の洗礼を受けていないと考えられている[3]。その後耐震基準は1981年に見直され、震度7(激震)が始めて適用された1995年兵庫県南部地震当時では木造家屋の耐震性が1948年福井地震当時とは異なっており、福井地震における家屋倒壊率30%以上の領域は兵庫県南部地震における家屋倒壊率10%以上の領域に相当するとの見積もりがある[17][18]。福井地震の家屋被害の範囲は兵庫県南部地震より遥かに広いものであったが、強震動を評価すると両地震共計測震度7に相当すると推定される領域は限定的なものとなる[17]

また、2011年東北地方太平洋沖地震では、計測震度7を観測した栗原市築館は加速度2700galと、兵庫県南部地震の葺合観測点の802galより大きいものであったにもかかわらず、周辺の住宅全壊率は築館は0%であったのに対し、兵庫県南部地震の葺合は35%と高かった。これは東北地方太平洋沖地震では加速度が高かったのは周期0.5秒未満の短周期成分であったのに対し、兵庫県南部地震では家屋に被害をもたらしやすい周期1-2秒の加速度応答スペクトルが東北地方太平洋沖地震を約4倍も上回っていた為であると解釈されている[19]

最大震度7を記録した地震の一覧

気象庁による観測回数は5回である。各地震の詳細に関しては、当該記事を参照されたい。気象庁によって震度7が観測されたのは1995年兵庫県南部地震以降に限られるが、これは1995年以前は震度観測点が気象官署の160点程度であったものが、兵庫県南部地震を期に1996年以降地震観測網が充実され震度観測点が4000ヶ所以上となったためである。M7クラスの内陸地殻内地震でも震度7の揺れとなるのは限定された範囲であり、震度観測点の密度が低い場合はこの震度7の範囲が観測点につかまらない可能性が高いが、観測所の数が増大して密度が高くなれば漏らさず観測される可能性が高くなるためであり、日本で強い揺れを伴う地震が増えたという事ではない[5][20]。1996年以降の計測震度7を観測したいずれの地震の観測点も気象官署以外の地点である。新潟県中越地震でも、気象官署における最大震度は高田測候所(上越市大手町)の震度5弱であった[21]

発生日時 地震の名称 震央 地震の規模 震源の深さ 震度7を観測した市区町村 計測震度(観測点)
1995年1月17日5時46分頃 兵庫県南部地震 兵庫県北淡町(現:淡路市 Mw 6.9
(Mj 7.3)
16km 兵庫県神戸市芦屋市西宮市宝塚市、北淡町、一宮町(現:淡路市)、津名町(同) 6.4(JR鷹取)[22][注 4]、6.49[23]-6.6[24](葺合)
2004年10月23日17時56分頃 新潟県中越地震 新潟県中越地方 Mw 6.6
(Mj 6.8)
13km 新潟県川口町(現:長岡市 6.5(川口町川口)[25]
2011年3月11日14時46分頃 東北地方太平洋沖地震 三陸沖 Mw 9.0
(Mj 8.4)
24km 宮城県栗原市栃木県芳賀町[注 5][26] 6.6(栗原市築館)[27]、6.5(芳賀町)[28]
2016年4月14日21時26分頃 熊本地震 熊本県熊本地方 Mw 6.2
(Mj 6.5)
11km 熊本県益城町 6.6(益城町宮園)[29]
2016年4月16日1時25分頃 Mw 7.0
(Mj 7.3)
12km 熊本県益城町、西原村 6.7(益城町宮園)、6.6(西原村小森)[12]

震度7相当の地震

本節では震度7相当の揺れであったと指摘される地震を記述する。

歴史地震については、宇佐美(1994)は江戸時代に適用することを想定して震度判定表の試案を作成している[30]。家屋は通常のものとし、大名、大店などはほぼ一階級強いものと考える。また1980年に東京都が作成した「地震の震度階解説表」[31]にある老朽家屋を江戸時代の庶民の家と考えた[30][32][33]。古記録から倒壊家屋数が記録から明らかな場合は被害率(全潰家屋数 + 0.5×半潰家屋数)/総数が70%以上を震度7とし、被害率が不明でも記録に特定の村が「皆潰れ」「不残潰」「惣潰」と記述されているならば震度7と解釈し、「過半数皆潰」ならば震度6-7とした[30][32][33]

内閣府が定める「災害の被害認定基準」では、柱が数度(1/20)以上傾斜して、屋根が一見無事に見えても再使用不能で壊して建直さなければいけない状態ならば「全壊」であるが、江戸時代の記録にある「潰家」は屋根が落ちて地面に着いた「伏家」の状態であり、現代の「全壊」より被害の程度が大きい[34]。伝統的な日本の在来工法で建てられた木造家屋が30%以上全壊すれば震度7とされるが、都司(2012)は、江戸時代の家屋は地震耐久性が弱いであろうから、もう少し控えめに倒壊率20-80%未満を震度6強、倒壊率80%以上を震度7と判定している[35]。都司(2011)は、倒壊率20-70%未満を震度6強、倒壊率70%以上を震度7と判定している[36]

村松(2001)は、家屋全壊率30%以上となる震度7の等震度線で囲まれる領域の面積とマグニチュードとの間の関係として logS7=1.25Mj-6.88±0.24の実験式を得ており、歴史地震の大雑把なMjの推定に適するとしている[37]。また、震度7の領域は震源となった断層の近傍にあり、その分布は歴史地震の震源となった活断層の確認にも役立つと思われるとしている[37]

近代地震について、当時「震度7」の階級が導入されていなかった時代の中央気象台(気象庁)が最大震度6以下としている地震の中で、被害状況から震度7相当の揺れが推定される地震、あるいは導入後で気象庁などの震度観測点において最大震度が6強以下であるが、場所によっては震度7相当の揺れであったと指摘される地震について記述する。なお、1872年までの日にちも新暦グレゴリオ暦)で表記している。

地震観測網整備前・震度階級導入前(歴史地震
ファイル:1854 Ansei Tokai earthquake intensity.png
安政東海地震の震度分布[33]。家屋が丸崩となり震度7(赤紫)と推定される地域は浜名湖東部から駿河湾沿岸、甲府盆地に及ぶ。
震度7導入前・震度階級導入後
ファイル:1891 Nobi earthquake intensity.png
濃尾地震の震度分布[77]。中央気象台原簿の地震報告による。

その他、1925年北但馬地震1941年長野地震にも家屋全壊率30%以上となる震度7の等震度線で囲まれる領域がある[37]

震度7(激震)導入後
  • 十勝沖地震1952年3月4日) - 中央気象台の『地震調査』の原簿によれば、委託観測所である大津では「家屋の倒れるもの多し」と、震度7(VII)が報告され、幸震村はVIIからVに訂正されている[91]

その他、1949年今市地震1968年えびの地震1975年大分県中部地震にも家屋全壊率30%以上となる震度7の等震度線で囲まれる領域がある[37]

計測震度7導入後

脚注

注釈

  1. 神戸海洋気象台(神戸市中央区中山手)の震度計(計測震度6.4)による。洲本測候所(洲本市小路谷)の震度計は地震によって壊れてしまったが気象庁職員が状況から判断して震度6とした。
  2. 地震直後の停電により情報が入ってこなかった。
  3. 14日の地震は震度7が速報されたが、16日の地震は当初データが気象庁に送信されておらず、後日に気象庁職員が益城町と西原村に設置されていた震度計のデータを解析した結果、震度7を計測していたことが判明した。
  4. JR鷹取の地震計では震度6相当。1995年当時は現地調査により震度7が適用された。
  5. 「KiK-net芳賀」は気象庁の発表地点ではないが、震度7相当が計測されている。

出典

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参考文献

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  • 石橋克彦 『大地動乱の時代 -地震学者は警告する-』 岩波書店、1994-08。ISBN 978-4-00-430350-3。
  • 石橋克彦 『南海トラフ巨大地震 -歴史・科学・社会-』 岩波書店、2014-03。ISBN 978-4-00-028531-5。
  • 寒川旭 『秀吉を襲った大地震 -地震考古学で戦国史を読む』 平凡社、2010-01。ISBN 978-4-582-85504-3。
  • 島村英紀 『公認「地震予知」を疑う』 柏書房、2004-02。ISBN 978-4760124886。
  • 島村英紀 『油断大敵 生死を分ける地震の基礎知識60』 花伝社、2014-09。ISBN 978-4763407122。
  • 遠田晋次 『活断層地震はどこまで予測できるか』 講談社、2016-12。ISBN 978-4-06-257995-7。
  • 都司嘉宣 『千年震災 -繰り返す地震と津波の歴史に学ぶ』 ダイヤモンド社、2011-05。ISBN 978-4-478-01611-4。
  • 都司嘉宣 『歴史地震の話 -語り継がれた南海地震』 高知新聞社、2012-06。ISBN 978-4-87503-437-7。
  • 宇佐美龍夫 『わが国の歴史地震の震度分布・等震度線図』 日本電気協会、1994。
  • 宇佐美龍夫 『最新版 日本被害地震総覧 416‐2001』 東京大学出版会、2003-04。ISBN 978-4-1306-0742-1。
  • 宇津徳治 『地震学』 共立出版、2001-07、第3版。ISBN 978-4-320-04637-5。
  • 山賀進 『科学の目で見る 日本列島の地震・津波・噴火の歴史』 ベレ出版、2016。ISBN 978-4-86064-476-5。

関連項目

外部リンク