音威子府村

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音威子府村(おといねっぷむら)は、北海道上川地方北部に位置する村である。2012年現在、道内で最も人口の少ない自治体であり、2012年12月に神恵内村の人口が1,000人に割り込む前までは、唯一人口が1,000人以下の地方公共団体北方領土の村を除く)であった。「森と匠の村」を標榜し、豊富な森林資源を生かした工芸による村おこしを推進している。

地理

上川総合振興局管内の北部に位置し、南は美深町、西は中川町、北は宗谷総合振興局管内の中頓別町、東は同管内の枝幸町に接している。天塩川が南から流れ、音威子府川と合流してからは西へと向きを変えて村域を貫流する。天塩川に沿って旭川市稚内市を結ぶ国道40号JR北海道宗谷本線が通る。

中心市街である音威子府は村域のほぼ中央、音威子府川と天塩川の合流点にあり、国道40号と国道275号の分岐点となっている。かつてはJR北海道天北線も国道275号に沿うように北へ伸びており、日本海オホーツク海、そして上川中央部をつなぐ交通の要衝であった。

村の南東端にある函岳付近からクトンベツ沢川、ペンケサックル川、パンケサックル川などが西流して天塩川に合流している。これらの川の下流部にあたる南部の咲来(さっくる)地区には平地、あるいは緩やかな丘陵地が広がっており、酪農畑作が行われている。残りのほとんどは緩やかな山地で、山林が村域の8割を占めている。山林の大部分は道有林で、北部に北海道大学の研究林がある。

内陸の気候で、夏と冬の寒暖の差が大きく冬場は非常に寒冷な気候である。夏場は約30℃、冬場は約-30℃にもなる。また、北海道内有数の特別豪雪地帯で、降雪量が凄まじく、1シーズンで10m以上に達する。最も深い積雪量は、日本の成人男性の平均身長(170cm前後)を遥かに上回ることもある。

  • 山: 音威富士(439m)、函岳(1,124m)
  • 河川: 天塩川、ペンケサックル川、パンケサックル川、音威子府川、物満内川、頓別坊川
  • 湖沼:

隣接している自治体

人口

音威子府村(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より
  • 音威子府村は若い世代の流出という全国の過疎地共通の事情を抱えているほか、特別養護老人ホーム有料老人ホームなどの滞在型の介護施設が村内に全く無いため、介護が必要またはこれから必要になる可能性がある高齢者が相次いで離村しており、2010年から2015年までの5年間に50名近くの高齢者が転出している。またそうした高齢者の家族もともに村を離れるため、村内において老人の介護ができない状態が続いていることが人口の激減につながっているものと見られている。村内65歳以上の高齢者総数に対し要介護認定を受けた者の割合は2015年現在7.9%と極めて低く、従って村の介護サービスに掛ける費用を抑えることが可能となり、結果として北海道内市町村の中では介護保険料が最も安い(2015年現在月額3000円)という状況が生じている。医療も充実しておらず、高齢者にとっては健康でなければ住み続けることができない村になっていることから、村は健康でない高齢者であっても離村せずに済むような施設を計画。当初特別養護老人ホームの建設を構想していたが、特別養護老人ホームに入居する資格のある要介護認定3以上を受けた村民は2015年末現在で8名しか村に残っておらず、特別養護老人ホームを設置しても入居者が埋まる可能性が無いことからこれを断念した。これに代わるものとして診療所デイサービス施設と繋がっている公営の集合住宅2017年度までに建設、健康に不安のある高齢者などの入居を募り、彼らが引き続き村で生活できるようにするという。
  • 年齢別の人口分布では15~18歳にピークがあるが、これは村立北海道おといねっぷ美術工芸高等学校の学生を村外からも受け入れているためである。同高校の在校生約120名のうち大半の生徒が村内の寮に入っており、同高校生徒が村の総人口の約15%を占めている。同高校在校生はほとんどが村外の出身者であり、村出身者は1%にも満たない。同高校は道外からの入学者も受け入れており、在校生全体に占める割合は20%に及ぶ。同高校生徒は卒業後はほぼ全員村を離れるため、20代以降の世代は一転して少なくなっている。

村名の由来

アイヌ語の「オトイネㇷ゚(o-toyne-p)」に由来し、「川口のにごっている川」あるいは「川尻(を歩くと)・泥んこである・もの(川)」の意とされる[1]。うち、前者は音威子府川天塩川に合流する地点が泥で濁っていたことからの命名とされる。

歴史

江戸時代

音威子府の名が初めて登場するのは1797年(寛政9年)の「松前地並西蝦夷地明細記」で、「ヲトヱ子フ」と表記されている。当時はテシホ場所に属していた。

1857年(安政4年)に松浦武四郎が天塩川流域を訪れ、現在の音威子府村筬島(おさしま)付近でアイヌの長老の元に宿泊、それによりアイヌによる北海道(蝦夷地)の通称「カイナー」の意味を知る。「カイ」はこの国に生まれた者、「ナー」は尊称であった。アイヌと深い交流のあった松浦武四郎は、蝦夷地を命名する際に「アイヌの国」を意味する「カイ」を取り入れ「北加伊道」という名を提案、これがのちに「北海道」となった。しかし近代から現代のアイヌ語研究では「カイ」に「この国に生まれた者」という意味は見出せず、この記述は謎の一つとなっている。(北海道#名称も参照。)

明治以降

1896年(明治29年)より始まった旭川より北方への県道建設は、1904年(明治37年)の常磐駅逓所(現在の咲来地区)の開設によりようやく現在の音威子府村域に到達した。このとき駅逓取扱の長村秀がこの地に移り住み、これが音威子府村の開基となった。翌年には御料農業地の貸し付けに応じた小作32戸が入植した。以降大正に入るまでに約200戸が村内各地に入植した。

1912年大正元年)11月、国鉄天塩線(現在の宗谷本線)の名寄 - 音威子府間が開通し、咲来駅と音威子府駅が設置された。音威子府駅周辺は天塩川水運と鉄道の結節点として、また以北の鉄道建設の拠点として急速に発展し、市街地を形成した。1915年に北見線(のちの天北線)が、1922年には天塩線が音威子府以北へと延伸すると、両線の分岐する鉄道の町として発展を遂げていった。最盛期は、人口5000人のうち3割を国鉄関係者とその家族が占めていたという。しかし、国鉄の合理化、1980年代国鉄分割民営化、天北線の廃止(1989年)と駅業務の縮小、それに伴う職員の首都圏への異動などにより人口が激減した。

1971年(昭和46年)、村では過疎化対策として第1期総合計画を策定、天塩川温泉の建設、音威富士スキー場整備などを行った。1981年(昭和56年)には「森と匠の村」を標榜した第2次計画を実施。1978年(昭和53年)より筬島小学校跡に彫刻家・砂澤ビッキがアトリエを構えたこともあり、豊富な森林資源を生かした工芸の村としての活性化を目指した。普通科であった村立音威子府高等学校に工芸教育を取り入れ、1984年(昭和59年)には北海道で唯一の全日制工芸科高校へと学科転換した(現在の北海道おといねっぷ美術工芸高等学校)。また、村内各所にトーテムポールをはじめとする木工作品が設置されている。

  • 1916年(大正5年):中川郡中川村(現中川町)から分村、中川郡常盤村となる。
  • 1963年(昭和38年):音威子府村に改称する。
  • 1989年(平成元年):天北線が廃止された。
  • 1990年(平成2年):人口が1000人を割り込む。

経済

基幹産業は農業、林業。ソバ生産の北限地。

特産品

ファイル:宗谷本線 (31).JPG
音威子府駅内の駅そば「常盤軒」で提供される音威子府そば。
  • 木工芸品
  • 音威子府そば
畠山製麺が製造するそば。殻の付いたまま製粉したそば粉を使用しているため色は真っ黒であり、そばの香りが強い。同製麺所によるそばは、音威子府駅の駅そば(常盤軒)など、村内各所で食べることができる。
NPO法人ecoおといねっぷが製造する羊羹。すべて北海道産の原料を使用し、無添加で手作りしている。製法は鎌倉市の上生御菓子処美鈴から伝授されたもの。
NPO法人ecoおといねっぷが醸造する無添加・天然醸造(寒仕込み)の味噌。材料はすべて北海道産で、熟成期間は1年半ほど。日本最北端の味噌製造業者でもある。
  • 鮭みそパン
  • 蜂蜜
  • 山菜

金融機関

郵便

宅配便

公共機関

警察

教育

交通

道路

鉄道

かつては音威子府駅から天北線が分岐していたが、現在は廃止されている。

バス

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

  • 天塩川温泉
  • 音威子府駅の立食いそば(常磐軒)
    • 独特の黒い麺で、テレビや雑誌などにも取り上げられている。
  • エコミュージアムおさしまセンター
    • 砂澤ビッキのアトリエ。砂澤ビッキの資料や作品が展示されている。
  • 北海道命名の地
    • 筬島地区、国道40号線から小道を入った天塩川沿いに所在する。松浦武四郎アイヌのエカシ(長老)にアイヌ語の「カイ(この国に生まれたもの)」の意味を尋ねた場所。武四郎はこの「カイ」を用いて北加伊(カイ)道と名付けるよう提案し北海道と命名された。命名の詳細な経緯は北海道#名称に書かれている。

ゆかりのある有名人

脚注

  1. アイヌ語地名リスト エン~オニシ P21-30P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). . 2017閲覧.
  2. 営業所・案内所のご案内”. 宗谷バス. . 2018閲覧.

関連項目

外部リンク