鳥屋野潟

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鳥屋野潟
所在地 日本の旗 日本
新潟県新潟市中央区
面積 1.37[1] km2
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ファイル:Lake Toyanogata Aerial photograph.1975.jpg
鳥屋野潟付近の空中写真。1975年撮影の10枚を合成作成。この画像撮影当時、周囲の公園、各施設等は未整備である。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

鳥屋野潟(とやのがた)は新潟県新潟市中央区にある。栗ノ木川に合流する一級河川信濃川水系)でもある。新潟駅から2〜3km南西に位置する。鳥屋野潟周辺の公園などに関しては鳥屋野潟公園を参照。

面積

  • 流域面積:約99.8km2
  • 潟面積:約1.37km2 (137ha)[1]

水質

新潟市の中心市街地と郊外の水田地帯とで南北に挟まれている地理的要因、および高度経済成長期にかけての生活廃水・農業廃水などの流入、周辺地域の下水道網整備の立ち遅れなどによって水質が悪化した。1971年(昭和46年)の公害対策基本法の規定により、水質汚濁に係る環境基準の類型指定(湖沼B類型)がなされた。昭和50年代にはCODの基準値(5mg/l以下)が年平均で2倍を超える数値となるなど、汚染が深刻化、特にヘドロや悪臭の問題が取り沙汰された。

その後、新潟市では1980年(昭和55年)に下水処理場が2箇所新設されるなど下水道網の整備が徐々に進捗し、また市民や行政が積極的に水質改善に取り組んだ結果、2002年に初めて環境基本法の水質基準を達成するなど改善に向かっている。

歴史

越後平野信濃川阿賀野川の土砂が堆積してできた沖積平野であり、鳥屋野潟は越後平野に形成された後背湿地に残る池沼のうち最大のものである。また、新潟砂丘が形成され、排水の障害となったこともこの地域と潟の成り立ちに大きく関わっている。[2]

鳥屋野潟の水面は標高マイナス2.5メートルと海水面より大幅に低く、また南岸の山潟地区から亀田郷に至って広大な海抜ゼロメートル地帯が広がっている。これらの地域周辺は昭和初期までは地域の言葉で「泥田んぼ(ドロタンボ)」と呼んだ湿田であった。このため、現在は西の親松導水路を経由し、信濃川にポンプで毎秒100トン排水している(将来的には180トンを計画)。これにより周辺の農地の水はけが改善され、乾田が保たれている。[3]

  • 16世紀末、清五郎地区に農民が入植。新発田藩溝口秀勝による新田開発施策によると伝えられる。
  • 1732年(享保時代)、周辺農民の「鳥屋野潟新田反対訴訟」により鳥屋野潟を干拓する計画が中止される。
  • 1948年、鳥屋野潟東端に建設された栗ノ木排水機場が稼働し、旧栗ノ木川への排水と亀田郷の乾田化が開始される。毎秒25トンは当時「東洋一の排水能力」と謳われた。
  • 1964年新潟地震。この影響とかねてからの地盤沈下とで一月に渡って栗ノ木排水機場が浸水、機能が損なわれた。
  • 1967年、震災復興事業として親松導水路が開削され、信濃川との合流部の親松排水機場が稼働を開始(毎秒60トンの能力)。旧栗ノ木川の流量は低下し、栗ノ木排水機場はこの後に廃止。
  • 1975年、埋め立てられた旧栗ノ木川が栗ノ木バイパス自動車道として全線開通。
  • 1980年代、隣接する内湖の清五郎潟が北西部を一部埋め立て。「天寿園」となる(新潟・ハルビン市民友好事業)。以後、鳥屋野潟公園など南岸地域の再整備が進捗。
  • 1998年集中豪雨により周辺地域が広範囲に浸水(「8.4水害」)。翌年より親松排水機場に隣接し、排水能力を補完する施設として鳥屋野排水機場が計画される。
  • 2001年新潟スタジアム(ビッグスワン)竣工。
  • 2003年、鳥屋野排水機場が完成(毎秒40トン)。[4]
  • 2008年、老朽化した親松排水機場の建て替えが完了。新・親松排水機場とも。[5]
  • 2009年新潟県立野球場(ECOスタジアム)竣工。

その他

周辺

鳥屋野潟周辺の施設・公園

道路

脚注

関連項目

外部リンク

座標: 東経139度3分24秒北緯37.88889度 東経139.05667度37.88889; 139.05667