米騒動

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1918年米騒動から転送)
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こめそうどう

米価の暴騰を原因とする民衆の暴動をいう。江戸時代中期以降米一揆はしばしば起っており,明治維新後も 1890年と 97年の2度,富山県を中心に北越地方で同様の米騒動がみられたが,普通は,全国的な規模で行われた 1918年の騒動をさしていう。日本の資本主義経済は第1次世界大戦の影響で急速に発展したが,反面物価騰貴がはなはだしく,大戦末期のこの年には,無産大衆の実質賃金は戦前の 70%以下に低下していた。しかも米価は,政府の米価調節失敗と,シベリア出兵を見越した地主と米商人の投機買占めによって急激に上昇し,18年の春1升 (約 1.8l) 24銭だった内地米が,同年8月には 50銭に達し,民衆は深刻な食糧危機と生活難に陥っていた。こうした状況下の7月 23日,富山県魚津市で漁民婦人たちが同県産米の県外移出阻止運動を起したのを皮切りに,同県各地で大衆行動が続発し米騒動は急速な勢いで全国各地に波及していった。米屋に米の安売りを要求し,米の投機商人,米穀取引所をはじめ,高利貸や地主なども群衆の襲撃の対象となり,政府は警察のほか軍隊を出動させて鎮圧にあたったが,9月 19日までに1道3府 32県,約 500ヵ所に発生し,直接参加者は約 70万人と推定された。このため9月,寺内正毅内閣は崩壊し,原敬政友会内閣が誕生した。米騒動は事前になんらの組織もなかった自然発生的な蜂起として,近代日本が経験した初めての大規模な大衆闘争であった。 (打毀〈うちこわし〉)