「東京急行電鉄」の版間の差分

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{{Redirect|東急|「'''東急'''」と呼ばれていたプロ野球球団「'''東急フライヤーズ'''」|北海道日本ハムファイターズ}}
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{{基礎情報 会社
 
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|社名 = 東京急行電鉄株式会社
 
|社名 = 東京急行電鉄株式会社
 
|英文社名 = {{lang|en|TOKYU CORPORATION}}<!--英文社名は大文字表記-->
 
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|画像説明 = 東急南平台町ビル(本社所在地)
 
 
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|略称 = 東急、東急電鉄、東京急行、TKK <!--略称についての説明はここではなく本文に書く-->
 
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|郵便番号 = 150-8511
 
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|本社所在地 = [[東京都]][[渋谷区]][[南平台町]]5番6号<br/>(分室)東京都渋谷区桜丘町31番2号東急桜丘町ビル
 
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|業種 = 陸運業
 
|業種 = 陸運業
 
|事業内容 = 不動産事業・鉄道事業・小売事業
 
|事業内容 = 不動産事業・鉄道事業・小売事業
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|資本金 = 1217億2400万円<br/>(2015年3月31日現在)
 
|資本金 = 1217億2400万円<br/>(2015年3月31日現在)
 
|発行済株式総数 = 6億2486万9876株(2017年8月1日現在)<ref>[https://www.tokyu.co.jp/ir/upload_file/top_01/9005_2017052615073705_P01_.pdf 単元株式数の変更、株式併合及び定款一部変更に関するお知らせ] 2017年5月26日</ref>
 
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|売上高 = 単独:2757億9300万円<br/>連結:1兆670億9400万円<br/>(2015年3月期)
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|売上高 =  
|営業利益 = 単独:525億5100万円<br/>連結:715億1400万円<br/>(2015年3月期)
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|決算期 = 3月31日
|純利益 = 単独:300億5800万円<br/>連結:410億5100万円<br/>(2015年3月期)
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|会計監査人 =  
|純資産 = 単独:3914億7000万円<br/>連結:5795億9600万円<br/>(2015年3月期)
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|主要株主 =  
|総資産 = 単独:1兆5563億9900万円<br/>連結:2兆25億3200万円<br/>(2015年3月期)
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|主要子会社 =  
|従業員数 = 単独:4,267人<br/>連結:21,499人<br/>(2015年3月31日現在)
 
|決算期 = [[3月31日]]
 
|会計監査人 = [[新日本有限責任監査法人]]
 
|主要株主 = [[第一生命保険]] 6.20%<br/>[[三井住友信託銀行]] 4.77%<br/>[[日本生命保険]] 4.18%<br/>[[日本トラスティ・サービス信託銀行]](信託口) 3.76%<br/>[[日本マスタートラスト信託銀行]] (信託口) 3.54%<br/>[[三菱UFJ銀行]] 1.72%<br/>[[三菱UFJ信託銀行]] 1.70%<br/>[[みずほ銀行]] 1.62%<br/>[[太陽生命]] 1.37%<br/>STATE STREET BANK WEST CLIENT - TREATY 505234(常任代理人 株式会社みずほ銀行決済営業部) 1.20%
 
|主要子会社 = 株式会社[[東急百貨店]] 100%<br/>株式会社[[東急ストア]] 100%<br/>[[伊豆急ホールディングス]]株式会社 100%<br/>[[東急バス]]株式会社 100%<br/>株式会社[[東急ホテルズ]] 100%<br/>[[東急建設]]株式会社<br/>その他については[[東急グループ]]参照
 
|関係する人物 = [[渋沢栄一]](田園都市創設者)<br/>[[矢野恒太]](田園都市大株主)<br/>[[小林一三]](田園都市経営者)<br/>[[五島慶太]](事実上の創業者)<br/>[[五島昇]](元社長)<br/>[[田中勇]](元副社長・事実上の経営者)<br/>[[大川博]](元副社長)<br/>[[横田二郎]](元社長)<br/>[[清水仁 (実業家)|清水仁]](元社長)<br/>[[上條清文]](元社長)
 
 
|外部リンク = [http://www.tokyu.co.jp/ www.tokyu.co.jp]
 
|外部リンク = [http://www.tokyu.co.jp/ www.tokyu.co.jp]
|特記事項 = 鉄道事業部(東京都渋谷区神泉町8番16号渋谷ファーストプレイス5・6F)は鉄道事業本部に再編し、東京都渋谷区桜丘町31番2号東急桜丘町ビル3Fに移転|
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|特記事項 =|
 
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'''東京急行電鉄株式会社'''(とうきょうきゅうこうでんてつ、{{lang-en-short|''TOKYU CORPORATION''}})<!--英文社名は大文字表記-->は、[[東京都]]南西部から[[神奈川県]]東部に路線を展開して[[鉄道事業者|鉄軌道事業]]などを行う[[日本]]の[[会社]]である。略称は'''東急'''(とうきゅう)。
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'''東京急行電鉄株式会社'''(とうきょうきゅうこうでんてつ、{{lang-en-short|''TOKYU CORPORATION''}})
 
 
かつては公式通称を「'''東京急行'''」としていたが、[[2006年]]([[平成]]18年)[[1月1日]]より「'''東急電鉄'''」に変更した<ref group="注釈">同じく関東の大手私鉄[[京浜急行電鉄]](略称:京急)も、かつて公式通称は「京浜急行」だったが、現在は「京急電鉄」となっている。</ref>。それに伴い駅掲出の[[ポスター]]・[[チラシ]]類、公式[[ウェブサイト|サイト]]や[[パスネット]]などにおいて略称表記を順次「東急電鉄」に変更している。かつては、英語略称として、'''T.K.K''' ({{lang|en|Tokyo Kyuko Kabushikigaisha}}) を使用していた時代もあった。
 
 
 
[[渋沢栄一]]が創設した'''[[田園都市 (企業)|田園都市株式会社]]'''が母体企業である{{sfn|渋沢栄一記念財団|ref=shibusawa53}}。
 
 
 
== 概要 ==
 
[[東急グループ]]の中核企業で、[[東京証券取引所]]一部上場。[[日経平均株価|日経225(日経平均株価)]]の構成銘柄である。
 
 
 
その成り立ちから鉄軌道事業以外の事業割合が大きく、[[不動産]]事業、[[ホテル]]事業など、鉄軌道事業以外の収益が同事業の収益をはるかに上回り、グループ全体の収益は毎年1兆円を超える。総営業距離は97.5kmと[[大手私鉄]]16社中11位であるが、単体[[売上高]]は[[JR]]をのぞく日本の鉄道事業者で、[[東京地下鉄]]、[[近畿日本鉄道]]に次ぎ、また営業キロ当たりの単体売上高は、25.4億円/kmと東京地下鉄の17.3億円/kmの約1.5倍であり<!--ダントツである-->、他を引き離している(2011年度)<ref group="注釈">東急の単体売上高は2473億3300万円、営業キロ数は97.5km。一方、東京地下鉄の単体売上高は3320億800万円、営業キロ数は192.1kmである(2011年度)。</ref>。連結売上高は1位、[[利益]]は連結、単体ともに1位である(JRを含む場合は、[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]、[[東海旅客鉄道|JR東海]]に続く3位であり、以下4位の[[西日本旅客鉄道|JR西日本]]と続く)。
 
 
 
グループ企業には、[[路線バス]]など交通、[[不動産]]開発、[[小売業]]、[[ホテル]]・[[リゾート]]などに221社8法人が名を連ねる(2017年3月末時点)<ref>[http://www.tokyu.co.jp/company/about/index.html 東急グループとは] - 東京急行電鉄(2018年3月31日閲覧)</ref>。東京急行電鉄は、東急グループ内外を問わず東急グループの事業中核会社として認識されており、「東急本社」「電鉄本社」と表現されることが多い。
 
 
 
[[1947年]]から[[1972年]]まで、[[日本プロ野球|プロ野球]]チームの「東急(急映・東映)フライヤーズ」([[北海道日本ハムファイターズ]]の前身)を所有していた。[[1964年]]まで、映画製作・配給を手掛ける[[東映]](旧・東横映画)は東急グループの傘下であった<ref group="注釈">これは当時東映のオーナーだった[[大川博]]と東急側との間に溝ができ、東映側が独立したが、大川の没後東映社長となった東急派の[[岡田茂 (東映)|岡田茂]]が取締役を務めるなど、東急との関係は部分的に残った</ref>。また、かつてグループ企業に[[日本エアシステム]](JAS、現・[[日本航空|日本航空株式会社]])があったことから、同社の株式移転などにより設立されたJALグループの持株会社である[[日本航空 (持株会社)|株式会社日本航空]]の筆頭[[株主]]だったが、2009年12月から[[2010年]]1月までに同社株を売却し、資本関係は解消している。
 
 
 
== 東急と五島家 ==
 
{{See also|五島慶太}}
 
1943年に東京急行電鉄が刊行した『東京横浜電鉄沿革史』によると、東急の“創設者”は東急の母体企業“田園都市創設者”という表現で[[渋沢栄一]]となっている<ref name="東京急行電鉄株式会社総務部文書課 1943">{{harvnb|東京急行電鉄株式会社総務部文書課|1943}} 口絵より</ref>。また、渋沢の子である[[渋沢秀雄]]も[[田園都市 (企業)|田園都市株式会社]]の取締役支配人、及び東急電鉄の常任監査役などをつとめていた。
 
 
 
しかし、東急の事実上の“創業者”は[[五島慶太]]と認知されている。これは、東急の源流企業である田園都市株式会社を経営していた[[小林一三]]がその子会社である[[目黒蒲田電鉄]]に、当時、[[鉄道省]]の高級官吏であった五島慶太を経営陣に招聘し、それ以降、五島を中心に、同社が[[東京横浜電鉄]]、東京急行電鉄と変遷し、現在の[[東急グループ]]が形成されたからである。
 
 
 
とは言え、[[東武鉄道]]の根津家や[[西武鉄道]]の堤家<ref>「堤義明 闇の帝国」西武グループの総帥はいかにして失墜したか、七尾和晃、光文社、2005年(平成17年)2月10日</ref><ref group="注釈">堤家は、国土計画(後の[[コクド]]、株式非上場、2006年[[プリンスホテル]]に吸収合併され解散)を名義株(株式の虚偽記載)により支配し相続税を払わず、そのコクドの子会社であった西武鉄道の株の過半数を、これも名義株を使い実効支配することにより[[西武グループ|西武鉄道グループ]]を私物化していた。<br />『西武事件「堤家」支配と日本社会』吉野源太郎、日本経済新聞社、2005年5月20日。<br />『西武争奪-資産2兆円をめぐる攻防』安西巧、日本経済新聞社、2006年4月20日。</ref><ref group="注釈">「コクド株や西武株を信頼出来る人々に、分散して持たせておいて、後で[[堤義明|義明]]の元に全部戻してもらったのであった」「堤康次郎は選挙に金を注ぎ込まなければならないと考えた。陸運局の公聴会を利用して、選挙民を動員して公聴会に連れて行き、その謝礼という名目で金を渡した」株式の名義株(虚偽記載)の方法や選挙における買収の方法が西武の専属弁護士によって具体的に書かれている。 - 中島忠三郎『西武王国–その炎と影』サンデー社、2004年12月10日</ref> とは異なり、五島は資本による会社支配は行わなかった<ref group="注釈">五島は資本による会社支配は行わなかったため、[[ファミリー企業]](同族経営企業)ではなかったが、[[池上電気鉄道|池上電鉄]]、[[東急玉川線|玉川電鉄]]、[[京浜急行電鉄|京浜電鉄]]、[[京王電鉄|京王電軌]]などの会社を、あたかも札束(資本)をもって白昼強盗を働くように買収し「強盗慶太」と異名を頂戴した。 - 『私の履歴書』第一集 P20、[[日本経済新聞社]]1957年2月10日</ref>。つまり五島家の東急の持株比率は低く、個人株主では[[国際興業]]の[[小佐野賢治]]が筆頭であった。また、五島慶太の後継者[[五島昇]]も資本による会社支配を行わなかったことから、五島慶太・昇父子の経営者としての手腕や、[[人格|パーソナリティ]]でグループが結束を保ってきた歴史を有する。五島昇の後継者として目された昇の長男[[五島哲]]は、[[本田技研工業]]を経て東急取締役に就任し、[[東急建設]]社長を務めたが、東急本社の社長には就任せずに他界した(五島昇は哲の社長就任を望んでいたといわれる)。現在、東急グループの経営陣に五島家出身者はいない。
 
 
 
== 歴史 ==
 
=== 前史 ===
 
[[ファイル:目黒蒲田電鉄開通直前の重役一行,jpg.jpg|thumb|250px|目蒲線開通前夜の田園都市株式会社、目蒲電鉄重役一行<ref name="東京急行電鉄株式会社総務部文書課 1943"/>。丸子終点(現[[沼部駅]])にて。左端は五島慶太、右から3人目は小林一三]]
 
{{See also|1=[[田園都市 (企業)|田園都市株式会社]]}}
 
東京急行電鉄の歴史は、[[渋沢栄一]]が理想的な住宅地「[[田園都市]]<ref group="注釈">「理想的住宅地」の要件として1、土地高燥にして大気清純なること。2、地質良好にして樹木多きこと。3、面積少なくとも十万坪を有すること。4、一時間以内に都会の中心地に到着し得べき交通機関を有すること。5、電信、電話、電灯、ガス、水道などの完整させること。6、病院、学校、倶楽部等の設備あること。7、消費組合の如き社会的施設も有すること。をあげている。 - 『田園都市案内パンフレット』田園都市株式会社、1922年(大正11年)、1923年(大正12年)</ref><ref group="注釈">「理想的住宅地」における住宅の守るべき項目として1、他の迷惑となる如き建物を建造せざること。2、障壁はこれを設くる場合にも瀟洒典雅のものたらしむること。3、建物は三階建て以下とすること。4、建物敷地は宅地の五割以下とすること。5、建築線と道路との間隔は道路幅員の二分の一以上とすること。6、住宅の工費は坪当たり百二、三十円以上にすること。をあげている。 - 『田園都市案内パンフレット』田園都市株式会社、1922年(大正11年)、1923年(大正12年)</ref>」の開発を目的に、[[1918年]](大正7年)9月に設立、[[1922年]](大正11年)6月から[[洗足田園都市]]の分譲を開始<ref group="注釈">「洗足のサイトプランが出来上がると、図面を印刷し、電車開通前に売り出した。1922年(大正11年)の5月頃だったと思う。畑の土を掘って計画通りの道筋だけをつけた。だから道筋以外には青麦がはえ、馬鈴薯の花が咲いていた。そこをお客さんたちは図面をてにして、気に入った場所を物色して歩いた」分譲は好調であった。 - 『随筆 街づくり わが町』渋沢秀雄、沿線新聞社、1971年(昭和46年)</ref> していた'''[[田園都市 (企業)|田園都市株式会社]]'''を始祖とし{{sfn|東京急行電鉄株式会社総務部文書課|1943|pages=1-8}}<ref group="注釈">田園都市株式会社は渋沢栄一が「日本橋の紳商で日本橋クラブ(経済人の集まり)に出資を求め設立」し、[[中野武営]]や[[服部金太郎]]などそうそうたるメンバーが参加していた。その渋沢栄一自身は、起業するとき「1、国家社会に有益なこと。2、担当者に人を得ること。3、それ自体で儲かること。」をあげていたのであるが、たしかに理想的な住宅地建設は国家社会に有益であるが、「事業のほうは経営者が素人ばかり」つまりその設立当時は、とても営利を目的としている企業とは言えず、渋沢栄一が実業界引退後に設立した事を含め稀有な会社であった。『矢野恒太伝』矢野恒太記念会、1957年(昭和32年)</ref>、その鉄道部門を同年9月に子会社として分離した'''[[目黒蒲田電鉄]]'''(めぐろかまたでんてつ)に始まる。会社分離後の翌[[1923年]](大正12年)8月、多摩川台地区(後の[[田園調布]]<ref group="注釈">高級住宅地の代名詞となった田園調布-『高級住宅街の真実 セオリー2008 vol.2』[[講談社]] 2008年3月25日</ref><ref group="注釈">「私は田園調布の西側に半円のエトワール型を取り入れてもらった。この分譲地のサイト・プランを依頼した[[矢部金太郎]]君に注文をつけたのである」田園調布の街はエトワール型の道路を造り、街路樹を植え、広場と公園を整備し、塀は生け垣とし、庭を広くとり緑地の一部とし、街全体が庭園のようになっている。 - 『随筆 街づくり わが町』渋沢秀雄、沿線新聞社、1971年(昭和46年)</ref>地域)の分譲も開始し、目黒蒲田電鉄はそれらの交通を担った<ref group="注釈">「交通機関としては、目黒駅からこの住宅地まで電気鉄道を開通させます。すなわち、この電鉄は田園都市株式会社が巨費を投じて特に居住者に交通の便を提供するものであります」 - 『理想的住宅案内』田園都市株式会社、1922年(大正11年)</ref>。つまり目黒蒲田電鉄は、田園都市株式会社と地権者が共同開発した分譲地を、その付加価値を高めるために、[[鉄道省|省線]](現在の[[東日本旅客鉄道|JR線]])と結ぶ交通手段として設立されたのである。都市開発の一環としての鉄道事業という位置付けはこの当時からのものであり、[[戦後]]においても、[[多摩田園都市]]の開発に伴う[[東急田園都市線|田園都市線]]の延伸などのプロジェクトを行っている<ref>{{harvnb|東京急行電鉄株式会社社史編纂事務局|1973}} V 拡充編、第一章 本業の充実、1 新機軸による発展、3)城西南地区の開発計画</ref>。
 
 
 
この開業に当たり、大阪の[[箕面有馬電気軌道]](現在の[[阪急電鉄]])の創業者で鉄道経営の実績があり、すでに [[1921年]](大正10年)6月から田園都市株式会社を実質的に経営していた[[小林一三]]<ref group="注釈">渋沢栄一が45万坪の土地を抱えていた田園都市株式会社の経営に困っている時、第一生命の創業者で田園都市株式会社の大株主であった[[矢野恒太]]に経営を見てくれないかと言ったところ、同じ第一生命の役員であった和田豊治が「小林一三に知恵を借りたらどうか」とアドバイスした。矢野は小林に会って助力を求めた。最初は固辞したが、上京して話だけでも聞くだけならと月に一度役員会に出席するようになり、田園都市株式会社を経営していった。 - 『矢野恒太伝』矢野恒太記念会、1957年(昭和32年)</ref><ref group="注釈">田園都市株式会社の経営に関し、小林は名前を出さず、報酬も受け取らず、月に一回日曜日のみ、という約束で経営を引き受け、玉川、調布方面の宅地開発と鉄道事業を進めたという。<br />『中野武営と商業会議所』1017頁<br />大阪府[[池田市]]にある[[逸翁美術館|小林一三記念館]]パネル展示(2011年9月閲覧)</ref><ref group="注釈">小林一三は、田園都市株式会社の役員に名は連ねていないが、実質的に経営しており、また1928年(昭和3年)5月から1936年(昭和11年)11月まで目黒蒲田電鉄および(旧)東京横浜電鉄の取締役に就き、五島慶太の後ろ盾となっていた。</ref> は、その役員会で「僕が毎月上京して役員会で方針を定めて行くが、さっぱり実行出来ない。実行力のある人を役員に入れて貰わねば、せっかく毎月来ても何にもならぬ<ref group="注釈">田園都市株式会社は、中野武営や服部金太郎などそうそうたるメンバーが参加していたが、渋沢栄一から経営を見てくれと言われた矢野恒太は「事業のほうは経営者が素人ばかり」と困り、また矢野から経営を依頼された小林一三もその経営を見て「呆れてものがいえぬ」と困り果てたのである。 - 『矢野恒太伝』矢野恒太記念会、1957年(昭和32年)</ref>」と自身の代わりに[[鉄道省]]出身で未開業の武蔵電気鉄道(後の(旧)[[東京横浜電鉄]]、現在の[[東急東横線|東横線]]の母体)の経営に携わっていた[[五島慶太]]を推挙した<ref group="注釈">「僕がどうやって五島慶太君をつかまえて矢野恒太さんに推薦したか内輪話を聞かせてあげる」小林一三は[[東京横浜電鉄|武蔵電鉄]]が持っていた田園調布から蒲田までの鉄道施設権が欲しかったのである。既に目黒蒲田電鉄は目黒から田園調布の施設権を持っていたが、蒲田まで延長すれば省線の駅同士を結ぶことができ、かつ乗車効率が高まるからである。また国からの補給利子(補助金)もより多く受けることができた。そこで武蔵電鉄の五島慶太をスカウトし、武蔵電鉄の施設権と五島慶太を一挙に手に入れたのである。 - 『小林一三と矢野一郎との対談』実業之日本、1952年(昭和27年)2月</ref><ref group="注釈">小林一三が五島慶太を目黒蒲田電鉄にスカウトする時「もしコンガラがった場合、目黒電車の開通がのびのびになると困る。そこで考えた」その当時、阪急神戸線の神戸乗り入れ線は、高架線で神戸に乗り入れるか地下線で乗り入れるかでゴタゴタしていた。[[神戸市会]]が地下線で建設することを条件に許可したのだが、阪急は高架線に変更し建設し始めたからである。そこで、小林一三は元鉄道省総務課長であった五島慶太を、まず阪急の顧問として招聘したのである。その関係を保ちながら目黒電車入りを勧め成功した。そして1927年(昭和2年)10月、阪急神戸線を全線高架式に変更すると申請しなおした。その後、五島の働きかけもあり内務省、鉄道省は阪急神戸線の高架計画の申請を許可した。「神戸市内高架線の成功は、五島顧問のおかげだった」阪急にとっても役立ったのである。 - 『篠原三千郎氏を偲ぶ』東京急行電鉄、1954年(昭和29年)</ref><ref group="注釈">小林一三から「荏原電鉄(後の目黒蒲田電鉄)を先に建設し、田園都市の45万坪の土地を売り、その利益で武蔵電鉄をやればいい」と説得され専務就任を決心した。- 私の履歴書 第一集 P12、[[日本経済新聞社]]1957年2月10日</ref>。こうして1922年(大正11年)10月、目蒲入りした五島慶太は陣頭指揮を執って同社を東都最大の私鉄に育成することとなる。しかし、田園都市株式会社、及び目黒蒲田電鉄の経営も「私自身本来の眼目であった」武蔵電気鉄道((旧)東京横浜電鉄)の開業を期すための手段という位置づけであった<ref>{{harvnb|東京急行電鉄株式会社総務部文書課|1943}}</ref>。
 
 
 
まず、1923年(大正12年)3月に[[目黒駅|目黒]] - 丸子(現在の[[沼部駅|沼部]])間を開業、洗足田園都市の居住者に交通の便を提供し、8月には[[田園調布|多摩川台]]地区の分譲も始めた。同年9月1日、[[関東大震災]]が発生し[[東京市|東京市内]]は壊滅的な被害を受けたが、洗足田園都市の分譲地にはほとんど被害が無く<ref group="注釈">「東京市内の地獄絵みたいな無残さ、惨たらしさとはうらはらに、洗足地区は何と美しかったろう。まさに天国と地獄だった。最大の被害でも壁に亀裂が入り、レンガがズレ落ちた程度だった。」 - 『随筆 街づくり わが町』渋沢秀雄、沿線新聞社、1971年(昭和46年)</ref>、また11月には目黒 - [[蒲田駅|蒲田]]間を全通させることができ[[東急目蒲線|目蒲線]](現在の[[東急目黒線|目黒線]]の一部および[[東急多摩川線]])と呼んだ。次に、目黒蒲田電鉄の姉妹会社である(旧)'''東京横浜電鉄'''(武蔵電気鉄道の後身){{Refnest|group="注釈"|東京横浜電鉄沿革史では姉妹会社と言う表現を使っているが「田園都市株式会社」「目黒蒲田電鉄」「(旧)東京横浜電鉄」は、その成立経過から資本も同じ、経営者も同じ、つまり事実上の同一会社である。{{sfn|東京急行電鉄株式会社総務部文書課|1943}}}}は[[1926年]](大正15年)2月に丸子多摩川(現在の[[多摩川駅|多摩川]]) - 神奈川間 (神奈川線、14.7&nbsp;km) を開通させ、目蒲線との相互乗り入れにより、目黒 - 神奈川間の直通運転を開始した<ref group="注釈">「渋谷〜丸子多摩川間は、目蒲線と並行路線であるので、目蒲線への影響が大きい。まず、丸子多摩川〜神奈川間を建設して目蒲線と直通運転を行うこと、そして目蒲線が成長してから渋谷線に着手すること」渋谷線の建設は目蒲線の経営が安定してからとなったのである。- {{harvnb|東京急行電鉄株式会社社史編纂事務局|1973}} II 充実編、第一章 鉄道業の充実、1 東横線の建設、2)神奈川線の建設 神奈川線から着手した理由</ref>。そして翌[[1927年]](昭和2年)8月には[[渋谷駅|渋谷]] - 丸子多摩川間 (渋谷線、9.1&nbsp;km) を開通させ、渋谷 - 神奈川間(23.9&nbsp;km)の直通運転を開始して、東横線と呼んだ。東横線は五島慶太が最も精魂を傾けて建設した路線だと言われている<ref>『日本の私鉄 東京急行電鉄』[[毎日新聞社]] 2011年1月30日</ref>。1932年(昭和7年)3月には[[桜木町駅|桜木町]]まで延長、東横線が全線開業した。これら沿線に[[1925年]](大正14年)12月、[[多摩川園]]を開園、[[1934年]](昭和9年)11月、渋谷に[[東急百貨店東横店|東横百貨店]]<ref group="注釈">五島慶太は阪急での百貨店経営の成功を東横電鉄にも取り入れるため、1932年(昭和7年)4月からデパート建設を準備した。それに伴い従業員を[[阪急百貨店]]だけでなく、[[高島屋]]、[[松坂屋]]にも研修に出したが、老舗百貨店であった[[三越]]はこれを拒否した。また、1934年(昭和9年)11月、東横百貨店が開業してからも、五島慶太が「呉服会を改称した[[日本百貨店協会]]」に参加しても三越からは相手にもされなかった。その後、1938年(昭和13年)、三越取締役でもあった故・前山久吉の遺族から三越株を買わないかと話があり、「幸い東横百貨店を経営しているから、三越と東横百貨店を合併して、東横百貨店を三越の渋谷支店にしてみたらどうだろう。と三越株の10万株を買った」。 三越株の6分の1を買い占めたいわゆる「三越乗っ取り事件」である。この三越は慶応閥であり、塾員である[[小林一三]]から「渋谷のような田舎の百貨店が三越を買収するのは、蛙が蛇を呑むより無理」といわれ、また慶応閥であった三井銀行とそれに呼応して三菱銀行からの東横電鉄に対する融資が停止され、結局、三越買収を断念した。しかしこの時、90円で買った三越株を150円で全株売却し、膨大な売却益を得たのであった。<br />「私の履歴書」第一集、五島慶太、8.「三越の乗っ取り失敗」P18-20、[[日本経済新聞社]]1957年(昭和32年)2月10日<br />「東急外史 顔に歴史あり」第四話「三越乗っ取り事件とその裏にうごめくもの 取り押さえ損ねた”ライオン”」P109-120、沿線新聞社、1982年(昭和57年)4月15日</ref>を、田園調布に田園テニス倶楽部を、1936年(昭和11年)に[[田園コロシアム]]を作るなど沿線住民の利便性を高めた。「乗客は電車が創造する」と言った小林一三が阪急で用いた手法を五島慶太は継承したのである<ref group="注釈">「私は小林一三の知恵をかりた。まま教えを受けたというところだ。実業家になって以来三十年間というもの、何でも彼に相談した。そして小林一三を後ろのつっかい棒にした。倒れかかると小林がつっかい棒をしてくれた。私は小林一三に敬意を表している」東急は「阪急の小林の手法」を用いたというより、小林一三が五島慶太の後ろ盾となり、田園都市株式会社、目黒蒲田電鉄、(旧)東京横浜電鉄の経営に直接、間接に関与していたのである。 - 五島慶太「70年の人生」要書房、1953年(昭和28年)</ref><ref group="注釈">「東急の経営は阪急の方針をとり、全て小林イズムを踏襲して参りました」 - 五島慶太、小林一三追悼式での言葉、1957年(昭和32年)3月8日、東京宝塚劇場に於いて。</ref>。しかしそれだけでなく、大学等の学校を誘致する。まず、1924年(大正13年)、[[関東大震災]]で被災した[[東京工業大学]]を[[蔵前]]から目蒲線の[[大岡山]]に土地の等価交換により移転させることに成功した<ref group="注釈">「蔵前の1万2千坪の土地は、間もなく復興局の材料置き場として240万円(売却益は150万円以上、簿価より計算、五島は180万円と記載)で買収されたので、私はこの金で武蔵電鉄の株式の過半数を買収した。名称を東京横浜電鉄と改め、いよいよ東横線の建設に着手した」1924年(大正13年)1月8日、田園都市株式会社は、大岡山所在の社有地9.2万坪と蔵前所在の東京高等工業学校(現・東京工業大学)敷地1.2万坪と等価交換、同年6月、蔵前の土地は震災復興局に転売、震災による土地高騰もあり、240万円で買収され、その売却益で[[東京横浜電鉄|武蔵電鉄]]の株を購入することにより東横線建設の資金とした。 - 五島慶太『70年の人生』要書房、1953年(昭和28年)</ref>。そして、[[1929年]](昭和4年)には[[慶應義塾大学]]に[[日吉 (横浜市)|日吉台]]の土地を無償提供し<ref group="注釈">「慶応義塾の敷地を拡張移転せしむべしとの論が起り、関東大震災で被害復旧が一段落を告げる頃から、ようやく郊外に広き土地を買い入れ、主に予科を移転し、候補地を神奈川県に求める」との論起り「かくするうち、東京横浜電鉄から、日吉台の土地七万二千余坪を無償提供すると申出あり」「この間、東京横浜電鉄株式会社の関係者の一人である塾員小林一三は終始好意的に斡旋につとめた」、慶応の卒業生であった小林一三は母校の日吉への誘致に積極的に関与する。 - 『慶応義塾100年史』慶応義塾大学、1964年(昭和39年)</ref>、1934年(昭和9年)日吉キャンパスが開設された。[[1931年]](昭和6年)に[[日本医科大学]]に[[武蔵小杉駅]]近くの土地を無償提供し、[[1932年]](昭和7年)に[[府立高等学校 (旧制)|東京府立高等学校]](後の東京都立大学、現:首都大学東京<ref group="注釈">最寄りの駅・都立大学駅の名称は、柿の木坂駅から、府立高等前駅、府立高等駅、都立大駅に、校名と伴に改称された。大学は移転し名称も変更されたが駅名は変更されず存続している。</ref>)を[[八雲 (目黒区)|八雲]]に誘致、[[1936年]](昭和11年)に[[東京府青山師範学校]](現:東京学芸大学<ref group="注釈">最寄りの駅・学芸大学駅の名称は、碑文谷駅から、青山師範駅、第一師範駅、学芸大学駅に、校名と伴に改称された。大学は移転したが駅名は存続している。</ref>)を世田谷・[[下馬 (世田谷区)|下馬]]に誘致するなど、東横沿線は田園都市としてだけでなく学園都市としての付加価値も高まっていくことになり、かつ多くの通学客という安定的な乗客の獲得にもつながった{{sfn|東京急行電鉄株式会社総務部文書課|1943|pages=114-115}}。また、1927年(昭和2年)7月から1929年(昭和4年)12月にかけて[[大井町駅|大井町]] - [[二子玉川駅|二子玉川]]間を開通させ[[東急大井町線|大井町線]]と呼んだ<ref group="注釈">1920年(大正9年)3月6日、田園都市株式会社傘下の[[目黒蒲田電鉄|荏原電気鉄道]]に大井町 - [[田園調布|調布村]]間の地方鉄道敷設免許がおり、同年5月18日、田園都市株式会社は施設免許を譲り受け、1921年(大正10年)2月15日には[[大崎 (品川区)|大崎町]] - [[碑衾村]]間の鉄道敷設免許もおりる。しかし[[鉄道省]]が「文化住宅地からの通勤線としては[[山手線]]と直結すべき」と助言したため、大井町までの建設より、まず目黒から多摩川台(田園調布)まで[[東急目蒲線|目黒線]]の工事を先行し、大井町線の建設はその後となったのである。 - 「田園都市株式会社、設立趣意書・目論見書・定款」認可申請の添付書類より。田園都市株式会社、1922年(大正11年)</ref>。
 
 
 
その後、五島慶太は事業拡大に乗り出す。まず、目黒蒲田電鉄が'''[[池上電気鉄道]]'''(現在の[[東急池上線|池上線]]を運営)を買収・合併した。目黒蒲田電鉄と池上電気鉄道は開業当初から開発地域が競合していたが、その一方で合併話も持ち上がっていた。「当時の池上電鉄は経営が苦しいのに有利な条件を出しゴタゴタ言ってきた」そこで、経営者の後藤国彦とオーナーの[[東京川崎財閥|川崎財閥]]とはうまくいっていないことを利用し、[[1933年]](昭和8年)5月、五島慶太は、川崎財閥の総帥川崎肇から「池上電鉄の株、全部で一二万株のうち八万五千株を一夜にして買ってしまい、万事うまくいった<ref>五島慶太『70年の人生』要書房、1953年(昭和28年)</ref>」と買収して乗っ取ってしまったのである{{sfn|東京急行電鉄株式会社総務部文書課|1943|pages=204-207}}。次に、(旧)東京横浜電鉄は'''[[玉川電気鉄道]]'''([[東急玉川線|玉川線]](現在の田園都市線の一部となった[[東急田園都市線|新玉川線]]の前身)および、[[東急世田谷線|世田谷線]]の母体)を買収・合併した。(旧)東京横浜電鉄は、当時渋谷の開発をめぐり玉川電気鉄道と競合していたが、五島慶太は同時に抱えていた[[地下鉄道]]建設を目的で設立された[[東京高速鉄道]]の案件で、渋谷駅の建設をするのに玉川電気鉄道の協力が必要だった。また玉川電気鉄道の電灯電力供給事業も欲しかった。そこで[[千代田生命]]と[[協和銀行|内国貯金銀行]]が持っていた玉川電気鉄道の株五万六千株を買収、[[1936年]](昭和11年)10月、五島慶太が社長に就任、乗っ取りに成功し、[[1938年]](昭和13年)4月には(旧)東京横浜電鉄は玉川電気鉄道を合併した{{sfn|東京急行電鉄株式会社総務部文書課|1943|pages=227-254}}。
 
 
 
そして、目黒蒲田電鉄は[[1939年]](昭和14年)10月1日に(旧)東京横浜電鉄を合併し、10月16日に、名称を逆に(新)'''東京横浜電鉄'''(とうきょうよこはまでんてつ)と改称した。この合併にあたり、歴史が長く東急電鉄の幹線となる東横線を運営する(旧)東横電鉄を主体とし、目蒲電鉄をこれに併合する予定であったが、資本の流れの問題もあり、まず目蒲電鉄が東横電鉄を併合し、目蒲電鉄を形式上の存続会社とし、名称を逆に東横電鉄とした{{sfn|東京急行電鉄株式会社総務部文書課|1943|page=265-26}}<ref group="注釈">五島慶太が「東横線が我々の祖業である、この線が滞りなく走っていれば東急の事業は安泰だ」と語ったように(旧)東京横浜電鉄は(新)東京横浜電鉄における事実上の主力となった。-『日本の私鉄 東京急行電鉄』毎日新聞社 2011年1月30日</ref>。この時に、現在の東急の基本となる路線がほぼ一元的に運営されるようになっている。なお、田園都市株式会社は1928年(昭和3年)5月に、多摩川台地区などの分譲が完了したため、子会社である目黒蒲田電鉄に吸収合併されたが{{sfn|東京急行電鉄株式会社総務部文書課|1943|pages=40-54}}、[[デベロッパー (開発業者)|デベロッパー]]としての[[東急不動産]]の始祖でもあった<ref>「街づくり50年」[[東急不動産]]、1973年(昭和48年)</ref>。
 
 
 
=== 「大東急」の時代 ===
 
[[File:TKK Linemap 1945.svg|thumb|300px|「大東急」時代の路線網(1945年6月1日)]]
 
{{See also|大東急}}
 
1938年(昭和13年)4月、電力国家管理法が公布され、[[1939年]](昭和14年)4月に国策会社[[日本発送電]]が発足する。このことにより'''[[小田急電鉄|小田原急行鉄道]]'''<ref group="注釈">大東急発足前の小田原急行鉄道、その後の(旧)小田急電鉄は、現在の[[小田急小田原線|小田原線]]、[[小田急江ノ島線|江ノ島線]]と[[京王電鉄]][[京王井の頭線|井の頭線]](元の帝都電鉄)を経営していた。</ref> の親会社である[[鬼怒川水力電気]]は、得意先(売電先)を失うなどして経営が悪化する。それに伴い小田原急行鉄道も経営が悪化し、社長であった[[利光鶴松]]が五島慶太に経営を委ね、[[1939年]](昭和14年)10月、五島は小田原急行鉄道の取締役会で取締役に選任された。[[1941年]](昭和16年)3月に小田原急行鉄道は、経営再建のため鬼怒川水力電気と合併し(旧)小田急電鉄と社名変更し、同年9月には五島慶太が[[社長]]に就任した<ref>『小田急五十年史』小田急電鉄、1980年(昭和55年)</ref>。
 
 
 
前節で触れた東京高速鉄道は、渋谷 - [[新橋駅|新橋]] - [[東京駅|東京]]間の[[地下鉄]]建設を行う会社として、[[大倉財閥]]の門野重九郎、脇道誉と小田原急行鉄道の利光鶴松が組んで設立しようとした会社で、当時の[[東京市]]は[[山手線]]内の鉄道施設権を独占していたが財源が無く東京高速鉄道に地下鉄道の施設権を譲渡したのであった。しかし東京高速鉄道も資金難であり、[[第一生命]]の創業者であり東京横浜電鉄の社長だった[[矢野恒太]]{{Refnest|group="注釈"|田園都市株式会社の大株主であり1921年(大正13年)10月から1928年(昭和3年)5月まで(旧)東京横浜電鉄の会長・社長を務め、1927年(昭和2年)4月から1928年(昭和3年)5月まで田園都市株式会社と目黒蒲田電鉄の社長を務めていた。この経緯もあり、現在でも第一生命が東急電鉄の筆頭株主である{{sfn|東京急行電鉄株式会社総務部文書課|1943|pages=327-336}}。}}に相談すると「東横電鉄の五島慶太を参加させること」を条件に出資し五島が常務(事実上の経営者)に就任、1934年(昭和9年)9月、会社は設立された。五島は、東京高速鉄道の渋谷から新橋までの運営は、すでに[[浅草駅|浅草]] - [[神田駅 (東京都)|神田]] - 新橋間で開業(1934年(昭和9年)6月に全通)していた[[東京地下鉄道]]と結んだ方が経営上の効率が良いと判断し、また東京市との約束「将来において東京地下鉄道と合併を条件に施設権を譲渡する」もあり、東京地下鉄道と交渉し両社間で直通することで半ば強引に合意した。しかし、東京地下鉄道側は合意に反し、1937年(昭和12年)3月、[[京浜急行電鉄|'''京浜電気鉄道''']]と結んで京浜地下鉄道を設立し、東京高速鉄道との直通ではなく新橋から[[品川駅|品川]]方面への延伸計画を発表した<ref group="注釈">この時の「京浜電気鉄道との品川までの施設権」は後の[[帝都高速度交通営団|営団地下鉄]]が引き継いだのであるが、戦後の復興期に、営団だけでは地下鉄道の建設が追いつかないという[[東京都]]の主張が受け入れられ、1956年(昭和31年)[[都市交通審議会]]の答申で1号線([[都営地下鉄浅草線]])として戦前からの[[東京市]]の念願だった地下鉄道を実現することになり、また同時に[[泉岳寺駅]]での京浜急行との乗り入れもかなった。</ref>。これに対し五島は、東京地下鉄道の提携先である京浜電気鉄道株式の買い占めにかかり、1938年(昭和13年)1月、まず同社の大株主であった前山久吉(内国貯金銀行頭取)から株式を入手、次いで1939年(昭和14年)3月、京浜電気鉄道会長である[[望月軍四郎]]からも入手、東京高速鉄道は京浜電鉄株の過半数を所有、同年4月、五島慶太が京浜電鉄の取締役となり傘下とし、同時に姉妹会社である[[湘南電気鉄道]]も傘下におさめ<ref group="注釈">1939年(昭和14年)4月21日、五島慶太が京浜電鉄の取締役に、また湘南電鉄の専務取締役に選任された。</ref>、6月に五島慶太は京浜電鉄の専務に就任、1941年(昭和16年)11月には社長に就任した<ref>『京浜電気鉄道沿革史』京浜急行電鉄株式会社、1949年(昭和24年)</ref>。
 
 
 
その東京高速鉄道であるが、1938年(昭和13年)12月、渋谷から[[虎ノ門駅|虎ノ門]]間を開通し、1939年(昭和14年)1月には新橋まで延伸したが、前述の東京地下鉄道側の抵抗により東京高速鉄道の新橋駅を別に建設しての運行を余儀なくされていた<ref group="注釈">相互乗り入れするまでの8か月間、新橋駅に東京高速鉄道と東京地下鉄道のホームが別々に存在していた。現在利用されているのは東京地下鉄道のホームであるが、東京高速鉄道のホームも残存しており車両留置や資材置き場などに活用され、また幻のホームとして特別イベントで公開されることがある。</ref>。しかし同年8月には、東京地下鉄道の株も大株主の穴水熊雄から買収し、やっと9月に東京高速鉄道と東京地下鉄道との新橋駅での相互乗り入れが始まった{{sfn|東京急行電鉄株式会社総務部文書課|1943|pages=257-260}}。結局1941年(昭和16年)9月、[[陸上交通事業調整法]]により、両社は京浜地下鉄道と共に新たに発足した[[帝都高速度交通営団]]に併合され、地下鉄に関しては五島の乗っ取りはかなわなかった<ref group="注釈">東京地下鉄道の株を、東京高速鉄道(東横電鉄)の五島慶太が買収したのであるが、「この時は鉄道省だけでなく、政界、日本銀行を含む財界を巻き込む騒動となってしまった。」この騒動を陸上交通事業調整法を用い「いわば、けんか両成敗で」仲裁に持ち込み、その後、帝都高速度交通営団として吸収してしまったのは、五島慶太の東京帝国大学法学部、および鉄道省の後輩、[[佐藤栄作]](後の内閣総理大臣)であった。 - 『今日は明日の前日』佐藤栄作、フェイス社、1964年(昭和39年)</ref>。
 
 
 
そして、[[1942年]](昭和17年)[[5月1日]]に、陸上交通事業調整法による戦時統制の背景もあり、同じ五島慶太が社長を務める(旧)小田急電鉄を譲受・合併、京浜電気鉄道を買収・合併して、商号を'''東京急行電鉄'''と改称した{{sfn|東京急行電鉄株式会社総務部文書課|1943|pages=260-264}}。さらに、[[1944年]](昭和19年)[[5月31日]]には、やはり電力国家管理法により電灯電力給電事業が奪われて経営が悪化していた[[京王電鉄|'''京王電気軌道''']]を買収・合併した<ref>『京王帝都電鉄三十年史』京王帝都電鉄、1978年(昭和53年)</ref><ref group="注釈">京王は電力国家管理法が交付されるまでは業績が良好であったこともあり、会長であった[[井上篤太郎]]は「我が城(京王)は小さくともダイヤモンドだ。東京急行は規模はでかいかも知れないが瓦礫の山だ」と言って、東急との合併に最後まで反対した。 - 「東急外史 顔に歴史あり」沿線新聞社、1982年(昭和57年)</ref>。前述の通り(旧)小田急電鉄は五島慶太に経営の再建を委ねたのであるが、その他の池上電気鉄道、玉川電気鉄道、京浜電気鉄道、京王電気軌道の買収・合併は、つまりこの「ライバルや敵を身内にしてしまう」やり方は、主に株式の買い占めを図ることで行われ<ref group="注釈">五島は「時にはやむを得ず、株買い占めという強硬手段も採らざるをざるをえないこともあったが」と言っている。 - 『私の履歴書』第一集 P20、日本経済新聞社1957年2月10日</ref>、これらの会社を「あたかも札束をもって白昼強盗を働くように買収」し、その強引なやり方から、五島は名字をもじって「強盗慶太」なる異名をとっていた<ref group="注釈">五島は「世間で言うような単に私の征服欲、事業欲のためのみでなく、東横電鉄の社員を愛し、その老後の生活までを考え、あわせて会社の総経費を分割して、経費を下げるということからやったことである」と言っている。 - 『私の履歴書』第一集 P20、日本経済新聞社1957年2月10日</ref>。またこれら4社以外にも、1941年(昭和16年)11月までに、その資本力にもの言わせ買収した会社は、[[相模鉄道]]、[[静岡鉄道|静岡電気鉄道]]、[[江ノ島電気鉄道]]、[[相模鉄道|神中鉄道]]など、30社以上に達した{{sfn|東京急行電鉄株式会社総務部文書課|1943|page=152-202}}。さらに1944年(昭和19年)2月には五島慶太が運輸通信大臣に就任した。この時期までに路線延長は約320kmにもおよび、北は[[中央本線|中央線]]から南は[[三浦半島]]、西は[[箱根]]までをテリトリーとするいわゆる「[[大東急]]」の時代となる。
 
 
 
しかし、戦後は一変、[[私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律|独占禁止法]]や[[過度経済力集中排除法]]が施行される。「大東急」はこれらの法律の適用から除外されたものの、「大東急も当てはまる」と主張する(旧)小田急電鉄関係者を中心にかつての4社への復元運動が勃発する。これを受けて経営陣は会社経営の民主化に乗り出す。また、戦中の空襲での被害が沿線地域に集中しており、復興するためには一企業での資金調達が限界があり困難となったばかりか、空襲被害からの復旧、人口の郊外移動による各線の輸送力増強への対応など、合併や買収により編入した各線は、東急の重い負担になっていた。
 
東急は、まず[[1947年]](昭和22年)相模鉄道や[[静岡鉄道]]など傘下会社の持株の大部分をその会社の役職員などに譲渡し放出(相模鉄道の運営受託は持株放出直前の同年5月31日に終了している)。そこへ8月、五島慶太が公職追放に追い込まれる。そして[[1948年]](昭和23年)5月に[[百貨店]]部門を東横百貨店(現・[[東急百貨店]])に分離し、6月に小田急電鉄、[[京浜急行電鉄]](京急)、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)<ref group="注釈">(旧)小田急系の帝都電鉄は、乗り換え運賃の問題もあり、(旧)小田急電鉄とは分離、京王帝都電鉄に合併され、京王井の頭線となった。</ref> を分離させ、大東急の「再編成」を行った。ただし、三私鉄の分離独立後も、各社の幹部人事は五島慶太が指示しており、長男の五島昇を小田急、京急、京王帝都の取締役に就任させていた(五島昇が死去する[[1989年]](平成元年)まで続いた)。その他、京王帝都の[[三宮四郎]]社長(東急出身)が[[大映]]の[[曾我正史]]専務と組んで、映画会社[[日本ドリーム観光|日映]]設立の動きを見せると、当時、財務基盤が脆弱だった京王帝都の中核事業以外への過剰投資を憂慮した東急側の意向により、日映設立を中止させ、三宮社長を事実上更迭した例([[日映事件]])や、[[西武鉄道]]と激しく抗争した箱根・[[伊豆半島|伊豆]]開発では小田急の[[安藤楢六]]社長を通じて代理戦争を演じた例([[箱根山戦争]])など、戦後しばらくは東急系三私鉄は、東急の衛星企業として機能した。
 
 
 
大東急の名残として、東横目蒲電鉄健康保険組合(1935年4月1日設立)を祖とし、東京急行電鉄、京王電鉄、京浜急行電鉄、相模鉄道、東映、関東バスおよび小田急電鉄の母体事業所および子会社などを含めた[[健康保険組合]]である、東京西南私鉄連合健康保険組合(1948年改組)の存在があげられる。近年、小田急グループは分離独立したが、2003年(平成15年)4月1日、東急車輛健康保険組合との合併を経て現在に至っている。また、合併されていた4私鉄は現在でも[[動力車|電動車]]の形式記号に「モ」ではなく「デ」を使用している。また、五島昇が社長・会長をつとめていた当時は、東急系の京王帝都、京急、小田急各社の非常勤取締役に就いており、系列の[[東急エージェンシー]]、[[東急レクリエーション]]は、現在でも上記3社とは資本的、人的関係を有するのも大東急の名残といえる。
 
 
 
=== 東京急行電鉄再発足以後 ===
 
その後、公職追放から1951年(昭和26年)8月に復帰した五島慶太は、自ら提唱した多摩田園都市構想に基づき、その動脈である田園都市線を建設する。「東京都の人口が750万人以上になれば公共施設が追いつけず、その機能が失われると思われる。人口膨張により東京都自身がゆき詰まってしまう。そこで大山街道(現在の[[国道246号]])沿いに500万坪(1650万平米)<ref group="注釈">田園都市株式会社が開発した45万坪(148万平米)の約11倍の規模である。</ref> を買収して第二の東京都をつくることを計画した。これを実施するのは、田園調布などの街づくりに実績のある当社が適当である。大山街道沿いに沿って10か所ほどの小都市をつくって、同時にこの地方全体の発展を図りたいと考えている。(五島慶太口述「城西南地区開発趣意書」より)」1953年(昭和28年)1月に発表されたこの構想により、城西南地区(川崎市中部、横浜市北部)を4ブロックに分け、それぞれの地区に新都市を建設する計画を立てた。その後、横浜市港北区(現都筑区)に当る第3ブロックは鉄道建設区域から離れているため東急電鉄自体での開発は断念し(後に横浜市の港北ニュータウンとなる)、元の第4ブロックを第3ブロックとし、新たに町田市南部、大和市北東部を第4ブロックとし開発を推進した<ref>{{harvnb|東京急行電鉄株式会社社史編纂事務局|1973}} V 拡充編、第一章 本業の充実、1 新機軸による発展、3)城西南地区の開発計画、五島慶太の構想 城西南地区の状況</ref>。まず[[1963年]](昭和38年)10月、大井町線(大井町 - [[溝の口駅|溝の口]]間)を田園都市線と改称し、[[1966年]](昭和41年)4月、これを延長する形で溝の口 - 長津田間を開業、その後徐々に延伸した<ref group="注釈">1968年(昭和43年)4月、[[つくし野駅|つくし野]]まで延伸、1972年(昭和47年)4月、[[すずかけ台駅|すずかけ台]]まで延伸、1976年(昭和51年)10月、[[つきみ野駅|つきみ野]]まで延伸、全線複線化完成、1984年(昭和59年)4月、中央林間までの全線開業。</ref>。[[1977年]](昭和52年)4月、[[1969年]](昭和44年)5月に廃止された玉川線の継承路線である新玉川線(渋谷 - 二子玉川園間)が開通、11月には田園都市線と快速列車が[[直通運転]]を開始した。[[1979年]](昭和54年)8月には、 全列車が田園都市線から新玉川線を経由して[[東京メトロ半蔵門線|半蔵門線]]方面へ直通運転を開始し、同時に大井町 - 二子玉川園間を大井町線として分離した。[[1984年]](昭和59年)4月には、つきみ野 - 中央林間が全線開業し、多摩田園都市の基礎的[[インフラストラクチャー|インフラ]]が完成する。また[[2009年]](平成21年)7月には、沿線の人口増加による混雑対策として、田園都市線の二子玉川 - 溝の口間が複々線化され、バイパス路線として大井町線が溝の口駅まで乗り入れを開始した。
 
 
 
その五島慶太に東急の祖業であるとまで言わしめた東横線であるが、[[1964年]](昭和39年)8月に[[帝都高速度交通営団|営団]](現:[[東京地下鉄|東京メトロ]])[[東京メトロ日比谷線|日比谷線]]と、[[中目黒駅|中目黒]] - [[日吉駅 (神奈川県)|日吉]]間で直通運転を開始した<ref group="注釈">日比谷線では当初から[[北千住]]側で、[[東武伊勢崎線]](東武スカイツリーライン)とも相互乗り入れをしているが、東横線からの車両の乗り入れは[[北千住駅]]までで、営団の車両([[営団3000系電車|3000系]]、[[営団03系電車|03系]])でも東横線との運用の場合は乗り入れは北千住駅までとなり、その後開通した東京メトロ千代田線のように3社(3線)をまたいで乗り入れることはなかった。</ref>。[[1988年]](昭和63年)3月からやはり混雑対策として、東横線の複々線化工事に着手、最初の工事である日吉駅改良工事に伴い、同年8月から[[菊名駅|菊名]]まで日比谷線との直通運転区間が延長された。そして[[2000年]](平成12年)8月、[[田園調布駅|田園調布]] - [[武蔵小杉駅|武蔵小杉]]間の複々線化工事が完了、うち2線を利用し、目蒲線の目黒 - 田園調布間と直通運転することにより目黒 - 小杉間を目黒線<ref group="注釈" name="megurosen" />とし、東横線のバイパス路線とした。そして同時に目蒲線の多摩川 - 蒲田間は東急多摩川線として分割され、東急電鉄が最初に施設した路線である目蒲線の名称は消滅した。2000年9月に、目黒線は東京メトロ[[東京メトロ南北線|南北線]]、[[都営地下鉄三田線|都営三田線]]との相互直通運転を開始し、続いて2001年3月には、南北線を介して[[埼玉高速鉄道線]]との相互直通運転も開始し、2008年6月には、日吉まで延伸開業した。[[2004年]](平成16年)2月1日、[[横浜駅]]から[[横浜高速鉄道みなとみらい線|横浜高速みなとみらい線]]の横浜 - [[元町・中華街駅|元町・中華街]]と直通運転を開始し、これに伴い前日の1月31日に横浜 - [[桜木町駅|桜木町]]間が廃止となった。[[2013年]](平成25年)3月16日、渋谷 - [[代官山駅|代官山]]間の地下化が完成し、東横線は東京メトロ[[東京メトロ副都心線|副都心線]]と直通運転を開始、副都心線を介して[[東武東上本線|東武東上線]]と[[西武池袋線]]との相互乗り入れも開始され、[[横浜高速鉄道]]も含め5社による相互直通運転となった<ref group="注釈">田園調布から日吉までの複々線区間は、目黒線に乗り入れている都営三田線と埼玉高速鉄道を含め計7社が乗り入れている。</ref>。同時に、49年間続いた日比谷線直通運転は終了となり、同線はすべてが中目黒での折り返しとなった<ref group="注釈">ただし、日比谷線の車両の分解・検査業務が東京地下鉄[[鷺沼車両基地]]で行われているため、中目黒駅 - 鷺沼駅間の回送運用は存続している。</ref>。
 
 
 
事実上の創業者である五島慶太の息子、[[五島昇]]であるが、[[東京大学経済学部]]卒業後の1940年(昭和15年)[[東京芝浦電気]](現・東芝)に一旦入社するも、1945年(昭和20年)には東京急行電鉄に入社した。1948年(昭和23年)に新発足した[[東急車輛製造|東急横浜製作所]](後の東急車輌、現・[[総合車両製作所]])、京浜急行電鉄などの取締役となり、1954年(昭和29年)には東急電鉄社長に就任し五島慶太の後継となった。社長就任直後に、五島慶太が乗っ取りを図った[[東洋精糖]]から撤収し、傘下の自動車メーカー[[東急くろがね工業]](旧・日本内燃機製造、現・[[日産工機]])を[[日産自動車]]に全株譲渡しグループから離脱させ、また[[東亜石油]]、日東タイヤ、東急エビス産業、吉田瓦斯、日本トリドールを譲渡、映画会社の[[東映]]を分離するなど<ref>VI 飛躍編、第4章 東急グループの近代化、3 事業の整理と譲渡、東京急行電鉄50年史 p762-783、東京急行電鉄、1973年4月18日</ref>、拡大した東急グループを再編し、本業である鉄道業・運輸業とその関連性の高い事業に「選択と集中」を行った。一方で、本業である鉄道経営については[[伊豆急行]]の建設や田園都市線の延伸、新玉川線(後に田園都市線の一部となる)の建設といった鉄道敷設を行うほか、沿線のリゾートや宅地開発に関しては父慶太が立案した通りに忠実にやり遂げた。また五島昇の「環太平洋構想」に起因するが、グループ経営の方向性に合わせ、航空事業(日本国内航空→[[東亜国内航空]]、後の[[日本エアシステム]]、現・[[日本航空]])への進出、広告代理業である[[東急エージェンシー]]の設立、[[東急建設]]の設立、ホテル観光事業の拡大、流通部門の拡大、リゾート開発の拡大などを図り<ref>VI 飛躍編、第4章 東急グループの近代化、1 新分野への進出 - 2 事業の強化・統合、東京急行電鉄50年史 p703-759、東京急行電鉄、1973年4月18日</ref>、五島昇が社長だった1980年代終わりの最盛期にはグループ会社400社、8万人の従業員を数えた。
 
 
 
しかし、1989年(平成元年)3月、72歳で、創業者2代目である五島昇を失った影響は大きかった。五島昇亡き後、[[横田二郎]]を中心とする集団指導体制に移行したが、グループ各社のトップも年齢的に退く時期に重なり、求心力を欠いた経営となってしまい、また「東急グループ」としての厳格なマネジメントは存在しなかったため、各社の自由な裁量が大きくなり、グループ加盟会社毎に事業が拡大し肥大化してしまった。結果、グループ各社で事業部門が重複し無秩序に増えていき、最大で500社以上を数えるまでにグループ企業が拡大膨張してしまった。そして、1990年以降のバブル崩壊後の縮小経済下では、そのスケールの巨大さはデメリットに転じ、1999年(平成11年)3月末の有利子負債はグループ全体で3兆円以上を抱えるなど業績不振に陥ってしまった。ここで、グローバル基準である連結決算重視の流れや減損会計の導入などを受けて、グループの徹底的な再編に踏み切った。
 
 
 
[[1991年]](平成3年)には[[バス (交通機関)|バス]]部門を分離し、[[東急バス]]としている。
 
 
 
1998年(平成10年)、東急グループ代表・[[清水仁 (実業家)|清水仁]]の下、主要加盟社に対し「自立なき者は共創の輪に加わる事ができない」旨を通告<ref>[http://www.tokyu.co.jp/ir/upload_file/library_05/9005_2014031715555201_P01_.pdf 東急グループ経営方針の実行施策の詳細、東京急行電鉄、2000年(平成12年)4月18日]</ref>したのを皮切りに、リストラを大胆に加速した。磐石である『電鉄(東急電鉄)』に依存するのみで、「シナジー価値を創出していない」と判断された数百社をグループから離脱・独立させたのである。そして、無秩序な全国拡張路線を改め、原則的に東急沿線や都市部に経営資源を集中させ、「東急の価値を共に高める総合力」が東急グループであると定義した。重要なコア事業を担う子会社等は、本体(電鉄)にとってのポートフォリオ企業として監視を強める体制にした。その結果、加盟社数は約220社と大きく減少したが、業績は逆に好転し回復傾向となっている<ref>[http://www.tokyu.co.jp/ir/upload_file/library_03/9005_2010060911130803_P01_.pdf 東京急行電鉄中期2か年経営計画の概略、東京急行電鉄、2003年(平成15年)3月26日]</ref>。
 
 
 
2017年現在の東急電鉄の中核事業は「住みたい沿線」「訪れたい街」「働きたい街」の3つをキーワードに、「日本一住みたい沿線 東急沿線」をスローガンとする鉄軌道事業(交通事業)、「日本一選ばれる沿線」であり続ける都市開発事業(不動産事業)、「ひとつの東急」の実現を目指す生活サービス事業、ホテル・リゾート事業、国際事業(海外でのまちづくり)であり、田園都市や学園都市だけでなく総合的な「東急沿線の付加価値の向上」を目指し開発を進め、環境に優しい街づくりと、沿線活性化に努め「次世代へつながる街づくり」を推進している。また、[[目黒蒲田電鉄]]創立100周年にあたる2022年<ref group="注釈">親会社である[[田園都市 (企業)|田園都市株式会社]]は1918年(大正7年)9月に設立されたが、目黒蒲田電鉄は1922年9月に、子会社として分離され設立された。</ref>を見据え、新たな成長に向けた準備を進めている<ref>[http://www.tokyu.co.jp/tokyu/ebtkk-2016-17/html5.html#page=5 中期3か年経営計画「STEP TO THE NEXT STAGE」、美しい時代へ Tokyu corporation 2016-2017]</ref>。
 
 
 
なお、現在の京王電鉄、小田急電鉄、京浜急行電鉄は、東京急行電鉄の全額出資のもと設立された新会社であり、現在でも東京急行電鉄が各社の株式200万株程度を保有する主要株主である。さらにこの東急系4社は相互に株式の持ち合いをおこなっており、親密な関係にある。また、[[大東急記念文庫]]は、東急のほか、発足後の京急、小田急、京王各社が出資して設立され、現在もなお、東急系4社が経営している。
 
 
 
=== 年表 ===
 
※前身企業である田園都市(株)、目黒蒲田電鉄、および(旧)東京横浜電鉄から大東急までの各会社の時代の詳細な年表は、それぞれ「[[田園都市 (企業)|田園都市(株)]]」、「[[目黒蒲田電鉄]]」、および「[[東京横浜電鉄]]」の各社史年表を、多摩田園都市開発に関しては「[[多摩田園都市開発年表]]」を参照のこと。
 
 
 
==== 前史 ====
 
* [[1918年]](大正7年)[[9月2日]] '''[[田園都市 (企業)|田園都市株式会社]]'''設立。
 
* [[1921年]](大正10年)
 
** 4月 [[渋沢栄一]]が、[[第一生命]]の[[矢野恒太]]に田園都市株式会社の経営を依頼。
 
** 6月 [[小林一三]]が、矢野恒太から田園都市株式会社の経営を依頼され、実質的に経営するようになる<ref>『矢野恒太伝』矢野恒太記念会、1957年(昭和32年)</ref>。
 
* [[1922年]](大正11年)
 
** 6月 田園都市株式会社、[[洗足田園都市]]の土地分譲開始。
 
** 9月2日 田園都市株式会社の鉄道部門を分離独立させ'''[[目黒蒲田電鉄]]'''設立。
 
** 10月2日 [[五島慶太]]が目黒蒲田電鉄の専務取締役に就任([[東京横浜電鉄|武蔵電気鉄道]]取締役と兼務)。
 
* [[1923年]](大正12年)
 
** [[3月11日]] 目黒線 [[目黒駅|目黒]] - 丸子(現在の[[沼部駅|沼部]])間開通。
 
** 8月 田園都市株式会社が多摩川台地区で土地分譲開始(後に高級住宅街の代名詞となる[[田園調布]]地区<ref>日本一のブランド力を誇る「田園調布」- [http://media.yucasee.jp/posts/index/1254/2 東京の高級住宅街、住むならどこがベスト]</ref>)。
 
** [[11月1日]] [[東急目黒線|目蒲線]] 目黒 - 蒲田間全線開通。
 
* [[1924年]](大正13年)[[10月25日]] 武蔵電気鉄道が社名変更し(旧)'''[[東京横浜電鉄]]'''発足。
 
* [[1926年]](大正15年)[[2月14日]] (旧)東京横浜電鉄、[[多摩川駅|丸子多摩川]] - [[神奈川駅 (東急)|神奈川]]間開通。目蒲線と相互乗り入れし、目黒 - 神奈川間直通運転開始。
 
* [[1927年]](昭和2年)[[8月28日]] (旧)東京横浜電鉄、[[渋谷駅|渋谷]] - 丸子多摩川間開通。渋谷 - 神奈川間直通運転開始。[[東急東横線|東横線]]と呼称。
 
* [[1928年]](昭和3年)[[5月5日]] 目黒蒲田電鉄が田園都市株式会社を合併。
 
* [[1929年]](昭和4年)
 
** [[7月3日]] (旧)東京横浜電鉄が[[日吉 (横浜市)|日吉台]]の土地(23万7600m<sup>2</sup>)を[[慶應義塾大学]]へ寄付
 
** [[12月25日]] 目黒蒲田電鉄、大井町線 大井町 - 二子玉川間全線開通。
 
* [[1932年]](昭和7年)[[3月31日]] (旧)東京横浜電鉄、東横線 渋谷 - [[桜木町駅|桜木町]]間全線開通。
 
* [[1934年]](昭和9年)
 
** [[10月1日]] 目黒蒲田電鉄が[[池上電気鉄道]](池上線)を合併。
 
** 11月1日 (旧)東京横浜電鉄、[[東急百貨店東横店|東横百貨店]]を開業。
 
* [[1936年]](昭和11年)[[12月24日]] 五島慶太が電鉄両社の取締役社長に就任。
 
* [[1937年]](昭和12年)[[12月1日]] 目黒自動車運輸および芝浦自動車を合併。
 
* [[1938年]](昭和13年)
 
** 1月 東京タクシーを設立。
 
** [[4月1日]](旧) 東京横浜電鉄が[[玉川電気鉄道]](玉川線)を合併。
 
** [[10月20日]] [[江ノ島電鉄|江ノ島電気鉄道]]が(旧)東京横浜電鉄傘下に入る。
 
* [[1939年]](昭和14年)
 
** 10月1日 目黒蒲田電鉄が(旧)東京横浜電鉄を吸収合併。
 
** [[10月16日]] 目黒蒲田電鉄が(新)'''東京横浜電鉄'''に商号変更。
 
** [[11月21日]] 横浜市街自動車を買収。
 
* [[1940年]](昭和15年)
 
** [[3月30日]] [[学校法人五島育英会|東横学園]]設立。
 
** [[12月23日]] 横浜市街自動車は東横タクシーに商号変更。
 
* [[1941年]](昭和16年)
 
** [[9月20日]] 五島慶太が(旧)[[小田急電鉄]](同年3月1日鬼怒川水力電気が小田原急行鉄道を合併して社名変更)社長に就任
 
** [[11月25日]] 五島慶太が[[京浜急行電鉄|京浜電気鉄道]]社長に就任
 
 
 
==== 「大東急」の時代 ====
 
* [[1942年]](昭和17年)
 
** 5月 [[強羅ホテル]]を買収。
 
** [[5月1日]] [[京浜急行電鉄|京浜電気鉄道]]および、[[小田急電鉄]]を合併、(旧)'''東京急行電鉄'''に商号変更。
 
* [[1943年]](昭和18年)[[7月1日]] 大井町線列車が溝の口まで乗り入れ開始。
 
* [[1944年]](昭和19年)
 
** [[2月19日]] 五島慶太が[[運輸通信省 (日本)|運輸通信大臣]]<!--リダイレクト修正-->就任に伴い、社長を辞任。
 
** [[2月24日]] [[篠原三千郎]]が取締役社長に就任。
 
** [[5月31日]] [[京王電鉄|京王電気軌道]]を合併。
 
** [[9月14日]] [[戦時体制|戦時統合]]により横浜川崎地区のタクシー事業者21社を東横タクシーに統合。
 
* [[1945年]](昭和20年)
 
** [[1月16日]] 戦時統合により東京都内のタクシー事業者を4社に統合するため、日東自動車と東京タクシーを中心に11社1個人の経営統合が決定。
 
** [[3月12日]]
 
*** [[平山孝]]が取締役社長に就任。
 
*** [[草軽電気鉄道]]を買収。
 
**3月14日 渋谷、新宿、横浜、京王の4営業局を改組し渋谷、目黒、新宿、品川、横浜、京王の6管理部を設立。
 
** 6月1日 [[相模鉄道]]から同社運輸事業の管理を受託。相模管理部を新設し神中線(後の厚木線→相鉄本線)の営業管理を行う。
 
** [[8月20日]] [[小宮次郎]]が取締役社長に就任。
 
** [[9月26日]] [[大川博]]の命名により東横タクシーが[[神奈川都市交通]]に商号変更。
 
** 12月1日 経営統合した東京都内のタクシー事業者が日本自動車交通を設立。
 
** [[12月29日]] 日本自動車交通が[[日本交通 (東京都)|日本交通]]に商号変更。
 
* [[1946年]](昭和21年)
 
**[[3月1日]] [[小林中]]が取締役社長に就任。
 
**8月1日 組織を支社制に再編成し、渋谷、目黒、新宿、品川、横浜、京王、相模の各管理部を支社に改組。
 
* [[1947年]](昭和22年)
 
** [[3月15日]] 江ノ島電気鉄道が東急グループから離脱。
 
** [[3月25日]] 神奈川都市交通、[[伊藤福一]]ら東急出身経営陣が東急の持株を譲受し、東急グループから離脱。
 
** 5月31日 相模鉄道厚木線の営業管理受託終了。相模支社を解消し同線の運営は相鉄管理に戻る。
 
** 8月 五島慶太が[[東条内閣]]に属していたため、[[公職追放]]の指定を受ける。
 
** 10月16日 [[井田正一]]が取締役社長に就任。
 
* [[1948年]](昭和23年)
 
** 5月1日 会社再編成に伴い百貨店業を分離、東横百貨店(現:東急百貨店)を設立。
 
** [[6月1日]] 会社再編成により京浜急行電鉄(品川、横浜支社)、小田急電鉄(新宿支社)、京王帝都電鉄(京王支社、後の京王電鉄)を設立。渋谷支社と目黒支社が残留し再編後の東京急行電鉄を形成。独立した3社は東京急行電鉄から各々鉄軌道・自動車路線を譲り受けて営業開始。
 
 
 
==== 東京急行電鉄再発足以後 ====
 
* [[1948年]](昭和23年)
 
** [[8月23日]] 東急横浜製作所(後の[[東急車輛製造]])を設立。
 
** [[12月27日]] [[鈴木幸七]]が取締役社長に就任。
 
* [[1949年]](昭和24年)[[5月16日]] 東京急行電鉄、[[東京証券取引所]]に再上場。
 
* [[1950年]](昭和25年)
 
** [[8月1日]] 東横線に急行列車が復活。
 
** [[10月2日]] 旧本社社屋竣工([[渋谷区]][[桜丘町 (渋谷区)|桜丘町]])。
 
* [[1951年]](昭和26年)
 
** [[6月30日]] 日本交通の東急系持株(約5割超)のほとんどを日東自動車の創業家の川鍋家に譲渡。
 
** [[8月6日]] 五島慶太が[[公職追放]]を解除。
 
* [[1952年]](昭和27年)[[5月6日]] 五島慶太が取締役会長に就任。
 
* [[1953年]](昭和28年)
 
** [[1月19日]] 城西南地区(現:[[多摩田園都市]])開発構想を発表。
 
** 7月1日 東急病院開業。
 
** [[12月17日]] [[東急不動産]]を設立。
 
** [[12月31日]] 新日本興業(現:[[東急レクリエーション]])がグループ入り。
 
* [[1954年]](昭和29年)
 
** 5月1日 [[国民相互銀行]]がグループ入り。
 
** 5月6日 [[五島昇]]が取締役社長に就任。
 
** 10月16日 東横線に[[東急5000系電車 (初代)|5000系]](旧型)車両を導入。
 
* [[1955年]](昭和30年)4月1日 [[学校法人五島育英会]]を設立。
 
* [[1956年]](昭和31年)
 
** 1月31日 [[トップツアー|東急観光]]を設立。
 
** 6月1日 [[亜細亜大学]]がグループ入り。
 
** [[10月10日]] 東横興業(現:[[東急ストア]])を設立。
 
** 12月1日 東京渋谷に[[東急文化会館]]を開館。
 
* [[1957年]](昭和32年)
 
** 4月1日 [[天文博物館五島プラネタリウム]]を開館(2001年3月閉館)。
 
** 6月24日 [[群馬バス]]がグループ入り。
 
** 10月23日 [[函館バス]]がグループ入り。
 
** 12月7日 定山渓鉄道(現・[[じょうてつ]])がグループ入り。
 
** 12月30日 群北自動車交通がグループ入り。
 
* [[1958年]](昭和33年)
 
** 7月21日 東京ヒルトンホテル設立。
 
** 11月4日 上田丸子電鉄(現・[[上田交通]]、鉄道部門は上田電鉄に分社)グループ入り。
 
* [[1959年]](昭和34年)
 
** [[4月11日]] 伊東下田電気鉄道(現:[[伊豆急行]])を設立。
 
** [[5月29日]] 中越自動車(現・[[越後交通]])がグループ入り。
 
** [[7月6日]] [[おんたけ交通]]がグループ入り。
 
** [[8月14日]] 五島慶太会長が死去。
 
** [[11月11日]] [[東急建設]]を設立。
 
** [[12月28日]] [[宗谷バス]]がグループ入り。
 
* [[1960年]](昭和35年)
 
** 4月1日 東横線に[[東急6000系電車 (初代)|6000系]]を導入。
 
** [[4月18日]] [[五島美術館]]開館。
 
** [[5月21日]] [[北海道北見バス|北見バス]]がグループ入り。
 
* [[1961年]](昭和36年)
 
** 3月1日 [[東急エージェンシー]]を設立。
 
** [[3月31日]] 富士航空がグループ入り。
 
** [[12月7日]] ホテル琉球の株式を65%取得。
 
** [[12月10日]] 伊豆急行、伊東 - 伊豆急下田間が開通。
 
* [[1962年]](昭和37年)
 
** [[1月27日]] 東横線にオールステンレスカー7000系を導入。
 
** [[3月20日]] 多摩田園都市、最初の区画整理事業として野川第一地区が完成。
 
** [[7月21日]] 茅ヶ崎市に[[スリーハンドレッドクラブ]]を開場。
 
* [[1963年]](昭和38年)[[10月11日]] 大井町線を田園都市線と名称変更。
 
* [[1964年]](昭和39年)
 
** [[1月23日]] [[斜里バス]]がグループ入り。
 
** [[4月17日]] おんたけ交通の全株式を[[名古屋鉄道]]へ譲渡。
 
** [[8月29日]] 東横線日吉 - 営団(現:[[東京地下鉄|東京メトロ]])日比谷線北千住間、直通運転開始。
 
** [[12月15日]] 白木金属工業(現:[[シロキ工業]])がグループ入り。
 
* [[1965年]](昭和40年)
 
** [[6月10日]] [[網走観光交通|網走交通]]、[[北紋バス]]がグループ入り。
 
** [[7月23日]] [[箱根ターンパイク]]開業。
 
* [[1966年]](昭和41年)4月1日 田園都市線溝の口 - 長津田間が開通。
 
* [[1967年]](昭和42年)
 
** [[4月28日]] こどもの国線長津田 - こどもの国間が開通。
 
** 11月1日 [[東急百貨店本店]]が開店。
 
* [[1968年]](昭和43年)
 
** 4月1日
 
*** 東横線でATS(自動列車停止装置)の使用開始。
 
*** 田園都市線長津田 - つくし野間が開通。
 
** 6月1日 [[東急ホテルズ|東急ホテルチェーン]]を設立。
 
** 12月6日 東急海外ホテルを設立。
 
* [[1969年]](昭和44年)
 
** [[5月10日]] [[東急玉川線|玉川線]](渋谷 - 二子玉川園間)と砧線(二子玉川園 - 砧本村間)を廃止。
 
** 5月10日 玉川線(三軒茶屋 - 下高井戸間)を世田谷線と名称変更。
 
** [[11月30日]] 東横線に8000系を導入。
 
* [[1970年]](昭和45年)3月1日 池上線に[[自動列車停止装置|ATS]](自動列車停止装置)を設置、鉄道全線にATS設置完了。
 
* [[1971年]](昭和46年)[[2月20日]] 祐天寺、学芸大学、桜木町の3駅が自動化駅に。祐天寺、学芸大学にオープンカウンターを開設。
 
* [[1972年]](昭和47年)
 
** 4月1日
 
*** 東急広報委員会を設立。
 
*** 田園都市線つくし野 - すずかけ台間が開通。
 
** 4月28日 第1回苗木プレゼント(東急グリーニング運動)実施。
 
** [[7月12日]] 東急グループのスローガンを「人間の豊かさを求める - ヒューマナイザー東急グループ」と決定。
 
** [[9月1日]] 東京急行電鉄、創立50周年式典を挙行。
 
** [[10月5日]] 長津田車両工場を竣工。
 
* [[1973年]](昭和48年)
 
** 5月1日 現行の社章が制定される。この社章色にちなみ、以後の新車も[[赤]]をシンボルカラーに採用。
 
** 11月1日 イン事業の直営第1号店として京都東急インを開業。
 
* [[1974年]](昭和49年)[[8月28日]] [[とうきゅう環境浄化財団]]を設立。
 
* [[1975年]](昭和50年)[[10月23日]] [[とうきゅう外来留学生奨学財団]]を設立。
 
* [[1976年]](昭和51年)[[10月15日]] 田園都市線すずかけ台 - つきみ野間が開通。
 
* [[1977年]](昭和52年)[[4月7日]] 新玉川線渋谷 - 二子玉川園間が開通。
 
* [[1978年]](昭和53年)[[11月16日]] 田園都市線 - 新玉川線(現:田園都市線渋谷 - 二子玉川)が直通快速列車を運転開始(1996年4月、すべての快速列車を急行列車に変更)。
 
* [[1979年]](昭和54年)
 
** 4月1日 東横線にTTC(列車運行総合制御装置)を導入。
 
** [[8月12日]] 田園都市線 - 新玉川線(現:田園都市線) - 営団(現:東京メトロ)半蔵門線の全列車直通運転開始。
 
* [[1980年]](昭和55年)
 
** 9月2日 各地域における[[東急グループ]]の組織である「東急会」の再編および「東急会連合会」の発足。
 
** 12月27日 東横線に軽量ステンレスカー8090系を導入。
 
* [[1981年]](昭和56年)[[7月29日]] マウナ ラニ リゾートにゴルフ場が完成。
 
* [[1982年]](昭和57年)
 
** [[4月3日]] 田園都市線高津駅高架下に[[電車とバスの博物館]]をオープン。
 
** 5月16日 田園都市線・新玉川線にTTC(列車運行総合制御装置)を導入。
 
** 10月2日 [[東急百貨店たまプラーザ店|たまプラーザ東急SC]]を開業。
 
* [[1983年]](昭和58年)
 
** [[2月14日]] マウナ ラニ ベイ ホテル(現:マウナ ラニ ベイ ホテル アンド バンガローズ)をオープン。
 
** [[3月2日]] 東急有線テレビ(現:[[イッツ・コミュニケーションズ]])を設立。
 
** [[10月3日]] カルチャースクール 東急クリエイティブライフセミナー渋谷BEを開設。
 
** 11月30日 クレジット・イチマルキュウ(現:[[東急カード]])を設立。
 
* [[1984年]](昭和59年)
 
** [[1月1日]] 東急ホテルチェーン(現・[[東急ホテルズ]])が東京ヒルトンとの契約完了、[[キャピトル東急ホテル]]として営業開始。
 
** [[4月9日]] つきみ野 - 中央林間間が開通、田園都市線が全線開通。
 
** [[5月11日]] 五島昇社長が[[日本商工会議所]]の会頭に就任。
 
* [[1985年]](昭和60年)[[9月20日]] 香林坊第一開発ビル(金沢東急ホテル(現:金沢エクセルホテル東急)、KOHRINBO 109)がグランドオープン。
 
* [[1986年]](昭和61年)
 
** [[2月5日]] ニューステーションプラン1号店として、自由が丘駅総合サービスセンター(現:テコプラザ)開業。
 
** [[3月9日]] 東横線に新型車両[[東急9000系電車|9000系]]を導入。
 
** 10月1日 東急グループのスローガンを「21世紀へ豊かさを深める - とうきゅうグループ」と制定。
 
** 11月21日 東急総合研究所を設立。
 
* [[1987年]](昭和62年)
 
** 8月14日 軽井沢72女子オープンゴルフトーナメントを開催( - 1991年)
 
** 10月2日 東急ケーブルテレビジョン(現:[[イッツコミュニケーションズ]])が開局、渋谷区と横浜市緑区で営業放送を開始。
 
** 12月25日 [[横田二郎]]副社長が取締役社長に、五島昇社長が会長に就任。
 
* [[1988年]](昭和63年)
 
** [[3月11日]] 東横線複々線化工事および目蒲線改良工事の最初の工事として日吉駅改良工事に着手。
 
** [[4月12日]] 多摩田園都市が[[日本建築学会賞]]を受賞。
 
** [[12月26日]] 日比谷線乗り入れ車両として新型車両1000系を導入。
 
* [[1989年]](平成元年)
 
** [[1月26日]] こどもの国線ワンマン化。
 
** [[3月19日]]
 
***  3000系車両(旧型)が営業運転終了、鉄道の全車両がステンレス車体になる。
 
*** 池上線旗の台 - 戸越銀座間の連続立体交差化工事が完了、13か所の踏切を解消。
 
** 3月20日 五島昇会長が死去。
 
** [[9月3日]] 東京渋谷に複合文化施設[[Bunkamura]]を開業。
 
** [[10月26日]] 多摩田園都市が緑の都市賞で内閣総理大臣賞を受賞。
 
** [[11月4日]] 田奈一号踏切道を廃止、田園都市線は踏切ゼロの路線になる。
 
* [[1990年]](平成2年)
 
** [[3月16日]] 五島記念文化財団を設立。
 
** 4月18日 東急アクションプラン21を発表。
 
* [[1991年]](平成3年)
 
** 3月16日 田園都市線・新玉川線(現:田園都市線)に新型ATC(自動列車制御装置)を導入。
 
** 5月21日 [[東急バス]]を設立。
 
** 5月29日 池上線の連続立体交差化工事が土木学会技術開発賞を受賞。
 
** 10月1日 自動車事業を分離独立、[[東急バス]]が営業開始。
 
* [[1992年]](平成4年)
 
** 3月19日 東急インチェーン(現:東急ホテルズ)の新ブランド「エクセルホテル東急」の1号店として、富山エクセルホテル東急を開業。
 
** 3月31日 田園都市線・新玉川線に新型車両2000系を導入。
 
** [[7月14日]] 東急南平台町ビル(現本社ビル)が竣工。
 
** 11月1日 鉄道現業部門の制服を一新。
 
** [[12月18日]] 福島県裏磐梯にグランデコ ホテル&スキーリゾートをオープン。
 
* [[1993年]](平成5年)
 
** [[3月18日]] [[横浜市営地下鉄ブルーライン|横浜市営地下鉄線]]新横浜 - あざみ野間が開通し、田園都市線と接続。
 
** [[4月21日]] 東急青葉台ビルが竣工。
 
** 11月1日 東急不動産との共同開発ビル[[世田谷ビジネススクエア]] (SBS) が竣工。
 
* [[1994年]](平成6年)
 
** [[2月7日]] [[横浜みなとみらい21|MM21地区]]・24街区プロジェクト([[クイーンズスクエア横浜]])に着手。
 
** [[4月29日]] 田園都市線田奈駅に「多摩田園都市まちづくり館」をオープン。
 
** 10月1日
 
*** フィットネス&アクアアトリオあざみ野をオープン。
 
*** 第1回 とうきゅう Thanks Daysを開催。
 
** [[10月4日]] 世田谷ビジネススクエアが都市景観大賞を受賞。
 
* [[1995年]](平成7年)
 
** [[2月16日]] お客様の総合窓口「東急109(トーク)センター」を開設。
 
** 4月28日 横田二郎社長が相談役に、[[清水仁 (実業家)|清水仁]]専務が取締役社長に就任。
 
** [[6月26日]] 海外ホテルの新運営会社 パン パシフィック ホテルズ アンド リゾーツ プライベート リミテッドを設立。
 
** 12月31日 第1回[[東急ジルベスターコンサート]]をBunkamura[[オーチャードホール]]で開催。
 
* [[1996年]](平成8年)
 
** [[2月1日]] インターネット上にホームページを開設。
 
** 3月12日 田園調布 - 多摩川園間改良工事地下化完成。
 
** [[4月26日]] 田園都市線・新玉川線、大井町線でダイヤ改正(日中時間帯、急行列車を中央林間まで延長)。
 
** 6月1日 横浜市青葉区の社有地で定期借地権事業(事業用)に参入。
 
** 10月1日 東急車輛製造の 東急インテリジェント・パーキング (TIP) システム一号機が上大岡で稼働。
 
** [[11月18日]] 三軒茶屋・太子堂四丁目地区市街地再開発事業が竣工、[[キャロットタワー]]が開業。
 
* [[1997年]](平成9年)
 
** [[2月27日]] 八王子駅北口地区市街地再開発事業が竣工(3月14日に商業施設 [[八王子東急スクエア]]が開業)。
 
** 3月20日 東横線渋谷 - 菊名間にATC(自動列車制御装置)を導入。
 
** 4月1日 会員制インターネットサービス 246-netがサービス開始、プロバイダ事業に参入。
 
** [[7月18日]] MM21・24街区 クイーンズスクエア横浜が街びらき(7月18日に専門店街アット!が、8月7日にパン パシフィック ホテル横浜が、9月5日に百貨店クイーンズ イーストがそれぞれ開業)。
 
** 9月1日 次の時代に向けた東急グループ理念体系を決定、新スローガン 「美しい時代へ - 東急グループ」を制定。
 
* [[1998年]](平成10年)
 
** 3月16日 池上線でワンマン運転を開始。
 
** 4月1日  東急ケーブルテレビジョン(現:イッツ・コミュニケーションズ)がCATV網を活用した超高速インターネット接続サービスを開始。
 
** 6月1日 東急アニバーサリービデオ事業が始動。
 
** 7月1日 環境活動を全社的な統一テーマとして取り組むために 環境活動推進委員会を設置。
 
* [[1999年]](平成11年)
 
** [[1月25日]] タイムシェアリゾート事業に進出(商品名:ビッグウィーク)。
 
** [[1月31日]] [[東急百貨店日本橋店]]閉店。
 
** 3月19日 長津田車両工場が民鉄の鉄道車両整備工場としては初めて、環境管理の国際規格[[ISO 14000#ISO 14001|ISO 14001]]の認証を取得。
 
** [[4月16日]] 東横線に新形式車両3000系を導入(現在は目黒線で運用)。
 
** [[5月15日]] 環境共生型住宅 市が尾邸宅を販売開始。
 
** [[6月24日]] クイーンズスクエア横浜が建設大臣賞受賞。
 
** [[7月2日]] タイムシェアリゾート事業・利用権交換システム会社として東急ビッグウィークステーションを設立。
 
** [[7月11日]] 世田谷線に更新車両300系を導入。
 
** 10月1日 東急インチェーン(現:東急ホテルズ)がインターネットリアルタイム予約システムを導入。
 
* [[2000年]](平成12年)
 
** [[1月7日]] 東急百貨店日本橋店跡地の再開発計画、計画促進を東京急行、三井不動産で合意。
 
** [[1月15日]] [[田園調布駅]]旧駅舎を復元。
 
** [[2月12日]] [[田中勇]]相談役が死去。
 
** 3月1日 東急インチェーン・東急ホテルチェーンの宿泊予約サイト「東急チェックインドットコム」を開設。
 
** [[3月29日]] こどもの国線通勤線化、中間駅として恩田駅を開業。
 
** 4月7日
 
*** 東京急行、トヨタが共同で、広帯域・インターネット・アプリケーションサービスを提供するために AII企画株式会社(現:AII株式会社)を設立。
 
*** 東京急行、帝都高速度交通営団(現:東京メトロ)、京王電鉄の3社共同プロジェクト [[渋谷マークシティ]]が開業。ホテル棟に 渋谷エクセルホテル東急がオープン。
 
** [[4月10日]] 東京急行、小田急電鉄、相模鉄道、東武鉄道の4社が発起人となって、CATVのデジタル化のための 日本デジタル配信株式会社を設立。
 
** 4月18日 東急グループ経営方針を発表。
 
** 4月21日 田園都市線・南町田駅前にオープンモール型ショッピングセンター [[グランベリーモール]]を開業。
 
** 6月30日 東京急行、[[ソニー]]、東急ケーブルテレビジョン(現:イッツ・コミュニケーションズ)の3社で、ブロードバンド・ネットワーク事業で戦略的に提携していくことで合意。
 
** 8月6日
 
*** 東横線の多摩川 - 武蔵小杉間を複々線化。目蒲線の運行系統を目黒 - 武蔵小杉間の目黒線<ref group="注釈" name="megurosen">目黒線は線路戸籍上は目黒 - 田園調布間であるが、東横線の複々線のうち2線を利用して2000年8月6日から武蔵小杉駅まで運行、2008年6月22日に日吉駅まで延長して運行している。</ref> と多摩川 - 蒲田間の東急多摩川線の2系統に分割。目黒線・東急多摩川線でワンマン運転を開始。
 
*** 田園都市線・新玉川線を田園都市線に統一。多摩川園駅を多摩川駅に、二子玉川園駅を二子玉川駅に駅名変更。
 
** [[8月15日]] 東急ファンのための専用サイト レールファン東急を開設。
 
** 9月26日
 
*** 目黒線と営団(現:東京メトロ)南北線・都営三田線との相互直通運転を開始。
 
*** 自動改札機で利用客の乗降を確認する フェアスルーシステムを導入。
 
** [[10月14日]] 首都圏の20鉄道事業者で共通乗車カードシステム [[パスネット]]を導入。
 
** 10月16日 携帯電話電源OFF車両(列車の偶数車両)を全国で初めて設置。
 
** [[11月29日]] 本社部門でISO14001の認証取得。
 
* [[2001年]](平成13年)
 
** [[1月9日]] 東急ホテルマネジメント設立。
 
** 1月15日 東急沿線の生活サイト「salus(サルース)」開設。
 
** [[2月11日]] 世田谷線がノンステップ化、新型300系車両への置き換え完了。
 
** 3月11日 天文博物館五島プラネタリウム閉館。
 
** [[3月28日]]
 
*** 目黒線が埼玉高速鉄道と相互直通運転を開始。
 
*** 東横線に特急を新設。
 
** 3月30日 ソニー、東急ケーブルテレビジョン(現:イッツ・コミュニケーションズ)と次世代型CATVインターネットサービス提供開始で合意。
 
** 3月31日 石油販売事業の営業を終了。
 
** 4月1日 東急沿線の情報誌salus(サルース)創刊<ref>{{Cite news |title=東急が沿線情報誌創刊 |newspaper=[[交通新聞]] |publisher=交通新聞社 |date=2001-04-12 |page=2 }}</ref>。
 
** [[4月20日]] 東横線複々線化事業が平成12年度土木学会賞技術賞を受賞。
 
** [[5月24日]] [[セルリアンタワー]]がグランドオープン。
 
** [[6月27日]] 東急リアル・エステート・インベストメント・マネジメントを設立。
 
** [[6月28日]] 清水仁社長が会長に、上條清文副社長が社長に就任。
 
** 7月11日 日本橋一丁目計画着工。
 
** [[7月17日]] 株式交換により東急ホテルチェーンを完全子会社化。
 
** 7月23日 東急ホテルズ予約センターを開設。
 
** 7月29日 渋谷駅構内に新業態店舗ranKing ranQueen([[ランキンランキン]])開業。
 
** 8月1日 東急ケーブルテレビジョンが、イッツ・コミュニケーションズに社名変更。
 
* [[2002年]](平成14年)
 
** [[1月4日]] 東急グループコンプライアンス指針を制定。
 
** [[1月29日]] 東横線と営団13号線(現:東京メトロ副都心線)の相互直通運転実施(2012年度)を決定。
 
** 3月1日 [[青葉台東急スクエア]]がグランドオープン。
 
** 3月23日 乗車券を2枚同時投入できる自動改札機を導入。
 
** 3月28日 田園都市線、大井町線ダイヤ改正、あざみ野駅を急行停車駅に変更。
 
** 3月29日 平塚市五領ケ台特定土地区画整理事業(湘南めぐみが丘)が完成。
 
** 4月1日
 
*** 東急ホテルチェーンと東急インチェーンのホテルチェーン名を東急ホテルズに統一。
 
*** 東急運輸、東京通運の2社経営を相鉄運輸に統合(新社名:[[ティーエルロジコム|東急ロジスティック]])。
 
*** 東急保険コンサルティングの営業を開始。
 
*** 246-netの営業をイッツ・コミュニケーションズに譲渡。
 
*** JR東急目黒ビル、グランドオープン。
 
** [[5月2日]] 田園都市線に新形式車両5000系を導入。
 
** [[5月27日]] 国内ホテル経営機能の集約(ホテル事業を東急ホテルチェーンに譲渡)を発表。
 
** [[5月28日]] 東急文化会館の閉鎖、解体(2003年6月)を決定。
 
** 6月27日 インターネットによる株主総会の議決権行使、決算公告に代えて、ホームページによる貸借対照表および損益計算書の開示を導入。
 
** 7月1日 東急サービスと東急管財が合併(会社名:[[東急ファシリティサービス]])。
 
** [[7月7日]] 世田谷線にICカード乗車券 [[せたまる]]を導入。
 
** 8月1日 携帯端末向け列車運行情報提供サービスを開始。
 
** 10月1日 株式交換により、東急車輛製造を完全子会社化。
 
** [[10月20日]] 横浜市青葉区で市内初のコミュニティ放送FMサルースを開局。
 
** 12月27日 固定資産の信託設定ならびに信託受益権の譲渡を発表(東急南平台町ビル、東急桜丘町ビル、第2東急鷺沼ビル)。
 
* [[2003年]](平成15年)
 
** 3月15日 東急109センターの名称を「東急お客さまセンター」に改称、営業時間拡大、土日の営業を開始。
 
** 3月19日 東急線ダイヤ改正(世田谷線をのぞく)。
 
*** 営団地下鉄(現:東京メトロ)半蔵門線水天宮前 - 押上間延伸開業、同時に押上駅から[[東武伊勢崎線]]を経由して[[東武日光線|日光線]][[南栗橋駅]]までの相互乗り入れを開始。
 
*** 東横線に通勤特急を新設。
 
** 3月20日 電車とバスの博物館が宮崎台駅に移転、リニューアルオープン。
 
** [[3月26日]] 東京急行電鉄中期2カ年経営計画を策定。
 
** 4月1日
 
*** 事業持株会社化に向けた機構改革を実施、事業部門を鉄道事業、都市生活事業の2本部体制に。
 
*** ホテル事業を東急ホテルチェーンに営業譲渡。
 
** 5月1日
 
*** 全駅を終日禁煙化。
 
*** 映像制作支援事業 tokyu C&C(トーキュウシーアンドシー)が本営業を開始。
 
** 6月30日 東急文化会館閉館。
 
** [[9月10日]] [[東急リアル・エステート投資法人]]が東京証券取引所に上場。
 
** [[9月15日]] 電車内における携帯電話マナーのご案内を、関東17の鉄道事業者で統一。
 
** 9月26日 株式交換による東急観光の完全子会社化(2004年1月1日)を決定。
 
** 10月1日 東急建設が建設事業と不動産事業に会社を分割、建設事業を継承するTCホールディングスが商号を東急建設に変更し、東証一部に再上場。
 
** 10月10日 オープンモール型ショッピングセンター「[[みのおキューズモール|箕面マーケットパーク ヴィソラ]]」を開業。
 
* [[2004年]](平成16年)
 
** 1月1日 株式交換により東急観光を完全子会社化。
 
** [[1月30日]] 東横線横浜 - 桜木町間の営業を終了。
 
** 2月1日 みなとみらい線開業、東横線が相互直通運転を開始。
 
** 3月1日 箱根ターンパイク(自動車道事業)を豪[[マッコーリー銀行|マッコーリーグループ]]に営業譲渡。
 
** 3月31日 東急観光株式の約85%をアクティブ・インベストメント・パートナーズに譲渡。
 
** 4月1日 障害者の雇用促進を目的とした会社 東急ウィルを設立。
 
** 4月7日 あざみ野に遊水池の上部空間を利用した商業施設 悠・粋・知 三規庭が開業。
 
** 6月26日 横田二郎相談役(元社長)が死去。
 
** [[9月27日]] 株式交換により東急百貨店を完全子会社化することを発表。
 
** 10月1日 株式交換により伊豆急行を完全子会社化。
 
** 12月1日 [[東急セキュリティ]]が本格営業を開始。
 
** 12月15日 東急エアカーゴ株式の当社保有分を[[バンテック (物流)|バンテックホールディングス]]に譲渡。
 
* [[2005年]](平成17年)
 
** [[2月10日]] 東横線渋谷 - 横浜駅間改良工事が特定都市鉄道整備事業計画として認定。
 
** 2月14日 田園都市線で使用されている5000系車両の5号車と8号車に6ドア・座席格納車両を導入、以降順次同系に拡大導入。
 
** [[3月4日]] 二子玉川東地区再開発組合の設立が認可。
 
** 3月20日 運賃改定で、[[特定都市鉄道整備促進特別措置法|特定都市鉄道整備事業計画]]で行われてきた田園都市線渋谷 - 溝の口間を含む区間に対する10円の加算運賃廃止。
 
** 3月28日 東京急行電鉄中期3カ年経営計画を発表。
 
** 4月1日
 
*** 執行役員制度導入と機構改革実施。
 
*** 株式交換により東急百貨店を完全子会社化。
 
** [[5月9日]] 田園都市線に女性専用車を導入。
 
** [[6月15日]] 東急ロジスティック株式の当社保有分を[[SBSホールディングス|エスビーエス]]に譲渡。
 
** [[6月29日]] 上條清文社長が会長、越村敏昭専務が社長に就任。
 
** [[7月25日]] 東横線に女性専用車を導入。
 
* [[2006年]](平成18年)
 
** 3月18日 田園都市線・半蔵門線、東武伊勢崎線[[久喜駅]]へも乗り入れ開始。
 
** 7月2日 目黒線不動前 - 洗足間地下化。
 
** [[9月24日]] 東横線武蔵小杉 - 日吉間高架化。
 
** [[9月25日]] 目黒線で急行の運転を開始。
 
* [[2007年]](平成19年)
 
** 3月18日 共通ICカード乗車券[[PASMO]]を導入。同時に[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]の[[Suica]]と相互利用開始。
 
** 4月5日 混雑平準化を目的として、田園都市線の平日朝最混雑時間帯の急行を準急に格下げ。
 
** 12月25日 池上線・東急多摩川線に新型車両7000系(2代)を導入。
 
* [[2008年]](平成20年)
 
** 2月22日 8000系全車両が運用から離脱(譲渡車をのぞく)。
 
** 3月28日 大井町線に新型車両6000系(2代)を導入し、同時に急行運転開始。
 
** 4月1日 駅係員、乗務員の制服をリニューアル<ref>{{Cite journal |和書 |title=4月1日、制服が変わります。|journal =HOT ほっと TOKYU |date=2008-03-20|issue =333|url=http://hot.tokyu.co.jp/railway/hot/0804/0804.pdf |publisher=東京急行電鉄 |accessdate=2017-01-23|format=PDF}}</ref>。創立70周年の1992年以来となる。
 
** 5月7日 東急が[[川崎市]]から購入した同市[[宮前区]]内の土地の[[土壌汚染]]に関して、同市が搬入した焼却[[灰]]に原因があると訴えていた件に関し、[[公害等調整委員会]]は、川崎市に[[損害賠償]]の支払いを命じる。
 
** 5月28日 [[東急ウェルネス]]を設立。
 
** [[6月22日]] 目黒線武蔵小杉 - 日吉間延伸開業。
 
** 7月1日 東急ストアを[[株式交換]]により完全子会社化。
 
** 10月11日 鉄道線自動改札の半数以上を、ICカード専用化。
 
* [[2009年]](平成21年)
 
** [[3月10日]] 田園都市線で運用されている5000系車両の4号車を6ドア・座席格納車両に差し替えると発表(2009年12月まで順次実施)。
 
** 7月11日 大井町線が溝の口駅まで延伸開業。
 
* [[2012年]](平成24年)
 
** 2月上旬 全駅に順次、[[駅ナンバリング]]を導入<ref>{{PDFlink|[http://www.tokyu.co.jp/file/120126-1.pdf 東急線全駅で駅ナンバリングを導入します]}} - 東京急行電鉄、2012年1月26日、2012年1月26日閲覧。</ref>。
 
** 3月30日 「〜スマートモデル自由が丘駅あかりプロジェクト〜」として、東急線ではじめて自由が丘駅構内すべてを調光・調色[[LED照明]]およびLEDサインとし、さらにシースルー改札口と定期券うりばには、一般照明としては日本初の実用的設置となる次世代照明「有機EL([[有機エレクトロルミネッセンス]])照明器具」を導入。
 
** 4月26日 東急文化会館跡地に[[複合商業施設]]「[[渋谷ヒカリエ]]」が開業。
 
* [[2013年]](平成25年)
 
** 3月16日 東横線渋谷 - 代官山間が地下化され、[[東京メトロ副都心線]]・[[東武東上本線|東武東上線]]・[[西武有楽町線]]・[[西武池袋線]]との相互直通運転を開始、日比谷線との直通運転を終了。
 
** 3月23日 [[交通系ICカード全国相互利用サービス]]開始により、[[Kitaca]]、[[manaca]]、[[TOICA]]、[[ICOCA]]、[[PiTaPa]]、[[nimoca]]、[[はやかけん]]、[[SUGOCA]]が東急線で利用可能になる。
 
** 4月2日 「武蔵小杉東急スクエア」が開業。
 
** 4月20日 緑が丘駅の照明やサインが東京急行電鉄で2番目となる全面LED照明化され、ホームやコンコースでは調光するLED照明が導入される。
 
** 8月1日 窓口・自動券売機の定期券販売で[[ジェーシービー|JCB]]・[[アメリカン・エキスプレス|American Express]]・[[ダイナースクラブ|Diners Club]]の取扱開始<ref name="20130801card">{{Cite web |url=http://www.tokyu.co.jp/railway/railway/mid/oshirase/20130801card.html |title=2013年8月1日より、東急線の定期券がより便利に購入できます。 |publisher=東京急行電鉄 |accessdate=2016-07-24 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20130806180218/http://www.tokyu.co.jp/railway/railway/mid/oshirase/20130801card.html |archivedate=2013年8月6日 |deadlinkdate=2017年10月 }}</ref>。
 
* [[2014年]](平成26年)
 
** 3月20日 蒲田駅が東京急行電鉄で3番目となる全面LED照明化され、調光するLED照明が導入される。
 
* [[2015年]](平成27年)
 
** 3月21日 [[嵯峨野観光鉄道]]とのコラボレーションを6月30日まで実施<ref>[http://www.tokyu.co.jp/company/news/list/?id=2226 嵯峨野観光鉄道と東急電鉄が初コラボレーション「Shibuya Hikarie号」の模型電車運転や写真展などを開催] - 東京急行電鉄、2015年3月18日</ref>。
 
** 10月1日 家庭向け電力小売り事業の参入のため、[[東急パワーサプライ]]を設立<ref>[http://www.tokyu.co.jp/company/news/list/?id=1201 電力小売事業会社「東急パワーサプライ」を設立] - 東京急行電鉄、2015年9月28日</ref>。2016年4月から家庭向け電力小売事業を開始。
 
* [[2018年]](平成30年)
 
** 3月27日 渋谷地区での[[駅ビル]]更新など鉄道沿線開発に重点を置く中期経営計画(2018-2020年度)を発表<ref>[https://www.tokyu.co.jp/ir/manage/midplan.html 新中期経営計画]東京急行電鉄(2018年3月31日閲覧)</ref><ref>「沿線開発で25%増益狙う/東急、駅ビル更新軸に/3カ年計画」『[[日経産業新聞]]』2018年3月28日(総合面)</ref>。
 
 
 
=== 歴代経営陣 ===
 
{|class="wikitable"
 
|+style="text-align:left"|歴代社長
 
|-
 
!代!!style="width:6em"|氏名!!在任期間!!出身校!!備考
 
|-
 
|style="text-align:center"|初||竹田政智||1922年10月2日 - 1923年6月27日|| ||創業者[[渋沢栄一]]の四男[[渋沢秀雄]]の義父、東京造園社長、[[農商務省 (日本)|農商務省]]出身
 
|-
 
|style="text-align:center"|2||市原求||1923年6月27日 - 1927年3月20日|| ||
 
|-
 
|style="text-align:center"|3||[[矢野恒太]]||1927年4月14日 - 1928年5月7日||[[第三高等学校 (旧制)|第三高等中学校]]医科<ref group="注釈">後の岡山医専、現・[[岡山大学]]医学部</ref>||[[第一生命]]創業者、[[田園都市 (企業)|田園都市株式会社]]大株主、現在でも第一生命が東急電鉄の筆頭株主
 
|-
 
| ||(空席)||1928年5月8日 - 1936年12月23日|| ||この間取締役社長は空席、五島慶太が事実上の経営者
 
|-
 
|style="text-align:center"|4||[[五島慶太]]||1936年12月24日 - 1944年2月19日||[[東京帝国大学法学部]]||[[鉄道省]]出身、[[運輸通信省 (日本)|運輸通信大臣]]([[東條内閣]])
 
|-
 
|style="text-align:center"|5||篠原三千郎||1944年2月21日 - 1945年3月12日||東京帝国大学法学部<ref group="注釈">東京帝国大学法学部独法を主席卒業、五島慶太の同級生でもあった。同期で仏法を主席卒業した[[芦田均]]は後の総理大臣。</ref>||田園都市株式会社大株主[[服部金太郎]]の女婿
 
|-
 
|style="text-align:center"|6||[[平山孝]]||1945年3月12日 - 1945年8月20日||東京帝国大学||鉄道省総務局長
 
|-
 
|style="text-align:center"|7||小宮次郎||1945年8月20日 - 1946年3月1日|| ||
 
|-
 
|style="text-align:center"|8||[[小林中]]||1946年3月1日 - 1947年10月16日||[[早稲田大学政治経済学部]]中退||[[富国生命]]社長
 
|-
 
|style="text-align:center"|9||井田正一||1947年10月16日 - 1948年12月27日|| ||京浜電気鉄道出身、[[京浜急行電鉄]]社長
 
|-
 
|style="text-align:center"|10||鈴木幸七||1948年12月27日 - 1954年5月6日|| ||
 
|-
 
|style="text-align:center"|11||[[五島昇]]||1954年5月6日 - 1987年12月25日||[[東京帝国大学経済学部]]||[[東芝]]、[[日本商工会議所]]会頭
 
|-
 
|style="text-align:center"|12||[[横田二郎]]||1987年12月25日 - 1995年4月28日||[[東京帝国大学工学部]](電気)||
 
|-
 
|style="text-align:center"|13||[[清水仁 (実業家)|清水仁]]||1995年4月28日 - 2001年6月28日||[[一橋大学経済学部]]||
 
|-
 
|style="text-align:center"|14||[[上條清文]]||2001年6月28日 - 2005年6月29日||[[早稲田大学政治経済学部]]||
 
|-
 
|style="text-align:center"|15||[[越村敏昭]]||2005年6月29日 - 2011年4月1日||[[早稲田大学法学部]]||
 
|-
 
|style="text-align:center"|16||[[野本弘文]]||2011年4月1日 - 2018年4月1日||[[早稲田大学理工学部]](土木)||[[東急不動産]]、[[イッツ・コミュニケーションズ]](旧東急ケーブルテレビジョン)元社長
 
|-
 
|style="text-align:center"|17||[[高橋和夫 (実業家)|髙橋和夫]]||2018年4月1日 - ||[[一橋大学法学部]]||
 
|}
 
※出身校の空欄は最終在籍大学不明。
 
 
 
== 鉄・軌道事業 ==
 
=== 路線 ===
 
==== 営業中の路線 ====
 
[[鉄道]]99.9&nbsp;km([[鉄道事業者#第一種鉄道事業|第1種鉄道事業]]96.5&nbsp;km(東横線と目黒線、田園都市線と大井町線の並行部分もそれぞれ計上)、[[鉄道事業者#第二種鉄道事業|第2種鉄道事業]]3.4&nbsp;km)と[[軌道法|軌道]]線5.0kmの計104.9kmの路線を保有する。併記した色は[[日本の鉄道ラインカラー一覧|ラインカラー]]である。各線の沿革、列車の運行についてはそれぞれの記事を(直通運転については、この後の「[[#直通運転|直通運転]]」節も)参照。<!-- 公式サイト http://www.tokyu.co.jp/contents_index/guide/tkk-1-a.html は2009年7月20日現在大井町線延伸分未計上。-->
 
<!-- ラインカラーは公式サイトの「各駅情報」のページの駅名標デザインの色に合わせる --->
 
{| class="wikitable" style="font-size:90%;"
 
|-
 
!
 
!色
 
!色名
 
!記号
 
!路線名
 
!区間
 
!キロ程
 
!備考
 
|-
 
!rowspan="7" style="width:1em;"|鉄道線
 
|style="background:#da0442;"|&nbsp;
 
|style="text-align:center;"|赤色
 
|style="text-align:center;"|[[File:Tokyu TY line symbol.svg|23px|TY]]
 
|[[東急東横線|東横線]]
 
|[[渋谷駅|渋谷]] - [[横浜駅|横浜]]
 
|style="text-align:right;"|24.2&nbsp;km
 
|style="text-align:center;"| -
 
|-
 
|style="background:#009cd2;"|&nbsp;
 
|style="text-align:center;"|水色
 
|style="text-align:center;"|[[File:Tokyu MG line symbol.svg|23px|MG]]
 
|[[東急目黒線|目黒線]]
 
|[[目黒駅|目黒]] - [[日吉駅 (神奈川県)|日吉]]
 
|style="text-align:right;"|11.9&nbsp;km
 
|このうち[[田園調布駅|田園調布]] - 日吉間5.4kmは東横線と並行
 
|-
 
|style="background:#20a288;"|&nbsp;
 
|style="text-align:center;"|緑色
 
|style="text-align:center;"|[[File:Tokyu DT line symbol.svg|23px|DT]]
 
|[[東急田園都市線|田園都市線]]
 
|渋谷 - [[中央林間駅|中央林間]]
 
|style="text-align:right;"|31.5&nbsp;km
 
|style="text-align:center;"| - <!--2000年に新玉川線も正式に田園都市線に改称されています。後の章も参照-->
 
|-
 
|style="background:#f18c43;"|&nbsp;
 
|style="text-align:center;"|橙色
 
|style="text-align:center;"|[[File:Tokyu OM line symbol.svg|23px|OM]]
 
|[[東急大井町線|大井町線]]
 
|[[大井町駅|大井町]] - [[溝の口駅|溝の口]]
 
|style="text-align:right;"|12.4&nbsp;km
 
|このうち[[二子玉川駅|二子玉川]] - 溝の口間2.0kmは田園都市線と並行
 
|-
 
|style="background:#ee86a7;"|&nbsp;
 
|style="text-align:center;"|桃色
 
|style="text-align:center;"|[[File:Tokyu IK line symbol.svg|23px|IK]]
 
|[[東急池上線|池上線]]
 
|[[五反田駅|五反田]] - [[蒲田駅|蒲田]]
 
|style="text-align:right;"|10.9&nbsp;km
 
|style="text-align:center;"| -
 
|-
 
|style="background:#ae0378;"|&nbsp;
 
|style="text-align:center;"|紫色
 
|style="text-align:center;"|[[File:Tokyu TM line symbol 06.svg|23px|TM]]
 
|[[東急多摩川線]]
 
|[[多摩川駅|多摩川]] - 蒲田
 
|style="text-align:right;"|5.6&nbsp;km
 
|style="text-align:center;"| - <!-- 「多摩川線」ではなく「東急多摩川線」が正式路線名 -->
 
|-
 
|style="background:#0068b7;"|&nbsp;
 
|style="text-align:center;"|青色
 
|style="text-align:center;"|[[File:Tokyu KD line symbol.svg|23px|KD]]
 
|[[東急こどもの国線|こどもの国線]](第2種鉄道事業)
 
|[[長津田駅|長津田]] - [[こどもの国駅 (神奈川県)|こどもの国]]
 
|style="text-align:right;"|3.4&nbsp;km
 
|第3種鉄道事業者(施設の保有)は[[横浜高速鉄道]]
 
|-
 
!rowspan="1" style="width:1em;"|軌道線
 
|style="background:#fcc70d;"|&nbsp;
 
|style="text-align:center;"|黄色
 
|style="text-align:center;"|[[File:Tokyu SG line symbol.svg|23px|SG]]
 
|[[東急世田谷線|世田谷線]](軌道)
 
|[[三軒茶屋駅|三軒茶屋]] - [[下高井戸駅|下高井戸]]
 
|style="text-align:right;"|5.0&nbsp;km
 
|style="text-align:center;"|-
 
|}
 
[[File:Tokyu Corporation Linemap.svg|thumb|none|550px|路線図(クリックで拡大)]]
 
 
 
一般的に鉄道路線はその正式名称や運行区間を変えることはあまりなく、運行形態が変わった場合は正式名称とは別に愛称などを用いる場合が多いが、東急は正式名称や区間の変更を度々行ってきた。近年では、[[2000年]]8月に目黒線と[[東京メトロ南北線|営団地下鉄南北線]]、<!--埼玉高速鉄道線、←2001年3月からなのでここに加えない-->[[都営地下鉄三田線]]との相互直通運転開始に関連して大幅な整理、変更を行っている。変遷については「[[#路線名称変更・区間変更|路線名称変更・区間変更]]」の節を参照。
 
==== 直通運転 ====
 
===== 実施中 =====
 
* [[東急東横線|東横線]]
 
** [[横浜高速鉄道みなとみらい線]]:横浜駅 - [[元町・中華街駅]]間
 
** [[東京メトロ副都心線]](渋谷駅 - [[和光市駅]]間)経由[[東武東上本線|東武東上線]]:和光市駅 - [[森林公園駅 (埼玉県)|森林公園駅]]間
 
** 東京メトロ副都心線(渋谷駅 - [[小竹向原駅]]間)経由[[西武有楽町線]]・[[西武池袋線|池袋線]]:小竹向原駅 - [[練馬駅]] - [[飯能駅]]間(臨時列車として[[西武狭山線]][[西武球場前駅|西武球場前]]まで直通運転を行う場合がある。なお、10両編成の回送列車は飯能から先[[武蔵丘信号場]]まで運転する)
 
*** この相互直通運転開始と同時に、東横線の渋谷駅は地下(2008年より副都心線渋谷駅として使われていたホーム)に移転した。
 
* [[東急目黒線|目黒線]]
 
** [[都営地下鉄三田線|都営三田線]]:目黒駅 - [[西高島平駅]]間
 
** [[東京メトロ南北線]](目黒駅 - [[赤羽岩淵駅]]間)経由[[埼玉高速鉄道線]]:赤羽岩淵駅 - [[浦和美園駅]]間
 
*** 目黒線の[[武蔵小山駅]] - [[日吉駅 (神奈川県)|日吉駅]]間では、南北線方面直通列車と都営三田線直通列車が交互に運行され、日中時間帯において毎時4本運行される急行についても同様である。ただし、一部時間帯においてはこの限りではない。
 
*** 南北線方面直通列車は[[白金高輪駅]]で始発の都営三田線に連絡し、都営三田線直通列車は同駅始発の南北線に連絡する。ただし、早朝・深夜は連絡しない列車が存在する。
 
* [[東急田園都市線|田園都市線]]
 
** [[東京メトロ半蔵門線]](渋谷駅 - [[押上駅|押上〈スカイツリー前〉駅]]間)経由東武線:押上駅 - [[東武伊勢崎線|伊勢崎線]][[久喜駅]]間および[[東武日光線|日光線]][[南栗橋駅]]間
 
 
 
===== 廃止 =====
 
* 東横線
 
** [[東京メトロ日比谷線]]:中目黒駅 - [[北千住駅]]間([[1964年]][[8月29日]] - [[2013年]][[3月15日]])
 
*** [[菊名駅]](一部列車は[[武蔵小杉駅]]発着)から中目黒駅を経由して日比谷線との相互直通運転を行っていた。日中は毎時2本、平日朝夕ラッシュ時間帯は最大毎時5本運行されていた。
 
*** 日比谷線は北千住駅から先、[[東武伊勢崎線]][[東武動物公園駅]]まで<ref group="注釈">東横線との直通運転終了後の2013年3月16日からは[[東武日光線]][[南栗橋駅]]まで相互直通運転を実施している。</ref> 相互直通運転を実施しているが、東武動物公園駅から日比谷線を介して東横線まで乗り入れる3社(東武・東京メトロ・東急)直通列車は設定されておらず、東武の車両も中目黒駅までしか乗り入れない。逆に、東横線の車両も北千住駅から先の東武線内には乗り入れなかった。
 
*** 日比谷線との営業列車の相互直通運転は、2013年3月15日をもって廃止された。日比谷線直通列車の運行枠は、渋谷・副都心線方面の列車に置き換えられた。ただし、営業列車の直通運転廃止後も、[[鷺沼車両基地]]に向かう日比谷線の車両の回送列車が入線することがある。
 
 
 
===== 共同使用駅の管理 =====
 
[[渋谷駅]]・[[中目黒駅]]・[[横浜駅]]・[[目黒駅]]は他社接続の[[共同使用駅]]であるが、東急がこれらすべての駅を管理している。
 
 
 
[[東急田園都市線|田園都市線]]の渋谷駅は、[[1977年]](昭和52年)[[4月7日]]の同駅 - [[二子玉川駅|二子玉川園(現・二子玉川)]]駅間の新玉川線開業当初は東急が管理していたが、新玉川線(後に田園都市線)と半蔵門線の相互直通運転が始まる[[1978年]](昭和53年)[[8月1日]]から[[2007年]](平成19年)[[12月1日]]までは、[[帝都高速度交通営団|営団地下鉄]](後に[[東京地下鉄|東京メトロ]])が管理していた。
 
 
 
東横線の渋谷駅についても、東横線と副都心線の相互直通運転が始まる前の[[2008年]](平成20年)[[6月14日]]の副都心線開業当初から東急が管理している。これは、副都心線建設時に既に東横線との相互直通運転が決定していたことと、同一構内にある田園都市線の渋谷駅と一体的に管理するためである。
 
 
 
==== 廃止路線 ====
 
部分廃止や前身会社の路線も含む。特記がない路線は[[地方鉄道法]]・[[鉄道事業法]]による鉄道。廃止日は最終営業日の翌日。
 
* [[東急玉川線|玉川線]](軌道):[[渋谷駅|渋谷]] - [[二子玉川駅|二子玉川園]](現・二子玉川駅)(9.1&nbsp;km) - 1969年5月11日廃止<!-- 手続き上は休止ではなく廃止です。[[ノート:東急玉川線]]参照。 -->
 
** [[東急玉川線|天現寺線]](軌道):渋谷 - 天現寺橋 (2.7&nbsp;km) - 1948年3月10日東京都に譲渡
 
** [[東急玉川線|中目黒線]](軌道):渋谷橋 - 中目黒 (1.4&nbsp;km) - 同上
 
** [[東急玉川線|砧線]](軌道→鉄道に変更。実態は玉川線と同規格):二子玉川園 - 砧本村(2.2&nbsp;km) - 1969年5月11日廃止
 
* [[目黒蒲田電鉄新奥沢線|新奥沢線]]:雪ヶ谷(現・[[雪が谷大塚駅|雪が谷大塚]]) - 新奥沢(1.4&nbsp;km) - 1935年11月1日廃止
 
* [[東急東横線|東横線]]:[[横浜駅|横浜]] - [[桜木町駅|桜木町]] (2.0&nbsp;km) - 2004年1月31日廃止 <!-- 渋谷付近の地下化などは旧線の営業廃止、新線の開業という手続きを経たものではないのでここには含まない。-->
 
 
 
==== 経営移管路線 ====
 
{{Main|大東急}}
 
1948年までのいわゆる[[大東急]]時代には以下の路線も運営していた。同年(厚木線は1947年)にそれぞれ以下の会社に移管された。
 
 
 
* [[京王電鉄|京王帝都電鉄]](第一会社)へ
 
**元・京王支社所属
 
*** [[京王線]]:[[新宿駅|京王新宿駅]] - [[京王八王子駅|東八王子駅]]、[[調布駅]] - [[京王多摩川駅]]([[京王相模原線|多摩川支線]])
 
*** [[京王御陵線|御陵線]](休止のまま移管し1964年に廃線):[[北野駅 (東京都)|北野駅]] - [[多摩御陵前駅]]
 
**元・渋谷支社所属
 
*** [[京王井の頭線|井ノ頭線]]:渋谷駅 - [[吉祥寺駅]]、[[新代田駅|代田二丁目駅]] - [[世田谷代田駅]]([[代田連絡線]])
 
* [[小田急電鉄]](第二会社)へ
 
** 元・新宿支社所属
 
*** [[小田急小田原線|小田原線]]:新宿駅 - [[小田原駅]]、[[向ヶ丘遊園駅|稲田登戸駅]] - [[登戸駅]](登戸連絡線)
 
*** [[小田急江ノ島線|江ノ島線]]:[[相模大野駅]] - [[片瀬江ノ島駅]]
 
* [[京浜急行電鉄]](第三会社)へ
 
** 元・品川支社所属
 
*** [[京急本線|品川線]](京浜線)<!--大師線、穴守線含む総称-->:[[品川駅]] - [[横浜駅]] 、[[京急川崎駅|京浜川崎駅]] - [[桜本駅]]([[京急大師線|大師線]])、[[京急蒲田駅|京浜蒲田駅]] - [[穴守稲荷駅|穴守駅]]([[京急空港線|穴守線]])
 
** 元・横浜支社所属
 
*** [[京急本線|湘南線]]<!--逗子線、久里浜線含む総称-->:横浜駅 - [[浦賀駅]]、[[金沢八景駅]] - [[新逗子駅|湘南逗子駅]]([[京急逗子線|逗子線]])、[[堀ノ内駅|横須賀堀内駅]] - [[京急久里浜駅|湘南久里浜駅]]([[京急久里浜線|久里浜線]])
 
* [[相模鉄道]]へ(線路保有は相模鉄道のままで、経営のみ受託していた)
 
**元・相模支社所属
 
*** [[相鉄本線|厚木線]]:横浜駅 - [[海老名駅]]、[[相模国分信号所|相模国分駅]] - [[厚木駅]]
 
 
 
==== 未成路線 ====
 
* [[東京横浜電鉄新宿延伸計画|新宿線]]:渋谷 - [[新宿駅|新宿]](計画中止)
 
* [[東急池上線|泉岳寺線]]:[[桐ケ谷駅|桐ヶ谷]]([[戸越銀座駅|戸越銀座]] - [[大崎広小路駅|大崎広小路]]間) - [[泉岳寺駅|泉岳寺]](計画中止)
 
* 新奥沢線:新奥沢 - [[国分寺駅|国分寺]](計画中止)
 
* 成城学園線:[[自由が丘駅|自由が丘]] - [[成城学園前駅|成城学園前]](計画中止)
 
 
 
==== 路線名称変更・区間変更 ====
 
廃止日は最終営業日の翌日。
 
* [[1963年]][[10月11日]] - 大井町線を'''田園都市線'''に改称。
 
* [[1969年]][[5月10日]] - 玉川線のうち渋谷 - 二子玉川園(現・二子玉川)間を廃止、残存区間である三軒茶屋 - 下高井戸間を'''世田谷線'''に改称。
 
* [[1979年]][[8月12日]] - 新玉川線の営団半蔵門線との相互直通運転開始に伴い、田園都市線と新玉川線の相互直通運転開始。同時に、田園都市線から旧・大井町線区間のうち、二子玉川園 - 溝の口間を除く区間を'''大井町線'''として再分割。
 
* [[2000年]][[8月6日]] - 目蒲線の営団南北線・都営三田線との相互直通運転の開始([[9月26日]])および多摩川 - 武蔵小杉間複々線化に伴い、目蒲線を'''目黒線'''(目黒 - 多摩川 - 武蔵小杉・ただし田園調布 - 武蔵小杉は正式には東横線の複々線扱い)と'''東急多摩川線'''(多摩川 - 蒲田)に分割。同時に相互直通運転を行っていた田園都市線と新玉川線を'''田園都市線'''に名称統合。
 
* [[2004年]][[1月31日]] - 横浜高速鉄道みなとみらい線との相互直通運転開始に伴い、東横線のうち横浜 - 桜木町間を廃止。
 
* [[2008年]][[6月22日]] - 東横線の武蔵小杉 - 日吉間複々線化工事完成に伴い、目黒線を武蔵小杉から日吉まで延伸。
 
* [[2009年]][[7月11日]] - 田園都市線の二子玉川 - 溝の口間複々線化工事完成に伴い、大井町線を二子玉川から溝の口まで延伸。
 
 
 
==== 事業中の区間 ====
 
東京メトロ副都心線方面との相互直通運転開始にともない、10両編成の列車が停車できるようにするため、特急・通勤特急・急行停車駅ではホーム延伸工事を行った。
 
* [[東急大井町線|大井町線]]:[[大井町駅|大井町]] - 二子玉川間改良工事
 
** 大井町線内でも急行運転するためのホーム延伸工事ならびに待避線新設工事。これらはほぼ完了しているが、等々力駅では計画中である地下化工事が諸事情により未着工である(詳しくは「[[等々力駅#地下化計画]]」を参照)。
 
* [[神奈川東部方面線]](相鉄・東急直通線): 日吉 - 新綱島 - [[新横浜駅|新横浜]]( - [[羽沢横浜国大駅|羽沢横浜国大]] - [[西谷駅|西谷]])
 
** 日吉付近から新横浜駅を経由して[[東日本旅客鉄道]](JR東日本)[[東海道貨物線]]の[[横浜羽沢駅]]付近に設置する羽沢横浜国大駅までを建設し、西谷駅から羽沢横浜国大駅までの新線(相鉄・JR直通線)を建設する[[相模鉄道]]との相互乗り入れを行う計画で、2016年現在建設中である。日吉 - 羽沢横浜国大間は2022年下期完成予定で<ref>{{Cite web |title=相鉄・東急直通線 |url=http://www.chokutsusen.jp/info/soutetsu_tokyu/index.html |publisher=鉄道・運輸機構 / 相模鉄道 / 東急電鉄 |accessdate=2016-08-26}}</ref>、完成の暁には新横浜方面から目黒線直通が1時間あたり最大10本、東横線直通が最大4本運行される計画である。このうち東急が営業主体となるのは日吉 - 新横浜間の予定である<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXMZO77906300T01C14A0000000/?df=2 神奈川・東京結ぶ新動脈 相鉄・東急直通線工事の全容] - 日本経済新聞、2014年10月17日</ref>。当初は大倉山から新横浜、[[鶴ヶ峰駅|鶴ヶ峰]]を通って[[二俣川駅|二俣川]]に至る計画だった。また、[[大倉山駅 (神奈川県)|大倉山駅]]に相当する駅の建設は中止となった。
 
<!-- 近くにある同じキーワードを何度もリンクしない-->
 
 
 
==== 構想中の区間 ====
 
* 多摩川線の[[蒲蒲線]]新設
 
** 京急空港線と東急多摩川線を連絡する。
 
* 大井町線の鷺沼延伸
 
 
 
=== 車両 ===
 
[[2016年]]3月末現在、鉄道線用<!--xxxx両-->と軌道線用<!--xx両の-->あわせて1,200両を保有する<ref>[http://www.mintetsu.or.jp/corporates/tokyu/index.html 東京急行電鉄株式会社] - 日本民営鉄道協会、2017年2月10日閲覧</ref>(緊急予備車<ref group="注釈">運用離脱した車両のうち、廃車や転用を前提にした車両の呼称であるが、事故等で使用不能になった車両と代替できるように常に運行可能状態としているため、実態は特別休車と同類の呼称である(イカロス出版『私鉄車両年鑑2013』p269)</ref>・横浜高速鉄道所有車両をのぞく)。各系列の詳細、使用線区、運用などについては、それぞれの記事を参照。
 
 
 
制御装置は2代目5000系の登場以降東横線・田園都市線は[[日立製作所]]製、目黒線・大井町線・池上線・多摩川線は[[東芝]]製と分けられており、他には[[東洋電機製造]](同社または東急初の[[絶縁ゲートバイポーラトランジスタ|IGBT素子]]を用いた[[可変電圧可変周波数制御|VVVFインバータ]]を採用した7700系7915編成を最後に採用されていないが、モーターは以後も2代目5000系などで見られる)、[[三菱電機]](デハ300形、2020系、6020系)製がある。
 
 
 
東急の形式記号は[[制御車|制御電動車]]および[[動力車|電動車]]を「デ」、[[制御車]]を「ク」、[[付随車]]を「サ」、次の桁に[[普通車 (鉄道車両)|普通車]]を「ハ」、[[事業用車]]を「ヤ」、[[有蓋車|有蓋貨車]]と[[荷物車|荷物電車]]を「ワ」、[[無蓋車|無蓋貨車]]を「ト」、[[電気機関車]]を「キ」とし、3000から付番している。これは大東急時代に小田急・帝都(現京王井の頭線)の車両を1000番台、京王の車両を2000番台、京浜の車両を5000番台としたためである。現在は貨物、荷物輸送が廃止され、「ワ」、「ト」、「キ」が形式消滅したため使用されていない。
 
 
 
その後大東急分離後も東急は3000系はそのままとし、4000を飛ばして5000、6000と付番していった。9000の次は1000から再度付番し、現在7000までが与えられている。このときも4000を飛ばしているが、2011年に投入された新車からは初めて4000番台が使用された。
 
 
 
編成の組み方については原則として固定編成とし、分割・併結は行わない。また、異系列との併結も行わないが、例外として5200系に初代5000系、8500系に8000系が併結されていた実績があった。<!--8590系は8090系のうちの制御電動車としてつくられたデハ8590形・デハ8690形のことを指す呼び方なので、実際には8090系とは同一系列であり、異系列として扱うには相応しくない-->その他、現在のところ付随車が電動車を上回る構成の編成は存在しない。
 
 
 
==== 鉄道線用 ====
 
===== 現有形式 =====
 
2018年3月28日時点での現有車両は、すべて電車である。
 
<!-- あくまで会社記事なので、走っている車両ではなく「東急が所有している車両」を挙げる。他社の車両を混在させない。 -->
 
{{Col-begin}}
 
{{Col-break|width=50%;white-space:nowrap|gap=1em}}
 
; 東横線
 
:* 優等種別専用
 
:** [[東急5000系電車 (2代)#5050系4000番台|5050系4000番台]]
 
:* 急行・各停専用
 
:** [[東急5000系電車 (2代)#5050系|5050系]]
 
:** [[東急5000系電車 (2代)|5000系]](田園都市線からの転属車・桜帯)
 
; 目黒線
 
:* [[東急3000系電車 (2代)|3000系]]
 
:* [[東急5000系電車 (2代)#5080系|5080系]]
 
; 田園都市線
 
:* 東武線直通
 
:** [[東急2020系電車|2020系]]<ref>{{PDFlink|[http://www.tokyu.co.jp/file/170317.pdf 2018年春、田園都市線に新型車両「2020系」を導入します]}}</ref><ref>{{PDFlink|[http://www.tokyu.co.jp/file/160513-1-22.pdf 2016年度の鉄軌道事業設備投資計画 車両新造のほかホームドア設置、駅改良工事に総額489億円]}} - 東京急行電鉄ニュースリリース 2016年5月13日</ref>(当面東武線非直通<ref>[http://rail.hobidas.com/rmn/archives/2018/04/20206020_1.html 【東急】2020系・6020系が営業運転を開始] - 鉄道ホビダス RMニュース、2018年4月3日</ref>)
 
:** [[東急5000系電車 (2代)|5000系]]
 
:** [[東急8500系電車|8500系]](一部編成東武線非直通)
 
:* 東武線非直通
 
:** [[東急2000系電車|2000系]]
 
:** [[東急8090系電車|8590系]]
 
{{Col-break|width=50%;white-space:nowrap|gap=1em}}
 
; 大井町線
 
:* 急行専用
 
:** [[東急6020系電車|6020系]]<ref>{{PDFlink|[http://www.tokyu.co.jp/171012-21.pdf 都心方面への輸送力を増強し混雑緩和を推進します!大井町線急行列車の7両編成化と新型車両6020系の導入]}} - 東京急行電鉄ニュースリリース 2017年10月12日</ref><ref>[http://www.tokyu.co.jp/image/news/pdf/20180326.pdf 当社初!平日夜の有料座席指定サービスを大井町線で開始!2018年冬、大井町駅から田園都市線方面への平日夜の帰宅をより快適に!]</ref><ref>[https://railf.jp/news/2018/03/29/160000.html 東急6020系が営業運転を開始] - 鉄道ファン・railf.jp 鉄道ニュース、2018年3月29日</ref>
 
:** [[東急6000系電車 (2代)|6000系]]
 
:* 各停専用
 
:** [[東急9000系電車|9000系]]
 
:** [[東急8500系電車|8500系]]
 
; 池上線・東急多摩川線<!-- 「東急多摩川線」が正式名称 -->
 
:* [[東急7000系電車 (2代)|7000系]]
 
:* [[東急7700系電車|7700系]]
 
:* [[東急1000系電車|1000系]]
 
:* [[東急1000系電車|1000系1500番台]]
 
; 事業用
 
:* [[東急7500系電車|7500系(TOQ i)]]
 
<!--新規車両の形式称号は東急から発表があるまで記述しないで下さい-->
 
{{Col-end}}
 
 
 
<gallery>
 
ファイル:東急6020系6122F 試運転.jpg|大井町線急行用6020系
 
ファイル:Tokyu-5000-3.jpg|田園都市線5000系
 
ファイル:Tokyu-5080-2.jpg|目黒線5080系
 
ファイル:Tōkyū 5000kei train made up of eight cars.JPG|東横線5050系
 
ファイル:Tokyu9000.jpg|東横線で使用されていた9000系。東横線からは撤退し現在は大井町線で使用。
 
ファイル:Tokyu1000 8cars.jpg|東横線 - 日比谷線直通で使用されていた1000系。東横線からは撤退し現在は池上線・東急多摩川線で使用。
 
ファイル:Tokyu_1000kei_tamagawa_line_second.JPG|池上線・東急多摩川線1000系1500番台
 
ファイル:Tokyu-8500-2.jpg|田園都市線 - 半蔵門線 - 東武線直通用8500系
 
ファイル:Tokyu-3000.jpg|目黒線 - 南北線・三田線直通用3000系
 
ファイル:Tōkyū 7000 series (II) EMU 7101f.jpg|池上線・東急多摩川線7000系
 
ファイル:Tokyu-7700-2.jpg|池上線・東急多摩川線7700系
 
ファイル:Tokyu Deya7500 20120506.jpg|事業用車両7500系 (TOQ i)
 
</gallery>
 
 
 
===== 旧在籍形式 =====
 
;東京急行電鉄成立以前に消滅した形式
 
:* [[目黒蒲田電鉄デハ1形電車|目黒蒲田電鉄デハ1形]]
 
:* [[東京横浜電鉄キハ1形気動車|東京横浜電鉄キハ1形]]
 
:* [[池上電気鉄道の電車]]
 
;東京急行電鉄成立後の在籍・消滅形式
 
:* [[東急3000系電車 (初代)|3000系(初代)]]
 
:* [[東急5000系電車 (初代)|5000系(初代)]]
 
:* [[東急5200系電車|5200系]]
 
:* [[東急6000系電車 (初代)|6000系(初代)]]
 
:* [[東急7000系電車 (初代)|7000系(初代)]]
 
:* [[東急7200系電車|7200系]]
 
:* [[東急7600系電車|7600系]]
 
:* [[東急8000系電車|8000系]]
 
:* [[東急8090系電車|8090系]]
 
:* [[東急7200系電車|7200系事業用車(アルミ試作車)]]
 
:* [[東京急行電鉄の機関車・貨車|機関車・貨車]]
 
このほか、車両不足の応援やイベント用、軌道検測などを目的に、他社から短期間の借入車([[相模鉄道]][[相模鉄道の気動車#キハ1000形|デハ1050形]]、[[国鉄モニ13形電車|国鉄モニ13形]]、[[伊豆急行2100系電車|伊豆急行2100系]]、[[国鉄マヤ34形客車|JR東日本マヤ34形]]など)が存在した。
 
 
 
<gallery>
 
ファイル:Tokyu8000 kabuki.JPG|東急のかつての主力車両8000系。写真の8019Fは2007年12月に運用離脱した。
 
ファイル:Tokyu8090.jpg|大井町線8090系
 
ファイル:Tokyu8090Gradation.jpg|大井町線8090系グラデーション帯
 
ファイル:Tokyu 7600.JPG|7600系
 
</gallery>
 
 
 
==== 軌道線用 ====
 
[[ファイル:Tokyu-EC300-3.jpg|thumb|right|世田谷線(軌道線)300系車両]]
 
 
 
===== 現有形式 =====
 
* [[東急300系電車|デハ300形]]
 
 
 
===== 旧在籍形式 =====
 
* [[玉川電気鉄道1067mm4輪単車車両|1067mm4輪単車]]
 
* [[玉川電気鉄道1372mm4輪単車車両|1372mm4輪単車]]
 
* [[東急デハ1形電車|デハ1形]]
 
* [[東急デハ20形電車|デハ20形]]
 
* [[東急デハ30形電車|デハ30形]]
 
* [[東急デハ40形電車|デハ40形]]
 
* [[東急デハ60形電車|デハ60形]]
 
* [[東急デハ70形電車|デハ70形]]
 
* [[東急デハ80形電車|デハ80形]]
 
* [[東急デハ150形電車|デハ150形]]
 
* [[東急デハ200形電車|デハ200形]]
 
* [[東京市電気局400形電車|東京市電借入車(400形)]]
 
* [[東京急行電鉄の機関車・貨車#デト3030形|デワ3030→デト3030形]]
 
 
 
==== 車両についての特記事項 ====
 
グループに[[東急車輛製造]]を持っていたことから、日本で最初の[[ステンレス鋼|ステンレス]]カー[[東急5200系電車|5200系]]を導入、さらに[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[バッド (車両メーカー)|バッド]]社との技術提携により[[1962年]]に日本で最初の[[オールステンレス車両|オールステンレスカー]][[東急7000系電車 (初代)|7000系(初代)]]も導入した。東急車輛製造の鉄道車両事業は2012年に[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]グループの[[総合車両製作所]]横浜事業所が継承し(東急車輛製造はその後、横浜金沢プロパティーズと社名を改め、2016年10月1日付で東急電鉄本体に吸収合併された<ref>{{PDFlink|[http://www.tokyu.co.jp/ir/upload_file/top_01/9005_2016072715054003_P01_.pdf 子会社の吸収合併(簡易合併・略式合併)に関するお知らせ]}} - 東京急行電鉄、2016年7月27日</ref>)、以後も東急の新造車両は総合車両製作所横浜事業所(および旧JR東日本新津車両製作所を総合車両製作所に移管後の[[総合車両製作所新津事業所|新津事業所]])で製造されている。
 
 
 
車両の技術面に関しては先進的で、[[東急6000系電車 (初代)|初代6000系]]は[[回生ブレーキ]]装備、1台車1モーターと、経済性を追求した。[[東急8000系電車|8000系]]からは日本初の[[省エネルギー|省エネ]]性に優れ、かつ製造コストが安い[[界磁チョッパ制御]]を導入したほか、動作性に優れた「[[電気指令式ブレーキ|全電気指令式電磁直通ブレーキ]]」を装備した。また[[コンピュータ]]を用いた軽量車体の設計にも挑み、8000系に試験車を組み込んだ(2005年までに廃車)。その試験結果を元に製造したのが[[東急8090系電車|8090系]]である。[[可変電圧可変周波数制御|VVVFインバータ制御]]への取り組みも早く、[[1984年]]には、初代6000系の一部を改造して実用試験を行いその結果を元に[[1986年]]には量産車として[[東急9000系電車|9000系]]を登場させている。このように、様々な先進技術を積極的に導入し、日本の鉄道界の模範となってきた。
 
 
 
しかし、その一方で車両デザインは極めてシンプルであった。これは車体に加工が難しいとされるステンレスを古くより本格採用したことと、当時の車両部長が「前面は切妻以外認めない」との方針を採ったために、一時は箱型の[[妻|平妻(切妻)]]正面が数多く登場し、これを比喩して「弁当箱スタイル」と呼ばれることも多かった。このように、技術的には世界的にもかなり高いレベルにあるものの、車両デザインとしてはステンレス無塗装や切妻形態の正面などのシンプルなデザインが続いていた。しかし新たに、正面に赤帯と黒帯を縦に入れた塗装が登場したが、[[東急3000系電車 (2代)|3000系(2代)]]ではワンマン運転対応とする関係上、方針を転換して平妻と訣別することとなった。3000系(2代)では[[繊維強化プラスチック|FRP]]を多用することで流線型とし、以後の車両でも流線型およびそれに近い構造としてる。
 
 
 
[[1989年]]、東急の鉄道線最後の旧性能車両である[[東急3000系電車 (初代)|初代3000系列]]が運行終了したことによって、日本の鉄道で初めて鉄道線の全車両が回生ブレーキ装備車両となった。また同時に大手私鉄では初めて鉄道線の営業車両のすべてがステンレス車(またはアルミ車)といった軽量車体の車両に統一されたことになる。[[2001年]]には軌道線の世田谷線でも[[東急デハ150形電車|デハ150形]]が運行終了し、軌道線も含めて全車ステンレス車となり、[[吊り掛け駆動方式|釣り掛け駆動]]車、[[電気車の速度制御#抵抗制御|抵抗制御]]車が全廃となった。
 
 
 
[[東急5000系電車 (2代)|5000系(2代)]]の導入により(田園都市線5000系・東横・みなとみらい線5050系・同Y500系・目黒線5080系の第3編成以降)全車両のドアの上に[[液晶ディスプレイ]](LCD)を当初は1基(5101F)、その後2基設置(5102F以降、路線情報とその他の情報)している。のちにその他の情報を流すLCDは『[[TOQビジョン]]』と命名された。さらに5000系では[[2005年]][[4月27日]]から1編成に2両(5・8号車)ずつ6ドア・座席格納車両を順次連結している。これは朝ラッシュ時の上り電車で長津田駅から半蔵門駅まで座席を格納する。
 
 
 
LED式行先表示器を装備する車両の[[書体]]は、田園都市線・東横線・目黒線・大井町線・世田谷線が[[ゴシック体]]のみ、池上線・東急多摩川線はゴシックと[[明朝体]]の両方が存在する。
 
 
 
東急で営業運転を終了した旧型車両は地方の中小私鉄で使用されているものもある。系列企業(東急グループ)の[[伊豆急行]]・[[上田交通|上田電鉄]]のほか、[[弘南鉄道]]、[[十和田観光電鉄]](廃止)、[[福島交通]]、[[秩父鉄道]]、松本電気鉄道(現在の[[アルピコ交通]])、[[長野電鉄]]、[[豊橋鉄道]]、[[北陸鉄道]]、[[伊賀鉄道]]、[[水間鉄道]]、[[一畑電車]]、[[熊本電気鉄道]]などに譲渡されているほか、過去には大手私鉄である[[名古屋鉄道]]への譲渡([[東急3700系電車|3700系]])もあった。
 
 
 
=== 車両基地・工場 ===
 
検車区とは、職場の名称。
 
* [[元住吉検車区]](元住吉車庫) - 東横線・目黒線、みなとみらい線(横浜高速鉄道)
 
* [[長津田検車区]](長津田車庫) - 田園都市線・大井町線、こどもの国線(横浜高速鉄道)
 
* [[雪が谷検車区]](雪が谷車庫) - 池上線・東急多摩川線
 
* [[雪が谷検車区上町班]](上町車庫) - 世田谷線
 
* [[奥沢検車区|元住吉検車区奥沢車庫]](奥沢車庫) - 目黒線
 
* [[長津田車両工場]] - 東急線全車両
 
 
 
廃止になった施設
 
* [[奥沢検車区]] - 目蒲線
 
* [[大橋検車区]] - 玉川線・砧線
 
* [[自由が丘検車区|自由が丘検車区/自由が丘車庫]] - 大井町線
 
* [[元住吉工場]] - 東急鉄道線全車両
 
* [[碑文谷工場]] - 東急鉄道線全車両
 
* [[大橋工場]] - 東急軌道線全車両
 
 
 
=== 電車区・車掌区・乗務区 ===
 
東急電鉄の運転士、車掌の職場で東急線各所に点在しており、主に車庫がある場所にある。
 
 
 
* 田園都市線、こどもの国線
 
** 長津田電車区
 
** 長津田車掌区
 
* 大井町線
 
** 二子玉川乗務区
 
* 東横線、みなとみらい線
 
** 元住吉電車区
 
** 元住吉車掌区
 
* 池上線、多摩川線
 
** 雪が谷大塚乗務区
 
* 目黒線
 
** 奥沢乗務区
 
* 世田谷線
 
** 世田谷線管区
 
 
 
=== 管理駅 ===
 
東急電鉄の駅業務は、複数の駅を「○○駅管内」としてまとめて管理下に置いており、この「○○」に入る駅名が[[駅長]]所在駅である。比較的小規模な駅は子会社である東急レールウェイサービスに業務が委託されている。
 
 
 
*東急電鉄各駅管内
 
** [[渋谷駅]]管内:渋谷駅を管理(東横線・田園都市線・[[東京メトロ半蔵門線]]・[[東京メトロ副都心線]])。
 
*** 田園都市線のホームは乗り入れ先の半蔵門線との共同使用駅である。同ホームは旧[[帝都高速度交通営団|営団]]が建設したが、旧新玉川線開業から東急が管理を行っていた。半蔵門線との直通運転開始を機に営団(のちに[[東京地下鉄]])に移管し、[[2007年]][[12月2日]]から東急に再度移管された。
 
*** 東横線のホームは乗り入れ先の副都心線との共同使用駅である。同ホームは、駅設置工事を東急と東京地下鉄で分担し、2008年6月14日の副都心線開業に合わせて建設された。開業時点では東急の電車が1本も発着していなかったが、2013年3月16日から開始された東横線と副都心線との相互直通運転開始に先駆けて、当初から東急が管理を行っていた。現在は田園都市線(半蔵門線)のホームと改札内で繋がっており、同ホームと一体化して管理されている。
 
** [[中目黒駅]]管内:[[代官山駅]] - [[学芸大学駅]]間を管理。
 
** [[武蔵小杉駅]]管内:[[新丸子駅]] - [[元住吉駅]]間を管理。
 
** [[日吉駅 (神奈川県)|日吉駅]]管内:日吉駅と[[綱島駅]]を管理。
 
** [[菊名駅]]管内:[[大倉山駅 (神奈川県)|大倉山駅]] - [[白楽駅]]間を管理。
 
** [[横浜駅]]管内:[[東白楽駅]] - 横浜駅間を管理。
 
** [[目黒駅]]管内:目黒駅 - [[奥沢駅]]間を管理。
 
** [[田園調布駅]]管内:田園調布駅 - [[多摩川駅]] - [[鵜の木駅]]間を管理。
 
** [[三軒茶屋駅]]管内:[[池尻大橋駅]] - [[桜新町駅]]間を管理。
 
** [[二子玉川駅]]管内:[[用賀駅]]と二子玉川駅を管理。
 
** [[溝の口駅]]管内:[[二子新地駅]] - [[梶が谷駅]]間を管理。
 
** [[鷺沼駅]]管内:[[宮崎台駅]] - [[たまプラーザ駅]]間を管理。
 
** [[あざみ野駅]]管内:あざみ野駅 - [[青葉台駅]]間を管理。
 
** [[長津田駅]]管内:[[田奈駅]] - [[中央林間駅]]間と[[恩田駅]]、[[こどもの国駅 (神奈川県)|こどもの国駅]]を管理。
 
** [[大井町駅]]管内:大井町駅 - [[荏原町駅]]間を管理。
 
** [[自由が丘駅]]管内:[[緑が丘駅 (東京都)|緑が丘駅]] - [[上野毛駅]]間と[[都立大学駅]]を管理。
 
** [[五反田駅]]管内:[[五反田駅]] - [[雪が谷大塚駅]]間と[[北千束駅]]を管理。
 
** [[蒲田駅]]管内:[[御嶽山駅]] - [[蒲田駅]]間と[[下丸子駅]] - [[矢口渡駅]]間を管理。
 
** 世田谷線管区:世田谷線全線
 
*東急レールウェイサービス委託駅
 
** 田園都市西エリア
 
*** 田奈駅と[[つくし野駅]] - [[つきみ野駅]]間
 
** 大岡山エリア
 
***[[不動前駅]] - [[洗足駅]]間と[[奥沢駅]]、[[下神明駅]] - 荏原町駅間、緑が丘駅、[[九品仏駅]] - 上野毛駅間
 
** 池上・旗の台事務所
 
*** [[大崎広小路駅]] - [[荏原中延駅]]間と[[長原駅 (東京都)|長原駅]] - [[蓮沼駅]]間、[[沼部駅]] - 矢口渡駅間、北千束駅
 
** 世田谷エリア
 
*** [[三軒茶屋駅]]、[[下高井戸駅]]
 
 
 
=== 運賃 ===
 
大人普通旅客運賃(小児半額・ICカードの場合は1円未満の端数切り捨て、切符利用の場合は10円未満の端数切り上げ)。[[2014年]][[4月1日]]改定。世田谷線(軌道線)とこどもの国線の運賃は鉄道線(両線以外)とは別に定められており、キロ程は通算できない。
 
 
 
{| class="wikitable" style="text-align:center;" rurls="all" summary="この表は運賃表で各距離ごとの運賃を表す。ただし世田谷線とこどもの国線は乗車距離に関わらず均一。"
 
|-
 
!rowspan="2"|
 
!rowspan="2"| キロ程 (km)
 
!style="text-align:center;" colspan="2"|運賃(円)
 
|-
 
!ICカード
 
!切符利用
 
|-
 
!rowspan="13"|鉄道線
 
!初乗り3km
 
|124
 
|130
 
|-
 
!4 - 7
 
|154
 
|160
 
|-
 
!8 - 11
 
|195
 
|200
 
|-
 
!12 - 15
 
|216
 
|220
 
|-
 
!16 - 20
 
|247
 
|250
 
|-
 
!21 - 25
 
|267
 
|270
 
|-
 
!26 - 30
 
|299
 
|300
 
|-
 
!31 - 35
 
|329
 
|330
 
|-
 
!36 - 40
 
|370
 
|370
 
|-
 
!41 - 45
 
|401
 
|410
 
|-
 
!46 - 50
 
|432
 
|440
 
|-
 
!51 - 56
 
|463
 
|470
 
|-
 
!こどもの国線
 
|154
 
|160
 
|-
 
!軌道線
 
!世田谷線
 
|144
 
|150
 
|-
 
|}
 
* こどもの国線・世田谷線は均一。他の東急線に跨る場合の運賃は、それぞれ他の東急線の長津田駅・三軒茶屋駅までの運賃と合算した額。ただし、世田谷線は、株主乗車券ではキロ程通算可能。こどもの国線と田園都市線[[青葉台駅]]・[[田奈駅]]・[[つくし野駅]]・[[すずかけ台駅]]との間の運賃は合算額から大人20円・小児10円引きとなる。
 
 
 
==== 定期券 ====
 
東急線全駅に設置されている[[自動券売機]]の一部では、[[定期乗車券|定期券]]を[[クレジットカード]]で購入できる。以前は[[TOPカード]]でDCカード、VISA・Mastercardブランド付帯のカードしか利用できなかったが、[[2013年]][[8月1日]]より前述のクレジットカードに加え[[ジェーシービー|JCB]]・[[アメリカン・エキスプレス]]・[[ダイナースクラブ]]のいずれかが付帯したカードでも利用可能となった<ref name="20130801card"/>。
 
 
 
2018年3月17日より、東急線内利用分に限り、12か月定期を発売予定で、当面の割引率は6か月と同じで6か月の2倍の金額である<ref>{{PDFlink|[http://www.tokyu.co.jp/image/news/pdf/b483496153d422e19cda81626a6ca072b9f09bd9.pdf 鉄軌道運賃の設定認可申請について]}} - 東京急行電鉄、2018年1月9日</ref>。
 
 
 
==== 割引乗車券・企画乗車券 ====
 
世田谷線散策きっぷ以外の乗車券は、[[恩田駅]]・[[こどもの国駅 (神奈川県)|こどもの国駅]]・[[東急世田谷線|世田谷線]]各駅での購入はできない。
 
; 世田谷線散策きっぷ
 
: 発売当日に限り何回でも世田谷線各駅で乗り降り自由。大人330円、小児170円。世田谷線[[三軒茶屋駅]]・[[上町駅]]・[[下高井戸駅]]で販売。
 
; みなとみらいチケット
 
: 東急線各駅から[[横浜駅]]までの往復乗車券と「[[横浜高速鉄道みなとみらい線|みなとみらい線]]一日乗車券」のセット。みなとみらい線内は乗り降り自由。上記の駅のほか、横浜駅での購入はできない。
 
; 東急ワンデーオープンチケット
 
: こどもの国線・世田谷線を含む東急線全線を乗車できる一日乗車券。大人660円、小児330円(2015年9月1日現在)。ただし、こどもの国線・世田谷線の各駅では購入できないが、三軒茶屋駅で本乗車券を購入後に当日の世田谷線の乗車証明書を駅窓口に提出すると、世田谷線運賃相当額の払い戻しを受けることが出来る。イベントがある場合に限り発売されていたが、2013年10月5日からは、イベントにかかわらず土日祝日および年末年始に発売されるようになり<ref>{{cite web |url=http://www.tokyu.co.jp/railway/top/index.html |title=東急線からのお知らせ |accessdate=2008年10月23日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131105104026/http://www.tokyu.co.jp/railway/top/index.html |archivedate=2013年11月5日 }}</ref><ref>[http://www.tokyu.co.jp/information/list/?id=106 土日祝日限定「東急ワンデーオープンチケット」4月以降も継続販売します] - 東京急行電鉄、2014年4月1日(2014年5月4日閲覧)</ref>、2015年9月1日以降は通年で発売するようになった<ref>[http://www.tokyu.co.jp/company/news/list/?id=2307 9月1日(火)から「東急ワンデーオープンチケット」を通年で発売します] - 東京急行電鉄、2015年8月31日、同日閲覧</ref>。
 
; 東急線・東急バス一日乗り放題きっぷ
 
: 上述の東急ワンデーオープンチケットに[[東急バス]]の一日乗車券が付いたもの。大人1000円、小児500円。2018年4月27日 - 8月31日の期間限定発売<ref>[http://www.tokyu.co.jp/information/list/Pid=post_61.html 「東急線・東急バス 一日乗り放題きっぷ」期間限定発売!] -  東京急行電鉄、2018年4月20日</ref>。
 
; [[トライアングルチケット]]
 
: 渋谷駅 - 自由が丘駅 - 二子玉川駅 - 渋谷駅間が乗り降り自由の一日乗車券。大人400円、小児200円(左記エリア内の場合)。発売は2013年3月15日まではフリーエリア内の各駅窓口および定期券売場のみで、エリア外の駅からは本チケット発売駅(=フリーエリア内)までの運賃が別途必要であった。2013年3月16日からは、発売箇所が東急線全駅の券売機(こどもの国線・世田谷線のぞく)・[[東武東上線]]全駅・[[西武鉄道|西武線]]全駅に拡大され、エリア外の駅から購入した場合は購入駅からエリア内までの往復乗車券がセットとなる<ref>{{PDFlink|[http://www.tokyu.co.jp/file/130227-1.pdf 「トライアングルチケット販売エリア拡大キャンペーン」を実施します]}} - 東京急行電鉄、2013年2月27日。</ref>。
 
; [[東急東京メトロパス]]
 
: 東急線各駅から[[東京地下鉄]](東京メトロ)接続駅(渋谷駅・[[中目黒駅]]・[[目黒駅]])までの往復乗車券と「東京地下鉄一日乗車券」のセット。東京メトロ線内は乗り降り自由。往路と復路で異なる接続駅を選択することも可能。上記の駅のほか、渋谷駅・中目黒駅・目黒駅での購入はできない。
 
; [[東急お台場パス]]
 
: 東急線各駅から大井町線[[大井町駅]]までの往復乗車券と[[東京臨海高速鉄道りんかい線]]大井町駅 - [[新木場駅]]間が乗り降り自由となる一日乗車券のセット。2008年3月28日発売開始。上記の駅のほか、大井町駅での購入はできない。また、りんかい線の一日乗車券とは違い、[[大崎駅]] - 大井町駅間はフリー区間に含まれない。
 
; 東急東武東上線[[小江戸川越クーポン]]
 
: 東急線各駅から渋谷駅までおよび[[東武東上本線|東武東上線]][[和光市駅]]から[[川越駅]]までの往復乗車券と[[東京メトロ副都心線]](渋谷駅 - 和光市駅間)および東武東上線川越駅・[[川越市駅]]が乗り降り自由となる一日乗車券のセット。[[東武バス|東武バスウエスト]]の川越市内指定区間も乗り降り自由となる。上記の駅のほか、渋谷駅での購入はできない。
 
; 東急東武東上線ハイキングきっぷ
 
: 東急線各駅から渋谷駅までおよび東武東上線和光市駅から[[坂戸駅]]までの往復乗車券と東京メトロ副都心線(渋谷駅 - 和光市駅間)および東武東上線坂戸駅 - [[寄居駅]]間・[[東武越生線|越生線]]が乗り降り自由となる一日乗車券のセット。上記の駅のほか、渋谷駅での購入はできない。
 
; [[東急・西武線まるごときっぷ|東急西武線まるごときっぷ]]
 
: 東急線各駅から渋谷駅までの往復乗車券と東京メトロ副都心線渋谷駅 - [[小竹向原駅]]間および西武線全線が乗り降り自由となる一日乗車券のセット。西武線へは小竹向原駅のほか、[[池袋駅]]や[[新宿三丁目駅]]経由で[[西武新宿駅]]での乗り換えも可能である。西武線全線には孤立路線である[[西武多摩川線]]も含まれるが、他の交通機関の運賃は別途必要となる。上記の駅のほか、渋谷駅での購入はできない。
 
; 東急[[江の島・鎌倉フリーパス]]
 
: 田園都市線各駅から[[中央林間駅]]までおよび[[小田急江ノ島線]]中央林間駅から[[藤沢駅]]までの往復乗車券と小田急江ノ島線(藤沢駅 - [[片瀬江ノ島駅]]間)および[[江ノ島電鉄線]]全線が乗り降り自由となる一日乗車券のセット。他の割引乗車券と異なり、田園都市線渋谷駅 - つきみ野駅間のみの発売である。
 
; 横濱中華街 旅グルメきっぷ
 
: こどもの国線・世田谷線を含む東急線全線を乗車できる一日乗車券<!-- http://img.4travel.jp/img/tcs/t/pict/500/42/93/93/500_42939380.jpg によると東急ワンデーオープンチケットそのものではない。東急公式サイトでも「東急線1日乗車券」とあるのみ -->、みなとみらい線一日乗車券、[[横浜中華街]]指定店舗の食事券のセット。大人2,500円、小児1,500円。各駅窓口での発売となる。
 
 
 
{| class="wikitable" style="text-align:center;" rurls="all"
 
|+企画乗車券発売額(大人・単位:円)
 
|-
 
!キロ程 (km)
 
!東急東京メトロパス
 
!みなとみらいチケット
 
!トライアングルチケット
 
!東急お台場パス
 
|-
 
!単独購入<br />の場合<ref group="注釈">東急線の駅窓口では購入できないものや乗車券の効力、特典の内容が異なるものがある。</ref>
 
|600<br />(東京メトロ24時間券)
 
|460<br />(みなとみらい線一日乗車券)
 
|400
 
|700<br />(りんかい線1日乗車券)
 
|-
 
!初乗り3km
 
|710
 
|620
 
|450
 
|710
 
|-
 
!4 - 7
 
|750
 
|700
 
|480
 
|750
 
|-
 
!8 - 11
 
|810
 
|770
 
|500
 
|810
 
|-
 
!12 - 15
 
|850
 
|800
 
|520
 
|850
 
|-
 
!16 - 20
 
|890
 
|850
 
|580
 
|890
 
|-
 
!21 - 25
 
|910
 
|860
 
|590
 
|910
 
|-
 
!26 - 30
 
|970
 
|920
 
|610
 
|970
 
|-
 
!31 - 35
 
|1020
 
|990
 
|630
 
|1020
 
|-
 
!36 - 40
 
|
 
|1050
 
|640
 
|
 
|-
 
!41 - 45
 
|
 
|1090
 
|660
 
|
 
|-
 
!46 - 50
 
|
 
|
 
|
 
|
 
|-
 
!51 - 56
 
|
 
|
 
|
 
|
 
|}
 
 
 
==== その他 ====
 
株主優待乗車証は、こどもの国線と世田谷線を含む東急全線を通しての利用が可能となっている。ただし、[[三軒茶屋駅]]で改札外乗り換えをする際は有人改札などで駅係員に提示する必要がある。
 
 
 
[[回数乗車券]]は、関西地区でよく見られる金額式(額面の運賃の区間であればどの区間でも利用できる)を[[2004年]][[1月31日]]発売分より採用している(こどもの国線・世田谷線はのぞく)。
 
 
 
=== 座席指定料金 ===
 
2017年3月25日から運行を開始した[[S-TRAIN]]に適用される。
 
*全区間:350円(小児 180円)<ref>{{PDFlink|[http://www.tokyu.co.jp/file/170110.pdf 2017年3月25日(土)から「S-TRAIN」運行開始!](東京急行電鉄、2017年1月10日}}</ref>
 
  
=== 女性専用車 ===
+
私鉄会社。[[1922年]]目黒蒲田電鉄設立,1934年池上電気鉄道を合併,1939年東京横浜電鉄を合併して東京横浜電鉄と改称,1942年[[小田急電鉄]],京浜電気鉄道([[京浜急行電鉄]])を合併して現社名に変更。
東急では、東横線と田園都市線に[[女性専用車両|女性専用車]]を導入している。小児や身体の不自由な客とその介助者・保護者は性別不当である。ダイヤ乱れなど不測の事態が発生すると中止する場合がある<ref>[http://www.tokyu.co.jp/railway/guide/woman/ ご利用案内 女性専用車] - 東京急行電鉄</ref>。
 
; 東横線
 
: 平日始発から9時30分までの上下全列車が対象であり、設定車両は渋谷寄り先頭車両である1号車。みなとみらい線含めて池袋駅到着または9時30分になった時点で終了する。
 
: [[2005年]][[7月25日]]から平日の特急・通勤特急・急行に導入した。導入当初の設定位置は元町・中華街方の8号車で、[[首都圏 (日本)|首都圏]]の鉄道路線として初となる終日の女性専用車導入であった。[[2006年]][[7月18日]]から終日設定を取りやめ、設定車両を5号車に変更した。副都心線との直通運転を開始した[[2013年]][[3月16日]]から実施時間を平日始発から9時30分までに変更し設定車両を1号車に変更した。
 
; 田園都市線
 
: 平日始発から9時30分までの渋谷方面行の全列車が対象であり、設定車両は渋谷寄りから数えて最後尾にあたる車両である。押上駅到着または9時30分になった時点で終了する。
 
  
=== サービス・ソフト面の特徴 ===
+
1944年京王電気軌道([[京王電鉄]])を合併したが,1948年東横百貨店([[東急百貨店]]),京王帝都電鉄,小田急電鉄,京浜急行電鉄を分離した。
* 単に鉄道とその沿線に不動産や百貨店を置くのでなく、古くからカレンダーなどの鉄道グッズを多数発売したり、沿線の乗客から専属モニターとして意見を聞くなど、鉄道と沿線住民が一体となった鉄道として知られる。こうした手法は[[阪急電鉄]]が創案したもので、阪急の創業者で[[田園都市 (企業)|田園都市株式株式会社]]を経営していた[[小林一三]]が東急に持ち込み、それを[[五島慶太]]が「東急の経営(運営)は阪急の方針を取り、全て小林イズムを踏襲してまいりました<ref>五島慶太、小林一三追悼式での言葉、1957年(昭和32年)3月8日、東京宝塚劇場に於いて</ref>」と継承したのである。
 
* [[京成電鉄]]、[[京王電鉄]]や阪急電鉄、[[しなの鉄道]]などと同様に、[[テレビ番組]]や[[映画]]、[[テレビドラマ|ドラマ]]の[[撮影]]でも時折東急線が登場している。これは『Tokyu C&C事業』として東急グループの施設での撮影が可能となったことによる。
 
* 2007年現在、在籍するすべての編成に1 - 2か所ずつ[[車椅子スペース]]を設置している。
 
* ダイヤ改正時に冊子形の[[時刻表]]を発行していた。かつては有料で、2005年6月10日の[[ダイヤ改正]]から[[JTBパブリッシング]]発行のものを無料で配布していたが、2012年3月のダイヤ改正時には時刻表利用のネットへの移行を理由に発行されなかった<ref>HOTほっとTOKYU 2012年4月号より</ref><ref group="注釈">[http://www.tokyu.co.jp/railway/menu/jikoku.html 各駅時刻表] - 冒頭部に『<3月17日ダイヤ改正に伴う、東急電車時刻表(冊子タイプ)の発行について>今般、パソコンや携帯電話等の普及により、時刻表への需要が減少傾向にあることから東急電車時刻表の発行は見送らせていただきます。 冊子タイプの時刻表をご希望のお客さまにおかれましては、市販の時刻表等をご利用頂きますようお願い申し上げます。』と記載(東急電鉄ウェブサイト 2012年5月27日閲覧)</ref>。
 
* 安全対策に関係する投資に積極的で、保安装置は[[東急田園都市線|田園都市線]]・[[東急東横線|東横線]]・[[東急目黒線|目黒線]]・[[東急大井町線|大井町線]]が[[自動列車制御装置|ATC]]、[[東急池上線|池上線]]・[[東急多摩川線]]が[[自動列車停止装置|ATS]]となっている。このうち目黒線はホームゲートと[[定位置停止装置|TASC]](定位置停止支援装置)、池上線と東急多摩川線がホーム柵と赤外線センサー、TASCを導入し、安全性の向上と省力化の両立を図っている。また、世田谷線は「車内警報装置」(過速防止機能付き)と「[[列車無線]]」を導入している。
 
* 東急では路線によって車体前面・側面に「各停」種別を表示する路線(東横線・目黒線・大井町線)と表示しない路線(田園都市線・池上線・東急多摩川線・世田谷線)がある。東横線は、みなとみらい線開業を控えた2004年1月までに開始。目黒線は2006年の急行運転開始を機に、大井町線は田園都市線直通急行運転開始を前に実施を開始した。
 
* フルカラーLEDや方向幕上の「各停」表示色も路線ごとによって違っており、東横線は青地に白文字で表示し、目黒線は緑地に白文字(3000系は緑文字)、大井町線は田園都市線[[溝の口駅]]乗り入れ開始時より[[高津駅 (神奈川県)|高津駅]]・[[二子新地駅]]での停車の有無により緑色(通過)・青色(停車)を区別して使用している。各駅停車のみの路線(池上線、東急多摩川線、こどもの国線、世田谷線)と田園都市線では「各停」の表示は行っていない。
 
* 線路の立体化にも積極的であるが、単によくある高架線にするのでなく、現在の地上線の真下に浅いトンネルを掘る、「直下地下工法」を多く使っている。田園都市線とこどもの国線以外にはすべて直下地下区間が存在し、特に目黒線は地下鉄南北線との直通運転にそなえて工事をしたため、全区間の半分近くが直下地下区間となる。
 
* 東急では[[高級住宅街]]や最新技術の電車というイメージがあるが、池上線や東急多摩川線などの開業当時からの古くからの町並みを残し、[[田園調布駅]]の旧駅舎を復元するなど、それを維持するよう努めている。こうした路線でも、新型車両の導入が行われている。
 
* 駅の表示については2000年の地下鉄南北線との直通運転開始を皮切りに今のものに切り替えられ、ほぼ全駅で更新が完了されている。また[[横浜高速鉄道]]での管轄路線も同じ仕様が使われている。後に[[ユニバーサルデザイン]]仕様の[[ピクトグラム]]も導入されている。2012年2月より[[駅ナンバリング]]が導入され、駅名標がナンバリング表記付きの物に順次交換されている。
 
* 主要駅には「テコプラザ」の名称で旅行サービスなどを展開するカウンターを設置している。東急グループには東急観光があったがグループ外になり「[[東武トップツアーズ|トップツアー]]」(後に[[東武鉄道]]に買収され「東武トップツアーズ」となる)になったこともあり、現在は[[ジェイティービー|JTB]]と提携し同社の営業拠点としての役割も持っている。
 
* 駅の売店は「toks」であるが、子会社である東急ステーションリテールサービスが[[ローソン]]に加盟することにより、順次ローソンの店舗(駅売店型)になる予定である<ref>{{PDFlink|[http://www.tokyu.co.jp/file/120322.pdf 東急線駅売店全店をローソンに転換]}} - 東京急行電鉄、2012年3月22日。</ref>。
 
* 東横線が副都心線との直通運転を開始を機に、副都心線・西武線・東武東上線への企画乗車券やおすすめスポットなどに力を入れている。
 
* 2016年9月現在、他社の同名の駅と区別するため駅名に「東急」を冠した駅は存在しない(駅名に社名を冠した駅がないのは、関東の大手私鉄では相模鉄道が、大手私鉄全体では[[阪急電鉄]]・[[阪神電気鉄道]]・[[南海電気鉄道]]も該当する)。
 
  
=== マスコットキャラクター ===
+
1991年自動車部を分離し東急バスを設立。東急グループの総本家で鉄道,不動産業を中心に遊園地,ホテルなどの事業も経営。東京と郊外および神奈川県を結ぶ路線をもち,田園都市線の延長とともに沿線の土地開発に力を注いでいる。
; [[のるるん]]
 
: 2012年に東急線の広報活動の一環として作成された、東急の主力車両として運用されている[[東急5000系電車 (2代)|5000系]]をモチーフにしたキャラクター。2012年8月に公開された当初は名前が決まっていなかったが、公募により11月に「のるるん」という名前に決定した。[[東急バス]]のマスコットキャラクター「ノッテちゃん」とはいとこという設定がある<ref>{{PDFlink|[http://www.tokyu.co.jp/file/121112.pdf 東急線マスコットキャラクターの愛称が「のるるん」に決定!東急線のPRに活躍します]}} - 東京急行電鉄、2013年3月16日閲覧</ref>。
 
  
=== 乗降人員上位15位 ===
+
また東横線横浜駅で横浜高速鉄道みなとみらい線と,田園都市線渋谷駅で東京地下鉄半蔵門線,同線を介して[[東武鉄道]]伊勢崎線・日光線と,東横線渋谷駅で東京地下鉄副都心線と,目黒線目黒駅で東京地下鉄南北線,都営地下鉄三田線と相互乗り入れしている。関連会社多数。
*乗降人員は東京急行電鉄の駅のもの。{{↑}}{{↓}}{{→}}は前年度に比較した増({{↑}})減({{↓}})増減なし({{→}})を表す。
 
{| class="wikitable" style="width:100%; font-size:90%;"
 
|-
 
|+東京急行電鉄の駅別乗降人員上位15位(2017年度)<ref>[http://www.tokyu.co.jp/company/business/railway/passengers/index.html 2017年度乗降人員] - 東京急行電鉄、2018年7月2日閲覧</ref>
 
!順位!!駅名!!人数<br />(人)!!前年比<br />(%)!!前年<br />順位!!前年人数<br />(人)!!所在地!!style="width:45%;"|備考
 
|-
 
!{{→}} 1
 
|[[渋谷駅]]||style="text-align:right;"|1,163,469||style="text-align:right;"|{{↑}} 1.2||style="text-align:right;"|1||style="text-align:right;"|1,149,334||[[東京都]][[渋谷区]]||日本の私鉄で最多。東横線は[[東京メトロ副都心線|副都心線]]、田園都市線は[[東京メトロ半蔵門線|半蔵門線]]の直通人員含む。各社局線総合では日本・世界第4位
 
|-
 
!{{→}} 2
 
|[[横浜駅]]||style="text-align:right;"|362,526||style="text-align:right;"|{{↑}} 1.2||style="text-align:right;"|2||style="text-align:right;"|358,191||[[横浜市]][[西区 (横浜市)|西区]]||[[横浜高速鉄道みなとみらい線|みなとみらい線]]の直通人員含む。各社局線総合では日本・世界第5位
 
|-
 
!{{→}} 3
 
|[[目黒駅]]||style="text-align:right;"|276,680||style="text-align:right;"|{{↑}} 3.4||style="text-align:right;"|3||style="text-align:right;"|267,662||東京都[[品川区]]||[[東京メトロ南北線|南北線]]・[[都営地下鉄三田線|三田線]]の直通人員含む
 
|-
 
!{{→}} 4
 
|[[武蔵小杉駅]]||style="text-align:right;"|225,463||style="text-align:right;"|{{↑}} 1.3||style="text-align:right;"|4||style="text-align:right;"|222,674||[[川崎市]][[中原区]]||&nbsp;
 
|-
 
!{{→}} 5
 
|[[溝の口駅]]||style="text-align:right;"|211,801||style="text-align:right;"|{{↑}} 1.8||style="text-align:right;"|5||style="text-align:right;"|208,103||川崎市[[高津区]]||&nbsp;
 
|-
 
!{{→}} 6
 
|[[日吉駅 (神奈川県)|日吉駅]]||style="text-align:right;"|205,216||style="text-align:right;"|{{↑}} 1.8||style="text-align:right;"|6||style="text-align:right;"|201,631||横浜市[[港北区]]||&nbsp;
 
|-
 
!{{→}} 7
 
|[[中目黒駅]]||style="text-align:right;"|196,964||style="text-align:right;"|{{↑}} 1.6||style="text-align:right;"|7||style="text-align:right;"|193,943||東京都[[目黒区]]||[[東京メトロ日比谷線|日比谷線]]の相互乗換人員含む
 
|-
 
!{{→}} 8
 
|[[蒲田駅]]||style="text-align:right;"|167,022||style="text-align:right;"|{{↑}} 2.1||style="text-align:right;"|8||style="text-align:right;"|163,530||東京都[[大田区]]||&nbsp;
 
|-
 
!{{→}} 9
 
|[[二子玉川駅]]||style="text-align:right;"|162,989||style="text-align:right;"|{{↑}} 1.5||style="text-align:right;"|9||style="text-align:right;"|160,558||東京都[[世田谷区]]||&nbsp;
 
|-
 
!{{→}} 10
 
|[[自由が丘駅]]||style="text-align:right;"|156,540||style="text-align:right;"|{{↑}} 1.7||style="text-align:right;"|10||style="text-align:right;"|153,965||東京都目黒区||&nbsp;
 
|-
 
!{{↑}} 11
 
|[[大井町駅]]||style="text-align:right;"|143,269||style="text-align:right;"|{{↑}} 1.5||style="text-align:right;"|12||style="text-align:right;"|141,196||東京都品川区||&nbsp;
 
|-
 
!{{↓}} 12
 
|[[長津田駅]]||style="text-align:right;"|141,576||style="text-align:right;"|{{↑}} 0.2||style="text-align:right;"|11||style="text-align:right;"|141,260||横浜市[[緑区 (横浜市)|緑区]]||こどもの国線と田園都市線との相互乗換人員含む
 
|-
 
!{{↑}} 13
 
|[[三軒茶屋駅]]||style="text-align:right;"|139,061||style="text-align:right;"|{{↑}} 2.1||style="text-align:right;"|14||style="text-align:right;"|136,149||東京都世田谷区||世田谷線の乗降人員は含まない
 
|-
 
!{{↓}} 14
 
|[[菊名駅]]||style="text-align:right;"|138,346||style="text-align:right;"|{{↑}} 0.3||style="text-align:right;"|13||style="text-align:right;"|137,978||横浜市港北区||&nbsp;
 
|-
 
!{{→}} 15
 
|[[あざみ野駅]]||style="text-align:right;"|136,448||style="text-align:right;"|{{↑}} 0.7||style="text-align:right;"|15||style="text-align:right;"|135,448||横浜市[[青葉区 (横浜市)|青葉区]]||&nbsp;
 
|}
 
  
== 住宅開発事業 ==
+
路線は東横線(渋谷―横浜),田園都市線(渋谷―中央林間),大井町線(大井町―溝の口),目黒線(目黒―日吉),多摩川線(多摩川―蒲田),池上線(五反田―蒲田),こどもの国線,世田谷線。
{{See also|東急不動産}}
 
東急沿線での住宅開発は主に東急不動産が担っている。東急沿線のみならず、沿線外の地域でも住宅開発を行っている。
 
  
; 東急沿線
+
*[[五島慶太]]
:* ジェネヒルあざみ野(横浜市青葉区荏子田・すすき野地区、2003年から)
 
:* イデアリーナ(横浜市[[青葉区 (横浜市)|青葉区]][[あざみ野]]南地区、2007年から)
 
:* ノイエあざみ野(2008年から)
 
:* ノイエたまプラーザ(2008年から)
 
:
 
; 東急線沿線外
 
:* 湘南めぐみが丘(神奈川県[[平塚市]])
 
:* 小郡・筑紫野ニュータウン([[福岡県]]、美しが丘プレステージアベニューで[[都市景観大賞]]受賞)
 
:* 千福ニュータウン([[静岡県]][[裾野市]])
 
 
 
== 労働組合 ==
 
有価証券報告書によれば、労働組合の状況は以下の通り<ref>{{PDFlink|[http://www.tokyu.co.jp/ir/upload_file/library_07/9005_2017062915255004_P02_.pdf 有価証券報告書(第148期)]}} - 東京急行電鉄</ref>。
 
{| class="wikitable" style="font-size:small;" border="1"
 
|-
 
!名称
 
!上部組織
 
|-
 
|東急労働組合
 
|[[日本私鉄労働組合総連合会]]
 
|-
 
|全関東単一労働組合東急分会
 
|全関東単一労働組合
 
|}
 
 
 
== 提携など ==
 
* 乗り入れ各社局
 
** [[東京地下鉄]](東京メトロ) - [[東京メトロ副都心線|副都心線]]、[[東京メトロ半蔵門線|半蔵門線]]、[[東京メトロ南北線|南北線]]の3路線がそれぞれ、東横線、田園都市線、目黒線に乗り入れ。また、東急東京メトロパスを発売している。過去には[[東京メトロ日比谷線|日比谷線]]も東横線に乗り入れていた。
 
** [[東武鉄道]] - [[東京メトロ半蔵門線]]を経由して、[[東武伊勢崎線|伊勢崎線]]・[[東武日光線|日光線]]が田園都市線に、[[東京メトロ副都心線]]を経由して、[[東武東上本線|東上線]]が東横線と相互乗り入れ。
 
** [[横浜高速鉄道]] - 東横線と相互乗り入れなど。
 
** [[埼玉高速鉄道]] - [[東京メトロ南北線]]経由で目黒線と相互乗り入れ。
 
** [[東京都交通局]]([[都営地下鉄]]) - 目黒線と[[都営地下鉄三田線|都営三田線]]が相互乗り入れ。
 
** [[西武鉄道]] - 東京メトロ副都心線を経由して、[[西武池袋線|池袋線]]・[[西武有楽町線]]が東横線と相互乗り入れ。
 
** [[相模鉄道]] - 目黒線・東横線との相互乗り入れ計画がある。
 
* [[日本航空|JAL]]グループ - 2006年春から提携クレジットカードを発行。
 
* [[am/pm]] - 東急を加盟店開拓・管理事業者として[[PASMO]]を電子マネーとして導入
 
* [[ソウル特別市都市鉄道公社]] - 2012年3月、鉄道事業に関する交流と協力を促進する基本合意書に調印<ref>{{PDFlink|[http://www.tokyu.co.jp/file/120312-1.pdf ソウル特別市都市鉄道公社(SMRT社)と鉄道事業に関する交流と協力を促進する基本合意書に調印]}} - 東京急行電鉄ニュースリリース、2012年3月12日</ref>。
 
 
 
== 主要グループ企業 ==
 
{{See|東急グループ}}
 
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
+
{{Reflist}}
=== 注釈 ===
 
{{Reflist|group="注釈"|2}}
 
 
 
=== 出典 ===
 
{{Reflist|2}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* {{cite|url=http://www.shibusawa.or.jp/SH/denki/53.html|title="渋沢栄一伝記資料" 第53巻 目次詳細 第13節 土木・築港・土地会社 第3款 田園都市株式会社|publisher=渋沢栄一記念財団|accessdate=2015-12-01|ref=shibusawa53}}
 
* {{Cite book|和書|editor= 東京急行電鉄株式会社総務部文書課|title= 東京横濱電鐵沿革史|date= 1943-03|publisher= 東京急行電鉄|location= |isbn= |ncid= |naid= |oclc= |doi= |url= {{NDLDC|1124913}}|asin= |lcc= |ref = harv}}
 
* {{Cite book|和書|editor= 東京急行電鐵株式會社|title= 東京急行三十年の歩み|date= 1952-10|publisher= 東京急行電鉄|location= |isbn= |ncid= |naid= |oclc= |doi= |asin= |lcc= |ref = harv}}
 
* {{Cite book|和書|editor= 東京急行電鉄株式会社社史編纂事務局|title= 東京急行電鉄50年史|date= 1973-04|publisher= 東京急行電鉄|location= |isbn= |ncid= |naid= |oclc= |doi= |asin= |lcc= |ref = harv}}
 
* {{Cite book|和書|editor= 東京急行電鉄(株)田園都市事業部|title= 多摩田園都市 : 開発35年の記録|date= 1988-10|publisher= 東京急行電鉄|location= |isbn= |ncid= |naid= |oclc= |doi= |asin= |lcc= |ref = harv}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[日本の鉄道事業者一覧]]
 
* [[山田宏臣]] - [[陸上競技]]選手、東京急行電鉄社員でもあった。
 
* [[高知東生]]
 
* [[カードキャプターさくら]] クリアカード編 - 2018年7月から9月までコラボレーションキャンペーンを開催<!--<ref>[http://www.tokyu.co.jp/information/list/Pid=post_81.html アニメ「カードキャプターさくら クリアカード編」コラボレーションキャンペーンを開催] - 東京急行電鉄、2018年7月10日</ref>-->。
 
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Tokyu Corporation}}
 
{{Multimedia|東京急行電鉄の画像}}
 
 
* {{Official|www.tokyu.co.jp/}}
 
* {{Official|www.tokyu.co.jp/}}
* {{Twitter|tokyu_official|東急線運行情報【公式】}}
 
* {{Instagram|tokyu_corporation}}
 
 
{{東急グループ}}
 
{{大手私鉄}}
 
{{日本の路面電車}}
 
{{PASMO}}
 
{{パスネット}}
 
{{鉄道趣味顕賞選定一覧}}
 
{{Normdaten}}
 
  
 
{{DEFAULTSORT:とうきようきゆうこうてんてつ}}
 
{{DEFAULTSORT:とうきようきゆうこうてんてつ}}

2018/8/11/ (土) 13:40時点における最新版


東京急行電鉄株式会社(とうきょうきゅうこうでんてつ、: TOKYU CORPORATION

私鉄会社。1922年目黒蒲田電鉄設立,1934年池上電気鉄道を合併,1939年東京横浜電鉄を合併して東京横浜電鉄と改称,1942年小田急電鉄,京浜電気鉄道(京浜急行電鉄)を合併して現社名に変更。

1944年京王電気軌道(京王電鉄)を合併したが,1948年東横百貨店(東急百貨店),京王帝都電鉄,小田急電鉄,京浜急行電鉄を分離した。

1991年自動車部を分離し東急バスを設立。東急グループの総本家で鉄道,不動産業を中心に遊園地,ホテルなどの事業も経営。東京と郊外および神奈川県を結ぶ路線をもち,田園都市線の延長とともに沿線の土地開発に力を注いでいる。

また東横線横浜駅で横浜高速鉄道みなとみらい線と,田園都市線渋谷駅で東京地下鉄半蔵門線,同線を介して東武鉄道伊勢崎線・日光線と,東横線渋谷駅で東京地下鉄副都心線と,目黒線目黒駅で東京地下鉄南北線,都営地下鉄三田線と相互乗り入れしている。関連会社多数。

路線は東横線(渋谷―横浜),田園都市線(渋谷―中央林間),大井町線(大井町―溝の口),目黒線(目黒―日吉),多摩川線(多摩川―蒲田),池上線(五反田―蒲田),こどもの国線,世田谷線。

脚注

外部リンク