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アーグラ(ヒンディー語: आगरा、ウルドゥー語: آگرا アーグラー、英語: Agra アーグラ)はインドのウッタル・プラデーシュ州に属する都市。同州最大の都市で、2011年現在の人口は約157万[1]。アーグラー、アグラとも表記する。世界遺産に登録されているタージ・マハル廟、アーグラ城塞があることで知られる。
地勢・産業
ガンジス川最大の支流であるヤムナー川沿いに位置する都市で、古代より交通の要所として発展した。周辺地域における政治、経済、文化の中心。世界遺産にも定められているタージ・マハルなど多くの観光名所があり、多くの観光客が訪れる。近隣の都市としては、約180キロ北にデリー、220キロ西にジャイプル、300キロ東にラクナウが位置している。
歴史
古代叙事詩の『マハーバーラタ』において、アグラヴァナ(अग्रवन:「前方の森」の意)と表記されていた。3世紀のプトレマイオスが制作した世界地図にも、その位置が記されている。1475年頃に、ラージャ・バダル・シングによって現代のアーグラとなる都市が設立された。
16世紀初頭、最後のデリー・スルターン朝であるローディー朝がこの地に都をおいた。ローディー朝を倒して1526年にムガル帝国が建てられるが、その3代皇帝であるアクバルの時代に都として定められた。5代皇帝のシャー・ジャハーンは、愛妃ムムターズ・マハルの死を嘆き、この街にタージ・マハル廟を建てた。
19世紀よりイギリスの支配下に入り、植民地統治の拠点の一つとなる。1927年にはアーグラ大学が建てられた。
観光
世界的に知られるタージ・マハルのほか、ムガル帝国3代皇帝のアクバルが建てたアーグラ城塞、ファテープル・シークリーと3つのユネスコ世界遺産に登録された遺跡がある。
- タージ・マハル : 世界遺産に登録されているムガル帝国王妃の白亜の霊廟。ムガル帝国5代皇帝シャー・ジャハーンによって建立。
- アーグラ城塞 : ムガル帝国の栄光と権力を象徴する美しい城塞。ムガル帝国3代皇帝のアクバルが建設開始し、その後18世紀初頭まで建設が続けられた。赤砂岩で囲まれた城塞の中には、宮殿などの諸施設が建てられた。タージ・マハルの建設を命じたシャー・ジャハーンが7年間幽閉されていた囚われの塔(ムサンマン・ブルジ)も、城壁の中にある。世界遺産に登録されている。
- ファテープル・シークリー : ムガル帝国3代皇帝のアクバルが建てた首都宮城。14年間あまりここで政事を行った。世界遺産に登録されている。
- イティマード・ウッダウラ廟: ムムターズ・マハルの祖父、宰相ミールザー・ギヤース・ベグ(敬称イティマード・ウッドダラ اعتماد الدوله :「国家の拠り所」の意)のために1622年に建てられた白大理石の霊廟。
- アクバル廟(シカンドラー): アーグラ郊外北西10kmにある城。1492年、シカンダル・ローディーによって首都宮城として建てられたが、その後ムガル帝国のアクバルの霊廟だけが残された。この霊廟は1613年建立。
交通
- 空路
- 鉄道 - 時刻表には下記のいずれも単にAgraと表記されることがあるので注意が必要である。
- アーグラー・カント駅 : 鉄道のメインの駅。デリーからの「シャターブディー急行」、「タージ急行」などが着く。繁華街やタージ・マハルには駅前ターミナルからタクシーやオートリクシャーなどを利用する。
- アーグラ・フォート駅 : アーグラ市街地にある駅で、アーグラ城塞にも近い。コルカタやワーラーナシーからの列車などが着く。
- バス
- 市内のバススタンドから各地へのバスが出ている。デリーまで5時間、ジャイプルまで6時間、カジュラーホーまで12時間。
アーグラ出身の著名人
- ミール・タキー・ミール - 詩人。ウルドゥー文学の抒情詩の巨匠
- マムヌーン・フセイン - パキスタン大統領
脚注
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外部リンク
- アーグラ観光のためのサイト (英語)
- アーグラ公式ウェブサイト・観光ページ (英語)
- ユネスコ世界遺産 「アーグラ城」 (日本語)
- ユネスコ世界遺産 「タージ・マハル廟」 (日本語)
- オープンストリートマップには、アーグラに関連する地理データがあります。