「ホンジャマカ」の版間の差分
ja>Sakurapop7 |
細 (1版 をインポートしました) |
(相違点なし)
|
2018/9/26/ (水) 02:11時点における最新版
ホンジャマカ | |
---|---|
メンバー |
石塚英彦 恵俊彰 |
出身 | ビッグサースデー |
芸種 | コント |
公式サイト | 公式プロフィール |
受賞歴 | |
ザ・テレビ演芸 グランドチャンピオン 爆笑王誕生 初代5週勝ち抜きチャンピオン 第9回高田文夫杯争奪OWARAIゴールドラッシュ 優勝 第31回ゴールデン・アロー賞 芸能部門新人賞 |
ホンジャマカは、日本のお笑いコンビ。ワタナベエンターテインメント所属。活動開始当初は11人体制だった。お笑い第三世代と数える。
Contents
メンバー
詳細はそれぞれの項目を参照。
現メンバー
11人体制時代のメンバー
概要
1983年、当時渡辺プロダクションが若手お笑いタレント劇団「BIG THURSDAY」(ビッグサースデー)を旗揚げ。石塚がその第1期生として参加し、恵が第3期生として参加した。このBIG THURSDAYには石塚と恵以外にも中山秀征、松野大介(後のABブラザーズ)、是永克也、松本明子、十日市秀悦らが参加し、2か月に一度のペースで定期的に渋谷109スタジオにてライブを行っていた。
1988年6月4日、インクスティック芝浦ファクトリーにて、11人体制でホンジャマカ初ライブ「BIG THURSDAY ホンジャマカ VOL.1」を開催する[1][2]。同年、テレビ朝日の演芸番組『ザ・テレビ演芸』でグランドチャンピオンを獲得している。しかしその直後にメンバーが減少していき、最終的には石塚と恵の2人だけになったため、1989年にお笑いコンビ「ホンジャマカ」として再始動した[3][4]。
コンビになってからもホンジャマカ単独でのイベントやライブを積極的に行い、バカルディ(現・さまぁ〜ず)とともに1990年代初期の関東を代表するコンビとなった。「抑えの利かない田中君」などのショートコントは、ダウンタウンの松本人志も好きだったと語っている。
元々石塚と恵の体型はあまり大差が無く、いわゆるデブタレ同士のコンビだった。そのため、コンビ結成当時は「大デブ小デブでホンジャマカ」をキャッチフレーズに活動していた[4]。しかし、1992年から1993年頃に恵が意を決したダイエットで劇的に痩せたため、現在ある姿の「デブと痩せのコンビ」になったのである。この事について石塚は、「相方の食事まで食べるなどしてさらに太った」などとネタで話すことがある。
1990年代末期からは石塚・恵ともに個人での活動に重点を置くようになり、2人がホンジャマカを名乗って出演する機会は少なくなっている。また、共にネタ見せをすることも無くなり、それぞれグルメリポーターや司会者や俳優としての活動が中心になっている。石塚曰く、ホンジャマカとは元々お笑いコンビではなく、ソロでやっていた者同士によるユニットとのことである[3]。
しかしながら、その後もコンビを解消することなく活動を続けており、TBSの『関口宏の東京フレンドパークII』には長年ホンジャマカとして出演していた。また、2010年初頭にはコンビ結成から20年が経過したのを記念し、2人揃って日本テレビの『嵐の宿題くん』や『99プラス』、フジテレビの『ウチくる!?』などにゲスト出演して回った。そして、同年3月13日から14日まで新宿紀伊國屋サザンシアターで「ホンジャマカ ライブ “成人” 〜20周年すぎてました〜」を開催し、久々にホンジャマカを名乗ってのコントを披露した。このライブを開催するにあたり、期間限定でにしおかすみこ、山本高広、我が家、フォーリンラブをメンバーに迎えた。脚本は妹尾匡夫が、演出は中野俊成が担当した。2016年4月2日に放送されたTBSの演芸番組『ネプ&ローラの爆笑まとめ!2016春』にも2人揃って参加し、同局では22年ぶり[5]となるコントの披露を行った。
受賞歴
- 1988年 テレビ朝日 ザ・テレビ演芸 グランドチャンピオン
- 1992年 日本テレビ放送網 爆笑王誕生 初代5週勝ち抜きチャンピオン
- 1992年 ニッポン放送 第9回高田文夫杯争奪OWARAIゴールドラッシュ 優勝
- 1994年 平成5年度(1993年度) 第31回ゴールデン・アロー賞 芸能部門新人賞[6]
出演
テレビ番組
- ひょうきん予備校(1986年 - 1987年、フジテレビ) - ホンジャマカ結成以前に出演。
- 熱帯夜アカデミー(1988年 - 1992年、テレビ朝日)
- ヤンヤンもぎたて族(1990年、テレビ東京) - 準レギュラー。
- SMAPの学園キッズ (1990年 - 1991年、テレビ東京) - 準レギュラー。
- ショージに目あり! (1992年 - 1993年、日本テレビ)
- ムーブ・関口宏の東京フレンドパーク(1992年 - 1993年、TBS)
- 初詣!爆笑ヒットパレード(1993年・2003年・2004年・2008年、フジテレビ)
- 大石恵三(1993年、フジテレビ)
- 赤坂お笑いオールスターライブ(1993年 - 1994年、TBS)
- ラジごめIIIホンジャマカ共和国(1993年 - 1995年、中京テレビ)
- ティーンズねっとわーく(1994年 - 1996年、NHK教育テレビ)
- 関口宏の東京フレンドパークII (1994年 - 2011年、TBS) - 「ハイパーホッケー」の対戦相手、アトラクションのデモ役を担当。
- タモリのSuperボキャブラ天国(1994年、フジテレビ) - 同番組出演時のキャッチコピーは「ライブの帝王」。
- 風まかせ 新・諸国漫遊記(1995年 - 1999年、フジテレビ) - 旅人役の石塚は不定期出演、司会の恵は毎週出演。
- おしえてアミーゴ!! (1997年10月 - 1998年3月、TBS)
- どうぶつ奇想天外! (1998年10月 - 2003年9月、TBS)
- 快楽!じゃま式ランキング(2000年、テレビ東京)
- 新★得するテレビ ホンジャマカな日曜日(2002年 - 2003年、朝日放送)
- にっぽん菜発見 そうだ、自然に帰ろう(2003年 - 2010年、朝日放送) - リポーターの石塚は月に数回の出演、ナレーターの恵は毎週担当。
- ネプ&ローラの爆笑まとめ!2016春(2016年4月2日、TBS)
- 関口宏の東京フレンドパーク ドラマ大集合SP!! (2017年1月 - 、TBS ※冬と夏の年2回放送) - 従業員
動画配信
CM
その他
CD
いずれもフォーライフ・レコード(現・フォーライフミュージックエンタテイメント)より発売。このうち「世界で一番はやい告白」は、恵が出演していたラジオ番組『岸谷五朗の東京RADIO CLUB』(TBSラジオ)の企画から生まれた曲である。
- 愛の保健室(1993年10月21日、ホンジャマカ+神崎恵、FLDF-10260)
- シーン#1 「ちょっと行ってくる」
- 愛の保健室
- シーン#2 「今 開けます」
- パパとママのいない日曜日
- 作詞・作曲:水野有平 / 編曲:竜崎孝路 / 唄:石塚英彦+神崎恵
- 愛の保健室(オリジナル・カラオケ)
- パパとママのいない日曜日(オリジナル・カラオケ)
- 世界で一番はやい告白(1994年4月6日、ホンジャマカ、FLDF-10274) - オリコン92位
- 世界で一番はやい告白
- BIG ONE LOVE
- 世界で一番はやい告白(オリジナル・カラオケ)
- BIG ONE LOVE (オリジナル・カラオケ)
DVD
- ホンジャマカ ライブ “成人” 〜20周年すぎてました〜(2010年10月27日、コンテンツリーグ・アニプレックス)
- ホンジャマカLIVE '93 - '94 JAPAN TOUR (2010年10月27日、バップ) - 1994年に発売されたライブビデオ2本の内容を同時再録したDVD。ジュンカッツ時代の名倉潤も出演している。
パチンコ
脚注
- ↑ 『ウチくる!?』(フジテレビ)2010年2月21日放送分でホンジャマカがゲスト出演した際に当時のパンフレットが紹介された。
- ↑ “ホンジャマカ、9人組で10年ぶりライブ!”. サンケイスポーツ (2009年12月8日). 2009年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2014閲覧.
- ↑ 3.0 3.1 “nikkansports.com > 芸能 > インタビュー > 石塚英彦”. 日刊スポーツ (2004年3月7日). . 2010閲覧.
- ↑ 4.0 4.1 “99プラス”. 日本テレビ (2010年2月23日). . 2010閲覧.
- ↑ “ネプ&ローラの爆笑まとめ!2016春|TBSテレビ”. TBS. 2016年4月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2017閲覧.
- ↑ “歴代ゴールデン・アロー賞受賞者一覧 (PDF)”. 日本雑誌協会. . 2010閲覧.
- ↑ “映像にもパーソナルな時代が来る――エイベックス、携帯向け番組「BeeTV」開局”. ITmedia. p. 2 (2009年4月2日). . 2017閲覧.
- ↑ 『読売新聞縮刷版』 読売新聞社、1997年10月14日、14頁。