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みやけ いっせい 三宅 一生 | |
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生誕 |
1938年4月22日(86歳) 日本・広島県広島市 |
国籍 | 日本 |
職業 | デザイナー |
受賞 |
毎日デザイン賞(1977年)
ヒロシマ賞(1990年)
朝日賞(1992年)
高松宮殿下記念世界文化賞・彫刻部門(2005年) |
公式サイト | mds.isseymiyake.com |
三宅 一生(みやけ いっせい、Issey Miyake、1938年(昭和13年)4月22日[1] - )は、日本出身のデザイナー。広島市東区出身[2]。
略歴
広島県広島市生まれ。
広島大学附属東雲中学校[3]、広島県立広島国泰寺高等学校卒業[4]後、多摩美術大学図案科に入学[5]。1960年、東京で開催された世界デザイン会議に際して、衣服デザインの分野が含まれていないのはなぜかという質問状を送り、反響を呼んだ。アートディレクターの村越襄からオファーを受けた東洋レーヨン(現・東レ)の1963年版カレンダー用の衣装制作が最初の仕事となった。卒業後、はじめてのショウ「布と石の詩」をおこなった。
1965年パリに渡り、パリ洋裁組合学校「サンディカ」で学ぶ。1966年にギ・ラロッシュのアシスタントとなり、その後ジバンシィでデシナトゥール(完成した服を絵にする仕事)になる。1968年、五月革命に遭遇。デモに参加する若者たちの姿を見て、「こういう人たちの服を作りたい」と決意する。パリでの修行の後、ニューヨークへ移り既製服の経験を積む。
帰国後、1970年に「三宅デザイン事務所」を設立し、翌年2月にはニューヨーク市内のデパートに「イッセイ ミヤケ」のコーナーを開設した。
1973年から1999年までパリ・コレクションに参加。「一枚の布」という考え方でクチュールの概念を変革する。2000年春夏コレクション以降、ブランドを後進に引き継ぐ。
服作りにおいて、三宅は一貫して独自の素材開発をおこなってきた。
1988年、服の形に縫製してからプリーツをかける「製品プリーツ」という手法を開発した。
1993年、プリーツ素材の改良と量産体制を整え、PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKEをスタートさせた。
1994年、ロバート・アルトマンの『プレタポルテ』に出演。
1998年、コンピューター・テクノロジーを用いて、一本の糸から一体成型された縫い目のない服を作りだすA-POC (A Piece Of Cloth) の仕事を始める。
2007年、研究開発チーム「リアリティ・ラボ(Reality Lab.)を結成し、あたらしいものづくりの開発をはじめる。その結果として、2010年に132 5. ISSEY MIYAKE を発表。様々な三次元造形を折りたたみ、プレスし、切り込み線の位置を変えることで、衣服を生み出す。素材には、改良を重ね開発した再生ポリエステルの生地を用い、現代のものづくりへのメッセージを発信している。
2013年には男性のためのプリーツ=新しい日常着を提案するブランド、HOMME PLISSÉ ISSEY MIYAKE を発表。
2016年にはグラフィックデザイナー田中一光の作品を衣服に融合させるIKKO TANAKA ISSEY MIYAKE もスタートさせている。
いずれの仕事も「一枚の布」というコンセプトに基づいている。
活動
1970年 | 三宅デザイン事務所設立 |
1971年 | ニューヨークで海外初のコレクション発表 |
1973年 | 73年秋冬よりパリコレクションに参加 |
1975年 | 1月、ISSEY SPORTSの発表
ニューヨーク、メトロポリタン美術館主催「Inventive Clothes 1909-1939」を「現代衣服の源流展」として京都国立近代美術館にて企画再現。 (塚本幸一・京都商工会議所ファッション産業特別委員会会長(当時)の協力を得て実現。これを受け78年京都服飾文化研究財団(KCI)が設立。) |
1976年 | ショウ「三宅一生と12人の黒い女たち」(東京・渋谷パルコ西武劇場、大阪・大阪府立体育館)
「スポーティング・ギア・ハイ」をワコールと共同開発 |
1977年 | 76年度毎日デザイン賞記念ショウ「Issey Miyake in Museum — 三宅一生と一枚の布」(東京・西武美術館)
ショウ「Fly With ISSEY MIYAKE」(東京・明治神宮外苑室内球技場、京都府立体育館) |
1978年 | 「間 日本の時空間」展に参加(パリ・装飾美術館、ニューヨーク・クーパーヒューイット美術館) |
1979年 | ミラノで初めてコレクションを発表
米アスペン国際デザイン会議に招聘され、ショウ「Issey Miyake East Meets West」発表 |
1981年 | ショウ「ISSEY MIYAKE IT'S SO NEAT」発表(東京・明治神宮外苑室内球場、大阪・大阪府立体育館)
日産・スカイラインのキャンペーングッズとして衣服、小物デザインを始める。 11月、生活着「PLANTATION」を発表 |
1982年 | 『Artforum』誌(米)のカバーストーリーに紹介される(執筆:イングリッド・シシー、ジェルマーノ・チェラント)
ニューヨーク、航空母艦イントレピッド号にて83年春夏コレクションを発表。オープニングにてブランド「PLANTATION」を紹介 |
1983年 | im(アイム)グループ設立
イッセイミヤケオンリミット(IMO)設立 「ISSEY MIYAKE SPECTACLE: BODYWORKS」展(東京・ラフォーレ・ミュージアム飯倉、ロサンゼルス・オーティス・パーソンズ・ギャラリー、 サンフランシスコ近代美術館、85年ロンドン・ヴィクトリア&アルバート美術館 |
1986年 | アーヴィング・ペンによる「ISSEY MIYAKE」コレクション撮影がスタート
『Time』誌(インターナショナル版)にカバーストーリーとして紹介される(執筆:ジェイ・コックス) |
1988年 | プリーツの仕事を始める
「Issey Miyake A-ŪN」展(パリ・装飾美術館) |
1989年 | 「Issey Miyake Meets Lucie Rie」展を企画実現(東京・草月ギャラリー、大阪市立東洋陶磁美術館) |
1990年 | 第1回ヒロシマ賞記念「三宅一生展 TEN SEN MEN」(広島市現代美術館)
「Energieën(エナジーズ)」展に参加(アムステルダム・ステデリック・ミュージアム) 「三宅一生展 プリーツ・プリーズ」(東京・東高現代美術館) |
1991年 | 1991年秋冬パリコレクションにて、のちのPLEATS PLEASE ISSEY MIYAKEの原型となるニット素材のプリーツ服を発表
ウィリアム・フォーサイスとフランクフルト・バレエ団の公演「失われた委曲」のコスチュームデザイン・制作 |
1992年 | 第25回バルセロナ・オリンピック競技大会リトアニア代表選手団の公式ユニフォームをデザイン・制作
「三宅一生展 ツイスト」(香川・直島コンテンポラリー・アートミュージアム) |
1993年 | ブランドPLEATS PLEASE ISSEY MIYAKEスタート |
1997年 | 「イサム・ノグチと三宅一生 アリゾナ」展(香川・丸亀市猪熊弦一郎現代美術館) |
1998年 | A-POCプロジェクトを始める
「ISSEY MIYAKE MAKING THINGS」展(パリ・カルティエ現代美術財団、99年ニューヨーク・エース・ギャラリー、2000年東京都現代美術館) |
2000年 | A-POCがグッドデザイン賞・大賞受賞 |
2001年 | 「A-POC MAKING : ISSEY MIYAKE & DAI FUJIWARA」展(ヴィトラ・デザイン・ミュージアム・ベルリン)
「ラディカル・ファッション」展に参加(ロンドン・ヴィクトリア&アルバート美術館) |
2003年 | 「なんなの?A-POC MIYAKE ISSEY + FUJIWARA DAI」展(東京 Axisギャラリー) |
2004年 | 財団法人 三宅一生デザイン文化財団設立
「ダオメ Dahomey 1967: Photographs by Irving Penn」展を日本民藝館と共催 「21世紀の出会い ― 共鳴、ここ・から」展(金沢21世紀美術館)にA-POC出展 |
2005年 | 「ビッグバン 20世紀の創造と破壊」展(パリ・ポンピドゥー・センター)にPLEATS PLEASE ISSEY MIYAKEを出展
横尾忠則とコラボレーション「横尾忠則が招待するイッセイミヤケ パリコレクション 1977→1999」展(富山県立近代美術館) |
2006年 | ニューヨーク近代美術館(MoMA)の建築・デザイン部門に「A-POC Queen」が所蔵され、同館の新規コレクション展にて紹介 |
2007年 | 21_21 DESIGN SIGHT開設。ディレクターに就任
REALITY LAB. を設立 |
2008年 | 21_21 DESIGN SIGHT第3回企画展「XXI c. — 21世紀人」をディレクション |
2009年 | 21_21 DESIGN SIGHT「U-Tsu-Wa/うつわ — ルーシー・リィー、ジェニファー・リー、エルンスト・ガンペール」展をディレクション |
2010年 | 21_21 DESIGN SIGHT「REALITY LAB 再生・再創造」展をディレクション
132 5. ISSEY MIYAKEを発表 |
2011年 | 内閣府の認定を受け、公益財団法人三宅一生デザイン文化財団へと移行(2月1日付) |
2012年 | 陰翳 IN-EI ISSEY MIYAKE を発表 |
2013年 | 「青森大学男子新体操部」公演開催。企画およびコスチュームデザインを手がける(クリエイション・ディレクション・コレオグラフィ:ダニエル・エズラロウ/コスチューム:HOMME PLISSÉ ISSEY MIYAKE)<7月18日 国立代々木競技場第二体育館>
HOMME PLISSÉ ISSEY MIYAKEを発表 |
2014年 | パリ・カルティエ現代美術財団美術館30周年記念展「Memoire Vives(生きた記憶)」へ陰翳 IN-EI ISSEY MIYAKEを出展参加 |
2016年 | 「MIYAKE ISSEY展 三宅一生の仕事」(東京・国立新美術館 3.16〜6.13)
「MANUS × MACHINA(手と機械):テクノロジー時代のファッション」展へ出展参加。(ニューヨーク・メトロポリタン美術館 5.5〜9.5) IKKO TANAKA ISSEY MIYAKEを発表 |
2017年 | 「Items:Is Fashion Modern?」展へ出展参加。(ニューヨーク近代美術館10.1〜1.28, 2018) |
2018年 | イタリアの建築誌「domus」(2018年4月号)にて、”Issey Miyake Session One”が初めて紹介。
(執筆:ミケーレ・デ・ルッキ 写真:ジェイムズ・モリソン) |
展覧会
1983年 | 「ISSEY MIYAKE SPECTACLE: BODYWORKS」展(東京・ラフォーレ・ミュージアム飯倉、ロサンゼルス・オーティス・パーソンズ・ギャラリー、サンフランシスコ近代美術館、1985年ロンドン・ヴィクトリア&アルバート・ミュージアム) |
1988年 | 「Issey Miyake A-ŪN」展(パリ・装飾美術館) |
1990年 | 第1回ヒロシマ賞記念「三宅一生展 TEN SEN MEN」(広島市現代美術館)
「Energieën(エナジーズ)」展に参加(アムステルダム・ステデリック・ミュージアム) 「三宅一生展 プリーツ・プリーズ」(東京・東高現代美術館) |
1992年 | 「三宅一生展 ツイスト」(香川・直島コンテンポラリー・アートミュージアム) |
1997年 | 「イサム・ノグチと三宅一生 アリゾナ」展(香川・丸亀市猪熊弦一郎現代美術館) |
1998年 | 「ISSEY MIYAKE MAKING THINGS」展(パリ・カルティエ現代美術財団、99年ニューヨーク・エース・ギャラリー、2000年東京都現代美術館) |
2001年 | 「A-POC MAKING : ISSEY MIYAKE & DAI FUJIWARA」展(ヴィトラ・デザイン・ミュージアム・ベルリン) |
2003年 | 「なんなの?A-POC MIYAKE ISSEY + FUJIWARA DAI」展(東京・Axisギャラリー) |
2016年 | 「MIYAKE ISSEY展 三宅一生の仕事」(東京・国立新美術館 3.16~6.13) |
受賞・栄典
1977年 | 1976年度毎日デザイン賞(毎日新聞社)(衣服デザインの分野では初) |
1984年 | 1983年度CFDA(アメリカファッションデザイナー協会)賞受賞(3月1日)
1983年度ニーマン・マーカス賞受賞(4月6日、アメリカ・ダラス) |
1990年 | 第一回ヒロシマ賞(広島市) |
1991年 | フランス 芸術文化勲章 最高位コマンドール受章 |
1992年 | 1991年度朝日賞(朝日新聞社) |
1993年 | イギリス ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(王立芸術院)より名誉博士号授与 |
1995年 | 第15回金の針賞(La Aguja de Oro)受賞(スペイン・マドリッド) |
1999年 | フランス リヨン大学より名誉博士号授与 |
2000年 | デンマーク 第一回ジョージ・ジェンセン賞(ツボウ財団)
第18回毎日ファッション大賞「ミレニアム記念賞」(毎日新聞社)(過去、同大賞を84年、89年、93年に受賞) |
2001年 | カナダ、トロントのハーバーフロントセンター「世界のクリエイティブなリーダーたち」14名のひとりに選ばれ、カナダ総督(当時)アドリエンヌ・クラークソンより授与 |
2004年 | アメリカ オハイオ州立大学ウェクスナーセンターより第11回ウェクスナー賞 |
2005年 | 第17回高松宮殿下記念世界文化賞〈彫刻部門〉(財団法人日本美術協会) |
2006年 | 第22回京都賞〈思想・芸術部門〉(財団法人稲盛財団) |
2010年 | 平成二十二年度文化勲章授章(11月3日、皇居にて親授)(97年紫綬褒章、98年文化功労者へそれぞれ顕彰を経て) |
2016年 | フランス レジオンドヌール勲章 最高位コマンドール受章 |
出版物
1978年 | 『三宅一生の発想と展開 - Issey Miyake east meets west』 | 平凡社 |
1982年 | 『Katsu on Issey』 | CBSソニー出版 |
1983年 | 『三宅一生/ボディワークス』 | 小学館 |
1985年 | 『一生たち』 | 旺文社 |
1988年 | 『ISSEY MIYAKE: PHOTOGRAPHS BY IRVING PENN』 | リブロポート |
1995年 | 『ISSEY MIYAKE』 | TASCHEN |
1998年 | 『ISSEY MIYAKE MAKING THINGS』 | AXIS inc. |
1999年 | 『アーヴィング・ペン 三宅一生の仕事への視点』 | 求龍堂 |
2005年 | 『横尾忠則が招待する イッセイミヤケ パリコレクション 1977→1999』 | 美術出版社 |
2008年 | 『XXIc. - 21世紀人』 | 求龍堂 |
2012年 | 『PLEATS PLEASE ISSEY MIYAKE』北村みどり編 | TASCHEN |
2013年 | 『三宅一生 未来のデザインを語る』 | 岩波書店 |
2016年 | 『MIYAKE ISSEY展: 三宅一生の仕事』 | 求龍堂 |
『ISSEY MIYAKE 三宅一生』北村みどり編 | TASCHEN | |
『Creativity is born 三宅一生|再生・再創造』清水早苗著 | パイ インターナショナル | |
2017年 | 『イッセイさんはどこから来たの? ——三宅一生の人と仕事』小池一子著 | HeHe/ヒヒ |
参考文献
- 『一生たち』旺文社、三宅デザイン事務所編、1985年
- 『ISSEY MIYAKE 三宅一生』TASCHEN、北村みどり編、2016年
脚注
- ↑ “トップページ > 顕彰 > 三宅 一生(みやけ・いっせい) - 広島県ホームページ”. 広島県 (2011年12月1日). . 2018閲覧.
- ↑ “広島市名誉市民に 三宅一生氏 森下洋子氏”. 中国新聞 ヒロシマ平和メディアセンター (2010年9月3日). . 2018閲覧.
- ↑ “服飾デザイナーの三宅一生さん(附属東雲中学校卒業生)が文化勲章を受賞されます”. 広島大学 (2010年10月29日). . 2018閲覧.
- ↑ “校長あいさつ 第36代校長 河田 敦之”. 広島国泰寺高等学校オフィシャルウェブサイト. . 2018閲覧.
- ↑ “三宅 一生│第22回(2006年)受賞者│京都賞”. Inamori Foundation. . 2018閲覧.