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ja>さえんば信夫
(現在の町名: 自治会を追加。)
 
 
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{{日本の町村 (廃止)|
 
廃止日=2006年1月4日|
 
廃止理由=編入合併|
 
廃止詳細='''琴海町''' → [[長崎市]]|
 
現在の自治体=長崎市|
 
よみがな=きんかいちょう|
 
自治体名=琴海町|
 
区分=町|
 
都道府県=長崎県|
 
支庁=|
 
郡=[[西彼杵郡]]|
 
コード=42309-2|
 
面積=67.63|
 
境界未定=なし|
 
人口=12,964|
 
人口の時点=2005年11月1日|
 
隣接自治体=長崎市、[[西海市]]、[[西彼杵郡]][[時津町]]|
 
木=[[ヒノキ]]|
 
花=[[コスモス]]|
 
シンボル名=他のシンボル|
 
鳥など=|
 
郵便番号=851-3212|
 
所在地=西彼杵郡琴海町長浦郷2664番地|
 
外部リンク=[http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/242532/www.town.kinkai.nagasaki.jp/ 琴海町](アーカイブ版)|
 
経度=東経129度47分|
 
緯度=北緯32度54分|
 
位置画像=|
 
特記事項=座標は町役場の値。
 
}}
 
'''琴海町'''(きんかいちょう)は、[[長崎県]]の[[西彼杵半島]]にあった[[町]]。[[西彼杵郡]]に属していた。
 
  
[[2006年]][[1月4日]]に[[長崎市]]に編入され、自治体としては消滅した。
+
'''琴海町'''(きんかいちょう)
  
本項では、現在の長崎市の一地区としての'''琴海'''(きんかい)についても記述する。琴海地区(長崎市役所琴海地域センター<ref>2017年10月1日に'''琴海行政センター'''から改称。</ref>管内)の人口は12,313人(2018年2月末日時点、住民基本台帳)。
+
<p><b>面積:</b>六七・六二平方キロ</p>
 +
<p>西彼杵半島の東部、長崎市の北に位置し、東部は大村湾に面する。西部は<ruby><rb>外海</rb><rp>(</rp><rt>そとめ</rt><rp>)</rp></ruby>町・<ruby><rb>大瀬戸</rb><rp>(</rp><rt>おおせと</rt><rp>)</rp></ruby>町、北部は<ruby><rb>西彼</rb><rp>(</rp><rt>せいひ</rt><rp>)</rp></ruby>町、南東部は<ruby><rb>時津</rb><rp>(</rp><rt>とぎつ</rt><rp>)</rp></ruby>町に接する。町域の西手に<ruby><rb>鶴</rb><rp>(</rp><rt>つる</rt><rp>)</rp></ruby>山<small>(四四七・一メートル)</small>・<ruby><rb>飯盛</rb><rp>(</rp><rt>いいもり</rt><rp>)</rp></ruby>山<small>(五三〇・八メートル)</small>・<ruby><rb>長浦</rb><rp>(</rp><rt>ながうら</rt><rp>)</rp></ruby>岳<small>(五六〇・八メートル)</small>・<ruby><rb>三方</rb><rp>(</rp><rt>さんぽう</rt><rp>)</rp></ruby>山<small>(四〇九メートル)</small>・<ruby><rb>霞</rb><rp>(</rp><rt>かすみ</rt><rp>)</rp></ruby>岳<small>(三一三・七メートル)</small>などの山嶺が連なっており、これらを水源とする<ruby><rb>四戸</rb><rp>(</rp><rt>しと</rt><rp>)</rp></ruby>ノ川・<ruby><rb>手崎</rb><rp>(</rp><rt>てざき</rt><rp>)</rp></ruby>川・<ruby><rb>戸根</rb><rp>(</rp><rt>とね</rt><rp>)</rp></ruby>川などが東流して大村湾に注ぐ。ほかに南部で<ruby><rb>西海</rb><rp>(</rp><rt>にしうみ</rt><rp>)</rp></ruby>川が北流して<ruby><rb>江保</rb><rp>(</rp><rt>えほ</rt><rp>)</rp></ruby>崎のつくる入江に流れ込み、北部では<ruby><rb>大江</rb><rp>(</rp><rt>おおえ</rt><rp>)</rp></ruby>川が<ruby><rb>形上</rb><rp>(</rp><rt>かたがみ</rt><rp>)</rp></ruby>湾に注いでいる。同湾は東の<ruby><rb>尾戸</rb><rp>(</rp><rt>おど</rt><rp>)</rp></ruby>半島によって南北に深い入江を形成するが、中央部の戸根郷の東部も大村湾に突き出た形状をみせ、<ruby><rb>大瀬</rb><rp>(</rp><rt>おおせ</rt><rp>)</rp></ruby>崎・<ruby><rb>脇</rb><rp>(</rp><rt>わき</rt><rp>)</rp></ruby>崎、または<ruby><rb>土井</rb><rp>(</rp><rt>どい</rt><rp>)</rp></ruby>ノ浦・長浦など多様な海岸景観をみせている。<ruby><rb>鵜瀬</rb><rp>(</rp><rt>うのせ</rt><rp>)</rp></ruby>島<small>(面積〇・二五平方キロ)</small>や<ruby><rb>塩垂</rb><rp>(</rp><rt>しおたれ</rt><rp>)</rp></ruby>島・<ruby><rb>寺</rb><rp>(</rp><rt>てら</rt><rp>)</rp></ruby>島・<ruby><rb>辰</rb><rp>(</rp><rt>たつ</rt><rp>)</rp></ruby>島・<ruby><rb>焼</rb><rp>(</rp><rt>やけ</rt><rp>)</rp></ruby>島などがある。海岸部を国道二〇六号が通るほか、西部の尾根筋を県道の<ruby><rb>奥</rb><rp>(</rp><rt>おく</rt><rp>)</rp></ruby>ノ<ruby><rb>平</rb><rp>(</rp><rt>ひら</rt><rp>)</rp></ruby>―時津線などが通る。町域は大村湾県立公園の指定域内で、外海町境に長崎県民の森が広がる。</p>
 +
<p>町域の中央部南側の<ruby><rb>村松郷</rb><rp>(</rp><rt>むらまつごう</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>大石</rb><rp>(</rp><rt>おおいし</rt><rp>)</rp></ruby>古墳がある。律令制下では<ruby><rb>彼杵</rb><rp>(</rp><rt>そのき</rt><rp>)</rp></ruby>郡のうち。中世には形上に<ruby><rb>城</rb><rp>(</rp><rt>しろ</rt><rp>)</rp></ruby>ノ<ruby><rb>辻</rb><rp>(</rp><rt>つじ</rt><rp>)</rp></ruby>、長浦に<ruby><rb>城</rb><rp>(</rp><rt>しろ</rt><rp>)</rp></ruby>ノ<ruby><rb>峠</rb><rp>(</rp><rt>とうげ</rt><rp>)</rp></ruby>、<ruby><rb>戸根原</rb><rp>(</rp><rt>とねはら</rt><rp>)</rp></ruby>に<ruby><rb>小崎</rb><rp>(</rp><rt>こざき</rt><rp>)</rp></ruby>ノ<ruby><rb>城</rb><rp>(</rp><rt>じよう</rt><rp>)</rp></ruby>、戸根に<ruby><rb>城山</rb><rp>(</rp><rt>しろやま</rt><rp>)</rp></ruby>、西海に<ruby><rb>古城寺</rb><rp>(</rp><rt>こじようじ</rt><rp>)</rp></ruby>などの城館関連の地名が残されているものの、城主などはつまびらかではない。天正一五年<small>(一五八七)</small>には豊臣秀吉による九州仕置を迎え、江戸時代は大村藩領。明治七年<small>(一八七四)</small>当時、町域の諸村は第一四大区第三―四小区に属した。同一一年新たに成立した西彼杵郡の管轄下となり、同二二年の町村制施行に伴い長浦村・村松村はそれぞれ一村で編成されている。昭和三四年<small>(一九五九)</small>長浦村と村松村<small>(子々川郷を除く)</small>が合併して琴海村となる。同四四年に町制を施行、琴海町となり、現在に至る。</p>
 +
<p>大正四年<small>(一九一五)</small>の長崎県大観では特産物として村松村の甘藷・石材、長浦村の真珠などがみえる。近年の農産物の粗生産額ではみかんが五割近くを占め、また肉用牛・米・すいか・苺などがある。近年はハウスみかんや花卉栽培が推進されている。町域の漁獲量ではなまこ・いか類・貝類・海藻類などが上位を占めるが、特産物となっていた形上湾の入江での真珠養殖は大村湾の水質汚濁の進行が大きな課題になっている。また栽培漁業・養殖漁業の転換としてクロダイの放流や、なまこの種苗放流が行われている。石材採取業・石材加工業やコンクリート製品工業などの地場産業があり、鉄鋼所・縫製工場などが誘致されている。江保崎地区に琴海ニュータウンが造成されている。<ruby><rb>形上郷</rb><rp>(</rp><rt>かたがみごう</rt><rp>)</rp></ruby>の琴海のカネコシダ群落、<ruby><rb>戸根郷</rb><rp>(</rp><rt>とねごう</rt><rp>)</rp></ruby>の琴海のヒイラギは県指定天然記念物。</p>
  
== 地理 ==
+
{{テンプレート:20180815sk}}
[[西彼杵半島]]の東部に位置する。町の西部は標高561mの[[長浦岳]]や飯盛山などが連なり、町全体が東向きのなだらかな斜面となっている。斜面には[[照葉樹林]]や[[スギ]]、[[ヒノキ]]林、[[ミカン]]畑などが広がる。
 
 
 
海岸は[[大村湾]]に面し、[[リアス式海岸]]で複雑に入り組んでいる。町の北部には尾戸半島が南に伸びており、半島に挟まれた形上湾は波が穏やかである。海岸沿いにはわずかながら平地があり、[[田]]や[[ブドウ]]畑、[[ビニールハウス]]などが多い。[[国道206号]]もこの平地を南北に走る。
 
 
 
1960年代には町の南部に琴海ニュータウンが造成され、1980年代後半からは海岸の半島部に相次いで3つの[[ゴルフ]]場が作られた。
 
 
 
== 歴史 ==
 
* [[1889年]](明治22年)[[4月1日]] - [[町村制]]施行により、[[西彼杵郡]]のうち後の町域にあたる[[村松村 (長崎県)|村松村]]、[[長浦村 (長崎県)|長浦村]]がそれぞれ単独村制にて発足。
 
* [[1959年]](昭和34年)[[1月15日]] - 村松村の一部(村松郷・戸根郷・西海郷)<ref>村松村の残部(子々川郷)は[[時津町]]へ編入。</ref>と長浦村が対等合併し、'''琴海村'''が発足。村名の由来は、[[大村湾]]の別名「琴湖(ことのうみ)」による<ref>[http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/242532/www.town.kinkai.nagasaki.jp/town/ 琴海町 町の紹介] WEB琴海町(国立国会図書館インターネット資料収集保存事業)</ref>。
 
* [[1969年]](昭和44年)[[1月1日]] - 琴海村が町制施行。'''琴海町'''となる。
 
* [[2006年]](平成18年)[[1月4日]] - [[長崎市]]へ編入し、琴海町は自治体として消滅。
 
 
 
== 町名 ==
 
琴海町時代は[[郷#長崎県|郷]]を行政区域とし、[[大字]]は設置しなかった。[[2006年]]の長崎市編入と同時に郷を廃して町名設置を実施し、旧来の「郷」を「町」に置き換えそのまま町名となった<ref>[http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/242568/www.nagasaki-gappei.jp/1shi1chou/images/pamphlet.pdf 長崎市との合併に伴うお知らせ・琴海町版(PDF)] 長崎市・琴海町合併協議会(国立国会図書館インターネット資料収集保存事業)<br/>※8頁「合併後の住所表示について」参照。</ref>。一部は町名の先頭に「琴海」を付したが、各町の住民の意志によって「琴海」の有無を決めたため、町によってばらつきがある。
 
 
 
{| class="wikitable"
 
! colspan="2" | 1889年4月1日-1959年1月14日
 
! colspan="2" | 1959年1月15日-2006年1月3日
 
! colspan="2" | 2006年1月4日-
 
! rowspan="2" | 現在
 
|-
 
! 自治体名
 
! 郷
 
! 自治体名
 
! 郷
 
! 自治体名
 
! 町名
 
|-
 
| rowspan="5" | ''[[長浦村 (長崎県)|長浦村]]''
 
| 尾戸郷
 
| rowspan="8" | ''琴海町''<br/>''(琴海村)''
 
| 尾戸郷
 
| rowspan="8" | 長崎市
 
| '''琴海'''尾戸町
 
| '''琴海尾戸町'''
 
|-
 
| 大平郷
 
| 大平郷
 
| '''琴海'''大平町
 
| '''琴海大平町'''
 
|-
 
| 形上郷
 
| 形上郷
 
| '''琴海'''形上町
 
| '''琴海形上町'''
 
|-
 
| 長浦郷
 
| 長浦郷
 
| 長浦町
 
|'''長浦町'''
 
|-
 
| 戸根原郷
 
| 戸根原郷
 
| '''琴海'''戸根原町
 
| '''琴海戸根原町'''
 
|-
 
| rowspan="3" | ''[[村松村 (長崎県)|村松村]]''
 
| 戸根郷
 
| 戸根郷
 
| '''琴海'''戸根町
 
| '''琴海戸根町'''
 
|-
 
| 村松郷
 
| 村松郷
 
| '''琴海'''村松町
 
| '''琴海村松町'''
 
|-
 
| 西海郷
 
| 西海郷
 
| 西海町
 
| '''西海町'''
 
|}
 
 
 
=== 現在の町名 ===
 
; 琴海大平町(おおひら)
 
: 自治会: 江の平、旭ヶ丘
 
: 町内を県道242号が縦断する。国道206号(形上町)と[[西海市]][[西彼町]]宮の浦方面を結ぶ。湾頭の低地は農業地区で、北部の丘陵地区もハウス栽培やミカンの農業地区である。西部の旭ヶ丘は住宅団地である。
 
; 琴海尾戸町(おど)
 
: 自治会: 小口、尾戸中央、名串、張岳
 
: 尾戸半島を占める。両側の海岸は[[リアス式海岸]]である。低山性丘陵で、海岸沿いに集落が点在する。農業中心で、ハウス栽培中心だが、湾岸の集落は漁業を副業にする農家もある。中央部にはゴルフ場もある。尾戸小学校がある。
 
; 琴海形上町(かたがみ)
 
: 自治会: 形上、楠原、大子
 
: 国道206号沿いの低地部と、県道204号沿いの山間部に分かれる。国道沿いの平地は農業地区で、米や野菜を作る。形上集落に住宅が集中する。山間部の楠原・形上岳集落は林業地区で散村。
 
; 琴海戸根町(とね)
 
: 自治会: 中、上、見上、崎山、鴨池、松山、学園台、楢、脇崎、コスモヒル
 
: 長崎市中心部のベッドタウンとして人口が増加している。中部に鴨池団地がある。歌手・タレントの[[さだまさし]]が所有することで知られる[[詩島]]は当町に属する。戸根原町との境界(長浦地区と村松地区の境界)付近に琴海中学校がある。
 
; 琴海戸根原町(とねはら)
 
: 自治会: 戸根原、土井の浦
 
: 低平で、琴海地区一の平地を持つ。中央部を国道206号が通り、国道を中心に集落が散在する。西部の丘陵地区は樹園地でさらに西側の高地は林業地区である。東部に[[パサージュ琴海]]がある。
 
; 長浦町(ながうら)
 
: 自治会: 手崎、桜谷、桜谷第1、赤水、長浦、神上
 
: 琴海地区の中央部でなおかつ中心部である。国道206号沿線に住宅や商店がある。丘陵地区は農業地区である。市役所琴海行政センター、長浦小学校がある。[[外海町|外海]]地区・[[西海市]][[大瀬戸町]]にまたがり県民の森がある。
 
; 西海町(にしうみ)
 
: 自治会: 東、中川内、谷口、松の迫、平床、つくも、岩立、桂山、西海岳、有道、谷門、琴海ニュータウン1~3区
 
: もっとも旧市に近い区域で、長崎市中心部のベッドタウンとしての開発が進む。8つある琴海地区の町のうち当町だけで琴海地区の4割の人口を持つ。また、北東部は琴海ニュータウンとして開発されており、当町の人口の半分がニュータウンの住民である。国道の西海交差点を中心に住宅や商店が広がり、県道・市道合計3本が山間部の集落へ向けて伸びる構造である。県道115号は三京町を経由し三重町、県道204号は村松町・戸根町高部を経由し県民の森、そして、市道は畝刈町・新長崎漁港方面に向かう。市道が一番交通量が多い。[[長崎県立長崎明誠高等学校|長崎明誠高校]]がある。
 
; 琴海村松町(むらまつ)
 
: 自治会: 大石、海陽の丘、村松、風明
 
: 西海町に接する南部は、村松地区の旧来からの中心部である。村松小学校・市役所琴海行政センター村松出張所がある。西海町と合わせて長崎市中心部のベッドタウンとして開発が進む。北部は国道沿いに、また北西の山間部は県道204号沿いに集落が点在する。
 
 
 
== 行政 ==
 
* 町長 : 岩永照男(最終代)
 
 
 
== 教育 ==
 
; 高等学校
 
* [[長崎県立長崎明誠高等学校]]
 
 
 
; 中学校
 
* 琴海町立琴海中学校(現・[[長崎市立琴海中学校]])
 
 
 
; 小学校
 
* 琴海町立村松小学校(現・[[長崎市立村松小学校]])
 
* 琴海町立長浦小学校(現・[[長崎市立長浦小学校]])
 
* 琴海町立尾戸小学校(現・[[長崎市立尾戸小学校]])
 
* 琴海町立形上小学校(現・[[長崎市立形上小学校]])
 
 
 
== 交通 ==
 
* 最寄り空港は[[長崎空港]]。
 
* 最寄り鉄道駅は長崎本線[[長与駅]]。大村線[[ハウステンボス駅]]もしくは[[早岐駅]]。
 
 
 
=== バス路線 ===
 
* [[長崎自動車]]
 
** 茂木、茂木港、北浦 - 琴海ニュータウン
 
** 長崎新地ターミナル - 琴海ニュータウン、長浦、大串、亀浦風早、時津桜の里ターミナル、石原
 
** 時津 - 尾戸・小口港
 
** 琴海ニュータウン - 長崎駅前
 
 
 
=== 道路 ===
 
最寄りインターチェンジ([[自動車専用道路]]<高速道路に接続>)は[[川平有料道路]][[井手園インターチェンジ]]もしくは[[西九州自動車道]][[佐世保大塔インターチェンジ]]、[[佐世保三川内インターチェンジ]]
 
 
 
=== 一般国道 ===
 
* [[国道206号]]
 
 
 
== 産業 ==
 
農業が中心で、[[ミカン]]、[[スイカ]]、[[ブドウ]](巨峰)、[[イチゴ]]、[[アスパラガス]]などの栽培が行われている。また、大村湾では[[ナマコ]]、[[カキ (貝)|カキ]]などが漁獲され、[[真珠]]養殖もおこなわれている。国道沿いにはこれらの生産者直売所が多い。
 
 
 
== 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事 ==
 
=== 名所・旧跡・観光スポット ===
 
* [[ながさき県民の森]]
 
* 自証寺
 
* 塩垂島
 
* [[詩島]]([[さだまさし]]が所有する島)
 
 
 
=== 祭事・催事 ===
 
* 戸根浮流
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典 42 長崎県』1987年 ISBN 9784040014203
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[長崎県の廃止市町村一覧]]
 
* [[長崎市の地名]]
 
* [[琴の海市]] - 琴海町、[[時津町]]、[[長与町]]の3町が合併し2006年に発足予定だった自治体。2004年の合併協議会解散により、実現には至らなかった。
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/242532/www.town.kinkai.nagasaki.jp/ WEB琴海町](国立国会図書館インターネット資料収集保存事業)
 
* [http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/242568/www.nagasaki-gappei.jp/1shi1chou/ 長崎市・琴海町合併協議会](国立国会図書館インターネット資料収集保存事業)
 
 
 
{{長崎市の地域}}
 
 
{{デフォルトソート:きんかいちよう}}
 
{{デフォルトソート:きんかいちよう}}
 
[[Category:西彼杵郡]]
 
[[Category:西彼杵郡]]
 
[[Category:長崎市域の廃止市町村]]
 
[[Category:長崎市域の廃止市町村]]

2019/4/27/ (土) 23:20時点における最新版

琴海町(きんかいちょう)

面積:六七・六二平方キロ

西彼杵半島の東部、長崎市の北に位置し、東部は大村湾に面する。西部は外海そとめ町・大瀬戸おおせと町、北部は西彼せいひ町、南東部は時津とぎつ町に接する。町域の西手につる(四四七・一メートル)飯盛いいもり(五三〇・八メートル)長浦ながうら(五六〇・八メートル)三方さんぽう(四〇九メートル)かすみ(三一三・七メートル)などの山嶺が連なっており、これらを水源とする四戸しとノ川・手崎てざき川・戸根とね川などが東流して大村湾に注ぐ。ほかに南部で西海にしうみ川が北流して江保えほ崎のつくる入江に流れ込み、北部では大江おおえ川が形上かたがみ湾に注いでいる。同湾は東の尾戸おど半島によって南北に深い入江を形成するが、中央部の戸根郷の東部も大村湾に突き出た形状をみせ、大瀬おおせ崎・わき崎、または土井どいノ浦・長浦など多様な海岸景観をみせている。鵜瀬うのせ(面積〇・二五平方キロ)塩垂しおたれ島・てら島・たつ島・やけ島などがある。海岸部を国道二〇六号が通るほか、西部の尾根筋を県道のおくひら―時津線などが通る。町域は大村湾県立公園の指定域内で、外海町境に長崎県民の森が広がる。

町域の中央部南側の村松郷むらまつごう大石おおいし古墳がある。律令制下では彼杵そのき郡のうち。中世には形上にしろつじ、長浦にしろとうげ戸根原とねはら小崎こざきじよう、戸根に城山しろやま、西海に古城寺こじようじなどの城館関連の地名が残されているものの、城主などはつまびらかではない。天正一五年(一五八七)には豊臣秀吉による九州仕置を迎え、江戸時代は大村藩領。明治七年(一八七四)当時、町域の諸村は第一四大区第三―四小区に属した。同一一年新たに成立した西彼杵郡の管轄下となり、同二二年の町村制施行に伴い長浦村・村松村はそれぞれ一村で編成されている。昭和三四年(一九五九)長浦村と村松村(子々川郷を除く)が合併して琴海村となる。同四四年に町制を施行、琴海町となり、現在に至る。

大正四年(一九一五)の長崎県大観では特産物として村松村の甘藷・石材、長浦村の真珠などがみえる。近年の農産物の粗生産額ではみかんが五割近くを占め、また肉用牛・米・すいか・苺などがある。近年はハウスみかんや花卉栽培が推進されている。町域の漁獲量ではなまこ・いか類・貝類・海藻類などが上位を占めるが、特産物となっていた形上湾の入江での真珠養殖は大村湾の水質汚濁の進行が大きな課題になっている。また栽培漁業・養殖漁業の転換としてクロダイの放流や、なまこの種苗放流が行われている。石材採取業・石材加工業やコンクリート製品工業などの地場産業があり、鉄鋼所・縫製工場などが誘致されている。江保崎地区に琴海ニュータウンが造成されている。形上郷かたがみごうの琴海のカネコシダ群落、戸根郷とねごうの琴海のヒイラギは県指定天然記念物。



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