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{{参照方法|date=2015年1月30日 (金) 18:03 (UTC)}}
 
 
[[ファイル:Haga Castle 01.jpg|thumb|[[山城]]([[波賀城]])と城下町]]
 
[[ファイル:Haga Castle 01.jpg|thumb|[[山城]]([[波賀城]])と城下町]]
 
[[ファイル:City-kumamoto001.jpg|thumb|[[熊本城]]の城下町]]
 
[[ファイル:City-kumamoto001.jpg|thumb|[[熊本城]]の城下町]]
[[ファイル:Tatsuno Hyogo pref01s4bs4272.jpg|thumb|[[龍野城]]の城下町]]
 
[[ファイル:Wakayama Castle19nt3200.jpg|サムネイル|和歌山城の城下町]]
 
'''城下町'''(じょうかまち)とは、[[日本]]における[[都市]]の形態の一つ。[[領主]]の[[城|居城]]を中心に成立した都市である。[[江戸時代]]以降は、必ずしも城が中心とは限らず、戦闘を想定しない行政施設としての[[陣屋]]を中心とした'''[[陣屋町]]'''もあるが、広義ではそれらも含めて城下町と呼ぶ。
 
  
'''城下'''(じょうか)とも呼ばれ、近世以前はこの呼称が一般的であった。
+
'''城下町'''(じょうかまち)
  
== 歴史 ==
+
武家時代,領主の居城を中心として展開した都市。「城下」という表現が広く用いられるようになったのは江戸時代のことである。鎌倉時代に領主の居宅を中心とする小集落が生れ,その城郭が山や丘に営まれると,この集落は根小屋,山下,堀之内などと呼ばれた。こうした集落は,戦国時代末期から江戸時代初期にかけて,鉄砲の使用による大歩兵集団の平野地帯での会戦という戦闘様式の変化と呼応して,水陸交通の便がよく領国の政治的,経済的中枢をなす平野地帯の枢要の地に好んで築城が行われてから飛躍的に発展した。領主は直属家臣団,商工業者を強制的に城下に集住させ,楽市・楽座などの政策を通じて城下の繁栄をはかる一方,検地を通じて農民を土地に緊縛したので,都市と農村が分離し,いわゆる城下町が次々と成立していった。城下町では城郭を中心に武家居住地,町屋 (商人町,職人町) ,寺社などが整然と区分され,武家地が全市街の 50%以上を占める場合が多かった。江戸は最大の城下町であった。明治維新後,封建的な政治都市,消費都市としての機能を失いながらも,新たに地方官庁,学校などが設置されたため,地方の政治,経済,文教などの中心として,近代都市へと脱皮したものが多い。
成立は[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]に始まる。[[城]]の防衛施設としての機能と、[[行政]]都市・[[商業]][[都市]]としての機能を持つ。近世城下町発展の最大の功労者は[[織田信長]]で、本格的な[[兵農分離]]を意図し武士を城下に強制移住させるとともに、市街に[[楽市楽座]]を設けて商工業の発達を活発にした<ref>脇田修『織田信長―中世最後の覇者』、中央公論社、1987年6月、ISBN 978-4121008435</ref><ref>信長の兵農分離については疑問視する声もある。池享『日本の時代史 (13) 天下統一と朝鮮侵略』吉川弘文館、2003年6月、ISBN 978-4642008136</ref>。さらにそれを発展させたのが[[豊臣秀吉]]で、[[豊臣政権]]の政治経済の中心となった[[大坂城]]下は富の集積地となって殷賑を極め、江戸時代に入っても商業の中心地であり続け'''[[天下の台所]]'''と言われた。
 
 
 
世界各国の大半の[[城郭都市]]は、城壁に囲まれた中に[[城]]と街が存在する。それに対し、日本では[[堺市|堺]]や[[寺内町]]のような[[堀]]と[[土塁]]で囲まれた都市や町は早くから存在していたものの、初期の城下町では領主の居城のみが堀と城壁に囲まれ、街自体は城壁には囲まれていなかった。しかし、日本においても城下町が発展すると、経済的および政治的価値が上昇し、それにともない城下町を戦乱から防護する必要性が生じた。そのため町を堀と塁壁で囲む[[総構え]]の構築が増加してゆき、次第に城郭都市化していく傾向をみせた。
 
 
 
[[江戸時代]]になると、防衛都市としての色合いが薄くなり、[[江戸幕府|幕府]]や[[藩]]による[[政治]]・[[経済]]の中心としての色が濃くなった。江戸時代を通じて戦争がなかったことと、大半の藩主家が領主の交代を経験しており、(石高は別として)土地自体への執着が薄かったことが理由として挙げられる。また、城砦としての防衛能力を重視した場所は必ずしも交通の便が良いところではなく、交易都市の色彩を強めるにつれ城が放棄され陣屋などに行政中心が移ったケースも多い。
 
 
 
約300ほどあった城下町も人口の規模は様々で[[加賀藩|金沢]]、[[仙台藩]]のように武士町人合わせて約12万の大規模城下もあれば、東北[[亀田藩]]のように4千人程度の小城下までと多様で、多くの場合、1万人前後である<ref name=oooka>[[大岡敏昭]] 『武士の絵日記 幕末の暮らしと住まいの風景』 [[角川ソフィア文庫]] 2014年 p.28.</ref>。
 
 
 
== 構造 ==
 
[[ファイル:Old map of Himeji castle.jpg|thumb|姫路古地図]]
 
付近を通る幹線道路のコースを、城下に通じるように付け替えることにより往来が城下を通り、商工業を活性化させる効果を狙っている。ただし、幹線道路は、地形上の有利不利を問わず、権力者の威光を示すために、城の裏に当たる搦手側は通さず、表に当たる大手側を通した。
 
 
 
城下町には、都市防衛の工夫が随所に見られる。敵の侵攻を妨ぐために、川など地形を巧みに利用するとともに、堀を掘り、土塁や石垣を築き、要所には時として[[枡形]]のような強固な城門を設けることもあった。城下に入ると[[幹線道路]]の両脇に家屋を隙間なく配置させることで城を見え難くして、道を鍵形に曲げたり[[袋小路]]を設けるなどすることで、城への到達距離を延長した。また、町割ごとに[[柵]]や[[木戸]]を設けて、夜には門を閉めて[[門番]]を立たせるなど、不審者の侵入を阻んでいた。堀は[[運河]]としても使われ物流にも大きな役割を果たしていた。
 
 
 
城下町の立地は、東日本では川の流域である「河岸段丘」に多く、西日本では海に面した「河口デルタ」が多いが、これに加え、[[彦根藩|彦根]]、[[膳所藩|膳所]]、[[諏訪藩]]などは湖に接しており、湖や沼に面した「湖沼型」もある<ref name=oooka/>。
 
 
 
[[町割り]]は城を中心に、侍町、足軽町、町人、[[寺町]]などが配された。侍町とは、家臣の屋敷いわゆる[[武家屋敷|侍屋敷]]が建ち並ぶ町であり、基本的には身分の高い家臣ほど、城に近い位置に屋敷を持った<ref name=oooka/>。現在の地名で、山下(さんげ)・上屋敷町・下屋敷町などがこれに当たる。足軽など軽輩の者は、町人地の外側に配されることも多く、現在に残る地名で、[[番町]]・弓之町・[[鉄砲町]]などがこれにあたることが多い。
 
 
 
町人地は、侍町の外側に配された商人や職人の町である。付近の[[村落]]を城下に移転させたり、商人や職人を職種ごとに分けて強制移住させた。現在に残る地名では、[[呉服町 (曖昧さ回避)|呉服町]]・油屋町・[[大工町 (曖昧さ回避)|大工町]]・[[鍛冶町 (曖昧さ回避)|鍛冶町]]・[[紺屋町 (曖昧さ回避)|紺屋町]]などがこれに当たる。町人地は侍町よりも世帯当たりの面積が狭く、街道沿いに隙間なく建ち並んだ。このため、家屋は間口が狭く奥行きが長い、いわゆる「鰻の寝床」であり、二階建てとなっていた。ただし、二階を生活の場とすると大名を見下ろすことになるので、物置として活用された。
 
 
 
さらに、寺町は、城下町の外郭に配されて広い寺院が建ち並び、都市防衛強化の一翼を担った。
 
 
 
== 面影を残す城下町 ==
 
現在の日本では、人口十万以上の都市の半分以上は城下町を起源としている。
 
{{hidden begin|title = 参考:人口10万人以上の城下町|titlestyle = background:lightgreen;width:60%}}
 
;人口10万人以上の城下町
 
* 東京都[[特別区]]部([[江戸]]・旧[[東京市]]、[[江戸城]]下)
 
* 大阪府[[大阪市]][[中央区 (大阪市)|中央区]]([[大坂藩]][[大坂城]]下)
 
* 愛知県[[名古屋市]]([[尾張藩]](名古屋藩)[[名古屋城]]下)
 
* 福岡県[[福岡市]]([[福岡藩]][[福岡城]]下)
 
* 広島県[[広島市]]([[広島藩]][[広島城]]下)
 
* 宮城県[[仙台市]]([[仙台藩]][[仙台城]]下)
 
* 福岡県[[北九州市]]([[小倉]])([[小倉藩]][[小倉城]]下)
 
* 静岡県[[浜松市]]([[浜松藩]][[浜松城]]下)
 
* 熊本県[[熊本市]]([[熊本藩]][[熊本城]]下)
 
* 静岡県[[静岡市]]([[静岡藩]][[駿府城|静岡城]]下)
 
* 岡山県[[岡山市]]([[岡山藩]][[岡山城]]下)
 
* 鹿児島県[[鹿児島市]]([[薩摩藩]][[鹿児島城]]下)
 
* 東京都[[八王子市]]([[八王子城]]下、近世では宿場町・[[八王子宿]])
 
* 兵庫県[[姫路市]]([[姫路藩]][[姫路城]]下)
 
* 愛媛県[[松山市]]([[伊予松山藩]][[松山城 (伊予国)|松山城]]下)
 
* 栃木県[[宇都宮市]]([[宇都宮藩]][[宇都宮城]]下)
 
* 大分県[[大分市]]([[府内藩]][[府内城]]下)
 
* 石川県[[金沢市]]([[加賀藩]][[金沢城]]下)
 
* 広島県[[福山市]]([[備後福山藩]][[福山城 (備後国)|福山城]]下)
 
* 富山県[[富山市]]([[富山藩]][[富山城]]下)
 
* 愛知県[[豊田市]]([[挙母藩]][[挙母城]]下)
 
* 香川県[[高松市]]([[高松藩]][[高松城 (讃岐国)|高松城]]下)
 
* 岐阜県[[岐阜市]]([[岐阜藩]][[岐阜城]]下)
 
* 愛知県[[豊橋市]]([[三河吉田藩]][[吉田城 (三河国)|吉田城]]下)
 
* 愛知県[[岡崎市]]([[岡崎藩]][[岡崎城]]下)
 
* 群馬県[[高崎市]]([[高崎藩]][[高崎城]]下)
 
* 和歌山県[[和歌山市]]([[紀州藩]][[和歌山城]]下)
 
* 高知県[[高知市]]([[土佐藩]][[高知城]]下)
 
* 埼玉県[[川越市]]([[川越藩]][[川越城]]下)
 
* 福島県[[いわき市]]([[磐城平藩]][[磐城平城]]下)
 
* 秋田県[[秋田市]]([[久保田藩]][[久保田城]]下)
 
* 沖縄県[[那覇市]]([[琉球藩]][[首里城]]下)
 
* 福岡県[[久留米市]]([[久留米藩]][[久留米城]]下)
 
* 岩手県[[盛岡市]]([[盛岡藩]][[盛岡城]]下)
 
* 福島県[[福島市]]([[福島藩]][[福島城]]下)
 
* 兵庫県[[明石市]]([[明石藩]][[明石城]]下)
 
* 三重県[[津市]]([[津藩]][[津城|安濃津城]]下)
 
* 新潟県[[長岡市]]([[越後長岡藩]][[長岡城]]下)
 
* 茨城県[[水戸市]]([[水戸藩]][[水戸城]]下)
 
* 福井県[[福井市]]([[福井藩]][[福井城]]下)
 
* 徳島県[[徳島市]]([[徳島藩]][[徳島城]]下)
 
* 山形県[[山形市]]([[山形藩]][[山形城]]下)
 
* 長野県[[松本市]]([[松本藩]][[松本城]]下)
 
* 佐賀県[[佐賀市]]([[佐賀藩]][[佐賀城]]下)
 
* 青森県[[八戸市]]([[八戸藩]][[八戸城]]下)
 
* 茨城県[[つくば市]]旧[[谷田部町]]([[谷田部藩]][[谷田部陣屋]]下)
 
* 島根県[[松江市]]([[松江藩]][[松江城]]下)
 
* 新潟県[[上越市]]([[高田藩]][[高田城]]下)
 
* 三重県[[鈴鹿市]]([[神戸藩]][[神戸城]]下)
 
* 大阪府[[岸和田市]]([[岸和田藩]][[岸和田城]]下)
 
* 山梨県[[甲府市]]([[甲府藩]][[甲府城]]下)
 
* 神奈川県[[小田原市]]([[小田原藩]][[小田原城]]下)
 
* 鳥取県[[鳥取市]]([[鳥取藩]][[鳥取城]]下)
 
* 山口県[[山口市]]([[山口藩]][[山口城]]下)
 
* 青森県[[弘前市]]([[弘前藩]][[弘前城]]下)
 
* 富山県[[高岡市]]([[加賀藩]][[高岡城]]下)
 
* 千葉県[[佐倉市]]([[佐倉藩]][[佐倉城]]下)
 
* 三重県[[松阪市]](松阪藩[[松阪城]]下)
 
* 愛媛県[[今治市]]([[今治藩]][[今治城]]下)
 
* 愛知県[[西尾市]]([[西尾藩]][[西尾城]]下)
 
* 栃木県[[栃木市]]([[皆川城]]下、[[栃木城]]下、[[大宮藩]]畠山陣屋下、[[吹上藩]]吹上陣屋下)
 
* 岐阜県[[大垣市]]([[大垣藩]][[大垣城]]下)
 
* 長野県[[上田市]]([[上田藩]][[上田城]]下)
 
* 栃木県[[足利市]]([[足利藩]][[足利陣屋]]下)
 
* 鳥取県[[米子市]]([[米子藩]][[米子城]]下)
 
* 愛知県[[刈谷市]]([[刈谷藩]][[刈谷城]]下)
 
* 山口県[[岩国市]]([[岩国藩]][[岩国城]]下)
 
* 茨城県[[土浦市]]([[土浦藩]][[土浦城]]下)
 
* 茨城県[[古河市]]([[古河藩]][[古河城]]下)
 
* 三重県[[桑名市]]([[桑名藩]][[桑名城]]下)
 
* 山形県[[鶴岡市]]([[庄内藩]][[鶴ヶ岡城]]下)
 
* 宮崎県[[延岡市]]([[延岡藩]][[縣城]]下)
 
* 岩手県[[一関市]]([[一関藩]]居館[[一関城]]下)
 
* 佐賀県[[唐津市]]([[唐津藩]][[唐津城]]下)
 
* 福島県[[会津若松市]]([[会津藩]][[若松城]]下)
 
* 岩手県[[奥州市]](水沢、[[伊達藩]][[水沢城]]下)
 
* 滋賀県[[長浜市]]([[長浜藩]][[長浜城]]下)
 
* 栃木県[[佐野市]]([[佐野藩]][[佐野城]]下)
 
* 静岡県[[掛川市]]([[掛川藩]][[掛川城]]下)
 
* 愛媛県[[西条市]]([[西条藩]][[西条陣屋]]下)
 
* 滋賀県[[彦根市]]([[彦根藩]][[彦根城]]下)
 
* 香川県[[丸亀市]]([[丸亀藩]][[丸亀城]]下)
 
* 茨城県[[筑西市]](旧[[下館市]]、[[下館藩]][[下館城]]下)
 
* 岡山県[[津山市]]([[津山藩]][[津山城]]下)
 
* 長野県[[飯田市]]([[信濃飯田藩]][[飯田城 (信濃国)|飯田城]]下)
 
* 岩手県[[花巻市]]([[盛岡藩]][[花巻城]]下)
 
* 新潟県[[新発田市]]([[新発田藩]][[新発田城]]下)
 
* 広島県[[三原市]]([[安芸広島藩]][[三原城]]下)
 
 
 
;参考:人口10万人未満~2万人以上の城下町
 
* 秋田県[[横手市]]([[久保田藩]][[横手城]]下)
 
* 三重県[[伊賀市]]([[伊賀上野藩]][[伊賀上野城]]下)
 
* 岐阜県[[高山市]]([[飛騨高山藩]][[高山城 (飛騨国)|高山城]]下)
 
* 京都府[[亀岡市]]([[丹波亀山藩]][[亀山城 (丹波国)|亀山城]]下)
 
* 埼玉県[[東松山市]]([[武蔵松山藩]][[松山城 (武蔵国)|松山城]]下)
 
* 山形県[[米沢市]]([[米沢藩]][[米沢城]]下)
 
* 千葉県[[君津市]]([[久留里藩]][[久留里城]]下)
 
* 奈良県[[大和郡山市]]([[郡山藩]][[郡山城 (大和国)|郡山城]]下)
 
* 京都府[[舞鶴市]]([[丹後田辺藩]][[田辺城 (丹後国)|田辺城]]下)
 
* 兵庫県[[豊岡市]]([[豊岡藩]][[豊岡城]]下)
 
* 秋田県[[由利本荘市]]([[本荘藩]][[本荘城]]下)
 
* 大分県[[中津市]]([[中津藩]][[中津城]]下)
 
* 埼玉県[[行田市]]([[忍藩]][[忍城]]下)
 
* 愛媛県[[宇和島市]]([[宇和島藩]][[宇和島城]]下)
 
* 滋賀県[[近江八幡市]]([[天領]][[八幡山城]]下)
 
* 茨城県[[牛久市]]([[牛久藩]][[牛久陣屋]]下)
 
* 兵庫県[[たつの市]]([[龍野藩]][[龍野城]]下)
 
* 茨城県[[石岡市]]([[常陸府中藩]][[府中陣屋]]下)
 
* 京都府[[福知山市]]([[福知山藩]][[福知山城]]下)
 
* 茨城県[[笠間市]]([[笠間藩]][[笠間城]]下)
 
* 秋田県[[大館市]]([[久保田藩]][[大館城]]下)
 
* 栃木県[[大田原市]]([[大田原藩]][[大田原城]]下、[[黒羽藩]][[黒羽城]]下)
 
* 大分県[[佐伯市]]([[佐伯藩]][[佐伯城]]下)
 
* 愛知県[[犬山市]]([[犬山藩]][[犬山城]]下)
 
* 福岡県[[柳川市]]([[柳河藩]][[柳川城]]下)
 
* 長野県[[伊那市]](旧[[高遠町]]、[[高遠藩]][[高遠城]]下)
 
* 新潟県[[村上市]]([[村上藩]][[村上城]]下)
 
* 福島県[[白河市]]([[白河藩]][[白河城]]下)
 
* 愛知県[[田原市]]([[田原藩]][[田原城 (三河国)|田原城]]下)
 
* 山形県[[天童市]]([[天童藩]]天童陣屋下)
 
* 島根県[[浜田市]]([[浜田藩]][[浜田城]]下)
 
* 福島県[[二本松市]]([[二本松藩]][[二本松城]]下)
 
* 石川県[[七尾市]]([[七尾藩]][[七尾城]]下)
 
* 宮崎県[[日南市]]([[飫肥藩]][[飫肥城]]下)
 
* 山口県[[萩市]]([[長州藩]][[萩城]]下)
 
* 茨城県[[結城市]]([[結城藩]][[結城城]]下)
 
* 三重県[[亀山市]]([[伊勢亀山藩]][[亀山城 (伊勢国)|亀山城]]下)
 
* 群馬県[[沼田市]]([[沼田藩]][[沼田城]]下)
 
* 兵庫県[[赤穂市]]([[赤穂藩]][[赤穂城]]下)
 
* 島根県[[益田市]]([[浜田藩]]と[[津和野藩]] [[七尾城]]下)
 
* 千葉県[[館山市]]([[館山藩]][[館山城]]下)
 
* 岡山県[[真庭市]]([[勝山]]、[[美作勝山藩]][[勝山城 (美作国)|勝山城]]下)
 
* 長崎県[[島原市]]([[島原藩]][[島原城]]下)
 
* 愛媛県[[大洲市]]([[大洲藩]][[大洲城]]下)
 
* 山形県[[東根市]]([[長瀞藩]][[長瀞陣屋]]下)
 
* 茨城県[[下妻市]]([[下妻藩]]下妻陣屋下)
 
* 富山県[[魚津市]]([[加賀藩]][[魚津城]]下)
 
* 岐阜県[[郡上市]]([[郡上藩]][[郡上八幡城]]下)
 
* 宮城県[[岩沼市]]([[岩沼藩]]鵜ヶ崎城下)
 
* 長野県[[小諸市]]([[小諸藩]][[小諸城]]下)
 
* 兵庫県[[篠山市]]([[篠山藩]][[篠山城]]下)
 
* 山形県[[新庄市]]([[新庄藩]][[新庄城]]下)
 
* 大分県[[臼杵市]]([[臼杵藩]][[臼杵城]]下)
 
* 福島県[[相馬市]]([[相馬中村藩]][[中村城]]下)
 
* 熊本県[[人吉市]]([[人吉藩]][[人吉城]]下)
 
* 福井県[[大野市]]([[大野藩]][[大野城 (越前国)|大野城]]下)
 
* 岡山県[[高梁市]]([[備中松山藩]][[松山城 (備中国)]]下)
 
* 長崎県[[平戸市]]([[平戸藩]][[平戸城]]下)
 
* 山形県[[上山市]]([[上山藩]][[上山城]]下)
 
* 大分県[[杵築市]]([[杵築藩]][[杵築城]]下)
 
* 和歌山県[[田辺市]]([[紀伊田辺藩]][[田辺城 (紀伊国)]]下)
 
* 和歌山県[[新宮市]]([[紀伊新宮藩]][[新宮城]]下)
 
* 福井県[[小浜市]]([[小浜藩]][[小浜城 (若狭国)]]下)
 
* 秋田県[[仙北市]][[角館町]]([[久保田藩]][[城]]下)
 
* 岩手県[[遠野市]](陸奧国代遠野盛岡藩[[鍋倉城 (陸奥国)]]下)
 
* 栃木県[[那須烏山市]]([[烏山藩]][[烏山城]]下)
 
* 福井県[[勝山市]]([[越前勝山藩]][[勝山城 (越前国)]]下)
 
* 大分県[[竹田市]]([[岡藩]][[岡城 (豊後国)|岡城]]下)
 
* 長野県[[飯山市]]([[飯山藩]][[飯山城]]下)
 
* 三重県[[鳥羽市]]([[鳥羽藩]][[鳥羽城]]下)
 
{{hidden end}}
 
 
 
それらの城下町は大火や戦災、その後の開発などで姿が変わり、往時を偲ぶことのできる城下町は減少しており、全域の区画が現存する城下町は極めて少ない。しかし全域ではないにしろ、多くの旧城下町では城下町時代の区画の痕跡を残しており、上記のように敵の侵攻を妨ぐように道が区画されていた場合、現在では自動車交通に支障を来していることが多い。また、城下町時代の町人地だった場所が現在でもその都市の中心街としての機能を保っていたり、城下町時代からの祭りや風習を残していたりといった形で、城下町時代の痕跡が残っていることは多い。
 
 
 
江戸時代以前の区画が残る町の多くは、[[小京都]]と呼ばれる。また、近年では、江戸時代の面影が残る街を[[小江戸]]<!--(当初は[[川越市|川越]]などの一部の都市を指した)-->と呼ぶこともある。
 
 
 
=== 面影を残す城下町の例 ===<!--節の主旨から町並み保存地区等とする-->
 
([[小京都]])
 
* [[弘前市仲町]]([[弘前市]]、[[弘前藩]][[弘前城]]下)<!--重伝建-->
 
* [[角館]]([[仙北市]]、[[久保田藩]][[角館城]]下)<!--重伝建-->
 
* 霞城町([[山形市]]、[[山形藩]][[山形城]]下) <!--美しい日本の歩きたくなるみち500選-->
 
* [[松本市]]([[松本藩]][[松本城]]下) <!--美しい日本の歩きたくなるみち500選-->
 
* [[金沢]]([[金沢市]]、[[加賀藩]][[金沢城]]下)<!--重伝建-->
 
* [[八幡町 (岐阜県)|郡上八幡]]([[郡上市]]、[[郡上藩]][[郡上八幡城]]下)
 
* [[伊賀上野]]([[伊賀市]]上野、[[伊賀上野藩]][[伊賀上野城]]下) <!--美しい日本の歩きたくなるみち500選-->
 
* 飛騨高山([[高山市]]、[[飛騨高山藩]][[飛騨高山城]]下)<!--重伝建-->
 
* 津山([[津山市]]、[[津山藩]][[津山城]]下、[[城東町並み保存地区]])
 
* 津和野([[津和野町]]、[[津和野藩]][[津和野城]]下)
 
* 萩([[萩市]]、[[長州藩]][[萩城]]下)<!--重伝建--> [[萩城下町]]として世界遺産「[[明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業]]」の構成資産となっている。
 
* [[篠山市篠山伝統的建造物群保存地区]]([[篠山市]]、[[篠山藩]][[篠山城]]下)<!--重伝建-->
 
* [[出石]]([[豊岡市]]、[[出石藩]][[出石城]]下)<!--重伝建-->
 
* 龍野([[たつの市]]、[[龍野藩]][[龍野城]]下)<!--町並み保存地区-->
 
* [[飫肥]]([[日南市]]、[[飫肥藩]][[飫肥城]]下)<!--重伝建-->
 
 
 
(小京都以外)
 
* [[金ケ崎町城内諏訪小路|金ケ崎]]([[金ケ崎町]]、[[仙台藩]]金ケ崎[[要害]]下)<!--重伝建-->
 
* [[白石]]([[白石市]]、[[白石藩]][[白石城]]下) <!--美しい日本の歩きたくなるみち500選-->
 
* [[小幡町]]([[甘楽町]]、[[小幡藩]]小幡城(陣屋)下) <!--美しい日本の歩きたくなるみち500選-->
 
* [[村上]]([[村上市]]、[[村上藩]][[村上城]]下) <!--美しい日本の歩きたくなるみち500選-->
 
* [[一乗谷朝倉氏遺跡|一乗谷]](城下町遺跡、[[福井市]]、[[一乗谷城]]下)<!--復元城下町、国特別史跡-->
 
* 岩村([[恵那市]]、[[岩村藩]][[岩村城]]下)<!--重伝建-->
 
* [[東区 (名古屋市)]](東区白壁四丁目・主税町・撞木町の一部)[[西区 (名古屋市)#町並み保存地区]](四間道界隈、[[名古屋市]]、[[尾張藩]](尾張徳川家)[[名古屋城]]下)<!--町並み保存地区-->
 
* [[桑名]]([[桑名市]]、[[桑名藩]][[桑名城]]下) <!--美しい日本の歩きたくなるみち500選-->
 
* [[津]]([[津市]]、[[津藩]][[津城]]下) <!--美しい日本の歩きたくなるみち500選-->
 
* [[彦根市]]([[彦根藩]][[彦根城]]下)<!--城下町景観形成地域指定-->
 
* [[八幡 (近江八幡市)|近江八幡]]/[[近江八幡市八幡伝統的建造物群保存地区]]([[近江八幡市]]、[[八幡山城|八幡城]]下)<!--重伝建-->
 
* [[松山 (宇陀市)|宇陀松山]]([[宇陀市]]、[[宇陀松山藩]][[宇陀松山城]]下)<!--重伝建-->
 
* 高取土佐([[高市郡]][[高取町]]、[[高取藩]][[高取城]]下)<!--県景観資産-->
 
* [[鹿野 (鳥取市)|鹿野]]([[鳥取市]]、[[鳥取藩]][[支藩]][[鹿野城]]下)<!--町並み保存地区-->
 
* [[勝山 (真庭市)|勝山]]([[真庭市]]、[[勝山藩]][[勝山城]]下)<!--町並み保存地区-->
 
* [[石火矢町ふるさと村]]([[高梁市]]、[[備中松山藩]]、[[松山城 (備中国)|松山城]]下)<!--町並み保存地区-->
 
* 唐津([[唐津町]]、[[唐津藩]][[唐津城]]下)<!--町並み保存地区-->
 
* 秋月([[朝倉市]]、[[秋月藩]][[秋月城]]下)<!--重伝建-->
 
* 平戸([[平戸市]]、[[平戸藩]][[平戸城]]下) <!--美しい日本の歩きたくなるみち500選-->
 
* [[島原武家屋敷街]]([[島原市]]、[[島原藩]][[島原城]]下)<!--町並み保存地区に指定-->
 
* [[日出町]]([[日出藩]][[日出城]]下)<!--景観保全条例地区-->
 
* 熊本([[熊本市]]、[[熊本藩]][[熊本城]]下) <!--美しい日本の歩きたくなるみち500選-->
 
* [[宇土市]](網田他、宇土支藩[[宇土城]]下)
 
* 富岡([[苓北町]]、[[富岡城]]下)
 
* 西松江城町([[八代市]]、[[八代城]]下)
 
* 佐敷([[芦北町]]、[[佐敷城]]下)
 
* 鍛冶屋町([[人吉市]]、人吉潘[[人吉城]]下)
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* [[三浦正幸]]/著 『城のつくり方図典』 小学館/刊 2005年
 
 
 
== 脚注 ==
 
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== 関連項目 ==
 
== 関連項目 ==
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* [[福山 (城下町)]]
 
* [[福山 (城下町)]]
  
== 外部リンク ==
 
* [https://web.archive.org/web/20070621102222/http://www.kyokanko.or.jp/shokyoto.html 小京都]
 
  
 
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2018/9/20/ (木) 14:42時点における最新版

山城波賀城)と城下町
熊本城の城下町

城下町(じょうかまち)

武家時代,領主の居城を中心として展開した都市。「城下」という表現が広く用いられるようになったのは江戸時代のことである。鎌倉時代に領主の居宅を中心とする小集落が生れ,その城郭が山や丘に営まれると,この集落は根小屋,山下,堀之内などと呼ばれた。こうした集落は,戦国時代末期から江戸時代初期にかけて,鉄砲の使用による大歩兵集団の平野地帯での会戦という戦闘様式の変化と呼応して,水陸交通の便がよく領国の政治的,経済的中枢をなす平野地帯の枢要の地に好んで築城が行われてから飛躍的に発展した。領主は直属家臣団,商工業者を強制的に城下に集住させ,楽市・楽座などの政策を通じて城下の繁栄をはかる一方,検地を通じて農民を土地に緊縛したので,都市と農村が分離し,いわゆる城下町が次々と成立していった。城下町では城郭を中心に武家居住地,町屋 (商人町,職人町) ,寺社などが整然と区分され,武家地が全市街の 50%以上を占める場合が多かった。江戸は最大の城下町であった。明治維新後,封建的な政治都市,消費都市としての機能を失いながらも,新たに地方官庁,学校などが設置されたため,地方の政治,経済,文教などの中心として,近代都市へと脱皮したものが多い。

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