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'''桜井 政博'''(さくらい まさひろ、[[1970年]][[8月3日]] -)は、日本の[[ゲームクリエイター]]。ゲーム制作会社[[ソラ (ゲーム会社)|有限会社ソラ]]の設立者で代表。
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'''桜井 政博'''(さくらい まさひろ、[[1970年]][[8月3日]] -
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日本の[[ゲームクリエイター]]。ゲーム制作会社[[ソラ (ゲーム会社)|有限会社ソラ]]の設立者で代表。
  
 
『[[星のカービィシリーズ]]』と『[[大乱闘スマッシュブラザーズシリーズ]]』の生みの親で、主にディレクションを手がける。
 
『[[星のカービィシリーズ]]』と『[[大乱闘スマッシュブラザーズシリーズ]]』の生みの親で、主にディレクションを手がける。
  
== 来歴 ==
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{{テンプレート:20180815sk}}
=== HAL研究所入社まで(1970年 - 1989年)===
 
[[東京都]][[武蔵村山市]]出身。幼少期からコンピュータゲームを嗜んでおり、雑誌の[[インタビュー]]で、5歳頃に[[パドルコントローラ]]で[[ボール]]を跳ね返す[[テニス]]ゲームを遊び、その[[物理法則]]を無視した世界観に「すごい!」と思ったと述べている<ref>{{Cite book|和書|year=2004 |title=[[CONTINUE (雑誌)|CONTINUE]] Vol.14 |publisher=太田出版 |page=124}}</ref>。
 
 
 
[[中学生]]になると貯金をためて[[ファミリーベーシック]]を購入。[[ビデオゲーム]]を作る楽しさを教わった、とも語っている<ref>{{Cite book|和書|author=桜井政博|year=2006 |title=桜井政博のゲームについて思うこと 2巻 Think about the Video Games |publisher=エンターブレイン |page=34}}</ref>。
 
 
 
ゲーム制作への関心は人一倍強かったものの、中学卒業後はおぼろげな[[専門家]]という職業への憧憬を抱いて[[電気工学]]系の[[高等専門学校]]に進学した<ref name="game_p101">{{Cite book|和書|author=桜井政博|year=2006 |title=桜井政博のゲームについて思うこと Think about the Video Games |publisher=エンターブレイン |pages=100-101}}</ref>。
 
 
 
しかし次第に高専での授業と自分自身の描いていた将来とのギャップに気付き始め、自分の見通しの甘さを省みて、改めて進路を考え直すことにした<ref name="game_p101" />。純粋な興味の強さ、また1988年3月に[[セガ]]主催の[[ファンタシースターII]]ストーリー募集キャンペーンでゲームシステム大賞に思いがけず入賞した経緯もあって、[[ゲームクリエイター]]を志すことを決心して高専を中退、[[普通高校]]に編入した。
 
 
 
高校在学中は[[アルバイト]]をしながら資金を貯め、それを[[ゲームソフト]]の購入に注ぎ込んでひたすら研究をした。後にこれがきっかけで現在も膨大な数のソフトを買い、遊ぶ(研究する)習性がついたと語っている<ref name="game_p101" />。
 
 
 
研究したゲームソフトの中で、[[HAL研究所]]制作の『[[ガルフォース]]』の作り込まれたエンディングを見た桜井は、そこから制作者の熱意と信念を汲み取り<ref>{{Cite book|和書|year=2004 |title=[[CONTINUE (雑誌)|CONTINUE]] Vol.14 |publisher=太田出版 |page=104}}</ref>、高校卒業後の[[1989年]]に同社へ入社した<ref name="game_p101" />。
 
 
 
=== HAL研究所在籍時代(1989年 - 2001年)===
 
入社してまもなく社内で募集された「だれもが楽しめるゲームの企画」から構想を練っていったのが、その3年後の1992年、当時22歳にして初の[[ディレクター]]を務めた[[ゲームボーイ]]ソフト『[[星のカービィ]]』である<ref>{{Cite book|和書|year=1993 |title=任天堂公式ガイドブック 星のカービィ~夢の泉の物語 |publisher=小学館 |page=91}}</ref>。同作は日本のみならず全世界累計500万本以上を売り上げるヒットとなり、同時にこれが会社の経営危機を救済することにもなる。『[[星のカービィ]]』は主役のキャラクターデザインから吸い込み、吐き出し、ホバリングといったゲームシステムの大部分を桜井が企画し、グラフィックを描き起こした<ref name="game_p054">{{Cite book|和書|author=桜井政博|year=2006 |title=桜井政博のゲームについて思うこと Think about the Video Games |publisher=エンターブレイン |pages=54}}</ref>。
 
 
 
会社再建をかけた次回作『[[星のカービィ 夢の泉の物語]]』も[[ディレクター]]を務め、前作でウィークポイントに挙がった難易度の低さを[[コピー能力]]の導入や大幅なボリュームアップで補った。その結果[[1993年]]発売時は既にハード終焉期だったにもかかわらず、[[ファミリーコンピュータ|ファミコン]]最後の[[ミリオンセラー]]を達成するほどであった。
 
 
 
[[1996年]]には、『[[星のカービィ 夢の泉の物語|夢の泉の物語]]』以来の大幅なシステムとコピー能力の増強を図った[[スーパーファミコン]]用ソフト『[[星のカービィ スーパーデラックス]]』を制作指揮した。同作品は[[宮本茂]]から「横スクロールアクションゲームで二人同時プレイができるようにしてほしい」との課題を出され<ref name="game_p054" />制作したもので、ゲームシステムだけでなく、[[グラフィック]]も[[2次元コンピュータグラフィックス|2D]]という制約の中で(社員も認めるほど)無駄のない完成度となっており<ref>{{cite web|title=N.O.M No.53「星のカービィ 夢の泉デラックス」開発スタッフインタビュー |date=2002-12 |url=http://www.nintendo.co.jp/nom/0212/01/kirby/interv.html |publisher=[[任天堂]] |accessdate=2013-06-12}}</ref>、未だに高い人気を誇っている。
 
 
 
[[1999年]]に発売された[[NINTENDO64]]用ソフト『[[ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ]]』は、[[1996年]][[10月]]当初から4人同時対戦型の体力ゲージの存在しない独特の2.5Dアクション格闘ゲームとして企画していたが、[[コンシューマーゲーム|コンシューマ]]の[[対戦型格闘ゲーム|格ゲー]]はオリジナルキャラクターでは売れないというジンクスがあったため、桜井は[[マリオ (ゲームキャラクター)|マリオ]]や[[サムス・アラン|サムス]]といった任天堂のキャラクターを使用させてもらえないか、本社及び[[宮本茂]]らへ交渉しに行った。また上司だった[[岩田聡]]の人脈も相当頼っていたようである。発売時は任天堂キャラが殴り合うことに社内で戸惑いもあり、目立ったメディアへの露出はされなかった。しかし自らが「[[スマブラ拳!!]]」なるオフィシャル攻略サイトを立ち上げたり、[[口コミ]]が広がったことで、本作は最終的に国内で200万本近いメガヒットを記録した。
 
 
 
桜井はこの頃から「ゲームクリエイターとしての制作活動だけでなく、広告含めたユーザーに対する認知・理解のための活動」を強めるとともに「開発者とユーザーのコミュニケーション・双方からの意見交換」に関する活動を積極化させてくる。自身が開いた[[ウェブサイト]]『[[スマブラ拳!!]]』では「アンケート集計拳!!」というある種のメールフォーラムを開き、ユーザーから桜井宛のメッセージを送れるようにするとともに、桜井もそれらの一部に対してコメントを掲示するなどして、双方からの交流を図っていた。下記の雑誌コラムにおいても読者からの手紙への返事や、開発者側としての業界の現状表明などを行っている。
 
 
 
なお、桜井はゲーム製作者となった後も、熱心な現役ゲームユーザーであり続けている。ゲーム雑誌『[[ファミ通|週刊ファミ通]]』で2003年から連載を始めたコラム『桜井政博のゲームについて思うこと』の内容は今なお現役ユーザーだからこそ書けるという側面があり、さらに連載のきっかけも桜井がオンラインゲーム『[[ファイナルファンタジーXI]]』で一般のプレイヤーとして遊んでいる際に『ファミ通』編集者が発見し、桜井だと気づいたのが始まりである。
 
 
 
=== フリーランスからソラ設立まで(2003年 - )===
 
[[2003年]]には「売れなかったらダメという責任ある立場で仕事がしたい」「ゲーム業界に貢献したい」という理由で[[HAL研究所]]を退社。フリーのクリエイターとして執筆活動やゲーム制作に参加する。
 
 
 
[[2006年]]、自分の今後を決めるため、ゲームショウである[[Electronic Entertainment Expo|E3 2006]]を訪れる。そこで任天堂が「スマブラをレボリューション([[Wii]]のコードネーム)のWiFi対応タイトルとしてプッシュしている」というニュアンスの発表をしたところ、誤ってスマブラがレボリューション向けに開発中であると伝わってしまう。桜井にとっては寝耳に水であったが、ショウの期間中に社長の[[岩田聡]]に呼ばれ、そこで正式にオファーを受け「[[大乱闘スマッシュブラザーズX]]」をディレクターとして開発することとなった<ref>{{cite web|title=社長が訊く『大乱闘スマッシュブラザーズX』 はじまりは2005年のE3 |url=http://www.nintendo.co.jp/wii/interview/rsbj/vol1/index2.html |publisher=任天堂 |accessdate=2013-06-12}}</ref>。
 
 
 
2009年1月22日、「スマブラではない特命」を岩田から受け、任天堂の子会社である新会社『プロジェクトソラ』のディレクターとなった。後に作品は2010年6月16日、アメリカで開催されたE3にてニンテンドー3DS『[[新・光神話 パルテナの鏡]]』として公開される。
 
 
 
2010年、『[[日本ゲーム大賞]]』において「ゲームデザイナーズ大賞」を自身が発案<ref>『桜井政博のゲームを遊んで思うこと2』P129。</ref>。
 
 
 
2012年10月頃、右手に[[石灰沈着性腱板炎]]を患う。2014年頃には左腕、左肩にも症状が発生し、2015年4月現在も完治していない。これに関連して[[Twitter]]では「#YouCanDoItSakurai」というハッシュタグが出現。世界中から励ましのメッセージが寄せられ、桜井は自身の書籍にて感謝の意を述べている<ref>『桜井政博のゲームを遊んで思うこと2』162,170,218,191 - 193<br>週刊ファミ通2015年4月23日増刊号、P203「桜井政博のゲームについて思うこと」より。</ref>。
 
 
 
2015年、『日本ゲーム大賞』において「経済産業大臣賞」を受賞<ref>[http://awards.cesa.or.jp/prize/prize_04.html 『日本ゲーム大賞2015 -Japan Game Awards:2015-』経済産業大臣賞は桜井 政博氏に]</ref>。
 
 
 
2018年、E3の自身出演のプレゼン映像を見たユーザーの方々から「痩せた」「やつれた」「お大事に」というメッセージがよせらた。この原因は桜井が6kg身体を搾った事だと明かされた<ref>『週刊ファミ通』2018年8月2日号、P181「桜井政博のゲームについて思うこと 後よりもいま」。</ref>。
 
 
 
== 作品リスト ==
 
=== コンピューターゲーム ===
 
* [[星のカービィシリーズ]]
 
**[[星のカービィ]](1992年、[[ゲームボーイ]])ディレクター、チーフデザイナー
 
** [[星のカービィ 夢の泉の物語]](1993年、[[ファミリーコンピュータ]])ディレクター
 
** [[星のカービィ スーパーデラックス]](1996年、[[スーパーファミコン]])ディレクター、マイクカービィ(スタンドマイク)の声
 
** [[星のカービィ64]](2000年、[[NINTENDO64]])[[デデデ大王]]の声
 
** [[星のカービィ 夢の泉デラックス]](2002年、[[ゲームボーイアドバンス]])ゼネラルディレクター
 
** [[カービィのエアライド]](2003年、[[ニンテンドーゲームキューブ]])ディレクター
 
** [[星のカービィ 鏡の大迷宮]](2004年、[[ゲームボーイアドバンス]])スペシャルアドバイザー
 
* [[大乱闘スマッシュブラザーズシリーズ]]
 
** [[ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ]](1999年、[[NINTENDO64]])ディレクター
 
*** VC版でも開発に参加<ref>週刊ファミ通 2009年2月20日号「桜井政博ゲームについて思うこと」<!--この文章が掲載されている単行本が発行したら変更OK--></ref>。
 
** [[大乱闘スマッシュブラザーズDX]](2001年、[[ニンテンドーゲームキューブ]])ディレクター
 
** [[大乱闘スマッシュブラザーズX]](2008年、[[Wii]])ディレクター、デデデの声
 
** [[大乱闘スマッシュブラザーズ for Nintendo 3DS / Wii U]](2014年、[[ニンテンドー3DS]]、[[Wii U]])ディレクター、デデデの声
 
** [[大乱闘スマッシュブラザーズ SPECIAL]](2018年、[[Nintendo Switch]])ディレクター
 
* [[メテオス]](2005年、[[ニンテンドーDS]])ゲームデザイン
 
* [[新・光神話 パルテナの鏡]](2012年、[[ニンテンドー3DS]])ディレクター、シナリオ
 
 
 
=== アニメ ===
 
* [[星のカービィ (アニメ)|星のカービィ]](2001年 - 2003年) 原案・監修
 
 
 
=== 電子ゲーム ===
 
* [[そだてて!ムシキング]](2006年)ゲームデザイン
 
 
 
=== その他 ===
 
* 「大乱闘スマッシュブラザーズX メインテーマ」「(スマブラX版)[[ファイアーエムブレムのテーマ]]」の歌詞の日本語原案作成<ref>[http://www.smashbros.com/wii/jp/music/music10.html 大乱闘スマッシュブラザーズX公式ホームページ『大乱闘スマッシュブラザーズX:メインテーマ』]</ref><ref>[http://www.smashbros.com/wii/jp/music/music13.html 大乱闘スマッシュブラザーズX公式ホームページ『ファイアーエムブレム:ファイアーエムブレムのテーマ』]</ref> - 訳は[[山下太郎 (西洋古典学者)|山下太郎]]が担当
 
*メイキング オブ ファイアーエムブレム 開発秘話で綴る25周年、覚醒そしてif(徳間書店、2015年11月28日、インタビュー<ref>書籍の帯宣伝に記述。</ref>)
 
 
 
==出演==
 
*題名のない音楽会 - ([[テレビ朝日]]、2010年8月29日、マリオ・ドラクエ・FF~大人気ゲーム音楽SPにゲスト出演<ref>[http://www.tv-asahi.co.jp/daimei_2011/contents/onair/100829.html 『題名のない音楽会』8月29日の放送内容「マリオ・ドラクエ・FF~大人気ゲーム音楽SP」]</ref>)
 
* [[HIDECHAN! ラジオ]] 第60、61、62、63、86、87、100、112、138、142、179、180回に出演(第100回は記念メッセージのみ)。
 
* 『桜井政博のゲームについて思うこと』連載500回記念特番(2016年3月10日)<ref>[http://www.famitsu.com/news/201603/10101155.html 【ファミ通チャンネル】 週刊ファミ通の人気コラム『桜井政博のゲームについて思うこと』連載500回記念番組 本日21時30分から始まります!]</ref>
 
== 著作 ==
 
;『ファミ通』連載の単行本
 
*『桜井政博のゲームについて思うこと Think about the Video Games』([[エンターブレイン]], ISBN 4757722710)
 
*『桜井政博のゲームについて思うこと 2巻 Think about the Video Games』(エンターブレイン, ISBN 4757727704)
 
*『桜井政博のゲームについて思うこと DX Think about the Video Games 3』(エンターブレイン, ISBN 9784757743687)
 
*『桜井政博のゲームについて思うこと X Think about the Video Games 4』(エンターブレイン, ISBN 978-4-7577-4916-0)
 
*『桜井政博のゲームを遊んで思うこと』(エンターブレイン, ISBN 978-4-04-728028-1)
 
*『桜井政博のゲームを作って思うこと』(エンターブレイン, ISBN 978-4-04-728029-8)
 
*『桜井政博のゲームを遊んで思うこと2』(KADOKAWA/エンターブレイン ISBN 4047330132)
 
*『桜井政博のゲームを作って思うこと2』(KADOKAWA/エンターブレイン ISBN 4047330124)
 
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== 人物・エピソード ==
 
{{雑多な内容の箇条書き|section=1|date=2010年6月}}
 
* [[カービィ]]の体色を初めからピンクだと考えていたのは桜井だけで、広告が作られることになるまでは他のスタッフはモノクロであるゲームボーイにあわせた白、もしくは当時にいた類似したキャラクター([[ぬーぼー]])から黄色だと思っていた。その後広告用のイラストを見た[[宮本茂]]が「ピンクはええなぁ」と感心したという。その後、黄色いカービィは[[カービィボウル]]、モノクロ時代を意識した白いカービィは[[大乱闘スマッシュブラザーズDX]]でそれぞれ登場した。
 
* 『[[星のカービィ 夢の泉の物語|夢の泉]]』の開発スタッフの当時の話によると、意外に正確な[[カービィ]]の絵を描くのが難しかったことから、桜井本人が描いた[[カービィ]]だけを'''「桜井カービィ」'''と呼び、他のスタッフが描いたものは「○○チンクル」というあだ名がつけられていたらしい。なお「チンクル」とはカービィの企画段階での名称'''「ティンクル・ポポ」'''のもじり。同作の攻略本にはスタッフ一同が書いた「○○チンクル」たちと「桜井カービィ」が掲載されている。又一番思い入れのあるキャラクターは付き合いの長いカービィだと述べている<ref name="sdx">『桜井政博のゲームについて思うこと DX Think about the Video Games 3』より</ref>。
 
* 大の「[[ネコ|猫]]」好きであり、2009年7月3日と同年7月10日のファミ通「桜井政博のゲームについて思うこと」では新家族の猫を前者は丸1ページ猫のコラムと写真、後者は1枚の写真を公開していた。以降のコラムでも何回か写真で登場をしている。飼っているのは[[スコティッシュフォールド]]のメスで、名前は『ふくら』。Twitterでもふくらの写真を度々公開している。
 
* 漫画『[[ジョジョの奇妙な冒険]]』のファンで、自身が「ジョジョ立ち」と呼ばれるポーズをとって写った写真をコラムと一緒に載せていた。中でも[[戦闘潮流|第2部]]が好きとのこと。
 
* [[ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ|スマブラ]]、[[大乱闘スマッシュブラザーズDX|スマブラDX]]での持ちキャラはともに[[キャプテン・ファルコン]]だったが、近年ではどのキャラクターでも扱えられると述べていた<ref>[[ニンテンドードリーム]]2008年8月号「スマブラX兄弟拳!! ニンドリアンケート集計拳!!」</ref>。[[みんなのニンテンドーチャンネル]]の「[[大乱闘スマッシュブラザーズX]] 誰が強いか?決定戦! Vol.4」では[[ガノンドロフ]]を使用して勝利を収めている。
 
* 64の『スマブラ』の初期段階のテストプレイ時に、宮本茂の使用していたキャラクターを恐れ多くも吹っ飛ばしてしまっていたと語っている<ref>[http://www.nintendo.co.jp/n01/n64/software/nus_p_nalj/smash/PostReturn021.html オンラインガイドスマブラ拳!!アンケート集計拳]</ref>。
 
* セーブデータ削除の際に本当にデータを削除するのかを'''「後悔しませんね?」'''などの警告文で3度聞いてくるのが、彼が関わったゲームではおなじみとなっている。最新作であるスマブラXではセーブデータの比重が大きいためか、全データ消去時の警告文が従来の作品よりもかなり多くなっている。
 
* 『[[ドラゴンクエストシリーズ]]』と『[[ファイナルファンタジーシリーズ]]』の好きなタイトルは自身曰く「どちらも時代が知れる」『3』。「これは凄い」と思ったゲームの演出では、一部で強烈な[[トラウマ]]とカルト的伝聞が残されている[[AVG]]『[[東方見文録]]』の結末である「おか・おかーさん」を挙げている。また「泣いたゲーム」には自身も「何故か」と前置きした上で『[[どこでもいっしょ#こねこもいっしょ|こねこもいっしょ]]』だと述べている<ref name="sdx"/>。好きなゲーム音楽には『[[ダライアス外伝]]』の名を挙げている。
 
* 前述の通りゲームの研究に熱心で、幅広いジャンルのゲームを遊んだことがあるものの、「[[ギャルゲー]]はわからない」と2008年3月に開催された九州ゲームフォーラムで語った<ref>[http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20080307/kyusyu.htm GAME Watch トップレベルのゲームクリエイター会議]</ref>。他にスポーツゲームも苦手と述べていた<ref>週刊ファミ通 2009年7月10日号「桜井政博ゲームについて思うこと」 </ref>。
 
* 『[[ファイアーエムブレム]]』シリーズを遊んだ経験がある事が64、DXのアンケート集計拳他で判明している。入社した頃に先輩社員の影響を受けて『[[ファイアーエムブレム 暗黒竜と光の剣]]』を購入したエピソード<ref> [http://www.nintendo.co.jp/n01/n64/software/nus_p_nalj/smash/flash/syukeiken/return509.html 速報スマブラ拳!!アンケート集計拳]</ref><ref>[http://www.nintendo.co.jp/ds/interview/yfej/vol1/index2.html 桜井政博さんが訊く『ファイアーエムブレム新・暗黒竜と光の剣』 第2回「リニューアルされた『暗黒竜と光の剣』」]</ref>や、『暗黒竜と光の剣』と『[[ファイアーエムブレム 紋章の謎]]』に登場する剣士キャラクターの[[ファイアーエムブレムの登場人物 (アカネイア大陸)#サムシアン関係|ナバール]]が好きで、スマブラDXでは対戦ゲームの「名前の登録」で「おまかせ」の時に稀にその名前が、スマブラXではシールで登場させている<ref> [http://www.nintendo.co.jp/n01/n64/software/nus_p_nalj/smash/PostReturn014.html オンラインガイドスマブラ拳!!アンケート集計拳]</ref> 。他に、『暗黒竜と光の剣』と『紋章の謎』のヒロイン、[[シーダ]]の説得会話に大笑いしたエピソードもある<ref>[http://www.nintendo.co.jp/n01/n64/software/nus_p_nalj/smash/flash/syukeiken/return518.html 速報スマブラ拳!!アンケート集計拳]</ref>。2005年には『[[ファイアーエムブレム 蒼炎の軌跡]]』を遊んでいた事とスマブラXのために『ファイアーエムブレム』をやりこんだとも語っている<ref name="sdx"/>。しかしスマブラXのシャドーモセス島ステージ限定のソリッド・スネークの[[マルス (ファイアーエムブレム)|マルス]]のスマッシュアピールの説明は日本版と海外版共通して何故か他の地名になっている。<br />2008年7月31日<ref>ファイアーエムブレム総合サイト「ファイアーエムブレムワールド」の2008.07.31の更新情報より</ref>には岩田聡がE3に出張するため、代役として『[[ファイアーエムブレム 新・暗黒竜と光の剣]]』の『桜井政博さんが訊く』を担当している。
 
* 1990年、マイコンBASICマガジン別冊 CHALLENGE! Personal Computer A.V.G&R.P.G V 掲載の「コンピュータ・ゲームの未来を語る ホンネで討論!読者&クリエイター座談会」に読者代表として出席(収録は1989年8月15日)。当時のゲームのオリジナリティのなさを指摘し、面白いゲームではなく、面白くないゲームから学ぶことを提案している。
 
* ゲームや他のメディアで影響を受けたと思う人は特にいないが、逆に凄い事をする人はジャンルを問わず尊敬しているとの事<ref name="sdx"/>。
 
* 桜井と同じくファミ通にて連載を持つ、[[タレント]][[伊集院光]]の人気[[ラジオ]]番組『[[伊集院光の深夜の馬鹿力]]』の[[リスナー]]である。気分が落ち込んだ時には、[[ポッドキャスト]]配信されたものをポータブル[[オーディオプレイヤー]]で視聴する事でリフレッシュしてるとのこと。伊集院のトークを天才的と賞賛している<ref name="sdx"/>。
 
* 2008年、[[メタルギアシリーズ]]の[[小島秀夫 (ゲームデザイナー)|小島秀夫]]監督に「[[メタルギアソリッド]]5は桜井にまかせたい」と言われた事がある。なお、『スマブラX』で桜井は[[ソリッド・スネーク]]のシャドーモセス島ステージ限定のスマッシュアピールの文章を、自ら書き起した事を明かしている<ref>[[ニンテンドードリーム]](毎日コミュニケーションズ刊)[[2008年]]4月号</ref>。
 
* 2008年6月に『スマブラX』完成後に入籍をし既婚者となった<ref>[http://ameblo.jp/evezoo/entry-10119519783.html 遠藤雅伸公式blog]より</ref>。
 
-->
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[PRESS START]]
 
* [[ヒットストップ]] - ゲーム用語。『スマブラ』では桜井独自のシステムを導入。
 
* [[ファイアーエムブレムシリーズ]] - 後述の外部リンク「桜井政博さんが訊く『ファイアーエムブレム新・暗黒竜と光の剣』」の他に、過去の開発の話が出来る人が他に居ない事で、2015年に開催された「ファイアーエムブレム祭」の特別司会のオファーを受けている<ref> 週刊ファミ通 2015年8月20日~27日号、P242「桜井政博のゲームについて思うこと あれは要らない、これも要らない」</ref>。
 
 
 
== 脚注 ==
 
<div class="references-small"><references/></div>
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.1101.com/nintendo/nin4/ 樹の上の秘密基地 - 「ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ」の情報・産地直送!]
 
* [http://www.nintendo.co.jp/nom/0003/miryoku/page03.html カービィの生みの親・桜井政博さん(HAL研究所)突撃インタビュー]
 
* [http://www.nintendo.co.jp/n01/n64/software/nus_p_nalj/smash/ オンラインガイド スマブラ拳!! &#12316;スマッシュブラザーズ秘伝の書&#12316;]
 
* [http://www.nintendo.co.jp/n01/n64/software/nus_p_nalj/smash/flash/ 速報スマブラ拳!!]
 
* [http://www.smashbros.com/jp/ スマブラ拳!! 大乱闘スマッシュブラザーズX公式サイト]
 
* [http://www.nintendo.co.jp/ds/interview/yfej/vol1/index.html 桜井政博さんが訊く『ファイアーエムブレム新・暗黒竜と光の剣』]
 
* [http://www.project-sora.co.jp/interview/index.html 株式会社プロジェクトソラ 『プロジェクトソラ』という新しいゲーム作りの提案 桜井政博×岩田聡プロジェクトソラ特別対談]
 
* {{Twitter|Sora_Sakurai}}
 
* [https://miiverse.nintendo.net/users/SakuraiMasahiroA 桜井政博] on Miiverse
 
 
 
{{大乱闘スマッシュブラザーズシリーズ}}
 
{{Normdaten}}
 
  
 
{{DEFAULTSORT:さくらい まさひろ}}
 
{{DEFAULTSORT:さくらい まさひろ}}

2018/9/1/ (土) 00:08時点における最新版

さくらい まさひろ
桜井 政博
生誕 (1970-08-03) 1970年8月3日(53歳)
日本の旗 日本 東京都武蔵村山市
職業 ゲームクリエイターゲームディレクター実業家
活動期間 1989年 -
著名な実績星のカービィシリーズ』『大乱闘スマッシュブラザーズシリーズ』の制作
配偶者 桜井道子

桜井 政博(さくらい まさひろ、1970年8月3日 -)

日本のゲームクリエイター。ゲーム制作会社有限会社ソラの設立者で代表。

星のカービィシリーズ』と『大乱闘スマッシュブラザーズシリーズ』の生みの親で、主にディレクションを手がける。



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