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|'''[[五畿七道]]'''の一つである'''[[行政区分]]'''、および同所を通る'''古代から近世の[[街道]]'''|'''[[日本の高速道路|高速道路]]'''|北陸自動車道}}
 
  
 
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'''北陸道'''(ほくりくどう、ほくろくどう、くぬがのみち)
 
'''北陸道'''(ほくりくどう、ほくろくどう、くぬがのみち)
  
[[五畿七道]]の一つ。「ほくろくどう」とも読む。[[畿内]]から日本海沿岸に及ぶ地方で,古くは「越 (こし) 」と呼ばれた。大化改新後,越前,越中,越後の3国に分れ,養老2 (718) 年能登,弘仁 14 (823) 年加賀の両国がそれぞれ越前国から分立した。これより先,大化改新のとき若狭国,佐渡国ができて北陸道に加わり,和銅1
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[[五畿七道]]の一つ。「ほくろくどう」とも読む。[[畿内]]から日本海沿岸に及ぶ地方で,古くは「越 (こし) 」と呼ばれた。大化改新後,越前,越中,越後の3国に分れ,養老2 (718) 年能登,弘仁 14 (823) 年加賀の両国がそれぞれ越前国から分立した。これより先,大化改新のとき若狭国,佐渡国ができて北陸道に加わり,和銅1 (708) 年越後国から出羽国が分れて[[東山道]]に属した。[[愛発関]] (あらちのせき) 以東7国から成るこの地方を縦貫する北道 (きたのみち) ,陸道 (くぬがのみち) は律令制度のもとでは小路として駅ごとに駅馬5頭が備えられていた。
(708) 年越後国から出羽国が分れて[[東山道]]に属した。[[愛発関]] (あらちのせき) 以東7国から成るこの地方を縦貫する北道 (きたのみち) ,陸道 (くぬがのみち) は律令制度のもとでは小路として駅ごとに駅馬5頭が備えられていた。
 
 
   
 
   
  

2018/10/15/ (月) 22:57時点における版

北陸道

北陸道(ほくりくどう、ほくろくどう、くぬがのみち)

五畿七道の一つ。「ほくろくどう」とも読む。畿内から日本海沿岸に及ぶ地方で,古くは「越 (こし) 」と呼ばれた。大化改新後,越前,越中,越後の3国に分れ,養老2 (718) 年能登,弘仁 14 (823) 年加賀の両国がそれぞれ越前国から分立した。これより先,大化改新のとき若狭国,佐渡国ができて北陸道に加わり,和銅1 (708) 年越後国から出羽国が分れて東山道に属した。愛発関 (あらちのせき) 以東7国から成るこの地方を縦貫する北道 (きたのみち) ,陸道 (くぬがのみち) は律令制度のもとでは小路として駅ごとに駅馬5頭が備えられていた。