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垂水市(たるみずし)は、鹿児島県(離島以外の地域)の中部、大隅半島の北西部に位置する市。
1987年、旧国鉄大隅線の廃止により市内から鉄道は消滅した。ここ数年人口が減少し、過疎化が進んでいる。
Contents
地理
大隅半島の北西部、鹿児島市から桜島を挟んで東側向かいの場所に位置する。市域西部は鹿児島湾に面している。中心市街地は海岸沿いの低平地に発達しており、市域東部の内陸部はシラス台地と山地になっている。
市西側に隣接する桜島はかつては離島であったが、1914年の大噴火で垂水市と地続きになった。そのため、松ヶ崎地区では2mほど灰が積もり、小学校が埋って噴火前までの資料は不明となっている。
隣接している市町村
人口
垂水市(に相当する地域)の人口の推移 | |
総務省統計局 国勢調査より |
地域
地名
- 市木(いちき)
- 海潟(かいがた)
- 柊原(くぬぎばる)
- 新御堂(しんみどう)
- 高城(たかじょう)
- 田神(たがみ)
- 中俣(なかまた)
- 浜平(はまびら)
- 本城(ほんじょう)
- 旧牛根村
境・麓は垂水市の市制施行と同時に「牛根」を冠称するようになった。
- 牛根境(うしねさかい)
- 牛根麓(うしねふもと)
- 二川(ふたがわ)
- 旧新城村
新城村時代は大字が設置されていなかった。1958年に一部を鹿屋市に編入(現・根木原町、有武町)
- 新城(しんじょう)
- その後の追加町名
1945年8月5日、旧肝属郡垂水町はアメリカ軍の空襲に遭い、市街地が大きな被害を受けた。
翌1946年、垂水町は戦災地復興都市計画対象地のひとつに指定され(全国で115市町村)、中心市街地では焼失地域185,520坪(525,023平方メートル)のうち120,000坪(396,693平方メートル)について都市計画事業が実施された。
その結果、大字田神の一部で、以下の町名が新たに誕生した。[1]
- 旭町(あさひまち、旧:字南下町の一部)
- 上町(かんまち。ただし国道220号線にある信号での標記は"Kamimachi")、旧:字上町、字下福町の一部)
- 栄町(さかえまち、旧:字下町)
- 下宮町(しもみやちょう、旧:字下ノ宮、字南下町の一部)
- 中央町(ちゅうおうちょう、旧:字中馬場)
- 本町(ほんまち、旧:字本町)
- 松原町(まつばらちょう、旧:字北松原)
- 南松原町(みなみまつばらちょう、旧:字南松原)
1970年、垂水港南側の干拓事業が完了し、新たに1町が設置された。
- 錦江町(きんこうちょう)
1997年、垂水新港付近が埋め立てられ、新たに1町が設置された。
- 潮彩町(しおさいちょう)1丁目~3丁目
歴史
江戸時代の垂水市域は全域が薩摩藩領であり、垂水郷(郷については外城制を参照)は島津御一門家であった垂水島津家(薩摩藩家臣を参照)の私領として、新城郷は新城島津家の私領として、牛根郷は薩摩藩の直轄領として統治された。上記の3郷は町村制施行時(1889年)の3村にほぼ継承されている。垂水郷と牛根郷は大隅国大隅郡に(牛根郷のうち、境村は曽於郡)、新城郷は肝属郡に属していた。
明治初期には大隅郡と肝属郡(1883年以降は南諸県郡も含む)の役所が垂水におかれていたが、1887年6月に鹿屋郷(後の鹿屋町、現在の鹿屋市街地)へ移転している[2]。
近現代
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、現在の市域にあたる以下の村が発足。いずれも垂水郷・牛根郷・新城郷内の地域がそのまま村域となった。同時に、東囎唹郡所属であった境村を南大隅郡に編入する[3]。
- 1897年(明治30年)4月 - 南大隅郡と肝属郡が統合され、現在の肝属郡が発足する[3]。
- 1924年(大正13年)12月1日 - 垂水村が町制施行。垂水町となる。
- 1955年(昭和30年)1月10日 - 垂水町・新城村・牛根村が合併し、新町制による垂水町が発足。
- 1958年(昭和33年) 1月20日 - 大字新城の一部を鹿屋市に編入。
- 1958年(昭和33年)10月1日 - 垂水町が市制施行。垂水市となる。
行政
経済
産業
農水産業では、ブリ・カンパチの養殖、インゲンマメ・きぬさやえんどうなどの野菜、ビワ・ポンカンなどの果物、豚などの畜産が盛んである[4]。しかし農家数は減少の一途にある。
垂水市に本社を置く主要企業
垂水市で産出するミネラルウォーターのブランドに財宝温泉がある。
2015年に垂水高峠太陽光発電所が竣工した[5]。
教育
大学
- 名古屋大学太陽地球環境鹿児島研究所
- 鹿児島大学農学部附属高隈演習林
高等学校
中学校
- 市立
- 垂水中央中学校
- 2010年3月で市内全5校を閉校し、4月に垂水市立垂水中央中学校を開校させ1つの中学校に統合させた。
- 閉校した中学校
- 垂水中学校(2010年3月31日閉校、垂水中央中学校に統合)
- 垂水南中学校(2010年3月31日閉校、垂水中央中学校に統合)
- 牛根中学校(2010年3月31日閉校、垂水中央中学校に統合)
- 協和中学校(2010年3月31日閉校、垂水中央中学校に統合)
- 大野中学校(2006年3月31日閉校、垂水中学校に統合)
小学校
- 市立
交通
廃線後のJTB時刻表には、垂水港バス停が中心駅として記載されている。
道路
高速道路
市内に高速道路は通っていない。最寄りICは、東九州自動車道国分インターチェンジ、九州自動車道鹿児島インターチェンジ(フェリーを利用)など。
一般国道
県道(主要地方道)
路線バス
- 三州自動車(いわさきグループ)
鉄道(廃止路線)
1961年4月13日に鹿屋市の古江駅から垂水市の海潟駅(のちの海潟温泉駅)までの区間が古江線として開通し、1972年9月9日に海潟温泉駅から国分駅までの間が開通。同時に路線の名称が古江線から大隅線に改称された。海岸線を通り、垂水市を縦断していたが、1987年3月14日に大隅線の全線が廃止された。垂水市の中心駅は垂水駅であった。
船舶
- 鴨池・垂水フェリー≪旧南海郵船≫(垂水港より)
県庁所在地の鹿児島市から自動車で移動する場合、途中で桜島フェリーを利用して桜島を通り抜けるとおよそ1時間で垂水市へ行くことができる。また鹿児島市内の鴨池新港から垂水新港まで所要時間35分で垂水フェリーが運行されている。
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 垂水城跡
- 垂水家(垂水島津家墓地)
- 猿ヶ城渓谷(森の駅たるみず)
- 高隈山(大箆柄岳)・刀剣山登山
- 海潟温泉
- 高峠つつじヶ丘
- 松ヶ崎(牛根・入船)城城跡
- 道の駅たるみず「湯ったり館」
垂水市出身の著名人
- 岩元市三(調教師)
- 瀬戸口藤吉(音楽家、軍艦行進曲などの作曲者)
- 竹園正繼(馬主)
- 中西真貴(鹿児島テレビ放送アナウンサー)
- 穂花 (女優、元AV女優)
- 美坂理恵(南日本放送アナウンサー)
- 和田英作(画家)
- 小濱ゆみ(バレーボール選手)
- 宮迫たまみ(女子サッカー選手)
その他
脚注
- ↑ 『認可申請設計書』文書綴(垂水戦災復興事務所、鹿児島県土木部所蔵)
- ↑ 垂水市史編集委員会『垂水市史 下巻』垂水市、1978年 p.14
- ↑ 3.0 3.1 『垂水市史 下巻』p.15
- ↑ 『統計たるみず(平成27年度版)農林水産業』 鹿児島県垂水市 。
- ↑ 『垂水高峠太陽光発電所建設工事の竣工式が開催されます!』 鹿児島県垂水市、2015年10月21日 。
関連項目
外部リンク