「新日鉄コンサート」の版間の差分
ja>結い便 (→関連項目) |
細 (1版 をインポートしました) |
(相違点なし)
|
2018/8/10/ (金) 21:37時点における最新版
新日鉄コンサート | |
---|---|
ジャンル | 音楽番組 |
放送方式 | 録音 |
放送期間 | 1955年10月7日 - 2005年3月27日 |
放送時間 | 日曜日22:30 - 23:00 |
放送回数 | 2582 |
放送局 | ニッポン放送 |
ネットワーク | ネット局を参照 |
パーソナリティ | 当該項参照 |
プロデューサー |
大木恵子[1] 吉田抄子 |
提供 | 新日本製鐵 |
特記事項: 1.番組開始時から1970年3月29日までは富士製鐵をスポンサーに『フジセイテツコンサート』として放送。上記番組名になったのは八幡製鐵と合併し新日本製鐵となった後の1970年4月5日放送から。 2.放送時間は、1970年4月以降(ニッポン放送)。 3.1994年4月10日 - 1997年10月5日は、『古田新太と犬山犬子のサンデーおちゃめナイト』の内包番組として放送(ニッポン放送のみ)。 |
新日鉄コンサート(しんにってつコンサート)は、1955年10月7日から2005年3月27日まで、ニッポン放送(以下、LF)で放送されていた、ラジオの音楽番組。放送時間は30分枠であった。全2582回放送。長年「ニッポン放送の歴代の番組の中で最も長期に渡り放送された番組」の地位を守っていた(2015年に『テレフォン人生相談』が最長記録を更新)。
LFをキーステーションに各地のラジオ局でも放送していた。
歴史・概要
LFが開局した翌年、富士製鐵の一社提供による『フジセイテツコンサート』[2](『フジセイテツ・コンサート』[3])として、金曜21:30の枠でスタート。1956年1月21日からは土曜21:30の枠に、1969年10月12日からは日曜20:00の枠(ナイターオフ枠)にそれぞれ移して放送された。
1970年4月5日から日曜22:30の枠に移った。また、3月31日に富士製鐵と八幡製鐵が合併して新日本製鐵(現・新日鐵住金)となったことに伴い、番組名は『新日鉄コンサート』へ変更した。以後、この日曜22:30からの放送時間を貫いた結果、1980年代以降は前後を女性アイドルが出演する番組に挟まれる形が定着した。また、1994年4月10日 - 1997年10月5日の間は、数本の女性タレントによる冠番組とともにワイド番組『古田新太と犬山犬子のサンデーおちゃめナイト』の内包番組として放送した。
番組は、新日鉄が保有する紀尾井ホールで開催されるクラシックコンサートの録音を放送する他、「新日鉄音楽賞」の発表も行う。番組全体が新日鉄のCMも同然なので、CMの挿入はない。また、新日鉄がLFの大株主であった為、野球中継の延長等その他何らかの理由で、通常の時刻に放送出来なくなった場合でも休止せず、枠を(月曜早朝に)移動の上で必ず放送された。
LFの「タイムテーブル(番組表)」では、「Classic concert」または「コンサート」と記した時期もあった(このころ発行のタイムテーブルにはスポンサー名や細かいコーナーを表記していなかった。なお他局でもその形式者はあったが当番組は正規のタイトルが掲載されている)。
2004年11月26日には、番組開始50周年を記念したアルバムCD『新日鉄コンサートの歴史』がポニーキャニオンから発売された。
番組自体のマンネリ化に加え、新日鉄のリストラやニッポン放送の編成事情もあり、2005年3月27日をもって、49年半の歴史に幕を閉じた。
1980年代前半からのナレーションおよびコンサートの司会はニッポン放送アナウンサーの那須恵理子、プロデューサーは同局の吉田抄子であった。
2014年8月22日、垣花正のあなたとハッピー!の中で、新日鉄コンサートが紹介された。
ネット局
沖縄県(琉球放送)・広島県(中国放送)・宮城県(東北放送)以外は新日鉄の工場がある地区でのみ放送[4]。ただしLF以外は、NRN系列(LFと文化放送が率いるネットワーク)とのクロスネットを含めて全てJRN系列(TBSラジオが率いるネットワーク)で放送されるという珍しい番組であった。また、ネット局の多くはその地区の最初に開局した民放ラジオ局であった。放送開始当時にその地区の第2局が開局されていないか、規模が小さかったこともあり、当時の有力放送局とのネットに踏み切ったことからこのようなネット編成となった。
※以下、ネット局一覧。
- 北海道放送(HBC)
- 日曜21:30 - 22:00(1977年4月3日まで)→ 日曜22:30 - 23:00(1977年4月10日~放送終了時)
- IBC岩手放送(IBC)
- 土曜22:00 - 22:30 → 日曜22:30 - 23:00(放送終了時)
- 東北放送(TBC)
- 日曜22:30 - 23:00 → 日曜21:30 - 22:00(放送終了時)
- 中部日本放送(CBC。現・CBCラジオ) ※JRN単独ネット。
- 日曜21:30 - 22:00(1973年1月28日まで)→ 日曜22:30 - 23:00(1973年2月4日~放送終了時)
- 毎日放送(MBS)
- 日曜21:30 - 22:00(1970年10月11日~1982年4月4日)→ 日曜9:30 - 10:00(1982年4月11日~1992年3月)→ 日曜12:00 - 12:30(1992年4月~1994年3月)→ 日曜8:00 - 8:30(1994年4月~放送終了時)
- 中国放送(RCC)
- 日曜22:30 - 23:00 → 日曜9:00 - 9:30(放送終了時)
- 山口放送(KRY)
- 土曜22:00 - 22:30 → 日曜9:00 - 9:30(放送終了時)
- RKB毎日放送(RKB)[5] ※JRN単独ネット。
- 日曜22:30 - 23:00
- 大分放送(OBS)
- 日曜22:30 - 23:00
- 琉球放送(RBC) ※JRN単独ネット。
- 土曜22:30 - 23:00(1990年3月25日まで)→ 日曜22:30 - 23:00(1990年4月1日~2002年3月31日)→ 日曜8:00 - 8:30(2002年4月7日~2003年3月30日 ※途中打ち切り)
※終了以前のネット局
- 朝日放送(ABC)
- 土曜21:00 - 21:30(1960年4月2日から1965年3月)→金曜21:00 - 21:30(1965年4月から1970年6月)→日曜9:20 - 9:50(1970年7月から9月28日)[3]
テーマ曲
- ショパン「マズルカ ハ長調 作品67の3」このテーマ曲自体は変化が無いが、通常のピアノバージョンの他、交響曲編の時と2つ存在し、使い分けていた。
ナレーター
過去
- 高岡寮一郎(「フジセイテツ・コンサート」時代に担当。1997年11月7日放送の『いまに哲夫のオールナイトニッポンDX』に電話出演した際に証言)
脚注
- ↑ 大木恵子さん死去、ニッポン放送音楽プロデューサー SANSPO.COM 2014年1月31日閲覧
- ↑ 新日鉄広報誌『NIPPON STEEL MONTHLY』2005年5月号、13-16ページ掲載記事「新たなステージを迎える新日鉄の音楽メセナ活動」(リンク先は、pdfファイルで表示)より。
- ↑ 3.0 3.1 『朝日放送の50年 III 資料集』P93
- ↑ 但し、広島県と宮城県には新日鉄の支店がある。
- ↑ RKBへのネットは、新日本製鐵がRKBの設立母体の一社で大株主である関係であったため。
参考資料
- 朝日放送の50年 III 資料集(2000年3月31日、朝日放送発行)…国立国会図書館の書誌情報
関連項目
- ニッポン放送番組一覧
- 冠スポンサー番組
- 新日鐵アワー・音楽の森(エフエム東京制作。同じく新日鐵協賛番組)
- 百万人の音楽(TBSラジオ制作。HBC・CBC・ABC・RKB・RBCは両方ネットしていた)
外部リンク
※いずれも、インターネットアーカイブの保存キャッシュ。
- 文化活動(新日本製鐵公式サイト内。インターネットアーカイブ2001年7月17日付保存キャッシュより) ※「新日鐵コンサート」を紹介。
- 放送当時の番組情報サイト(新日鉄公式サイト内)の保存キャッシュ一覧
ニッポン放送 金曜日21:30 - 22:00(1955年10月7日 - 1956年1月13日) | ||
---|---|---|
前番組 | 番組名 | 次番組 |
民謡のど自慢
|
フジセイテツコンサート
|
新国劇傑作集
|
ニッポン放送 土曜日21:30 - 22:00(1956年1月21日 - 1969年10月4日) | ||
新国劇傑作集
|
フジセイテツコンサート
|
サタデイ・ニッポン
(20:00 - 22:00) |
ニッポン放送 日曜日22:30 - 23:00(1970年4月5日 - 2005年3月27日) | ||
ミュージック・タウン
|
新日鉄コンサート
|