「ルーマニア」の版間の差分

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{{Otheruses}}
+
 
 
{{基礎情報 国
 
{{基礎情報 国
 
  | 略名 =ルーマニア
 
  | 略名 =ルーマニア
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  | 注記 =
 
  | 注記 =
 
}}
 
}}
'''ルーマニア'''は、[[東ヨーロッパ]]に位置する[[共和制]][[国家]]。南西に[[セルビア]]、北西に[[ハンガリー]]、北に[[ウクライナ]]、北東に[[モルドバ]]、南に[[ブルガリア]]と国境を接し、東は[[黒海]]に面している。[[首都]]は[[ブカレスト]]。
+
'''ルーマニア'''
国の中央をほぼ逆L字のように[[カルパティア山脈]]が通り、山脈に囲まれた北西部の平原を[[トランシルヴァニア]]、ブルガリアに接する[[ワラキア]]、モルドバに接する[[モルダヴィア]]、黒海に面する[[ドブロジャ]]の4つの地方に分かれる。
 
 
 
東欧では数少ない[[ロマンス諸語|ロマンス系の言語]]である[[ルーマニア語]]を[[公用語]]として採用している国家であるが、宗教的には[[正教会|東方教会]]系の[[ルーマニア正教会]]が多数派である。いっぽう北西の[[ポーランド]]は[[スラヴ語派]]のうち[[西スラヴ語群]]に属する[[ポーランド語]]が主に話されているが、宗教的には[[カトリック教会]]が支配的であり、ルーマニアとは好対照をなしている。
 
 
 
== 国名 ==
 
[[ファイル:WWI Poster Rumania.jpg|220px|サムネイル|[[第一次世界大戦]]時の[[イギリス]]のポスター。古いR'''u'''maniaという綴りが使われている。]]
 
正式名称は[[ルーマニア語]]で {{lang|ro|România}} {{IPA-ro|romɨˈni.a||Ro-România.ogg}}。近似発音「ロムニア」。
 
 
 
[[ハンガリー語|マジャル語]](ハンガリー語)の表記は {{lang|hu|Románia}} (ロマーニア)。
 
 
 
公式の[[英語]]表記は {{lang|en|Romania}} {{IPA-en|roʊˈmeɪniə||en-us-Romania.ogg}}。かつては[[ドイツ語]]風の {{lang|en|Rumania}}<ref group="注釈">ドイツ語表記 {{lang|de|Rumänien}}</ref> や[[フランス語]]風の {{lang|en|Roumania}}<ref group="注釈">フランス語表記 {{lang|fr|Roumanie}}</ref> という表記も存在した。
 
 
 
[[日本語]]の表記は'''ルーマニア'''。[[国名の漢字表記一覧|漢字表記]]は'''羅馬尼亜'''で、'''羅'''と略される。
 
 
 
国名の由来は、「[[ローマ人]]の国」の意味。独立してからの正式名称は、以下のように変遷している。
 
 
 
* [[1859年]] - [[1881年]] '''[[ルーマニア公国]]'''(連合公国)
 
* [[1881年]] - [[1947年]] '''[[ルーマニア王国]]'''
 
* [[1947年]] - [[1965年]] '''ルーマニア人民共和国'''
 
* [[1965年]] - [[1989年]] '''[[ルーマニア社会主義共和国]]'''
 
* [[1989年]] - 現在 '''ルーマニア'''
 
 
 
現在では「[[共和国]]」などのような政体名を含まない国名が正式名称となっており、「'''ルーマニア共和国'''」という表記は誤りである。
 
 
 
== 歴史 ==
 
{{Main|ルーマニアの歴史}}
 
{{See also|モルダヴィア}}
 
[[ファイル:Dacia 82 BC.png|thumb|古代ダキア]]
 
[[ファイル:Vlad_Tepes_002.jpg|thumb|180px|[[ヴラド・ツェペシュ]]]]
 
 
 
古代には[[ゲタイ|ゲタイ人]]({{lang-grc|Γέται}})と呼ばれる民族が居住していた。[[紀元前513年]]、イストロス河({{lang-grc|Ἴστρος}}、現[[ドナウ川]])南で[[ゲタイ人]]の部族連合が、対[[スキタイ]]戦役中の[[ペルシア]]王[[ダレイオス1世]]に敗れた(ヘロドトス『歴史』4巻93)。
 
 
 
約600年後、[[ダキア人|ダキイ人]]({{lang-la|Daci}})は、[[ローマ帝国]]への侵攻に怒ったローマ皇帝[[トラヤヌス]]の2度の遠征([[101年]]-[[106年]])に敗れ、[[ローマ帝国]]の領土となった。その王国の4分の1はローマ領となり、ローマ帝国の[[属州]][[ダキア]]となった。現在の国名もその時の状態である「ローマ人の土地(国)」を意味する。[[ルーマニアの国歌|国歌]]の歌詞にトラヤヌスが登場するのは、こうした経緯からである<ref>ルーマニア史(出版社)文庫クセジュ6頁〜10頁</ref>。
 
 
 
[[238年]]から[[258年]]にかけて、[[ゴート族|ゴート人]]と[[カルピイ人]]が[[バルカン半島]]まで遠征した。ローマ帝国は[[ドナウ川]]南まで後退し、以前の属領[[上モエシア]]の一部に新しく属領ダキアを再編した。
 
 
 
[[271年]]、かつてのダキアにゴート人の王国が建てられ、[[4世紀]]終わりまで続いた後、[[フン]]人の帝国に併呑された。中央アジア出身の遊牧民族が入れ替わりルーマニアを支配した。[[ゲピド人]]、[[アヴァール]]が[[トランシルヴァニア]]を[[8世紀]]まで支配した。その後は[[ブルガール人]]がルーマニアを領土に収め、その支配は[[1000年]]まで続いた。この頃の史料には、[[ペチェネグ人]]、[[クマ人]]、[[ウゼ人]]への言及も見られる。その後、13世紀から14世紀には[[バサラブ1世]]による[[ワラキア]]公国、[[ドラゴシュ]]による[[モルダヴィア]]公国の成立が続いた。
 
 
 
中世にはワラキア、モルダヴィア、[[トランシルヴァニア]]の3公国があった。完全な独立ではなく、[[オスマン帝国]]や[[ハプスブルク家]]の支配下にあった。ワラキアとモルダヴィアは[[15世紀]]から[[16世紀]]にかけて[[オスマン帝国]]の属国であった。モルダヴィアは1812年東部の[[ベッサラビア]]を[[ロシア帝国]]に割譲した([[パリ条約 (1920年)|パリ条約]]により[[1920年]]再合併)。北東部は[[1775年]]、[[オーストリア帝国]]領土となり、南東部の[[ブジャク]]はオスマン帝国領であった<ref>ルーマニア史(出版社)文庫クセジュ18頁〜28頁</ref>。
 
 
 
トランシルヴァニアは[[11世紀]]に[[ハンガリー王国]]の一部となり、王位継承により[[1310年]]以降[[ハンガリー・アンジュー朝|アンジュー家]]、後に[[ハプスブルク家]]領となったが、[[1526年]]にオスマン帝国の属国となった([[オスマン帝国領ハンガリー]])。[[18世紀]]には再びハプスブルク家のハンガリー王国領となり、[[第一次世界大戦]]の終わる[[1918年]]までその状態が続いた。
 
 
 
[[ファイル:RomaniaBorderHistoryAnnimation 1859-2010.gif|thumb|left|250px|ルーマニア国土の変遷([[1859年]]-[[2010年]])。濃い緑がその時代の領土、薄い緑がルーマニアが領有したことのある地域。]]
 
[[1859年]]にワラキアとモルダヴィアの公主が統一され、[[1861年]]、オスマン帝国宗主下の自治国として連合公国が成立([[ルーマニア公国]])。[[1877年]]には[[露土戦争]]に乗じて完全な独立を果たすため、独立宣言を行った。[[1878年]][[ベルリン会議 (1878年)|ベルリン会議]]で国際的に承認され、[[ルーマニア王国]]が成立。第一次世界大戦でトランシルヴァニアを併合した。同じ1918年ベッサラビアを回復したが、これは[[1940年]]再び[[ソビエト連邦]]に占領され、最終的に割譲することとなる(現在は[[モルドバ|モルドバ共和国]]、ウクライナ)。
 
 
 
[[1940年]][[第二次世界大戦]]が始まると、ソ連はベッサラビアなど、ルーマニアの一部を占領した。国民は列強の領土割譲に対して無為無策であった国王[[カロル2世 (ルーマニア王)|カロル2世]]を批判し、退位させた。ルーマニアは[[ナチス・ドイツ|ドイツ]]につき[[枢軸国]]側として参戦した。この参戦により、ソ連が占領した地域を回復した。しかしドイツ敗退により、再度ソ連に侵攻され、[[1944年]]8月の政変で独裁体制を敷いていた[[イオン・アントネスク]]元帥ら親ドイツ派を逮捕して[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]側につき、国内の[[ドイツ軍]]を壊滅させた後に[[チェコスロバキア]]まで戦線を拡大し、対ドイツ戦を続けた。
 
 
 
戦後はベッサラビアとブコヴィナをソ連に割譲させられ、[[ソビエト連邦軍|ソ連軍]]の圧力により共産化した。王制を廃止し、[[1947年]]に[[ルーマニア人民共和国]]が成立した(1965年に[[ルーマニア社会主義共和国]]に改称)。しかし、[[ニコラエ・チャウシェスク]]の独裁政権の元、次第にソ連とは一線を画す一国共産主義を唱え始め[[西側諸国|西側]]との結びつきも強めた。[[1989年]]、[[ニコラエ・チャウシェスク]]の独裁政権が[[ルーマニア革命 (1989年)|ルーマニア革命]]によって打倒され、民主化された。
 
 
 
[[2007年]]1月1日に[[欧州連合]] (EU) に加盟した。加盟に際しては、改革が不十分であるとして[[欧州理事会]]によって再審査されたが、加盟後も改革を続行するとして承認された。
 
 
 
== 政治 ==
 
{{main|ルーマニアの政治}}
 
[[ファイル:EU27-2007_European_Union_map_enlargement.svg|thumb|2007年の欧州連合の拡大<br/>黄色で表示されている国が新たに加盟したルーマニアとブルガリア]]
 
 
 
政体は[[大統領]]を[[元首|国家元首]]とする[[共和制]]国家であり、国民から直接選挙で選ばれる[[ルーマニアの大統領|大統領]]と[[ルーマニアの議会|議会]]から選出される首相が行政を行う[[半大統領制]]を採用している。しかし、旧ルーマニア王家には特別の地位が与えられており、政府が公式に「陛下」や「殿下」といった敬称を用いて呼び、その住居・生計・活動費すべてが国庫で保証されているなど、共和制と[[君主制]]の折衷ともいえるやや特異な国家体制を採っている<ref>[http://www.fsight.jp/articles/print/9095 新潮社『foresight』(2003年6月号)より「饗宴外交の舞台裏(65):ルーマニア王子が日本外交に投げかけた難問」]</ref>。
 
{{see also|ルーマニアの大統領|ルーマニアの首相}}
 
{{see also|ミハイ1世 (ルーマニア王)#帰国後の生活}}
 
 
 
大統領は任期が5年である([[2004年]]までは任期4年)。[[立法|立法権]]は[[二院制]]の議会に属し、[[下院]]([[代議院 (ルーマニア)|代議院]])は定数332人、[[上院]]([[元老院 (ルーマニア)|元老院]])は定数137人で両院とも任期は4年。[[司法|司法権]]は最高裁判所に属している。
 
 
 
[[2004年]]には[[北大西洋条約機構]] (NATO) に参加。[[2007年]]1月に[[欧州連合]]に加盟した。[[2006年]]6月30日、ルーマニア最高国防評議会議長を兼任する[[トラヤン・バセスク|バセスク]]大統領は、タリチェアヌ首相が29日イラク駐留部隊の年内撤退計画を発表したが、同評議会が同計画を拒否したことを明らかにした。同大統領は、熱烈な親米政治家として知られ、外交政策がある日突然変わってはならない、とタリチェアヌ首相を批判した。
 
 
 
2007年2月、選挙制度改革を進めようとする大統領と野党が対立。4月19日権力乱用を理由に大統領の職務停止案の投票が議会で行われ、賛成多数で可決された。4月20日ルーマニア憲法裁判所はバセスク大統領の職務停止を決定。バカロイウ上院議長が大統領代行に就任した。1か月後の5月20日にバセスクの弾劾の可否を問う国民投票が行われ、投票の結果は弾劾の否決。バセスクは大統領職に復帰した。これは、ルーマニア史上で大統領が議会に弾劾された最初のケースであり、大統領が国民投票で弾劾の可否を問われた最初のケースでもあり、さらに弾劾の否決の結果大統領が留任された最初のケースでもあった。
 
2016年2月、ヨハニス政権下の同国が隣国[[モルドバ]]の政治危機に乗じて両国の統合を目指し、その為の働きかけを強めていることが[[コメルサント]]により報道されている<ref>{{Cite web|url=http://www.kommersant.ru/doc/2917049|title=Румыния форсирует Прут|publisher=Коммерсантъ|date=2016-02-16|accessdate=2016-08-20}}</ref>。
 
 
 
2017年、{{仮リンク|ルーマニア反政府運動|en|2017 Romanian protests}}が起きた。
 
 
 
== 軍事 ==
 
{{Main|ルーマニア軍}}
 
 
 
[[2010年]]2月4日、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]のクローリー国務次官補(広報担当)は、ルーマニア政府が地上発射型迎撃ミサイル [[RIM-161スタンダード・ミサイル3|SM3]](開発中)の配備に同意したことを明らかにした。これは、オバマ政権が進めている[[イラン]]の[[弾道ミサイル]]の脅威に対処するための新たな欧州[[ミサイル防衛]] (SD) 計画に参加したことになる。アメリカは南欧に広がったことを歓迎している。昨年10月には、[[ポーランド]]政府が新MD計画に参加する方針を表明している<ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2010020500183 米ミサイル防衛に参加=SM3配備に同意-ルーマニア] 2010年2月5日 時事通信</ref>。
 
 
 
== 国際関係 ==
 
{{main|{{仮リンク|ルーマニアの国際関係|en|Foreign relations of Romania}}}}
 
{{節スタブ}}
 
 
 
== 地方行政区分 ==
 
{{main|ルーマニアの県|ルーマニアの都市の一覧}}
 
[[ファイル:Romania counties.png|thumb|right|300px|ルーマニアの県。]]
 
ルーマニアの地方行政は、41の県と首都[[ブカレスト]]に区分されて行われている。
 
 
 
また、同国の県はコムーナ(comună)或いはムニチピウ(municipiu)などと呼ばれる小規模の[[自治体]]に分かれている。
 
 
 
{| border=0
 
|-
 
| style="white-space:nowrap;vertical-align:top;padding:0em 1em"|
 
[[トランシルヴァニア|トランシルヴァニア地方]]
 
* [[サトゥ・マーレ県]]
 
* [[マラムレシュ県]]
 
* [[サラージュ県]]
 
* [[クルージュ県]]
 
* [[ビストリツァ=ナサウド県]]
 
* [[ハルギタ県]]
 
* [[ムレシュ県]]
 
* [[アルバ県]]
 
* [[ビホル県]]
 
* [[シビウ県]]
 
* [[ブラショフ県]]
 
* [[アラド県]]
 
* [[フネドアラ県]]
 
* [[カラシュ=セヴェリン県]]
 
* [[ティミシュ県]]
 
* [[コヴァスナ県]]
 
| style="white-space:nowrap;vertical-align:top;padding:0em 1em"|
 
[[ワラキア|ワラキア地方]]
 
* [[メヘディンチ県]]
 
* [[ゴルジュ県]]
 
* [[ドルジュ県]]
 
* [[ヴルチャ県]]
 
* [[オルト県]]
 
* [[アルジェシュ県]]
 
* [[テレオルマン県]]
 
* [[ドゥンボヴィツァ県]]
 
* [[ジュルジュ県]]
 
* [[イルフォヴ県]]
 
* [[プラホヴァ県]]
 
* [[ブザウ県]]
 
* [[ブライラ県]]
 
* [[ヤロミツァ県]]
 
* [[カララシ県 (ルーマニア)|カララシ県]]
 
| style="white-space:nowrap;vertical-align:top;padding:0em 1em"|
 
[[モルダヴィア|モルダヴィア地方]]
 
* [[バカウ県]]
 
* [[ボトシャニ県]]
 
* [[ガラツィ県]]
 
* [[ヤシ県]]
 
* [[ネアムツ県]]
 
* [[スチャヴァ県]]
 
* [[ヴァスルイ県]]
 
* [[ヴランチャ県]]
 
| style="white-space:nowrap;vertical-align:top;padding:0em 1em"|
 
[[ドブロジャ|ドブロジャ地方]](黒海沿岸)
 
* [[トゥルチャ県]]
 
* [[コンスタンツァ県]]
 
|}
 
 
 
=== 主要都市 ===
 
{| class="infobox" style="text-align:center; width:97%; margin-right:10px; font-size:90%"
 
|-
 
! align=center style="background:#f5f5f5;" |
 
! align=center style="background:#f5f5f5;" | 都市
 
! align=center style="background:#f5f5f5;" | [[ルーマニアの地方行政区画|行政区分]]
 
! align=center style="background:#f5f5f5;" | 人口
 
! align=center style="background:#f5f5f5;" |
 
! align=center style="background:#f5f5f5;" | 都市
 
! align=center style="background:#f5f5f5;" | [[ルーマニアの地方行政区画|行政区分]]
 
! align=center style="background:#f5f5f5;" | 人口
 
|-
 
|-----
 
|align="center"| '''1'''
 
|align="center" colspan="2" | '''[[ブカレスト]]'''
 
|align="right"| 1,931,838
 
|align="center"| '''11'''
 
|align="center"| '''[[オラデア]]'''
 
|align="center"| [[ビホル県]]
 
|align="right"| 205,077
 
|-----
 
|align="center"| '''2'''
 
|align="center"| '''[[ヤシ (ルーマニア)|ヤシ]]'''
 
|align="center"| [[ヤシ県]]
 
|align="right"| 315,214
 
|align="center"| '''12'''
 
|align="center"| '''[[バカウ]]'''
 
|align="center"| [[バカウ県]]
 
|align="right"| 178,203
 
|-----
 
|align="center"| '''3'''
 
|align="center"| '''[[クルージュ=ナポカ]]'''
 
|align="center"| [[クルージュ県]]
 
|align="right"| 310,243
 
|align="center"| '''13'''
 
|align="center"| '''[[ピテシュティ]]'''
 
|align="center"| [[アルジェシュ県]]
 
|align="right"| 168,958
 
|-----
 
|align="center"| '''4'''
 
|align="center"| '''[[ティミショアラ]]'''
 
|align="center"| [[ティミシュ県]]
 
|align="right"| 307,347
 
|align="center"| '''14'''
 
|align="center"| '''[[アラド (ルーマニア)|アラド]]'''
 
|align="center"| [[アラド県]]
 
|align="right"| 167,238
 
|-----
 
|align="center"| '''5'''
 
|align="center"| '''[[コンスタンツァ]]'''
 
|align="center"| [[コンスタンツァ県]]
 
|align="right"| 304,279
 
|align="center"| '''15'''
 
|align="center"| '''[[シビウ]]'''
 
|align="center"| [[シビウ県]]
 
|align="right"| 154,458
 
|-----
 
|align="center"| '''6'''
 
|align="center"| '''[[クラヨーヴァ]]'''
 
|align="center"| [[ドルジュ県]]
 
|align="right"| 299,429
 
|align="center"| '''16'''
 
|align="center"| '''[[トゥルグ・ムレシュ]]'''
 
|align="center"| [[ムレシュ県]]
 
|align="right"| 145,943
 
|-----
 
|align="center"| '''7'''
 
|align="center"| '''[[ガラツィ]] '''
 
|align="center"| [[ガラツィ県]]
 
|align="right"| 293,523
 
|align="center"| '''17'''
 
|align="center"| '''[[バイア・マーレ]]'''
 
|align="center"| [[マラムレシュ県]]
 
|align="right"| 139,870
 
|-----
 
|align="center"| '''8'''
 
|align="center"| '''[[ブラショフ]]'''
 
|align="center"| [[ブラショフ県]]
 
|align="right"| 277,945
 
|align="center"| '''18'''
 
|align="center"| '''[[ブザウ]]'''
 
|align="center"| [[ブザウ県]]
 
|align="right"| 134,619
 
|-----
 
|align="center"| '''9'''
 
|align="center"| '''[[プロイェシュティ]]'''
 
|align="center"| [[プラホヴァ県]]
 
|align="right"| 230,240
 
|align="center"| '''19'''
 
|align="center"| '''[[ボトシャニ]] '''
 
|align="center"| [[ボトシャニ県]]
 
|align="right"| 115,739
 
|-----
 
|align="center"| '''10'''
 
|align="center"| '''[[ブライラ]]'''
 
|align="center"| [[ブライラ県]]
 
|align="right"| 215,316
 
|align="center"| '''20'''
 
|align="center"| '''[[サトゥ・マーレ]]'''
 
|align="center"| [[サトゥ・マーレ県]]
 
|align="right"| 113,688
 
|-----
 
| colspan="11" align=center style="background:#f5f5f5;" | 2007年調査
 
|}
 
{{-}}
 
 
 
== 地理 ==
 
[[ファイル:Ro-map.png|300px|thumb|ルーマニアの地図]]
 
{{main|{{仮リンク|ルーマニアの地理|en|Geography of Romania}}}}
 
 
 
西の[[セルビア]]、南の[[ブルガリア]]との間におけるルーマニアの国境は、基本的に[[ドナウ川]]を境界としている。[[モルドバ]]との国境線である[[プルト川]]もドナウ川と合流し、東に位置する[[黒海]]に注ぐ。ドナウ川の河口は[[三角州]]([[ドナウ・デルタ]])となっており、[[生物保護区]]となっている。
 
 
 
これらの自然国境はそれぞれの川の流路変更によって変化する。また、ドナウ・デルタは、年に2〜5 [[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]ずつ面積を増やすため、ルーマニアの領土面積はここ数十年、増加の傾向にある。1969年に237,500 km<sup>2</sup>だった総面積は2005年には238,319 km<sup>2</sup>となっている。
 
 
 
ルーマニアの地形は34%が山地、33%が丘陵地、33%が平地である。国の中央を[[カルパチア山脈]]が占め、トランシルヴァニア平原を取り囲んでいる。[[カルパチア山脈]]のうち14の山は2000m級であり、最高峰[[モルドヴェヤヌ峰]]は 2,544 mである。カルパチア山脈は南の[[丘陵]]地帯に続き、さらに[[バラガン平野]]に至る。
 
 
 
== 経済 ==
 
{{main|ルーマニアの経済}}
 
[[国際通貨基金|IMF]]の統計によると、ルーマニアの[[2013年]]の[[国内総生産]] (GDP) は約1,889億ドルである。2016年の一人当たりの名目GDPは11,859ドル<ref>[http://www.imf.org/external/pubs/ft/weo/2014/02/weodata/weorept.aspx?sy=2012&ey=2016&scsm=1&ssd=1&sort=country&ds=.&br=1&c=914%2C962%2C963%2C943%2C918%2C964%2C960%2C968%2C944%2C942%2C967%2C186%2C946&s=NGDPDPC%2CPPPPC&grp=0&a=&pr1.x=51&pr1.y=4 IMFの統計(欧州の非先進国に絞ったデータ)]</ref>で、世界平均より少し高いほどだが、[[バルカン半島]]の旧[[社会主義国]]では[[クロアチア]]に次いで高い。<ref name="imf201410" />
 
 
 
ルーマニアは伝統的に[[農業国]]であり、第一次産業人口が人口の42.3%を占める(2001年)。一方で、[[社会主義]]時代に[[計画経済]]のもと工業化が進められた結果、[[2014年]]現在では鉄鋼やアルミ、繊維産業といった業種も主要産業となっている<ref>{{Cite web|url=http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/romania/data.html|title=ルーマニア基礎データ|work=各国・地域情勢|publisher=[[外務省]]|date=2014-01-01|accessdate=2014-11-19}}</ref>。その他、[[17世紀]]から続く[[モレニ]][[油田]]が知られるように、ルーマニアは産油国であるが、今日ではその規模は限られている。
 
 
 
== 交通 ==
 
{{main|{{仮リンク|ルーマニアの交通|en|Transport in Romania}}}}
 
 
 
=== 鉄道 ===
 
{{main|[[ルーマニアの鉄道]]}}
 
 
 
== 国民 ==
 
[[ファイル:Romania demography 1961-2010.svg|thumb|260px|[[1961年]]から[[2010年]]までの人口動態グラフ]]
 
 
 
=== 民族 ===
 
住民は、[[ルーマニア人]]が89%、[[マジャル人]]([[ハンガリー人]])が6%、[[ロマ人]]が2%などである。その他には[[セルビア人]]、[[ウクライナ人]]、[[ドイツ人]]、[[トルコ人]]、[[タタール人]]、[[スロヴァキア人]]、[[ブルガリア人]]、[[ロシア人]]、[[ユダヤ人]]、[[ノガイ族]]等が居住している。ルーマニア人は古代の[[ダキア人]]と植民した[[ローマ人]]の混血だとされているが、異論もある。マジャル人の多くはハンガリーとの領有権問題を抱える[[トランシルヴァニア]]に居住している。
 
 
 
{{bar box
 
|title=民族構成(ルーマニア)
 
|titlebar=#ddd
 
|float=left
 
|bars=
 
{{bar percent|[[ルーマニア人]]|pink|89}}
 
{{bar percent|[[マジャル人]]|orange|6}}
 
{{bar percent|[[ロマ人]]|brown|2}}
 
{{bar percent|その他|red|3}}
 
}}
 
 
 
=== 言語 ===
 
公用語は[[ルーマニア語]]であり、東欧ではモルドバと共に数少ない[[ロマンス諸語|ロマンス系言語]]を公用語とする国家である。その他、[[ハンガリー語]]、[[ドイツ語]]、[[フランス語]]等も使われている。
 
 
 
=== 宗教 ===
 
[[2011年]]の調査によれば、宗教は、[[キリスト教]][[正教会]]の一派[[ルーマニア正教会]]が81%、[[プロテスタント]]が6.2%、[[カトリック教会|カトリック]]が5.1%、その他(その他のキリスト教、{{仮リンク|ルーマニアのイスラム教|en|Islam in Romania|label=イスラム教}}、[[エホバの証人]]、[[ユダヤ教]])が1.2%、無宗教が0.2%、無効データが6.2%である。
 
 
 
=== 教育 ===
 
7歳から14歳までの8年間の[[初等教育]]と[[前期中等教育]]が[[義務教育]]であり、無償となっている。
 
 
 
主な高等教育機関としては、[[ブカレスト大学]](1864年)などが挙げられる。
 
 
 
=== 保健 ===
 
現在ルーマニアは深刻な[[野犬]]の問題に直面している。全国で推定200万匹が野放しになっている。[[2005年]]において同国内で2万人以上が犬に襲われる被害を受けている。当局は駆除に乗り出そうとしているが、動物保護団体の激しい反対に合い対策は進んでいない。
 
 
 
[[2006年]]1月7日、動物愛護活動家でもある[[フランス]]の[[俳優|女優]][[ブリジット・バルドー]]は声明を出して駆除計画に抗議、ルーマニア当局を非難した。同年1月29日、日本人男性がブカレストで野犬に噛まれ、失血死する事件が起きた。
 
 
 
== マスコミ ==
 
{{main|{{仮リンク|ルーマニアのメディア|en|Media of Romania}}}}
 
=== テレビメディア ===
 
* [[TVR1]]
 
* [[TVR2]]
 
* [[ルーマニア・テレビ]]
 
 
 
=== ラジオメディア ===
 
{{main|{{仮リンク|ラジオルーマニア|en|Romanian Radio Broadcasting Company}}}}
 
 
 
=== 報道機関 ===
 
 
 
=== 印刷・出版 ===
 
*[[Actualităti]]
 
*[[Argeş Express]]
 
*[[Objectivargeşean]]
 
*[[Piteşti.ro]]
 
*[[Pro Argeş]]
 
*[[Zirarul Profit]]
 
*[[Curierul Zilei]]
 
*[[Journal de Argeş]]
 
 
 
=== 通信 ===
 
 
 
== 文化 ==
 
{{main|{{仮リンク|ルーマニアの文化|en|Culture of Romania}}}}
 
[[ファイル:Eminescu.jpg|thumb|180px|詩人、[[ミハイ・エミネスク]]]]
 
有名な吸血鬼[[ドラキュラ]]は、15世紀の[[ワラキア]]公であった[[ヴラド・ツェペシュ]]がモデルになったとされている。
 
 
 
ウィッチクラフト(魔女文化)が数世紀の歴史を持ち、現在も「魔女」や「まじない師」「占い師」として生計を立てる人々が多く存在する。魔女たちからもほかの自営業者と同様に徴税するために2011年1月1日に労働法が改正され、魔女が「職業」として認められることとなった。魔女たちは以後は役所に営業許可を得て「魔女」として登録する必要があるほか、占いが外れると罰金が科されたり、逮捕されてしまうようになる可能性もあるという。
 
 
 
=== 食文化 ===
 
{{main|ルーマニア料理}}
 
[[ルーマニア料理]]は、他の[[バルカン半島|バルカン諸国]]の料理と比べ、[[トルコ料理]]の影響が小さい。
 
 
 
=== 婚姻 ===
 
婚姻の際には、自己の姓を用い続ける([[夫婦別姓]])、相手の姓を用いる、相手の姓を付加する、のいずれかを選択できる。
 
{{See also|{{仮リンク|ルーマニア語の人名|en|Romanian name}}}}
 
 
 
=== 文学 ===
 
{{main|{{仮リンク|ルーマニア文学|en|Romanian literature}}}}
 
19世紀に活躍した詩人として、[[ミハイ・エミネスク]]は特筆される。
 
 
 
=== 音楽 ===
 
{{main|ルーマニア音楽}}
 
地域ごとに様々な伝統音楽の形式が存在する。また、ロマ(ジプシー)の音楽も盛んである。
 
 
 
=== スポーツ ===
 
他のヨーロッパ各国同様、[[サッカー]]が盛んである。[[サッカールーマニア代表]]は強豪とは言えないが、強豪に強い「大物食い」として知られており、[[ゲオルゲ・ハジ]]、[[ゲオルゲ・ポペスク]]、[[クリスティアン・キヴ]]、[[アドリアン・ムトゥ]]、[[チプリアン・マリカ]]など名の知れた選手は多い([[:Category:ルーマニアのサッカー選手]]も参照)。
 
 
 
また女子[[体操競技]]においては、[[ナディア・コマネチ]]、[[シモナ・アマナール]]、[[アンドレーア・ラドゥカン]]などの[[近代オリンピック|五輪]]金メダリストを多数輩出する世界屈指の強豪国である。[[ラグビールーマニア代表]]は[[ラグビーワールドカップ|ワールドカップ]]の第1回大会から8回連続出場中である。
 
 
 
なお、[[K-1]]で活躍中の[[ダニエル・ギタ]]もルーマニアの選手である。一方で伝統的な競技として[[レスリング]]形式のスポーツ ''Trîntă'' が開催されており、このスポーツは同国だけでなく類似する文化圏のモルドバでも支持されている。
 
 
 
=== 世界遺産 ===
 
{{Main|ルーマニアの世界遺産}}
 
ルーマニア国内には、[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]リストに登録された文化遺産が6件、自然遺産が1件存在する。
 
 
 
<gallery>
 
Image:Delta Dunarii 500.jpg|[[ドナウ川三角州]] - (1991年)
 
Image:RomanianSaxonianChurchTartlau Prejmer0015jpg.JPG|[[トランシルヴァニア地方の要塞聖堂のある村落群]] - (1993年、1999年拡大)
 
Image:Horezu church.jpg|[[ホレズ修道院]] - (1993年)
 
Image:Ihopulele EOS 30D0173 Voronet.jpg|[[モルダヴィア北部の壁画教会群]] - (1993年)
 
Image:Sârbi Josani.jpg|[[マラムレシュの木造聖堂群]] - (1999年)
 
Image:Sighisoara IMG 5622.jpg|[[シギショアラ歴史地区]] - (1999年)
 
Image:Sarmizegetusa temples.jpg|[[オラシュチエ山脈のダキア人の要塞群]] - (1999年)
 
</gallery>
 
 
 
=== 祝祭日 ===
 
{| class="wikitable"
 
|+ 祝祭日
 
!日付!!日本語表記!!ルーマニア語表記!!備考
 
|-
 
|[[1月1日]] || [[元日]] || {{lang|ro|Anul nou}} ||
 
|-
 
|[[1月15日]] || ルーマニア文化の日 || {{lang|ro|Cultură Ziua de vacanță}} ||
 
|-
 
|3月から5月、年により移動 || [[復活大祭|復活祭]] || {{lang|ro|Paştele}} || [[正教会]]の暦に従う。期間は3日間。復活祭の翌日には[[イースターマンデー]]があり、連休として設定されている。
 
|-
 
|[[5月1日]] || [[メーデー|労働の日]] || {{lang|ro|Ziua muncii}} || 国際労働日
 
|-
 
|[[6月26日]] || [[国旗の日 ]] || {{lang|ro|zi de pavilion}} || {{仮リンク|ワラキア革命|en|Wallachian Revolution of 1848}}での法令第1号で[[ルーマニアの国旗|青・黄・赤の三色旗]]が国旗とされたことを記念したもの。1998年に導入された。
 
|-
 
|[[11月30日]]|| [[アンデレ|セント・アンドリュー]]の日 || {{lang|ro|Ziua Sfântului Andrei}} ||
 
|-
 
|[[12月1日]] || 国民の祝日(統一記念日) || {{lang|ro|Ziua Unirii}} || [[1918年]]12月1日のトランシルヴァニアとルーマニアの統一を祝う。
 
|-
 
|[[12月8日]] ||[[憲法記念日]] || {{lang|ro|Ziua Constituției}} ||
 
|-
 
|[[12月25日]]・[[12月26日]] || [[クリスマス]] || {{lang|ro|Crăciunul}} || 2日間。
 
|}
 
 
 
この他、伝統的祭日として[[3月1日]]の三月祭 {{lang|ro|(Mărţişorul)}} がある。これは[[バレンタインデー]]に似た祭日である。花のほかに、[[ペンダント・ヘッド]]や[[ブローチ]]などを、男性から女性に贈る。紅白の細い糸を縒って作った小さな[[リボン]]を、プレゼントに結び付けるのが慣わしとなっている。
 
 
 
== 著名な出身者 ==
 
{{main|ルーマニア人の一覧}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
{{節スタブ}}
 
  
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ヨーロッパ南東部にある国。[[ウクライナ]],[[モルドバ]],[[ハンガリー]],[[セルビア]],[[ブルガリア]]と国境を接し,東は[[黒海]]に面する。北部から南南東に延びる[[カルパート山脈]]と,その末端から西に延びる[[南カルパート山脈]](トランシルバニアアルプス)とが大きな弧をなして国土の中央を通り,弧の外側にはワラキア平野,モルドバ平野([[モルドバ]])の二大平野,さらにその東の黒海沿岸にはドブルジャ平野([[ドブルジャ]])がある。弧の内側にはトランシルバニア盆地([[トランシルバニア]])があり,その西をかぎるビホール山地などの山地群の西側には,なだらかな起伏をなすハンガリー大平原縁辺部がある。[[大陸性気候]]で冬は寒く,夏は暑い。平均気温は 7月平野部で 22℃以上,1月山地で-9℃程度。住民は紀元前からこの地方に居住していたトラキア系のダキア人と,2世紀頃この地を征服したローマ人,7~8世紀頃侵入した[[スラブ人]],9~10世紀に侵入したマジャール人,そのほかトルコ人,ゲルマン人などの混血,同化によって形成された複合民族ルーマニア人が約 9割を占め,一部にマジャール系の[[セーケイ人]],ロマ(ジプシー。[[ロム]])などが居住する。公用語はラテン語起源の[[ルーマニア語]]。国民の約 9割が[[ギリシア正教]]の一派であるルーマニア正教徒。古くからの農業国だが,第2次世界大戦後は企業の国有化に続き,多数の工場が新設あるいは増設されて,工業化が急速に進み,工業製品が輸出の大部分を占めるようになった。農業はコムギ,トウモロコシ,オオムギなどの穀物が中心で,ワイン用のブドウの栽培も盛ん。ウシやブタの飼育も行なわれ,牛肉は輸出品としても重要。産油国でもあるが,1947~89年の共産党政権下で産出が伸び悩み,工業,農業ともにマイナス成長となった。1989年の革命で[[チャウシェスク]]独裁政権が崩壊し,国名から人民共和国が削除された。[[北大西洋条約機構]] NATO,[[ヨーロッパ連合]] EU加盟国。([[ルーマニア史]])
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== 脚注 ==
 
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=== 注釈 ===
 
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=== 出典 ===
 
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== 関連項目 ==
 
* [[ルーマニア関係記事の一覧]]
 
* [[ベッサラビア]]、[[ブジャク]]
 
* [[モルダヴィア]]
 
** [[モルドバ]] [[ブコビナ]]
 
* [[ワラキア]]
 
* [[トランシルヴァニア]]
 
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==

2018/9/1/ (土) 10:41時点における版

ルーマニア
România
国の標語:なし
公用語 ルーマニア語
首都 ブカレスト
最大の都市 ブカレスト

面積

総計 238,391km278位
水面積率 3%

人口

総計(2011年 19,040,000人(?位
人口密度 94人/km2
GDP(自国通貨表示)

合計(2013年 6,286億[1]ルーマニア・レウ
GDP (MER)

合計(2013年 1,889億[1]ドル(54位
GDP (PPP)

合計(2013年3,865億[1]ドル(47位
1人あたり 19,397[1]ドル
独立連合公国の成立
1859年2月5日
オスマン帝国の宗主権喪失
1877年5月9日
通貨 ルーマニア・レウ (RON)
時間帯 UTC +2(DST:+3)
ISO 3166-1 RO / ROU
ccTLD .ro
国際電話番号 40

ルーマニア

ヨーロッパ南東部にある国。ウクライナモルドバハンガリーセルビアブルガリアと国境を接し,東は黒海に面する。北部から南南東に延びるカルパート山脈と,その末端から西に延びる南カルパート山脈(トランシルバニアアルプス)とが大きな弧をなして国土の中央を通り,弧の外側にはワラキア平野,モルドバ平野(モルドバ)の二大平野,さらにその東の黒海沿岸にはドブルジャ平野(ドブルジャ)がある。弧の内側にはトランシルバニア盆地(トランシルバニア)があり,その西をかぎるビホール山地などの山地群の西側には,なだらかな起伏をなすハンガリー大平原縁辺部がある。大陸性気候で冬は寒く,夏は暑い。平均気温は 7月平野部で 22℃以上,1月山地で-9℃程度。住民は紀元前からこの地方に居住していたトラキア系のダキア人と,2世紀頃この地を征服したローマ人,7~8世紀頃侵入したスラブ人,9~10世紀に侵入したマジャール人,そのほかトルコ人,ゲルマン人などの混血,同化によって形成された複合民族ルーマニア人が約 9割を占め,一部にマジャール系のセーケイ人,ロマ(ジプシー。ロム)などが居住する。公用語はラテン語起源のルーマニア語。国民の約 9割がギリシア正教の一派であるルーマニア正教徒。古くからの農業国だが,第2次世界大戦後は企業の国有化に続き,多数の工場が新設あるいは増設されて,工業化が急速に進み,工業製品が輸出の大部分を占めるようになった。農業はコムギ,トウモロコシ,オオムギなどの穀物が中心で,ワイン用のブドウの栽培も盛ん。ウシやブタの飼育も行なわれ,牛肉は輸出品としても重要。産油国でもあるが,1947~89年の共産党政権下で産出が伸び悩み,工業,農業ともにマイナス成長となった。1989年の革命でチャウシェスク独裁政権が崩壊し,国名から人民共和国が削除された。北大西洋条約機構 NATO,ヨーロッパ連合 EU加盟国。(ルーマニア史

脚注

注釈

出典

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 World Economic Outlook Database, October 2014” (英語). IMF (2014年10月). . 2016閲覧.

外部リンク