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{{テニス選手
+
'''錦織 圭'''(にしこり けい、[[1989年]][[12月29日]] -
|選手名(日本語) =  錦織圭
 
|写真サイズ=230px
 
|写真=Nishikori US16 (53).jpg
 
|写真のコメント=錦織圭([[2016年全米オープン (テニス)|2016年全米オープン]])
 
|選手名(英語)=Kei Nishikori
 
|フルネーム(英語名)=
 
|愛称=ケイ(kei)
 
|国籍={{JPN}}
 
|出身地={{flagicon|島根県}} [[島根県]][[松江市]]
 
|居住地={{USA}}[[フロリダ州]][[タンパ]]
 
|誕生日={{生年月日と年齢|1989|12|29}}
 
|没年日=
 
|身長=178cm<ref>[http://www.atpworldtour.com/en/players/kei-nishikori/n552/overview ATPツアーのプロフィール]</ref>
 
|体重=75kg
 
|利き手=右
 
|バックハンド=両手打ち
 
|デビュー年=2007年
 
|引退年=
 
|ツアー通算=11勝
 
|シングルス=11勝
 
|ダブルス=0勝
 
|生涯通算成績=
 
|シングルス通算=
 
|ダブルス通算=
 
|生涯獲得賞金 =$16,402,485
 
|全豪オープン=ベスト8(2012・15・16)
 
|全仏オープン=ベスト8(2015・17)
 
|ウィンブルドン=ベスト8(2018)
 
|全米オープン=準優勝(2014)
 
|優勝回数=
 
|全豪オープンダブルス=
 
|全仏オープンダブルス=2回戦(2011)
 
|ウィンブルドンダブルス=2回戦(2011)
 
|全米オープンダブルス=
 
|ダブルス優勝回数=
 
|デビスカップ=ベスト8(2014)
 
|シングルス最高=4位(2015年3月2日)
 
|ダブルス最高=160位(2012年4月9日)
 
| medaltemplates =
 
{{MedalSport| [[テニス]]}}
 
{{MedalCompetition|[[オリンピックのテニス競技|オリンピック]]}}
 
{{MedalBronze|[[2016年リオデジャネイロオリンピックのテニス競技|2016 リオデジャネイロ]]|男子シングルス}}
 
|更新日時 =2016年11月23日
 
}}
 
'''錦織 圭'''(にしこり けい、[[1989年]][[12月29日]] - )は、[[島根県]][[松江市]]出身の男子プロ[[テニス]]選手。[[日清食品]]所属。[[松江市立乃木小学校]]、[[開星中学校・高等学校|開星中学校]]、[[青森山田中学高等学校]]<ref>{{PDFlink|[https://www.joc.or.jp/games/olympic/riodejaneiro/pdf/athlete_list.pdf 日本代表選手団名簿 - JOC]}}</ref>。
 
  
卒業。身長178cm、体重75kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
+
平成時代のテニス選手。
 
 
[[男子プロテニス協会|ATP(男子プロテニス協会)]]が発表する世界ランキング自己最高位はシングルス4位(アジア男子歴代最高位)、ダブルス160位。
 
シングルスとしては日本男子史上初の世界ランキングトップ10入りを果たした。
 
[[2014年全米オープン男子シングルス]]の準優勝者であり、男女通じて日本人史上初、アジア男子史上初の[[グランドスラム (テニス)|グランドスラム4大大会]]シングルスファイナリスト。また、シングルスとしてはアジア男子史上初の[[ATPワールドツアー・ファイナル]]出場者。グランドスラムに次ぐ格付けの[[ATPワールドツアー・マスターズ1000]]では4度の準優勝。<ref>なお、アジア系の外国籍の選手では、アジア系米国人の[[マイケル・チャン]]が、シングルス世界ランキングでアジア系男子歴代最高の2位、またアジア系男子選手唯一のグランドスラム[[全仏オープン]]優勝(グランドスラム史上最年少での優勝)や、[[全米オープン (テニス)|全米オープン]]準優勝、[[全豪オープン]]準優勝など、アジア系男子選手初のグランドスラムファイナリストである。</ref>
 
 
 
2008年に18歳の若さで、[[デルレイビーチ国際テニス選手権]]で優勝し、[[松岡修造]]に次いで日本男子史上2人目のATPツアーシングルス優勝者となった。これまでにATPツアーにおいてシングルスで日本人史上最多の11度の優勝、ダブルスでは準優勝を1度記録。
 
 
 
2016年には[[2016年リオデジャネイロオリンピックのテニス競技|リオデジャネイロ五輪]]男子シングルス銅メダリストとなり、テニス競技では日本選手として96年ぶりのメダルを獲得した。
 
 
 
== ジュニア時代 ==
 
[[1989年]][[12月29日]]、[[島根県]][[松江市]]に生まれる。初めてラケットを手にしたのは5歳の時。父と9歳になる姉と一緒に雲南市の公園でボールを打っていた。2ヶ月後に同じく雲南市にある加茂町中央公園のテニスコートに通いだす。
 
 
 
===小学生時代===
 
テニスを始めてから約1年後、松江市内の「グリーンテニススクール」に入会する。小学4年生の時、中国地方代表として[[全国小学生テニス選手権大会]]に出場する。翌年も出場し2回戦で第8シードの選手を破る番狂わせを起こしベスト8の成績を残す。
 
 
 
2001年小学6年生の5月、千葉県柏市の吉田記念テニス研修センターで行われた全国24名のトップ選手が揃う全国選抜ジュニアテニス選手権大会(選抜ジュニア)12歳以下の部で優勝を果たす。この大会の準決勝では[[松岡修造]]が錦織の試合を観戦していた。松岡はリターンゲームでの圧倒的な才能に目を奪われると同時にサービスに悪い癖が付いてる短所も懸念していた。選抜ジュニアから1週間後、河口湖湖畔で開催される「修造チャレンジトップジュニアキャンプ」への招待状が届く。6月のこの日は修学旅行と被っていたが錦織は喜々として参加した。松岡は錦織の苦手とする"表現力のメンタルトレーニング"を敢えて強いた。また、コーチとして[[竹内映二]]と[[小浦猛志]]が技術指導を行った<ref name=":0">『錦織圭 リターンゲーム』 内田暁 2015年  学研プラス</ref>。
 
 
 
7月末、全国小学生テニス選手権大会で5試合すべてストレート勝ちの優勝を果たす。その約10日後全日本ジュニアテニス選手権大会(12歳以下の部)でも全試合ストレートの完全優勝を成し遂げ、全国大会三冠(史上5人目)を達成する。2001年11月、錦織にとって二度目の修造チャレンジに参加する。この時のキャンプには松岡の恩師である名コーチの[[ボブ・ブレッド]]が参加し、練習コートにはテレビ局の取材カメラも密着していた。この衆人環境のプレッシャーの中で錦織は身長差約30cmもある高校1年生に勝利する。年上で大柄な選手に勝ったことは錦織の大きな自信になった<ref name=":0" />。
 
 
 
===中学時代===
 
2002年10月スカウティングスタッフの推薦を得て[[盛田正明]]が運営する「盛田正明テニス・ファンド(MMTF)」の選考会に参加する。この時参加していた[[ニック・ボロテリー・テニスアカデミー|IMGアカデミー]]ヘッドコーチのゲイブ・ハラミロの推薦により、翌年1月MMTFの候補生のひとりとしてIMGアカデミーに二週間の短期留学をする。ここでの適応力・集中力・練習や試合に取り組む姿勢をコーチ陣に高く評価され、最終選考会を経て盛田正明テニス・ファンドの第4期特待生に選抜される。2003年8月末に同じ選抜生2人とともに渡米<ref name="現代ビジネス">[http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41896 ひとり息子は13歳で海を渡った 世界の錦織圭から島根の両親(父は土木技術者、母は主婦)へ]</ref>。
 
 
 
渡米した翌月にはテキサス州のジュニア大会ベスト8、ダブルスは準優勝する。12月の[[オレンジボウル選手権]]14歳以下の部で準優勝。2004年6月にモロッコのG3ジュニア大会決勝で[[アレクサンドル・ドルゴポロフ]]に勝利し優勝。14歳での優勝は快挙と言ってよかった。9月にはIMGの日本人メンバーとともに男子ジュニア国別対抗戦の[[ジュニア・デビス・カップ]]で[[三橋淳 (テニス選手)|三橋淳]]・[[喜多文明]]らと共に日本代表として出場。スペイン戦で[[ペレ・リバ]]に勝利し前年大会では11位だった日本を過去最高の5位入賞に押し上げた。
 
 
 
===高校時代===
 
2005年にはジュニアG2の大会で立て続けにベスト4入り。そしてこの頃IMGアカデミーのトップグループに昇格。専任コーチを雇用する<ref name="number869">『Number』869号(2015年1月22日号)</ref>。9月、全米オープンジュニアで3回戦進出。10月、大阪市開催の[[世界スーパージュニアテニス選手権大会]]で[[ジェレミー・シャルディー]]に敗れるものの準決勝まで進出。この大会では[[三橋淳 (テニス選手)|三橋淳]]と組んで出場したダブルスでも準決勝まで進出し単複ベスト4の成績を収めた。
 
 
 
[[2006年]]1月の[[2006年全豪オープン|全豪オープン]]男子ジュニアではベスト8入り。ダブルスでは[[ピーター・ポランスキー]]と組んで出場しベスト4進出の好成績を収める。3月、京都市で開催される[[ATPチャレンジャーツアー]]大会・[[島津全日本室内テニス選手権大会]]にワイルドカードで出場。錦織にとって初のツアー大会であった。初戦で[[ロバート・スミーツ]]に敗れるものの初の[[男子プロテニス協会|ATPポイント]]を獲得する。翌週[[メキシコ]][[カンクン]]の[[ITF男子サーキット|フューチャーズ大会]]には予選から出場しベスト4入り。
 
 
 
6月には[[エミリアノ・マサ]]と組んで出場した[[2006年全仏オープン|全仏オープン]]男子ジュニアダブルス部門で、日本男子史上初の[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]ジュニアダブルス優勝の快挙を果たした。なおこの大会では男子ジュニアシングルスでも8強に入っている。また、前年この大会で優勝しこの年も男子シングルス決勝に進んだ世界ランキング2位の[[ラファエル・ナダル]]が、決勝前日の練習相手に仮想[[ロジャー・フェデラー]]として錦織を指名し話題を呼んだ<ref>{{cite web|url=http://tennisjp.cocolog-nifty.com/tennis/2006/06/post_be91.html|title=五輪=ナダル、決勝前の練習相手に錦織圭を!!錦織圭フレンチ・オプーンJR優勝。|date=2006年6月11日|accessdate=2010年5月11日|author=テニスジャパン}}</ref>。その翌日の決勝戦当日の朝にもヒッティングパートナーの依頼を受け再び練習相手を務める<ref name=":0" />。
 
 
 
[[ITF男子サーキット|フューチャーズ大会]]で着実に実績を積んでいき9月にはカリフォルニアの大会でベスト4、10月にはメキシコの大会で予選から出場し決勝で世界ランキング300位の選手を破りいきなり初優勝した。この優勝によりATPランキングポイント12を獲得した錦織は[[ATPチャレンジャーツアー]]の予選に出場できるまでにランキングを上げる。シーズン終盤ではチャレンジャーの2大会で本戦に出場し、本戦初勝利も手に入れた<ref name=":0" />。2006年シーズン終了時点で世界ランキング603位につけておりこの時点で日本人選手10位につけており、既に日本トップ選手の一人となっていた。
 
 
 
== プロでの経歴 ==
 
=== 2007年 プロ転向 ===
 
3月の[[マイアミ・マスターズ]]のダブルスに、主催者推薦で元シングルス世界ランク1位の[[グスタボ・クエルテン]]と組んでツアー初出場。また、同大会のジュニア部門として開催されている[[ルキシロンカップ]]に第4シードで出場し、決勝で[[マイケル・マクルーン]]を6-7(2), 6-4, 6-1で破り優勝、またこのマイアミの直前と期間中の約1週間、[[ロジャー・フェデラー]]の練習相手を務めた。4月には[[全米男子クレーコート選手権]]シングルス予選でツアーシングルス予選初出場。ここでは予選1回戦で[[トラビス・パロット]]に3-6, 5-7のストレートで敗れた。5月にはノーシードで出場した[[LAテニス・オープン・USTA男子チャレンジャー]]シングルスで自身初のチャレンジャー大会決勝進出を果たし準優勝。予選から出場した7月第2週の[[ファーマーズ・クラシック|カントリーワイド・クラシック]]シングルスでは予選を勝ち上がり自身初のツアーシングルス本選出場。ここでは1回戦で[[ウェスリー・ムーディ]]と対戦し、3-6, 2-6のストレートで敗れた。
 
 
 
更に翌週[[インディアナポリス・テニス選手権|RCA選手権]]シングルスでも予選勝ち上がりで本戦出場を果たし、1回戦で[[アレハンドロ・ファジャ]]を6-4, 6-3で、2回戦で[[ミヒャエル・ベラー]]を6-3, 3-6, 6-1のフルセットで下し、日本人男子史上最年少の[[男子プロテニス協会|ATP]]ツアーシングルスベスト8を決める。続く準々決勝では世界ランク27位、第3シードの[[ドミトリー・トゥルスノフ]]と対戦し、1-6, 4-6のストレートで敗れた。この活躍により翌7月第4週の[[レッグ・メーソン・テニス・クラシック]]ではシングルス本戦スペシャル・エグザンプションを与えられ本戦出場。2回戦の[[ジュリアン・ベネトー]]戦まで進出した。8月には[[2007年全米オープン (テニス)|全米オープン]]でグランドスラム予選に初挑戦。ここでは予選2回戦で[[ビョルン・ハウ]]に2-6, 4-6のストレートで敗退。9月の[[チャイナ・オープン (テニス)|チャイナ・オープン]]シングルスでも予選を勝ち上がり本戦出場。1回戦で世界ランク12位で第4シードの[[イワン・リュビチッチ]]に3-6, 4-6のストレートで敗れた。同月29日に日本に帰国し記者会見を行い、翌10月1日付でのプロ転向を発表し、17歳9ヶ月でプロ転向<ref>{{cite web|url=http://jta.blog.so-net.ne.jp/2007-09-29-1|title=錦織圭、プロ転向を宣言!|date=2007年9月29日|accessdate=2010年5月11日|author=[[日本テニス協会]]}}</ref>。翌10月の[[ジャパン・オープン・テニス選手権|ジャパン・オープン]]でプロデビューを果たすが、この大会はシングルス、[[添田豪]]と組んだダブルス共に1回戦で敗退した。
 
 
 
=== 2008年 初ATPタイトル ===
 
[[File:Kei Nishikori 2008 US Open.jpg|left|200px|thumb|2008年全米オープンにて]]
 
[[2月17日]]、錦織は[[2008年デルレイビーチ国際テニス選手権|デルレイビーチ国際テニス選手権]]で予選から勝ち上がると、初進出の決勝で世界ランク12位、第1シードの[[ジェームズ・ブレーク]]を3-6, 6-1, 6-4で破り、ツアー'''初優勝'''を達成した。日本人男子選手のATPツアー制覇は、[[1992年]]4月に韓国オープンを制覇した[[松岡修造]]以来16年ぶり2人目の快挙となった。
 
 
 
4月に男子国別対抗戦[[デビスカップ]]「アジア・オセアニアゾーン」の「グループ1」2回戦で、日本は[[デビスカップインド代表|インド]]と対戦し、日本男子のトップに立った錦織が初めて日本代表に選出された。4月28日、錦織は世界ランキングで99位に浮上し、日本男子としては1996年8月まで2桁順位だった松岡以来の世界ランキング100位以内に入った。
 
 
 
[[2008年全仏オープン男子シングルス|全仏オープン]]では予選2回戦で敗退するが、[[ウィンブルドン]]前哨戦の[[エイゴン選手権|アルトワ選手権]]では3回戦まで進出し、世界ランク2位の[[ラファエル・ナダル]]と対戦、4-6, 6-3, 3-6と負けはしたものの、ナダル相手に1セットを奪う健闘を見せる(試合後、ナダルは「彼は数年後には世界ランク10位、いや5位に食い込んでくるだろう。100%間違いない」とコメントしている<ref>{{cite web|url=http://uk.reuters.com/article/idUKL1248328420080612|title=Nadal tips Nishikori for world's top 10|date=2008年6月12日|accessdate=2009年8月4日|author=Reuters}}</ref>)。[[2008年ウィンブルドン選手権男子シングルス|ウィンブルドン]]で初のグランドスラム本戦ストレートイン(予選免除)を果たす。[[マルク・ジケル]]との1回戦では、1セット・オールから腹筋の痛みを訴え、途中棄権による敗退となった<ref>{{cite web|url=http://www.afpbb.com/article/sports/tennis/atp/2409473/3070509|title=錦織 四大大会デビューは途中棄権|date=2008年6月24日|accessdate=2008年10月4日|author=AFPBB News}}</ref>。
 
 
 
6月末には[[日本テニス協会]]が申請していた[[2008年北京オリンピックのテニス競技|北京オリンピック]]推薦枠での出場が認められ、オリンピック初出場を決めた。男子シングルスの日本人出場は、[[1996年アトランタオリンピックのテニス競技|アトランタオリンピック]]の松岡以来12年ぶりとなる<ref>{{cite web|url=http://jp.reuters.com/article/Olympics/idJPJAPAN-32483920080629|title=五輪=男子テニスの錦織が北京切符を獲得、国際テニス連盟推薦枠で|date=2008年6月29日|accessdate=2008年10月4日|author=ロイター}}</ref>。オリンピックでは、[[2008年北京オリンピックのテニス競技・男子シングルス|シングルス]]1回戦で[[ライナー・シュットラー]]に、4-6, 7-6, 3-6で敗退した。しかしこのとき、第2セットを一時0-5とされながらもセットを取る、という驚異の粘りを見せた。
 
 
 
[[2008年全米オープン男子シングルス|全米オープン]]では世界ランク32位、第29シードの[[フアン・モナコ]]を途中インジャリータイムをとりながらも6-2, 6-2, 5-7, 6-2で破り、[[2005年全豪オープン男子シングルス|2005年全豪オープン]]の[[鈴木貴男]]以来の日本人4大大会1回戦突破となった。続く2回戦は[[ロコ・カラヌシッチ]]を相手に2セット先取の後にカラヌシッチの棄権で突破、日本人では[[神和住純]]以来の男子シングルスでの3回戦進出となった。3回戦では世界ランク4位の[[ダビド・フェレール]]を相手に6-4, 6-4で2セット先取、その後4-6, 2-6と2セットを挽回されるが、第5セットを7-5で奪い、勝利を挙げた(錦織は、試合後に「自分の体力を考慮し第4セットは捨てた」と語っている)。日本人では[[1937年]]の[[山岸二郎]]・[[中野文照]]以来(当時は全米プロとアマチュア用の全米オープンで分かれていたので完全にオープン化してからは日本人初)の男子シングルスでの4回戦進出となった<ref>{{cite web|title=錦織、71年ぶり4回戦進出 全米テニス|url=http://www.nikkei.co.jp/news/main/im20080831SSXKA004231082008.html|accessdate=2008年10月4日|date=2008年8月30日|author=日経ネット}}</ref>。しかしベスト8をかけて戦った4回戦では、[[アルゼンチン]]の新鋭、19歳の[[フアン・マルティン・デル・ポトロ]]に3-6, 4-6, 3-6とストレートで敗北し、95年の[[松岡修造]]以来となるグランドスラムベスト8入りを逃した。
 
 
 
その後、日本に凱旋した錦織は、[[AIGオープン]]に出場、1回戦で世界ランク102位の[[ロバート・ケンドリック]]を 7-6(3), 6-7(5), 6-2のフルセットで、2回戦で世界ランク60位の[[ギリェルモ・ガルシア=ロペス]]を6-4, 6-4のストレートで破り、今大会2回目の出場にして初めて3回戦に進出。3回戦では[[フランス]]の世界ランク13位[[リシャール・ガスケ]]と対戦。試合後のインタビューで「(相手を)尊敬し過ぎていた」と語るほど<ref>{{cite web|title=男子シングルス3回戦 リシャール・ガスケ(フランス) vs 錦織 圭(ソニー) |url=http://aigopen.jp/08/articles/article021.html|accessdate=2008年12月11日|date=2008年10月2日|author=AIGオープンニュース}}</ref> 終始相手に圧倒される展開となり、1-6, 2-6と大敗を喫した。翌週に出場した[[ストックホルム・オープン]]では棄権を考えたほどの連戦の疲労から1~2回戦共に不安定な試合運びを余儀なくされたものの、3回戦では対戦相手の[[マリオ・アンチッチ]]が試合前に棄権する幸運にも助けられベスト4に進出。
 
 
 
=== 2009年 怪我 ===
 
[[2009年全豪オープン男子シングルス|全豪オープン]]は1回戦で第31シード[[ユルゲン・メルツァー]]に5-7, 2-6, 1-6で敗退したが、大会後に発表された2月2日付のランキングでは自己最高となる56位を記録した。
 
2008年度の[[ATPワールドツアー・アワード|ATPワールドツアー最優秀新人賞]](Newcomer of the Year)を受賞。
 
5月、右ひじの疲労骨折が判明し、6月開幕の[[2009年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン選手権]]、8月開幕の[[2009年全米オープン (テニス)|全米オープン]]と連続して欠場した。また同8月には右肘の[[内視鏡]]手術を受け、残りのツアーを欠場。リハビリパートナーを杉山芙沙子([[杉山愛]]の母)が務めた<ref name=":0" />。
 
 
 
=== 2010年 復帰  ===
 
前年の怪我が長引き年初を棒に振り一時はランキングを失ったが、復帰後は下部大会で好成績を収め順調にランキングを回復。
 
4大大会では、プロテクトランキングを使用して[[2010年全仏オープン男子シングルス|全仏オープン]]に繰り上げでストレートインを果たし初出場。初戦で[[サンティアゴ・ヒラルド]]を2セットダウンからの逆転で下したあと、2回戦で[[ノバク・ジョコビッチ]]にストレートで敗れた。
 
全仏後は[[エイゴン選手権]]に出場したが、初戦で[[リシャール・ガスケ]]に敗れた。
 
[[2010年ウィンブルドン選手権男子シングルス|ウィンブルドン]]には主催者推薦で出場。優勝した[[ラファエル・ナダル]]に初戦でストレート負けした。
 
その後[[2010年全米オープン男子シングルス|全米オープン]]に予選から出場し2年ぶりの本戦出場を果たし、2回戦で第11シードの[[マリン・チリッチ]]を5-7, 7-6, 3-6, 7-6, 6-1で4時間59分の激闘の末破った。
 
東京で行われた楽天オープンでは初戦で[[ビクトル・トロイツキ]]に敗北した。この年[[ATPチャレンジャーツアー]]で4回優勝。
 
 
 
=== 2011年 日本人男子歴代最高ランクに ===
 
[[File:Kei Nishikori 2011.jpg|left|250px|thumb|2011年全豪オープンにて]]
 
[[ブラッド・ギルバート]]をトラベリング・コーチに迎え、15トーナメントに帯同する。1月3日に[[ユニクロ]]と契約。[[2011年エアセル・チェンナイ・オープンシングルス|エアセル・チェンナイ・オープン]]から使用。1月17日から[[2011年全豪オープン男子シングルス|全豪オープン]]に出場。初戦で世界ランク58位の[[ファビオ・フォニーニ]]を6-1, 6-4, 6-7(4), 6-4で下し、同大会初勝利をあげた。続く2回戦で世界ランク36位[[フロリアン・マイヤー]]を6-4, 6-3, 0-6, 6-3で破り、日本男子では46年ぶりの3回戦進出を果たしたが、3回戦で第9シードの[[フェルナンド・ベルダスコ]]に2-6, 4-6, 3-6のストレートで敗れた。2月に行われた[[SAPオープン]]では第8シードで出場し、1回戦で[[ヤン・ハジェク]]をストレートで下した。2月14日付の世界ランキングが発表され68位に浮上。[[2011年デルレイビーチ国際テニス選手権|デルレイビーチ国際テニス選手権]]にも出場し、2回戦で2008年決勝の相手である[[ジェームズ・ブレーク]]と対戦し6-3, 6-4のストレートで下した。準々決勝で[[ライアン・スウィーティング]]に6-7, 6-2, 6-4で勝ち、2008年以来の準決勝進出をしたが[[ヤンコ・ティプサレビッチ]]に4-6, 4-6で敗れ、決勝進出は逃した。
 
 
 
3月の[[ソニー・エリクソン・オープン]]では1回戦で[[ジェレミー・シャルディー]]に7-6(5), 6-2 で勝利し、[[ATPワールドツアー・マスターズ1000]]大会の初勝利を挙げた。2回戦では3度目の対戦となった[[ラファエル・ナダル]]に4-6, 4-6で敗れた。4月の[[全米男子クレーコート選手権]]では世界ランク11位の[[マーディ・フィッシュ]]を6-3, 6-2のストレートで、準決勝では第7シードの[[パブロ・クエバス]]を6-3, 7-5のストレートで下し決勝進出したが、[[ライアン・スウィーティング]]に4-6, 6-7(3)で惜敗し、準優勝。ATPツアー2勝目は逃したが、自己最高ランクの48位に浮上した。[[バルセロナ・オープン]]では3回戦で[[フェリシアノ・ロペス]]に敗れたが世界ランキングを自己最高の47位に浮上し、松岡修造が持つ日本人最高ランクの更新まで2と迫った。
 
 
 
[[2011年全仏オープン男子シングルス|全仏オープン]]では1回戦で世界ランク56位の[[盧彦勲]]を6-1, 6-3, 6-4のストレートで勝利し、2年連続で2回戦へ駒を進めた。2回戦で第31シードの[[セルジー・スタホフスキー]]に1-6, 6-3, 3-6, 6-7(3)で敗れた。グランドスラムでは初出場のダブルスでは[[マクシモ・ゴンサレス]]と組んだ1回戦は勝利したが、二回戦で第3シードの[[ロハン・ボパンナ|ボパンナ]]/[[アイサム=ウル=ハク・クレシ|クレシ]]組に7-6, 3-6, 4-6で敗れた。
 
 
 
[[デビスカップ]]の[[デビスカップウズベキスタン代表|ウズベキスタン]]戦に2年ぶり出場。初日のシングルスは格下相手に1セットを落とすが勝利。2日目のダブルスは[[添田豪]]と組み、[[ムラド・イノヤトフ|イノヤトフ]]/[[デニス・イストミン|イストミン]]組に7-5, 7-6, 7-5で勝利。そして3日目のシングルスもエースのイノヤトフに6-7, 7-5, 6-4, 6-3で勝利し、入れ替え戦進出に大きく貢献した。入れ替え戦の[[デビスカップインド代表|インド]]戦でも招集され、シングルスの2試合に出場してともに勝ち日本のワールドグループ昇格に大きく貢献した。
 
 
 
10月に行われた[[上海マスターズ]]では2回戦で世界ランク8位の[[ジョー=ウィルフリード・ツォンガ]]と対戦し6-7, 6-4, 6-4で勝利。3回戦では同48位[[サンティアゴ・ヒラルド]]と対戦。6-4, 6-3で勝利し、[[マスターズ1000]]初のベスト4に進出。[[松岡修造]]の持つ日本人最高ランクである46位を超えることが確実となると、10月17日に発表された世界ランキングでは30位にランクアップ、日本人男子選手最高を更新した<ref>[http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2011/10/18/kiji/K20111018001841060.html 錦織、日本男子史上最高30位「大きな一歩踏み出せた」] スポーツニッポン 2011年10月18日閲覧</ref>。
 
 
 
11月の[[スイス・インドア]]では、1回戦で世界ランク7位の[[トマーシュ・ベルディハ]]を、3-6, 6-3, 6-2の逆転で下し、先の上海マスターズに続き世界トップ10選手に再び勝利。さらに準決勝では同1位の[[ノバク・ジョコビッチ]]を2-6, 7-6(4), 6-0で破る大金星を挙げ、ATPツアー3度目となる決勝進出。日本の男子選手がシングルスで世界ランキング1位の選手に勝利したのは史上初である<ref>[http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/sports/article/news/20111106-OHO1T00154.htm 日本男子史上初!錦織、世界1位破り決勝へ…スイス室内] スポーツ報知 2011年11月7日閲覧</ref>。決勝では地元スイスの英雄にして、兼ねてより熱望していた[[ロジャー・フェデラー]]との対戦が実現するも、1-6, 3-6で敗れ、準優勝となる。11月に2008年4月から所属契約を結んでいた[[ソニー]]との契約が終了した。
 
 
 
=== 2012年 4大大会ベスト8 2つ目のタイトル ===
 
[[File:Kei Nishikori Sony Ericsson Open 2012.jpg|left|220px|thumb|ソニー・エリクソン・オープンにて]]
 
年度最初の[[ブリスベン国際]]では2回戦で敗れたが、[[2012年全豪オープン男子シングルス|全豪オープン]]では現行ランキング制度導入の[[1973年]]以降の4大大会で、日本人男子シングルス選手として初めて上位32名に与えられる[[トーナメント方式#シード|シード権]]を得て、第24シードとして大会に挑むこととなった<ref>[http://www.shikoku-np.co.jp/national/main/20120109000351 錦織、全豪テニス第24シード/73年以降、日本男子初]</ref>。前哨戦では世界ランク6位の[[ジョー=ウィルフリード・ツォンガ]]と同16位の[[アンディ・ロディック]]といった強豪相手に勝利。本大会では2回戦で地元オーストラリアの同94位の[[マシュー・エブデン]]を3-6, 1-6, 6-4, 6-1, 6-1のフルセットで破った。2セットダウンからの大逆転であった。3回戦では同39位の[[ジュリアン・ベネトー]]に4-6, 7-6, 7-6, 6-3で勝利、続く4回戦でツォンガを2-6, 6-2, 6-1, 3-6, 6-3のフルセットで破り、'''ベスト8'''に進出した。全豪で日本男子がベスト8入りしたのは、[[佐藤次郎]]、[[布井良助]]以来80年ぶり、4大大会での日本男子のベスト8入りは、[[1995年ウィンブルドン選手権男子シングルス|1995年ウィンブルドン選手権]]の松岡修造のベスト8以来17年ぶりである<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/sports/news/20120123-OYT1T00687.htm?from=top 錦織が全豪テニス8強…四大大会で松岡修造以来] 読売新聞 2012年1月23日閲覧</ref>。このベスト8入りはオーストラリアの地元紙のトップで報じられた<ref>[http://www.shikoku-np.co.jp/sports/general/20120124000199 「旭日の勢い」錦織をトップ報道/全豪テニスで地元紙]</ref>。準々決勝では世界ランク4位の[[アンディ・マリー]]に、3-6, 3-6, 1-6のストレートで敗れ、ベスト4入りは逃した。混合ダブルスでは[[クルム伊達公子]]とペアを組み、1回戦で昨年の全米オープンで準優勝した[[エドゥアルド・シュワンク|シュワンク]]/[[ヒセラ・ドゥルコ|ドゥルコ]]組を破ったが<ref>[http://www.shikoku-np.co.jp/sports/general/20120122000190 錦織・クルム伊達組2回戦へ/全豪テニス第7日]</ref>、2回戦で敗退。
 
 
 
[[デビスカップ2012|デビスカップ・ワールドグループ]]1回戦の[[デビスカップクロアチア代表|クロアチア]]戦では世界ランク43位の[[イボ・カロビッチ]]や同55位の[[イワン・ドディグ]]と対戦。ドディグには7-5, 7-6, 6-3のストレートで勝利をしたが、カロビッチには身長208cmから繰り出されるサーブに苦しみ、4-6, 4-6, 3-6のストレートで敗れた。なお、日本はクロアチアに2-3で敗戦。
 
 
 
[[インディアンウェルズ・マスターズ]]では一回戦負けだったが、[[ソニー・エリクソン・オープン]]では日本男子初のベスト16入りを果たした。しかし、4回戦で世界ランク2位の[[ラファエル・ナダル]]に4-6, 4-6で敗れた。
 
[[バルセロナ・オープン・バンコ・サバデル]]では準々決勝まで進出。世界ランク20位の[[フェルナンド・ベルダスコ]]との対戦中、腹筋を痛め途中棄権。回復に1ヶ月ほどかかると診断され、その後の[[2012年全仏オープン|全仏オープン]]の欠場を余儀なくされた。
 
 
 
その後エキシビションマッチで復帰。[[レイトン・ヒューイット]]や[[マーディ・フィッシュ]]との対戦で手応えを掴んだ後、[[ウィンブルドン選手権]]に第19シードとして出場。
 
1、2回戦ともにストレートで勝利し、[[松岡修造]]以来17年ぶりに日本人として3回戦に進出するも、世界ランク9位の[[フアン・マルティン・デル・ポトロ]]に3-6, 6-7, 1-6のストレートで敗れた。
 
 
 
アトランタ選手権では3回戦で[[添田豪]]との日本人対決が実現し、2-6, 1-6で敗れた。
 
[[File:TENNIS Nishikori vs Nishikori, portrait of an athlete's internal struggle.jpg|right|200px|thumb|ロンドン五輪にて]]
 
第15シードとして挑んだ[[2012年ロンドンオリンピックのテニス競技・男子シングルス|ロンドン五輪男子シングルス]]1回戦で[[バーナード・トミック]]を7-6, 7-6で下して、日本の男子シングルス選手としては[[1924年パリオリンピック]]ベスト8の[[原田武一]]以来88年ぶりとなるオリンピックでの勝利をあげた<ref>[http://www.sponichi.co.jp/olympic/news/2012/07/30/kiji/K20120730003792281.html 日本男子88年ぶり!錦織 歴史的白星にびっくり「今知った」]スポーツニッポン2012年7月30日</ref>。2回戦では[[ニコライ・ダビデンコ]]に4-6, 6-4, 6-1で勝利し、3回戦では世界ランク5位の[[ダビド・フェレール]]に対し6-0, 3-6, 6-4で勝利しベスト8に進出。準々決勝では先月のウィンブルドン選手権の3回戦で対戦した同9位の[[フアン・マルティン・デル・ポトロ]]に4-6, 6-7のストレートでまたしても敗退した。
 
 
 
[[2012年全米オープン男子シングルス|全米オープン]]では第17シードとして出場。1,2回戦ともにストレートで快勝したが、3回戦で世界ランク13位の[[マリン・チリッチ]]に3-6, 4-6, 7-6, 3-6で敗れた。
 
 
 
[[デビスカップ]]・ワールドグループ・プレーオフの[[デビスカップイスラエル代表|イスラエル]]戦ではシングルス2試合に出場予定だったが、初日は肩の痛みを訴え欠場。最終日には復活し、世界ランク98位の[[ドゥディ・セラ]]と対戦。途中左脹脛が痙攣しつつも、6-3, 3-6, 4-6, 6-4, 7-5のフルセットで勝利した。この錦織の勝利で両チーム2勝2敗となったが、最後に添田豪が敗れ、日本はイスラエルに2-3で敗戦。日本はワールドグループからアジア・オセアニアゾーン1部に降格した。
 
 
 
[[2012年楽天ジャパン・オープン・テニス選手権 シングルス|楽天ジャパン・オープン]]では、1回戦では[[添田豪]]を4-6, 6-2, 6-3で、準々決勝で世界ランク6位の[[トマーシュ・ベルディハ]]をストレートで下し、決勝で同15位の[[ミロシュ・ラオニッチ]]を7-6, 3-6, 6-0で破り、ツアー2勝目を飾った。ツアー優勝は2008年[[デルレイビーチ国際テニス選手権]]以来4年ぶりで、この優勝により大会後のランキングで自己最高の15位を記録した。2012年最後の出場大会となった[[パリ・マスターズ]]では[[ジル・シモン]]との3回戦を右足首痛のため棄権した。
 
 
 
=== 2013年 3つ目のタイトル ===
 
[[File:Kei Nishikori 1, Wimbledon 2013 - Diliff.jpg|right|200px|thumb|[[2013年ウィンブルドン選手権]]、1回戦(マシュー・エブデンとの対戦)]]
 
[[ブリスベン国際]]に第5シードで出場し単複ベスト4初進出。日本男子で同時に単複ベスト4に進んだのは、1974年フィリピン選手権の九鬼潤以来。シングルス準決勝の[[アンディ・マリー]]戦で左膝を悪化、4-6, 0-2時点で途中棄権。同じく[[グリゴール・ディミトロフ]]と組んでいたダブルス準決勝も棄権。
 
 
 
[[2013年全豪オープン男子シングルス|全豪オープン]]では日本人初の2年連続ベスト16に進出。しかし、4回戦で世界ランキング5位の[[ダビド・フェレール]]に2-6, 1-6, 4-6で完敗。
 
 
 
2月に開催された[[全米国際インドアテニス選手権]]では、準々決勝で昨年の[[2012年全米オープン男子シングルス|全米オープン]]で敗れた第1シードの[[マリン・チリッチ]]に勝利し、決勝で[[フェリシアーノ・ロペス]]を6-2, 6-3で下し全試合ストレート勝ちでツアー3勝目を挙げた。その後の[[デルレイビーチ国際テニス選手権]]では1回戦で棄権。[[インディアンウェルズ・マスターズ]]、[[ソニー・エリクソン・オープン]]はそれぞれ3回戦と4回戦で敗退した。
 
 
 
欧州クレーコートシーズンでは、5月初旬に開催された[[マドリード・マスターズ]]3回戦で、第2シードで前年度チャンピオンの[[ロジャー・フェデラー]]を6-4, 1-6, 6-2で破る大金星を挙げ、[[マスターズ1000]]では2011年[[上海マスターズ]]以来2年ぶりのベスト8進出を果たす。[[2013年全仏オープン男子シングルス|全仏オープン]]では日本人選手として75年ぶりにベスト16に進出するも、4回戦で第3シードの[[ラファエル・ナダル]]に4-6, 1-6, 3-6のストレートで敗退。前年欠場していた全仏オープンで4回戦進出しポイントを獲得したため、大会後のランキングでは8ヶ月ぶりに自己最高ランクを更新し13位に上昇。
 
 
 
翌週開催の[[ゲリー・ウェバー・オープン]]に第4シードで出場するも、初戦で準優勝者[[ミハイル・ユージニー]]に惜敗。しかし、昨年度の優勝者[[トミー・ハース]]が準決勝で敗退するなどして、シングルス自己最高ランキングを2週連続で更新し11位に浮上した。[[2013年ウィンブルドン選手権男子シングルス|ウィンブルドン選手権]]では3回戦での[[アンドレアス・セッピ]]とのフルセットの試合の末敗れた。
 
 
 
[[2013年全米オープン男子シングルス|全米オープン]]では1回戦で[[ダニエル・エバンス]]にストレート負けを喫した。前年優勝の[[2013年楽天ジャパン・オープン・テニス選手権 シングルス|楽天ジャパン・オープン]]では準々決勝で[[ニコラス・アルマグロ]]に敗れた。
 
 
 
12月、コーチ陣に[[マイケル・チャン]]を迎えると発表<ref>[http://www.asahi.com/articles/TKY201312110577.html 2013年12月11日マネジメント会社発表。錦織のコーチにマイケル・チャン氏 精神面を指導]</ref>。
 
 
 
=== 2014年 グランドスラム準優勝 マスターズ1000準優勝 世界ランキング5位 ATPファイナルベスト4  ===
 
[[2014年全豪オープン男子シングルス|全豪オープン]]では[[マリンコ・マトセビッチ]]、[[ドゥサン・ラヨビッチ]]、[[ドナルド・ヤング]]を破り3年連続の16強入り。4回戦では第1シードの[[ラファエル・ナダル]]と対戦してストレート負けだったが、スコアは6-7, 5-7, 6-7と3セットとも接戦を演じた<ref>[http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/tennis/all/2014/columndtl/201401210001-spnavi 錦織、ナダル戦で見せた確かな成長 全豪オープンテニス]スポーツナビ2014年1月21日</ref>。
 
 
 
2月、[[デビスカップカナダ代表|カナダ]]と対戦した[[デビスカップ2014]]の1回戦ではシングルスで2勝、ダブルス([[内山靖崇]]とペア)で1勝して、日本初の準々決勝進出に貢献した<ref>[http://news.tennis365.net/news/today/201402/99583.html 日本初8強、エース錦織「信じられない気持ち」<デビスカップ>]tennis365.net 2014年2月2日</ref>。[[全米国際インドアテニス選手権]]では、[[イボ・カロビッチ]]を破って優勝し、前年からの2連覇を達成し、ツアー通算4勝目。
 
 
 
3月、[[マイアミ・マスターズ]]に出場。3回戦で[[グリゴール・ディミトロフ]]、4回戦で[[ダビド・フェレール]]といった世界ランキング上位者に勝利。準々決勝では[[ロジャー・フェデラー]]と対戦し、3-6, 7-5, 6-4で2度目の勝利を挙げ、マイアミ初・[[マスターズ1000]]では2011年[[上海マスターズ]]以来3年ぶりのベスト4進出。準決勝では[[ノバク・ジョコビッチ]]と対戦する予定だったが、左股関節の痛みにより棄権している。
 
 
 
4月、[[バルセロナ・オープン・バンコ・サバデル]]に出場。決勝で[[サンティアゴ・ヒラルド]]と対戦し、6-2, 6-2で今大会初、ツアー通算5勝目、今季2度目の優勝を果たした<ref>[http://news.tennis365.net/news/today/201404/100268.html 【速報】錦織圭、大会初優勝、今季2勝目<バルセロナ・オープン・サバデル>]tennis365.net 2014年4月28日</ref>。同大会のシングルスは、2003年から2013年まで、開催国のスペインの選手が優勝し続けていた。
 
 
 
5月、[[2014年マドリード・マスターズ男子シングルス|マドリード・マスターズ]]に出場。準々決勝で[[フェリシアーノ・ロペス]]に6-4, 6-4で勝利し、念願の世界ランキングトップ10入りを果たした。準決勝では[[ダビド・フェレール|フェレール]]に7-6, 5-7, 6-3で勝利し、日本人初のマスターズ決勝に進出。決勝では第1シードの[[ラファエル・ナダル|ナダル]]と対戦し第1セットを奪うも、第2セット途中で負傷し6-2, 4-6, 0-3(途中棄権)で敗れる。ナダル戦初勝利、マスターズ初優勝、初の2大会連続優勝の3つを同時に達成するという快挙はならなかった<ref>[http://news.tennis365.net/news/today/201405/100401.html 【速報】錦織、無念の途中棄権で準優勝<ムチュア・マドリッド・オープン男子>]tennis365.net 2014年5月12日</ref>。大会後のランキングで自己最高位を更新し、アジア出身男子最高位に並ぶ9位となった。
 
 
 
ランキングを10位に落とし第9シードとして出場した[[2014年全仏オープン男子シングルス|全仏オープン]]では、マドリード・マスターズで負った怪我の影響もあり、1回戦で[[マルティン・クリザン]]に6-7(4), 1-6, 2-6で敗退した。
 
 
 
6月、[[ゲリー・ウェバー・オープン]]に出場。今大会初の準決勝に進出し、[[ロジャー・フェデラー|フェデラー]]と対決する。錦織はフェデラーに2度のブレークを許し、3-6, 6-7(4)のストレートで敗れ、フェデラーとの対戦結果を2勝2敗とした。
 
 
 
[[File:Nishikori WM14 (7) (14620600696).jpg|left|200px|thumb|2014年ウィンブルドン選手にて]]
 
第10シードとして出場した[[2014年ウィンブルドン選手権男子シングルス|ウィンブルドン]]では、3回戦で[[シモーネ・ボレリ]]と対戦。第5セットを3-3にしたところで日没順延となり、翌週の月曜日に再開された試合で第10ゲームをブレークして自身初となるウィンブルドンでの3回戦突破を決めた。しかし続く4回戦で第8シードの[[ミロシュ・ラオニッチ]]に6-4, 1-6, 6-7, 3-6で敗れ、[[松岡修造]]以来19年ぶりのベスト8とはならなかった。
 
 
 
7月29日より[[全米オープン (テニス)|全米オープン]]の前哨戦である[[シティ・オープン]]に第4シードで出場。初戦の2回戦で世界ランク63位の[[サム・クエリー]]と対戦し6-4, 5-7, 6-4で勝利をおさめた。3回戦の[[ルカシュ・ラツコ]]戦も6-2, 2-6, 6-3で勝利してベスト8に進出したが、大会初のベスト4をかけた準々決勝では第6シードで世界ランク14位の[[リシャール・ガスケ]]に1-6, 4-6で敗れ、またもガスケに対し初勝利とならなかった。
 
シティ・オープン終了後、右足親指の故障のため、同じく全米前哨戦のロジャーズ・カップとウエスタン・アンド・サザン・オープンを欠場して親指の嚢胞手術をし治療に専念した<ref>[http://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK10376_U4A800C1000000/ テニス錦織、足指痛で2大会欠場 「治療に専念」]日本経済新聞2014年8月4日</ref>。
 
 
 
治療明けで出場した[[2014年全米オープン男子シングルス|全米オープン]]では、1回戦で[[ウェイン・オデスニク]]に6-2, 6-4, 6-2で勝利、2回戦で[[パブロ・アンドゥハール]]に6-4, 6-1(第3セットは相手が棄権)で勝利した時点で4大大会通算33勝となり、[[佐藤次郎]]が持っていた日本人男子記録を更新した<ref>[http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2014/08/29/kiji/K20140829008831120.html 錦織 日本人最多4大大会33勝 相手棄権で3回戦進出]スポーツニッポン2014年8月29日</ref>。3回戦は第23シードの[[レオナルド・マイエル]]に6-4, 6-2, 6-3でストレート勝ちし、初出場だった2008年大会以来6年ぶり2度目のベスト16進出が決定<ref>[http://news.tennis365.net//news/today/201408/101649.html 錦織 「体力的に温存できた」]</ref>。4回戦では第5シードの[[ミロシュ・ラオニッチ|ラオニッチ]]を4-6, 7-6(4), 6-7(6), 7-5, 6-4のフルセットの末に下し、全米オープンでは自身初、日本人男子選手では[[1922年全米選手権 (テニス)|1922年]]の[[清水善造]]以来92年ぶりのベスト8進出を決めた<ref>[http://news.tennis365.net/news/today/201409/101685.html 錦織 92年ぶり快挙達成]tennis365.net2014年9月2日</ref>。ナイトセッションで行われたこの試合の試合時間は4時間19分に渡り、終了時刻は全米オープン史上最も遅い午前2時26分だった<ref>[http://www.hochi.co.jp/sports/ballsports/20140902-OHT1T50233.html 【全米テニス】錦織、日本男子92年ぶり8強!深夜の決着2時26分]スポーツ報知2014年9月3日</ref>。準々決勝も試合時間4時間15分の2試合連続フルセットの末に第3シードの[[スタニスラス・ワウリンカ]]を3-6, 7-5, 7-6(7), 6-7(5), 6-4で下し、4大大会では自身初、日本人男子選手としては[[1918年全米選手権 (テニス)|1918年]]の[[熊谷一弥]]以来96年ぶり、4大大会でも[[1933年ウィンブルドン選手権]]の[[佐藤次郎]]以来81年ぶりとなるベスト4進出を決めた<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASG943CX0G94ULZU00C.html 錦織、もつれるほど燃える男 また4時間超え死闘制す] - 稲垣康介、朝日新聞デジタル、2014年9月4日</ref><ref>[http://www.cnn.co.jp/showbiz/35053347.html 錦織、大接戦制し4強 日本男子96年ぶり 全米テニス] - CNN Japan、2014年9月4日</ref>。準決勝では世界ランク1位の[[ノバク・ジョコビッチ]]を相手に、6-4, 1-6, 7-6(4), 6-3で勝利し、シングルスでは男女通じて日本人初、男子に限ればアジア出身選手初の'''[[グランドスラム (テニス)|グランドスラム]]決勝進出'''を果たす。(なお、アジア系外国人という解釈まで広げれば、冒頭の記載の通り、台湾系米国人の[[マイケル・チャン]]が、グランドスラムの[[全仏オープン]]優勝(史上最年少)、[[全米オープン (テニス)|全米オープン]]準優勝、[[全豪オープン]]準優勝と、グランドスラムのうち3大会での初の決勝進出と、うち[[全仏オープン]]の優勝を果たしている)。その決勝は第14シードの[[マリン・チリッチ]]と対戦したが3-6, 3-6, 3-6のストレートで敗退。優勝は逃したものの、自身が同年5月に記録したアジア出身男子選手の世界ランク最高位記録9位を超え8位以上となることが確定した<ref>{{Cite web|date=2014-09-07|url=http://news.tennis365.net/news/today/201409/101753.html|title=錦織 アジア人初の8位確定|newspaper=tennis365.net|publisher=Fubic Corporation||accessdate=2014-09-08}}</ref><ref>アジア人女子選手では中国の[[李娜]]が2014年2月に2位にランキングされている</ref>。
 
 
 
全米オープン後、初のツアー大会となった[[2014年マレーシア・オープン・クアラルンプール シングルス|マレーシア・オープン・クアラルンプール]]では第1シードで出場。順当に決勝まで勝ち進み、決勝では第4シードの[[ジュリアン・ベネトー]]相手に7-6(4), 6-4で勝利、大会初優勝またシーズン3勝目、ツアー通算6勝目を達成し、翌週に発表されたランキングでは自己最高位を更新する7位に浮上した。
 
 
 
そして、初の2週連続優勝がかかった母国開催の[[2014年楽天ジャパン・オープン・テニス選手権 シングルス|楽天ジャパン・オープン]]では初戦からシード勢が次々と敗退していくなか、第4シードの錦織は1セットも落とさず準決勝に進出。その準決勝では[[ベンヤミン・ベッカー]]に4-6, 6-0, 7-6(2)で勝利し決勝に進出。決勝では第3シードの[[ミロシュ・ラオニッチ|ラオニッチ]]と今季4度目の対戦。7-6(5), 4-6, 6-4で勝って2年ぶり2度目の優勝を果たした。これにより[[マレーシア・オープン・クアラルンプール]]から2週連続の大会制覇となり日本男女を含めても初の快挙となり10月6日発表の自己の世界ランキングを再び更新する6位となった。
 
 
 
10月、[[上海マスターズ]]の怪我と連日の疲れから[[バレンシア・オープン]]も欠場し、迎えた[[BNPパリバ・マスターズ]]準々決勝では第4シードの[[ダビド・フェレール|フェレール]]と対戦し、3-6, 7-6(5), 6-4で勝利して大会初のベスト4進出。そして、2014年ATPレース・ランキングにおいて、[[グランドスラム (テニス)|グランドスラム]]準優勝、[[マスターズ1000]]準優勝とベスト4が2回、[[ATPワールドツアー・500シリーズ|500シリーズ]]優勝2回に[[ATPワールドツアー・250シリーズ|250シリーズ]]優勝2回など合計4625ポイント獲得し、世界第5位の成績で'''アジア出身男子初'''の[[ATPワールドツアー・ファイナル]]出場が決まった。
 
 
 
11月の[[2014年ATPワールドツアー・ファイナル|ワールドツアー・ファイナル]]は[[ラファエル・ナダル|ナダル]]が欠場したため第4シードで出場。ラウンドロビンB組第1戦では、過去の対戦で1度も勝利がなかった[[アンディ・マリー]]に6-4, 6-4で初勝利。第2戦では[[ロジャー・フェデラー|フェデラー]]に3-6, 2-6で敗れたものの、[[ダビド・フェレール|フェレール]](第8シードの[[ミロシュ・ラオニッチ|ラオニッチ]]の棄権による代替出場)に4-6, 6-4, 6-1で勝利し、B組2位で準決勝に進出。準決勝ではA組を3戦全勝で1位通過した世界ランキング1位[[ノバク・ジョコビッチ]]と対戦。この大会全試合ストレート勝ちしていた[[ノバク・ジョコビッチ|ジョコビッチ]]から1セットをとり健闘したが、1-6, 6-3, 0-6で敗れファイナル初出場での決勝進出とはならなかった。[[男子プロテニス協会|ATP]]の年間最終ランキングは[[ノバク・ジョコビッチ|ジョコビッチ]]、[[ロジャー・フェデラー|フェデラー]]、[[ラファエル・ナダル|ナダル]]、[[スタン・ワウリンカ|ワウリンカ]]に次ぐ自己最高の'''5位'''。
 
 
 
この結果、シーズン通算54勝14敗(勝率.794)で年内の世界ランキング5位が確定。2014年の獲得賞金額は443万9218ドルで世界6位となる<ref>[http://number.bunshun.jp/articles/-/822318 錦織圭の獲得賞金。{{~}}日本人史上最高の400万ドル超え{{~}}]</ref>。また、2014年シーズンのセカンドサーブリターンポイント獲得率53%、リターンゲーム勝率28%がツアー6位にランクインされた<ref>http://www.atpworldtour.com/Rankings/MatchFacts.aspx</ref>。
 
 
 
=== 2015年 世界ランキング4位 アジア人初の生涯獲得賞金1,000万ドル突破 ===
 
[[File:Australian Open 2015 (16190285980).jpg|left|200px|thumb|2015年全豪オープンにて]]
 
1月、[[ブリスベン国際]]では[[アレクサンドル・ドルゴポロフ]]とダブルスに出場し、ダブルスでは初の[[ATPツアー]]決勝進出を果たした。(結果は準優勝) 第2シードで出場したシングルスではベスト4に進出。[[2015年全豪オープン男子シングルス|全豪オープン]]は第5シードで臨み、[[ニコラス・アルマグロ]]、[[イワン・ドディグ]]、[[スティーブ・ジョンソン (テニス選手)|スティーブ・ジョンソン]]、[[ダビド・フェレール|フェレール]]を倒し全豪では3年ぶり2度目、4大大会では3度目のベスト8に進出。落としたセットを2つに抑えた好調な試合を続けていたが、昨年全豪覇者の[[スタン・ワウリンカ]]に3-6, 4-6, 6-7(6)でストレート負けを喫し、自身初の全豪オープンベスト4入りはならなかった。
 
 
 
2月、[[2015年メンフィス・オープン シングルス|メンフィス・オープン]]では決勝までの全ての試合を逆転勝ちしたが、決勝では[[ケビン・アンダーソン]]を6-4, 6-4のストレートで下して自身初(大会としても初めて)の3連覇を果たした。[[アビエルト・メキシコ・テルセル]]では1回戦で[[アレハンドロ・ゴンサレス]]に勝利し、ATPツアー通算200勝を挙げた。準決勝では世界ランク15位で第4シードの[[ケビン・アンダーソン]]に勝利し決勝進出。この時点で3月2日発表の世界ランキングで自己最高の'''4位'''になることが確定した。決勝戦では大会前から発症していたインフルエンザの影響もあり第2シードの[[ダビド・フェレール|フェレール]]に3-6, 5-7のストレートで負け、フェレールへの連勝記録も5で止まる形になってしまった。
 
 
 
3月、[[デビスカップ2015|デビスカップワールドグループ1回戦]][[デビスカップカナダ代表|カナダ]]戦はシングルス2試合に出場し[[バセク・ポスピシル]]、[[ミロシュ・ラオニッチ|ラオニッチ]]に勝利するも、日本チームは2勝3敗で敗退した。3月18日、[[BNPパリバ・オープン]]では自己大会記録の4回戦に進出するも[[フェリシアーノ・ロペス]]に敗れた。3月24日から始まる[[マイアミ・マスターズ]]では[[ロジャー・フェデラー|フェデラー]]が欠場のため[[マスターズ1000]]では自身初となる第4シードでの出場となった。準々決勝まで進出するも[[ジョン・イズナー]]に敗れた。
 
 
 
4月、前回優勝した[[2015年バルセロナ・オープン・バンコ・サバデル男子シングルス|バルセロナ・オープン]]では第1シードで出場。決勝で[[パブロ・アンドゥハル]]に勝利し2連覇。また、ATPツアー優勝9回は[[クルム伊達公子]]を抜き日本人最多記録。5月、前回準優勝の[[マドリード・オープン]]では[[ダビド・フェレール|フェレール]]らを破りベスト4に進出するも[[アンディ・マリー|マレー]]に敗れた。[[BNLイタリア国際]]では初の準々決勝に進出するが第1シード[[ノバク・ジョコビッチ|ジョコビッチ]]に3-6, 6-3, 1-6で敗れた。
 
 
 
[[File:Nishikori RG15 (26) (18686558653).jpg|right|200px|thumb|2015年全仏オープンにて]]
 
[[2015年全仏オープン男子シングルス|全仏オープン]]は第5シードで出場。4回戦で[[ティムラズ・ガバシュビリ]]に勝利し、全仏男子シングルスで日本人としては[[1933年全仏選手権 (テニス)|1933年]]の[[佐藤次郎]]以来82年ぶりの準々決勝進出を果たした。準々決勝では第4シードの[[トマーシュ・ベルディハ]]を倒して勝ち上がってきた第14シードの[[ジョー=ウィルフリード・ツォンガ]]に1-6, 4-6, 6-4, 6-3, 3-6の4時間に及ぶフルセットで敗れ、自身初の全仏ベスト4とはならなかった。6月10日、[[フォーブス (雑誌)|フォーブス]]が発表する「世界で最も稼ぐスポーツ選手」2015年版ランキングで92位にランクインした(1950万ドル, 約23億円)。日本人では[[田中将大]](58位)に次ぐ2位<ref>[http://www.forbes.com/athletes/list/3/#tab:overall The World's Highest-Paid Athletes 2015 RANKING]
 
</ref>。6月22日、獲得賞金ランキングが発表され1,914,692ドル(約2億3千万円)で前回と同じく7位となった。
 
全仏オープン後の初戦となった[[ゲリー・ウェバー・オープン]]では[[ロジャー・フェデラー]]に次ぐ第2シードとして出場。準々決勝での[[イェジ・ヤノビッチ]]戦でフルセットの末勝ち上がりはしたものの、左ふくらはぎの筋膜炎を試合後に発症させ、準決勝での[[アンドレアス・セッピ]]戦で第1セット1-4となったところで棄権を申し入れた。そして、体調を不安視されて迎えた[[2015年ウィンブルドン選手権男子シングルス|ウィンブルドン選手権]]では日本男子、そして自身最高位の第5シードで出場し、初戦の[[シモーネ・ボレッリ]]を3時間超のフルセットで下した。この勝利により、[[松岡修造]]の持つウィンブルドン選手権での通算7勝を更新して日本人歴代最多記録とし、同時に生涯獲得賞金としてもアジア選手初の1,000万ドル(約12億円)突破を果たした。同大会2回戦は[[サンティアゴ・ヒラルド]]との対戦であったが、負傷箇所が悪化して棄権を申し入れた。なお、アジアの国出身ではないものの、アジア系外国人の選手の間では、アジア系(台湾系)米国人の[[マイケル・チャン]]が、初の生涯獲得賞金1,000万ドル突破を果たした。
 
 
 
怪我明けの[[2015年シティ・オープン男子シングルス|シティ・オープン]]では第2シードとして出場、準決勝で[[2014年全米オープン男子シングルス|前年の全米オープン]]の決勝で敗れた[[マリン・チリッチ|チリッチ]]に3-6, 6–1, 6-4で勝利し、雪辱を果たした。また決勝では、同年の[[マイアミ・オープン]]準々決勝で敗れた[[ジョン・イスナー|イズナー]]に4-6, 6-4, 6-4で勝利し、雪辱を果たし、シティ・オープン初優勝を飾った。この勝利により8月10日発表の世界ランキングで自己最高タイの4位に復帰した。[[ロジャーズ・カップ]]では第4シードで出場し、準々決勝で過去0勝7敗の[[ラファエル・ナダル|ナダル]]に6-2, 6-4のストレートで初勝利を飾る。しかし準決勝で[[アンディ・マリー|マレー]]には連戦の疲労蓄積で左臀部を痛めた影響もあり3-6, 0-6で敗れ、そのため翌週の[[シンシナティ・マスターズ]]は[[2015年全米オープン (テニス)|全米オープン]]を見越し体力回復を努めるため欠場した。そのシンシナティ・マスターズで[[スタン・ワウリンカ]]が[[ノバク・ジョコビッチ|ジョコビッチ]]に敗れたため、全米オープンでグランドスラムでは日本人初となる'''第4シード'''が確定した<ref>{{cite web|url=http://www.nikkansports.com/sports/news/1527056.html|title=錦織、全米OP第4シード確実 4大大会日本人最高
 
|work=[[日刊スポーツ]]|accessdate=2015-8-23}}</ref>。しかしながら自身も好調と語り臨んだ[[2015年全米オープン男子シングルス|全米オープン]]では、初戦で[[ブノワ・ペール]]に対して、2度のマッチポイントを握りながらも4-6,6-3, 6-4, 6-7(6), 4-6とまさかの敗戦。前年度に準優勝した大会で、初日に初戦敗退という結果となってしまった<ref>{{cite web|url=http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/08/31/kiji/K20150831011045780.html|work=[[スポーツニッポン]]|title=錦織圭、まさかの初戦敗退…マッチポイント握りながらペアに屈す|accessdate=20150901}}</ref>。
 
 
 
9月、[[デビスカップ2015|デビスカップ・ワールドグループ・プレーオフ]]の[[デビスカップコロンビア代表|コロンビア]]戦に自身初の最年長として選出された。18日のシングルス第2戦では[[アレハンドロ・ファジャ]]に7-6, 7-6, 7-5で勝利。19日に行われたダブルスを落として後がなくなった日本だったが、20日のシングルスで錦織と[[ダニエル太郎]]が勝利してワールドグループ残留を果たした。
 
 
 
連覇を目指した[[2015年楽天ジャパン・オープン・テニス選手権 シングルス|楽天ジャパン・オープン]]では準決勝に進出するも、再び[[ブノワ・ペール]]に敗れた。[[上海マスターズ]]では3回戦で[[ケビン・アンダーソン]]に敗れた。[[スイス・インドア]]は肩の怪我のため欠場したが、同大会でレースランキング9位の[[リシャール・ガスケ]]が[[ラファエル・ナダル|ナダル]]に敗れ、ポイントで錦織を上回れなくなったため、2年連続の[[ATPワールドツアー・ファイナル]]出場が決まった。翌週の[[BNPパリバ・マスターズ]]では3回戦で過去5戦全敗の[[リシャール・ガスケ|ガスケ]]と対戦。6-7(3), 1-4の第2セット第6ゲーム途中で棄権。対ガスケ初勝利はまたしてもならなかった。
 
 
 
11月、2年連続出場の[[2015年ATPワールドツアー・ファイナル|ATPワールドツアー・ファイナル]]では、初戦で[[ノバク・ジョコビッチ|ジョコビッチ]]に1-6, 1-6で完敗した。第2戦では[[トマーシュ・ベルディハ]]に7-5, 3-6, 6-3で2時間23分の激戦を制した。最終戦では[[ロジャー・フェデラー|フェデラー]]から第2セットで1-4から5ゲーム連取して第2セットを取るなど、2時間10分の大接戦を繰り広げるも5-7, 6-4, 4-6で敗れ、準決勝進出はならず今シーズンが終了した。年間最終ランキングは8位。
 
 
 
シーズン終了後にATPの公式サイトで行われた投票によって、8月のロジャース・カップ3回戦の[[ダビド・ゴファン]]戦でのゴファンの頭上を抜いた股抜きロブが2015年のベストプレーに選出された<ref>{{cite web|url=http://www.atpworldtour.com/en/news/best-hot-shot-2015-federer-nishikori|work=[[男子プロテニス協会|ATP]]|title=Nishikori Tweener Voted Best Play Of 2015|accessdate=20160103}}</ref>。
 
 
 
=== 2016年 リオデジャネイロ五輪銅メダル獲得、全米オープンベスト4、年間勝利数世界3位===
 
{{wikinews|テニス男子シングルス・錦織圭選手が銅メダル獲得、日本勢96年ぶり - リオデジャネイロオリンピック10日目|date=2016年8月15日}}
 
年初の[[ブリスベン国際]]では単複両方に出場。シングルスでは第2シードで出場し、準々決勝で[[バーナード・トミック]]に3-6, 6-1, 3-6で敗れた。タブルスでは同大会で3年ぶりに[[グリゴール・ディミトロフ]]と組んで参戦。準々決勝に進出し、[[2015年全米オープン男子ダブルス|2015年全米オープン]]優勝ペアの[[ピエール=ユーグ・エルベール|エルベール]]/[[ニコラ・マユ|マユ]]組に4-6, 6-1, [10-7]で勝利し2年連続で準決勝に進出したが、準決勝は棄権した。
 
 
 
[[2016年全豪オープン男子シングルス|全豪オープン]]には第7シードで出場。4回戦で[[ジョー=ウィルフリード・ツォンガ|ツォンガ]]に6-4, 6-2, 6-4で初めてのストレート勝ちで快勝し2年連続の準々決勝進出。この試合で全豪通算20勝目をあげ、日本人男女通じて最多となった<ref>{{cite web|url=http://www.nikkansports.com/sports/news/1596191.html|work=[[日刊スポーツ]]|title=錦織圭が全豪20勝 圧倒し「最高のフィニッシュ」|accessdate=20160124}}</ref>。準々決勝では[[ノバク・ジョコビッチ|ジョコビッチ]]に3-6, 2-6, 4-6で敗れた。
 
 
 
2月の[[2016年メンフィス・オープン シングルス|メンフィス・オープン]]では決勝で18歳の若手の[[テイラー・フリッツ]]を6-4, 6-4で破り大会初の4連覇を達成。2週間後の[[メキシコ・オープン]]では2回戦で[[サム・クエリー|クエリー]]に4-6, 3-6で敗れた。[[デビスカップ2016|デビスカップ]]では1回戦で前年優勝国の[[デビスカップイギリス代表|イギリス代表]]と対戦。第2戦で[[ダニエル・エバンス]]に6-3, 7-5, 7-6(3)で勝利。第4戦では[[アンディ・マリー|マリー]]と対戦し、第1,2セットを連取されるも、第3,4セットを取り返しフルセットへ持ち込んだ。しかし、第5セットを取られ、5-7, 6-7(6), 6-3, 6-4, 3-6の4時間54分で敗れた。
 
 
 
3月の[[BNPパリバ・オープン]]では4回戦で地元の[[ジョン・イズナー]]を1-6, 7-6(2), 7-6(5)で破り、初の準々決勝進出。準々決勝で[[ラファエル・ナダル]]と対戦し、4-6, 3-6で敗れた。続く[[2016年マイアミ・マスターズ男子シングルス|マイアミ・オープン]]では準々決勝で[[ガエル・モンフィス]]に5度のマッチポイントを握られながら、4-6, 6-3, 7-6(3)の接戦を制し、2年ぶりのベスト4進出。準決勝で[[ニック・キリオス]]に6-3, 7-5で勝利し、自身2度目のマスターズ決勝に進出。決勝で[[ノバク・ジョコビッチ]]と対戦し3-6, 3-6で敗れ、マスターズ初優勝はならなかった。
 
 
 
4月の[[バルセロナ・オープン]]では準決勝で[[2015年全米オープン男子シングルス|2015年全米オープン]]、[[2015年楽天ジャパン・オープン・テニス選手権 シングルス|ジャパン・オープン]]で連敗していた[[ブノワ・ペール]]に6-3, 6-2で勝利し、3年連続の決勝進出を果たす。決勝では[[ラファエル・ナダル|ナダル]]に4-6, 5-7で敗れ、3連覇はならなかった。
 
 
 
5月の[[マドリード・オープン]]では過去6戦全敗の[[リシャール・ガスケ]]に苦戦しながらも6-4, 7-5で初勝利を挙げ、同大会4年連続のベスト8入りを果たす。準々決勝では[[ニック・キリオス|キリオス]]との6-7(6), 7-6(1), 6-3の2時間38分の激戦に勝利し、3年連続のベスト4進出を果たす。準決勝で[[ノバク・ジョコビッチ|ジョコビッチ]]に3-6, 6-7(4)で敗れた。翌週の[[BNLイタリア国際]]では3回戦で再び[[リシャール・ガスケ|ガスケ]]に6-1, 6-4で連勝すると、準々決勝で[[ドミニク・ティーム]]に6-3, 7-5で勝利し、イタリア国際では初めてベスト4進出を果たす。準決勝で[[ノバク・ジョコビッチ|ジョコビッチ]]から1年ぶりにセットを取るも、6-2, 4-6, 6-7(5)で惜敗した。[[2016年全仏オープン男子シングルス|全仏オープン]]では3回戦で[[フェルナンド・ベルダスコ]]に6-3, 6-4, 3-6, 2-6, 6-4のフルセットで勝利したが、4回戦で[[リシャール・ガスケ|ガスケ]]に4-6, 2-6, 6-4, 4-6で敗れ、ベスト8を逃した。
 
 
 
[[File:Nishikori WM16 (12) (28385808436).jpg|right|200px|thumb|[[2016年ウィンブルドン選手権]]にて]]
 
6月、芝シーズンに入っての[[ゲリー・ウェバー・オープン]]では初戦[[リュカ・プイユ]]に勝利するも2回戦は脇腹の痛みのため試合前に棄権した。翌週エキジビジョンで[[リシャール・ガスケ]]に6-2, 6-1で勝利<ref>{{cite web|url=http://www.sankei.com/sports/news/160624/spo1606240002-n1.html|work=[[産経ニュース]]|title=錦織、左脇腹痛から回復へ ガスケにエキシビションで快勝|accessdate=20160703}}</ref>。[[2016年ウィンブルドン選手権男子シングルス|ウィンブルドン選手権]]では1回戦で脇腹についてメディカル・タイムアウトを取るも、その後は順調に勝ち上がり、2年ぶりに4回戦進出。4回戦では[[マリン・チリッチ|チリッチ]]と対戦したが、脇腹の痛みが悪化し第2セット途中で棄権した。
 
 
 
7月、怪我明けの[[2016年ロジャーズ・カップ男子シングルス|ロジャーズ・カップ]]では、準決勝で[[スタン・ワウリンカ]]を7-6(6), 6-1で破り、当シーズン2度目のマスターズの決勝進出を果たした。決勝では[[ノバク・ジョコビッチ|ジョコビッチ]]に3-6, 5-7で敗れた。
 
 
 
8月、[[2016年リオデジャネイロオリンピックのテニス競技|リオデジャネイロオリンピック]]では[[2016年リオデジャネイロオリンピックのテニス競技・男子シングルス|シングルス]]でロンドンオリンピックに続きベスト8入りすると、準々決勝で[[ガエル・モンフィス|モンフィス]]との2時間53分の死闘を7-6(4), 4-6, 7-6(6)で制しベスト4に進出。続く準決勝では[[アンディ・マリー|マリー]]に1-6, 4-6で敗れたものの、3位決定戦で[[ラファエル・ナダル|ナダル]]と対戦し、フルセットの末6-2, 6-7(1), 6-3で制して'''[[銅メダル]]'''を獲得した。オリンピックテニス競技での日本人によるメダルは、[[1920年]]の[[1920年アントワープオリンピックのテニス競技|アントワープオリンピック]]で[[熊谷一弥]]が[[銀メダル]]を単・複で2つ(ダブルスは[[柏尾誠一郎]]と)獲得して以来、実に96年ぶりの快挙となる。翌週の[[シンシナティ・マスターズ]]では3回戦で[[バーナード・トミック]]に6-7(1), 6-7(5)で敗れた。[[ロジャーズ・カップ]]と[[シンシナティ・マスターズ]]での成績によって、[[全米オープンシリーズ]]で85ポイント獲得し、初優勝を果たした<ref>{{cite web|url=http://www.atpworldtour.com/en/news/nishikori-claims-us-open-series-bonus-challenge-2016|work=[[男子プロテニス協会|ATP]]|title=Nishikori Bags Bonus In US Open Series|accessdate=20160902}}</ref>。
 
 
 
9月、[[2016年全米オープン男子シングルス|全米オープン]]では2年ぶりにベスト8に進出。準々決勝では[[アンディ・マリー|マレー]]と3時間57分の激戦の末、1-6, 6-4, 4-6, 6-1, 7-5で勝利し、グランドスラムで2年ぶりのベスト4進出を果たす。準決勝では[[スタン・ワウリンカ]]に6-4, 5-7, 4-6, 2-6で敗れ、決勝進出はならなかった。大会後のランキングで1年ぶりに5位に復帰する。[[デビスカップ2016|デビスカップワールドグループ・プレーオフ]]の[[デビスカップウクライナ代表|ウクライナ]]戦では第3試合のダブルスに[[杉田祐一]]と組んで出場。[[アルテム・スミルノフ|スミルノフ]]/[[セルジー・スタホフスキー|スタホフスキー]]組に6-3, 6-0, 6-3で勝利し、[[デビスカップ日本代表|日本]]のワールドグループ残留に貢献した。
 
 
 
10月の[[2016年楽天ジャパン・オープン・テニス選手権|楽天ジャパン・オープン]]では2回戦で臀部の負傷で棄権し、翌週の[[上海マスターズ]]も欠場した。なお、同月には3年連続の[[ATPワールドツアー・ファイナル]]への出場決定。[[スイス・インドア]]で復帰すると、準々決勝で過去4戦全敗の[[フアン・マルティン・デル・ポトロ]]に7-5, 6-4で初勝利を挙げた。その後決勝に進出するも[[マリン・チリッチ|チリッチ]]に1-6, 6-7(5)で敗れ、準優勝となったが世界ランキングで自己最高の4位に復帰を果たした。[[BNPパリバ・マスターズ]]では2回戦で[[ビクトル・トロイツキ]]に勝利しツアー通算300勝を達成<ref>{{cite web|url=http://www.atpworldtour.com/en/news/nishikori-goffin-cilic-pouille-paris-2016-wednesday|work=[[男子プロテニス協会|ATP]]|title=Nishikori Claims 300th Win|accessdate=20170219}}</ref>。3回戦で[[ジョー=ウィルフリード・ツォンガ|ツォンガ]]に2度のマッチポイントを握るも、6-0, 3-6, 6-7(3)で惜敗した。
 
 
 
3度目の出場となる[[2016年ATPワールドツアー・ファイナル|ATPワールドツアー・ファイナル]]には第5シードで出場。初戦は[[スタン・ワウリンカ|ワウリンカ]]に6-2, 6-3で快勝。2戦目の[[アンディ・マリー|マリー]]戦では7-6, 4-6, 4-6の3時間20分の接戦の末敗れた。第3戦を前に準決勝進出が確定。第3戦では[[マリン・チリッチ|チリッチ]]に6-3, 2-6, 3-6で敗れた。2年ぶりの準決勝では[[ノバク・ジョコビッチ|ジョコビッチ]]に1-6, 1-6で敗れた。年間最終ランキングは5位。また、年間勝利数においては[[アンディ・マリー|マリー]]の69勝、[[ノバク・ジョコビッチ|ジョコビッチ]]の63勝に次ぐ、3位の58勝という位置につけて同シーズンを終えた。
 
 
 
=== 2017年 不調と怪我・トップ10陥落・ツアーからの離脱 ===
 
年初の[[ブリスベン国際]]では単複両方に出場した。ダブルスでは[[ドミニク・ティエム]]とペアを組み、1回戦で[[2016年ATPワールドツアー・ファイナル]]で優勝ペアの第2シード[[ヘンリ・コンティネン|コンティネン]]/[[ジョン・ピアース|ピアーズ]]組を1-6,6-3,[12-10]で破り準々決勝に進出したが、準々決勝で[[ジレ・ミュラー|ミュラー]]/[[サム・クエリー|クエリー]]組に敗れた。シングルスでは準決勝で[[スタン・ワウリンカ|ワウリンカ]]を7-6(3), 6-3で破り決勝に進出。決勝では[[グリゴール・ディミトロフ]]に2-6,6-2,3-6で敗れ、準優勝となった。
 
 
 
[[2017年全豪オープン男子シングルス|全豪オープン]]には第5シードで出場。4回戦で[[ロジャー・フェデラー]]と[[グランドスラム (テニス)|グランドスラム]]で初めて対戦。フルセットの末7-6(4), 4-6, 1-6, 6-4, 3-6で敗れた。[[アルゼンチン・オープン]]では決勝で[[アレクサンドル・ドルゴポロフ]]に6-7(4), 4-6で敗れ準優勝。翌週の[[リオ・オープン]]では初戦で世界ランキング76位の[[トマス・ベルッシ]]に4-6, 3-6のストレートで敗れた。第2シードとして出場した[[BNPパリバ・オープン]]では[[ジャック・ソック]]に、[[マイアミ・オープン]]では[[ファビオ・フォニーニ]]にどちらも準々決勝で敗れベスト8で終わった。
 
 
 
[[ムチュア・マドリード・オープン]]では3回戦で[[ダビド・フェレール]]に勝利。しかし次の[[ノバク・ジョコビッチ]]戦を前に手首の痛みを理由に棄権した。[[BNLイタリア国際]]では2回戦でまたもフェレールを破るが、3回戦で[[フアン・マルティン・デル・ポトロ]]に6-7,3-6で敗退した。[[全仏オープン]]では3回戦で[[鄭現]]との第4セットの途中で雨で試合中断となり次の日に持ち越しとなった。この試合はフルセットで勝利している。続く4回戦は[[フェルナンド・ベルダスコ]]に第1セットを0-6で奪われるもののその後逆転、最終ゲームは6-0で勝利した。2年ぶりの準々決勝では世界ランキング1位の[[アンディ・マリー]]に6-2,1-6,6-7,1-6で敗れてベスト8敗退となった。
 
 
 
[[2017年ウィンブルドン選手権男子シングルス|ウィンブルドン選手権]]の前哨戦にあたるATP500の[[ゲリー・ウェバー・オープン]]では2回戦で腰に違和感を訴えて途中棄権し体調が心配されたが、ウィンブルドン選手権では1回戦をストレート勝ちし完全復帰した。しかし、3回戦で対戦成績5戦5勝の[[ロベルト・バウティスタ・アグート]]に4-6,7-6,6-3,3-6で敗れ、2年連続の4回戦進出はならなかった。[[シティ・オープン]]では2回戦でデル・ポトロに6-4,7-5で2度目の勝利、リベンジを果たす。しかし準決勝では第5シードの若手[[アレクサンダー・ズベレフ]]に初めての敗退を喫した。[[ロジャーズ・カップ]]では2回戦でこれまで全勝の[[ガエル・モンフィス]]に敗退。この試合は後にATPが2017年の大逆転勝利ベスト5マッチの第2位として選定した。
 
 
 
その後再び手首の痛みを訴え、[[ウエスタン・アンド・サザン・オープン]]を欠場。検査の結果尺側手根伸筋腱の部分断裂と診断され、[[全米オープン (テニス)|全米オープン]]を含めた今後の2017年シーズン全休を発表<ref>{{cite web|url=https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2017/08/17/kiji/20170816s00028000340000c.html|work=[[スポーツニッポン]]|title=錦織 今季残り全休 右手首腱部分断裂、選手生活大きな岐路に|accessdate=20180105}}</ref>。これはジョコビッチ、ワウリンカに次ぎTOP10のうち3人目の全休発表であった。年最終ランキングは22位に後退。
 
 
 
=== 2018年 ツアー復帰 4度目のマスターズ1000準優勝 ウィンブルドンベスト8 ===
 
前年からの怪我の影響でエントリーしていた[[ブリスベン国際]]、[[シドニー国際]]の欠場を発表。更に1月4日、[[2018年全豪オープン男子シングルス|全豪オープン]]について、公式アプリで「リハビリは順調だが、5セットマッチを戦い抜く準備はまだ100%はできていない」とのコメントを発表し、欠場の意向を明らかにした<ref>{{cite web|url=http://sp.yomiuri.co.jp/sports/etc/20180104-OYT1T50020.html|work=[[YOMIURI ONLINE]]|title=錦織が全豪欠場へ…「5セットマッチ戦えない」|accessdate=20180104}}</ref>。
 
 
 
1月23日、[[ATPチャレンジャーツアー]]のATPチャレンジャーニューポートビーチで第1シードとして出場し復帰戦に挑む。しかし1回戦で世界ランキング238位の[[デニス・ノビコフ]]にフルセットの末敗退し、黒星での復帰戦となった。翌週、再びチャレンジャーツアーのRBCテニスチャンピオンシップス・ オブ・ダラスに出場し1回戦でノビコフに対しストレート勝利でリベンジに成功。決勝では、[[マッケンジー・マクドナルド]]との初対戦をストレートで制し7年ぶりのATPチャレンジャーツアー優勝となった。
 
 
 
2月、[[ニューヨーク・オープン]]で第5シードとしてATPツアーに半年ぶりの復帰。ベスト4に入ったものの準決勝で第1シードの[[ケビン・アンダーソン]]に1-6,6-3,6-7で敗れた。[[メキシコ・オープン]]では初戦で[[デニス・シャポバロフ]]との初対戦に敗れた。[[BNPパリバ・オープン]]では初戦の前に風邪による棄権を発表した。[[マイアミ・オープン]]では第5シード[[フアン・マルティン・デル・ポトロ]]との3回戦にストレートで敗退した。
 
 
 
6年ぶりの[[モンテカルロ・マスターズ]]ではノーシードでの出場となったが、1回戦で第12シード・世界ランキング18位[[トマーシュ・ベルディハ]]に勝利し1年3ヶ月ぶりの対トップ20勝利を成し遂げ、そのまま準々決勝に進出。準々決勝では第2シード[[マリン・チリッチ]]、準決勝では第3シード[[アレクサンダー・ズベレフ]]といった強豪をフルセットで倒し、2016年[[ロジャーズ・カップ]]以来となるマスターズ1000決勝進出。決勝では第1シード[[ラファエル・ナダル]]に3-6,2-6で敗れたが、復活を印象付ける大会となった。しかし[[ムチュア・マドリード・オープン]]では初戦で[[ノバク・ジョコビッチ]]と対戦し敗北、対ジョコビッチ11連敗を喫することとなった。[[BNLイタリア国際]]では2回戦で第3シードの[[グリゴール・ディミトロフ]]をフルセットの末破ったが、準々決勝でまたしてもジョコビッチに敗れた。全仏オープンでは2回戦でブノワ・ペールに先に2セットを奪われるも、フルセットで勝利。3回戦で[[ジル・シモン]]に6-3,6-1,6-3で完勝した。4回戦で第7シードの[[ドミニク・ティエム]]に2-6,0-6,7-5,4-6で敗れた。
 
 
 
[[2018年ウィンブルドン選手権男子シングルス|ウィンブルドン選手権]]では、第24シードで出場し、3回戦で第15シード[[ニック・キリオス]]にストレートで圧勝。さらに4回戦で元世界10位の[[エルネスツ・ガルビス]]を4-6,7-6(5),7-6(10),6-1で破り、自身初のウィンブルドンベスト8、これで全ての四大大会でのベスト8を達成。しかし準々決勝ではジョコビッチに3-6,6-3,2-6,2-6で敗れた。
 
 
 
==プレースタイル==
 
世界屈指と言われるリターン、足の速さ、スイングスピードを持つオフェンシブ・ベースライナー。最終セットの勝率に関しては、2014年は87.5%(21勝3敗、うち5セットでは4勝0敗)、キャリアを通しても79.8%で、歴代選手トップの記録を誇る<ref>{{cite web|url=http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/tennis/all/2014/columndtl/201411160002-spnavi?page=2 |title=錦織圭、小さな体で世界を魅了した1年テクニック、勝負強さ――躍進の要因は?|accessdate=2014年11月18日 |author=山口奈緒美}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.atpworldtour.com/News/Tennis/2014/12/50/FedEx-2014-Best-Under-Pressure.aspx |title=FedEx ATP Performance Zone: 2014 Best Under Pressure - Tennis - ATP World Tour|accessdate=2015年4月25日}}</ref>。
 
 
 
バリエーション豊かなショットと相手との間合いを詰めた速い返球で、相手の考える時間、予備動作の時間、スイングの準備時間をどんどん奪っていく。ストロークを重ねるごとに有利な形を作り出し、後手に回った相手を精神的に追い詰めていく<ref>{{cite web|url=http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/tennis/all/2014/columndtl/201411160005-spnavi |title=技術面から見る錦織圭の強さの秘密もはや常識となったテニスの新潮流とは?|accessdate=2014年11月18日 |author=坂井利彰}}</ref>。
 
 
 
ライジングなどの早いタイミングのショットを多用する速攻、様子の探り合いを省略したスピード決戦で浅いボールを見逃さず前に出て打ち込んでいく。また、ほとんどベースラインから下がらず、多くのボールを早いタイミングで処理することで、自分の守備エリアを狭めると同時に相手の時間を奪い、攻撃的にプレーしている<ref name="number869">『Number』869号(2015年1月22日号)</ref>。
 
 
 
フットワークと予測力を活かしたコートカバーリングにも優れており、遠くのボールに追いつき、カウンターショットを決めることができる<ref>[http://hotshot.jp/enjoy/9210]</ref>。正確で多彩なバックハンドショットも大きな武器となっている。2014年『ニューヨークタイムズ』誌に掲載された「識者たちが選ぶショット別ベストプレイヤー」では、「ベスト・ダブルバックハンド」部門で4位に食い込んだ<ref>。[http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/otherballgame/2015/03/30/post_407/index.php]</ref>。新たなウイニングショットとも言える、バックスピンをかけたドロップショットも武器。サービスリターンではベースライン上から鋭く一歩前に踏み出し、強烈なダウンザラインでリターンエースやウィナーを奪う<ref>{{cite web|url=http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/tennis/all/2014/columndtl/201411160005-spnavi |title=技術面から見る錦織圭の強さの秘密もはや常識となったテニスの新潮流とは?|accessdate=2014年11月18日 |author=坂井利彰}}</ref>。他の選手と比べ、身長が低い弱点を補うため、フォアハンドでチャンスボールをジャンプして打つ強打を得意としている。このショットは「エア・ケイ」と呼ばれ、錦織の代名詞となっている。
 
 
 
2014年の全米では4時間以上のフルセットマッチを2度続けて戦うなど体力面も進化している<ref name="number869">『Number』869号(2015年1月22日号)</ref>。長年サービスの迫力不足を指摘されてきたが、2015年に入ってスピードが出やすいラケットを採用、フォームも[[マイケル・チャン]]指導のもと改良した<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/9720485/ 錦織VSワウリンカ徹底比較 サービス、リターンともに錦織が上回る]</ref>
 
 
 
== 受賞歴 ==
 
* ATP年間最優秀新人賞(2008年)
 
* [[日本プロスポーツ大賞]](2014年)
 
* 全米オープン・スポーツマンシップ賞(2016年)
 
 
 
== 成績 ==
 
{{Main|錦織圭の通算成績一覧}}
 
{{Performance key}}
 
=== 4大大会 ===
 
{| class="wikitable"
 
|-
 
! 大会 !! 2007 !! 2008 !! [[2009年のATPワールドツアー|2009]] !! [[2010年のATPワールドツアー|2010]] !! [[2011年のATPワールドツアー|2011]] !! [[2012年のATPワールドツアー|2012]] !! [[2013年のATPワールドツアー|2013]] !! [[2014年のATPワールドツアー|2014]] !! [[2015年のATPワールドツアー|2015]] !! [[2016年のATPワールドツアー|2016]] !! [[2017年のATPワールドツアー|2017]] !! [[2018年のATPワールドツアー|2018]] !! 通算成績
 
|-
 
|style="background-color: #efefef;"| [[全豪オープン]]
 
| style="text-align: center;"|A
 
| style="text-align: center;"|A
 
| style="text-align: center; background-color: #afeeee;"|[[2009年全豪オープン男子シングルス|1R]]
 
| style="text-align: center;"|A
 
| style="text-align: center; background-color: #afeeee;"|[[2011年全豪オープン男子シングルス|3R]]
 
| style="text-align: center; background-color: #ffebcd;"|[[2012年全豪オープン男子シングルス|QF]]
 
| style="text-align: center; background-color: #afeeee;"|[[2013年全豪オープン男子シングルス|4R]]
 
| style="text-align: center; background-color: #afeeee;"|[[2014年全豪オープン男子シングルス|4R]]
 
| style="text-align: center; background-color: #ffebcd;"|[[2015年全豪オープン男子シングルス|QF]]
 
| style="text-align: center; background-color: #ffebcd;"|[[2016年全豪オープン男子シングルス|QF]]
 
| style="text-align: center; background-color: #afeeee;"|[[2017年全豪オープン男子シングルス|4R]]
 
| style="text-align: center;"|A
 
| style="text-align: center; background-color: #efefef;" |23–8
 
|-
 
|style="background-color: #efefef;"| [[全仏オープン]]
 
| style="text-align: center;"|A
 
| style="text-align: center; background-color: #f0f8ff;"|LQ
 
| style="text-align: center;"|A
 
| style="text-align: center; background-color: #afeeee;"|[[2010年全仏オープン男子シングルス|2R]]
 
| style="text-align: center; background-color: #afeeee;"|[[2011年全仏オープン男子シングルス|2R]]
 
| style="text-align: center;"|A
 
| style="text-align: center; background-color: #afeeee;"|[[2013年全仏オープン男子シングルス|4R]]
 
| style="text-align: center; background-color: #afeeee;"|[[2014年全仏オープン男子シングルス|1R]]
 
| style="text-align: center; background-color: #ffebcd;"|[[2015年全仏オープン男子シングルス|QF]]
 
| style="text-align: center; background-color: #afeeee;"|[[2016年全仏オープン男子シングルス|4R]]
 
| style="text-align: center; background-color: #ffebcd;"|[[2017年全仏オープン男子シングルス|QF]]
 
| style="text-align: center; background-color: #afeeee;"|[[2018年全仏オープン男子シングルス|4R]]
 
| style="text-align: center; background-color: #efefef;" | 18–8
 
|-
 
|style="background-color: #efefef;"| [[ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]
 
| style="text-align: center;"|A
 
| style="text-align: center; background-color: #afeeee;"|[[2008年ウィンブルドン選手権男子シングルス|1R]]
 
| style="text-align: center;"|A
 
| style="text-align: center; background-color: #afeeee;"|[[2010年ウィンブルドン選手権男子シングルス|1R]]
 
| style="text-align: center; background-color: #afeeee;"|[[2011年ウィンブルドン選手権男子シングルス|1R]]
 
| style="text-align: center; background-color: #afeeee;"|[[2012年ウィンブルドン選手権男子シングルス|3R]]
 
| style="text-align: center; background-color: #afeeee;"|[[2013年ウィンブルドン選手権男子シングルス|3R]]
 
| style="text-align: center; background-color: #afeeee;"|[[2014年ウィンブルドン選手権男子シングルス|4R]]
 
| style="text-align: center; background-color: #afeeee;"|[[2015年ウィンブルドン選手権男子シングルス|2R]]
 
| style="text-align: center; background-color: #afeeee;"|[[2016年ウィンブルドン選手権男子シングルス|4R]]
 
| style="text-align: center; background-color: #afeeee;"|[[2017年ウィンブルドン選手権男子シングルス|3R]]
 
| style="text-align: center; background-color: #ffebcd;"|[[2018年ウィンブルドン選手権男子シングルス|QF]]
 
| style="text-align: center; background-color: #efefef;" | 17–9
 
|-
 
|style="background-color: #efefef;"| [[全米オープン (テニス)|全米オープン]]
 
| style="text-align: center; background-color: #f0f8ff;"|LQ
 
| style="text-align: center; background-color: #afeeee;"|[[2008年全米オープン男子シングルス|4R]]
 
| style="text-align: center;"|A
 
| style="text-align: center; background-color: #afeeee;"|[[2010年全米オープン男子シングルス|3R]]
 
| style="text-align: center; background-color: #afeeee;"|[[2011年全米オープン男子シングルス|1R]]
 
| style="text-align: center; background-color: #afeeee;"|[[2012年全米オープン男子シングルス|3R]]
 
| style="text-align: center; background-color: #afeeee;"|[[2013年全米オープン男子シングルス|1R]]
 
| style="text-align: center; background-color: #D8BFD8;"|[[2014年全米オープン男子シングルス|F]]
 
| style="text-align: center; background-color: #afeeee;"|[[2015年全米オープン男子シングルス|1R]]
 
| align="center" style="background:yellow;"|[[2016年全米オープン男子シングルス|SF]]
 
| style="text-align: center;"|A
 
| style="text-align: center;"|
 
| style="text-align: center; background-color: #efefef;" |18–8
 
|-
 
| style="text-align: center; background-color: #efefef;" |勝–負
 
| style="text-align: center; background-color: #efefef;" |0–0
 
| style="text-align: center; background-color: #efefef;" |3–2
 
| style="text-align: center; background-color: #efefef;" |0–1
 
| style="text-align: center; background-color: #efefef;" |3–3
 
| style="text-align: center; background-color: #efefef;" |3–4
 
| style="text-align: center; background-color: #efefef;" |8–3
 
| style="text-align: center; background-color: #efefef;" |8–4
 
| style="text-align: center; background-color: #efefef;" |12–4
 
| style="text-align: center; background-color: #efefef;" |8–3
 
| style="text-align: center; background-color: #efefef;" |15-4
 
| style="text-align: center; background-color: #efefef;" |9-3
 
| style="text-align: center; background-color: #efefef;" |7-2
 
!76–33
 
|}
 
<small>※不戦勝・不戦敗は通算成績に含まない<ref>2015年全仏3回戦、2015年ウィンブルドン2回戦</ref>。</small>
 
 
 
===大会最高成績===
 
{|class=wikitable style=text-align:center;font-size:100%
 
!width="width:10em" |大会
 
!成績
 
!年
 
|-
 
| align="left" bgcolor="#ffffcc" |[[ATPワールドツアー・ファイナル|ツアーファイナル]]
 
|bgcolor=yellow|SF
 
|[[2014年ATPワールドツアー・ファイナル|2014]],[[2016年ATPワールドツアー・ファイナル|2016]]
 
|-
 
| align="left" bgcolor="#dfe2e9" |[[インディアンウェルズ・マスターズ|インディアンウェルズ]]
 
| bgcolor="#ffebcd" |QF
 
|2016,2017
 
|-
 
| align="left" bgcolor="#dfe2e9" |[[マイアミ・マスターズ|マイアミ]]
 
|bgcolor=thistle|F
 
|[[2016年マイアミ・マスターズ男子シングルス|2016]]
 
|-
 
| align="left" bgcolor="#dfe2e9" |[[モンテカルロ・マスターズ|モンテカルロ]]
 
|bgcolor=thistle|F
 
|2018
 
|-
 
| align="left" bgcolor="#dfe2e9" |[[マドリード・マスターズ|マドリード]]
 
|bgcolor=thistle|F
 
|[[2014年マドリード・マスターズ男子シングルス|2014]]
 
|-
 
| align="left" bgcolor="#dfe2e9" |[[ローマ・マスターズ|ローマ]]
 
|bgcolor=yellow|SF
 
|2016
 
|-
 
| align="left" bgcolor="#dfe2e9" |[[カナダ・マスターズ|カナダ]]
 
|bgcolor=thistle|F
 
|[[2016年ロジャーズ・カップ男子シングルス|2016]]
 
|-
 
| align="left" bgcolor="#dfe2e9" |[[シンシナティ・マスターズ|シンシナティ]]
 
| bgcolor="#afeeee" |3R
 
|2012,2016
 
|-
 
| align="left" bgcolor="#dfe2e9" |[[上海マスターズ|上海]]
 
|bgcolor=yellow|SF
 
|2011
 
|-
 
| align="left" bgcolor="#dfe2e9" |[[パリ・マスターズ|パリ]]
 
|bgcolor=yellow|SF
 
|2014
 
|-
 
|bgcolor=gold align=left|[[オリンピックのテニス競技|オリンピック]]
 
|bgcolor=#cd7f32|B
 
|[[2016年リオデジャネイロオリンピックのテニス競技・男子シングルス|2016]]
 
|-
 
| align="left" bgcolor="#ebc2af" |[[デビスカップ]]
 
| bgcolor="#ffebcd" |QF
 
|2014
 
|}
 
 
 
== コーチ ==
 
*[[グレン・ワイナー]](2007年12月-2010年)
 
*[[ダンテ・ボッティーニ]](2011年-)
 
*[[ブラッド・ギルバート]](2011年)
 
*[[マイケル・チャン]](2013年12月-)
 
 
 
== ラケット ==
 
10歳の時から[[ウイルソン・スポーティング・グッズ|ウィルソン]]のラケットを使い始め、11歳の時にこの年齢では異例の用具提供契約を交わす。以降もウィルソンを使い続けている<ref>[http://number.bunshun.jp/articles/-/822487 錦織圭、歴代のラケットを徹底検証!小学生時代から15歳まで一気紹介。]</ref><ref>[http://number.bunshun.jp/articles/-/822495 錦織圭、歴代のラケットを徹底検証!プロ転向から2015年全豪OPまで。]</ref>。
 
*HYPER HAMMER 5.3
 
*HYPER HAMMER 6.3
 
*HYPER HAMMER 5.2
 
*H TOUR
 
*n TOUR
 
 
 
;プロ転向後
 
*n TOUR II
 
*[K] TOUR
 
*TOUR BLX ORANGE×BLUE
 
*TOUR BLX ORANGE×WHITE
 
*STeam PRO
 
*STeam 95
 
*BURN 95
 
*BURN 95 COUNTERVAIL
 
 
 
== スポンサー ==
 
* [[日清食品]](所属契約)
 
* [[LIXIL]](建築建材設備)
 
* [[ウイルソン・スポーティング・グッズ|ウイルソン]](ラケット)
 
* [[ナイキ]](シューズ)
 
* [[ユニクロ]](ウェア)
 
* [[ウイダーinゼリー]](トレーニング・栄養)
 
* [[カップヌードル]](パッチスポンサー)
 
* [[タグ・ホイヤー]](時計)
 
* [[ジャックス]](クレジットカード)
 
* [[日本航空|JAL]](日本航空)
 
*エアウィーク
 
*デルタ航空
 
*ジャガー(自動車)
 
*プロクター・アンド・ギャンブル(生活用品)
 
*久光製薬(鎮痛消炎貼付剤)
 
*WOWOW
 
*NTTドコモ
 
*IMG
 
 
 
== その他・エピソード ==
 
* 錦織の姓の読みは全国的には、[[テノール]]歌手の[[錦織健]](但し、本名は「にしこおり」)、「[[少年隊]]」のリーダーの[[錦織一清]]など「にしきおり」が多いが、島根県では、映画監督の[[錦織良成]]など「にしこおり」と、錦織圭など「にしこり」が多い。尚、錦織圭は[[2016年リオデジャネイロオリンピック]]に日本代表として出場したが、同大会には[[ホッケー女子日本代表]]として島根県出身の錦織えみ(にしこおり えみ)が出場しており、島根県知事が知事定例会見において2人のリオ出場のお祝いコメントで読みを間違える一幕もあった<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASJ865GRWJ86PTIB00C.html 錦織って何と読む? 五輪に2人、異なる読み方 島根:朝日新聞デジタル]</ref>。
 
* 母方筋の親戚に[[俳優]]の[[渡哲也]]・[[渡瀬恒彦]]兄弟がいる<ref>[http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20080810-393850.html 渡哲也驚いた錦織圭と親戚だった] 日刊スポーツ 2008年8月10日閲覧</ref>。また、TBS社員の渡瀬暁彦(渡瀬恒彦の長男)は三従兄弟にあたる。
 
* テニス以外でやっていたスポーツは[[サッカー]]で小学校の1年生から6年生までは本格的にやっていた。今でもサッカーが好きで[[テニスボール]]で[[リフティング]]をするのが得意である<ref>[http://corandon.me.land.to/html/smokesoft536/9.html 錦織圭が超絶テニスボール・リフティングを披露(元サッカー少年)]</ref>。
 
*両親とも趣味がテニスで、4歳年上の姉も高校時代に[[テニス]]の選手として全国大会に出場している<ref name="現代ビジネス">[http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41896 ひとり息子は13歳で海を渡った 世界の錦織圭から島根の両親(父は土木技術者、母は主婦)へ]</ref>。
 
* 漫画『[[テニスの王子様]]』を愛読していたという。2014年8月放送の[[ぼくらはマンガで強くなった〜SPORTS×MANGA〜|青春!アリスポ〜SPORTS×MANGA〜]]「テニスを変えた“王子様”」のなかで漫画に出てくる技や練習を真似たこともあると語った<ref>
 
[http://www4.nhk.or.jp/P3215/ 「青春!アリスポ〜SPORTS×MANGA〜」公式サイト]</ref>。
 
*小学2、3年生の頃には『[[マリオカート]]』や『[[マリオテニス]]』をしておりめっぽう強かった<ref name=":0" />。
 
* 2014年の[[2014年全米オープン (テニス)|全米オープン]]準優勝後、[[イギリス|英国]]の自動車メーカー、[[ジャガー (自動車)|ジャガー]]日本法人の[[アンバサダー]](大使)に任命された。
 
: 2014年11月20日、錦織選手をイメージした『[[ジャガー・Fタイプ|Fタイプ]] KEI NISHIKORI EDITION』を発表。発売記念イベントに於いて、上記『テニスの王子様』の作者・[[許斐剛]]が描きおろしたイラスト『ジャガーの王子様』(KEI NISHIKORI EDITIONをバックに錦織選手がショットを決めているイラスト)を贈呈された。また許斐自身もサプライズ登場し錦織を喜ばせた<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=b26czntFsdA 錦織圭『テニプリ』イラストに感激 ジャガー『Fタイプ KEI NISHIKORI EDITION』発売記念イベント]
 
oriconofficial動画ニュース</ref>。
 
* [[2014年全米オープン (テニス)|2014年全米オープン]]準優勝の凱旋帰国時、食べたいものに「[[アカムツ|ノドグロ]]」を告げた。その後、[[ジャックス (信販)|ジャックス]]の[[コマーシャルメッセージ|CM]]の中で、のどぐろを食すシーンが撮影され、のどぐろが一般にも広く再認知された<ref>{{cite news |title=錦織圭選手出演 ジャックスTV-CM「のどぐろ」篇 30秒 |newspaper=[[YouTube]] [[ジャックス (信販)|ジャックカード]]公式チャンネル |date=2015-03-23|url=https://www.youtube.com/watch?v=qUdUnIVQRVA |accessdate=2015-03-23}}</ref>。
 
* [[レスパス]]フィットネス意識調査では、男性の理想の体型の1位に選ばれた<ref>[https://lespas.jp/feature/424 筋肉が最大のファッションに!?男女別「理想の体型」No.1は?]レスパス(2016年7月21日)2016年10月27日閲覧</ref>。
 
* [[ESPN]]は2017年5月、[[ワールド・フェイム100|世界で最も有名なアスリート100名]]を発表し、錦織は20位にランクインした<ref>[http://www.espn.com/espn/feature/story/_/page/worldfame100/espn-world-fame-100-top-ranking-athletes ESPN World Fame 100] ESPN.com 2017年6月10日閲覧。</ref>。[[日本人]]では唯一トップ100に入った。
 
 
 
== 著書 ==
 
*頂点への道(秋山英宏 共著)(2015年4月16日、[[文藝春秋]]) ISBN 9784163902517
 
 
 
== 出演 ==
 
=== バラエティ番組 ===
 
* [[夢対決!とんねるずのスポーツ王は俺だ!スペシャル]]「テニス対決」(2012年1月2日 - 現在、[[テレビ朝日]])
 
* [[炎の体育会TV]]「テニス対決」(2012年4月6日、[[TBSテレビ|TBS]])
 
* [[情熱大陸]](2012年11月4日、TBS)
 
* [[心ゆさぶれ!先輩ROCK YOU]](2015年1月17日、[[日本テレビ]])
 
 
 
=== スポーツ番組 ===
 
* [[青春!アリスポ〜SPORTS×MANGA〜]]「テニスを変えた“王子様”」(2014年8月10日、[[NHKBS1]])
 
 
 
=== CM・広告 ===
 
* [[サントリー食品インターナショナル|サントリー食品]]『ゲータレード』(2009年)
 
* [[ユニクロ]]
 
** 『[[ヒートテック]]』「私とヒートテック篇」 (2012年)
 
** 『[[ポロシャツ]]』(2012年)
 
* [[日清食品]]『日清麺職人』「生めんにきびしくて篇」(2013年)
 
** KEI NISHIKORI 12SS TEASER(2014年)
 
 
 
* [[森永製菓]]『ウイダー』inゼリーテニス篇 (2014年)
 
* [[JACCS]]「その買い物には、未来がある。」(2014年)
 
* [[WOWOW]]「TOUCH!WOWOW 2014」(2014年)
 
* [[日清食品]]『日清カップヌードル』「Samurai in NewYork編」(2015年)
 
* [[エアウィーヴ]](2015年)<ref>{{cite web|url=http://www.oricon.co.jp/news/2059668/full/|title=錦織圭、毎日最低9時間は睡眠 「寝ることも仕事のひとつ」|publisher=ORICON STYLE|date=2015-09-24|accessdate=2015-09-25}}</ref>
 
* [[プロクター・アンド・ギャンブル|P&G]] [[2016年リオデジャネイロオリンピック|リオデジャネイロ五輪]] ママの公式スポンサー(2015年 - ) - アンバサダー<ref>{{cite web|url=http://www.oricon.co.jp/news/2062829/full/|title=修造、錦織圭&石川佳純の2ショットに興奮 カメラの前で“1人反省会”|publisher=ORICON STYLE|date=2015-11-25|accessdate=2015-11-25}}</ref>
 
* [[日本航空]](2016年)<ref>{{cite web|url=http://press.jal.co.jp/ja/release/201511/003574.html|title=JAL、錦織圭選手とのパートナー契約を締結|publisher=日本航空|date=2015-11-27|accessdate=2015-12-29}}</ref>
 
* [[久光製薬]]「エアーサロンパス」(2016年)<ref>{{cite news|url=http://mantan-web.jp/2016/04/19/20160419dog00m200038000c.html|title=錦織圭選手:CMで“ドッキリ”仕掛け人に初挑戦! エアーサロンパス「みんなのエアサロ」編|newspaper=MANTANWEB|date=2016-04-19|accessdate=2016-04-20}}</ref>
 
* [[ジャックス]]『JACCSカード』「JACCSカード “My Favorite シリーズ”」(2016年)
 
* [http://www.ntt.co.jp/index.html NTTグループ]「試合が始まる」「未来を創る」
 
  
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平成元年12月29日生まれ。5歳でテニスをはじめる。小学6年の平成13年全国選抜ジュニア選手権,全国小学生大会,全日本ジュニア12歳以下で優勝して3冠を達成。15年アメリカのニック・ボラテリー・テニス・アカデミーに留学。18年全仏オープンジュニアでベスト8,ダブルスで優勝。20年デルレイビーチ国際選手権でATP(男子プロテニス協会)ツアー初優勝。同年全米オープンはベスト16に進出。21年はひじの故障とその手術・リハビリですごす。復活後の22年全米オープンで3回戦進出をはたす。24年全豪オープンで日本選手80年ぶりのベスト8に進出。同年ロンドン五輪では添田豪と組んだダブルスは1回戦で敗退したが,シングルスでは1回戦で五輪で88年ぶりの勝利をあげ,3回戦を勝ち上がりベスト8にすすみ,5位入賞。同じく24年ジャパンオープンで優勝しATPツアー2勝目をあげる。26年全米オープン・シングルスで準優勝。同年ATPワールドツアー・ファイナルに出場し,準決勝に進出。日清食品所属。島根県出身。青森山田高卒。
 
== 脚注 ==
 
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== 外部リンク ==
 
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* [http://sports.nissin.com/nishikori/ 錦織 圭×日清食品スペシャルサイト]
 
* [http://sports.nissin.com/nishikori/ 錦織 圭×日清食品スペシャルサイト]
 
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2018/9/22/ (土) 13:51時点における版

錦織 圭(にしこり けい、1989年12月29日 - )

平成時代のテニス選手。

平成元年12月29日生まれ。5歳でテニスをはじめる。小学6年の平成13年全国選抜ジュニア選手権,全国小学生大会,全日本ジュニア12歳以下で優勝して3冠を達成。15年アメリカのニック・ボラテリー・テニス・アカデミーに留学。18年全仏オープンジュニアでベスト8,ダブルスで優勝。20年デルレイビーチ国際選手権でATP(男子プロテニス協会)ツアー初優勝。同年全米オープンはベスト16に進出。21年はひじの故障とその手術・リハビリですごす。復活後の22年全米オープンで3回戦進出をはたす。24年全豪オープンで日本選手80年ぶりのベスト8に進出。同年ロンドン五輪では添田豪と組んだダブルスは1回戦で敗退したが,シングルスでは1回戦で五輪で88年ぶりの勝利をあげ,3回戦を勝ち上がりベスト8にすすみ,5位入賞。同じく24年ジャパンオープンで優勝しATPツアー2勝目をあげる。26年全米オープン・シングルスで準優勝。同年ATPワールドツアー・ファイナルに出場し,準決勝に進出。日清食品所属。島根県出身。青森山田高卒。

脚注

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