「エミリオ・プッチ」の版間の差分
細 (1版 をインポートしました) |
細 (→日本での展開) |
||
10行目: | 10行目: | ||
エミリオの死後、ブランドのデザインは娘のラウドミア・プッチ (Laudomia Pucci)が手がける。[[1997年]][[ミラノ]]の会社に経営権を譲渡し、[[2000年]]、[[LVMH|LVモエ・ヘネシーグループ]]の傘下に入る。[[2001年]]秋冬からジュリオ・エスパーダがアーティスティック・[[ディレクター]]を務めた。その後[[2003年]]春夏より、[[クリスチャン・ラクロワ]]がアーティスティック・ディレクターとなった。現在娘のラウドミア・プッチがイメージ・ディレクターを務め、[[2006年]]秋冬からはイギリス人の[[マシュー・ウィリアムソン]]が、そして[[2009年]]秋冬からは[[ピーター・デュンダス]]が[[クリエイティブ・ディレクター]]を務めていたが、[[2015年]][[4月]]に[[マッシモ・ジョルジェッティ]]が就任した。<ref>[http://www.fashion-press.net/news/16060 エミリオ・プッチのクリエイティブ・ディレクターにマッシモ・ジョルジェッティが就任。]</ref> | エミリオの死後、ブランドのデザインは娘のラウドミア・プッチ (Laudomia Pucci)が手がける。[[1997年]][[ミラノ]]の会社に経営権を譲渡し、[[2000年]]、[[LVMH|LVモエ・ヘネシーグループ]]の傘下に入る。[[2001年]]秋冬からジュリオ・エスパーダがアーティスティック・[[ディレクター]]を務めた。その後[[2003年]]春夏より、[[クリスチャン・ラクロワ]]がアーティスティック・ディレクターとなった。現在娘のラウドミア・プッチがイメージ・ディレクターを務め、[[2006年]]秋冬からはイギリス人の[[マシュー・ウィリアムソン]]が、そして[[2009年]]秋冬からは[[ピーター・デュンダス]]が[[クリエイティブ・ディレクター]]を務めていたが、[[2015年]][[4月]]に[[マッシモ・ジョルジェッティ]]が就任した。<ref>[http://www.fashion-press.net/news/16060 エミリオ・プッチのクリエイティブ・ディレクターにマッシモ・ジョルジェッティが就任。]</ref> | ||
[[2004年]]秋冬からスキーウェアコレクションを、[[ロシニョール]]との提携により再開している。 | [[2004年]]秋冬からスキーウェアコレクションを、[[ロシニョール]]との提携により再開している。 | ||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
− | |||
==脚注== | ==脚注== |
2018/9/28/ (金) 12:04時点における版
エミリオ・プッチ(Emilio Pucci, 1914年11月20日 - 1992年11月29日)は「プリントの王子 (Prince of Prints) 」の異名を持つイタリアナポリ出身の男性ファッションデザイナー、政治家。また、彼が創始したファッションブランド。
プロフィール
フィレンツェの侯爵家に生まれ、1934年から1935年にかけてスキーナショナルチームに所属、自身のデザインしたスキーウェアを着ていた。ミラノ大学卒業後、アメリカ合衆国ジョージア州アセンズの大学で就学。その後さらに1937年にオレゴン州ポートランドリード大学で社会学を学ぶ。
1939年イタリアに帰国。フィレンツェの大学で1941年、政治学で博士号を取得。第二次世界大戦中にはイタリア空軍でパイロットを経験し、その後、政治家になりイタリア議会にも10年間在籍した。
1947年、高校時代のスキーウェアを雑誌「ハーパース・バザー」に掲載。これが予想外の人気を得る。その後は同誌から女性用の冬服デザインを依頼され、ニューヨークで売り出され、スポーツウエアのデザイナーとして評判を高める。先の細いパンツ、カプリパンツ、ショーツ、リゾートドレス、鮮明なプリント柄と大胆な図柄、色を使った通称「プッチ柄」が特徴的で、マリリン・モンロー、エリザベス・テーラー、ジャクリーヌ・ケネディ等、アメリカを中心に各国のセレブに受け入れられ、衣服、カーペットなどを制作する。1964年にはアメリカのブラニフ航空の客室乗務員の制服をデザイン。1971年アポロ15号使節団のロゴなどを制作する。なおデザインを手掛ける傍ら、政治家としても活躍を続けていた。1980年代にはアメリカの高級車「リンカーン・タウンカー」や「コンチネンタル」の特別仕様の内外装を手掛ける。1990年に、CFDA (The Council of Fashion Designers of America)に表彰される。1992年に死去。
エミリオの死後、ブランドのデザインは娘のラウドミア・プッチ (Laudomia Pucci)が手がける。1997年ミラノの会社に経営権を譲渡し、2000年、LVモエ・ヘネシーグループの傘下に入る。2001年秋冬からジュリオ・エスパーダがアーティスティック・ディレクターを務めた。その後2003年春夏より、クリスチャン・ラクロワがアーティスティック・ディレクターとなった。現在娘のラウドミア・プッチがイメージ・ディレクターを務め、2006年秋冬からはイギリス人のマシュー・ウィリアムソンが、そして2009年秋冬からはピーター・デュンダスがクリエイティブ・ディレクターを務めていたが、2015年4月にマッシモ・ジョルジェッティが就任した。[1] 2004年秋冬からスキーウェアコレクションを、ロシニョールとの提携により再開している。
脚注
関連項目
- LVMH
- リンカーン (自動車)
- SH-08B - NTTドコモとのコラボレーション端末。
外部リンク
- Emilio Pucci official site(英語)
- 日本語オフィシャルサイト(日本語)
- 公式サイト内オンラインショップ (日本語)