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改札内のトイレは中2階(8・9番のりば行きエスカレータ横)、3・4番のりば門司駅側、8・9番のりば新下関駅側に、改札外のトイレは北口の脇にある。 | 改札内のトイレは中2階(8・9番のりば行きエスカレータ横)、3・4番のりば門司駅側、8・9番のりば新下関駅側に、改札外のトイレは北口の脇にある。 | ||
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2018/9/29/ (土) 22:24時点における版
下関駅(しものせきえき)は、山口県下関市竹崎町四丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・九州旅客鉄道(JR九州)・日本貨物鉄道(JR貨物)山陽本線の駅。旅客駅の施設そのものはJR西日本が管理しており、構内にJR貨物のヤードが存在する。事務管コードは▲800658[1]。
Contents
概要
本州の最西端・下関市の中心駅であり、本州の瀬戸内海側を走る山陽本線、日本海沿岸を走る山陰本線、そして関門トンネルを通り九州へと渡る列車のジャンクションとして機能している。また、構内にはJR西日本下関総合車両所運用検修センターがある。
1987年の国鉄分割民営化以降、当駅はJR西日本とJR九州の境界駅となった。路線としては当駅は山陽本線の中間駅であるが、当駅より本州側の神戸駅までがJR西日本、九州側の当駅 - 門司駅間の1駅間がJR九州の管轄となった。両社の会社境界は関門トンネルの下関側入口付近にあり、駅構内はJR西日本の所属になる。なお山陽本線は両方面ともJR貨物が第二種鉄道事業者として貨物営業を行っており、当駅構内に貨物施設も設けられている。またJR西日本に所属する山陰本線の終点は1駅隣の幡生駅を終点としているが、同駅を通る全列車が山陽本線経由で当駅に乗り入れている。
以前は「にちりん」「いそかぜ」等の特急列車、多数の東京・大阪 - 九州間のブルートレインが発着していた。2009年3月14日(当駅基準)の下り「富士・はやぶさ」を最後に当駅発着の定期優等列車は廃止された。
2017年(平成29年)6月17日に運行を開始した団体専用列車「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」において、1泊2日コースの発着駅となった[2][広報 1]。
普通列車に関しては、JR九州の列車は本州側の直流電化と九州側の交流電化の両方に対応した415系電車で運転されており、門司駅を経由して鹿児島本線小倉駅まで直通する運転が大半を占め、一部の列車は小倉駅経由で日豊本線行橋・宇佐方面や鹿児島本線博多方面へ乗り入れる。かつてはこれらの各路線に直通する普通列車が本州側の新山口駅(旧・小郡駅)から運行され、一部は宇部線経由列車も存在していた。また山陰本線の気動車列車が関門トンネルに入る運用もあったが、2005年10月のダイヤ改正で普通列車はすべて当駅で系統分割された。そして前述のブルートレインの廃止により、山陽本線も含めて当駅以降を直通運行する定期旅客列車は設定されていない。また、2009年3月までは当駅から九州側への列車の半数以上が日豊本線に直通していたが、2009年3月のダイヤ改正により、日中の日豊本線の列車は小倉駅始発が基本となり、当駅からの九州方面の列車は当駅 - 小倉駅間の折り返し運転が基本となった。また2017年4月現在長距離列車として、下関駅発大分駅着の列車が設定されている。また、2018年3月17日にJR九州が予定していたダイヤ改定では下関ー門司駅間の普通列車の運行本数(平日)が1日当たり13本減便され112本となった。
下関駅はJR西日本の直営駅であり、山陽本線の厚狭駅 - 当駅間と山陰本線の小串駅 - 綾羅木駅間を管轄する下関地域鉄道部の最寄り駅でもある。また、下関駅構内の運行管理は当駅で行なっている運転取扱駅である。 また下関駅はJR西日本の管轄であり、ホーム・駅舎の管理および駅業務を同社が担当するがJR九州との境界駅であるため、JR九州の集札システム変更の影響を受けている(後述)。
2009年 - 2013年にかけて駅構内および駅周辺の大幅な改修工事が順次進められた(詳細後述)。
新幹線との接続
山陽新幹線は当駅を経由していないが、新幹線の停車駅である新下関駅とは山陽本線で9分、小倉駅とは山陽本線・鹿児島本線を用いて15分程度で連絡している。当駅でも新下関駅・小倉駅の新幹線時刻表が掲示されているが、全般的には全列車が停車する小倉駅への利用者が多い(遠回りとなる上り列車でも、特に広島、岡山、新大阪方面はその方が速達性に優れているため)。小倉駅から新幹線を利用する北九州市内発着の長距離切符や特別企画乗車券なども当駅で販売されている(この場合、門司までの乗車券大人220円が別途必要。当駅にその旨の掲示がある)。なお当駅の窓口はJR西日本管轄であるため、2枚きっぷ・4枚きっぷなどのJR九州独自の特別企画乗車券は発売されていない。
歴史
- 当時は現在より東、細江町に位置していた。駅名は、当時の市名である赤間関(あかまがせき)の略称、「馬関」に由来する。当初より、対九州・朝鮮半島連絡を担う拠点駅の位置づけをされ、関門連絡船・関釜連絡船の発着駅となる。
- 1902年(明治35年)6月1日 - 市名の改称に併せて、駅名を下関駅に改称[3]。
- 1902年(明治35年)11月1日 - 山陽鉄道が日本最初の鉄道経営ホテル山陽ホテルを営業開始。
- 1905年(明治38年)9月11日 - 山陽鉄道が関釜連絡船(壱岐丸)を就航。
- 1906年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道の国有化により国有鉄道の駅となる。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。山陽本線の所属となる。
- 1911年(明治44年)10月1日 - 下関駅・小森江間で日本最初の貨物専用鉄道連絡船運行開始。
- 1912年(明治45年)6月15日 - 新橋駅・下関駅間で日本最初の特別急行列車運転開始。
- 1912年(大正元年)9月23日 - 関釜連絡船梅が香丸が暴風雨のため沈没。
- 1918年(大正7年)7月26日 - 下関駅構内で火薬爆発事故発生。
- 1922年(大正11年)7月26日 - 山陽ホテル焼失。
- 1924年(大正13年)4月1日 - 山陽ホテル再建(鉄筋4階)
- 1929年(昭和4年)9月15日 - 東京・下関間特別急行第1・2列車を「富士」、第3・4列車を「桜」と命名。(国鉄で最初に採用された列車愛称名)
- 1930年(昭和5年)12月20日 - 川崎汽船が関麗連絡船を就航。
- 1933年(昭和8年)2月24日 - 山陰本線が全線開通。
- 1938年(昭和13年)11月27日 - 山陽電気軌道線(路面電車、現・サンデン交通)が駅前に乗り入れ。
- 1939年(昭和14年)9月 - 鉄道省が「東京・下関間新幹線建設基準」(弾丸列車計画)を制定。同年に帝国議会で「広軌幹線鉄道計画」が承認。
- 1942年(昭和17年)7月1日 - 関門トンネル(当駅 - 門司駅間)開通。但しこの時は貨物営業のみ。下関港駅を当駅に併合、駅構内扱いとする。
- 1945年(昭和20年)6月 - 関釜連絡船が対馬海峡封鎖のため運行不能となる。
- 1946年(昭和21年)12月25日 - 山陽電気軌道線が再び駅前に乗り入れ。
- 1964年(昭和39年)10月31日 - 関門連絡船廃止。
- 1965年(昭和40年)9月24日 - みどりの窓口営業開始。
- 1971年(昭和46年)2月7日 - 山陽電気軌道線が廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる。また、関門トンネル以西を九州旅客鉄道(JR九州)が所有することになったため、JR西日本・JR九州両会社の接続駅となる。
- 1994年(平成6年)1月14日 - 案内所の業務を中国交通事業株式会社(現:ジェイアール西日本広島メンテック)に委託。
- 1999年(平成11年)9月29日 - 駅構内において、下関通り魔殺人事件が発生した。
- 2003年(平成15年)12月1日 - 中国地方のJR路線で初めての自動改札機が設置される[4]。
- 2006年(平成18年)1月7日 - 午前2時過ぎに下関駅放火事件が発生、駅舎と乗務員センターが全半焼しJR線の運行にも影響が出た。
- 2009年(平成21年) 3月14日 - JRグループダイヤ改正。この日の下り「富士・はやぶさ」を最後に下関発着の優等列車全廃。普通列車(快速含む)のみ停車の駅となり、同時に当駅を跨いで運転される定期列車が全廃された。
- 2011年(平成23年)3月5日 - ICカードSUGOCAの利用を開始。
- 2014年(平成26年)3月16日 - 新駅舎(JR下関駅ビル)の使用開始[5]。
- 2015年(平成27年)3月22日 - 駅のリニューアル1周年にあわせ、振鈴(しんれい・ハンドベル)のレプリカが東西連絡通路に設置される。
- 2017年(平成29年)6月17日 - 「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」が運転を開始し、1泊2日コースにおいて当駅発着となる[2][広報 1]。
駅構造
高架駅で、島式3面6線のホームを持つ。かつて長大編成の優等列車が多く発着していたためホームは長く、タイル張りの洗面所やレール造りの長い屋根、テルハの痕跡が全盛期を偲ばせる。
ホームからの階段は北端のみにある。各ホームからの階段からつながる中2階レベルに改札口。改札前が駅前人工地盤に直結された東西自由通路を兼ねたコンコースで、改札前の階段・エスカレーターをさらに降りた1階にも東西自由通路があり、地上出口は西口、東口、北口の計3ヶ所にある。中2階からホームへの階段は全てエスカレーターが併設されており(3,4番ホームから中2階間は下り限定運用、それ以外は基本的に上り限定運用)、エレベーターが全ホームの新下関駅側に設置されている。改札口は元々1階にあり、中2階が改札内コンコースとなっていたが、駅再開発に伴う駅舎改良工事[広報 2]にあわせて2012年3月に元々の位置から西口寄りに移動後、2013年5月に中2階レベルに移動している。
のりば
のりば | 事業者 | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
3 | ■山陰本線 | 下り | 九州方面 | 終着となる列車の降車専用 | |
4 | ■山陽本線 | 下り | |||
6 | ■山陽本線 | 上り | 新山口・防府方面 | ||
7・8 | 朝の一部列車のみ | ||||
■山陽本線 | 下り | 九州方面 | |||
9 | ■山陰本線 | 上り | 小串・長門市方面 |
東端の1番線が下り通過線、西端の10番線が上り通過線となっており、機回し線の2・5番線と共にホームが無い。従ってホームは3・4番のりば、6・7番のりば、8・9番のりばとなる。なお、3・4番のりばはかつて本州から九州へ直通する列車が使用していたが、現在は基本的に3番のりばは山陰本線から、4番のりばは山陽本線新山口方面からそれぞれ到着し車庫(下関総合車両所)に引き上げる列車のみが使用する降車専用ホームとなっており、通常の乗降には残りの2面4線が多く用いられる。駅舎改良工事により4・6・7・8番ホームの一部(4両分)を電車用にかさ上げする工事が進められた[広報 2]結果、山陽本線の上り列車は6番のりば(一部7・8番のりば)発、山陽本線の下り列車は7・8番のりば発着、気動車を使用する山陰本線の列車は原則として9番のりば発に集約された。『TWILIGHT EXPRESS 瑞風』も3番のりば着・9番のりば発となる。なお、下関駅で折り返す観光列車『○○のはなし』に限り、上下とも6番のりば門司方のかさ上げされていないホームに停車する。
発車標は改札口正面に方向別の、ホーム階段上にホーム別のものが掲げられている。発車標は駅舎改良の際にLED式が用いられている[広報 2]。小倉方面と新山口・小串方面との乗り継ぎに配慮し、同一ホームでの乗り換えを原則とするダイヤとなっていることから、発車ホームは一定していない(一部例外あり)。なお、2011年3月までの発車標は1階改札口上・ホーム階段上に2列車表示タイプの幕式が設置され、中2階部分には改札口上の発車標をカメラで映し、列車の発着時刻が確認しやすいように表示するプラズマディスプレイが設置されていた。2011年3月にホーム上の発車標がLED式に変更された際に、中2階の発車標がカメラ表示からコンピュータ画面表示に切り替えられた後、2013年の改札口移設の際に中2階の発車標もLED式に変更された。
改札内のトイレは中2階(8・9番のりば行きエスカレータ横)、3・4番のりば門司駅側、8・9番のりば新下関駅側に、改札外のトイレは北口の脇にある。
駅弁
かつては下関駅弁当株式会社が駅弁の製造・販売を手がけていた。同社は2010年(平成22年)7月に徳山駅弁当とともに小郡駅弁当と合併し、消滅した。過去に小郡駅弁当が販売していた主な駅弁は下記の通りである[6]。
- ふく寿司(土曜・休日のみ)
- みすゞ潮彩弁当(土曜・休日のみ)
利用状況
1日の平均乗車人員は以下の通り[7]で、山口県の駅では最も乗車人員が多い。下関市の統計による2016年の年間利用客数は380万5249人[8]。ただし、2016年度の1日の平均運輸取扱収入ではJR西日本管内の駅で上位50番目までに入っておらず、新幹線停車駅で上位50駅に含まれる新山口駅(18位)、徳山駅(21位)、新下関駅(44位)より少ない[9]。
乗車人員推移 | ||
---|---|---|
年度 | 1日平均人数 | |
1992 | 14,637 | |
1999 | 12,791 | |
2000 | 12,476 | |
2001 | 12,125 | |
2002 | 11,886 | |
2003 | 11,970 | |
2004 | 11,810 | |
2005 | 11,602 | |
2006 | 11,450 | |
2007 | 11,324 | |
2008 | 11,282 | |
2009 | 10,857 | |
2010 | 10,782 | |
2011 | 10,584 | |
2012 | 10,432 | |
2013 | 10,541 | |
2014 | 10,438 | |
2015 | 10,595 | |
2016 | 10,425 |
脚注
注釈
出典
- ↑ 日本国有鉄道旅客局(1984)『鉄道・航路旅客運賃・料金算出表 昭和59年4月20日現行』。
- ↑ 2.0 2.1 広島敦史、宮山大樹 (2017年6月17日). “「瑞風」感動運んで 萩・下関、一番列車に歓迎の人波”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 夕刊 8
- ↑ 「停車場改称」『官報』1902年5月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ↑ 「鉄道記録帳2003年12月」、『RAIL FAN』第51巻第3号、鉄道友の会、2004年3月1日、 25頁。
- ↑ “「リピエ」にぎわい発信源に JR下関駅ビルにグランドオープン”. 山口新聞. (2014年3月17日) . 2014閲覧.
- ↑ 『JR時刻表』2015年3月号、交通新聞社、2015年、 265頁。
- ↑ 山口県統計年鑑
- ↑ 下関市(2016)『統計しものせき』。
- ↑ データで見るJR西日本2017:駅 (PDF) - 西日本旅客鉄道、2018年7月28日閲覧。