[[627年]]、[[ニネヴェの戦い (627年)|ニネヴェの戦い]]でサーサーン朝に勝利した東ローマ帝国の[[ヘラクレイオス]]帝がサーサーン朝の首都であるクテシフォンを包囲したが、和平を結んで引き揚げた。[[637年]]、[[正統カリフ]]・[[ウマル・イブン・ハッターブ|ウマル]]の時代にアラブ諸部族から成るムスリム軍による対サーサーン朝との戦争はついにイラク(メソポタミア)にまで及び、イラク地方に進攻した{{仮リンク|サアド・ブン・アビー=ワッカース|en|Sa`d ibn Abi Waqqas}}が率いる部隊はサーサーン朝最後の君主[[ヤズデギルド3世]]が派遣した総司令官ロスタム麾下のサーサーン朝軍に対し、[[カーディシーヤの戦い]]において勝利した。サアド率いるムスリム軍はチグチス東岸の諸都市を次々に征服しクテシフォン近郊まで迫ったため、これによってヤズデギルド3世は北東にあったフルワーンまで逃亡した。アッバース朝時代の記録よると、この年は飢餓と悪疫に見回れ防衛戦力の低下に悩まされていたが、クテシフォンの守備軍はとチグリス川に掛かる全ての船橋を落としてムスリム軍の侵攻を防ぎ抗戦した。しかしムスリム軍は人馬ともに水流に乗って渡河する作戦に出た。クテシフォンの各地区はムスリム軍に対しておのおの抗戦しあるいは帰順したが、ついにはクテシフォンの全地区は陥落した。征服によって人口が減ることはなかったが、政治的・経済的な中心地がほかに移り、8世紀始めに[[アッバース朝]]の首都が[[バグダード]]に定められると、都市は急速に衰え、やがて[[ゴーストタウン]]となった。『[[千夜一夜物語]]』に現れる都市「{{仮リンク|イスバニル|en|Isbanir}}」は、クテシフォンを基にしていると考えられる(139話、第667-79夜)。
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[[1915年]]11月、クテシフォンの遺跡は[[第一次世界大戦]]の戦場となった({{仮リンク|クテシフォンの戦い (1915年)|en|Battle of Ctesiphon (1915)|label=クテシフォンの戦い}})。[[オスマン帝国]]軍がバグダードを奪おうとしたイギリス軍の部隊を撃破し、40マイル後退させて降伏させた。