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{{Infobox baseball player
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{{テンプレート:20180815sk}}
|選手名 = 定岡 正二
 
|英語表記 =
 
|所属球団 = 薩摩
 
|役職 = 総監督
 
|背番号 = 3
 
|選手写真ファイル名 =
 
|写真サイズ =
 
|写真のコメント =
 
|国籍 = {{JPN}}
 
|出身地 = [[鹿児島県]][[鹿児島市]]
 
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1956|11|29}}
 
|没年月日 =
 
|身長 = 184
 
|体重 = 74
 
|利き腕 = 右
 
|打席 = 右
 
|守備位置 = [[投手]]
 
|プロ入り年度 = {{NPBドラフト|1974}}
 
|ドラフト順位 = ドラフト1位
 
|初出場 = 1977年5月18日
 
|最終出場 = 1985年10月24日
 
|経歴 =
 
* [[鹿児島実業高等学校]]
 
* [[読売ジャイアンツ]] (1975 - 1985)
 
|経歴補足題 = 監督歴
 
|経歴補足 =
 
* [[鹿児島ドリームウェーブ|鹿児島ホワイトウェーブ]]
 
* [[薩摩 (社会人野球)|薩摩]]
 
}}
 
'''定岡 正二'''(さだおか しょうじ、[[1956年]][[11月29日]] - )は、[[鹿児島県]][[鹿児島市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])で現在は[[タレント]]、[[野球解説者]]、野球指導者。[[愛称]]は「'''サダ'''」。あるいは「サダさん」「サダ坊」。(株)エストゥー所属。「'''定岡三兄弟'''」の次男であり、兄の[[定岡智秋]]、弟の[[定岡徹久]]、甥の[[定岡卓摩]]も元プロ野球選手である。
 
 
 
== 経歴 ==
 
=== 高校時代 ===
 
[[鹿児島実業高等学校|鹿児島実高]]在学中、2年生と3年生の夏にそれぞれ[[全国高等学校野球選手権大会]]に出場。2年生の時は[[日本大学山形高等学校|日大山形高]]相手に代打でわずか1打席の出場にとどまったが、3年生になるとエースとして鹿児島県勢初のベスト4進出を果たす。準々決勝では[[原辰徳]]が在籍していた[[東海大学付属相模高等学校・中等部|東海大相模高]]との延長15回にわたる熱戦を勝ち抜いた。準決勝の[[山口県立防府商業高等学校|防府商高]]戦では、3回に右の手首を負傷。交代を余儀なくされた上、チームはサヨナラ負けを喫する。その悲劇性と甘いマスク、高い実力が相まって女子中高生から絶大な人気を得る。
 
 
 
=== 巨人時代 ===
 
[[1974年]]の[[プロ野球ドラフト会議]]で読売ジャイアンツから1位指名を受け入団。しかし希望球団として「[[阪神タイガース]]へ入団したかった」と述べている。
 
 
 
入団後は二軍暮らしが続いたが、[[長嶋茂雄]]監督最終年の[[1980年]]にプロ入り初勝利を含む9勝を挙げた。[[藤田元司]]監督就任の最初のシーズンである[[1981年]]、[[4月11日]]の[[阪神タイガース]]戦で初回先頭打者[[北村照文]]に[[二塁打]]を打たれた後、打者27人連続でアウトを奪い[[完全試合|準完全試合]]となる完封をした。最終的にはプロ入り初の2ケタ勝利(11勝)を挙げ、同年の4年ぶりのリーグ優勝や[[1981年の日本シリーズ]]制覇に貢献した。翌[[1982年]]には[[1982年のオールスターゲーム_(日本プロ野球)|オールスター]]にも出場、自己最多の15勝を挙げて同年代の[[江川卓 (野球)|江川卓]]や[[西本聖]]とともに3本柱として活躍する。決め球のスライダーは現在でいう[[カット・ファスト・ボール|カットボール]]であったという。
 
 
 
[[1983年]]は春先から好調を維持し、開幕2か月で6連勝を含む7勝1敗とハーラートップを走っていた。しかし牽制球の際に持病の腰痛を発症し、以降調子を落とす。先発とリリーフの併用が続き、8月に二軍落ち。二軍で2試合連続完投勝利を挙げ9月に一軍復帰するも調子は戻らず、6月以降1勝も挙げることができないままシーズンを終え、結局この年は7勝7敗に終わる。[[1984年]]に入ってもなかなか復調せず、この年の9月以降リリーフに回るシーズンでは自己ワーストの10敗を記録。[[1985年]]は先発陣は[[槙原寛己]]や[[斎藤雅樹]]の台頭もあって一軍定着後初めて先発登板無しに終わったが試合数は自己最多を記録しリリーフとして新しい道も見えたもののオフに[[トレード]]要員となり、ベテラン捕手[[有田修三]]との交換トレードで[[大阪近鉄バファローズ|近鉄バファローズ]]への移籍が発表されるが、移籍を拒否。任意引退というかたちで突然の現役引退を表明。最終年は47試合登板で防御率3点台という十二分に余力を残した状態にもかかわらず、29歳の若さでプロ野球界から[[引退]]した。このとき相談を野球関係者ではなく友人のデザイナーなどに持ちかけ、「巨人のまま辞めた方がいい」とのアドバイスを受けたという。
 
 
 
=== 引退後 ===
 
現役引退翌年の[[1986年]]には[[ロサンゼルス・ドジャース]]の[[生原昭宏|アイク生原]]・オーナー補佐の紹介で、ドジャースのキャンプに打撃投手として参加している。この経緯について定岡は「浪人中の長嶋さんが『次の仕事が決まっていないのなら、米国に行ってみろ』と生原さんに話をつけてくれてね。心細さや孤独感はあったけど、1ヵ月は充実していたよ。紅白戦では、[[マイク・ソーシア]]とバッテリーを組んだね。[[トミー・ラソーダ]]監督は『[[マイナーリーグ|3A]]で残ったらどうだ』と言ってくれた。でも、そこで本当にユニホームを脱ぐ覚悟ができた。自分で決断したので、それからは何が起きても大丈夫になったね。」と語っている<ref>[http://www.sanspo.com/baseball/news/20150612/npb15061211000002-n1.html?view=pc 【私の失敗(4)】定岡正二、飛ばしすぎて右肩痛め開幕1軍ならず] [[サンケイスポーツ]] 2015年6月12日 11:00</ref>。
 
 
 
1986年から[[TBSテレビ|TBS]]のスポーツキャスターに転向。引退会見では、「芸能界には入らない」と言い切っていたというものの、やがて[[イザワオフィス]]所属のタレントとしても活躍(イザワには[[2001年]]まで所属)。[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系列の[[バラエティ番組]]「[[とんねるずの生でダラダラいかせて!!]]」で『おちゃのこさいさい』と言う所を『へなちょこさいさい』と言い間違えたことから「へなちょこサダ」と命名され準レギュラー出演したことが契機となり、その頃からテレビ出演や著名人との対談など、タレント活動がメインとなる。[[1997年]]には上記の「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」での企画で[[石橋貴明]]、[[デビット伊東]]と共に音楽グループの“ANDY'S”を結成、シングル「[[FREEDOM (ANDY'Sの曲)|FREEDOM]]」が発表される<ref>定岡はベースを担当していたが、[[フジテレビ]]系列の「[[とんねるずのみなさんのおかげです]]」にANDY'Sとして出演した際に自身の担当パートを説明するのに間違えて「'''ベーサー'''(正しくはベーシスト)」と言ってしまい爆笑を買った。</ref>。
 
 
 
1990年には、チームサダオカwithゼンリンTS九州の監督として鈴鹿バイクレースに参戦した。
 
 
 
[[2006年]]、鹿児島県内で2チーム目となる[[社会人野球]]チーム、[[薩摩 (社会人野球)|薩摩]]を誕生させるべく[[5月28日]]に部員セレクションを行った。同チームの監督にも就任し、鹿児島県内でははじめてのレディース部も併設する。[[8月15日]]、読売ジャイアンツから[[自由契約]]選手の公示を受けている。理由は「アマチュア野球指導者となるため」となっており、引退時に「[[引退|任意引退]]」扱いだったことで現在のアマチュア野球指導者として活動することへの支障を取り除くためのものである。
 
 
 
現在でも[[TBSラジオ エキサイトベースボール]]等で野球解説を行っている。また、生ダラが終了した[[2001年]]頃からバラエティ番組への出演頻度が減っており、現在は解説や前述した指導者の仕事に重きを置いている。これは、本人の希望でバラエティの出演を減らしたためである。また、所属していたイザワオフィスから離れたことも影響している。[[2007年]]の[[FNSの日]]に[[鹿児島テレビ放送|鹿児島テレビ]]からのプレゼンターとしてバラエティ番組にゲスト出演した。
 
 
 
== 人物 ==
 
{{雑多な内容の箇条書き|section=1|date=2011年7月}}
 
巨人入団1年目には自主トレが行われた多摩川グラウンドに2万人の観衆を集めたほどの人気ぶりであった。当時趣味は「ハンカチ集め」と答えていた。[[王貞治]]の「日本刀で吊るした紙を切る稽古」をやらされた所、一発で切ってしまい王を困惑させたこともある。
 
 
 
かなりの天然な性格であり、バラエティ進出はそのキャラが好まれたのも一因である。やさしい性格で西本が[[沢村栄治賞|沢村賞]]を獲得しながら、手放しでは誰も祝福してくれなかった中(詳細は[[西本聖]]の項参照)定岡だけは祝福してくれたと西本は語っている。また、『[[とんねるずの生でダラダラいかせて!!]]』で[[石橋貴明]]にコケにされながらも、石橋を気遣う場面があった。この頃、「'''サダ'''」というニックネームが浸透してきた為、街を歩いていると、見知らぬ小学生くらいの子供達に「サダーっ!」と呼び捨てにされるようになり、困っていたと後に発言している。
 
 
 
上述同番組の企画の対決で敗北し、罰ゲームとして他局(TBS)のニュース番組で[[財津一郎]]の「きびしい!」をポーズ付きで行う羽目になった。なかなか実行するきっかけが掴めないまま番組も終盤となり、ついに野球の試合に関するコメントの中で「非常に厳しいですね」と言いながら中途半端なポーズを取り、共演者の女子アナに「どうしたんですか」と突っ込まれて困惑する光景がお茶の間に流れた(のちにこれが原因で同ニュース番組を降板させられたと『生ダラ』内で語った)。
 
 
 
『[[クイズダービー]]』『[[マジカル頭脳パワー!!]]』等のクイズバラエティ番組に出演すると、必ずとんちんかんなことを言ったり、理解に苦しむような的外れな解答などを担当するため「脳が筋肉」と当時は揶揄されていた。また『クイズダービー』では、2枠レギュラーの[[井森美幸]]が定岡の大ファンで、井森の解答が定岡と全く一緒だと井森は不正解でも大喜びしていたが、定岡はその度に困惑した表情を浮かべていた。しかし『マジカル頭脳パワー!!』では、記憶力の問題は得意としており、共演者から驚かれることもあった。その一方で表現力が必要となる問題には苦手でジェスチャー伝言ではそれまで上手く伝わっていたものを壊すことが多く[[所ジョージ]]や[[千堂あきほ]]や[[山咲千里]]からブーイングを食らうことも多かった。
 
 
 
1990年にはプロ野球関係者として初めて[[ベストジーニスト]](協会選出部門)に選ばれている。
 
 
 
46歳の時、『[[筋肉番付]]』の[[ストラックアウト]]で冗談を言いながら投球、1球も外す事無くパーフェクトクリアしている。兄もこのストラックアウトで9枚中7枚という成績を収めている。
 
 
 
[[2005年]]、アマチュア野球チーム「[[鹿児島ドリームウェーブ|鹿児島ホワイトウェーブ]]」の監督に就任。[[8月16日]]には鹿児島県立鴨池球場で「[[茨城ゴールデンゴールズ]]」との試合を行い初采配を白星で飾った。定岡は鹿児島ホワイトウェーブの総監督に[[坂上二郎]]を招聘することも視野に入れており、[[2006年]][[5月6日]]に鹿児島ホワイトウェーブの総監督・坂上二郎は実現した。[[5月7日]]に県立鴨池球場でゴールデンゴールズと試合を行い「コント55号対決」が実現しスポーツ紙などでも報じられた。
 
 
 
水の飲み比べが得意で、[[2009年]][[11月26日]]放送の『[[とんねるずのみなさんのおかげでした]]』のコーナー「ムダ・ベストテン」に「色々ソムリエ」として出演。8種類の水の名称当てで、6問連続正解するも最後の2択で失敗し、[[木梨憲武]]に「サダさんぽい!」と爆笑され、石橋貴明は「(最後は間違えたが)凄い!」と感心していた。更に女性の手を握るだけで出身地・生まれ月・血液型等を当てる特技も披露するが、出身地の区分を「東京より北か南」という区分で答えたため、微妙な位置にある千葉県出身者に対しては「?」マークが出される。だが血液型・生まれ月は正解して石橋・木梨を驚かせた。
 
 
 
球界入り及び現役引退等を挟み[[2017年]]時点で独身で結婚経験なし(三兄弟で唯一の独身でもある)。本人は「女性に対して[[シャイ]]だから」と語っているが、弟・徹久は「何度も兄のデートにカモフラージュで同伴させられた」と語っている。徹久が[[斉藤浩子]]と結婚したのはこのカモフラージュがきっかけである。親友の[[角盈男]]は「見つからないようにデートするのが上手い」と語っている。
 
 
 
== 詳細情報 ==
 
=== 年度別投手成績 ===
 
{| {{投手成績|リーグ=日本プロ野球}}
 
|-
 
|style="text-align:center;"|{{by2|1977}}
 
|rowspan="9" style="text-align:center;white-space:nowrap;"|[[読売ジャイアンツ|巨人]]
 
|9||2||0||0||0||0||1||0||--||.000||74||15.1||19||5||12||1||0||9||0||0||14||14||8.40||2.02
 
|-
 
|style="text-align:center;"|{{by2|1978}}
 
|2||0||0||0||0||0||0||0||--||----||11||2.0||5||1||0||0||0||1||0||0||2||1||4.50||2.50
 
|-
 
|style="text-align:center;"|{{by2|1979}}
 
|7||1||0||0||0||0||0||0||--||----||66||14.0||20||3||7||0||1||11||0||0||12||9||5.79||1.93
 
|-
 
|style="text-align:center;"|{{by2|1980}}
 
|28||22||5||1||0||9||8||0||--||.529||600||149.1||126||17||50||5||2||96||3||1||55||42||2.54||1.18
 
|-
 
|style="text-align:center;"|{{by2|1981}}
 
|31||30||5||3||1||11||7||0||--||.611||817||196.2||185||25||59||5||5||122||1||0||85||81||3.70||1.24
 
|-
 
|style="text-align:center;"|{{by2|1982}}
 
|30||27||10||3||0||15||6||0||--||.714||812||189.1||196||16||68||2||3||85||1||0||80||69||3.29||1.39
 
|-
 
|style="text-align:center;"|{{by2|1983}}
 
|29||21||2||0||0||7||7||0||--||.500||549||117.0||145||18||47||3||5||59||1||2||82||65||5.00||1.64
 
|-
 
|style="text-align:center;"|{{by2|1984}}
 
|32||17||0||0||0||5||10||1||--||.333||488||114.0||120||17||37||4||3||68||2||0||60||58||4.58||1.38
 
|-
 
|style="text-align:center;"|{{by2|1985}}
 
|47||0||0||0||0||4||3||2||--||.571||307||74.1||66||7||25||1||1||41||1||0||37||32||3.87||1.22
 
|-
 
!colspan="2" style="white-space:nowrap;"|通算:9年
 
|215||120||22||7||1||51||42||3||--||.548||3724||872.0||882||109||305||21||20||492||9||3||427||371||3.83||1.36
 
|}
 
 
 
=== 記録 ===
 
; 初記録
 
*初登板:1977年5月18日、対[[横浜DeNAベイスターズ|大洋ホエールズ]]10回戦([[石川県立野球場]])、8回表に6番手で救援登板・完了、2回無失点
 
*初先発:1977年5月26日、対[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]11回戦([[明治神宮野球場]])、1回1/3を3失点
 
*初奪三振:同上、1回裏に[[福富邦夫]]から
 
*初勝利・初先発勝利:1980年6月5日、対[[中日ドラゴンズ]]10回戦([[ナゴヤ球場]])、6回2失点
 
*初完投勝利:1980年8月11日、対横浜大洋ホエールズ20回戦([[横浜スタジアム]])、9回3失点
 
*初完封勝利:1980年10月15日、対[[広島東洋カープ]]24回戦([[後楽園球場]])
 
*初セーブ:1984年9月17日、対広島東洋カープ22回戦([[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]])、7回裏に2番手で救援登板・完了、3回無失点
 
; その他の記録
 
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場:1回 (1982年)
 
 
 
=== 背番号 ===
 
* '''20''' (1975年 - 1985年)
 
 
 
== 関連情報 ==
 
=== 出演番組 ===
 
; 現在
 
* [[CBCドラゴンズナイター]]([[CBCラジオ]])
 
 
 
; 過去
 
* [[JNNスポーツ&ニュース]]([[TBSテレビ|TBS]])
 
* [[激生!スポーツTODAY]]([[テレビ東京]])
 
* SADA&KAYAパーティーナイトG([[フジテレビジョン|フジテレビ]]) - [[佐伯伽耶]]とのダブル司会による[[トーク番組]]。
 
* [[関口宏のサンデーモーニング]](TBS)
 
* [[クイズMONOものがたり]]([[テレビ朝日]]、1988年)
 
* [[月曜ドラマスペシャル]] [[キスよりもせつなく#テレビドラマ|イブは初恋のように]](TBS、1991年12月16日)
 
* [[とんねるずの生でダラダラいかせて!!]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])
 
* [[マジカル頭脳パワー!!]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]]) 数回ゲスト出演
 
* [[チャレンジ大魔王]](TBS)
 
* [[オールスター感謝祭]](TBS)第7回大会では46問で2位
 
* [[スクール五輪の書]](1997年 - 2000年、[[NHK教育テレビジョン|NHK教育テレビ]])
 
* [[小学生クラス対抗30人31脚]](テレビ朝日、2001年)
 
* [[どっちの料理ショー]](日本テレビ) 数回ゲスト出演
 
* [[土曜スペシャル (テレビ東京)|土曜スペシャル]](テレビ東京) 日光街道歩き旅などに出演
 
* [[ものまね王座決定戦]](フジテレビ) 審査員で出演
 
* [[世界の超豪華・珍品料理]](フジテレビ) 食レポーター、不定期出演
 
* [[うたばん]](TBS) ANDY'Sとして出演
 
* [[とんねるずのみなさんのおかげでした]](フジテレビ、1997年・2009年11月26日・2010年11月11日・2011年4月21日・2011年7月21日・2011年10月27日・2011年12月29日・2012年11月22日) - 「ほんとのうたばん」にANDY'Sのメンバーとして出演したのが番組初出演。
 
* [[TBSラジオ エキサイトベースボール]]([[TBSラジオ&コミュニケーションズ|TBSラジオ]])
 
 
 
=== 出演CM ===
 
* [[フンドーキン醤油]]「生きてるみそ」(1980年) - 現役時代に出演。
 
* [[大塚製薬]]「[[オロナミンCドリンク]]」 - 現役時代に他の巨人軍選手と共に出演。
 
* [[明治 (企業)|明治製菓]] アーモンドチョコレート
 
* [[タイトー]] [[究極ハリキリスタジアム|スーパー究極ハリキリスタジアム]](1993年) - 同作品箱パッケージ裏に「定岡正二氏推薦」のラベルが入った。
 
 
 
=== 音楽 ===
 
* ガラスの微笑み(1982年)
 
* [[FREEDOM (ANDY'Sの曲)|FREEDOM]] / ANDY'S(1997年)
 
 
 
=== 出演映画 ===
 
* [[どっちもどっち]](1990年) - 倉沢達夫役
 
 
 
=== 著書 ===
 
* 華麗なるこの一球―熱球悲願(1982年)
 
'''出演ドラマ'''
 
 
 
[[踊る大捜査線 秋の犯罪撲滅スペシャル|踊る大捜査線 秋の犯罪撲滅スペシャル]](1998年)
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[鹿児島県出身の人物一覧]]
 
* [[読売ジャイアンツの選手一覧]]
 
* [[兄弟スポーツ選手一覧 #野球|兄弟スポーツ選手一覧]]
 
* [[元木大介]](「巨人で終わりたい」という理由で現役引退し、タレント・野球解説者に転身)
 
* [[輪島大士]]([[生ダラ]]でサダーズの異色コンビを結成した)
 
* [[1・2のアッホ!!]]([[コンタロウ]]の野球ギャグ漫画。「定岡正二」という登場人物がいる)
 
 
 
== 外部リンク ==
 
{{NPB|61363844}}
 
*[http://www.t-force1.com/profile/sadaoka.pdf マネージメント事務所プロフィールページ]
 
*[http://teambbkids.jugem.jp/ チームベースボールキッズ(teambbkids)日記]
 
*[https://web.archive.org/web/20000919034545/http://www.jame.or.jp/izawa/sada.html イザワオフィス所属当時のプロフィールページ(アーカイブ)]
 
 
 
{{読売ジャイアンツ1974年ドラフト指名選手}}
 
{{デフォルトソート:さたおか しようし}}
 
[[Category:日本の野球選手]]
 
[[Category:鹿児島実業高校出身の野球選手]]
 
[[Category:読売ジャイアンツ及び東京巨人軍の選手]]
 
[[Category:NPBオールスターゲーム選出選手]]
 
[[Category:野球解説者]]
 
[[Category:日本のタレント]]
 
[[Category:過去の渡辺プロ系列所属者]]
 
[[Category:日本の野球監督]]
 
[[Category:鹿児島県出身の人物]]
 
[[Category:1956年生]]
 
[[Category:存命人物]]
 

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