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石崎汽船株式会社(いしざききせん)は、愛媛県松山市に本社を置く海運会社である。 創業150年を超える老舗の旅客船事業者であり、伊予鉄グループの関連会社である。
Contents
沿革
- 1862年(文久2年):新浜村(現 松山市高浜)の庄兵衛が廻船業を興す。[1]
- 1864年(元治元年):庄兵衛が死去するが、以後の後継ぎも「庄兵衛」を名乗る。
- 1869年(明治2年):庄兵衛(創始者の孫にあたる)が「石﨑庄兵衛」を名乗り始める。
- 1873年(明治6年):外輪船を輸入し、愛媛県内で旅客船営業を始める。[2]
- 1890年(明治23年)11月:三津浜〜広島間 定期航路開始。
- 1891年(明治24年):徳山の船会社から「第一相生丸」を購入する。以後、購入・建造する船は「第○相生丸」と命名されるようになる。
- 1903年(明治36年)8月:三津浜 - 尾道航路を開設する。
- 1918年(大正7年):石崎汽船株式会社設立。[3]
- 1924年(大正13年)12月:石崎汽船旧本社屋落成。
- 1965年(昭和40年):松山 - 広島航路にフェリーを導入する。
- 1966年(昭和41年):松山 - 広島航路に水中翼船を導入する。
- 1969年(昭和44年):松山 - 尾道航路に水中翼船を導入する。
- 1971年(昭和46年):松山 - 尾道航路に高速船を導入する(四国内と本州の鉄道との連絡航路として利用された)。
- 1975年(昭和50年)5月:松山 - 三原航路を開設する(瀬戸内海汽船、昭和海運との共同運航)。新幹線との連絡航路として利用された。
- 1979年(昭和54年):松山 - 尾道航路に就航していた高速船を水中翼船に置き換える。
- 1988年(昭和63年)6月:松山 - 三原航路が、瀬戸大橋開通による航路再編に伴い廃止される。
- 1993年(平成5年):松山 - 広島航路に就航していた水中翼船を、高速船「スーパージェット」に置き換える。
- 1998年(平成10年)3月:松山 - 門司(北九州市)航路に「スーパージェット」の大型タイプである「シーマックス」を導入し就航させる。
- 1999年(平成11年):松山 - 尾道航路が、しまなみ海道開通による航路再編に伴い廃止されたほか、松山 - 広島航路を縮小する。
- 2001年(平成13年)4月24日:本社の建物が登録有形文化財に登録[4]。
- 2004年(平成16年)
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)10月31日:瀬戸内海汽船とともにICい〜カードとPASPYを導入し供用を開始する。また、ICOCAの共通利用も開始する。
- 2013年(平成25年)
- 1月:松山・小倉フェリー株式会社を設立。
- 4月1日:フェリーさんふらわあから松山 - 小倉航路を承継する。[6]
- 7月:本社所在地が、愛媛県松山市三津1丁目から愛媛県松山市高浜町5丁目松山観光港ターミナル内に移転する。
- 2014年(平成26年)4月1日:消費税増税に伴い、スーパージェット・クルーズフェリーの料金値上げをする。
歴代社長
- 初代社長 石崎兵太郎(1918年 - 1931年)[7]
- 2代社長 石崎仙太郎(1931年 - 1975年)
- 3代社長 石崎洋一郎(1975年 - 1989年)
- 4代社長 武井正(1989年 - 1995年)
- 5代社長 一色昭造(1995年 - 2015年)
- 6代社長 清水 一郎(2015年 - )[8]
航路
廃止航路
- 松山港 - 尾道港(1903年 - 1999年)
- しまなみ海道の開通により航路廃止、年間利用者数 - 5万人(1995年)
- 松山港 - 三原港(1975年 - 1988年)
- 瀬戸大橋の開通により航路廃止、年間利用者数 - 13万人(1985年)
- 松山観光港 - 門司港(1998年 - 2008年)
- 高速船「シーマックス」) :
船舶
就航中の船舶
フェリー
高速船
- 瑞光(スーパージェット30)
- 祥光(スーパージェット30)
過去の船舶
客船
- 第三相生丸
- 95.75総トン、全長28.76m
- 第四相生丸
- 161総トン、1903年進水
- 第六相生丸
- 119.02総トン、全長31.27m
- 第十相生丸
- 第十一相生丸
- 第十二相生丸
- 325総トン、1922年進水、向島船渠建造
- 第十五相生丸
- 第十六相生丸
- 第十七相生丸
- 第十八相生丸
- 336総トン、1957年進水、波止浜造船建造
- 春洋丸
- 297総トン、1962年進水、波止浜造船建造
- 錦洋丸
- 251総トン、1964年進水、波止浜造船建造
- フェリー
- 494総トン、1965年進水、神田造船所建造
- 496総トン、1968年進水、神田造船所建造
- 699総トン、旅客定員370名
- 653総トン
- 水中翼船
- 金星(PT-20)
- 明星(PT-20)
- 隆星(PT-20)
- 56.75総トン、最大速力36.9ノット、旅客定員69名、1981年竣工、日立造船神奈川工場建造
- 129総トン、全長27.54m、幅5.84m、深さ3.56m、旅客定員126名
- 光星(PT-50)
- 133総トン
- 高速船
- シーマックス(スーパージェット40)
- 1998年2月27日竣工、1998年3月就航、2008年1月15日引退、日立造船神奈川工場建造
- 284総トン、全長39.5m、幅11.4m、深さ3.7m、喫水1.85m、高速ディーゼル×4基、ウォータージェット×2基 最大速力45.18ノット、旅客定員200名
脚注
- ↑ データベース「えひめの記憶」 - 愛媛県生涯学習センター
- ↑ まつやま 人・彩時記 - 松山市文化協会
- ↑ 会社案内 - 石崎汽船
- ↑ 文化遺産オンライン
- ↑ 会社概要 - 中島汽船
- ↑ 松山-小倉フェリー航路存続へ - 日本経済新聞 (2013年2月22日)
- ↑ 海に生きる:石崎汽船史
- ↑ 石崎汽船社長に伊予鉄道・清水氏 20年ぶり交代 - 日本経済新聞 (2015年9月4日)
- ↑ 同共同運航は、海上運送法第28条に基づくものであり、独占禁止法の適用を除外されている。