石炭の歴史村
石炭の歴史村 | |
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施設情報 | |
前身 | 夕張炭鉱 |
テーマ | 石炭・炭鉱 |
事業主体 | 夕張市 |
管理運営 |
第3セクター「石炭の歴史村観光」[1] ↓ 夕張リゾート株式会社[2] |
面積 | 51万m2 |
開園 |
1980年(昭和55年)7月[3] ↓ 1983年(昭和58年)6月1日 (全面開業)[4] |
所在地 |
〒068-0401 北海道夕張市高松7 |
位置 |
北緯43度04分02.15秒 東経141度59分16.75秒 |
公式サイト | http://www.yubari-resort.com/ |
石炭の歴史村(せきたんのれきしむら)は、北海道夕張市にあるテーマパーク。 広大な夕張炭鉱の跡地を利用して造られた。 マスコットキャラクターは「ゆうちゃん」。
歴史・概要
1977年(昭和52年)に当時の夕張市助役の中田鉄治が構想して「炭鉱から観光へ」をキャッチフレーズとして周囲を説得し、事業が開始されることになったものであった[5]。
1980年(昭和55年)7月に運営母体の第3セクター「石炭の歴史村観光」を設立して[1]同月に一部施設が開園し[3]、1983年(昭和58年)6月1日には[4]遊園地なども含めて全面的に開園した[5]。
構想を立てた中田鉄治は1979年(昭和54年)から2003年(平成15年)まで6期24年間夕張市市長を務め、当時業を含めた炭鉱閉山後の地域活性化策を推進した[6]。
炭鉱の立て坑を模したシンボルタワー[3]や日本で唯1つの「模擬坑」[7]のある「夕張市石炭博物館」を中心に[8]、等身大の人形を用いて炭鉱住宅街の様子を再現した「炭鉱(やまの)生活館」[9]や1888年(明治21年)に北海道庁技師の坂市太郎が発見した夕張炭鉱の原点である「石炭大露頭」[10]などが園内に配置された。
大観覧車やジェットコースターなどがある遊園地「アドベンチャー・ファミリー」[11]や2万本以上のバラが咲き乱れる「ローズガーデン」 [12]なども併設されており、年間200万人の観光客招致を目指した夕張市の「炭鉱から観光へ」の象徴であった[1]。
また、野外ステージもあり、「愛・ラブ・夕張1983年コンサート」[13]やレゲエの音楽祭であった「ユーパロ・ミュージック・フェスティバル1990年」の会場にもなった[14]。
当園を運営する第3セクター「石炭の歴史村観光」は黒字とされており[15]、自己破産を申請する直前の2006年(平成18年)3月期決算も同様であったが[1]、夕張市から委託料を受け取って売上を夕張市へ入金する業務委託契約であったためで[1]、2005年(平成17年)度の「石炭の歴史村観光」の売上高は約13.6億円で夕張市からの委託料26.5億円の約半分と実態は大幅な赤字であった[1]。
そのため、2006年(平成18年)6月20日に夕張市長が「財政再建団体」申請を行うことを表明して夕張市が事実上倒産した[16]ことに伴い、「石炭の歴史村観光」の運営する施設は例年より早い10月15日から閉鎖されて冬季休業に入り[17]、当時当園を運営していた夕張市の第3セクター「石炭の歴史村観光」は「今後は委託料など市からの収入が見込めないこと」から同年11月29日に札幌地方裁判所に自己破産を申請して破綻した[1]。
夕張市の財政再建策のなかで、当初は閉鎖が予定されていた。 しかし、夕張を支えた炭鉱産業に触れることのできる施設は歴史・資料的価値が高いとして、内外から存続要望の声が多く挙がった。
そこで、2007年(平成19年)に加森観光が指定管理者となり、その関連会社である夕張リゾートの運営で同年4月27日に再開した[2]。
ただし、遊園地「アドベンチャー・ファミリー」は再開されないまま野ざらしの状態が続き[18]、2008年(平成20年)5月から解体を開始、撤去された[19]。
2018年4月28日に2年に渡る改修工事を終え、石炭博物館がリニューアルオープンした。指定管理者は同年4月1日より、NPO「炭鉱(ヤマ)の記憶推進事業団」に移管された。
石炭の歴史村観光
- 第三セクター「石炭の歴史村観光」(社長・後藤健二市長)
主な施設
過去にあった施設
- 郷愁の丘ミュージアム[20]
- 昭和レトロ館
- 夕張キネマ館
- 夕張プラザ
- グリーン大劇場
- 物産館
- SL館(休館中)
- 世界のはくせい館
- ロボット大科学館(2008年(平成20年)8月末に解体)
- アドベンチャーファミリー(遊園地)
- 夏期間のみ営業していた。2006年(平成18年)10月15日から閉鎖されて冬季休業に入り[17]、再開されないまま野ざらしの状態となっていたが[18]、2008年(平成20年)5月から解体を開始し、撤去された[19]。
営業期間・営業時間・料金
各施設ごとに設定されているので、外部リンク参照。
交通アクセス
2013年4月現在
- 道路
- 北海道道夕張岩見沢線沿い
- 夕張駅から北に約3km
- 夕張インターチェンジ(道東自動車道)から北に約18km
※かつては石炭の歴史村正門前にバス発着場が存在したが、2007年5月に夕鉄バスが、2007年10月に北海道中央バスが乗り入れを廃止しており、現在は利用されていない。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 1.8 1.9 “夕張「歴史村」が自己破産 負債74億円、全社員解雇”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2006年11月29日)
- ↑ 2.0 2.1 酒井麻里子、杉原洋嗣 (2007年4月28日). “再建始動 夕張の春(5)歓迎と不安 観光施設再開”. 読売新聞 (読売新聞社)
- ↑ 3.0 3.1 3.2 “石炭の歴史村 7月オープン タワーが歓迎”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1980年6月26日)
- ↑ 4.0 4.1 4.2 鈴木徹(2006年8月30日). “夕張よ 盛衰の軌跡 3 “2億円”寄贈話 たが外れ錬金術の沼へ”. 北海道新聞 (北海道新聞社)
- ↑ 5.0 5.1 横井正浩(2006年8月29日). “夕張よ 盛衰の軌跡 1 炭鉱から観光へ 「積極路線」が病巣に”. 北海道新聞 (北海道新聞社)
- ↑ ““波瀾万丈の日々”に別れ 6期24年 中田鉄治夕張市長が退任”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2003年4月26日)
- ↑ “北炭夕張砿模擬坑”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1973年1月14日)
- ↑ 斉川誠太郎(2006年8月30日). “夕張よ 盛衰の軌跡 2 前市長の夢 まち再生へ らつ腕発揮”. 北海道新聞 (北海道新聞社)
- ↑ 9.0 9.1 “週遊スクエア 夕張・石炭の歴史村「炭鉱生活館」 炭住街の活気再現 実物大模型やパノラマ”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1997年12月4日)
- ↑ “石炭の歴史村 史跡夕張鉱”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1980年6月26日)
- ↑ 11.0 11.1 11.2 “ゴールデンウイークガイド 楽しさいっぱい さあ出かけよう”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2001年4月27日)
- ↑ “多彩にバラ満開 赤やピンク2万2千本 夕張”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1997年7月26日)
- ↑ “夕張 連帯のコンサート”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1983年8月13日)
- ↑ “ユーパロフェス レゲエのビート 3600人酔う”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1990年8月6日)
- ↑ “夕張市の“三セク決算”明暗 観光開発 宿泊好調で黒字に 歴史村観光 利益幅が拡がる 木炭製造 累積赤字膨らむ”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1996年6月21日)
- ↑ “再建団体申請 夕張市長、きょう議会で表明 動き急、戸惑いに拍車 市民 「暮らし想像できぬ」”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2006年6月20日)
- ↑ 17.0 17.1 “夕張よ 経費節減、休業前倒し 三セクの10施設 再開は不透明”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2006年10月16日)
- ↑ 18.0 18.1 “閉鎖続く夕張「アドベンチャーファミリー」 解体、鉄くず売却も 市など検討 譲渡、再開は絶望的”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2007年10月4日)
- ↑ 19.0 19.1 “夕張「アドベンチャーファミリー」 解体 月内にも開始 中国で再利用も検討”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2008年5月10日)
- ↑ 20.0 20.1 20.2 20.3 20.4 沢田信孝、高橋俊樹(2006年9月2日). “夕張よ 盛衰の軌跡 5 冷ややかな視線 ずさん計画 銀行見抜く”. 北海道新聞 (北海道新聞社)
- ↑ 特撮番組『超獣戦隊ライブマン』の撮影で使われたもの。三機の工作用重機を改造して作られ、実際に合体することができた。